親と子の会話です。
日差しが窓から入り込み、廊下は淡くも十分な明かりを保っている。
見慣れた廊下に不思議な違和感を覚えた。壁にかけられた絵から、住人達が消え、いつも天井付近に漂うはずの幽霊達もいない。
自分は重いローブを引きずりながら、ひたすら廊下を進んでいるだけだ。
しかし、何処に向かっているのかを思い出せない。
自分の前を紅い紐、否、蛇が先行している。
――ベッロ。
呼べば、ベッロは自分を振り返る。
何処へ行くのかと問えども、ベッロは答えず、再び床を這う。
ベッロは校舎から中庭に出る。ベンチに見知った生徒が書物を手に座っている。ベッロは生徒の元まで這っていく。
自分もそれに続こうとするが、足が進まない。足元を見るとローブが廊下に溶け、一体化していく。ローブを脱ごうとするが、ローブは自分の体を飲み込もうとする。
ベンチに座る生徒は、自分に気づかず、ベッロを抱き上げて校舎の向こうに歩き出した。
―――待ってくれ。
必死に叫ぶ自分の声に、生徒は反応せず、校舎の影に消えようとしている。
―――行かないでくれ、セブルス!
反響する自分の声が木霊し、影の中で生徒は足を止める。
生徒は、影から顔を出した。
それは、歳を重ねた今のセブルス=スネイプの姿をしている。
その腕に抱いているのは、ベッロではなく、燃えるような赤髪のリリー=エバンズ。
生の温かみのない青ざめた血色で、瞼を閉じ、力なくセブルス=スネイプの手に抱かれている。
「貴様のせいだ!」
憎悪の込められた唸り声に、自分は激しく否定する。
――違う、違うんだ。
「嘘を付くな! クローディア=クロックフォード!」
呼ばれ、狼狽する。
――それは違う。そんな名前ではない。
セブルス=スネイプが自分に迫ってきた。あらゆる負の感情が込められた黒真珠の瞳に映るのは、黒髪で赤茶色の瞳を持つ自分の姿だった。
絶望に酷似する悲鳴が空を裂いた。
☈☈☈
夜も更け、日付も変わる時間。
部屋を灯す蝋燭の光で手紙を綴っていたクローディアは、重くなる瞼を堪えて封筒に手紙を入れていく。
(えーと、これがお母さん宛、これがクィレル先生宛、これがリサ宛さ)
――ガシャン。
階段の下から響く硝子の破損音に、一気に目が覚める。
(お父さんさ?)
糊付けした封筒を机に置き、クローディアは少し乱れた髪を適当に手櫛で解く。警戒しながら、忍び足で階段を下りた。
暖炉傍にある肘掛け椅子、前かがみに頭を押さえるコンラッドが肩で息をしている。暗がりで表情を窺えないが、雰囲気から焦燥感を感じ取れる。
「お父さん?」
躊躇いがちにクローディアは声をかける。
返答のないコンラッドの足元に、半壊したグラスが転がっている。
再び声をかけようとしたが、コンラッドは勢いよく椅子から立ち上がる。
「明日はホグワーツだよ、もう寝なさい」
その声に、普段の愛想がない。ひたすら暗く重く冷たい。
手で頭を押さえたまま、コンラッドは空いた手で指を鳴らし割れたグラスを直した。グラスを机に置く間も彼は、クローディアを振り返らない。
「大丈夫さ? ……その飲みすぎ?」
上目遣いで見上げるクローディアに、コンラッドは答えない。
沈黙する雰囲気に、言葉を発すること躊躇う。代わりに思いつく。コンラッドの腕を強引に掴み、椅子へと腰掛けさせる。
「お父さん、座るさ」
抵抗見せないコンラッドは、不気味に大人しく従う。彼の背に回り、クローディアはその肩に拳を軽く乗せる。徐々に拳の威力を上げながら、肩を叩く。
「お父さん、気持ちいいトコロいうさ」
声を抑え、クローディアは出来るだけ優しい声色ではコンラッドの背に問いかける。
数分後。
叩き続けるクローディアに、コンラッドは何の反応も示さない。完全に無視され、少々苛立ちが募る。小さく嘆息し、改めて彼の背を眺める。
思えば、コンラッドの肩を叩くのは初めてであった。
幼い頃から、祖父にせがまれて肩たたきをしたことはあるが、コンラッドはクローディアにそれを求めたことはない。
そのせいか、父子の間に理解不能な距離を感じていた。母に叱責され泣き喚くクローディアを慰め、父兄参観日に出席するのも全て祖父であった。
それでも、同時にこの背中に確かな信頼を寄せていた。コンラッドが自分の過去を何も話さないのは、クローディアが知らなくても良いことなのだと思えるのは、そのせいだ。
「お父さん、何があったか聞かないさ。でも……ちゃんと休むさ。私も、こうやって肩叩けるさ。たまにだけど」
口に力を入れ、言葉を紡ぐ。
刹那の沈黙後。
「学校は楽しいかい?」
いつものコンラッドの口調がクローディアの耳に届く。しかも、普段より穏やかな印象を受ける。戸惑っても、ひたすら縦に首を振る。
「友達も増えたようだね」
「うん、お父さん。後輩にも友達が出来たさ」
表情を輝かせたクローディアは、声を弾ませジニーとルーナのことを話す。一通り説明が終わるとコンラッドは軽く微笑する声が響く。
「私は人と馴れ合うのが苦手でね、友達が少なかった。セブルスは私の大切な……、親友だった」
意外な言葉にクローディアは、肩を叩く手を止める。
「最初に話をしたのもセブルスだった。でも、部屋割りが別々でね。どうしてもセブルスと同じ部屋が良かった私は、校長に直訴して2年に上がる頃、部屋を変えてもらった」
内容に衝撃を受けたが、クローディアの脳内で冷静な箇所が働く。
(なんでさ、親友だった?)
