レミリア達が魔法を行使しようとする、ほんの少し前の事。
紅魔館の正門。門番である紅美鈴は、今日という特別な日でも何時も通りの責務を果たしていた。
紅魔館の地下。そこに存在する大図書館。レミリアとパチュリーが共同で魔法を構築し、その魔法を行使して外の世界の人間──マエリベリー・ハーンと、宇佐見蓮子を過去に送る。その計画を実行する日だとは、美鈴も聞いている。
とは言え、美鈴は魔法には詳しくない。例え同席したとしても、何の役にも立たずに終わってしまうだろう。ただそこに突っ立っているだけで、蚊帳の外のような状態になってしまう事は想像に難くない。
それならば、適材適所だ。レミリア達が計画を遂行している間でも、紅魔館への侵入を試みる不届き者が現れるかも知れない。そう考えると、門番という役割を放棄する事は出来ない。
紅魔館の門番は、美鈴がずっと勤めてきた大切な役割だ。そういう意味でも、美鈴が取るべき選択肢は一つだった。
いつも通り紅魔館を守護して、レミリア達の計画を邪魔させない。それこそが、今の美鈴が成すべき責務だ。
──とは言え。
(お嬢様、大丈夫かな……?)
やはり、どうしても気になってしまう。レミリアの意志を汲み、深掘りする事は避けてきたが、それでも彼女が無理をしていた事は何となく察していたから。これ以上の無茶をしないかと、そんな心配が胸中にある。
まぁ、そればかりが気になるが故に、普段は感じる眠気が湧いてこず、結果として居眠りを避ける事が出来ている訳だが。あまり褒められる状況ではない。
「あのぅ……、美鈴さん?」
「……ん?」
考え事をしながら門の前に立っていると、不意に声をかけられた。
美鈴の背後。つまりは紅魔館側だ。振り返ると、そこにいたのは遠慮がちな表情を浮かべる一人の少女。
「珍しい……。どうして、貴方がここに?」
彼女は、パチュリーが使役する使い魔の一人である。
力の弱い悪魔だとは聞いた事があるが、詳しい身分は美鈴も知らない。使い魔として契約する都合上、名前を含む情報は契約者であるパチュリーにしか明かせないだとか、そういった事情を軽く聞いた事はあるが、正直あまり理解出来ていない。とは言え、普通に接する分は意外と不自由もないし、そういうものなのだと納得しておく事にしていた。
そんな彼女が、何故か紅魔館の正門まで足を運んでいる。普段はパチュリーの部下兼、司書的な立ち位置である故、地下の大図書館にいることが殆どなのだ。
故に、珍しいと。美鈴は口にしたのだが。
「そ、その……。大事な魔法を行使するから、邪魔をするなとパチュリー様に言われてしまって……」
彼女──便宜上、他の面々からは小悪魔と呼ばれている少女は、おずおずと言った様子で美鈴にそう答える。
邪魔をするな、という事は。
「……厄介払いされたってこと?」
「あ、あはは……。そうとも言う、かも知れません」
「成る程……」
何ともリアクションに困る。パチュリーも存外、自分の使い魔には容赦がない。
「え、えっと……。あ、あんまり気にしちゃ駄目ですよ! パチュリー様だって、きっと悪気があった訳ではないと思うし……」
「あ、それは判ってます。でも、手持ち無沙汰になっちゃって、暇だなぁ、と」
「……暇?」
「それで、美鈴さんの様子を見に来たんです。いつも居眠りしてるみたいですし、今日もそうなら叩き起さないとかなって……」
「…………」
あまり気にしてなさそうだった。と言うか、意外とはっちゃけている印象だった。暇だから美鈴を叩き起こそう等と──。
まさか彼女にまでそんな印象を抱かれてたなんて。いや、日頃の自分の行いが悪いのだが。
「ふ、ふん! お生憎様、今日は全く眠くないので! 寧ろ目が冴え切っちゃってるくらいなので……!!」
「えっ……? あ、ご、ごめんなさいっ。何か、癇に障るようなこと言っちゃいました……?」
「まさかの無自覚……!? い、いや、まぁ元を辿れば私の自業自得なので、小悪魔さんがあまり気にする必要はないと言うか……」
ちょっぴりムキになって見ると、慌てた様子で小悪魔に謝られた。微妙に失礼な物言いだが、それでも気が抜けてしまった。怒る気が失せてしまう。──いや、美鈴が怒るのもそれはそれでおかしいのだが。普段から居眠りなんてするなという話である。
「……そういえば。ちょうど良い機会だから、貴方にちょっと聞きたい事があるんですけど……」
これ以上続けても泥沼になりそうだったので、美鈴は話を変える事にした。首を傾げながらも、小悪魔は答える。
「聞きたい事、ですか?」
「ええ。……レミリアお嬢様って、今はパチュリー様とご一緒……ですよね?」
「え? まぁ、そうだと思います。昨晩から、ずっとご一緒だったみたいですよ。レミリア様だけではなく、フラン様と……。あと、昨日の人間のお客様も、ずっと図書館に籠り切りだったみたいです」
パチュリー以外もレミリアと一緒だったのか。昨日の人間のお客様、が誰を示しているのかは気になったが、美鈴が聞きたいのはそこじゃない。
「……小悪魔さんから見て、お嬢様の様子、どうでした?」
「どう、と言うと……?」
「率直に感じた事を聞きたいんです。何というか……。最近のお嬢様、少し危うい印象があって……。何か、無茶な事をしようとしてるんじゃないかなと……」
これまでの小悪魔の口ぶりから察するに、彼女も恐らく計画の具体的な
