その日。メリーと蓮子は、事前に
京都郊外の一角にある、寂れた雑木林。既に何度か足を運んだ事のある場所だった。時刻はまだ午前中なのに、鬱蒼と木々が生い茂ったそこは相も変わらず不気味な印象である。人が集まるような施設も近くには存在しないし、この周辺は京都にしては寂れた印象が強い。
まるで、人に忘れ去られたような雰囲気の空間。しかし、故にこそ
この現代社会達から存在を否定され、人々の記憶からも薄れつつある者達が住まう世界。──幻想郷へと。
「ようっ。時間ぴったりだったな」
そんな雑木林の入口。待ち合わせ場所であるそこに辿り着くと、約束を結んでいた彼女達は既に集まっているようだった。
その片方。白黒の魔法使いである霧雨魔理沙は、メリー達の姿を見つけるなり無邪気に声をかけてきた。
「こんにちは。この前ぶりですね、魔理沙さん」
「おう。いやー、良かった良かった。この前別れる時に、口約束をしただけだったからな。来てくれないんじゃないかと冷や汗ものだったぞ」
「約束はちゃんと守りますよ」
ちょっぴり大袈裟気味にそんな事を口にする魔理沙に対し、苦笑しつつもメリーはそう答える。まぁ、あの日のレミリアとの対談は、お世辞にも良い雰囲気とは言いきれなかった。今度こそすっぽかされてしまうのではないかと、そう思われてしまっても文句は言えない。
「……妖夢ちゃんも。また会えて嬉しいわ」
「……ええ。こちらこそです」
魔理沙の隣に立つ彼女──妖夢に対しても声をかける。生真面目な彼女らしく、魔理沙と違って固い印象。メリー達を歓迎してくれているとは思うのだが、まだどこか遠慮しているような雰囲気が漂っている
いや。遠慮というよりも、これは。
僅かな迷い、だろうか?
「ちょっとちょっと、妖夢ちゃん。なーに暗い顔してるのよ?」
「えっ……?」
そんな妖夢に対して、明るい声調で声をかけたのは蓮子だった。
「ひょっとして、私達に何か気を遣ってたりするのかしら? もうっ、水臭いじゃない。この半年間、一緒に秘封倶楽部の活動を続けてた仲でしょ?」
「そ、それは……」
「あれ? 子供の妖夢ちゃんが経た経験は、貴方には反映されていないのかしら? レミリアさんの言っていた、可能性世界の上書きが行われていないという事……?」
「あ、いえ……。影響は、受けているとは思います。ただ、感覚が漠然としているというか……」
歯切れの悪い返答。妖夢自身、自分の身に起きている事を正確には理解出来ていないのかも知れない。それなのに必死で言葉を並べようとしている辺り、生真面目な彼女らしいと言うか何と言うか。
「蓮子、妖夢ちゃん困ってるじゃない。あんまり変な質問しちゃダメよ」
「え、えぇ……? 変だったかなぁ……?」
「ごめんね、妖夢ちゃん。蓮子の言っている事は適当に聞き流して良いからね」
「あれ、メリーが辛辣……? 私、結構良いこと言ったんじゃないかって自負してるんだけど……」
悲しそうな表情を浮かべる蓮子を軽くあしらう。彼女は時に無遠慮な所があるし、たまには厳しく接さなければ。甘やかしてばかりではいけない。
そんなメリー達のやり取りを見ていた妖夢は、最初のうちこそ戸惑い顔をしていたものの、やがて柔らかい表情となった。
──これで妖夢の心持ちが、少しでも軽くなってくれたら嬉しい。彼女はこれまでずっと、気を張り続けて。精神をすり減らし続けて。気を休める暇なんて、殆どなかったと思うから。
「初めて会った時と比べると、だいぶ自然な雰囲気になったな」
そんな中、そのような感想を零したのは魔理沙だった。
「それがお前らの本当の姿、ってヤツか?」
「……ええ。そうですね」
控え目気味に頷いて、メリーは答える。
「私達は、決めたんです。運命を変える方法があるのなら、それに賭けてみたいって。迷ったり、躊躇ったりするのは、もう止めようって」
「メリーの言う通りよ。いい加減、運命なんて不確かなものに翻弄されるのもウンザリしてた所だわ」
メリーに続くような形で、蓮子も口を開いた。
「約束した通りです、魔理沙さん。私とメリーを、もう一度レミリアさんの所に連れて行って下さい」
そして彼女は宣言する。
メリーと二人で話し合って、そして心に決めた思い。最早、何があっても揺らがない。そんな強固な決意を。
「私達秘封倶楽部が、未来を切り開く。こんな運命、ぶっ壊してやりますから」
こんな結末を否定する。当たり前を取り戻したいと願う。そして、このふざけた運命を捻じ曲げる。
メリー達の持つ可能性が、西行寺幽々子を打ち倒す武器になるのだと、レミリアはそう言っていたらしい。──どのような形で武器になるかは別として、もしもそんな可能性が残されているのなら。未来を変える事が出来るのならば。
諦めない理由には充分だ。
「……やはり、お二人ならその結論に至ると思っていました」
しみじみとした様子でそう口にしたのは、妖夢だった。
彼女が浮かべるのは、心を決めたような表情。メリーと蓮子の言葉を聞いて、思いに触れて。いい加減、自分も迷ってばかりではいられないと。そう思ったのだろうか。
彼女の性格を考えると、やるせない気持ちを完全には払拭出来ていないのかも知れない。──だけど、それでも。
「お二人の気持ちを尊重します。真実を知っても尚、未来を変える為にお力を貸してくれると言うのなら」
深々と頭を下げて、妖夢は言った。
「お願いします。どうか……。どうか、私達を助けてください……」
「妖夢ちゃん……」
ようやく、彼女が一歩歩み寄ってくれたような、そんな気がした。
彼女はどこか、ずっと遠慮していた。自分は、道を踏み外した魂魄妖夢という一つの可能性なのだと。そんな事を口にした事もあった。
子供の妖夢の存在が、自然と彼女に壁を作っていたのかも知れない。自分は、妖夢であって妖夢でないのだと。そんな思いを中々払拭出来なかったのかも知れない。
──いや。そんな壁を作ってしまった原因は、メリー達の方にもあるか。進一が死んでしまってから、ずっと。あんな風に塞ぎ込み続けていたら、誰だって遠慮してしまう。生真面目な妖夢なら尚更である。
だけど。そんな彼女が、頼ってくれた。メリー達の思いを受け入れてくれた。
だから。
「顔を上げて、妖夢ちゃん。私達は、元よりそのつもりだったのだから」
だからこれは、大きな一歩だ。妖夢にとっても、そしてメリー達にとっても。運命を変える為に必要な、そんな一歩なのだ。
「助けるわ。貴方達の事も。そして──」
自然と、そんな言葉がメリーのくちをついて出た。
「──幽々子さんの事も」
「メリー、さん……」
そしてメリーは、改めて魔理沙へと視線を向ける。
メリーと妖夢のやり取りに口を挟まず、静かに見守ってくれた彼女へと。
「そういう訳です、魔理沙さん。私も蓮子も、レミリアさんの計画に協力します。だから……」
「ああ。判ってるさ。こっちの準備も万全だ」
踵を返しつつも、魔理沙は答えた。
「ついて来い。レミリアのヤツも、色々と手を回してくれたみたいだぜ?」
そんな魔理沙に先導される形で、メリー達は雑木林へと足を踏み入れる。
先日、魔理沙に連れて来られた時と同じだ。背の高い雑草が伸びっぱなしで、人の手が加えられた形跡もなくて。誰かが歩いて通る事を想定されていないような、文字通り道無き道をメリー達は進む。以前に先導された時は、どこを歩いているのかも理解出来ない状況だったが。
でも、今のメリーには何となく判る。
博麗大結界を乗り越えるような感覚。どう言った順番で足を運べば、この結界の効力に引っかからず、先へと進む事が出来るのか。百パーセント、完全に理解出来ている訳では無いが、それでも。
──自分が八雲紫の娘だと、そう認識したからだろうか?
