レミリアが口にした、異変解決の為の一大計画。その中でも重要な意味を持つタイムスリップという要素は、北白河ちゆりの助言もあってより磐石なものとなっていた。
マエリベリー・ハーンを八十年前の幻想郷に送る。口にするのは簡単だが、実際は制御面での問題を抱えていた。未来から過去に人を送ろうとした場合、狙った時代の狙った場所に送り届けるのは困難を極めるのだと。その為の解決手段が、宇佐見蓮子の『能力』だった。
だが、それでも課題が残されている。
『蓮子の『能力』は星や月が見えてなきゃ使えないんだったな。つまり、それらが見えない昼間は効力を発揮できないって事になる。この方法を使うにしても、その問題をクリアしなきゃならないな』
自らその点を指摘しつつも、北白河ちゆりは既に策を考えている様子だった。
『まぁ、解決出来そうな心当たりはある。その為には、ある人物の協力が必要になるな。──という訳でだ、吸血鬼。後で少し時間を貸して貰うぞ』
彼女はレミリアに対してそんな事を告げてきた。
策はある。だが、その為にはレミリアの協力が必要になるのだと。そういう事だろうか。外の世界の人間である彼女が、吸血鬼の帝王であるレミリア・スカーレットに協力を乞うと?
面白い。ついこの間まで腐りきっていたとは思えない心境の変化である。そこまで積極的になってくれるのなら、こちらとしても好都合だ。話を聞く事もやぶさかでない。
と、いう訳で。一通りの説明を終えた後に、レミリアは改めてちゆりと対面していた。
場所は変わらず紅魔館の地下図書館。レミリアとちゆりの二人きり──という訳ではなく、レミリアの隣にはパチュリー、そしてちゆりの隣には彼女の上司である夢美の姿もある。他のメンバーは一度客間に戻って貰った。
計画を進める上での細かな話を詰めていきたいらしい。他の皆──特にマエリベリー・ハーンと宇佐見蓮子を帰らせたのは、不確定な情報を聞かせてあまり不安にさせたくないから、との事だった。
その心遣いは悪くない。下手に不安を煽る事で、計画遂行の邪魔になるようなノイズが生じる事は避けたい所だ。そもそも北白河ちゆりに協力を求めたのは、この計画をより磐石なものとする事が目的である。その逆の展開になってしまっては本末転倒。──故に、拒む理由はなかった。
「さて。改めて聞かせて貰おうか」
四人だけとなった図書館の中で、レミリアはちゆりにそう切り出す。
「人間。お前は私に何を求めるつもりだ?」
「単刀直入に言う。──霍青娥ともう一度会わせてくれ」
回り道など一切せず、ちゆりはレミリアにそう告げた。
「あいつの力が必要なんだ。だからもう一度会いたい」
「ほう……?」
「あんたとあいつは協力関係だったんだろ? だったら、コンタクトだって取れるはずだ」
少し、意外だった。まさか北白河ちゆりの口から、再びその名前を聞く事になろうとは。彼女の
「理由を聞こうか? 彼女に何をさせるつもりだ?」
「蓮子の『能力』を強化させる。星や月が見えてなきゃ使えないって制約をクリアするんだ」
「……『能力』の強化、だと?」
聞き返すと、ちゆりはそれに頷いて答えた。
「私の『能力』……。『幻惑させる程度の能力』は、青娥の手解きを受けて覚醒した『能力』だった。まぁ、青娥曰く、元々私には
「ふむ? 確かに、一理あるかも知れないな」
霍青娥。確かに、彼女とはレミリアも協力関係を結んでいるが、その底知れぬ知識量はレミリアも思わず舌を巻く程だ。伊達にレミリアよりも長い年月を生きていない──という理由だけでなく、彼女が抱く信念もそれほどまでの知識を得るに至った要因にもなっているのだろう。
レミリアも深くは知らない。だが、それでも何となく理解出来る。その信念こそが、彼女にとって唯一と言っても良い原動力なのだと。彼女が今日この日まで、死という運命から逃れ続けた理由なのだと。
他の追随を許さない程に、強固な信念を持っている邪仙。
そういう意味では、彼女は
「良いんじゃないの、レミィ。あの邪仙、連絡取ろうと思えば取れるでしょ?