あくまで勘だが、美鈴の感じる心配の要因はそこにある気がする。目的の達成をする為なら、どんな選択も厭わないような凄みが彼女にはあった。それこそ、自らの身を危険に晒すような事も──。
「……確かに最近のレミリア様は、どこか強引というか、
そこで小悪魔は、軽く首を横に振って。
「今朝のレミリア様は、少しだけ印象が違いました。何というか……。ほんの少しだけ、立ち振る舞いが軽くなったような。そんな気がします」
「立ち振る舞いが、軽く……?」
「だから、そんなに心配はいらないと思いますよ」
美鈴が何かを口にする前に、小悪魔は言った。
「レミリア様なら、きっと大丈夫です。……なんて。私から言われても、説得力はないかもですが……。でも、美鈴さんだって、レミリア様の事は信じてるんですよね?」
「それは、勿論っ」
「だったら、その思いを大切にしてください」
美鈴を、尊重するように。あるいは、自分自身に言い聞かせるように。小悪魔は続けた。
「今の私達に出来る事は、レミリア様を信じる事だけです。それなら、私は……。
「小悪魔さん……」
──まさか、彼女にそれを気づかされるなんて、思いもしなかった。
美鈴だって、レミリアの事を信じている。この結末を塗り替えたいという彼女の思いを、信じている。この思いは、揺らぐ事はない。
門番である美鈴は、友人であるパチュリーや、妹であるフランほどレミリアの事を理解出来ていないのかも知れない。だけど、それでも。
(お嬢様……)
美鈴だって、美鈴なりにレミリアの事を理解しているつもりだった。
(お嬢様なら、きっと……。最良の運命を、手繰り寄せてくれるはず)
それなら、小悪魔と同じだ。
美鈴だって、全うする。レミリアの事だけは、最後の最後まで信じきって見せる。
「……よしっ!」
パンッと。自らの両頬を叩いて、余計な雑念を吹き飛ばした。
「ありがとうございます、小悪魔さん。お陰で色々と吹っ切れました」
「そ、そうですか? お役に立てたのなら良かったですけど……」
「ええ、そりゃあもう! バッチリですよ!」
グッと。サムアップを見せながらも、美鈴はそう答えた。
これから、レミリア達は地下の図書館で大魔法を行使する。そして、異変解決の鍵を握る人間の少女達を、過去の幻想郷に送る。
彼女達が過去を変える事に成功すれば、この結末だって覆せる。希望を掴み取る事が出来る。
そう信じて、美鈴は美鈴の出来る事を貫き通せばいい。
ただ、それだけの事だった。
(そうだ。私は……)
──そう、決意を新たにした。
次の瞬間だった。
「……っ、え……?」
不意に、感じる違和感。美鈴は、弾かれるように振り返った。
紅魔館とは、逆の方向。霧の湖へと続く道。その奥。──何か、嫌な気配がある。思わず身体中が粟立って、緊張が一気に駆け抜けるような。そんな感覚。
美鈴の持つ『能力』は『気を使う程度の能力』。体内のエネルギーやオーラを力に変換する事に長けた『能力』だが、それ故に人一倍そういった感覚には敏感だ。
気の流れ、とでも言えようか。
「まさかッ……!」
いや、だとしても。どうしてこのタイミングなんだ。
こんなにも、大事な時に限って。
「美鈴さん……?」
急に態度を変えた美鈴を前にして、不安そうな声色を上げる小悪魔。彼女に対して、美鈴は答えた。
「……『死霊』です。奴らが幻想郷に現れた、みたいです」
「えっ……し、『死霊』ッ!?」
慌てた様子で、小悪魔は声を上げる。その横で、美鈴は息を飲む事しかできなかった。
(距離は、まだ離れている……?)
冷や汗が頬を滴り落ちる。恐らく、『死霊』の数は複数体。どこから現れたのか、そこまでは判断出来ない。そもそも紅魔館に向かっているのか? 一体何を嗅ぎつけて、連中はそこに
(お嬢様……)
レミリア達を、邪魔する可能性が存在しているのなら。
「……小悪魔さん。お嬢様達の事をお願い出来ますか?」
「えっ……?」
警戒心を強めたままで、美鈴はそう声をかける。
「私が感知出来たくらいです。お嬢様やパチュリー様も、すぐその存在に気がつくはず。……それでも、当初の計画を続行して欲しい、と。そう伝えてくれますか?」
「わ、私が、ですか……? あの、美鈴さんは……」
「私は『死霊』を何とかします」
「……ッ!?」
絶叫した様子の小悪魔。それでも構わず、美鈴は続けた。
「お嬢様達の邪魔をさせる訳には、いきませんから」
迷う事なく、美鈴はそう言い放った。
美鈴は門番だ。紅魔館を──レミリア達を護る義務がある。それならば、ここで動かないなんて選択肢は有り得ない。
紅魔館に『死霊』を近づけさせない。今の自分の力が、どれほど通用するかは分からないが──。それでも。
「そ、そんな……! 危険です! たった一人で、『死霊』の相手をするなんて……!」
「でも、他に選択肢なんて残されていないはずです! 迷っている暇もない……!」
反対気味の小悪魔を押し切って、美鈴は半ば強引に行動に移す。
「頼みましたよ、小悪魔さん……! お嬢様達をよろしくお願いします!」
「あっ……! ま、待って下さい! 美鈴さん!」
呼び止められるが、振り返らない。そのまま『能力』を使って身体中に気を行き渡らさせ、その爆発力を利用して一気に駆け出した。
向かう先は、『死霊』の気配。例え、無謀だと止められたとしても、美鈴は引き返さない。
もう、うんざりなのだ。これ以上、『死霊』に好き勝手されるなんて事が。──誰かが、『死霊』の犠牲になるなんて事が。
(だったら、私が……!)
