その日、是非曲直庁は混乱を極めていた。
突如として報告された冥界の異常事態。本来ならば 、死者の魂が成仏するか転生するまでの間を待つ安息の地。しかしある時、そんな世界に
絶対的な“死”。それは物体としての存在ではなく、ある種の概念そのものらしい。死という概念そのものが冥界全土を侵食し、世界の構造そのものを作り変えてゆく。このままでは冥界は、死者にとっての安息の地ではなくなってしまう。
──行き着く先は、暗闇だ。
安息なんて欠片もない。死して尚、死の苦痛を味わい続ける、ある種の牢獄。
(くっ……。一体、何が……)
狼狽を表情に滲ませながらも、四季映姫は裁判所の廊下を歩く。
緊急事態故に、裁判は一時中断。上からは待機を命じられてしまったが、だからと言ってこのまま手を拱く映姫ではない。自らが持っている権限で、出来る限りの情報を集める。この目でしっかりと状況を把握しなければ、ジッとなんて出来る訳が無いじゃないか。
(冥界には進一もいる……。まさか、巻き込まれたんじゃ……)
自分が担当していた青年の姿が脳裏を過り、映姫は微かな不安感に襲われる。このタイミングでの、この事態だ。巻き込まれた所か、彼が何らかの関わりを持っている可能性も──。
「四季様」
考え込みながら歩いていると、不意に声をかけられる。
立ち止まって振り返ると、そこにいたのは一人の死神。フォーマルなスーツを身に纏う、いかにも生真面目そうな印象の死神だ。
彼女は確か、彼岸で待機していた進一をこの裁判所まで連れてきてくれた死神だ。冷静かつ落ち着いた印象の強い死神だったが、そんな彼女もこの事態には少々動揺しているらしく。
「ここにいらっしゃいましたか。有無も言わさぬ程の勢いで飛び出すので、どこに向かうおつもりなのかと……」
「私を捜していたのですか? 何か火急の用事でも?」
「いえ、それほどでは……。ただ……」
彼女は若干言い淀む。何とも歯切れの悪い印象だった。
「──閻魔以下の役職を持つ従業員は、基本的に一時待機の指示が出ていたかと思います。そんな中、四季様は何らかの行動を起こそうとしていたようですので……」
「……っ。成る程、それで私の行動が気になったと……?」
是非曲直庁においては、閻魔という役職もまた労働要因に過ぎない。何人かの死神を率いてはいるものの、上からの決定には逆らえないのだ。それ故に、こんな風に歯がゆい思いをする事も多々ある。
勿論、上層部に逆らうなど言語道断だ。映姫だってそんな暴挙に及ぶつもりは無い。
「大丈夫ですよ。私は別に、妙な事を企てている訳ではありません。ただ──、心配なのです」
「心配、ですか?」
「ええ」
オウム返しをする死神に頷きつつも、映姫は続ける。
「私は閻魔です。日々死者の魂と向き合い、冥界行きか地獄行きかを判決しています。確かに昨今の裁判は殆ど流れ作業ですが、だからと言ってただ惰性的に仕事を続けて良い訳ではありません。自らの手で裁いた死者の未来には責任を持つべきだと、私はそう考えてるのです」
映姫とて、軽い気持ちで閻魔としての職務を熟している訳ではない。彼女だって、閻魔という役職に確かな矜持を抱いている。故に責任を持ってその役割を全うすべきだと、そんな譲れない心情があるのだ。
「だからこその心配、という事ですか……」
「その通りです。私が判決を下した死者が……。本来ならば一時の安息を得るはずだった死者までもが、牢獄に捕らわれてしまっているかも知れない。そう考えると、居てもたっても居られないのですよ」
故にこそ、ジッとしていられない。
確かに上からは待機を命じられているが、それは別に“何もするな”という訳ではない。要するに、上が方針を決定した際に即動けるような状態を作っておけば問題ない。それが守れる範囲ならば、幾らでもやりようはあるという事だ。
そう。
映姫ひとりの力では、限界があるのだとしても──。
「四季様! 四季様ー!」
話していると、映姫はまた別の死神から声を掛けられる。
直前まで話していた彼女と違い、何とも淑やかさに欠けるイメージの声調だ。けれど映姫にとっても、散々聞き馴染んだ少女の声。
振り向くと、手を振りながらも駆け寄ってきたのは赤髪の死神だ。水色の和装を身に纏っているものの動きやすさ重視で着崩しているらしく、この厳粛な裁判所では少々だらしない印象に思える。その上どたどたと駆けている所為か、余計に注目を集めてしまっているような気がした。
まったく、彼女は相変わらずだ。死者の未来を預かる是非曲直庁の労働員の中でも、色々な意味で浮いている。本人はまるで意に介していないようだが、いい加減もう少し注意したらどうなのだろうか。
まぁ、相変わらずな彼女を見て、どこか安心してしまっている自分がいる事も事実なのだけれども。
「小町っ! だらしないですよ。裁判所に来る時は、せめて服装を整えてからとあれほど……」
「ちょ、四季様っ! そんなお説教をしている場合じゃないですって……! 緊急事態なんですよ……!」
苦言を漏らすと、慌てた様子で目の前の死神少女──小野塚小町が反論する。
まぁ、彼女の言い分は分からなくもない。だが、やはり最低限の身嗜みは整えるべきではないだろうか。彼女は普段の生活態度から改めるべきだと思う。