「そろそろ到着だな」
魔理沙がそんな事を口にした、その直後。
メリーの『眼』が、結界の境界を捉えた。
視界が開ける。前に訪れた際は夕暮れ時だったが、今回は日中帯だ。眩しいくらいの青空が、真っ先にメリーの視界へと飛び込んでくる。
博麗神社は、今日も閑散としている様子だった。
境内は静寂に包まれている。参拝客の姿も見当たらず、聞こえてくるのは、木々や草花が風で掠れる音くらいなものだ。鳥居も本殿もそれなりにしっかりしてそうなのに、漂う雰囲気はどことなく寂しい。
これも、『死霊』の影響なのだろうか。数多くの住民が『死霊』の餌食になってしまった事により、神社を訪れる参拝客も殆どいなくなってしまった──と。そういった可能性を考えていたのだが。
「いや? この神社に閑古鳥が鳴いてるのは、『死霊』とか関係なく最初からいつも通りの光景だぞ」
メリーが疑問を零してみると、魔理沙からそんな回答がすぐに返ってきた。
容赦ないと言うか、身も蓋もないというか。
「最初からって……」
「元々、霊夢の奴は物臭な性格だったからなぁ。巫女の癖に信仰心の欠片もないし、参拝客イコールお賽銭の為の存在と思っている節がある。端的に言えば、守銭奴だな」
「……あんまり巫女さんっぽくないような印象ですね」
「ははっ! それ正解だ。あいつほど
笑いながらも、過去を懐かしむような声調で魔理沙はそう語る。
博麗霊夢。この神社の巫女である彼女は、『死霊』の侵攻を食い止める為に自らの身を犠牲にしたと聞いている。魔理沙が『夢想天生結界』と呼称する、最終手段を行使する為に。
魔理沙と霊夢がどのような関係だったのか、メリーは詳しくは聞いていない。けれども、魔理沙が彼女の話を口にする際の、この雰囲気。二人がどのような関係か、察するくらいなら十分過ぎるくらいの材料となっていた。
きっと、メリーにとっての蓮子と同じだ。──博麗霊夢は、霧雨魔理沙にとって掛け替えのない存在。他の誰かでは代わりに成り得ない。そんな深い関係性。
やっぱり、この人は強いなと。メリーはそう思った。
もしもメリーが、同じ状況に立たされたら。例えば蓮子という存在が、消えてなくなってしまったら。きっとこんな風に、立ち上がる事は出来ない。
魔理沙は前を向いている。博麗霊夢の犠牲を乗り越えて、彼女の意思を汲み取って。それでも尚、未来をその手に掴もうとしている。
この境地に至るまで、魔理沙がどのような心の移り変わりを経たのかは判らない。時には、どうしようもない絶望に打ちひしがれる場面もあったのかも知れない。
けれども。少なくとも、今の彼女は諦めていない。思考を放棄する事なく、希望を求めて今も尚足掻き続けている。
それだけで、メリーにとっては充分過ぎるくらいに。霧雨魔理沙という存在が、とても大きく見えていた。
「さて! 博麗神社の事情なんて、今はどうでも良い事だろ。えぇっと……」
気を取り直して、と言わんばかりの勢いで魔理沙が話題を切り替える。
少々大袈裟気味に踵を返すと、彼女は周囲をキョロキョロと見渡して。
「……あれ? 今日は出迎えなしか? おーい、藍! どこ行ったぁ?」
以前にメリー達を迎えてくれた九尾の狐──藍の名前を魔理沙は呼ぶ。だが、当の彼女が魔理沙の呼び声に答える事はなかった。
その代わり。
「──藍様は、ちょうど結界のメンテナンスで手が離せません」
聞き覚えのない少女の声が、流れ込んできた。
「ですので、代わりに私が皆さんをお迎えします」
視線を向ける。そこにいたのは、赤い衣服を身に纏う小柄な少女だった。
歳は中学生か、高く見積もって高校生くらいだろうか。少なくとも、メリー達よりも歳下のように見える。あどけなさを残す可憐な顔立ちも相まって、余計にそんな印象を強くしてしまうのだろう。
だが、容姿の印象が実年齢とイコールで結びつくとは限らない。何故なら目の前にいるこの少女は、
頭の上から生える、
妖怪だ。恐らく、お燐に近しい種族の──。
「お?
