どうして、こんな事になってしまったのだろう。一体全体、何がいけなかったのだろう。
どうすれば良かった? どこで間違えた? どんな選択をしていれば、この結末を回避する事は出来たのだろうか。判らない。
『死霊』の出現は、直接的には自分達──古明地こいし達とは無関係のはずだった。ただ突然現れて、連中は突然蹂躙を始めた。
最早それは、災害のようなものだったように思う。予測なんて出来る訳がない。故にあれの出現そのものに対して、こいしに出来る事なんて何もなかったのかも知れないけれど。
だけど。
『こいし……! 良かった……無事だったのね……』
そう思うのだ。
『大丈夫……? 怖かったわよね。でも、もう大丈夫だからね……』
間違っている。
こいしは間違っていた。
『……いい? こいし。お姉ちゃんの言う事をよく聞いて』
彼女はいつだって、こいしの事を気にかけてくれていたのに。
『貴方は今すぐ逃げなさい』
我儘ばかり口にして。
『貴方なら、きっと気づかれずに逃げ切る事ができる。とにかくここから出て、地上へと上がって……。どこか遠くへ逃げるのよ』
心を閉ざして。
『お姉ちゃんなら大丈夫。お燐もいるし、お空もいる。皆揃って、絶対貴方を迎えに行くから』
目を背けて、殻を作って。閉じ篭る事を選択して。
『だから一つだけ、お姉ちゃんの我儘を聞いてくれる?』
彼女からさえも、逃げ出してしまったのに。
『貴方は……貴方だけは、生きて……』
それでも彼女は。
『お願い……』
古明地さとりは。
『だって、貴方は……』
こいしと共に歩む未来を。
『たった一人の──』
ひたむきに、信じて──。
『たった一人の、私の妹なんだから』
*
あの頃の自分は、極限まで腐り切っていた。
『死霊』の出現。そして、蹂躙。その惨劇の末に姉を喪った彼女の心は、完全に折れてしまっていた。
古明地こいしは、覚妖怪が生まれつき持つ能力を忌避していた。
心を読む能力。
当たり前だ。心の中で思った事が、常に筒抜けになってしまうなんて。そんな状況、気味が悪いと思う方が正常な反応である。隠し事なんて何の意味もなく、プライバシーもへったくれもない。そんな存在を前にして、果たして真面に関わり合おうと思えるだろうか?
その問い掛けに対して、否と答える者が大半だった、という事だ。故に覚妖怪は腫物扱いだった。
時には畏怖の念を抱かれ、時には一方的に忌避されて。心を読まれるかも知れないという事実だけで、誰も本当の自分達を見てくれない。一方的に、離れていく。理不尽な孤独が突きつけられる。
こいしはそれが嫌だった。能力の所為で誰かに拒絶されてしまうのが、どうしても耐えられなかった。
拒絶されるのが嫌だ。嫌われるのが嫌だ。一方的な固定観念で、突き放されてしまうなんて耐えられない。
だから彼女は能力を捨てた。読心を司る
それは即ち、自らの心を閉ざすという事実に他ならない。彼女は逃げたのだ。──自分以外の世界そのものから。
それからの自分は、本当に勝手だったように思える。
『無意識を操る程度の能力』。心を閉ざした彼女が得た『能力』。覚妖怪としてのアイデンティティーを放棄した彼女は、ふらふらと各地を放浪し始めた。
心なんて、開かなくて良い。どうせ結局嫌われるのなら、誰とも関わらなければ良いじゃないか。不干渉に徹していれば、誰からも意識されなければ。これ以上、誰からも拒絶される事はなくなるのだと。そう悟って。
だけど。
古明地こいしは、決定的な勘違いをしていた。
幾ら逃げるように放浪しても。幾ら心を閉ざしても。幾ら不干渉に徹したとしても。
彼女は一人になんてなれない。孤独なんて許されない。誰とも関わりを持たないなんて、そんな事実は有り得ない。
だってこいしには、家族がいるのだから。幾ら彼女が無意識に逃避しても、それでも構わず心を配ってくれる。そんな
(そうだよ、私には……)
お姉ちゃんが、いた。たった一人の妹であるこいしの事を、ずっと気にかけてくれた姉。
だけど彼女は、
結果として、被害は最小限に抑えられた。
こいしも、お燐も、お空も生きている。──だけど、彼女が。お姉ちゃんだけが、いなくなった。
殺されたのだ。
『死霊』に。
(私の、所為で……)
あの出来事から、どの程度の年月が流れた頃だろうか。
十年。二十年。いや、今現在から逆算すると、おおよそ六十年から七十年くらいか。兎にも角にも、それほどまでの年月を古明地こいしは無駄に過ごした。
