霍青娥。──彼女とこうして対面するのは、一ヶ月前のあの日以来だ。外の世界に『死霊』が出没して、それを何とか退けて。だけど、別の個体に進一が殺されてしまって。
あの日。妖夢に進一の死を知らせてきたのは、紛れもなく青娥だった。しかしあの時点で、彼女は既にどこか無気力な状態に陥ってしまっていたように思える。心が折れている状態、とでも言えようか。強い諦観を抱き、全てがどうでも良くなってしまっているような。そんな、雰囲気。
(……いや。もしかしたら)
それよりももっと以前に、彼女の心は既に壊れてしまっていたのかも知れない。そんな心を、『死を超越する』という信念で何とか補強して、ひた隠しにして。でも、度重なる絶対的な運命力を前に、そんな信念は打ち砕かれてしまった。
彼女は。霍青娥は既に、自らの理想を叶える事は出来なくなっている。
──少なくとも、青娥自身はそう思い込んでいる。
「さて、妖夢さん。念の為、要件をお聞きしましょうか。と言っても、凡そ検討はついていますが」
そう切り出した青娥に向けて、妖夢は答えた。
「レミリアさんの計画が最終段階に移行しています。でも、それをより磐石な状態とする為には、貴方の力が必要なんです。青娥さん」
「……私の力、ですか」
「ええ。それ故に、こうして貴方のもとまで足を運びました。──本来なら、レミリアさんかパチュリーさんの使い魔を使って貴方にコンタクトを取るつもりでしたが、生憎お二人は取り込み中なんです。ですので、私がその代役を買って出ました」
「ふふっ……。そうですか」
渇いた笑い声を上げる青娥。そんな彼女から感じられる感情は、酷く薄い。まさか本当に、全てを諦めてしまっているとでも言うつもりなのだろうか。八十年前のあの日。あんなにも強大な意志を持って妖夢達の前に立ち塞がった、あの霍青娥が。
「……貴方は」
思わず、問いかける。
「貴方は、本当に
「……それ、とは?」
とぼけるつもりか。いや、それとも本当に分かっていない?
この際、どちらでも良い。
「貴方には、理想があったはずです。例えどんな犠牲を払う事になろうとも、それでも成し遂げようとした理想が。それなのに、もう……」
「ふっ……。貴方がそれを聞くんですか」
妖夢が言葉を言い終わる前に、青娥は口を挟んできた。自嘲気味な、表情を浮かべて。
「私が何をどう思おうとも、貴方には関係のない事のはずです。貴方と私は決して分かり合えないし、そもそも分かり合う必要もない。そうでしょう?」
「……極端ですね。随分と」
「合理的に考えているだけです。それに、これは貴方の為でもある。私なんかに妙な同情心を抱く事になれば、それは足枷にしかなりません。違いますか?」
「…………」
投げやり気味の口調だが、それでも拒絶の意思が感じられる。先程は妖夢の事を歓迎する等と口にしていたが、その実、今の彼女から感じられるのは真逆の感情である。
彼女は、矛盾している。元々得体の知れない印象はあったが、今の彼女はそれとはまた違った
「意外ですね。私に気を遣っているんですか? そんなの、貴方らしくない」
「おやおや……。らしくない、と来ましたか」
「貴方はもっと、傍若無人で無理非道な人物だったはずです。悪意を抱く事もなく、他人を利用して使い捨てる。目的達成の為ならば手段を選ばない。──
「中々どうして、随分な評価ですね。まぁ、間違っていませんけど」
「貴方がこれまで取ってきた行動を考えれば、そういった評価になるでしょう。少なくとも、一ヶ月前……。こいしちゃんを誘拐し、私を脅して従えようとしたあの時までは、そういった印象があった」
そう。
少なくとも、あの時の霍青娥には、野心が感じられた。自らの手で、この理不尽な未来を否定してやろうと。手段は決して許されるものではなかったが、その意志は本物だったように思える。
でも。
「
「……
自分自身を嘲るように、青娥は答えた。
「まぁ、貴方にそんな印象を抱かせていた時点で、及第点といったところですか。少なくとも、
「……取り繕う、ですか」
「ふっ……。けれども結局、
変わらず投げやり気味な口調。直接口にはしていないが、今の彼女から感じられる感情は殆ど一つに絞られる。
どうでも良いと、そう思っているのだろうか。この未来を変える事など出来ないのだと、そう思っているのだろうか。
(そんなの……)
ぎゅっと、妖夢は思わず拳を握りしめる。