止めてやる。
門番としての底力を、『死霊』に見せてやる時だ。
*
そして、現在。
小悪魔からの報告を聞いて、レミリアの中にも緊張が走っていた。
このタイミングでの『死霊』の出現。そして美鈴が、たった一人で飛び出していってしまった事。慌てふためく小悪魔の説明は要領を得なかったが、状況は充分に伝わってきた。
図書館に集まった一同が、一瞬だけザワつく。誰もが、事の深刻さ瞬時に理解した様子だった。
「……確認したわ」
そんな中。比較的冷静に行動を起こしていたパチュリーが、口を開いた。
「この霊力は間違いなく『死霊』ね。レミィも気づいているでしょう?」
「……ああ。そのようだな」
レミリアは頷いて答える。
紅魔館から距離はある。だが、確かに感じるこの嫌な霊力──。『死霊』のものであると考えて間違いない。
忘れるはずもない。この
「まさか、夢想転生結界が……?」
「──いえ。そっちは一先ず大丈夫。ちょうど別の使い魔を使って蘭に確認したけど、夢想転生結界は
器用にも魔法を行使し続け、使い魔とのコンタクトを続けつつも、パチュリーは状況を説明した。
「少し前、外の世界に『死霊』が現れたのと同じパターンね。西行寺幽々子の本体は結界で抑え込む事は出来ても、際限なく溢れ出る呪力の全てを塞き止める事は出来ない。絶対的な“死”の呪いが結界から漏れ出して、『死霊』として現界に固定化される。本体とは結界で隔てられているけれど、それでも西行寺幽々子の眷属である事は変わりないから、その行動原理はたった一つに帰結する」
それは即ち、生命そのものの絶滅。
ただ無差別に、生命あるものを殺し続ける。放っておけば、この人数が集まっている紅魔館に標的が向くのも時間の問題だ。
そんな状況で美鈴が真っ先にこの自体に気づけたのは、紅魔館の地上かつ正門で待機していた事と、何よりも彼女の特性上、気配の変化を敏感に察知する事に長けていたのが大きい。居眠り癖は困りものだが、紅魔館の門番としての能力は伊達ではない。
とは言え。
「クソッ……。あのバカ、一人で突っ走りやがって……!」
苦しげな表情で思わずそう零したのは、霧雨魔理沙だ。底の知れないやるせなさを感じている様子で、彼女は焦燥を露わにする。
しかしそんな状態で、魔理沙は真っ先に動いた。帽子を深く被り直して、近くの本棚に立てかけていた箒を手に取って。
「魔理沙、どこへ……?」
「決まってんだろ! 美鈴を追う!」
声をかけてきた妖夢に対して、間髪入れずに彼女は答えた。
「たった一人で『死霊』に立ち向かうなんて無謀すぎるだろ……! それが例え合理的な選択なのだとしても、みすみす生命を捨てに行くようなもんだ!」
語気が少し強くなっている。迷う暇すらない様子だった。
レミリアだって同意見だ。幾ら美鈴とは言え、あまりにも無謀すぎるのではないか。何の躊躇いも葛藤もなく生命を奪うような連中を相手に、立ち向かおう等と。幾ら美鈴とは言え、自殺行為にも等しい。
「……止めてくれるなよ、妖夢。お前なら、『死霊』の危険性は嫌ってほど理解しているはずだろ。だったら──」
「判ってる。……だから、私も行く」
制止してくるであろう妖夢を先んじて振り払おうとしていた魔理沙だったが、当の妖夢の反応はまるで正反対だった。
魔理沙を止めるどころか、彼女に同調するような反応で。
「私だってこれ以上、『死霊』に……。幽々子様に、誰かの生命を奪って欲しくない。美鈴さんの事も、絶対に死なせない」
「妖夢、お前……」
妖夢の意志は固い。魔理沙と同じか、それ以上。彼女もまた、『死霊』を止める事を心に決めている。これ以上、自らの主の暴挙を広げまいと、必死になっている。
そして。決意を固めたのは、彼女達だけではない。
「妖夢が行くのなら、私も行くよ」
そう名乗り出たのは、古明地こいしだった。
彼女はまるで、何てこともないような事であるかのように。ごく自然に、一歩前へと出て。
「前に、外の世界で一緒に『死霊』を退治した事もあったよね? あの時はお空も一緒だったけど……。それでも実績はある訳だし、私と妖夢ならある程度渡り合えると思う」
「……確かに、こいしちゃんも一緒なら心強いけど」
少しだけ遠慮気味な反応を見せる妖夢。彼女に続くような形で次の言葉を投げかけたのは、北白河ちゆりだった。
「……行けるのか? こいし」
「……うん。最初に言っておくけど、私だって死ぬつもりはないから。だから絵里子達は、当初の予定通りに計画を進めて」
こいしはそう言い放つ。みすみす、『死霊』に殺されに行くつもりはないのだと。
彼女は、勝利を確信している。美鈴を助け、自分達が『死霊』を足止めしているその間に。レミリア達が計画を遂行して、過去と未来を変えてくれるのだと。そう、信じてくれている。
だから。
「お、お姉様……、私も……!」
「……いや。フランドール、お前は動くな」
居ても立ってもいられないと言った様子で動こうとするフランに対して、レミリアは続ける。
「今のこの魔法を起動させるには、お前の存在が不可欠だ。私達は当初の予定通りに進めるぞ」
「で、でも……!」
「──聞き分けなさい、フラン!」
不服気味なフランだったが、レミリアは半ば強引に彼女の言葉を遮った。
「美鈴の思いを無駄にしないで! 私達は、私達しか出来ない事を全うするのよ……!」
「……ッ」
言い聞かせるような口調。フランだけでなく、自分自身にも。
どうしても、心の奥底では思ってしまう。助けに行きたいのだと。放っておくなんて有り得ないのだと。
けれどもそれ以上に、今の自分に出来る事、自分達にしか出来ない事が存在するのだと。そして、今はそれを真っ先に遂行するべきなのだと。それも理解しているから。
だから、レミリアは無理矢理にでも呑み込む。強引にでも、自分自身を納得させる。
美鈴だけじゃない。
今日、この瞬間まで積み重ねてきた皆の思いを、無駄にしない為に。
「懸命な判断ですね」
そんな中で、それまで黙っていた霍青娥が、そんな評価を下す。
比較的、冷静な立ち振る舞いのように見える。客観的に状況を分析した様子で、彼女はレミリアを一瞥すると。
「レミリアさんの言う通り、今は各々が出来る事を全うするべきでしょう。魔理沙さん、妖夢さん、こいしさんが『死霊』を処理するとして、他のメンバーはこの魔法の起動、及びその補助に専念するべきです」
「……そうね。青娥の意見は間違っていないと思うわ」
青娥に同調したのは岡崎夢実だった。慎重な様子で考え込みつつも、彼女もまた口を開いて。