博麗の巫女が、その身を挺して『死霊』を抑え込んだと聞いている。故にその間、新たな『死霊』は幻想郷に現れなかったのだけれども。だからと言って、今更起きてしまった事象は覆らない。
古明地さとりは死んだ。
それは既に、
「…………」
心を再び閉ざしたこいしは、放浪を続けた。
目的なんてない。これは、無駄な行為だ。ボロボロになった心が、ありもしない癒しを求めて勝手に身体を動かしているに過ぎない。無意識。表面上の意識なんて、とっくの昔に喪失していた。
何の為に生きているのだろうと、無意識ながらに思った事がある。自分はなぜ、生き残ってしまったのだろうと。
まぁ、だからと言って、生きる事そのものを放棄しようといった考えには至らなかったが。
それはこいしの中に残された、微かな表層意識だったのかも知れない。自分が生命を手放したら、姉の死が本当に無駄になってしまうのだと。彼女はそう理解していたから。
だから、死ななかった。生気を失いながらも、それでも彼女は生き続けた。
ふらふら、ふらふらと。放浪を続けて。
地底を抜けて、地上へと出て。幻想郷の至る所に、足を運び続けて。
そんな事を続けている内に、ふと違和感を覚えた。
「……っ、え……?」
ふわりと。何かを、飛び越えたような感覚。
今までに感じた事にない感覚だった。幾ら無意識下の状態で放浪を続けていたとしても、流石に
「あっ……」
気がつくと、彼女は見知らぬ場所に辿り着いていた。
この数十年間で、幻想郷のあらゆる場所は行きつくしたと思っていた。人間の里も、迷いの竹林も、太陽の花畑も、魔法の森も、妖怪の山も、無名の丘も、無縁塚も。そこは、そんな幻想郷のどの特徴とも一致しない場所だった。
奇妙な違和感を覚えて、雑木林を通り抜けた先。そこに広がっていた空間を一言で言い表せば、都だった。
だが、旧都や人間の里とは違う。何か、もっとベクトルの違う都。驚く程に整備された道に、目を見張るほどに規則的に並べられた四角い箱。あれは建造物か? 空の上まで届くのではないかと思うくらいに、巨大な。
「ここ、って……」
流石のこいしも、表層意識を働かせざるを得ない。なけなしの知識をフル動員して、考えられる一つの可能性を導き出した。
「外の、世界……?」
幻想郷のどの場所の特徴とも一致しない空間が広がっているのなら。つまるところ、幻想郷の外の世界ではないのかと。そんな単純すぎる推測だった。
外の世界。話には聞いた事はあるが、実際にこの目で見たのは初めての経験である。無意識下でフラフラと放浪を続けるうちに、遂には外の世界にまで辿り着ける事が出来るようになってしまったのだろうか。
だが、それにしても。
「……どうしよう」
流石に躊躇いが生じる。本当に、このまま進んでしまっても良いのかと。
外の世界は、幻想郷とはあまりにも勝手が違う。地続きとは言え、博麗大結界に隔てられている別世界である。そんな世界に、古明地こいしという部外者が混入してしまうのは、果たして問題にならないのかと。
──でも。
「……まぁ、いいか」
投げやり気味に、こいしは決断する。
「どうせ、誰も私には気づかないだろうし」
この時のこいしは既に、自らの『能力』をほぼ完全にコントロール出来るようになっていた。故に、『無意識を操る程度の能力』を行使し続ければ、誰からも認識されずに放浪を続ける事が可能なのだと。そんな確信があった。
だから。
「……行ってみようかな」
古明地こいしは足を踏み出した。
目的も何もない無意味な放浪。その範囲が、単に外の世界にまで広がっただけなのだと。その時の彼女は、そんな軽い気持ちでこの状況を認識していた。
*
そう。
その出逢いは、本当に単なる偶然だった。
こいしが辿り着いた外の世界。後に“公園”と呼ばれる場所なのだと知るその空間。そこに、一人の小さな少年の姿があった。
外の世界なので当たり前だが、人間の少年である。歳は幾つなのだろう。まだまだ小さい、人間の子供。こいしも覚妖怪としては子供だが、容貌だけを比較してもこいしの方がお姉さんのように思える。
そんな子供が、たった一人。公園のブランコに腰掛けて、俯いていた。
「あの子……」
正直、人間の子供なんて別に珍しい存在じゃない。幻想郷でも人間の里で何度か見かけているし、今更興味を引かれる事もないのだけれども。
だけど何だろう、この感覚。
こっちの世界に迷い込んで、一度意識が表面化した所為だろうか。何となく、気になってしまう。
(泣いてる……?)