「……先に言っておきます、青娥さん」
そして努めて冷静さを保ちつつも、彼女は口を開いた。
「私は、貴方を赦せない。八十年前の、あの日。例えどんな事情があったのだとしても、貴方の所為で西行妖は満開に開花し、そして幽々子様が『死霊』として目覚める事となってしまった。それは事実です」
「……でしょうね。分かっていますよ」
「でも……。貴方の取った行動は、あくまで
「……それ、レミリアさんから聞いたんですか?」
妖夢は頷いてそれに答える。因果関係だとか、過程だとか。全てレミリアから説明された情報だった。
結果を変える為には、それに紐付く原因を変えなければならない。その過程に幾ら干渉したところで、原因と紐付いた一つの結果に必ず収束してしまう。
霍青娥の暗躍は、西行寺幽々子の覚醒と因果関係で結びついていない。故に、彼女がどんな行動を取ろうとも関係なく、西行寺幽々子の覚醒という結果に収束してしまう。
それこそが、レミリアが『能力』で観測した因果律だった。
「……成る程。それで、貴方はどう感じたんですか?」
妖夢の言葉を聞いて、今度は青娥が疑問を呈した。
「仮に私が何の行動を起こさなかったとしても、西行寺幽々子の覚醒は回避できなかった。だから、私の事は水に流すとでも?」
「まさか」
首を横に振って、妖夢は答える。
「言ったでしょう、貴方を赦せないと。因果関係がどうであれ、貴方が幽々子様を利用しようとした事実は変わらない。少なくともこの基準世界では、貴方の罪が消える事はありません」
「……ふふっ。それは結構。水に流すなど、そんな甘い事を口にしたらどうしようと思いましたよ」
満足気に、青娥がそんな事を口にする。彼女に言われるまでもなく、そんな事実だけで全てを水に流すつもりなんてなかった。
彼女の取った行動は、決して許されるものではない。幻想郷全土を巻き込む大異変。霍青娥という女性が、その引き金を引く一端になった事は否定出来ない事実なのだから。少なくとも、この基準世界においては。
「──でも。だからこそ」
そう。だからこそ、だ。
「貴方はこのまま中途半端に退場するべきではない。そんなの、私は絶対に認めない。貴方は、最後まで成し遂げるべきだ。──いや。
「…………」
「未来を、変えたいのでしょう? その為に、貴方はここまで突き進んで来たのでしょう? だったら……」
手段を選ばず、犠牲を払う事さえも厭わず。ただひたむきに、理想を追い求め続けていたのなら。
「だったら、最後まで責任を持って、走り抜けて下さい。それこそが、今の貴方に出来る唯一の贖罪です」
鋭く。妖夢はそう口にした。
我ながら随分と偉そうな事を言っている自覚はある。こんな事を言い放つ資格なんて自分にあるのかと、心の片隅でそう思う。だって他でもない、妖夢自身も、大きな間違いを犯し続けてきたのだから。
沢山の道を踏み外した。選択だって間違えた。あの時、ああしていれば。もっと自分が強ければ。少しは違う結果になったのではないかと、そう思ったのは一度や二度ではない。
(そう。私だって……)
反魂と死。あの時、ただそれを見届ける事しかできなかった自分もまた、罪を背負っている。護るべき主一人すら救えず、どうして自分だけがのうのうと生き残っているのだと。何度だってそう思った。
──多分。
「貴方はきっと、
「……後悔、ね」
「少しでも、悔いているのなら……。そう思っているのなら、尚更行動に起こすべきです」
魂魄妖夢は口にする。自分自身にも言い聞かせるように、はっきりと。強く。
「無駄にしてはいけない。なかった事にしては、いけないんです。他でもない。貴方を信じようとしてくれた、
「…………っ」
息を飲んだような。そんな表情を、青娥は一瞬だけ浮かべた。
正直。これは押しつけだ。妖夢の感じた事、思った事を青娥に押しつけている。口にした言葉に嘘偽りはないけれど、元々それほど親しくなかった相手に対して、ストレートに伝えるような内容ではない。本来ならば。
だけど。今ばかりは、伝えるべきだと。口にするべきだと、そう感じた。彼女との因縁に決着をつけ、前に進む為に。この行動は、必要不可欠なのだと。そう思った。
そんな妖夢の言葉を聞いて、少しの間、青娥は口を噤む。目を伏せた彼女がその言葉をどう捉えたのか、それは分からない。
けれど。
「……そう。貴方はまだ、諦めていないのね」