「フッ……。そうだな」
いずれにせよ、彼女の力が必要というのなら、他に選択肢はない。無理矢理に引き摺ってでもちゆりの前に連れてくるしかないだろう。
「ククク……。喜べ、人間。お前の願いを叶えてやるぞ。感謝する事だな」
「……相も変わらず偉そうだな、あんた」
いい加減辟易したような表情をちゆりから向けられるが、レミリアは何処吹く風といった様子である。彼女に何を言われようとも、このスタンスを崩すつもりはない。
「それじゃ、決まりね。レミリア、今のちゆりのお願いを叶えるのに、どのくらい時間が必要?」
ちゆりの頼みを受け入れた後、そう訊ねてきたのは岡崎夢美だった。
「時間、もうあんまりないんでしょ? 早いところ話をつけるべきだと思うけど……」
「フッ……。その通りだ。すぐにでも動こう。早ければ明日にでも引き摺り出してやる」
「そう。……出来るの?」
「何だその疑問は。さては私を侮っているな? 任せておくがいい。明日、
「へぇ。それは助かるわ。それなら、お願いね?」
満足気な表情で、そんな事を言ってくる岡崎夢美。何だ、この人間は。北白河ちゆりとはまた別のベクトルで、怖いもの知らずというか何というか。
「という事は取り敢えず、細かな話は青娥と会えてからになる訳か。少し時間が空くよな。蓮子達にはどう説明するか……」
「その辺の説明はちゆりに任せるわ。あなたが一番状況を把握してるでしょ?」
「おおう……。相変わらずの無茶振りだな、夢美様……」
「無茶振りなんかじゃないわ。あなたの事を信じてるから、お願いしてるのよ?」
「物は言いようだな……。まぁ良い。蓮子達への説明は任せておけ」
ちゆりと夢美がそんな風に話を進めている。宇佐見蓮子やマエリベリー・ハーンへの説明は、このまま彼女達に任せても良さそうだ。
「それなら、私達は早速、霍青娥にコンタクトを取る為に動き始めるか。パチュリー、後でお前の使い魔を借りるぞ」
「ええ。好きに使って頂戴」
方針は決まった。後は各々で行動し、最終調整に入るだけだ。早ければ明日にでも、動き始める事が出来る。
(……明日、か)
運命の日、という事になるのだろう。この計画を組み立ててから、ずっと夢見てきた瞬間。時間という概念を跳躍し、可能性世界による上書きを成し遂げる。その為の
あと少しだ。本当に、あと少し。
あと少しで、レミリアは──。
「さて、と。蓮子達への説明は、取り敢えずちゆりにお願いするとして……。レミリア、あなたにちょっとしたお願いがあるんだけど……。良い?」
「……うん?」
これからの事を考え始めたレミリアに対し、不意に声をかけてきたのは夢美だった。一度思考を打ち切って、レミリアは夢美に視線を向ける。
「何だ?」
「あなたとお話したい事があるの。出来れば、二人きりで。どう?」
「……話したい事、だと?」
少し予想外なお願い事を耳にして、レミリアは思わずオウム返しした。
二人きりで話がしたいとは、一体何を意図しているのだろう。正直に言ってしまえば、岡崎夢美という人間が今日というタイミングでレミリアの前に現れるのは
彼女には何か、運命という枠組みに囚われない特異性でもあるのだろうか。正直、そういう意味での興味はある。
それに。
(……ちょうど良い機会、か)
レミリアも、彼女とは一度ちゃんと話をしてみたいと思っていた所だ。そういう意味でも、
「話というのは、この後すぐか?」
「ええ。出来れば、そうね。時間、あんまりないんでしょ?」
「……ふむ。そうだな」
少し、悩む。悩むのだけれど。
「良いわよ、レミィ。霍青娥へのコンタクトは、私が先に進めておくから。彼女の頼み事、聞いてあげれば?」
気を遣ってくれたのか、パチュリーがそんな提案をしてくれた。
ちらりと彼女を一瞥すると、意味深な視線を向けられる。この様子、レミリアの心境を色々と察しているような雰囲気である。隠し事なんて無駄なのだと、暗にそう示されているような心地。
少し、バツが悪い。そんな気遣いをされてしまったら、レミリアの想いが揺れてしまうような気がして。
だけど、今更意地なんて張る事が出来なくて。
「……ああ。悪いが頼むぞ、パチュリー」
「ええ。任せなさい」
素直に、その厚意を受け入れるしかない。
「さて、と。行くわよ、北白河ちゆり。あなたも頼み事をされていたでしょう?」
「……ああ。夢美様、私達は──」
「大丈夫。あなたに任せるって、そう言ったでしょう? 私は私で上手くやるから、ちゆりは心配しないで。ね?」
「……分かった。信じてるぞ、夢美様」
「ふふっ。ありがと、ちゆり。あなたの信頼には答えるから」
夢美とちゆりのそんなやり取りが目に入る。多くは語らずとも互いの意思を理解しているような、そんな強い信頼関係を感じられるやり取りだった。
夢美の言葉に納得したちゆりは、パチュリーと共にこの場を後にしてゆく。程なくして、夢美の期待していた通り、この場は彼女とレミリアの二人きりとなった。
一瞬の、静寂。けれどもすぐに、レミリアの方から話を切り出す。
「それで、話とは何だ? お前も口にしていた通り、時間はあまりない。手短に頼むぞ」
「ええ、分かってるわよ。それじゃ、単刀直入に聞かせて貰うけど」
文字通り、ストレートに。前置きや回り道もなしに、岡崎夢美はレミリアに尋ねた。
「……あなた、死ぬつもりなの?」
「……っ。は……?」
思わず、レミリアは間の抜けた声を上げてしまった。
岡崎夢美の言葉が、あまりにも突拍子もなかったから──ではない。いや、タイミングが予想外だった事は間違っていないが、それだけではなく。
何故だ。一体どうして、彼女はそんな発想に至る事が出来た?