少年は一人、涙を流していた。
公園にいるのは少年だけではない。少し離れた所には、元気に遊び回る他の子供達の姿がある。だから、だろうか。涙を流す少年の姿が、こいしにとって一際印象深く感じてしまうのは。
(……、ああ……)
そこでこいしは、気づいた。
あの少年から感じ取れる、この感覚の正体を。
(何だか、ちょっぴり似てるんだ……。私と……)
少年から感じるのは、壁。ある種の拒絶感。彼はきっと、仲間外れにされてあんな風に一人になった訳ではない。自分の意思で、孤独に逃避している。
近寄り難い雰囲気が漂っている。けれどもそれが、かえってこいしの意識を刺激する。素通りという選択肢だって存在していたはずなのに、それでもこいしは一歩、また一歩と足を踏み出して。
「……泣いているの?」
声を、かけてしまった。『無意識を操る程度の能力』は、こうして声をかけた時点で効果が薄くなってしまうのだと、それは分かっていたはずなのに。
外の世界の人間に認識されてしまう。そのリスクを考えなかった訳ではなかったのに。
「……どうして、泣いているの?」
それでも彼女は、干渉する事を選択した。
少年から漂う、どこか不思議な雰囲気に引き寄せられて。
こいしが声をかけると、ちょっぴり驚いた様子で少年は顔を上げる。そして慌てた様子で、目元をゴシゴシと拭うと。
「別に、泣いてないよ」
首を横に振って、こいしの言葉を否定する。強がっているのだろうか。
「嘘だよ。泣いてる」
「そんなこと……」
「君は、絶対に泣いているよ」
あくまでも否定を続ける少年に対し、けれどもこいしは食い下がる。
自分でも少し驚いた。見ず知らずの少年を相手に、どうしてここまで関わろうとしてしまうのだろうか、と。何故こんなにも気になってしまうのだろうと。
けれど幾らそんな自分を疑問に思おうとも、ここまで踏み込めばもう引き返せない。こいしは少年に歩み寄り、そして隣のブランコに腰掛けた。
──隣、といっても、真ん中を一つ空けた端っこなのだけれども。流石のこいしも、いきなり距離を詰めすぎる事に関しては躊躇いを生じさせていた。
「…………」
「…………」
元々右端のブランコに座っていた少年。そして真ん中のブランコを空け、左端のブランコに腰かけたこいし。
相も変わらず、少年からは他者に対する壁のようなものを感じている。それはこいしも良く知っている、心の壁。拒絶感を振り撒いている、とでも表現できようか。彼は恐らく、他者との関わりを持つ事を恐れている。
同じだ。こいしだって、彼と同じ事を続けている。ずっと、ずっと。それこそ姉を喪う前から、ずっと。
だけど、判らない。隣にいる少年に、どんな言葉を続けるべきなのか。自分だって同じような拒絶感を振り撒いている癖に。その癖、自分の方から関わりを持とうと近づいた癖に。
「君は……」
ポツリと、喋る。
おずおずと、こいしは彼に言葉を投げかける。
「君は、どうして一人なの?」
この問いは、果たして正解だったのだろうか。
公園には他に子供達がいる。にも関わらず、この少年だけ一人でブランコに座っていたから。
「……ボクは、他の皆とは違うから」
返ってきたのは、そんな返答。
他の皆とは違う。それは、果たしてどういう意味なのだろうか。
「違うの?」
「うん……。だから、色々あって……」
「色々あったの?」
「……うん」
「そっか……」
少しだけ踏み込む。だけれどこいしは、深くは詮索しない。あくまで最低限の受け答え。
正直、怖かった。あまり無遠慮に踏み込むと、彼を傷つける結果になってしまうかも知れない。そうなると、心を読む能力を捨てる前みたいに、こいしはまた拒絶されてしまうかも知れない。そう思うと、怖い。
だから躊躇した。こちらから声をかけておいて、本当に勝手な事だとは思うが──。それでもやっぱり、このトラウマは克服できそうにない。
少年が顔を覗き込んでくる。こちらの表情を伺っているようだ。
無理もない反応である。いきなりこんな風に声をかけられれば、誰だって警戒する。一体何を考えているのだろうと、そんな詮索を始めるのは至って正常な反応じゃないか。
──だけど。
「……ねぇ」
「……え?」
声を、かけられる。
こいしに対して、警戒心と拒絶感を剥き出しにしていたとばかり思っていた、少年に。
「キミの方こそ、どうして一人なの?」
「…………っ」
そしてそれは、こいしが予想していたものとは別の反応。
拒絶でも警戒でもない。一歩踏み込む、干渉だった。