「どっちみち、私とちゆりは戦えないし……。パチュリーとレミリア、そしてフランはこの魔法を発動させる為の要よ。今はこの魔法陣から動くべきではないわ」
「へぇ……? まさか、貴方が真っ先に賛成してくれるとは意外でした」
「そう? まぁ、確かにあなたはこれまで色々とやらかしてきたみたいだけど……」
改めて青娥に向き直りつつも、夢美は続けた。
「他に目的があったとは言え、あなたは妖夢やメリーを診てくれたし、ちゆりにだって力を貸してくれた。そして今は、こうして私達に協力してくれている。そういう意味では、感謝こそすれど、私は別に恨んだりなんてしていないわ」
「……そうですか」
きっぱりと言い放つ夢美。そんな彼女を前にして、青娥はバツが悪そうにしていた。
何と言うか。本当に彼女は、相変わらずだ。昨日のレミリアに対する態度と変わりない。青娥があのような反応になってしまうのも判る。──とは言え、夢美の言葉は正しい。今はこの魔法を起動させる事が最優先。その為にも、レミリア達は動くべきではない。
青娥と夢美の後押しもあり、不服そうだったフランも納得してくれたらしい。それでも思うところはある様子だが、飲みこんでくれた様子だった。
「では、決まりですね。私達は早速、美鈴さんの後を追います」
「……ああ、少しお待ち下さい、妖夢さん」
話は決まったといった様子で踵を返そうとする妖夢だったが、そんな彼女を青娥は呼び止める。何事かと振り返る妖夢に対して、青娥はそれまで肩に背負っていた荷物から何かを取り出しつつも、彼女に近づいて。
「……
「……っ。これは……」
青娥が取り出したのは、一本の直刀だった。
古い刀だ。レミリアはあの手の武器には詳しくないが、相当な業物であるという事は何となく判る。魂魄妖夢が元々使っていた二本の剣とは種類が違うように見えるが、仄かに霊力に近い力が宿っているようにも思える。──すぐに掻き消えてしまいそうな程に、微弱ではあるが。
「丙子椒林剣。豊聡耳様が苟且の体として利用した宝剣です」
「……!」
「既にその役割を失い、殆ど普通の佩刀に等しい剣となってしまっていますが……。それでも、貴方の力になってくれるはずです」
豊聡耳──聖徳王のその名前を耳にした妖夢が、目を見開く。思わずと言った様子で自らの剣に触れつつも、彼女は改めてその剣に向き直って。
「……貴方が、持っていたんですね」
「ええ。……本当に、恐縮ですけれど」
「……これを、私に?」
「はい。その七星剣を貴方に託した豊聡耳様なら、きっと同じようにするはずだと……」
そこまで言って、青娥は一瞬だけ口籠る。
「……いえ。
「……」
「けれど……それでも、貴方に託したい。私の勝手な妄想だと笑ってくれても構いません。だから……」
「……青娥さん」
彼女の名前を口にして、妖夢は手を伸ばす。そして差し出されていた剣を、受け取って。
「お預かりします。神子さんの分まで……なんて、私だってそんな偉そうな事は言えませんが……。私なりに、背負わせていただきます。神子さんの思いを……」
毅然とした態度で、妖夢は青娥にそう告げていた。
豊聡耳神子。彼女と妖夢達との間にどのような関係が形成されていたのか、レミリアは詳しく知らない。『運命を操る程度の能力』で可能性世界を観測できたとしても、人と人との繋がり全てを把握出来る訳ではないから。──けれどそれでも、察する事くらいなら出来る。豊聡耳神子という聖人が、彼女達にとってとても大きな存在であるという事くらい。
思いは、繋がった。
『死霊』の出現などという逆境すらも跳ね返す程の、強い思いが──。
「──よし。ならば、始めるぞ!」
改めて、気合いを入れ直して。レミリア再び皆を仕切る。
「お前達三人は、美鈴と合流して『死霊』を止めろ! そして……」
向き直る。この計画の要となる、二人の少女へと。
「聞いていたな? お前達二人を過去に送る事は変わらん。予定通り、計画を遂行するぞ」
八雲紫の忘れ形見と、その親友。『死霊』の出現という状況を前にして、二人の少女が抱いた覚悟に悪影響がないかと心配していたのだが。
マエリベリー・ハーンは、少し不安げな表情。けれども隣の宇佐見蓮子が、メリーと繋いだままの手をぎゅっと握って。
「ええ。大丈夫です、進めて下さい」
動揺なんておくびにも出さずに、彼女は言った。
「バッドエンドを覆す……。私達はただ直向きに、それを目指して突き進むだけです!」
迷いなんて、微塵も感じられない。この程度の絶望なんて恐るるに足らずなのだと、そう言いたげな表情だった。
そんな彼女に触発されて、メリーも胸中に残った不安感を払拭した様子だった。意を決して、毅然とした表情で前を向き直す。
杞憂だった。覚悟を決めた彼女達は、レミリアが思っているよりも強い。この程度では心は折れないという事か。
それならば、レミリア達の方が彼女らの覚悟に答えなければ。他でもない、彼女達自身が、未来を変えたいという希望を胸に抱いてくれているのなら。
(私達だって、こんな所で挫けてなんていられない)
誰も死なないし、死なせない。自分自身も含めて、これ以上の犠牲なんて出してたまるか。
強欲だと言われても構わない。それでも、全ての希望が叶えられた、最善の未来を掴み取る為に。レミリア達は、全身全霊の力の限りを尽くすだけだった。
*
文字通り、身の毛がよだつような感覚だった。
紅美鈴が『死霊』と対峙したのは、これが初めての経験という訳ではない。過去に何度かその存在を前にして、実際に交戦した経験もある。だがそれでも、
呪いの一瞬なのだと、そう聞いた事がある。絶対的な“死”というモノは、生命あるものが持つ結末としての“死”とは、少しだけその意味が異なる。より上位の概念、とでも表現できようか。単純に他の妖怪と交戦するのとは訳が違う。
本能的な忌避感が、胸の奥から勝手に溢れ出てくる。アレと正面からぶつかり合えば、殺されるのはこちらの方だと。まともにやり合ってはいけないのだと。
恐怖心にも似た感覚。正直、気持ちが悪い。逃げるべきだという警鐘が、心の中でうるさいくらいに響き続けているのだけれども。
逃走なんて、そんな選択肢は許されない。紅魔館の門番として、美鈴にはレミリア達を『死霊』の脅威から護る義務があるのだから。
「虹符『烈虹真拳』!」
そう声を上げつつも、妖力を込めた拳を突き出す。それと同時に込めていた妖力を爆発させ、エネルギーの塊として射出した。