ポツリと、そう呟く。そして、伏せていた視線を上げて、再び妖夢の事を見据えると。
「貴方の想像通りですよ、妖夢さん。私は、既に……。
無気力気味な言葉の数々。しかし青娥は、「けれども……」と言葉を続ける。
「どうやら、貴方は違うようですね。全てを放棄してしまった私と違って、貴方は前を向く事が出来ている。未来を見据える事が出来ている。だから、諦めていない。可能性を、信じている」
どこか、羨望にも似たような。そんな視線を青娥から向けられる。自分にはないものを妖夢は持っているのだと、多分、青娥はそう思っている。
「貴方は私を説得しようとしているみたいですが、生憎、私の気持ちは変わりません。
「……っ、まだ、貴方は……」
「ふふっ……。残念ですが、私は最早信じられないのです。他でもない、私自身を」
変わらず自嘲気味に苦笑して、青娥はそう口にする。
彼女は。最早そこまで、追い込まれてしまっているというのか。既に一欠片ほどの希望も見い出せぬ程に、底の知れない絶望を味わってしまっているというのだろうか。
「……でも」
けれども。彼女は。
「
少し、声調が変わる。
「少なくとも、今の貴方からは“輝き”を感じます。絶対的な“死”に抗い、そして生き抜く為に必要な活力とでも言えましょうか……。それは、私は既に見失ってしまった“輝き”です」
「生き抜く為に必要な、活力……。でも、貴方だって……」
そこまで言って、妖夢は言葉を飲み込む。これ以上、知ったような口を利いた所で、そんなのは大した慰めにもならないと気づいたからだ。
引き下がり、妖夢は青娥の言葉を待つ。程なくして、彼女は口を開いた。
「多分、貴方だけじゃない。この未来を変えようと抗い続ける者達は皆、そんな“輝き”を持っている。理不尽で不条理なバッドエンドを覆し、理想の可能性を掴み取ろうとする意思。それが少しでも残されている限り、希望は潰えない──の、かも知れません」
自分には、未来を変える力なんてない。他でもない、自分自身を信じる事が出来ない。そう口にしていた青娥だったけれど。
「だったら……。賭けてみる事にします」
そこで初めて、青娥から
「未来を変えたいという貴方達の願い。運命に抗う為の希望。その“輝き”なら、理想を手繰り寄せる事が出来る。その可能性が残されている。私では、それを掴み取る事は出来ませんが……」
「それでも」と、青娥は続けた。
「責任は、果たします。貴方達が、理想の未来を掴み取る為に……。私の力を、貴方達にお預けします」
「青娥さん……」
彼女の思いは、どこか歪だ。他の誰よりも自分自身が信じられず、生きる為の活力さえも見失ったと自嘲して。全てを諦めてしまっているのだと、そんな雰囲気を漂わせている。
けれども同時に、彼女の中には諦め切れない
(この人は、やっぱり……)
恐らく、彼女の内に秘められたその
妖夢の言葉を受け止めた事で、気づいたのだろうか。自らの欲望を、捨てきれていない事に。その上で、見出したという事だろうか。妖夢達ならば、底の知れない絶望を乗り越えた上で、その先にある理想の世界に辿り着けるのだと。
(自らの、理想……。欲望を叶える為、私達はまだ
そう思ってくれるくらいが、彼女らしい。少なくとも、無気力だった先程までより、余程信頼できる。
「……判りました。一応、お礼を言っておきます。ありがとうございます、青娥さん」
「ふふっ……。そんな気遣いは結構です。貴方は私を、赦せないのでしょう? だったら都合良く利用してやるくらいの心持ちが丁度良いです」
「……そうですか」
彼女がそれを望むのなら、妖夢はこれ以上踏み込まない。自分と青娥の間には、あくまで壁がある。互いの事情を察する事は出来ても、本当の意味で分かり合える事は決してない。──少なくとも、この基準世界では。
だったら、今はそれで良い。
分かり合えずとも、ほんの少しでも彼女の心を動かす事が出来たのなら。今は、それで──。
「さて、妖夢さん。詳しく聞かせて貰えますか?」
立ち上がりつつも、青娥が尋ねる。
「私は、何をすれば良いのでしょう?」
そんな青娥に対して、妖夢は事情を話し始める。
レミリアが計画する、運命を変える方法。最終段階に移行したそれを完遂する為に必要なピース。妖夢が一通り説明する間、彼女は然程大きなリアクションは見せなかったけれど。
それでも。