突然現れたそんな少女に向けて、魔理沙はフレンドリーな様子で受け答えした。
知り合いなのだろうか。以前に博麗神社を訪れた時は、このような少女は見かけなかったのだが。
「あの、魔理沙さん。その子は……」
「ああ。紹介するぜ。こいつは──」
メリーの疑問に魔理沙が答えるより先に、件の少女が一歩前に出た。そして、ペコりとメリー達にお辞儀をすると。
「初めまして。私の名前は橙。藍様の式神です」
「え、ええ。初めまして。……式神?」
聞き慣れない言葉が飛び出して、メリーは少したじろいだ。
式神。確か、陰陽師が使役する存在の事だっただろうか。いつかのレミリアが使役していた黒猫のような、いわゆる使い魔のようなイメージをメリーは持っていたのだが、目の前の少女はそんなイメージとは少し違う。
何と言うか。それこそお燐のような、単純な化け猫の類にしか見えないのだが。
そんな風にあれこれと考えるメリーの横で、まるで臆した様子もなく蓮子が口を開いた。
「ふぅん。よろしくね、橙ちゃん。式神って事は、あの藍さんっていう九尾の狐は陰陽術に詳しかったりするのかしら?」
「はい。その認識で間違っていません。藍様は陰陽術に留まらず、様々な方術に精通しています。何せ今の幻想郷で、博麗大結界の管理を一手に担う凄いお方なんですから」
蓮子の疑問に対して、得意気な顔で橙がそう答える。
藍の事を尊敬しているのだろう。式神と聞くと藍に使役されているような印象を受けるが、その実態は主と従者のような関係性なのかも知れない。少なくとも、良好な関係性を築いているような雰囲気だった。
「それで、橙。藍の代わりって話だったが、
「ええ。お話は藍様から伺っていますよ。外の世界から来訪したお二人を通すように、と」
「そうか」
魔理沙と橙が何やらそんなやり取りを交わしている。意味深な話の内容が気になって、メリーは思わず声をかけた。
「あの件……って、何の事ですか?」
「うん? ああ……。お前はレミリアから直接話を聞いた訳じゃないのか。蓮子は少し聞いてたんだろ? ……岡崎進一って奴の事だ」
「……っ! それって……!」
反射的に食いついた様子の蓮子。そんな彼女とメリーに向けて、魔理沙は答えた。
「そいつのタイムスリップに精通する奴と会わせてやるって話だったんだろ? レミリアの奴、どうやら手配してくれたみたいだぜ」
そう口にした魔理沙と橙に連れられて来たのは、博麗神社の本殿──の、脇を抜けた先に建てられた母屋。そこの縁側部分だった。
縁側から見える居間に向かって、橙が声をかける。
「小町さん。約束していたお二人が来ましたよ」
「……んぁ?」
そこにいたのは、また見知らぬ一人の少女だった。
水色の衣服。おさげとして纏めた赤い髪。見た感じ、メリー達と同年代くらいに見える容貌。そんな彼女は、橙に声をかけられるまでテーブルに突っ伏して居眠りをしていたらしく。
「ふぁ……。ようやく来たのかい? 待ちくたびれちまったよ」
あけすけに欠伸を零しつつも、立ち上がって歩み寄ってきた。
何とも気だるげな雰囲気の少女である。見るからにのんびりしてそうというか、やる気がなさそうと言うか。彼女も妖怪なのだろうか。
「あの、この人は……?」
「紹介します。彼女は、小野塚小町さん。死神です」
「し、死神……!?」
予想外の単語が橙の口から飛び出して、メリーは思わず声を上げてしまった。
死神とは、文字通りの意味なのだろうか。生者の生命を刈り取り、死者の国へ誘うイメージの──。
「ご安心を、メリーさん。小町さんは、恐らく貴方が想像する死神とは異なります」
メリーの思考に先回りするようなタイミングで、妖夢が口を開いた。
「小町さんの役割は、三途の河の水先案内人です。生者の生命を刈り取るような事はしません」
「水先、案内人……?」
「ははっ! お前さん、外の世界の住民なんだろ? だったらイメージ出来なくても無理はないさ。でも、少なくともあたいはお前さん達を取って食おうとは思っちゃいない。だからあんまり怯えないでくれると嬉しいかな」
人の良さそうな雰囲気で、小町がそう口にする。確かに、一般的な死神のイメージである、おどろおどろしい印象は皆無である。竹を割ったような、姉御肌気質のような印象が強い。比較的付き合いやすそうな少女だった。
そんな死神少女の登場に対し、隣の蓮子は何やらテンションが上がっている様子だった。
「へぇ、死神……! 幻想郷って死神もいるのね! まさか生きて会えるとは思わなかったわ……!」
「まぁ、生きてる間は基本的に無縁だろうからねぇ。あたいはちっと特別というか」
「こんな状況じゃなかったら、色々とお話を聞きたい所だったわ! 死者の魂をどうやって冥界に運んでるのか、とか! 水先案内人って言ってたけど、他にはどんな役割が存在するのか、とか!」
「蓮子、ステイ。落ち着いて」
色々と話が脱線する雰囲気が凄まじかったので、興奮気味の蓮子を下がらせる事とする。こんな状況だからこそ、そのマイペースっぷりは自重して欲しい。
蓮子を落ち着かせた後に、改めてメリーは小町に向き直って。
「あの、小町さん。進一君のタイムスリップに精通しているというのは……?」
「ん? ああ。それに関しちゃ、あたいは単なる案内人さ。当人は別にいる」
「別……?」
メリーの疑問に対し、小町は頷いてそれに答えた。
「そう。まぁ、何と言うか……。
「特殊……? 死神である貴方が案内人という事は、その人は死の世界の住民という事……?」
「あー……。うーん、間違ってはないんだけどねぇ……」
困ったようなリアクションを見せる小町。要するに、一言で説明するのは難しい人物という事なのだろうか。ますます気になるというか、若干不安に思えてきたのだが──。
「ま、今はその人の立ち位置なんてあまり重要じゃないさ。大事なのは、本当にお前さん達の友達が過去の幻想郷に渡れたのか。だろ?」
「それは、そうかも知れませんが……」
「お前さん達の友達が、
「…………」
小町の言う事は一理ある。進一もまたメリーと同様に鍵だとは聞いた話だが、肝心の彼の魂がどうなったのかは不明瞭だ。レミリアの計画通りならば、今頃彼の魂は八十年前の幻想郷に辿り着いているのだろうけれど、そんなのは現時点では殆ど推測に過ぎない。
裏付けが欲しい。彼の魂が、過去の幻想郷に辿り着いているのだと。そう言い切れる裏付けが。
それならば。
「……分かりました」
今は、受け入れる。それ以外の選択肢なんて存在しない。
「貴方に従います、小町さん。私達を連れて行って下さい」
「ええ。覚悟は決まっているわ。どーんと来いよ!」
メリーに続いて、蓮子も意見を表明する。二人の心は決まっていた。
そんなメリー達の答えを聞いて、小町は満足そうに頷いていた。
「うんうん。話が早くて助かるよ。それじゃあ、早速行こうか」