標的は当然『死霊』である。しかし直接触れてしまうと絶対的な“死”の呪いに犯され、あっという間に死に至る。故に、妖力を介して弾幕などで攻撃するしかない。
美鈴の放った妖力は、標的としていた『死霊』に対して吸い込まれるように着弾する。炸裂音を響かせて、空気を震わせる程度に威力のある攻撃だったが、『死霊』への効果は薄かった。
何事もなかったかのように美鈴の攻撃を受け流し、『死霊』はそのまま突っ込んでくる。そしてお返しと言わんばかりに、どす黒い霊力の塊を放ってきて。
「うわっ……!」
咄嗟に避ける。直撃には至らなかったが、それでも気は休まらなかった。
殺気を覚える。攻撃してきた目の前の『死霊』とは、
「……ッ!?」
殺気と同時に、不意に『死霊』が飛び出してきた。
正面ではなく、側面。直前に攻撃してきた『死霊』とは、
「くぅ……!」
強引に身を翻す。迎撃は間に合わないと判断したのは良かったものの、避けるにしてもタイミングが悪い。それでも、例え不格好でも何とかしなければ。
結果として、危機一髪だったが、大事には至らなかった。ギリギリの所で『死霊』の攻撃は空振りし、美鈴の生命を奪うまでには至らない。彼女は、まだ生きている。
派手に倒れ込んで肩を地面に強打する事になってしまったが、死ぬよりマシだ。多少の痛みなど、何て事ない。
「いたた……。締まらない、けど……」
警戒心を緩めずに起き上がり、すぐに距離を取って臨戦態勢を整える。ビリビリと気味の悪い霊力を肌で感じて、美鈴は思わず身震いしそうになっていた。
そんな彼女の視界に入るのは、『死霊』の姿。それも一体ではない。
「しぶとすぎる上に、この数……。流石に嫌になってくるなぁ……」
美鈴を黒い霊力で攻撃してきた個体。それを避けたタイミングで横から襲いかかってきた個体。それ以外にも、四体。美鈴が認識しているだけでも、この場には六体の『死霊』がいるのだ。思わずそんな弱音も吐いてしまうような状況だった。
紅魔館から離れ、霧の湖よりも更にその先へと進んだ森の中。美鈴が感知した通り、そこには確かに『死霊』が出現していた。
明確に紅魔館へと向かっていた──訳では、なかったと思う。美鈴が辿り着いたそのタイミングでは、まだ標的を定め切れていないような状態だった。ふらふらと、獲物を求めて彷徨っているようなイメージだろうか。どこか、覚束ないような印象。
だが、一度獲物である生命を認識した瞬間、奴らは無差別に襲い掛かってくる。この場所では、紅魔館が標的にされるのも時間の問題だった。
故に、美鈴は迷わず『死霊』の前に飛び出したのだ。紅魔館が標的にされる前に自分へと注意を引き、そのまま交戦して『死霊』を処理する。──それが理想的な動きだったのだが、やはりそう上手くいかないらしい。
『死霊』の注意を自分に向ける事は出来た。しかし、美鈴一人の攻撃では一体すらも斃す事が出来ない。多少足止めをする事は出来ても、どうしてもそこまでが限界で。
「……! また……!」
再び『死霊』が突っ込んでくる。今度は一体だけでなく、二体同時に。
「気符『地龍天龍脚』ッ!」
避け続けても埒が明かないと判断した美鈴は、そのまま迎撃する事を選択する。次に妖力を込めたのは、脚。自らの身体が耐えられる限界まで瞬時に妖力を高めた後、一気に跳躍。妖力を爆発させた飛び蹴りを『死霊』に向けえて放った。
直接触れるのは危険。故に、妖力によるエネルギーで脚全体を覆って防護する。弾幕ごっこでスペルカードとして使う際はここまで慎重にはならないが、相手が『死霊』なら話は別だ。多少燃費が悪くなっても、出し惜しみなんてしていられない。
再び炸裂音。空中で一回転しつつも、美鈴は軽々しく地面に着地する。
美鈴の攻撃は間違いなく直撃した。知性も何も感じられず、ただ本能的に突っ込んでくる『死霊』達は、回避や防御なんてする事を知らない。故に、攻撃を当てるだけなら左程難しくはないのだが──。
手応えが、微妙だ。上手く仕留められた感覚がない。
「くっ……。手なんて抜いてないのに……!」
舞い散る土埃。けれどその中には、今も尚『死霊』の姿は健在。二体とも、何事もなかったかのように佇んでいる。まともに食らえば、並の妖怪では立ち上がれないくらいの攻撃だったのに。
もう何度目だろう。こちらの攻撃は間違いなく当たっているのに、まるでダメージを与えられている気がしない。こうも何度もケロッとした様子を見せられると、流石に心が折れそうになってしまう。
(どうする……? このままじゃ確実にジリ貧……)
思考を巡らせる。
はっきり言って、このまま続けても美鈴が勝てるビジョンが見えない。かと言って撤退しようものなら、今度は『死霊』の標的がレミリア達に向いてしまう可能性がある。それだけは絶対に容認できない。レミリア達を護る為に、美鈴は紅魔館を飛び出してきたのだから。
戦っても勝てない。けれども逃げ出す事も出来ない。だとすると、最早八方塞がりじゃないか。文字通り、打つ手なしの状況。どうする事も出来ない。
(かといって、ここで私が身を挺して盾になった所で時間稼ぎにもならないし……。あれ? 本当に詰んでる……?)
打開策が思いつかない。ただ焦燥感ばかりが募る結果となってしまう。
焦る。けれどもこんな精神状態じゃ、そうそう良い策なんて出てこない。焦って、焦って、焦り続けて。──結果として。
「……ッ! しまっ……!」
却って注意力が散漫となり、状況が悪化する。
美鈴が攻撃した二体の『死霊』とは、別の個体。いつの間にか美鈴の死角に回り込んでいたらしいその個体が、またもや不意に飛び掛かってきたのである。
思考に集中し過ぎていて、気づくのが遅れてしまっていた。殺気を感じて再び身を翻そうとするが、タイミングが遅すぎる。
『死霊』は、すぐそこに迫っている。迎撃はおろか、飛び退いて回避するような隙も残されtおらず。
(あっ……。これは、やばいかも……)
殺させる。
死を悟り、走馬灯のようなものが一瞬だけ脳裏を過りかけた、その次の瞬間だった。
「恋符『マスタースパーク』ッ!!」
流れ込んでくる聞き覚えのある声。その直後に爆発的な魔力の奔流が大気を揺らし、文字通りの
少しでも『死霊』から逃れようとして身を引いていた為、巻き込まれてはいない。けれども、ギリギリだ。舞い上がった髪の毛先が掠るくらいの至近距離を、そのレーザーは駆け抜けており。
「わ、わわわっ……!」