霍青娥が、心の内に抱く理想。きっとそれが、この運命を変える為の大きな力になってくれるのだと。
そんな予感を、妖夢は感じていた。
*
フランドール・スカーレットという少女が自らに姉に抱く感情は、一言で言い表すのが難しい。
思えば、姉であるレミリア・スカーレットは、昔から鬱陶しい奴だったように思える。
身の丈に合わぬ程の魔力を有してしまったが故に、まともに魔法を行使する事が出来なかったフラン。幼い頃、下手をすれば暴走する可能性をはらんでいた幼いフランに対し、レミリアは彼女を
レミリアが何故そんな選択を取ったのか、今になって思い返せば判る。多分彼女は、ただ単純にフランの事を守りたかっただけだ。
強大な魔力を上手く扱えず、暴発させて。もしも、周囲に甚大な被害を及ぼす結果になってしまったら。最悪の場合、異分子として迫害されてしまう可能性も考えられる。その先に待っている結末は、どう転んでも最悪な状況に他ならないだろう。
だから。レミリアは、先手を打ったのだろう。初めから、周囲との関わりと最低限に抑えるという方法で。そうすれば、少なくとも、フランが
──そんな真意、彼女の口から語られる事はなかったが。
(……極端なんだよ、お姉様は)
そう。レミリアは、昔から自らの真意をあまり口にしない奴だった。特にフランに対しては、それが顕著だったように思える。
格好良いとでも思っているのか、それとも単にプライドが邪魔をしているのか。──いや、違う。フランに対するあの態度については、その原因をある程度察する事が出来る。
彼女は多分、過保護なのだと思う。
フランを護る。その想いが、彼女の根底に存在している。
(別に、私とそう歳が離れている訳でもない癖に……)
気に食わない。あいつにとって、自分はいつまで経っても子供扱いなのか。あいつの方が、ほんの少し早く産まれただけなのに。
──等と。レミリアの事を考えると、最近のフランはいつもこうだ。どうしても、イライラする。
その原因は明白だ。少し前に、レミリアに直接怒鳴りつけた通りである。
一方的に、勝手に一人で方針を決める。 頼まれてもいないのに、勝手にリーダー面をする。 曖昧な事ばかり言って、煙に巻いてばかりで。それで本心をひた隠しにし続ける。
そういう所が、気に食わない。
「どうせ今回も、いつもみたいに……」
「あ、あのぅ……。フラン様、やっぱり怒ってます……」
思わず呟いてしまうと、フランを先導していた一人の少女が恐る恐る声をかけてくる。そこでフランは、思わず考えが声として漏れていた事に気がついた。
「あっ……。いや、ごめん、何でもないから。別に、怒ってないよ」
「え、えっと……。それなら、良いんですけど……」
萎縮した様子を見せる彼女は、パチュリーの使い魔の一人である小悪魔だ。気にしないで良いといった雰囲気でフランは言葉を投げ返すが、それでも彼女は気まずそうな印象だった。
なぜフランがこの小悪魔に先導されているのかというと、彼女の主であるパチュリーからの頼みに他ならない。どうやら地下の大図書館にフランを連れて来いと命令されたらしいのだ。
詳しい要件は聞いていない。この小悪魔も、パチュリーと
まぁ、
──そんな苛立ちを醸し出していたから、小悪魔にも気を遣われたのだが。
(いけない、いけない……。冷静に……)
フランは努めて気持ちを落ち着かせる。
(私は、お姉様とは違うんだから)
身勝手な振る舞いで周囲を振り回すあいつとは違う──と、暗示のようにフランは自分に言い聞かせる。幾分か苛立ちを隠せたように思えた。
そんな風に心を落ち着かせていると、あっという間に図書館の前まで到着していた。
入口の扉を開けた小悪魔がフランを中へと誘導する。それに従い、フランは図書館へと足を踏み入れた。
圧倒されそうな数の本棚の森。小悪魔と共に、フランはその中を進んだゆく。何度目かの角を曲がると、程なくして開けた空間に辿り着いた。
実は図書館のこんな奥まで足を運んだのは結構久しぶりだったりする。いつの間にこんな開けた空間を作ったのだろうと思っていると、ふと地面に描かれた巨大な魔法陣が目に入った。
見た事のない魔法陣だ。レミリアのいう計画の一端なのだろうか。だとすれば、彼女はまたフランに黙って何かを画策していた事になる。この期に及んで、まだ隠し事が増えるのだろうか。
(あいつ……。本当に、どういうつもり……?)