「他に一緒に遊ぶ人、いないの?」
話の流れが不自然という訳ではない。先にこいしの方から聞いたのだから、同じ質問を返されても不思議ではないのかも知れないのだけれども。それでも、意外だった。
心の壁を作っていた少年が、干渉を選択するなんて。
「私、は……」
そんな少年に対して、こいしは答える。
意外な展開を前にして、反応が遅れてしまったのだけれども。それでも彼女は、ここに至るまでの過程を想起して。
「えっと……。私も、その、色々あって……」
「……そうなんだ」
ああ、そうだ。
色々とあったのだ。本当に──。
「うん……。私の所為で、周りの皆にも色々と迷惑をかけて……。私の一番大切な人さえも、傷つけて……。でも私は、ただ逃げる事しかできなくて……」
「…………っ」
古明地こいしは間違えた。これまでの人生、ずっと、ずっと、間違った選択をし続けていた。
お燐にも、お空にも、迷惑をかけた。他のペット達にだって、迷惑をかけ続けた。──そして終いには、お姉ちゃんがあんな事になって。
「それで、気がついたらこんな所に迷い込んでたの。右も左も分からない。仲の良い友達だっていない」
だから。だから、こいしは。
「……だから今は、一人なの」
「……」
少年の表情を改めて見据える。こんな話を聞かされた彼は、それでもどこか神妙な面持ちを浮かべている。こいしの発した言葉。そこに秘められた意味さえも、察しているかのように。
そんな表情を見て、こいしは確信した。一目見た時から、彼に感じていたこの“感覚”。
それは、共感だ。この少年もまた、自分と似たような境遇に立たされているのだと。一人ぼっちにならざるを得ない事情を、抱えているのだと。
だから。
「そういう意味じゃ、何だかちょっぴり似ているのかもね。私達……」
苦し紛れの苦笑いを、こいしは浮かべる。
判っている。これは所謂、傷の舐め合いだ。少しでも自分と似た状況の人物がいて、その想いに共感出来ると思ったから。気の遠くなるくらいの間、ずっと一人ぼっちで。精神的にも、疲弊し切ってしまっていたから。──自分という存在に対して、価値を見出せなくなっていたから。
だから、手を伸ばそうとした。
こんな選択をした所で、結局は一時的なその場凌ぎにしかならないというのに。
だから。
「……──」
そう。
あの日。あの時、あの場所で。
「──、────────────?」
古明地こいしは。
*
「……ちょっと、待て」
話を、聞いて。
北白河ちゆりは、溜まらず口を挟んでしまった。
古明地こいしから不意に語られた話。自分が進一の事を壊したのだと、そんな突拍子もない語り口から突き付けられたのは、幼き日の進一が登場する思い出話だった。
色々と気になる事はある。幻想郷の住民である古明地こいしが、過去にも一度こちらの世界に迷い込んだ事がある点。その時点で幻想郷は、既に外の世界と繋がりやすい状況にあったのだろうか? ここ数ヵ月でこちらの世界に現れた幻想郷の住民の数を考えると、その可能性も否定できないが。
いや、待て。それもそうだが、もっと気になる事があるじゃないか。
頭の中が混乱している。冷静な思考能力が欠落しているような、そんな自覚がある。
「お前、それ……。一体、いつの話だ……?」
「いつ、って……」
聞いてみると、こいしは少し考える素振りを見せた後に、
「……十二年くらい前、かな。いや、今年で十三年前になるけど」
「十二、三年前くらい、か。意外と細かい所まで覚えているんだな……」
「……まぁ、ね」
記憶を探る。そしてちゆりは、一つの思い出を頭の中から引き上げる。
そう。あれは確か、自分が九歳くらいの頃の出来事で。
(……時期が、一致する?)
その結論に辿り着く。ちゆりの中に刻まれた強烈な記憶と、古明地こいしが語った思い出。その時期が、奇妙な程に一致するという事実に。
偶然? いや、そう片付けてしまうには些か都合が良すぎる気がする。ちゆりと同時期に、こいしもまた進一との出逢いを果たしていたという事なのだろうか。
そんな事が──。
「兎にも角にも、私は小さい頃の進一と会った事があるんだよ。だから……」
「……だから、進一の事を知っていると? あいつの事情を理解していると?」
「……うん」
尋ねると、こいしは頷いてそれに答える。肯定の意だった。
「知ってるよ。進一の『眼』の事も。本来ならば
「……っ。お前、それって……」
何だ。この、
知っている。進一の事情は、ちゆりだって知っている。けれども、何故だ?