予想外の出来事を前にして、思わず間の抜けた声を上げてしまう美鈴。風圧で吹き飛ばされ、そのまま転びそうになってしまうが、咄嗟に気の流れを下半身に集中させて難を逃れた。両脚に入れた力を強化し、転倒を逃れる。
結果として、極太のレーザーは『死霊』のみを巻き込んで、そのまま奥の木々へ着弾。爆発と共に炸裂音を轟かせた。──そこまで認識して、美鈴は初めて誰かに助けられたのだと気がついた。
直前に耳に入ったあの声と、ここまで火力に特化した
「無事か!? 美鈴っ!」
そう声をかけられる。振り向くと、やっぱり想像通りの人物がそこにいた。
黒いエプロンドレスを身に纏っている女性。その手に持っているのは、ミニ八卦炉と呼ばれる魔法道具。魔力の残滓が残っており、先程の極太のレーザーはあの魔法道具から放たれた事が察せられる。
マスタースパーク。魔法と呼ぶには少々大雑把だが、『死霊』を退けるという意味ではこの上なく頼りになる弾幕。それを放った彼女は、美鈴の姿を見て少し安堵した様子であり。
「……ったく。あんまり心配かけさせるなよな」
「ま、魔理沙さん……!? どうして……」
彼女──霧雨魔理沙の姿を認識した途端、美鈴は思わずそんな疑問をぶつけてしまった。
いや。冷静になって考えてみれば、判る。小悪魔から『死霊』の話を聞いて、それで飛び出してきたのだろう。だとしても──。
「因みに、私だけじゃないぜ」
「えっ……?」
続けて口にした魔理沙の言葉がすぐに理科出来ず、一瞬だけぽかんとした表情を浮かべてしまう美鈴。その刹那、また別の人影が飛び出してきた。
圧倒的な瞬発力。美鈴でも集中しなければ見失ってしまう程のスピード。美鈴の横を駆け抜けた彼女は、腰の鞘から二本の剣を抜刀。そのまま霊力を一気に込めて、剣を振るった。
「断命剣『冥想斬』!」
瞬間的に霊力が刀身を覆う。振るわれた剣はマスタースパークが打ち漏らした別の『死霊』を捉え、そのまま押し返す。消滅までには至らないが、大きく体勢を崩す事になり。
「ナイスだよ妖夢! トドメは私が……!」
その隙に前に出たのは、剣を振るった彼女とは別の少女。
「『サブタレイニアンローズ』ッ!」
帽子を被った小柄な少女が、宣言と共に弾幕を展開する。解放された妖力が薔薇の形をした複数のエネルギー弾を形成し、それらを『死霊』に向けて一気に放った。
その弾幕は、見た目以上に込められた妖力が絶大だった。体勢を崩していた『死霊』はそのまま真正面から受けるしかなく、迎撃の隙も与えない。
直撃する。これまでとは様子が異なり、『死霊』が明確に苦しむような素振りを見せて。
「────ッ!!」
断末魔にも似た叫び声。奇声を上げつつも、その『死霊』は斃れた。
波状攻撃が上手く決まった、という事か。流石の『死霊』も無視できぬ程にダメージが蓄積し、身体が崩壊。黒い花弁のような粒子となって消えてゆく。
ようやく一体を、仕留めた。
「よしっ、倒せた……!」
軽くガッツポーズを取る少女と、剣を構えたまま警戒心を緩めない女性。彼女らの事もまた、美鈴は知っていた。
「妖夢さん……! それと貴方は、地霊殿の……」
「古明地こいしだよ。ちゃんとお話するのは初めてだよね? 紅魔館の門番さん」
魂魄妖夢と、古明地こいし。まさか彼女達までもが、援軍として駆けつけてくれるなんて。正直、完全に予想外だった。
思わず、美鈴は疑問を口にする。
「ど、どうして……? 私は、小悪魔さんに……」
「計画を続行しろと、そう言伝をお願いしたそうですね。ご安心を。当初の計画を中止した訳ではありませんから」
疑問の言葉を言い終わる前に、妖夢がそう答えた。『死霊』の動きを警戒しつつも、彼女は続ける。
「当初の計画通り、メリーさんと蓮子さんを過去に送る魔法に関しては、起動準備を進めてくれています。その間に、私達は『死霊』への対処を買って出たんです」
「そ、そんな……。危険なのに、どうして自ら……」
「おいおい、お前がそれを言うなよ。まさか一人で食い止められると思ってたのか?」
口を挟んできたのは魔理沙だった。呆れ気味に、けれどもちょっぴり怒っているような表情を浮かべて。彼女は口を開く。
「たった一人で『死霊』に挑むなんて無謀過ぎるだろ。相手が一体だけならともかく、複数体が徒党を組んでいるじゃないか。まさかお前、死ぬつもりだったのか?」
「……っ! そんなつもりは、ないです……! お嬢様達を遺して、生命を捨てるなんて……」
そこまで言って、美鈴は口籠る。緊急事態だったとは言え、自分が如何に愚かな行動を取っていたのかを再認識したからだ。
『死霊』は、あまりにも危険な存在だ。連中に生命を奪われる瞬間を、美鈴だって何度も見てきている。その中には、身近な人だって──。
「……ごめんなさい。少し、冷静さが欠落していたみたいです」
胸中を落ち着かせつつも、美鈴は謝罪する。
確かに、自分の取った行動は自殺行為だった。魔理沙達がこんな反応になるのも無理はない。頭を冷やさなければ。
軽く深呼吸をして、息を整える。幾分かマシになってきた。
改めて、美鈴は魔理沙達に顔を向けて。
「ありがとうございます。正直、一人じゃ限界だったんです。魔理沙さん達が来てくれて助かりました」
「おう。まぁ、間に合って良かったぜ。上手く足止めも出来ていたし、結果オーライってヤツだな」
にっと笑みを浮かべながらも、魔理沙がそう返してくれる。今は彼女のそんなカラッとした反応が、何よりもありがたかった。
彼女達の助けがあと一歩でも遅かったら、美鈴は今頃『死霊』に殺されていたかも知れないのだ。そう考えると、魔理沙達には感謝してもしきれない。これ以上、彼女達の負担になるような事は避けなければ。
「……お話中のところ悪いですが、警戒を。『死霊』が動きます」
警戒を続けていた妖夢が、美鈴達にそう告げる。
改めて視線を向けると、残っていた『死霊』達がジリジリとにじり寄ってくる様子が見て取れる。妖夢とこいしの手によって斃されたのは、一体。他の『死霊』は未だに健在だ。魔理沙のマスタースパークに巻き込まれた『死霊』も斃し切れていなかったらしく、既に立ち上がっていた。
魔理沙達が駆けつけてくれたものの、状況としては未だに悪い。何か有効な打開策を見つけなければ、どっちみちジリ貧になってしまってもおかしくはない。
「来るよ!」
警戒した様子で声を上げるこいし。それとほぼ同時に、『死霊』達は動いた。
打開策は考えたいが、今は迎撃に集中しなければ。油断すれば、一気に殺される。