抑えたはずの苛立ちが再び膨らむ。折角冷静になれたのに、これじゃ台無しだ。
と。フランがそんな感情を抱いた直後の事だった。
「ようやく戻ってきたわね、小悪魔」
そう口にしつつも、奥から一人の少女が現れる。この小悪魔を使役する主、パチュリー・ノーレッジである。そんな主の姿を確認した後に、小悪魔は姿勢を整えた。
「パチュリー様。フラン様をお連れしました」
「ええ。ご苦労様。フランも悪かったわね。態々図書館まで来てもらって」
「……それは、別に構わないけど」
フランはちらりと姿勢を逸らす。パチュリーのすぐ後ろ。彼女と共に現れたもう一人の少女へと抜けて、フランの視線は注がれた。
「私に何の用? ──お姉様」
「…………」
レミリア・スカーレット。何の用? というフランの問いかけに対し、彼女の最初の答えは沈黙だった。
どこか、物々しい雰囲気。一体何のつもりだろう。どうせまた、いつも通りにあの仰々しい口調で、偉そうな言葉を並べる癖に。
「ほら、レミィ。黙ってないで、貴方から説明しなさい」
「……」
嘆息混じりにパチュリーがそう促す。それでもレミリアは中々口を開かないのだから困りものだ。
本当に、一体何なんだ。今度は何を考えているんだ? この期に及んで──彼女は、まだフランを除け者にするつもりなのか。
「……ふざけないでよ。あんたは、また……!」
──と。悪態が言葉として現れそうになった、その次の瞬間。
「……フラン」
名前を、呼ばれる。
「えっ……?」
思わず少し間の抜けた声を上げてしまう。喉まで出かかっていた言葉を、飲み込んでしまった。
レミリアと視線がぶつかる。これまでとはどこか違う、そんな雰囲気を彼女は漂わせていて。
「私は、ずっと……。貴方の事を、 守り続けていたつもりだった」
ぽつりぽつりと、レミリアは語り出す。
「私以上に絶大な魔力をその身に宿しながらも、貴方はそんな魔力の制御が覚束無くて。一歩間違えれば、自分自身すらも滅ぼしてしまいそうで。──そんな貴方の事が、私は心配だった」
噛み締めるような口調で、レミリアはそう語る。その言葉には、どこか後悔の色が浮かんでいるようにも思えて。
「なんて、結局は自己満足だったけれどね。貴方を守っているつもりになって、
「お姉、様……?」
「……怖かった。そう、怖かったのよ、私は。
「……っ」
なんだ、これは。
面食らった、という言葉がここまで文字通りなのも珍しい。予想とも違うレミリアの言葉と雰囲気に驚き、正直フランは焦っている。どういう風の吹き回しなのだと、そう思わずにはいられない。
でも。
(……お姉様は)
嘘は、ついていない。ずっとフランが感じ続けていた偽りの仮面を、今の彼女は脱ぎ捨てている。
だから、何というか、少なくとも。
多少なりとも、溜飲を下げる事が出来た、とでも言えようか。
今は少し、落ち着いている。
「……だから、それで?」
それでも素直になれない心持ちのまま、フランは口を開く。
「今更そんな事を口にして、一体どういうつもりなの? 今までの事を私に謝って、それで許して貰うつもり?」
「……そうね。それも少し考えたけれど……」
そしてレミリアは、改めてフランに向き直って。
「薄っぺらい謝罪の言葉を並べた所で、貴方は納得しないでしょう?」
「……へぇ。
困惑をひた隠しにしながらも、フランはそう口にする。実際、レミリアの言う通り、ここで薄っぺらい謝罪をされたとしても、フランは何も納得なんてしなかっただろう。
ずっと、ずっと。今の今まで、あんな態度を続けていた癖に。今更何なんだと、そう思わずにはいられなかっただろう。
そう。フランドール・スカーレットが求めているのは、謝罪の言葉なんかじゃない。
彼女がずっと、欲しかった言葉は──。
「もう、止めるわ。貴方を甘く見る事も、貴方を見下すような真似も。意識的だろうが、無意識的だろうが、そんなのは一切関係なく」
自らの胸に手を添え、心の内を確かめるように、レミリアは続ける。