そう口にしつつも、小町は縁側に脱ぎ捨てられていた靴を履いて外に出てくる。
「お前さん達には、三途の河まで来てもらうよ」
*
三途の河。比喩でも何でもなく、
死んだ者の魂が辿り着く場所。ここに辿り着いた魂達が死神によって導かれ、河の向こう側──彼岸へと運ばれる事になるらしい。何を隠そう、小町の役割である水先案内人こそが、死者の魂を彼岸に導く事を生業としているとの事だった。
「だけど、死神の仕事の中でも肉体労働にあたるから、あんまり人気ないんだけどねぇ……。死神はインドアな奴が多いのさ」
小町はそう語る。彼女の聞いた話から察するに、死神とは労働要員の一つのようなニュアンスも含んでいるのだろうか。その中に様々な職種が存在し、水先案内人がその一つ、と。
その事を小町に確認してみると、
「間違ってはないね。あんまり詳しく説明すると長くなるから省略するけど、彼岸を統括する大きな組織があって、死神はその中に属している。死神だけじゃなくて、閻魔様も厳密に言えば労働要員なのさ」
そう答えてくれた。意外とイメージしやすいというか、それほど馴染みが浅くない組織体系というか。死神や閻魔という単語は、どちらかと言うと役職のようなものなのだろうか
「まぁ、死神や閻魔様にも、それぞれの役割が与えられてると考えれば良いよ。で、あたいの役割が死者の魂を運ぶ水先案内人。だから、本来ならば
「そう、なんですね……」
「ま、今回は特別さ。いやぁ、あたいってば働き者だなぁ。これだけ働けば、例えば明日ちょっとサボったって誰も文句は言えない。そうは思わないかい?」
「サボりは良くないんじゃ……?」
先導する小町とそんなやり取りを交わしつつも、メリー達は道を進む。三途の河まで来てもらうという小町の言葉通り、メリー達は目的地に向かっている所だった。
小町に連れられて三途の河に向かっているのは、蓮子とメリーの二人だけ。魔理沙達は博麗神社で留守番だった。
進一のタイムスリップに精通しているらしい、メリー達の尋ね人。会って話すだけでも面倒な制約があると小町は語っていたが、この少人数もその制約の一つとの事だった。
曰く。本来ならば、生きた人間が会って話すのもあまり容認できる事ではないらしい。最低限の少人数で特別に許可が降りたのだと、小町はそう語る。
一体、どんな立場の人物なのだろう。不安半分、といった所である。
「いやー、何だかちょっぴり楽しみになってきたわ。まさか生きたまま三途の河を見る事になるなんて」
「……呑気ね、蓮子は」
「む、失礼ね。ここまで来たら、不安に思っても仕方がないでしょ? 尻込みをするくらいなら、寧ろ楽しんでやらなきゃ」
「……楽しむ、ね」
随分とマイペースな様子の蓮子。あまり深い事を考えていないような物言いだが、その実、彼女なりに気を遣っているのだろうなとメリーは気がつく。
メリーの不安を感じ取ってくれたのだろう。故に蓮子は、あえてマイペースな言動を口にしている。少しでも気を紛らわせようとしてくれている。
メリーの事を、よく見てくれている。彼女のそんな気遣いが、ありがたい。
「さて、そろそろ到着だよ」
博麗神社を徒歩で出発して、五分程度経った頃だろうか。小町がメリー達にそう告げてきた。
いつの間にか、周囲は深い霧に包まれている。少し先も見通せず、小町と一緒でなければあっという間に迷ってしまうような。それくらい深い霧。三途の河に近づいてきている証拠なのだろうか。
いや。それにしても
「え? もう到着? あんまり歩いていないと思うけど……」
思わずといった声調で、蓮子がそんな事を口にする。メリーも同意見だった。
たった五分。それも比較的のんびりとした速度で歩いていたのに、もう到着なのだろうか。三途の河は、死んだ者の魂が集まる場所だと聞いていたのだが。普通の人間も参拝に訪れるだろう、博麗神社のこんな近所にその河は流れているとでも?
そんな事を考えていたメリー達だったが。
「あー、そう言えば説明してなかったね。あたいの『能力』で博麗神社と三途の河の距離を縮めたのさ。普通に歩いて向かってちゃ日が暮れちまうよ」
「……『能力』?」
「そう。『距離を操る程度の能力』さ」
小町にそんな説明をされる。まさかそんな『能力』を行使されているとは思わなかったので、ちょっぴり驚きだった。
何だが死神のイメージとは微妙にズレた『能力』のような気がする。もっと死にまつわるような『能力』を想像していたのだが、意外とそうでもなかったようだ。
まぁ、妖夢もメリーが想像するような死神のイメージとは違うと小町の事を称していたし、そういうものだと思ってしまった方が楽かも知れないが。
「そんな事を話してる内に……。ほら、もう河の畔だよ」
濃霧の中、気がつくと
真っ白な玉砂利が足元に敷き詰められた場所。小町が示した視線の先に、確かにうっすらと河のようなものが見て取れる。霧の所為で向こう岸まで見通せず、流れすらも殆どない。河というよりも、湖と呼んだ方がしっくりくるような。そんな印象だった。
あまりにも、静かだ。まるで、時が止まってしまったかのような。そんな錯覚すらも覚えてしまうような静寂。どこか幻想的で、現実味がなくて。息を飲むくらい、神秘的。そんな光景だった。
「ここが、三途の河……」
「そうさ。外の世界じゃ、まず見られない光景だろ?」
メリーの呟きに答える形で、小町がそう口にする。確かに、漫画や映画などでしか見られないような光景である。現実としてそこに広がってるなんて、そんな実感も湧いてこない。
「そう言えば、この辺は『死霊』の被害は受けてないんですか? 今の『死霊』は、冥界に閉じ込められてるんですよね?」
思い出したかのようにそう小町に尋ねたのは、蓮子だった。
「河の向こう側が死者の世界なら、『死霊』だってそこに……」
「いや、その点は心配しなくても大丈夫。三途の河の向こう側は、彼岸であって冥界じゃない。死者の世界である事に変わりないけど、冥界とは別の世界なのさ」
蓮子の疑問に対し、小町はそう答える。
「勿論、彼岸と冥界は明確に
「一方通行……?」
「まぁ、兎にも角にも、冥界は彼岸からも隔離されてるからね。『死霊』が彼岸側に流れ込んでくる事はないよ。
「……知らないんですね」
「し、しょうがないだろっ。完全に畑違いだよ。専門外さ、専門外」
最後の方は返答が曖昧だったが、兎にも角にも心配無用という事だろうか。いずれにせよ、ここまで来たら小町の言葉を信じるしかない。覚悟は既に決まっていた。
「それで、小町さん。進一君のタイムスリップに精通しているという人は、どこに……?」
「こっちだよ。ついておいで」
メリーが尋ねると、小町は河の
まぁ、その点は一先ず置いておく事にして。
小町に先導されるままに、メリー達は河の畔を歩き続ける。糸を張ったような静寂の中、しばらく歩き続けていると、視界の先にぼんやりとした人影を捉えた。
(あれは……?)