「進一のお姉ちゃん──夢美の事も、知っている。進一が抱える事情は、夢美から聞いたから」
「…………っ!」
何故、ここまで類似しているのだ。──ちゆりの持っている、思い出と。
「……本当、なのか?」
ちゆりは改めて尋ねる。
心臓が高鳴っている。嫌な汗が頬を滴っている。あまり気分の良い感覚ではないが、それでも無理矢理抑え込んでちゆりは言葉を発する。
「記憶、違いじゃないのか……? それ……」
「記憶違い……? 何を言って……」
困惑顔のこいし。それに対してちゆりは、愕然とした表情で困惑に囚われてしまっていた。
判らない。訳が判らない。何なんだ、この少女は。何を言っているのだ、彼女は。
まるで。ちゆりの思い出の一部を、ごっそりと抜き取られてしまったような。
「記憶違いだろ……! だって、お前……。お前が語った、その場面……。覚えがあるぞ、私にも……!」
「えっ……? ちょ、何……!?」
ちゆりは思わずこいしの肩を掴んでしまう。
激しく動揺していた。周囲の状況に気を配る事さえも、忘れてしまう程に。
「公園のブランコに一人、進一が腰掛けていた……? 何だよ、それ……! 私も見たんだ、その光景を! だから声をかけたんだ! 進一に……!」
「は、はぁ……? 貴方、何を言って……!」
「それに、進一の事情だって……! 夢美様に聞いただと……? 聞いたのは私だ! どうして、お前が……!」
「い、意味分かんないよ! 本当、何を言ってるの……!?」
矢継ぎ早に疑問をぶつける。あまりにも訳が判らな過ぎて、頭がどうにかなりそうだった。
怖い。自分の中に根付いていた記憶が、実は偽りのものだったのではないかと。そんな予感が駆け抜けてしまって。
けれどもそんな心境は、ちゆりだけが感じている訳ではなさそうだ。目の前にいるこいしだって、酷い困惑顔を浮かべてしまっている。駆け抜ける動揺を制御できぬような、そんな困ったような表情を浮かべていて。
「貴方……。貴方、は……!」
震える瞳。こいしの視線が、ちゆりの事を捉えて離さない。
それはちゆりも同じだった。古明地こいしから目を逸らす事が出来ない。ぶつかり合う視線から、身を逸らせて逃れる事が全く出来ない。
射抜かれている。彼女の視線。──いや。
「貴方は……。誰、なの……?」
彼女が行使する、『能力』に。
「ッ!?」
──その時だった。
「がっ!? う、あ……!?」
どすん、と。強いて擬音で表現するなら、そんな感じだったと思う。あまりにも唐突に、激しい頭痛がちゆりへと襲い掛かってきた。
思わず頭を抱える。顔全体が火照っているような、そんな感覚がある。熱を帯びている。頭が? いや。
「え? な、何……?」
「……ッ!!」
『眼』だ。
ちゆりの持つ『能力』が。
(暴走……? 何で……!)
ちゆりの意思とは無関係に、『能力』が勝手に増大している。行使を始めた訳ではない。それくらいの制御なら、いつも難なく出来ていたはずなのに。
この感覚を表現するなら、
判る。何と『能力』が共鳴しているのか、それが理解出来てしまう。
それは、目の前にいるこの少女。
「うっ……!?」
ちゆりが苦しみ出してから、少し遅れて。古明地こいしもまた、唐突に頭を抱え始めた。
表情が歪む。耐え難い苦痛に苛まれているような、そんな反応を見せ始めて。
「あっ、あぐぅ……!? な、何、これ……!? 頭が、痛い……!?」
「……っ!」
どくん、どくんと。脈動する。共鳴する。増幅している。
『幻惑させる程度の能力』と、『無意識を操る程度の能力』が。互いに互いの記憶の中へと、無遠慮に干渉して。
掻き混ぜられる。ぐちゃぐちゃ、ぐちゃぐちゃと。原型を留めぬ程に、壊し、壊され、溶け合って。
──いや。違う。これは、違う。
壊れたのではない。寧ろ、その逆。
(えっ……?)