「……フッ。何を言い出すかと思えば……」
「言っておくけど、私は別に適当な事を言っている訳じゃないわ。何となく、分かるのよ」
すると彼女は、床に描かれた巨大な魔法陣へと目を向けて。
「これが、魔法。正真正銘、本物の。魔力の存在をずっと追い求めてきた私だけど、実際に魔法というものを目の前にして、不思議と興奮以外の感覚が湧き上がってきたの」
「……感覚、だと?」
どこか遠い目をする彼女。いや、戸惑っているのだろうか。
自分でも思いも寄らなかった感情──。いや、
「なぜだか、分かるの。この魔法には、重大なパーツが抜け落ちている。人を過去に送る為の『理論』は組み立てられているけれど、その『理論』を実現させる為の要素が足りない」
表現そのものは比較的曖昧だが、それでも彼女は確信している。レミリアとパチュリーが組み立てた魔法。それに潜む、欠損を。
「あなたは自分でも言っていた。タイムスリップを実現する為には、膨大なエネルギーが必要だって。だったらこの魔法を行使する上でも、その考慮点は例外じゃないはず」
そこで夢美は、改めてレミリアを見据え直して。
「どこから持ってくるつもりなの? そんなエネルギーを」
誤魔化す事は許さないと、そう暗に示しているような口調で。
「そんなにも膨大な魔力、どこから調達するつもりなの?」
岡崎夢美は、口にした。
「──
「随分と勝手な事を言ってくれるな」
思わず、レミリアは口を挟んだ。胸中に生じる動揺を、必死になって抑え込みながらも。
何だ。何なんだ、彼女は。
「お前、まさか……。それが、お前の『能力』という事なのか……? 魔法を、解析出来るとでも……?」
「能力……?」
薄い反応。自覚がないという事だろうか。
「『能力』……。進一や蓮子達みたいな力が、私にも……?」
「お前……。自分でも気づいてなかったのか?」
信じられないとでも言いたげな表情を浮かべる夢美に対して、レミリアはそう尋ねる。しかし彼女は困惑を露わにしつつも、不可解なこの状況を受け入れ初めているらしく。
「そう。そう、なのね。ふふっ……。魔力の存在を追い求めていた私が、まさか今になって、こんな……」
夢美は苦笑する。自分自身でも気がつかなかった『能力』の存在を認識して、彼女が浮かべる表情は複雑そうな様子だった。
自嘲気味にも思える様子。なぜ彼女がそんな表情を浮かべるのか、接点の少ないレミリアには想像する事も難しい。一体彼女は何を思って、どんな心境で自らの『能力』を受け入れたのか。
「……まぁ、この際私の『能力』に関しては一旦置いておくわ。今、この場で重要なのはあなたの方よ、レミリア」
気を取り直して、と言った様子で夢美は改めてレミリアへと向き直る。
自分自身に生じた変化を受け入れるだけでも、一苦労だろうに。それでも彼女は、あくまでレミリアの事を優先するつもりらしい。
居心地が悪い。相手の方が、自分より一枚上手のような。そんな感覚にさえも駆られてしまう──。
「あなたは、受け入れているの? 満足しているというの? 自分ひとりが犠牲になる事で、未来を変える事が出来れば、それで……」
「……フッ。私ひとり、か」
レミリアは失笑する。夢美の言葉を聞いて、思わずに。
「最早、どれほどの犠牲が出たと思っている? 八雲紫に、古明地こいしの姉。博麗の巫女。そして──」
一瞬、紅魔館に仕えていたメイドの姿を思い浮かべる。しかし彼女の事は言葉に出さずに、レミリアは続けた。
「──既に、『死霊』の手によって多数の犠牲者が出ている。今更、私ひとりが犠牲になるだとか、そういった次元の話ではないのだよ。目的達成の為ならば、手段を選んではいられない」