──そんな小言が止まらないからこそ、映姫は頭が固いだの何だのと言われてしまうのかも知れないが。
「そんな事より四季様! 大変なんですよ! 冥界が……!」
「……ええ、分かってます。私も調度、裁判の一時中止を命じられた所ですから」
「やっぱり、そうでしたか……。それじゃあ……!」
「……貴方の考えている事は判ります、小町」
十中八九、進一関連の事であろう。幻想入りした進一の第一発見者という事もあって、最近の小町は彼に少し肩入れしている節があった。
だからこそ、様々な感情が入り交じっているのだろう。心配という気持ちは勿論だろうが、それに加えて。
(進一……。やはり貴方は、何か……)
彼は一体、何者なのだろう。確か今日は、記憶の手がかりを掴む為に地霊殿の古明地さとりのもとへと訪ねていたはず。その辺りの首尾も確認したかったのだが、この様子じゃ映姫本人が直接動く事はままならない。
だが、やりようはある。──こうして小町の方から来てくれて助かった。ちょうど映姫も、彼女に会いに行こうと思っていたのだから。
「小町、貴方にお願いがあります。冥界、及び幻想郷の現状を確認して来てもらえますか? なるべく詳細に、状況を把握したいのです」
「お、あたいが動いちゃっていいんですか? 流石四季様! そう言ってくれると思ってました!」
「し、四季様……!?」
しかし苦言を漏らしたのは、もう一人の死神だ。
彼女はどこか、焦った様子の表情を浮かべており。
「一体、何を……! 我々には待機命令が出ていたはずです! まさか、上の指示に逆らうとでも……?」
「待機命令は
「そ、それは……。ですが……!」
「ええ、かなりグレーな裏道ですね。ルールの穴を突いた形、と言いますか……」
「よ、よろしいの、ですか……?」
「かぁー! 何だいお前さん、頭が固いねぇ。もうちっと柔軟に行動できないのかい?」
「貴方の方が柔軟過ぎるんですっ! というか柔軟過ぎてむしろ軽率です……!」
肩を窄める小町に対し、死神の彼女はそう言い返す。
まぁ、彼女の気持ちも判る。映姫だって、本来ならばこんな手段はあまり使いたくない。だが、今は状況が状況なのだ。タイムトラベル等という不可解な事象が関わっている可能性がある以上、手段の選り好みをする余裕なんて殆どない。グレーだろうが何だろうが、使える手段は使うしかないのだ。
「ふっふっふー。まぁ四季様ならそう言うと思って、実は事前に少し調べておいたんですよねぇ。こっちにも少しくらいは情報が入ってきてますよね? いつかの春雪異変の時みたいに、幻想郷は季節外れの降雪に見舞われていたんですよ。で、これまた春雪異変の時と同じように、幻想郷から奪われた春が冥界に集まってたみたいで」
「春雪異変……。やはり、そうでしたか。となると、やはり今回の件は西行妖絡み……?」
「西行妖……って、白玉楼になる枯れた桜の事ですよね? まぁ、流石にその辺まではあたいも把握できてませんが」
よく分からないとでも言いたげな様子の小町。西行妖という妖怪桜に関しても、それほど深い注意を払っていないようにも見える。
──まぁ、それもそうか。
(そこまでは何となく予想通り……。問題は、どうやって封印が解かれたのかという点で……。いや……)
この際その点に関しても最早あまり重要ではないのかも知れない。事実として、冥界は絶対的な“死”に侵食されてしまっている。それならば、考えるべきは
「それで、現時点での幻想郷の状況は? 冥界の影響を受けているのですか?」
「冥界の影響? あー……。それはどうなんでしょう……? そこまではちょっと……」
「ならば決まりですね。小町、次はその辺りを調査して来て下さい。──今の幻想郷は、冥界とも密接な関わりを持っています。そんな冥界が変貌しつつある以上、幻想郷の在り様にも大きな影響が及んでいる可能性がありますからね」
「うへぇ……。そりゃ、中々まずい状況なんじゃ……?」
「ですから、かなりまずい状況なのですよ。判ったのなら速やかに行動を起こして下さい。その間に、私の方でも状況や方針を纏めておきますから」
「まぁ、一先ず了解です。あ、それと、四季様……。これは、あたいの個人的な都合というか、私情も含まれているんですが……。その……」
「判ってますよ。進一の事、ですよね? 彼の事も、貴方にお任せします」
「──っ! ありがとうございますっ! それじゃ、小野塚小町、行って参りますッ!」
ビシッと敬礼を挟んだ後に、小町は踵を返して駆け出していった。まったく、何とも落ち着きがないというか何というか。
まぁ、彼女に任せておけば必要な情報はある程度揃うだろう。普段の仕事はサボり癖が酷くて困ったものだが、この手の調査に関しては期待出来る。何せ彼女は、幻想郷では顔が広いのだから。──普段のサボり癖の副産物として、だが。
「……少し、意外でした。まさかあの四季様が、白でも黒でもない、グレーな手段を選択なさるなんて」
小町とのやり取りを横で見ていた死神が、そんな感想をポロリと零す。
まぁ、確かに。彼女の気持ちも判る。『白黒はっきりつける程度の能力』を申告している癖に、こんなにもグレーな行動を許容するなんて。正直、自分でもらしくないと思うのだけれども。