不思議な人物だった。姿形は人間のそれ。だが、漂わせる雰囲気が奇妙だ。どことなく、生気を感じられないとでも言おうか。存在そのものが希薄で、今にも消えてなくなってしまいそうな。強いて表現するならば、そんな印象。
男の人、だと思う。髪は、白髪だろうか。青年なのか、壮年なのか、はたまた老人なのか。妙な話だが、具体的にどれだと言い切る事が出来ない。何か、人間としての常識から外れた、大きな隔たりがあるような気がする。これまで出会ってきたどの人物よりも、群を抜いて
「さて、到着だよ。おーい、待たせたね」
小町がその人物に声をかける。三途の河へと視線を向けていた彼が一瞥し、メリーと目が合った。
瞬間。
(あれ……?)
妙な感覚。それがメリーの中を駆け抜ける。
初めてじゃない。覚えがあるような、ないような──。
「成る程。よく似ている」
「えっ……?」
「君は八雲紫のご息女、なのだろう?」
「……っ」
メリーの事を認識した彼が、不意にそんな事を口にする。反射的に、メリーは息を飲んだ。
「し、知ってるんですか? その、私の……」
「ああ。もっとも、最後に顔を見たのはもう何十年──下手をすれば百年近くも前の事だが」
「百年……」
今の口振り。少なくとも彼の齢は、百を超えているという事だろうか。まぁ、例えば魔理沙や妖夢だって、生きた年月と容姿の印象は一致していない。メリー達の常識なんて、最早アテにならないかも知れないが。
「小野塚小町。一応、礼を言っておこう。よく彼女達をここまで導いてくれた」
「いや、まぁ、それがあたいの仕事だしね」
肩を窄めつつも、小町は彼とそんなやり取りを交わした後に。
「それじゃあ、お二人さん。聞きたい事、色々と聞いてみると良いよ。あ、答えちゃ駄目な事もあるし、あんまり長時間も留まれないから。そこんところは理解してくれると嬉しいな」
「は、はい。えっと……」
そう小町に言われたが、いざその時になると上手く言葉が纏まらない。聞きたい事は、ここに来るまでに色々と纏めていたはずなのに。どう切り出すべきか迷う、とでも言おうか。
「あの、貴方が進一君のタイムスリップに関わっているという事は、本当ですか?」
しかし。困惑気味に考え込むメリーの横で、そう切り出してくれたのは蓮子だった。
三途の河の畔に立つ、彼へと向かって。
「レミリアさんが、貴方に会えるよう手配してくれたのだと、そう聞いたんですけど……」
「……ああ。その認識で構わない」
頷き、彼は蓮子の言葉を肯定する。
「彼の魂を
「……どうやって? タイムスリップなんて、そう易々と実現出来るような芸当じゃない気がするんですけど……」
「……そうだな。要因は幾つか存在するが……」
すると彼は、腰元に手を添える。そこにあるのは──剣。日本刀のような刀が携えられていた。
「私が、斬ったのだよ。この剣で、
「時を、斬った……?」
にわかには信じがたい言葉が飛び出してきて、メリーは思わずオウム返しした。
「ふむ。やはりそう簡単には納得出来ないか」
「あっ、い、いえ……。その、斬ったというのは、やっぱりその剣に特別な力が……?」
「いや、この剣にそんな効力はない。剣を扱う上での技術の一つ、とでも言おうか」
「技術って……」
「もっとも、時を斬れる様になるには、最低でも二百年は剣術の鍛錬が必要だろう。それでもこの技術を身につけられる剣士はひと握りだろうが」
何だそれは。二百年なんて、普通の人間にはまず不可能な表現だ。しかも彼の口振りから察するに、それだけ鍛錬を行っても、そんな極致に辿り着ける者はそういないらしい。
──改めて情報を整理してみても、突飛すぎて実感が湧かない。取り敢えず、彼が超凄腕の剣士だという事だけは分かった。
「……それで。時を斬った、というのを文字通りの意味と捉えて話を進めますけど。要するに、貴方の剣術なら時間に干渉できるという事ですか? 以前の妖夢ちゃんや今回の進一君のように、過去や未来に人を送り出せる……?」
「……可能だ、とは断言出来ないな」
蓮子の疑問に対して、しかし彼は首を横に振って答えた。
「私に出来るのは時を斬る事までだ。そこから、点と点を繋げる──つまり、二つの時代を意図的に接続させる事は出来ない。故に、過去または未来に誰かを送る事は
「出来ないって……。それなら、進一君は……」
「言っただろう?