「……今更、ね。だから死んでも構わないとでも?」
「ああ。そうだ」
「ふぅん……。だから、
「何だと……?」
再び、こちらの事を見透かしたような視線と言葉。レミリアもまた、眉をひそめる。どこまで察しているのだと、辟易としながら。
「傲慢な態度に、相手を見下したかのような口調。まるで自ら、他人に嫌われようとしているみたい。──それって、後腐れなくしようとしているんでしょ? 周囲から徹底的に嫌われていれば、仮に自分が死んだとしても誰も悲しまない。だからあなたは、悪役に徹しようとしている」
「……ッ」
「……なんて。あくまで私の想像だけどね。でも、その反応……。あながち間違ってもなかったかしら?」
「お前……」
あながち間違ってもなかった──どころでは、ない。はっきり言って、図星だ。レミリアの意思を、夢美はピタリと言い当てた。
その事実が。心の底から、気に入らない。
「だから何だ? それがどうした? 私の真意を言い当てて、それで一体何になる? 脆弱で矮小な人間の癖に、この私を陥れようとも?」
「別にそんな意図はないわ。……何をムキになっているのよ?」
「──ッ! ムキになんて……!」
一瞬、
「一体、お前は何が言いたいんだ? 話が、全く見えない……」
「……だから、さっきも言ったでしょう?」
間髪入れずに、岡崎夢美は口にする。
「あなたは、本当に
「……それなら既に答えただろう。私は──」
「いいえ。あなたは何も答えていない」
「何だと……?」
「あなたが口にした言葉は、全部詭弁よ。既に沢山の犠牲者が出ているから、今更自分が死ぬ事になっても構わないなんて。そんなの何の答えにもなっていない」
「……っ!」
「どうして? どうして、そんな風に割り切れるの? ──いいえ、この言い方は違うわね」
言葉を詰まらせるレミリアとは対照的に、夢美は次々と言葉を並べる。
レミリアの言葉を、的確に揺さぶるような。そんな言葉を。
「どうしてあなたは、そんなにも
だから。
「大切な友人や家族さえも、置き去りにして──」
だから、レミリアは。
「……いい加減に、して」
「いい加減にしてッ!!」
声が、溢れる。怒号となって吐き出される。
ずっと自制しようと思っていた。我慢しようと思っていた。けれども、もう駄目だ。一度こうなってしまったら、後はもう──。
「勝手な事を言わないで! 何も知らない癖に、知ったような口をきかないで!! 本当に満足しているのだとか、受け入れているのだとか……! そんなの! 満足なんて出来る訳がない! 受け入れられる訳がないじゃない!!」
言葉が次々と湧き出てくる。ただ、感情の赴くままに。レミリア・スカーレットは、口にする。
「沢山の人が死んだ! 皆、この『異変』に立ち向かおうとして、何とかしようとして……! でもッ、結局駄目だった……! 何も変わらなかった! それどころか、一方的に蹂躙されて、犠牲になって……!
──こんな事。
「
こんな事、目の前の人間にぶつけて何になる? それでこの状況が好転でもするのだろうか? ──そんな訳がない。
「だからもう、こうするしかないのよッ! 私だって、これ以上の犠牲なんて最低限に抑えたい……! でもっ! その上でこの結末を変えるには、もうこうするしかないッ!!」
無意味だ。こんな事を口にしても。
それは、判っているはずなのに。
「だから貴方は、黙って私の思い通りに動いてくれればいい! 余計な疑問なんて抱く必要は無い! 黙って、私を……! 私の事を、恨んでいれば良いじゃない! だって……! だって、私は……!」
意味は無いと判っているはずなのに、言葉は勝手に溢れ出る。
「貴方の、弟を……!