「そうですね、その通りです。でも……。それでも私は、中途半端に終わらせるつもりはありませんよ。白なのか、黒なのか。0なのか、1なのか。この奇妙な状況も含めて、最終的にははっきりとさせるつもりです」
そうだ。今はあくまで過程に過ぎない。最終的な結果として、映姫が目指すその先はいつだって明解だ。
白黒はっきりつける。不明瞭など我慢ならない。全ての謎を紐解いて、真実を手繰り寄せて。そして──。
(取り戻して見せますよ。……冥界と顕界の、あるべき姿を)
四季映姫の決意は、既に梃子でも動かぬ程に固まっていた。
「さて、私もそろそろ行きますね。小町にも言った通り、今後の方針やら何やらを纏めなければならないので」
「は、はい……。あの、四季様もどうかご無理はなさらず……」
「ご心配には及びませんよ。私は大丈夫ですから」
問題児小町の矯正については一旦置いておく事にして、映姫もまた行動を起こす事にする。残された死神に別れを告げて、映姫は改めて歩き出した。
さて、ここに来て状況が大きく動き出してきた。進一の正体の事とか、霍青娥の行方の事とか。色々と暗中だったあの頃の事を考えると、ようやく一歩真実に近づいたとも捉えられるかも知れないが。
(だからと言って、この状況……。流石にありがたみは微塵も感じられませんね……)
是非曲直庁は完全に後手に回ってしまっている。こんな実害が出た後で動き出しても、流石にタイミングが遅すぎるとしか思えないけれども。
(……それでも、諦観しても良い理由になんてなりませんから)
これからますます忙しくなりそうだと、映姫は内心予感していた。
*
八意永琳は困惑していた。色々な意味で衝撃的な光景を前にした所為で、流石の彼女も胸中が穏やかではなくなっていた。
幻想郷で本格的に『異変』が進行している事は認識していた。そしてその『異変』が最近話題の邪仙絡みである事も、何となく察してはいた。だが、だからと言って永琳が直接出来る事はあまりない。──今の永琳はただの薬師だ。『異変』を解決する立場ではない。幻想郷のパワーバランスを保つ為にも、直接干渉する事は避けてきた。
そしてその方針は、今回だって例外ではない。
まぁ、弾幕ごっこはそこそこ危険な決闘方式だ。場合によっては怪我人も出る。故にそのような場合には、薬師として最低限のサポートくらいはしても良いと思っていた。
けれども。
流石に、この状況は。
「本当、とんでもない事になってるみたいね」
「いだだだだッ!? ちょ、あんた、もっと丁寧に治療しなさいよ!」
ボヤきながらも処置を続けていると、手当てを受けている少女──博麗霊夢が不平をぶつけてくる。
相も変わらず偉そうな少女だ。こちらも最大限考慮して治療を続けているというのに。
「我慢しなさい。怪我をしてるのだから、痛いのは当たり前でしょ?」
「だ、だからって……! もっと、こう、ないの!? 麻酔を打つとか……」
「外傷に関してはそこまで大手術をする程じゃないわ。軟膏を使って、こうして包帯で保護する程度で充分。寧ろ貧血と霊力の欠乏の方が気になるわね」
本来ならば縫合等の処置が必要なのだろうが、そこは元月の頭脳たる薬師の永琳だ。この程度なら、彼女お手製の薬で充分に治療が可能である。
霊夢の場合は背中部分に大きな切り傷が確認出来たが、幸いにも傷口はそれほど深くはなく、ある程度止血もされていた。キョンシーの攻撃による怪我と聞いた時は少し心配になったが、意外にも傷口の化膿もそこまで酷くはない。
ルナサ・プリズムリバーの応急処置が実に適切だったのだろう。専門ではないと自分では言っていたようだが、それでも充分過ぎるくらいだ。
「充分って……。それじゃあ、この包帯が巻き終わったらもう行っていいって事?」
「ダメよ。言ったでしょう? 貧血と霊力の欠乏が気になるって。貴方、酷い顔色よ? 一日くらい安静にしてなさい」
「えー……?」
不満そうな声を出す霊夢。言葉遣いこそ普段通りの傍若無人な印象だが、その実、顔色はだいぶよろしくない。無理して平静を取り繕っているのだろうか。
おそらく、自分自身への鼓舞の意味合いも強いのだろう。病は気から等という言葉もあるが、こうして気丈に振る舞う事で彼女も自らの精神力の均衡を保とうとしている。意図してやっているのか、それとも無意識のうちにやっているのかは判らないが。
「あまり無理はしない事ね。さっき担ぎ込まれた患者の中でも、貴方は結構酷い方なのよ? それを自覚しておいた方が良いわ」
「酷いって……。それ、本当なの? 妖夢とかの方がだいぶ酷いように見えたんだけど」
忠告を口にすると、霊夢はそんな事を言い返してくる。
確かに、霊夢と一緒に妖夢もこの永遠亭に担ぎ込まれている。意識が朦朧としており、誰かの手を借りなければまともに歩けないような状態に見えたのだが──。
「あの子、意外と軽傷よ? 多分、貴方達の中じゃ一番軽いんじゃないかしら?」
「は……? い、いや、そんなはずは……!」
「確かに、一見するとかなり酷い状態にも見えるかも知れないけれど……」
だけど、実際にこの目で確認した永琳なら判る。