「──フラン」
もう一度、その名前を口にして。
「お願い。貴方の力を貸して」
フランの事をしっかりと見据えて、彼女は告げる。
「私には、貴方が必要なのよ」
──本当は、フランだって判っていた。どうして、レミリアがあんな態度を取っていたのか。何故あそこまで頑なに、
けれども。それでもフランには、受け入れられなかった。
判ってしまうから。レミリアが、たった一人で全てを背負い込もうとしている事も。傷つくのは、自分一人だけで良いと。そう、
気に食わなかったのだ。自分一人が傷つけば、他の誰かが傷つかずに済むと。そんな傲慢な思いを抱いている事が。
自分一人だけが、傷つけば良い? ──馬鹿だ。
そのやり方じゃ、必ず救えない誰かが出てくるじゃないか。
(……でも)
今の彼女は、口にした。フランの力を貸して欲しいと。フランが必要なのだと。──たった一人で、全てを背負い込もうとしていた、あのレミリアが。
フランが、ずっと、最も欲しかった言葉を──。
「…………」
「……ふ、フラン?」
無言で近づく。レミリアがちょっぴり戸惑った声を上げているが、そんな事はお構いなしに。
そして。
「……遅いよ。本当に、遅すぎる」
「……っ。ええ、そうね。否定はしないわ」
「だけど……。ギリギリ……、本当にギリギリ、及第点かな」
目を見て話す──のは、ちょっぴり気まずい。だから思わず逸らしてしまうのだけれども、それでも。
「その言葉、待ってたんだから」
フランは、言葉を口にする。
「仕方がないけど、力を貸してあげる」
分かっている。素直じゃない事なんて、自分でも重々承知だ。──素直になれないというその一点においては、自分もレミリアの事をとやかく言える立場ではない。
だけれども、まぁ、おあいこだろう。このくらいは。ずっと素直に気持ちを伝えてくれなかったのは、レミリアも同じなのだから。
「フラン……」
何かを言いたげな様子でレミリアに名を呼ばれる。けれども彼女も、結局何も言葉に出来ずに言い淀んでしまっている様子だった。
傍から見れば、何て面倒くさい姉妹なのだろうと思われそうな状況だ。事実、パチュリーには半ば呆れ気味の視線を向けられている。今にも嘆息を漏らしそうな表情だ。
けれども、仕方がないじゃないか。もう何年、何十年もこの調子だったのだ。そんなにもすぐに態度なんて変えられる訳もなく。
(そうだよ、仕方ない……。悪いのは、お姉様なんだから)
などと心の中で他責にして、気まずい雰囲気を紛らわす。バツが悪そうな雰囲気を、レミリアに悟られぬように。
平静を、装って──。
「仲直りは済んだ?」
「うわっ!?」
いきなり知らない声が流れ込んできて、フランは思わず飛び上がってしまった。
弾かれるように顔を上げる。いつの間にそこにいたのか、フラン達の傍に立っていたのは、やっぱり見知らぬ女の人だった。
人間の女性、だと思う。全体的に、やたらと真っ赤な装いである。いや、自分も人の事を言えないくらい真っ赤な服装だが、この女性の場合は髪の色も相まって更に赤い印象だ。
──いや、本当に誰なんだこの人。服装的に、幻想郷の住民でもないような。
「ちょ、ちょっと貴方! なに急に口を挟んできてるのよ!? もうちょっと空気を読みなさいよ空気を!」
「空気を読んだ上で口を挟んだのよ、私は。このままじゃ埒が明かなそうだったじゃない」
ムキになって文句を口にするレミリアに対し、真っ赤な女性は呆れ気味に肩を窄める。随分と馴れ馴れしい態度だが、レミリアの知り合いなのだろうか。
「えっと……、貴方は……?」
「うん? あー……。いや、そういう反応になるわよね、ごめんなさい。自己紹介するわね」
こほんと一つ、彼女は咳払いを挟んで。
「私の名前は岡崎夢美。魔力を研究する物理学者よ。よろしくね、スカーレット家の妹令嬢さん」
「は、はあ……。よろしく……?」
握手を求められたので、反射的に握り返す。同時にふと、脳裏に何かが引っかかった。
(岡崎……?)