感情を、爆発させずにはいられない。
「助ける事だって、出来たかも知れない……! 少なくとも、『死霊』に殺される結末だけは、回避出来たかも知れない! それでも、私は
最早体裁を保つ事さえも、忘れて。
「だから、貴方は私の事を恨めば良い……! 弟の事を見殺しにした、私を……!」
彼女は。
「恨んでよ……!」
レミリア・スカーレットは。
「恨みなさいよッ!!」
懇願するかのように。そんな言葉を、岡崎夢美に投げつけた。
──ああ。自分は一体、何をしているのだろう。こんなの、
だけど。我慢する事が、出来なかった。偽り続ける事が出来なかった。
何なんだ。一体全体、何なんだ。この人間は。
「……確かに、そうね。あなたは進一の事を見殺しにしたわ」
一頻り怒号を吐き出したレミリアに対して、夢美は答える。
「あの子は、私の全てだった。大切な家族だった。そんなあの子が殺されて、我慢なんて出来る訳がない。黙っているつもりなんて毛頭ないわ」
「……っ。それなら……!」
「でも。だからと言って、それであなたに恨みをぶつけるのも筋違いでしょう?」
「は……?」
予想外の返答。レミリアの言葉をきっぱりと否定した夢美を前にして、一瞬だけ頭の中が真っ白になる。夢美の言っている意味が、瞬時に理解出来なくて。
「進一の生命を奪ったのは『死霊』よ。あなたじゃない。確かにあなたは何もしなかったのかも知れないけど、言ってしまえば
「だ、だけど……!」
「……だけども、何もない。あなたは、
「……っ!」
何を、言っている? 彼女は、一体何を考えている?
だって。彼女の目の前にいるのは、吸血鬼だ。人間じゃない。しかも、大切な弟を見殺しにした、彼女にとっては恨みの対象と言っても過言ではない存在なのに。
それなのに。
「はっ……。何を、ふざけた事を……」
「別にふざけてなんかないわ。私は事実を述べただけ。違う?」
「ち、ちが、う……。違うわよ、そんなの……」
「……まぁ、あなたは妖怪だから、大なり小なり人間に危害は加えていたかも知れないわね。でも、先に言っておくけど、今はそういう話をしている訳じゃないわ」
「…………」
何も、言い返せない。逃げ道を塞がれてしまったような、そんな心地である。
敵わないのだと、そんな諦観が胸中に芽生え始める。だけどそれを受け入れてしまったら、本当に何もかもが覆ってしまう。今日出会ったばかりの人間に、こうも真意を言い当てられて。体裁なんて、最早保てていないのかも知れないけれど。
でも、
選択肢なんて、他にはない。
「レミリア。今、あなたは自分で口にしていたわよね? これ以上の犠牲なんて、最低限に抑えたいって」
「……それが、どうしたって言うのよ」
「その言葉、矛盾してるじゃない。だってあなたは、自分自身を犠牲にしようとしている」
「……ッ」
レミリアは息を飲む。ずっと目を背けていた一つの真意を、突きつけられたような気がして。
「これ以上の犠牲を出したくないと、そう願うなら」
否定を口にする暇もなく。
「自分自身の事だって、救ってみせなさいよ」
「……っ」
何なんだ。この人間は、本当に。
綺麗事だ。そうでなければ、強欲にも程がある。これ以上、誰も死なせないのだと。一人残らず全員を、救いたいのだと。そう思っているのだろうか。
バカバカしい。ふざけている。そんなの夢物語だ。
──でも。
「……わた、し……」
それなのに。
「私だって、それが出来れば……」
縋ろうとしてしまう自分は、やっぱり弱いままなのだろうか。何も成長していないのだろうか。
「私だって、本当は……」
だが、それでも。それが、判っているのだとしても。レミリア・スカーレットは、夢想せずにはいられない。
「死にたくなんて、ない……」
それこそが、彼女が抱く本心なのだから。自分の心を、そう易々と変える事なんて。
出来る訳が、ない。
「……ようやく、素直になってくれたかしら?」
声が聞こえて、顔を上げる。真っ直ぐな夢美の視線と、ぶつかった。
彼女はどこか安心したような、すっきりとした面持ちだ。対する自分は、果たしてどんな顔をしているのだろう。あまり考えたくはない。
「貴方の所為で、台無しよ……。本当に、最悪……」
「……悪かったわね。でも、私は今のあなたの方が好きよ。さっきまでの気取っていたあなたよりも、ね」
「どの口が……」
番上をひっくり返されたような心地だ。長年被り続けていた仮面が、出会ったばかりの人間にこうも簡単に暴かれるなんて。
今更、これまでのような態度に戻るのは無理だ。恥の上塗りだと、そう判断出来るくらいの理性は残っている。