「目立った外傷は確認できないし、霊力だって安定している。確かに疲労はかなり溜まっているみたいだけど、逆に言えばそれだけみたいね。正直、私が処置できるような事は殆ど残っていないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。あの子、意識を失っていたのよ? それなのに……」
「怪我とか病気の類じゃない。どちらかというと、おそらく精神的な問題かもね」
「精神……?」
オウム返しする霊夢に向けて、頷きつつも永琳は答える。
「精神的に強いショックを受けているみたい。……まぁ、さっき聞いた貴方達の話を考えれば、原因は何となく察する事は出来るけど」
「…………っ」
霊夢は困ったように口籠る。彼女もこんな表情をするのかと、永琳はちょっぴり意外に思った。
詳しい話は聞いていないが、簡単な状況説明だけは霊夢や藍から受けた。それによると、どうやら西行寺幽々子が大変な事になっているらしい。何でも、これから『異変』を引き起こす等という宣戦布告をしてきたという。
どういった経緯でそんな事になっているのかは知らないが、平たく言えば幻想郷にとっての脅威と化しているという事だ。おそらくそれが原因で、妖夢は強いショックを受けてしまっている。
まぁ、状況は理解できる。彼女の性格を考えれば、信じていたはずの主が敵対したとなると、ショックを受けてしまっても仕方がないと言える。──あの少女は感受性が強い。それが長所でもあり、それと同時に大きな短所でもあるのだが。
「だ、だけど……。あの子、狂気の魔力が暴走していたのよ? あの『眼』……。『狂気の瞳』っていうんでしょ? あんただってあの存在は把握していたはず……!」
「あぁ……。その事、ね……」
霊夢にそんな指摘をされて、永琳は思わず苦い表情を浮かべてしまう。
把握しているも何も、永琳は殆ど妖夢にとっての主治医のような立場だった。『狂気の瞳』に関しても定期的に経過を観察し、そして服用すべき薬だって処方していたのである。
何も問題はないはずだった。月の住民ではない彼女はそこまで極端に狂気の魔力を高める事は出来ないだろうし、仮に魔力の濃度が高くなってしまってもあの薬ならある程度抑え込む事ができたはず。前回の定期健診の際も、特に異常は見られなかったはずなのに。
「……私の計算が甘かったわね。まさかあの子が、薬の効力を凌駕して暴走する程に狂気の魔力を高めてしまうなんて。そしてそこまで強い感情を胸の内に秘めていたなんて、ね……」
「そ、それなら……!」
「……だけど」
そう。
だからこそ、妙なのだ。
「今のあの子からは、暴走する程に強い狂気の魔力はまるで感じられない。確かに魔力が増幅した痕跡は確認できたけど、今の彼女は完全に落ち着きを取り戻しているわ。まるで魔力を抑え込んだような……。いや、違うわね」
あの印象を、言葉として表すとすれば。
「……
「な、何よそれ……」
流石の永琳もそれ以上の事は推測の域を出ない。はっきりとした答えを得るには、当事者である妖夢に直接聞いてみるしかないだろう。
だが、先ほど霊夢にも言った通り、今の妖夢は精神的に強いショックを受けてしまっている。まともに会話ができるかどうか。
「まぁ、今はとにかく休ませた方が良いでしょうね。ちゃんと落ち着いてから、しっかりと話を訊いた方があの子の為よ」
「……まぁ、あんたがそう言うのなら」
存外素直に霊夢は引き下がってくれた。
そんな彼女の態度に内心少しホッとしつつも、永琳は思考を巡らせる。考えるべき事は他に色々とあるのである。
取り分け気になるのは、霊夢や妖夢以外の患者についての事。この面子も中々に衝撃的なのだが──。
(紅魔館の十六夜咲夜と……。まさか八雲紫までもが、ね……)
妖怪の賢者にして、幻想郷の管理者の一人。八雲紫もまた、霊夢達と共にこの永遠亭にて治療を受けていた。
彼女の場合、外傷はそれほどでもないようだが、代わりに酷く衰弱した様子が見られた。彼女の式神である八雲藍曰く、少し前までまともに動けない状態だったらしい。今は永琳の薬を処方したお陰で、回復には向かっているが。
「……それにしても、まさか妖怪の賢者を診察する事になるとは思わなかったわ」
「それって紫の事? まぁ確かに、あいつがあそこまで手痛くやられるとは私も思ってなかったわね」
「噂の邪仙にやられたのでしょう? そこまで来ると何だか一度会ってみたくなってきたかも」
「……いや、今はあの邪仙よりも紫の事よ。あいつはどうなの? 大丈夫なの? 一応、自分でも歩けるようにはなってたみたいだけど」
「そうね、今は眠っている。流石に妖怪の賢者なだけあって、
「ふぅん……」
何とも曖昧な反応を見せる霊夢。八雲紫という少女に対して、何か思う所があるようだ。
まぁ、何となく気持ちは分かる。衰弱云々を抜きにしても、紫の様子はどこか明らかにおかしかったのだから。
(妖夢と同じように、幽々子の変貌にショックを受けてるのだと思うのだけれど……)
原因は恐らく妖夢と同じだが、精神状態に関しては彼女とはだいぶ違う。心を閉ざしてしまったかのように放心状態に陥っていた妖夢とは異なり、紫の場合はどこか──。
(……怯えていた?)