この、記憶は──。
『……なあ』
あの日。ちゆりが、声をかけたのは──。
『
(あっ……)
ぴたりと。パズルのピースがハマるような、そんな感覚があった。
駆け抜けていた頭痛が引いていく。『能力』が共鳴する奇妙な感覚は残っているのだけれども、それでも。ぐちゃぐちゃだった頭の中が、クリアーになっていく。
何だ。
「う、嘘……」
ちゆりの頭痛が治まった、丁度そのタイミングで。信じられないとでも言った様子で、言葉を漏らす少女がいる。
古明地こいし。ちゆりと同じタイミングで頭痛が引いたらしい彼女は、目の前の状況を飲み込めぬような表情を浮かべていて。
「どうして……? でも、だけど……」
見開かれたこいしの瞳が震えている。それに映るちゆりの表情もまた、こいしと同じ愕然としたものだった。
思わず疑ってしまうのだ。この思い出が、果たして真実なのだろうかと。けれどもそれと同時に、どうしようもなく確信めいた感覚も胸中から溢れ出てきてしまうのだ。
それ故の困惑。互いに互いの思い出が、繋がってゆくような。そんな未知の感覚を前にして、酷く驚いてしまって。
「貴方、は……」
しかしそれでも、古明地こいしは口にする。
口にせざるを得ないのだ。手繰り寄せたこの記憶を、今度こそ離さぬ為に。
「絵理子、なの……?」
そしてそれは、彼女も。
北白河ちゆりと名乗っていた彼女も、同様に──。
*
「なあ。お前達、そんなところで何してんだ?」
その少女は、不意にこいし達へと声をかけてきた。
こいしが少年に干渉し、彼の事情と自分の状況に共感して。そして、苦し紛れの苦笑いを浮かべた直後の事だ。
少年と揃って視線を向ける。そこにいたのは、一人の人間の女の子だった。
歳は、この少年よりも少し上くらいだろうか。金色の髪に、金色の瞳。背丈はこいしと同じくらいに見える。まだまだ幼い、小さな子供。
一瞬、こいしは反応に遅れる。少年に干渉した時点で『能力』の効力は薄くなってしまっていたが、まさか別の第三者に声をかけられてしまうとは。
「……別に、何もしてないよ」
こいしが口籠もっていると、先に答えたのは少年の方だった。ぶっきら棒気味に、少女に対して言葉を投げ返す。
やはり、心に壁を感じる。こうして客観的に観察すると、それがよく分かる。
「何もしてないのか」
「……うん」
弱々しい反応。何て答えれば良いのかと、それが判らないような印象である。
困惑。突然現れた少女を前にして、彼は少し委縮している様子で。
「……お前は? こいつの、友達なのか?」
「……え? 私……?」
すると少女は、今度はこいしにも声をかけてくる。隣の少年の事を示して、彼と友達なのかと。そんな事を聞いてきた。
友達なのか、なんて。そんなの。
「……違うよ。私も、ついさっき会ったばっかりで」
「ふぅん……。そうなのか」
否定すると、少女はあっさりと受け入れた。何となくの軽い印象から根掘り葉掘り聞かれると思ったが、意外とそうでもないらしい。
何なのだろう、彼女は。隣にいた少年とは、どこか違う。けれども
「……お前達は遊ばないのか? あいつらと」
少しの沈黙を挟んだ後に、少女がそんな事を聞いてくる。
彼女が示すのは、公園の中心部。そこにあるのは、何人かの子供の姿。
「遊ばないのか、って……」
この少女の言わんとしてる事は、分からなくもないが。
「……無理だよ、そんなの」
「……無理?」
無理だ。今更、誰かと楽しさや嬉しさを分かり合うなんて。
そんな事、出来る訳がない。
「……うん。そうだね。ボクも、遊ばない」
そしてこいしに続くような形で、彼も少女の問いを否定する。
「……一緒になんて、遊べないよ」
弱々しい声調。俯いた少年から感じ取れるのは、疎外感。
目の前で同年代の子供達が遊んでるのに、その輪に加わる事が出来ない。その輪に加わる方法を、見出す事が出来ない。
孤独だ。
──こいしと、同じで。
「遊べない、ね」
こいしと少年の言葉を聞いて、少女は何を思ったのだろうか。
一瞬、神妙な面持ちを浮かべる。そして空いていた真ん中のブランコに、彼女は腰掛けて。
「……どうして、遊べないんだ?」
「……ボクは、他の皆とは違うから」
「……違う?」
問われると、少年はこくりと頷いて。
「みんなには見えるはずのないものが、ボクには見えちゃうんだ……。でも、みんな信じてくれない。お姉ちゃんしか、信じてくれない……。だから……」
たどたどしくも、少年はそう答えた。
他の皆とは違うのだと、彼は先程もこいしにそう答えていた。自らをそう称する理由の一端を、彼は示してくれた。