「でも……。幾ら貴方が感情論で理想を並べた所で、選択肢が増える訳じゃない。この魔法を成立させる為には、私が生命を賭する事が必要不可欠。そして今更、後戻りなんてするつもりはないわ」
既に威厳は瓦解しているが、それでも覚悟だけは折れていない。ここまできて逃げ出すなんて、そんな選択肢は有り得ないのだから」
「私は、彼女達を過去に送り届ける。それで未来が変えられるなら、躊躇う理由なんてない」
「……判ってる。別に、今更計画を変えろなんて言うつもりはないわ」
チラリと魔法陣を一瞥しつつも、夢美は言う。
「この魔法を行使して、蓮子とメリーを過去に送る。その上で、あなたも死なない。そんな選択肢を取れば良いじゃない」
「……無理よ、そんなの。貴方も判っているのでしょう? 時間を跳躍して過去に誰かを送るには、膨大なエネルギーが必要になる。その為には、私の生命力を丸ごと使い切るしかない」
夢美が口にしているのは理想論だ。『死霊』に蹂躙される前ならいざ知らず、この状況では最早選択肢なんて残されていない。
生命を、使い切るしかないのだ。時間を逆行させるという、そんな暴挙を意図的に実現させるには──。
「本当に? この魔法で問題となっているのは、あくまでエネルギー面でしょ? それさえ解決出来れば良いじゃない」
「簡単に言うわね……。それが、
「……一応、ダメ元で聞くけど、霍青娥に相談してみるのは? あの人、一度妖夢のタイムスリップに成功しているわよね?」
「……同じ方法じゃ、無理でしょうね。過去から誰かを連れてくるのと、未来から誰かを送り込むとじゃ訳が違う。必要となるエネルギーもね。後者の場合、より強大なエネルギーが必要になる。それほどまでに、時間の逆行というのは途轍もない荒業なのよ」
「……そう。それなら」
一瞬、考え込む様子の夢美。しかしすぐに、レミリアへと向き直って。
「
そうワンクッション挟んだ後に。
「あなた
「えっ……?」
困惑するレミリア。間髪入れずに、夢美は続けた。
「こいしから聞いたわ。妹がいるんでしょ? あなた」
「……! そ、れは……」
レミリアは息を飲む。まさか彼女が妹の事を把握しているとは思わなくて、少し動揺した。
妹。──フランドール・スカーレット。確かに、彼女も純粋な吸血鬼だ。紛れもない、レミリアと血の繋がった、たった一人の妹。彼女と力を合わせれば、レミリアが犠牲にならずとも、この魔法を起動するだけのエネルギーを作り出せるかも知れない。
それはレミリアも考えた。寧ろ、この計画を立てる中で、真っ先に検討した方法だ。──だが。
「……無理よ、それは」
既に、レミリアはそれを考慮点から外してしまっていた。
その理由は、ただ一つ。
「あの子、不器用だもの。こんなにも高度な魔法、制御なんて出来ないわ……」
フランの持つ魔力の絶対量は、レミリアのそれを凌駕する程だ。そういう意味では、この魔法を行使する上での条件は整っていると言える。だが実際、フランには無視できない致命的な欠点が存在している。
それは、彼女が酷く
確かに、フランの持つ魔力量は絶大だ。しかし彼女には、そんな魔力を自在に行使出来る程の技術がない。簡単な魔法を発動するのも一苦労。繊細な調整を必要としない火力特化の攻撃魔法ならともかく、今回のような魔法は彼女が最も苦手とするものの一つだ。
八十年前の過去に、人をタイムスリップさせる大魔法。パチュリーとレミリアが構築したそれは、取り分け繊細な魔力の操作が必要だった。
「魔法の発動に失敗する可能性もあるし、最悪、フランまでも生命の危機に晒す事となる。そんなの……」
容認なんて、出来る訳が無い。
不確定な要素は、極力除外する必要があるのだ。既に犠牲者が出ている以上、失敗なんて許されない。だから──。
「それなら、そのフランって子でも制御できるような手段を用意してあげたら良いんじゃない?」
でも。目の前にいる、この人間は。
「その子がどの程度不器用なのかは分からないけど……」
「何を……」
何を言っているのだろう、彼女は。外の世界の人間の癖に、まるで全てを理解しているかのような口振り。素人故にそんな発想が出てきたのだろうか? ──いや、それも違う気がする。
床に描かれた魔法陣を見つめる夢美。彼女の瞳は、どこか遠くの“何か”を、見据えているような雰囲気で。
「……この魔法は、多分、もっと
「なっ……」
何かを確信した様子の口振り。そんな夢美の言葉に対して、レミリアは口を挟んだ。