兎にも角にも、八雲紫も妖夢と同様、精神的な問題に陥っている事は明白だ。今は八雲藍と、そして鈴仙が二人の傍に居てくれているので、一先ずは安心しても良いと思うのだが──。
「──はい、これで終わり。取り敢えず、もう動いても大丈夫よ」
取り敢えず思考を切り上げて、永琳は霊夢への処置を一段落させた。
薬で治療し、包帯で保護。これで一先ず傷に関しては問題ないだろう。体力面ではまだ安心出来る状態ではないが、それも薬を呑んで安静にしていれば二、三日で回復してくれるはず。
これも大事になる前にこうして治療出来たからこそだ。ルナサの応急処置がなければ、事態はもっと深刻になっていたかも知れない。
「いたたた……。あんたの治療、やっぱりちょっと乱暴なんじゃないの……? なんか包帯で締め付けられてる感じで、胸とか背中が苦しいし……」
「文句ばかり言わないの。ほら、さっさと上着を羽織りなさい」
血塗れになっていたいつもの巫女服に代わり、霊夢には永遠亭の病衣を羽織らせる。
これで外傷の酷かった咲夜と霊夢への処置も終わりだ。後は定期的に薬を呑ませつつも回復を待つのみ。少なくとも、この二人に関しては問題ない。
やはり懸念となるのは妖夢と紫という事になる。幾ら永琳でも、精神的な問題に関してはどうしようもないのである。薬学技術で根本的に解決出来るような問題ではないのだから。
(西行寺幽々子、ね……)
妖夢や紫があんな状態に陥ってしまった原因である、亡霊少女の名前を永琳は頭の中で反芻する。
(この状況……。流石に無干渉という訳にはいかなくなってくるかも……?)
霊夢達から聞いた通り、もしも本当に西行寺幽々子が幻想郷の生物全てを殺しつくすつもりなら、永琳だって見て見ぬフリは出来なくなってくるだろう。まぁ、蓬莱人である自分は死とは無縁な存在なのだが──。
(けれど、今の彼女が私や輝夜の存在を考慮していない訳がないし……)
──だとすれば。
(まさか……。蓬莱人を
今の幽々子を直接この目で見た訳ではないので、ここであれこれと考えた所で明確な答えは得られない。だが、少なくともこれまで以上に用心しておくに越した事はないだろう。
どうにも不穏な予感がする。あまりこの手の感覚を鵜呑みにはしたくない永琳だが、それでも。
「……永琳? ねぇってば、ちょっと。どうしたのよ」
「……。え?」
思わず思考に耽っていると、不意に霊夢に表情を覗き込まれて永琳は我に返る。いつの間にか病衣に袖を通し終えていた彼女が浮かべるのは、何とも怪訝そうな表情だ。
「なんかボーっとしてたみたいだけど。なに? 考え事?」
「……ええ。まぁ、ちょっとね」
適当に相槌を打っておく。ボーっとしていたのは事実なので、今更誤魔化すつもりもない。
取り合えず今は目の前の事に集中しよう。こうして四人もの患者を抱える事になった以上、今の永琳の役割は彼女達の傷や体調をなるべく完治させる事だ。薬師として、最低限の責任は果たさなければなるまい。
──あれこれと考察を巡らせるのは後回しだ。雑念なんて払拭すべきである。
「まぁ、何でも良いけど。それで? 怪我の治療は終わりよね? だけど私はまだ安静にしなきゃいけないと」
「そうね。その通りよ。さっきも言ったけど、今の貴方には貧血や霊力の欠乏と思しき症状が見られるわ。その上、体力だってだいぶ削られてしまっている。そんな状態で好き勝手な事をされたら、途中で倒れてしまってもおかしくはないのよ。それでもう一度永遠亭に運び込まれる事になったら、こっちとしても二度手間で……」
「あー、もうっ判ってるわよっ! 安静にしていれば良いんでしょ! そうじゃなくて……!」
釘をさすように忠告すると、実に鬱陶し気な様子で霊夢は言い返してくる。ヤケクソ気味に聞こえる口調で、本当に分かっているのか心配になる所だ。
だが、彼女の本題はそこにある訳ではないらしい。小言を言うのは後にして、今は一先ず彼女の話を聞いてみる事にする。
「私、今の状況を伝えなきゃならない奴が他にもいて……。だから、あんたの所の誰かに言伝をお願い出来ない?」
「言伝……?」
「私は下手に動いちゃダメなんでしょ? だから、その代わりよ」
──どうやら彼女、本当に永琳の忠告を受け入れてくれるらしい。もう少し我儘を言われるとばかり思っていたので、ちょっぴり拍子抜けな心境に陥ってしまう。
「意外だわ……。まさか貴方が、そんなにも素直に引き下がるなんて……」
「いや安静にしろって言ったのはあんたでしょうがっ。喧嘩売ってんの?」
「そんな無意味な事はしないわ。ただ、ちょっと驚いただけ」
「はぁ……。まぁ私としても、これ以上足を引っ張る事になるのは我慢の限界なのよ。せめて万全の状態にさせて貰うわ」
「成る程……」