「特異性……」
そう聞いて、メリーが思いつく要素は一つ。
「進一君の魂は、唯一『死霊』から転生を果たした存在だと聞きました。ひょっとして、それが……」
「……その通りだ」
メリーの言葉を、彼は頷いて肯定した。
「絶対的な“死”という呪縛から逃れた彼の魂には、
「幽々子さんの、残滓……」
漠然とした表現。だが、メリーには彼の言っている事が何となく判る。
だって、形は違えど、メリーの中にも八雲紫の残滓が存在している。レミリアにそう告げられるまで、これまで意識もしていなかったけれど。思い返すと、確かにそんな存在を感じ取れる場面もあったような気がするのだ。
絶対的な“死”という呪縛から逃れた進一の魂。そこに存在する西行寺幽々子の残滓。それはきっと、『死霊』として幻想郷の住民を滅ぼそうとするような彼女の
「それに。彼は、あの子……。妖夢とも繋がっている」
「妖夢ちゃん……?」
そして目の前の男性は、更に言葉を付け加える。
「あの日。八十年前の過去から連れてこられていた妖夢は、レミリア・スカーレットの計画通り元の時代に帰還した。故にこそ、その事実が彼にとってのもう一つの道標となってくれた」
「……つまり」
そんな彼の言葉に続く形で考えを表明したのは、蓮子だった。
「妖夢ちゃんが元の時代に帰還したから、あの瞬間、ある種の時空の綻びのようなものが生じていた。その綻びを利用して貴方が時を斬り、そして進一君の魂は妖夢ちゃんに
「……ほう? 理解が早い。概ね、その認識で間違っていない」
蓮子の言葉を、彼は頷いて肯定する。メリーもまた、状況を飲み込む事が出来た。
西行寺幽々子の残滓をその魂に持ち、八十年前の魂魄妖夢とも深い関わりを持つ存在。そんな特異性を持つ岡崎進一だからこそ、彼は
とは言え、全部が全部納得出来たという訳ではない。例えば、そう。
「理屈は、分かりました。でも、今の話だと、進一君が『死霊』に殺されたあの日。貴方は少なくとも進一君の傍にいて、進一君が死んだ直後に、時を斬ったという事ですよね?」
感じた違和感を、メリーは疑問という形で呈する。
「でも。あの日。あの場所に、貴方みたいな人の姿はどこにも見当たらなかった。私達と、お燐ちゃんと、夢美さんにちゆりさん。そして、黒猫を使役するレミリアさんくらいで……」
記憶を辿って、メリーはそう尋ねた。
「それなのに、一体どうやって……」
「……そうだな。一言で説明するのは難しいが」
そんなメリーの疑問に対して、彼は答える。
「今。この場で君達が認識している、私の姿。
「仮初……? どういう、事ですか?」
「私には、肉体──実態が存在しないのだよ。
「……っ」
思わず、息を飲んだ。どう反応すべきか、迷ってしまう答えだった。
肉体が存在しない。既に滅びている。──言葉の意味をそのまま捉え、そして
「既に、死んでる……? 幽霊みたいなものだと、そういう事ですか……?」
「……どうだろうな。今の私は、幽霊や亡霊の類だと称して良いものか、否か」
曖昧な返答。彼自身、自分という存在の意義を見失っているのだろうか。
生きているとも死んでるとも言えない存在。幽霊や亡霊の類とも称する事の出来ない半端者。
「いずれにせよ、今のような特殊な状況下でなければ、君達は私とコミュニケーションを取る事も、私という存在を認知する事も出来ない。──今の私は、
「まぁ、計画を立てたレミリア・スカーレットだけは、私が
とは言え、そう簡単に納得出来るような話ではない。進一が死んでしまった、あの日。あの場に彼は居たと言うが、その存在を認識出来る者は誰もいなかった──と。そんな話、何を馬鹿な事をと一蹴するのが普通の反応なのかも知れないが。
けれども。何だろう、この感覚。
この人は、嘘をついていない。この人の言っている事は、全て真実なのだと。そんな確信めいた感覚がメリーの中に存在している。根拠を聞かれても上手く説明する事は出来ないが、これは──。
(私は……。この人と、会った事がある……?)
──いや。と言うよりも、
(この人と、似たような雰囲気の人と……)
会った事が、あるような気がする。
故に、彼の事を信じても良いのだと。そんな気持ちが溢れてくるのだろうか。
「あの、貴方は……」
堪らずメリーは、疑問をぶつける。
「貴方は、一体何者なんですか……?」
彼と話し続ける間、ずっと覚えていたこの奇妙な既視感。その正体を探る為に。
「貴方は……。どうして、そんなに……」
そんなに、
「……私は、最早
まるで、何でもない事であるかのように。
「私は、もう随分と昔に表舞台から退場している。本来ならば、こんな形で存在してはいけない者なのだ。私のような老骨は、幽居するくらいが丁度良い。
「そんな……」
自らを卑下するような彼の物言いを前に、メリーは言葉を詰まらせる。
どうして、そんなにも悲しい事を言うのだろう。最早誰でもないだとか、存在してはいけないだとか。メリーの問いかけに、答えたくないという事なのだろうか。
小町は言っていた。答えられない事もあるのだと。彼自身の事こそが、答えてはいけない内容なのだろうか。
そんなの、あんまりじゃないか。
まるで、彼という存在そのものを、否定するかのような──。
「……そんな顔をするな、八雲紫のご息女よ。君が気に病む必要はない」
「えっ……?」
俯きがちになるメリーに対し、けれども彼はそう答える。
「私は、私自身の選択に後悔はしていない。これは、私が望んで選択した結果なのだ。とうの昔に、受け入れている」
「受け入れてるって……。貴方は、それで良いんですか……?」
「構わない。──この時代。そして八十年前の過去。どちらにせよ、未来を切り開くのはその時代を生きる若者達だ。私が表立ってでしゃばるべきではない。ほんの少し、背中を押す程度の干渉で充分だろう」
「…………っ」
達観している、とでも言うべきだろうか。
彼はきっと、途方もない長い時間を既に過ごしている。生きて、生きて、充分過ぎるくらいに長く生きて。そしてある日の
だが、彼は後悔など微塵もしていない。充分過ぎるほど長い時間を経た彼は、未来を若者達に委ね、自らは表舞台から身を引くべきだと。そう確信しているから。
「……分かりました」
少しの沈黙の後に、そう声を発したのは蓮子だった。