「何を、分かったような事を……! 根拠は? 一体、何を根拠にそんな事……!」
「うーん……。ごめんなさい、曖昧な表現になっちゃうんだけど……。何と言うか、
「なぜか分かるって……」
何なんだその表現は。まさか本気でふざけているのだろうか。
と、一瞬そう思ったレミリアだったが。
「……いや、待って。まさか、貴方」
彼女から、妙な感覚が漂ってくる。魔法──とは、違う。だが、確かにこれは
「改良案すらも、組み立てる事が出来るというの……? まさか、外の世界の人間である貴方が、そんな『能力』を持っているなんて……」
「……そうね。私には、分かっちゃうみたい。不思議な感覚」
「貴方、本当に人間なの……?」
思わずそんな疑問を零してしまうくらいに、岡崎夢美の『能力』は強大だ。少なくとも、外の世界の人間が持ってても良い『能力』ではない。
夢美自身から魔力を一切感じ取れない事から、おそらく彼女は魔法そのものを行使する事は出来ない。その点は外の世界の人間らしい特徴と言えるが──。それ故に、却って特異性が増していると言えなくもない。
魔法と直接的な繋がりを持つ事が出来ないのに、誰よりも魔法を理解し得る『能力』を持っているなんて。ちぐはぐにも、程がある。
「……パチェを呼び戻すわ」
少しの思案を挟んだ後に、レミリアは決断する。
「パチェ……? ああ、さっきの、パチュリーって子の事?」
「ええ。詳しく聞かせて、貴方が組み立てた改良案を。そうすれば……」
少しは違った道を、見出す事が出来るかも知れない。
別に、今更生命が惜しくなった訳ではない。それが最前であるのなら、レミリアは今だって、生命を捧げる事に躊躇いなんて生じさせない。
だけど。それが、
もう一度、賭けてみるのも悪くない。
*
「……成る程ね」
気を遣って席を外したのに、いきなり呼び戻されて。何かトラブルでも起きたのかと若干辟易としたような感覚を覚えていたパチュリーだったが、そんな予感は杞憂に終わった。
いや。ある意味で、下手なトラブルよりもとんでもない事になっているかも知れないが。表面上は平静を保てているつもりだが、流石のパチュリーも内心動揺していた。
「確かに……。それなら、フランでも制御できるようになるかも」
「そう? だったらその方針で調整出来そうかしら?」
「……ええ。そう、ね。すぐにでも、可能だと思う」
「それじゃ、決まりね」
トントン拍子で話を進めるのは、先程までレミリアと二人きりだった岡崎夢美という人間だ。パチュリーが図書館に戻ってくるなり、彼女は矢継ぎ早に情報を提示してきた。
それは、パチュリーとレミリアが構築していた魔法。その改善案。初めは外の世界の人間が何を言い出すんだと思ったが、話を聞いていく内にそんな侮りなど無用だった事に気付かされる事となる。
あまりにも、的確。魔法技術的にも理にかなった改善案。レミリアやパチュリーでさえもこのようなアプローチは思いつかなかったのに、どうして彼女がそこに至る事が出来たのか。
曰く。
そんな馬鹿な。
「多分、理屈で考えようとしても無駄よ、パチェ。そういう『能力』みたいだから」
「……そうみたいね」
呆れ気味な口調のレミリアに、パチュリーは同意する。なぜ外の世界の人間がそんな『能力』を持っているのだとか、色々と興味深い部分はあるが、それを考察する暇はなさそうだ。今は、そういうものだと飲み込むしかない。
「というかレミィ。さっきから気になってたんだけど、いつものあの偉そうな喋り方はどうしたの? もう辞めたの?」
「……ちょっと、色々とあったのよ」
「色々、ねぇ……」
そう口にしつつも、パチュリーは夢美を一瞥する。十中八九、レミリアがこんな状態となった要因はこの人間が持っているのだろうけれど、だとしても色々と解せない。あの意固地だったレミリアの気をどうやって変えたのだろう、彼女は。実は想像以上に大物なのかも知れない。
「はぁ……。まぁこの際、無理矢理納得しておく事にするわ。兎にも角にも、まずは魔法の最適化ね。時間は無駄に出来ないわ」
「……気遣い感謝するわ、パチェ。流石は私の親友ね」
「別にレミィを気遣った訳じゃないけど……」
あまり深く考えても泥沼になりそうで面倒だった──という理由が大半を占める。とは言え実際、時間を無駄に出来ないのは間違っていない。早いところ、この魔法を最適化しなければ。
「そうと決まれば、早速フランを呼ばなきゃね。あの子の魔力に合わせて調整しないと」
「フラン……。そう、フランね……。それは、そうよね……」