青娥達によって手痛い怪我を負わせられた上に、新たな『異変』の首謀者を目の当たりにしたのにも関わらず、逃げ帰る事しか出来なかった。その件について、彼女も彼女なりに気にしているという事だろう。博麗の巫女として、これ以上の失態は許されないとでも考えているのかも知れない。
まったく。彼女だってまだまだ子供なのに、一丁前にそんな事を考えているだなんて。とは言え、博麗の巫女という立場が、幻想郷にとって非常に重い意味を持っている事も確かな訳で。
──大人として、ここは彼女を支えてやるべき場面だろう。
「判ったわ。言伝くらいならお安い御用よ。だから貴方は安心して、まずは体力を回復させる事に専念しなさい」
そう伝えると、曖昧気味に霊夢は頷く。人を頼る事が苦手そうな彼女にしては中々素直な反応だ。
そうだ。これでいい。不測の事態や不明瞭な出来事が続発している今だからこそ、目の前の問題を一つずつ確実に解決していくべきだ。──永琳は薬師だ。それ故にこそ、薬を処方した患者の面倒は最後まで見なければならない。そんな矜持や責任感も、彼女の中には確かに存在しているのだから。
霊夢から言伝の内容を聞いた後、永琳は彼女を空いている病室に導くのだった。
*
「ふぅ……。ったく、人使いが荒いぜ……」
そんな悪態を零しつつも、霧雨魔理沙は魔法の森を歩いていた。
春雪異変に類似した『異変』を察知して、自宅を飛び出して。そのまま冥界に向かおうとした矢先、パチュリーに呼び止められて。挙句あんなにも大規模な魔術の発動に協力させられてしまった。魔法を使う事が出来るとは言え、魔理沙は未だ人間の少女。魔力の絶対量に関しては、種族としての魔法使いには流石に及ばない。にも拘らず、あんな無茶をする羽目になるなんて。
「流石にガス欠……。無茶苦茶すぎるだろ……」
最早魔力は殆ど空っぽである。これではある程度回復するまで、空を飛ぶ事さえもままならない。
「でも……」
魔理沙は改めて空を仰ぐ。魔力が溶け込んだ上空を見ていると、こんな無茶を実行した甲斐があったものだと思えてきて。
「これで、時間を稼げるんだよな……?」
突如として現れたパチュリー・ノーレッジから聞かされたのは、魔理沙にとっても中々に突拍子もない話だった。
自分達に協力しろ。さもないと、もっと
初めは質の悪い冗談か何かかと思った。だが、パチュリーの真剣な説明を受けている内に、それは冗談でも何でもないのだと否が応でも突きつけられる事となる。
だから無理矢理に
「はぁ……」
嘆息しつつも、魔理沙は再び歩き出す。
「改めて、ちゃんと説明してくれるんだよな……?」
その為に、パチュリーに指示された集合場所へと──。
「魔理沙っ。魔理沙ー!」
「……うん?」
とぼとぼと歩いていると、不意に声をかけられて魔理沙は足を止める。振り向くと、ちょうど
金色の髪をセミロングで揃えた少女である。頭の上にはカチューシャ。青いワンピースタイプのドレスに、白いケープを羽織っている。まさに西洋風という表現がピッタリの出で立ちで、例えば和風が主である人里等に居たら少々浮きそうである。まぁ、それは魔理沙も同じだけれども。
そんな彼女は静かに着地すると、小走りで魔理沙へと駆け寄ってくる。浮かべるのは、どこかちょっぴり不安げな表情で。
「ようっ、アリス。どうしたんだよそんなに慌てて」
彼女──アリス・マーガトロイドに軽い口調で声をかけると、彼女は表情を少しホッとしたものに切り替えた。
「空の上からあなたの姿が見えたから。何だか足取りが重そうだったし、さっきの
「ほーん、それで心配して態々声をかけに来たのか」
「……まぁ、知らない仲という訳でもないし」
ぷいっと、どこか小恥ずかしげにアリスは視線を逸らす。彼女も彼女で、変な所で素直じゃない少女である。
アリス・マーガトロイドは魔法使いである。魔理沙のような自称魔法使いの人間という訳ではなく、パチュリーと同じように種族としての魔法使いらしい。元々は人間だったらしいが、修行を積んで魔法使いになったと聞いている。
つまり魔法や魔術という分野においては、魔理沙にとっては先輩という事になる。──まぁ、魔理沙にはそんな認識など更々ないし、敬う気持ちも微塵もないのだが。
「まぁ、アリスの認識はあながち間違ってないけどな。無茶をしたつもりは無いけど、流石に魔力がすっからかんだし。だから魔力が回復するまで、こうして歩いて向かっている」
「そう……」
「お前も別に気を遣う必要はないぜ? 私の事は放っておいて、さっさと行ったらどうなんだ? どうせ紅魔館で落ち合う訳だし」
肩を窄めつつもそう答えるが、アリスは首を横に振って。
「いや、あなたと一緒に行く事にするわ。あんまり早く着いても、時間を持て余しそうだし」