飛びかかってくる二体の『死霊』。真っ先に反応したのは妖夢だ。手に持つ二本の剣に霊力を纏わせたまま、真正面から『死霊』に突っ込む。
一見すると無謀な行動。だが──。
「──そこっ……!」
ギリギリまで引き付けて、身を捻る。『死霊』の攻撃を回避すると共に、霊力が籠った剣を振るった。
攻撃が届く。そのままの勢いで剣を振るい続け、もう片方の『死霊』もそのまま斬りつける。目に見えぬ程の超早業。攻撃を受けた『死霊』は動きが鈍り、妖夢の生命を奪うまでには至らない。
だがそれでも、『死霊』は未だに健在だ。美鈴の時と同じように、斃し切る事が出来ていない。
「妖夢さん!」
このままでは駄目だ。
そう判断した美鈴が、妖夢のもとへ駆け寄ろうとするが。
「……っ! じゃ、邪魔……!」
途中で、他の『死霊』に阻まれる。美鈴はそちらの対処を余儀なくされた。
出来る事は限られている。妖力による弾幕を放って、迎撃する。けれども決定打にはならない。一時的に退ける事は出来ても、僅かな時間を稼げるだけ。
(くっ、これじゃあ……)
先程一体の『死霊』斃せたのは、妖夢とこいしの渾身の一撃を立て続けに直撃させる事が出来た為だ。マスタースパークの余波や、直前まで美鈴が蓄積していたダメージも相まっていたのかも知れない。
つまり、息つく暇もなく波状攻撃を決めるか、それ以上の超火力をぶつけて始めて有効打となり得る。しかし、相手が一体だけならともかく、この数となると──。
「本能『イドの解放』ッ!」
こいしは別の『死霊』に対処している。集中砲火には移れない。
「魔符『スターダストレヴァリエ』!」
魔理沙も同じだ。火力自慢の彼女でも、一人の攻撃では『死霊』を下すまでには至らず。
「やっぱり、斃せない……!」
「ええ……。分かっていた事ですが、そう上手くはいかないようです」
何とか自力で『死霊』から逃れた妖夢が、そう声をかけてくる。
『死霊』の交戦を続けるうちに、いつの間にか彼女とは背中合わせになる位置まで追いやられていたらしい。背中越しに、妖夢は続けた。
「バラバラに攻撃しても埒が開きません。ここは力を合わせましょう」
「ですね……。でも、どうやって……?」
「この場における最大火力を一気にぶつけるんです。多分、魔理沙なら……」
そう口にした後に、妖夢は視線を巡らせる。丁度、弾幕を打ち終えていたこいしに向けて。
「こいしちゃん! いつかのように、薔薇の弾幕で『死霊』を一時的に拘束して欲しい……!」
「いつかのって……。外の世界でお空と一緒だった時の事?」
『死霊』から距離を取りつつも確認するこいし。それに頷いて答えつつも、妖夢は続ける。
「あの時と違って、対象は複数になると思う。私が合図を出した直後に、あの弾幕を展開して欲しいんだけど……。出来る?」
「……判った、やってみる!」
殆ど迷わずに受け入れていた。それほどまでに、彼女は妖夢の事を信じているのだろう。「ありがとう」と礼を述べた後に、妖夢は再び美鈴に声をかけてきた。
「美鈴さん、私達で『死霊』を一箇所に集めましょう。こいしちゃんの弾幕で、纏めて拘束出来るように……」
「……成る程。妖夢さんの考えは大体分かりましたよ」
ここまで話が進めば、察するのは簡単だ。
単純明快な作戦。けれど即席のこのチームにとっては、『死霊』に対して最も有効打となり得る最適な手段。
「近接でも小回りが利く私達が適任ですもんね。やってやりましょう!」
「ありがとうございます。最後は……、魔理沙!」
未だに弾幕を打ち続けていた魔理沙。攻撃に集中して妖夢の声が聞こえていないのではないかと思ったが、意外にも反応は早かった。
攻撃を中断して、魔理沙は答える。
「聞いてたぜ。私が大トリって事だよな? 任せろ!」
「うん、任せた……! それじゃあ、早速動きましょう!」
必要最小限のやり取りを最後に、動く。美鈴は、妖夢と共に飛び出した。
残っていた『死霊』達はそれなりに散ってしまっているが、一箇所に集めるだけならそう難しくない。『死霊』の行動原理は、生命あるものを無差別に殺す事。目につく生命に直ぐさま飛びかかる。──故に、ヒットアンドアウェイを繰り返せば、ある程度思い通りに誘導する事は可能である。
「ほらほら、こっちに来て……!」
そう言いつつも、美鈴は弾幕を放つ。
攻めすぎるのは危険。けれども魔理沙やこいしへと『死霊』の興味が移らぬよう、攻撃は続ける。見た目よりも繊細な力加減を余儀なくされるが、弱音を漏らす暇なんてない。
(よし、いい感じ……。これなら……!)
二体の『死霊』が等間隔で引き付けられる。集中しつつもちらりと視線を向けると、妖夢も上手く他の『死霊』を誘導できている様子だった。
順調だ。このまま妖夢と合流すれば、『死霊』を一箇所に集める事が出来る。そうすれば──。
「妖夢さん……!」
「ええ、充分です……! こいしちゃん!」
ギリギリまで『死霊』を引きつけつつも、美鈴は妖夢と合流する。『死霊』達が想定通りに集まってきている事を確認してから、妖夢はこいしの名を呼んだ。
美鈴と妖夢が『死霊』の相手をしている間、こいしは妖力を高め続けていた。先ほど『死霊』を斃した時よりも、更に強大。少しだけ無理をしているような様子だったが、それでも彼女は何て事もないように答える。
「おっけー、準備万全だよ! 二人はなるべくそこから離れて……!」
そう言われ、美鈴と妖夢は揃ってその場から大きく飛び退く。
その直後。
「『ブランブリーローズガーデン』!!」
妖力が一気に放出される。『サブタレイニアンローズ』のように、薔薇の形のエネルギー弾として出力される。けれど先ほどの弾幕とは、明らかに規模が違った。
薔薇の形をした無数の弾幕。それらが『死霊』を中心として瞬く間に展開され、逃げ道を塞ぐ。その直後、妖力の奔流が巨大な竜巻を形作り、『死霊』達を呑み込んだ。
「う、うわっ……」
想像よりも強い妖力。突風に煽られながらも、美鈴は更に距離を取る。
強力な力を持った妖怪だとは聞いていたが、まさかこれ程とは。見た目は幼い少女だが、有する妖力は大妖怪のそれにも匹敵している。そういう意味では、少しフランにも通ずるところがあるかも知れない。
肝心の『死霊』達の状況だが、目論見通り全ての個体がこいしの弾幕によって拘束されている。ダメージを受けつつも身動きが取れなくなり、このままいけばこいしの攻撃だけでも押し切れそうな雰囲気もあるが──。
「う、く……! これは流石に、ちょっと……!!」