「何だかフランに頼むのが気まずいとでも言いたげだけど、あんな態度を取り続けたレミィの自業自得だからね。腹を括りなさい」
「わ、分かってるわよ……」
全く。本当に、世話のかかる親友である。
「あ、その前に。パチュリー、だったわよね? ちょっと良い?」
「……何かしら?」
夢美に声をかけられて、パチュリーは耳を傾ける。「聞きたい事があるんだけど……」と、夢美は続けた。
「ちゆりの頼み事はどうなるかしら? 霍青娥にコンタクトを取ってくれるという事だったけれど……」
「あぁ……。その件ね」
ちゆりの頼み事というと、霍青娥にもう一度会わせてほしいという件についてだろう。宇佐見蓮子の『能力』を使ってタイムスリップを制御する為には、彼女の手解きが必要との話だった。
確かに、元々は使い魔を用いて彼女とコンタクトを取るつもりだった。しかし、レミリアもパチュリーも魔法の調整に注力するとなれば、この方法は使えなくなる。このままだと、ちゆりの頼み事を後回しにする事になってしまうが──。その点は、抜かりない。
「安心して。別の方法でコンタクトを取る事したから。と言っても話は単純で、使い魔の代わりに別の要員にコンタクトをお願いしただけだけれど」
「……別の要員?」
頷きつつも、パチュリーは続ける。
「寧ろ私の方からお願いする以前に、
そう。
彼女が何を言うつもりなのかは知らない。だが、霍青娥との間にある因縁については知っている。それを考えると、どんな行動を取る事になってもおかしくはないかも知れないが。
(……まぁ、大丈夫でしょう)
彼女の目は真っ直ぐだった。少なくとも、馬鹿な行動を取るような心配は必要ないように思う。
それに、彼女だって既にレミリアから伝えられているはずだ。八十年前。霍青娥が取った行動すらも、結局は因果の
それを認識した上での、あの目──。彼女なりにケジメをつけるつもり、なのだろう。
それならこれ以上何かを言うつもりはパチュリーにはない。当事者でもなく、彼女らの心境を深く理解している訳でもないパチュリーに、首を突っ込む権利なんてないのだから。
それなら今は、彼女の事を信じよう。
折り合いをつけた上で、未来に繋がる行動を選択してくれる事を──。
*
薄暗い室内だった。
人気のない森の中。そこにポツンと佇む家屋。寂れたその建物は、かつては木こりか何かを生業とする誰かが寝泊まりする為に利用していたのだろう。遥か昔にその本来の持主を失い、建物だけがこの場所に取り残されている。外観は植物の蔦で覆われており、整備もまともにされていない印象だ。凡そ人が住んでるとは思えない。
今となっては、全くと言って良いほど人も妖怪も寄り付かない廃屋。故に、彼女が隠れ家として利用するのに好都合だった。
外界との関わりを断つ。それが仙人としての本来の姿だ。少し前までが、特別だっただけ。
──いや。邪仙である自分は、そもそも仙人として認められていなかったか。そんなの、今更どうだって良い事だが。
(……ふっ。どうでも良い、ね……)
心の中で、彼女は自嘲する。
この数十年間、果たして自分は何度そんな諦観を抱いただろう。千年以上も前の、あの瞬間。どうしようもないくらいの失敗を自覚してから、理想の為に準備を重ねて。でも、結局
だけど。それでも尚、どうして自分は生き残っているのだろう。何の為に、生にしがみついているのだろう。この期に及んで、みっともなく──。
なんて。そんな疑問を抱く意味さえも、見失っているのだけれど。
(……そろそろ、ね)
ふと感じる気配。特徴的な霊力の流れ。ここまで露骨に何の行動も起こさなければ、そろそろあの
まさか。
「ふっ……」
しかし、それも良かろう。
彼女が自分に対してどんな感情を抱いているのか。想像するのは、酷く容易い。例え殺されても文句は言えないような事を、自分はしてきたのだから。
だから。驚きの感情は、意外と少なかった。
「──ようこそ、いらっしゃいました」
部屋の扉が開けられると同時に、歓迎の言葉を口にする。拒む事も、逃げ出す事もしない。ただ、流れるままに、この状況を受け入れて。
「レミリアさんの使いでしょう? まさか、貴方が──。いえ、寧ろこれは、必然というべきでしょうか?」
「……必然。確かに、その通りかも知れません」
彼女は。
「こちらの要件は、ある程度は察しているようですね。──青娥さん」
「ええ。それはもう、痛いくらいに」
霍青娥は、迎い入れる。
「貴方の事を歓迎しますよ。──魂魄妖夢さん」
半人半霊の女性剣士。
魂魄妖夢は、諦観していた青娥とは対象的な、活力に満ちた目を向けていた。