「なんだよ、そんなに私の事が気になるのか? 心配性め」
「だから、そんなのじゃないってばっ」
魔理沙が茶化すと、アリスはちょっぴりムキになってそう言い返してきた。
上空──厳密に言えば、冥界を覆う魔力の結界。あの魔術の発動には、魔理沙の他にアリスも協力していたらしい。あの動かない大図書館は、手近な魔法使いに協力を仰いでいたという事だ。
魔理沙にも声をかけたという事は、少なくともパチュリーは魔理沙の実力を買っていたという事なのだろうか。
「にしても、パチュリーも無茶苦茶するよなぁ。ここまでの規模の魔術を発動させるなんて」
「だけどこれでも完璧って訳では無いんでしょ? 時間稼ぎにしかならないって話だったと思うけど」
「みたいだなぁ」
あそこまで頑張ったのにその程度とは、思わず脱力しそうになってしまう。
「なぁ、アリスは今の時点でどこまで聞いてるんだ? パチュリーから多少は説明を受けてるんだろ?」
「まぁ、そうね……。だけど多分、魔理沙と大して変わらないと思うけど。だからこうして態々紅魔館に向かってるんでしょ?」
「……それもそうか」
急を要する事態ということで、パチュリーから受けた説明は必要最低限のものだった。詳しい説明や今後についての話は、この後紅魔館で行われる事になっている。
だが、全くのロクな説明もなしにいきなり協力しろと言われても、魔理沙もアリスも納得なんて出来る訳がない。故に多少なりとも状況は伝えられているのだが──。
「このままだと幽々子のヤツが幻想郷に死を振り撒く、なんて言われてもな……」
西行寺幽々子の反魂と死。そして、覚醒。その結果に導かれるのが、幻想郷の終焉であるのだと。パチュリーはそう言っていた。
荒唐無稽で突拍子もない話だ。なぜいきなりそんな事になるのか、まるで理解出来なかったのだけれども。
(でも……)
こうして結界を貼る直前、魔理沙は冥界から“何か”が
何か途轍もなく良くない事が起き始めている。
否が応でも、そんな印象を植え付けられてしまった。
(霊夢……。お前も、何か感づいたりしていたのか……?)
この場にはいない彼女の事を魔理沙は思い浮かべる。ここまで大規模な『異変』が起きていたのだから、霊夢が動いていない訳がない。ひょっとしたら、魔理沙達よりも一足早く真実に辿り着いている可能性も──。
(充分有り得る……。というか、寧ろそっちの可能性の方が高くないか……?)
それを知る為にも、多少癪でも今はパチュリーの指示に従わなければならない。
紅魔館に辿り着けば、あらゆる不明瞭が明らかになるのだと。そんな予感がしていた。
「まぁ何にせよ、あのパチュリーからあんな風にお願いされちゃ、やっぱり断り切れないわね。紅魔館の大図書館から外に出てくるだけでも珍しいのに」
「確かにな……。いや、それならアリスも似たようなもんじゃないか? お前だって、どちらかというと一人で静かに過ごす方を好むタイプだろ?」
「私はあの子と違って引き籠りって訳じゃないし」
「……そうだな。パチュリーに頼み込まれて良く分からないまま引き受けちゃったり、今もこうして私を心配して態々降りてきてくれたり。お前はだいぶ分かりやすいくらいにお人よしだしな」
「な、何よその言い方……。だから、別に私はっ……」
照れるアリスとそんな会話を交わしつつも、魔理沙は改めて紅魔館へと向かい始める。
霍青娥の暗躍も、冥界の現状も。
そして──
その真実を、掴み取る為に。
*
幻想郷の真ん中に存在する西洋風の紅い館。そこの主が吸血鬼であるという事は最早周知の事実だが、それならば昼よりも夜の方が活発的になる傾向が強い。
吸血鬼は夜の帝王。弱点である日光が届かない暗闇の中では、その絶大な魔力と強靭な肉体を遺憾なく操る事が出来る。故に吸血鬼は、基本的には
それでも、だ。多少例外は含まれているとは言え、吸血鬼としての特性を失っている訳ではない。夜行性という点に関しても、基本的にはその通りなのである。昼よりも夜の方が調子が良い事は間違いない。
だから──という理由だけではないのだろうけれど。
今宵のレミリア・スカーレットは、いつも以上に冴え渡っていた。
「ふふっ……」
紅魔館の一室。食事をする際にも用いられる大部屋。そこにある横長のテーブルの、いわゆる誕生日席に腰掛けつつも、レミリアは満足そうな笑みを浮かべている。
普段から彼女に仕えているメイド──十六夜咲夜の姿は、今のレミリアの傍らにはない。ちょっとした
この大部屋も小柄なレミリアが椅子に腰掛けるだけではがらんどうとしており、スペースだってその殆どが無駄と化している。光源も控え目で、部屋の中は全体的に薄暗い。そんな中で可憐な少女が笑みを浮かべるその様は、何とも不釣り合いというか、どこか現実離れしたかのような雰囲気である。