過去形である。
「蘇生薬はよく効いたろ? おまえが石にされたと知らされた時、必ずセブルスが助けると信じていたよ……。セブルスは誰も見捨てない……。自分が傷つこうとも、誰も見捨てられないんだ……」
うわ言のように呟くコンラッドは、ほとんど浮ついていた。
休暇前にスネイプが尋ねてきた言葉を思い返す。軽く唇を噛み、意を決したクローディアは言葉にする。
「お父さん、……お父さんも寮を自分で選んでさ?」
項垂れていたコンラッドは、初めてクローディアは肩越しに振り返る。暗闇に慣れてきた視界に、彼の表情がハッキリと視認できる。
いつもの機械的な笑み。
「セブルスは、蝶だ」
耳にした言葉に、クローディアの周囲は空気が固まり時間が止まる。
(これはさ、何の冗談さ? 笑うところさ?)
脳内でスネイプに蝶の羽が生えた姿が過ぎっていった。
笑うことも出来ず、痙攣する唇を噛み締める。代わりにコンラッドが快活な笑い声を上げる。突然、彼の声量が上がりクローディアは困惑した。
「お父さんさ?」
クローディアが遠慮がちに声をかけるのを合図に、コンラッドはピタリと笑いを消す。椅子に深くもたれ、彼は静かに天井を見つめる。
「私を変えた蝶、決して私に捕まらない、何処までも飛んで行く。私を置いて……」
コンラッドの呟きは、クローディアにかけられている様子はない。
完全な独り言だ。
慎重な足取りで、クローディアがコンラッドに近寄る。微かな寝息を聞き取り、寝入っていることを確信する。
(もしかして、酔ってたさ?)
嘆息し、クローディアは机に丁寧に置かれたコンラッドの外套を見つけた。それを眠る彼に被せる。
「おやすみさ」
コンラッドの耳元で囁き、生まれて初めて、父親の寝顔を目にした。閉じられた瞼には細い睫毛がよく映え、息が抜ける程度の呼吸が寝顔を崩さない。
クローディアは愉快さで口元が緩む。
(寝顔まで綺麗さ。考えたら、お母さん。よくこんな美人をゲットしたさ。ていうか、スネイプ先生が蝶さ……)
様々な笑い要素が脳内を巡り、静寂な場で噴出しそうになり、クローディアは慌てて口元を押さえる。肩を痙攣させたまま、足音を忍ばせるように2階へと駆け上った。
クローディアが2階に上がった後、机の下でベッロが這い出て来る。コンラッドの寝室へと入り込み、毛布を一枚銜えて戻ってきた。その毛布を起こさぬように慎重に、外套の上に被せる。
「すまんの、気を遣わせて」
台所から一部始終、目にしていた祖父がベッロに労いの言葉をかけた。
勝手に動く洗面器に起こされた。
寝ぼけ眼でまどろんだ頭のクローディアは寝巻き姿のまま、食卓に降りる。案の定、朝から祖父に服装の乱れを指摘された。
間抜けな態度で頷き返したので、後頭部を叩かれた。
朝食を摂る内に、クローディアは、目が覚めた。食卓の席にコンラッドの姿がないことに気づく。
「お父さんは、どうしたさ? また、お出かけさ?」
パンにバターを塗る祖父が、口を八の字に紡ぐ。
「ただの二日酔いじゃ、酒が弱いくせにボトルを3本も開けよって……」
昨夜を知るクローディアは、完全に納得し苦笑する。
瞬間、窓からウィーズリー家のフクロウ・エローズが突入してきた。間一髪、クローディアはエローズを避けた。
ドリスがフラフラのエローズを捕まえ、カサブランカの止まり木に乗せた。
「モリーからだわ。きっと、ハリーのことね」
僅かな緊迫感を漂わせ、ドリスは台所の奥へと向かう。その後姿を見送り終えたとき、入れ違いでコンラッドが部屋から顔を出した。
髪は乱れ、目元は細く、普段の優美さが何処にもない。完全な不調を訴えていた。頭痛がするのか、コンラッドは顔を顰め片手で頭を押さえている。
その姿にクローディアは、呆気に取られた。
「『闇の魔術への防衛術』に新任する教員のことだが」
億劫に開かれる口から掠れた低音を聞き漏らすまいと、クローディアは耳を澄ませる。
「臆病な態度を示したとしても、責めてはいけない。ただし、庇う必要もない」
その言葉には、俄かに敵意が込められている。