彼の気持ちを、察したような表情。言葉を失ってばかりのメリーとは違い、彼女ははっきりと自らの想いを表明していて。
「貴方は、信じているんですね。今を生きる者達が、この世界の未来を切り開く事を」
納得した様子で、蓮子はそう口にする。
「だから貴方は、自分の運命を受け入れる事が出来る。例え、自分という存在が、消えてなくなってしまうのだとしても。未来を託して、表舞台から身を引く事が出来る」
「……」
彼は否定も肯定もしない。ただ、静かに蓮子の言葉を聞いている。
メリーも同じ気持ちだった。メリーの気持ちを、蓮子が代弁してくれているような。そんな状況。
「私は、貴方の事を殆ど知りません。当然ですよね。だって、今日、初めて会ったんですから。──でも。未来を託したいという、貴方の気持ちは間違いなく本物だって、そう思います」
「……そうか」
「だから、私は貴方を信じます。貴方が話してくれた、進一君の事も」
蓮子もまた、彼の事を信じられるのだと、そう思ってくれていた。だって、彼の思いはどこまでも誠実で。真っ直ぐで、揺るぎなくて。悪意を持って人を騙そうだとか、適当な事を言ってその場を誤魔化そうだとか。そんな雰囲気、微塵も感じられなかったから。
メリーの勘違いなんかじゃなかった。──この人は多分、信用出来る。進一の事だって、この人が言うのなら大丈夫だと。そんな不思議な確信がある。
だから。
「あ、あの……!」
メリーもまた、迷いを振り払って一歩前に踏み出す。
「私も、貴方の事を信じます。貴方なら、進一君の魂をちゃんと送り届けてくれたんだって。そう、思いますから」
「……ああ」
小さく、彼は頷く。口数は少ないが、メリー達の気持ちをちゃんと受け止めてくれたのだと。そんな感覚があった。
だからもう、充分だ。
彼が話してくれた真実。岡崎進一の魂が行き着く先。それを知れただけでも、彼との出会いに価値はあったと言える。元より固まっていたメリー達の覚悟が、より強固なものとなった。
メリー達は、もう折れない。
未来を切り開けるのなら、必ず。
「小町さん」
話は一区切り。口を挟まず見守ってくれていた小町に向けて、蓮子が声をかけた。
「もう良いのかい?」
「ええ。聞きたい事は聞けましたから」
「そうかい」
毅然とした態度で蓮子が答えると、小町はそれ以上踏み込んでくる事はなかった。お喋り好きな印象だった彼女だが、意外と気配り上手な印象がある。──いや。お喋り好きだからこそ、だろうか。下手に追求してこない彼女の気配りが、今はありがたい。
そんな彼女に導かれるまま、踵を返そうとするメリー達だったが。
「……最後に一つ、聞いても良いだろうか」
声をかけてきたのは、先程まで進一の事を話してくれていた彼。メリーと蓮子は、揃って足を止めて振り返る。
「君達は、あの子──。子供の姿の妖夢と、半年程度の時を過ごしていたはずだ」
耳を傾けると、彼から語られたのはそんな内容。
「私は、君達の事をずっと見ていた。だから知っている。君達が、あの子を受け入れてくれた事。あの子の悩みを聞いてくれた事。あの子の力になってくれた事。……あの子の為に、惜しまず尽力してくれた事」
それは、今まで漂っていた厳格な雰囲気とは、少し違っていて。
「その上で、君達の口から聞きたい」
それは、まるで。
「君達にとって、あの子は……。妖夢は、どういう存在だ?」
まるで、
なぜ、彼がそんな事を聞くのか。どうして妖夢の事が気になるのか。聞きたい気持ちはあったが、それでも。
「大切な友達です」
メリーは、迷わずそう言い切る。
「だから助けます。あの子の力になれるのなら、私達は手を伸ばす事を躊躇いません」
「……ええ。メリーの言う通りよ」
そして蓮子もまた、同調する。
「妖夢ちゃんだって、秘封倶楽部の一員です。例え生きる世界が違っても、私達の繋がりは途切れません」
そう。こればかりは、迷う事なく断言出来る。
魂魄妖夢は今や秘封倶楽部の一員で、かけがえの無い大切な友達だ。彼女を助ける為ならば、蓮子もメリーも、前に進む事を躊躇わない。
そう。大人の姿の妖夢にも、告げた通りである。
助けるのだと、そう決めたのだ。妖夢の事も。そして──幽々子の事も。
「……そうか」
そんな二人の言葉を聞いて。満足気味に、彼は頷いた。
「それなら、今後もあの子の事を支えてあげて欲しい。……良き友人として」
それは。表も裏も何もない、彼にとっての無垢なる願いなのだと。そう感じた。
一体、何を思ってそんな願いを夢想したのか。何を考えてそんな思いを吐露してくれたのか。色々と考えを巡らせる事は出来るが、そんなのは野暮だと感じた。
今更、彼が何者であろうと関係ない。彼が妖夢の事を思い、妖夢の身を案じているのなら。答えはたった一つだ。
毅然とした面持ちで、メリーは彼に伝えた。
「ええ。任せて下さい」
*
結界の管理を終えた藍が博麗神社に戻ると、そこには丁度魔理沙達が集まっていた。
「すまない、遅くなった。あの子達は……?」
「お? やっと来たか、藍。マエリベリー達の事なら、さっき小町に連れられて三途の河に向かったぞ」
「そうか……」
魔理沙にそう告げられて、ほんの少しだけ肩を落とす藍。本日もまた外の世界から彼女達が訪れる事となっていたのだが、折り悪く結界の管理でどうしても手が離せなかった。本来ならば藍が迎えるべき所だったが、こればかりは仕方がない。手を抜く訳にはいかないのだから。
それでも何とか出来る限り効率的に作業を終わらせて、こうして急いで駆けつけたのだが──。やはり、遅かったらしい。
「藍様、ご安心下さい! お二人のお客人は、私が責任をもって小町さんの所までご案内しましたから!」
「……ああ。ありがとう、橙。助かったよ」
そんな報告をしてくれた自分の式神に対して、藍は礼を述べる。昔と比べ、橙もかなり成長した。彼女に任せておけば安心だとは分かっているのだけれども、どうしても落ち着かない気持ちになるのはあの少女──メリーが相手だったからだろうか。
やはり、どうしても思い出してしまう。良くない事だと分かっているはずなのに、どうしても重ねてしまうのだ。
マエリベリー・ハーンという少女と、
「……藍様? 顔色が優れないみたいですけど……。どこか、体調でも悪いのでしょうか……?」