けれどもそんな
見た目は幼い少女でも、彼女は人智を超えた存在。
スカーレット家の現当主。夜の帝王たる吸血鬼の一族なのだから。
「感じるわ……。私の思った通り、運命が大きく動き始めているのね……」
蝋燭の炎が揺らめく薄暗闇の中で、レミリアはそう口にする。
彼女の瞳は、目の前を見ているようで見てない。もっと超常的な何か。彼女が見据えるその先にあるものは、ある種の
レミリア・スカーレットは運命が見える、等と急に言われても、荒唐無稽な話だと感じるだろうか。だが、事実として彼女はそんな『能力』を有している。人智を超えた現象の法則。本来ならば認知出来ない世界の構造。彼女はそれにある程度
故にレミリアは、自らの『能力』を『運命を操る程度の能力』と称している。世界の構造に干渉し、その運命を覗き見る事で、彼女は未来さえも選択する事が出来るのだから。
「春雪異変をなぞるように、幻想郷から春が奪われ。そして奪われたその春は冥界へと集中し、やがて西行妖がその花を満開にさせる。確かに私が観測した通り、運命は一つの結果に収束してしまったようね」
そんな事を呟きつつも、そこでレミリアは『能力』の行使を中断する。
「そして一度収束した運命は、再び発散を始めている。強い因果関係により、既にこの世界は運命の収束を回避する事は出来なかったけれど……。でも、
「勿論、理論上は、という意味だけど」とレミリアは付け加える。やたらと仰々しい口調でそんな事を口にする彼女だが、当然単なる独り言という訳ではない。
大部屋の長テーブル。そこに設けられた椅子に腰掛けているのは、レミリア一人だけではない。彼女の他に、
人間の少女である。咲夜よりも少し歳上くらいだろうか。つい先ほどまでレミリアに対しても物怖じしない態度を取り続けていたのに、その頃と比べるとだいぶ大人しい印象である。
ようやく彼女もレミリア・スカーレットの威厳に気づいたという事だろうか。そう思うと何だかちょっぴり気分が良くなって、レミリアは頬を緩ませた。
「ふふっ、どうしたのかしら? まさか、今更怖気づいたとでも?」
「……そんな訳ないじゃない。ただ、ちょっと気合いを入れなおしていただけ」
少女は首を横に振る。確かにその声調には、怯えや躊躇いのような感情は伝わってこない。
恐らく、彼女は今一度噛みしめていたのだろう。この状況を。そして、自分に与えられた役割の事を。これから自分が、何を選択すべきかという事も。
「まぁ、良いわ。
レミリアがそう告げると、少女は少し困ったような笑みを浮かべる。こんな状況で不謹慎ではないのかと、そう思っているのだろうか。
だが、そんな事などレミリアは意に返さない。気高く、高貴で、誇り高く、そして美しい。それこそが吸血鬼としてのあるべき姿。レミリアにとっての矜持なのだ。故にそれを捨て去るつもりなどレミリアにはない。
言わば、大人の余裕というヤツだ。
慌てず、そして騒がない。それも一人前の
「さて。改めて尋ねるわ、人間」
そしてレミリア・スカーレットは、目の前の少女に一つの質問を投げかける。
「このまま運命に身を委ねるのか、それとも自らの手で運命を掴み取るのか」
ただ一つの答えを期待して。
「貴方は一体、何を選択するつもりなのかしら?」
少女の表情が再び引き締まる。どこか緊張感を滲ませて、けれども確固たる意志を抱いた真っすぐな表情だ。
彼女の覚悟は既に固まっている。最早何人たりとも干渉する事は叶わない。それは例え、夜の帝王たる吸血鬼を前にしたとしてもだ。彼女の思いは、揺るがない。
「そんなの決まっているじゃない。その為に、私はここに来たんだから」
彼女が抱く思いの強さは、時間という壁さえも超越して。
──いや、その表現は厳密に言えば少し間違っている。
「私は……。ううん、違うわね」
そう。
時間という壁を超越したのは、
「──
少女はおもむろに立ち上がり、そして高々と宣言する。
「絶対に、未来を切り開いて見せるんだからっ!」
そんな彼女の宣言を聞いて、レミリアは再び笑みを浮かべる。例えどんな運命だろうと、打ち破らんとする強い意志。そんな心を胸に秘めた人間は嫌いじゃない。定められた運命にただ流されていく様よりも、自ら運命を切り開いていく様を見た方が面白いじゃないか。
こんなにも楽しい気分にさせてくれる人間と出逢ったのは、これで三度目だ。咲夜と、霊夢と。そして──。
「その意気よ。貴方達なら、貴方達が望む運命だって手繰り寄せる事が出来るんじゃないかしら?」
絶やさず笑みを浮かべつつも、レミリアはそう口にする。
「精々私を楽しませて見せなさい。ねぇ、
レミリアと向き合うその少女は。
宇佐見蓮子と名乗った彼女は、凛とした表情を浮かべ続けていた。