本来ならば見えるはずのないものが、見える。どういう意味なのかこいしにはいまいち理解出来ないが、それこそがこちらの世界において
だから少年は、一人になっている。一人になる事を選択している。
特異性を有する自分は、他の誰かと馴れ合う事など出来ないのだと。そう思い込んで。
「……そうか」
そんな彼の話を聞き、少女は何かを考えるような素振りを見せる。
「みんなと違うから、一緒には遊べないのか」
「……うん」
少年の話の真偽を疑っている──訳ではないと思う。唐突にこいし達へと話しかけてきて、一瞬だけ彼女に対して胡乱な印象を抱きかけてしまったけれども。だけど、
「貴方は……」
やっぱり、
「貴方も……?」
「…………」
こいしの言葉に対して、ちょっぴり困ったような表情を浮かべる彼女。
多くの言葉は語れない。けれど彼女は、それでもこいしの言わんとしている事を察してくれたらしい。向けられた苦笑から、こいしにもそれが伝わってきた。
この少女は、何も単なる好奇心でこいし達へと近づいてきた訳ではない。引き寄せられた、とでも言うべきか。こいしと、そしてこの少年。
「なぁ、お前達」
そして彼女は、そんな暗い雰囲気を振り払うかのように、努めて明るい声を上げると。
「だったらさ、わたしと遊ぼう」
そんな提案をしてきた。
随分といきなりである。唐突感が流石に否めない。こいしも少年も、遊ぶのは無理だと答えたばかりだと言うのに。──まぁ、彼女なりに状況を変えようとして取った行動なのだろう。孤立する事が最適解だと思い込んでいる、
「な、なんでそうなるの」
「だって、暇なんだろ? だったら別に良いじゃんか」
──自分だって、似たような事情を抱えている子供の癖に。それでも彼女は、こいしのように傷の舐め合いを選択する事はしなかった。いや、多少なりともそのような思いは抱いていたのかも知れないが、それ以上に。
気持ちが判る。共感できる。そんな自分だから、手を伸ばす事が出来る。そんな自分だからこそ、放っておけない。
助けたいのだと。そう思った。そして実際、彼女はそれを行動に起こしたのだ。
それこそが、古明地こいしとの決定的な違い──。
「……いきなりだね。本当に」
「なんだよ? 文句あるのかよ?」
「……いや」
首を横に振って、こいしは答える。
「ただ、凄いなって。そう思っただけだよ」
そうだ。彼女は、凄い。嫌味を言ったつもりもなく、こいしはただ純粋にそう思っていた。
──彼女よりもまだちょっぴり幼い少年の方は、未だ困惑顔を浮かべているようだったが。
「なぁ、お前って今何歳なんだ?」
そんな様子を見かねた少女が、再び少年に声をかけ始めて。
「……七歳、だけど」
「それじゃあ、わたしの方が二つもお姉さんじゃないか。だったら素直に言う事を聞いておくべきだぜ。目上の人の言う事は素直に聞くべきだって、本にも書いてあった」
「お姉さん……?」
そして少年は、ますます困惑した面持ちで首を傾げた。
「……女の子だったんだ」
「……はあ!? まさか男だとでも思ってたのか!?」
「だ、だって、男の子みたいな恰好しているし……。そんな喋り方だし……」
まさかの発言が飛び出した。
何だそれは。まさか彼は、今の今まで目の前の少女を男の子だと認識していたというのか。いや、確かに少々ボーイッシュな雰囲気は漂っているが、けれどもどう見ても普通に女の子じゃないか。幼い少年の目には、あまり女の子らしくないように映っているのだろうか。
「君、女の子を相手にそれは流石に失礼かも……」
「ご、ごめん……」
「えっと、一応確認なんだけど、私の事も勘違いして認識してたりするのかな……?」
「えっ!? お、女の子、だよね……? あれ? 実は男の子だったり……?」
「いや……。うん、合ってるよ、女の子で」
どうやらこいしの性別は間違えていなかった様子。それでもだいぶ不安気な様子から察するに、これまで他人との関わり合いを避けていた事は事実のようだ。
これもある種、その弊害なのだろうか。孤立する事を選択したが故の、認識の欠如。
「ま、まぁいい。とにかくわたしは女だ。分かったな?」
「う、うん……」
性別を間違えられて流石の少女もご立腹のようだったが、それでも彼女は水に流す事にしたようだ。相手が歳下だったから、ちょっとの無礼くらい水に流すのがお姉さんだと思ったのだろうか。
まぁ、お姉ちゃん風を吹かせたいという気持ちは判る。こいしだって、そういうお年頃なのだから。
「よし。それじゃあ早速遊ぼう。何をしようか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ遊ぶって決めた訳じゃ……」