「え? あ、い、いや……。大丈夫だよ、橙。少し考え事をしていただけだから」
「……考え事、ですか?」
「ああ。考え事だ」
橙に心配をされてしまい、慌てて体裁を整える藍。仕える式に余計な心配をかけるなど、主として失格だ。気を引き締めなければ。
「……メリーさんは、藍さんが思っているほど弱くはないですよ」
そんな藍の心境を察したようなタイミングで、妖夢がそう口を開く。
「メリーさんは、強い人です。……私なんかよりも、ずっと」
「妖夢……?」
「メリーさんは、既に紫様の事を受け入れています」
「……ッ!」
それは、核心をついた言葉だった。
「あの人は、自らのルーツを知っても尚、前に進もうとしているんです。外の世界の人間として生きてきたあの人にとって、その事実は決して軽荷なんかじゃないはずなのに。それでもメリーさんは、メリーさんなりにその事実を受け入れ、噛み砕いて。そして、立ち上がっている」
「……そうか。あの子は……」
「だから、心配なんていりません。藍さんが責任を感じる必要なんて、ないはずですから」
「……」
だが、それでも。──いや。
そんな紫が、外の世界で娘を産んでいたと聞いた時。藍は激しく動揺した。それと同時に、複雑な感情が彼女の胸中に渦巻いた。
マエリベリー・ハーン。彼女の中には、紫から受け継いだ特異性が存在している。けれども彼女は、自分の母親が紫である事を覚えていない。外の世界の一般的な人間として、生きている。
藍にはすぐに分かった。それは、紫の願いなのだと。自分の娘には、ごく平凡な人間の女の子として生きて欲しかったのだと。
でも。結局のところ、そんなのはその場凌ぎに過ぎない。幾ら強力な暗示をかけたとしても、八雲紫の娘という特異性は、彼女の中で必ず開花する。仮にレミリア達から語られなかったとしても、彼女は何時しか、自分のルーツに触れる事となっただろう。
それほどまでに、強大な運命なのだ。八雲紫の娘として産まれた時点で。
だからこそ、心配だった。自分が、八雲紫の娘だと知った時。彼女が、その運命をどう受け入れるのか。紫に対して、どんな感情を抱くのか。
──だけど。
「……そう、か」
杞憂なのだと、妖夢は言ってくれた。マエリベリー・ハーンというあの少女は、自らのルーツを知っても尚、立ち上がって前に進む事が出来たのだと。
今は、それだけで充分だった。あの少女が自らのルーツを受け入れてくれたと知れてただけで、今は──。
「……それなら、良かった。だったら、これ以上、私達に出来る事は……」
「信じて待つ事、くらいでしょうね」
「……そうだな」
ならば信じよう。例えあの少女が、これから先、どのような決断を下す事になろうとも。その決断を尊重して、受け入れるだけだ。
(……私も、いつまでもウジウジしている場合ではない、か)
皆、前に進もうとしている。理想の未来を掴もうとしている。だったら自分も、過去に囚われている場合じゃない。
取り戻すのだ。あの頃のような、当たり前を──。
「あ、あのー……。藍様。お取り込み中の所、大変失礼なのですが……」
──と。おずおずと言った様子で、橙に袖を引かれていた事に藍は気づく。視線を落とすと、彼女はどこかを指差していて。
「気配がします。誰かが、こっちに向かって来ているみたいで……」
「なに?」
言われて、気づく。橙の指差す先──結界の境界がある方向だ。微かだか、人の気配がする。
──いや。人と言うよりも、これは妖怪だろうか? この感じ。恐らくは、複数人。その中に、少なくとも一人、妖怪がいる。
「……おい、どうした? まさか、外から人が?」
「ああ……。そのまさかだ」
魔理沙の言葉を肯定する。それと同時に、藍はほんの少しだけ警戒心を強めた。
微かな緊張が走る。
「人って……。マジか? 今日ってこれ以上、誰かが入ってくる予定なんかあったか?」
「……いや。少なくとも、私は聞いていないな。まさかとは思うが、曲者……?」
「……いえ。待って下さい」
しかし。藍達の警戒心は、妖夢の一言によって否定される事となる。
「この感じ……。覚えがあります。多分、大丈夫です」
「……何だって?」
それは、どういう意味だと。藍がそう尋ねるよりも先に。
「──っと。お? ようやく抜けたか?」
「うん。博麗神社の境内、だね」
「へぇ……。成る程、成る程。ここが噂の幻想郷という訳ね」
三人組だった。
一人は、見覚えがある。微かに感じた妖力の持ち主。確か彼女は、地霊殿の主だった覚妖怪の妹だったはず。成る程、あの感覚は彼女の『能力』によるものか。あの『能力』を行使すれば、今の博麗大結界を潜り抜ける事は容易だろう。
そして、残りの二人。見覚えのない女性。外の世界の人間である事は間違いないのだが──。
「……誰だ? 君達は」
怪訝に思った藍が真っ先に声をかける。すると、三人の中の一人──赤い衣服を身に纏った女性が、藍の姿を認識すると。
「えっ……。わっ、凄い! 何そのもふもふな尻尾! 狐? 九尾ってヤツ? あなたも幻想郷の住民なの!?」
「な、なに……?」
やたらと勢いよく食いついてきた。容姿は三人の中でも一番大人びているのに、まるで子供のように無邪気な印象である。隣にいた小柄な女性が、呆れたように嘆息している様子が見て取れる。
何なんだ、彼女達は。思わず気圧されそうになってしまったが、それでも藍は強引に話を進めようとする。
「質問に答えろ。内容によっては、それ相応の措置を君達に……」
「藍さん」
だが、言葉を遮ってきたのは妖夢だった。
視線を向けると、やはり彼女が浮かべるのは余裕そうな表情。いや、気を許している、とでも言うべきだろうか。突然現れた闖入者を前にして、けれどもまるで動揺を露わにする事もなく。
「……まさか、お二人までこちらに来るとは思いませんでした」
そして彼女は声をかける。まるで、旧知の者達と再会したかのように。
「お久しぶりです。夢美さん、ちゆりさん」
「……妖夢」
そして真っ赤な彼女もまた、懐かしむような口調で。
「ええ。来てやったわ。これ以上、黙って運命を受け入れるのも馬鹿らしく思えてね」
そんな事を口にした後に。
「岡崎夢美、完全復活よ! 理不尽で不条理なバッドエンドとやらをぶっ壊しにきたわ!」
岡崎夢美と名乗った彼女は、力強くそう宣言するのだった。