最近、聞いた事のある苗字だ。確か──。
(計画のためにお姉様が見殺しにしたっていう、男の人……。その人の苗字も、確か……)
岡崎、だったような気が。
いや、偶然同じだった可能性もあるが、まさか。
「その人は外の世界の人間よ、フラン。私達の協力者ね」
フランが考えを巡らせていると、そう口を開いたのはパチュリーだった。
外の世界。だとするとやはり、フランの想像は間違っていないように思える。この人は、『死霊』に殺されたという青年の親族か何か、だと思う。殺された青年が以前に話した蓮子と同じ年齢だとすると、この人は恐らく姉にあたるのだろうか。あくまで見た感じの印象から、だが。
だとすると。
「え、えっと……。貴方は、その……」
そこまで言いかけて、フランは口をつぐんだ。
何を聞こうとしているんだ、自分は。初対面の人に対して、いきなり聞くような内容ではないだろう。『死霊』に弟を殺されたのか、なんて──。
「……ひょっとして、私に何か気を遣ってる?」
「レミィの所為ね」
「……は!? な、何でよ……!?」
「フランの件に関しては、大体レミィが起因してると思うんだけど」
「それ、は……! 言い返せない、かも……」
フランが言い淀んでいると、それに気づいた夢美達がそんなやり取りを交わしている。レミリアの所為、というパチュリーの言葉は強ち間違ってはいないが、そもそも元を辿れば原因は『死霊』という存在にある訳で。
上手く、次の言葉が出てこない。どういう表情をすれば分からない、とでも言えようか。
「進一……私の弟の事を気にしてるのなら、気遣いは不要よ」
「えっ……?」
迷っていると、夢美の方から先にそんな事を口にしてきた。
本当に、もう何でもない事のように。夢美は続ける。
「別に私は恨んでなんかいないわ。あなたのお姉さんの事も、勿論あなた達の事もね。──見殺しにしただとか、確かに客観的にはそんな状況だったのかもしれないけれど、だからと言ってあなた達に恨みを向けるのも間違っている」
「……っ」
「なーんて、レミリアにも同じ事を言ったんだけどね。兎にも角にも、何も気にする必要なんてないってこと! あなた達の事情だって、多少なりとも理解しているつもりだから。理想の結末を手に入れるために、今は一緒に頑張りましょう?」
「う、うん……」
あまりにもからっとした物言いを前にして、フランは頷く事しか出来ない。初対面故に、彼女の心境を完璧に理解する事なんて出来ないが、少なくとも
にも関わらず、彼女が見せる態度は前向きだ。表面上だけを取り繕っているだけではないように思える。少なくとも、彼女が口にしたのは心からの言葉だったのだと、フランはそう感じた。
(……お姉様が急に態度を変えた理由も、この人にあったりする?)
態々確認するつもりはないが、それでもそんな印象がこの女性から感じられた。
「さて! 私の自己紹介も済んだ事だし、色々と細かな話に移りましょう。レミリアとパチュリーもそれで良い?」
「ええ。もう待ちくたびれてたくらいよ。そうでしょ、レミィ?」
「私にそんな同意を求めるのはおかしくない……? まぁ、本題に入るのは同意だけど……」
誰かに押されているという、最近の態度からは珍しい様子のレミリアとは対照的に、パチュリーはクールな印象だった。若干呆れているようにも感じられる。
まぁ、姉妹間の面倒くさいやり取りを長々と見せつけられて、パチュリーのようなリアクションになるのも分かる。フランだって同じ立場なら似たような態度になりそうだ。
ともあれ。
フランも、そしてレミリアも。間違いなく前に進めている。絶望的なこの状況の中、それでも出来る限りの最前に、手が届く。
このふざけた結末を覆す。理不尽な運命とやらを破壊する。
かつて、フラン達の手の中に、確かにあった可能性。それを取り戻す為のピースが、今。揃いつつある──。
めちゃくちゃ更新遅れてしまってすいません。
時間を見つけて粛々と続きを書いていこうかなと思う所存でございます。
コメント等を付与してくださった方々、ありがとうございます。