そう言葉を零しつつもこいしが浮かべるのは、苦し気な表情。額に脂汗を滲ませて、呼吸が一気に荒くなって。攻撃をしているはずなのに、却って自らの身を痛みつけてしまっているような様子だった。
考えてみれば当然だ。幾ら強大な妖力を持っているとは言え、ここまで一気に放出すれば身体への負担は無視できない。このまま続ければ、『死霊』を処理する前にこしいの方が倒れてしまう。あまりにも危険だ。
「こ、このままじゃ……。魔理沙さん!」
「判ってる! もう少しだ……!」
堪らず魔理沙の名を呼ぶと、そんな返事が返ってくる。視線を向けると、既に彼女は攻撃の準備を進めていた。
加速度的に高まっていく魔力。宙に浮かんだ魔理沙はマスタースパークの時のようにミニ八卦炉を構えており、その状態で魔力を全身に循環させている様子だった。彼女を中心として周囲が青白く光り始め、電撃のような火花も散り始める。大気が振動し、その余波が美鈴のもとまで届いて。
魔力が、膨れ上がる。こいしの強大な妖力にも驚いたが、単純なエネルギー量は間違いなくそれ以上。霧雨魔理沙がその身に纏うエネルギー量は、この場にいる誰よりも圧倒的な水準を叩き出しており。
「す、凄い……」
まさか魔理沙が、ここまでの魔力を有していたとは。人間を辞め、魔法使いとなってから一体どれほどの時間を魔法の研究に費やしてきたのだろう。最早、人間だった頃とは比較にならない。下手をすれば、フランにも匹敵する程の──。
「決めてやる……! 食らいやがれ! これが私のラストワード……!」
爆発する。
まるで、小さな星でも落ちてきたかのように。
「『ブレイジングスター』ッ!!」
それは、さながら彗星だった。
絶大な魔力を身に纏った霧雨魔理沙が、その一部を一気に逆噴射。自らもろとも、魔力の塊となって『死霊』達に突っ込んだ。
一瞬だ。文字通り、瞬きをする間の出来事。音速にも到達するレベルの超高速で着弾。一瞬だけ周囲の音が消えるほどの衝撃の後に、ワンテンポほど遅れて爆発音が轟き、黒煙が舞い上がった。
「────ッ!」
こいしによる『ブランブリーローズガーデン』さえも巻き込む程の、強大な弾幕。それが形作る大気の奔流によって押し流され、美鈴さえも吹き飛ばされそうになってしまう。何とか堪える事は出来ているものの、今はまだ巻き込まれないようにするだけで精一杯の状況だった。
『ブレイジングスター』。正真正銘、霧雨魔理沙の
妖夢が彼女に期待した気持ちが分かる。ここまでの超火力を直撃させる事が出来れば、幾ら相手が『死霊』でもただでは済まない。
(火力が、強すぎる……! だけど、この攻撃なら……!)
程なくして、攻撃の余波がようやく収まり始める。戻ってくる音。空気の流れによって薄まっていく黒煙。周囲の木々さえもなぎ倒してしまっているような様子だったが、薄まる黒煙の中心部分には間違いなく霧雨魔理沙の姿が確認できた。
見かけと違い、捨て身特攻のような攻撃という訳ではない。まるで自らがマスタースパークとなって敵に突っ込むような弾幕だったが、魔理沙自身はしっかりと魔法の防御壁を展開して、爆発からその身を守っていた。
立ち上がる。流石に魔力の消耗が激しいのか、疲れが表情に表れているが、それでも。
「魔理沙さん……」
思わず、名前を口にする。当の魔理沙は、美鈴達に向けて笑顔を浮かべていた。
周囲には、黒い霊力の残滓が舞い散っている。全身全霊の『ブレイジングスター』により『死霊』達はその身体を崩壊させ、粒子となって消滅していく。
まるで、黒い花吹雪だ。霊力の粒子が舞い散る中、『死霊』は既にその姿を消しており。
(勝っ、た──)
押し切れた。あの数の『死霊』を相手にして、目論見通りに勝利を掴み取る事が出来た。
一時はどうなる事かと思った。何度攻撃を繰り返しても、一向に退かない『死霊』を前にして、八方塞がりかと思っていた。けれども魔理沙達が合流してくれて、こうして力を合わせて。結果として、誰も死なずに済む事が出来た。
これで。ようやく、少しは安心出来る。少なくとも今この場では、レミリア達への危害を防ぐ事は出来ている。後は、彼女達が魔法を起動してくれるのを待つだけ。それで、希望を繋げる事が出来る。この最悪な結末を回避した可能性。それを掴み取る為の希望が。
そう。
為すべき事を、為した。死の運命を覆す事が、出来たのだ。
自分達は勝利した。
──勝利した、はずなのに。
(──何、か)
なぜ、胸騒ぎが収まらないのだろう──。
「……ッ! 魔理沙ッ!!」
直後。鬼気迫る様子の妖夢の声が、響き渡る。その次の瞬間、収まってきた黒煙の中から不意に飛び出してきたのは、一体の影。
どす黒い霊力。呪力の塊。人の形を成したそれは、間違いなく。
(『死霊』……!?)
斃し切れていなかったのだと、瞬時に理解した。いや、厳密に言えば、あの絶大な攻撃を逃れる事に成功した個体が存在していた、というべきか。あの『死霊』は、殆どダメージを受けていないように見える。
何があった? 美鈴達の誘導が甘かったのか? 『ブランブリーローズガーデン』の時点で、既に逃れていたのか? それとも、そもそも美鈴達と交戦していたのとは別の個体? 新たに出現したという事か?
──判らない。考察なんて幾らでも出来る。
けれどもそんな事より、この場で重要なのは。
「魔理沙さん……!!」
魔理沙が、危ない。飛び掛かってきた『死霊』は、間違いなく彼女を標的に定めている。
ラストワードを放った直後で、彼女はすぐには動けない。『死霊』の存在自体は認識しているようで、険し気な表情で振り返っているが、そのまま迎撃に転じる余裕なんて残されていない。
ならば、こちらが助けなければならない。だけど──。
(駄目……。このままじゃ、間に合わない……!)
反射的に駆け出すが、距離が離れすぎている。こいしと魔理沙の攻撃に巻き込まれないよう、距離を取りすぎてしまったのが原因だ。
それならば弾幕で──と思ったが、それも難しい。中途半端な攻撃では『死霊』の動きを止める事なんて出来ないし、だからと言って妖力を高める時間もない。
届かない。何もかもが、足りていない。
(そんな……。どうして……!)
息が詰まる。必死になって手を伸ばすが、そんな事をしたところで魔理沙には届くはずもなく。
感覚が引き伸ばされる。周囲の全てがスローモーションに見えるような錯覚。自分の身体さえも、上手く動かす事が出来ずに。
ただ、美鈴の目の前で。
魔理沙が、絶対的な“死”の呪いに──。