クローディアが敵意の意味を問おうと口を開く前に、コンラッドは扉の向こうに身を潜めた。扉は音もなく閉まり、消化しきれない空気が場を包んだ。
〔ようは、無視しろってことさ?〕
行き場を無くした質問を、祖父に投げかける。
〔ワシに聞くな。それより、時間はよいのか?〕
祖父が顎で示す時計は、午前9時を指していた。
余裕を持ち、朝食を済ませた。クローディアは早々に着替え、荷物の最終確認をする。3年生の教科書、参考書、着替え一式、バスケ部立ちあげの為の資料、胃薬、『解呪薬』、印籠、杖、腕時計、小説と漫画も少々。
机の上に置いた写真立てとクローディアの手にあるアルバムを見比べる。
(アルバムさ、う~ん。ボニフェースの写真だけ持って行くさ)
クローディアとドリスの写真を入れた写真立ての後ろに、ボニフェースの写真を差し込んだ。写真の住人達は、不満そうにしていた。
トランクを引っ張り、クローディアは扉越しにコンラッドに別れの挨拶をする。やはり、返事はない。
「お祖母ちゃん、ウィーズリーさんからの手紙なんだったさ?」
「ええ、ウィーズリー一家が『漏れ鍋』でお泊りして、今朝は魔法省の計らいで車が手配されたそうですよ」
魔法省の車と聞き、クローディアは驚く。
「え? また、学校に車でさ? また、スネイプ先生に怒られるさ」
「いいえ、駅までですよ」
困り顔でドリスが笑う。一応、クローディアは納得した。
「やっぱり、シリウス=ブラックに狙われてるさ? ポッター」
その名を口にしたクローディアをドリスは顔色を青くして凄んだ。
「お祖母ちゃんさ、隠しても分かる人には分かるさ。シリウス=ブラックが『例のあの人』の信奉者だったなら、尚更さ」
淀みないクローディアの発言に、ドリスは感心するように口元を引き締め頷く。
「なら、学校でのハリーは、あなたに任せますね。しかし、石化のようなことはくれぐれも避けなさい」
「う……! 善処します…」
蘇生薬の効能で回復してから3ヶ月近く経っているが、祖父から『吼えメール』を送られたときのことを思い返し、身震いする。痛い処を突かれたクローディアは、背筋を伸ばして頷く。
(あれは、不可抗力なのにさ。お母さんにも散々怒られたさ)
胸中で涙し、クローディアは嘆息した。そして、昨夜のコンラッドの言葉が脳裏に甦る。
(スネイプ先生は、誰も見捨てないさ……)
確かにその通りだ。
クローディアは身を持って、それを体験している。しかし、彼の辛辣かつ冷徹な態度が、その評価を受け入れるのを拒んでしまう。
(いつまでも、そんなんじゃいけないさ……)
コンラッドの大切な親友であるスネイプを嫌うことは、ボニフェースの親友ハグリッドを嫌うことと同義だ。
思えば、コンラッドはドリスにも行方を告げずに10年以上姿を晦ましていた。もしかしたら、スネイプが彼を憎むのは、そこに関係しているのかもしれない。
やっと、そう思えるようになったと自覚した。
学校の荷物を点検していた祖父が印籠の中を見た途端、硬直した。
〔来織、『解呪薬』が一粒しか残っておらんのは、どういうことじゃ〕
祖父は、怒り心頭だ。例えるなら、地の底から噴火する溶岩の如く。正に恐ろしい祖父に詰め寄られ、クローディアの背に冷たい感覚が走り抜ける。
出発前ということもあり、祖父は短時間だけクローディアに説教した。
〔いいか、これは最後のオリジナルだ。わしには、効力の薄いモノしか作れん。考えて、使えよ〕
短時間とはいえ、クローディアは十二分に反省した。
〔はい、わかりました〕
何故だが、ベッロまで反省の意を示して震えていた。
「ワシは、コンラッドの看病があるのでな。ドリスさん、このバカタレを頼みましたぞ」
ぺしぺしっと、祖父はクローディアの頭を叩く。
「それ以上、乱暴はおやめになって」
ドリスはトランクを持ち、クローディアはベッロの虫籠を持つ。
「行ってきますさ」
クローディアは笑顔で祖父に手を振る。祖父は素っ気ないが、手を振り返した。
祖父の顰めっ面は、クローディアが見えなくなるまで崩れなかった。
閲覧ありがとうございました。
蝶のスネイプ、黒アゲハなイメージ。
祖父のように、怒ると恐い人になりたいです。