「なんだよ。今更断るのはなしだぜ。折角女の子が誘ってるんだから、男は素直に受け入れるべきなんじゃないのか?」
「そ、そうなの……?」
「ああ。本に書いてあった」
捲し立てるように、少女が少年へとそんな事を言っている。そんな気迫に押されたのか、少年も真っ向から否定している訳ではなさそうだが、けれどもやっぱり困惑の色が強く出てしまっている様子。
──と言うか、そもそも。
「あの、私も別に遊ぶって決めた訳じゃないんだけど……」
「はぁ!? おいおい、何だよ? お前はとっくに受け入れてくれてたんじゃなかったのか?」
「い、いや……」
確かに彼女の事情については、何となくの雰囲気で察してはいるものの、それでも今日出逢ったばかりの関係性である。いきなりそこまで踏み込むなんて、こいしにとっては相当に勇気が必要となる行為なのだ。距離を詰めても大丈夫なのかと、そんな不安ばかりが胸中から溢れ出て来てしまう。
だけど。
「……うん。そう、だね」
このまま傷の舐め合いを選択した所で、果たして何になる? そんな逃避を選択するこいしのような存在がいる一方、目の前の少女のように前へと進もうとする存在だっている。どちらの方が最善なのかと問われれば。
(……後者だよね。きっと)
少女に、感化された。彼女の抱く思いに、共感した。
故にこそ。
「……付き合うよ、貴方に」
「遊ぼう、一緒に」
そう告げると、どこかホッとしたような、そんな表情を少女は浮かべていた。
やっぱり、不安だったのだろう。グイグイ話を進めているように見えて、彼女自身もこちらとの距離感を決めあぐねているような印象がある。
どこまで踏み込むべきなのか。どこまで会話を進めるべきなのか。それが判らない。手探りで続ける事しか出来ない。
──同じじゃないか。こいしと。
「そう来なくっちゃな。何だよ、最初からそう言えよなー」
「うん。それで、何をするの?」
「そこの所は、まぁ、わたしに任せとけって。普段から本を読んでるから、知識だけは豊富なんだぜ」
何やら自信満々な少女。そういう事なら、彼女に任せた方が良さそうだ。外の世界での遊びなんて、こいしには判らない。
そういう事なら。
「君はどうする?」
「……え? ボク?」
「ちゃんと答えを聞けてなかったから」
こいしは少年にも尋ねてみる。比較的気の弱そうな印象を受ける少年だが、だからと言って一方的に決めつけるのも良くない。彼の意思だって、聞いておかなければ。
「ボクは……」
ほんの少しの、思案を挟んで。
「うん……」
うっすらと、だけれども。
そこで少年は、こいし達と出逢ってから初めて、表情を綻ばせた。
「……ボクも、遊ぶよ」
今。このタイミングで、ようやく彼の心と繋がる事が出来た気がする。
こいしも、そして少年も。互いに互いへと干渉を試みつつも、けれど自ら心に壁を作ってしまっていたから。伸ばしたその手は、互いに空を掴み続けていたのだけれども。
少女が来てから、状況が変わった。
彼女が、勇気を出してくれたから。繋がる事を恐れずに、一歩踏み出してくれたから。こいしも、そしてこの少年も。前に進む事が出来たのだ。
彼女のお陰だ。
手を引いてくれた、彼女の。
「決まりだな。それじゃあ……」
そんな少女が、再び話を進めようとして。
「えっと……お前達、名前は何て言うんだ?」
「……え?」
「聞いてなかったよな?」
肝心な事を忘れていた。
遊ぼうという話になった訳だが、そもそもこの場にいる三人は誰もが全くの初対面。話ばかりが先行して、自己紹介もまともにしていない。
完全に失念していた。長い間、誰ともまともに話していないとこういう事になるのか。
「……私は、こいしだよ。古明地こいし」
まずは、名乗る。すると少年がそれに続いた。
「進一……。岡崎、進一……」
「こいしに、進一か。よろしくな!」
「……キミは……?」
「うん?」
「キミの……名前……」
そうして最後は、この少女。
少年──岡崎進一に、促されて。
「わたしか? わたしの名前はな──」
──ああ、そうだ。そうだった。
どうして忘れていたのだろう。どうして覚えていなかったのだろう。彼女は、こんなにもはっきりと名乗っていたのに。あんなにも積極的に、自ら架け橋になろうとしてくれていたのに。
それなのに、忘却していた。記憶の中の彼女との思い出が、塗り潰されていた。
まるで霧。深い霧の中で、無意識のうちに幻惑されてしまっていたかのような。そんな感覚。
「朝ヶ丘絵理子だ」
そして、今。
とある少女たちの記憶が。
「ちゃんと覚えておいてくれよ?」
再び、交錯する──。