桜花妖々録   作:秋風とも

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第弐部『幻想入り篇』
第48話「半人半霊の剣士」


 

 ぷっくりと、桜は蕾を膨らませていた。

 秋から冬にかけて葉を散らし尽くした桜の木も、今や若葉を揃え始めている。膨らんだ蕾は淑やかな薄紅色を覗かせており、春の訪れを感じさせる様相だ。屋敷の周囲を大きく囲むように植えられた桜の木も、あと数日もすれば蕾を開き、花を咲かせる事だろう。

 満開の桜に包まれた、幻想的な景色。そんな光景が広がるのも、あと少しだ。

 

「暖かい……」

 

 少女は呟く。暖かな陽気を感じる彼女が佇むのは、とある日本屋敷の正門前だ。

 限りなく続く石段。そのてっぺんから階下を眺めつつも、少女は短く深呼吸する。傍らに大きな霊魂を連れる彼女が浮かべるのは、物寂し気な表情。

 分かっている。いつまでも、こんな感傷に浸っていてはいけない。自分がやるべき事は、はっきりとしているはずだろう。だから線引きをして、ある程度は踏ん切りをつけなければならない。

 

 けれど。分かっていても、この時期になるとどうしても思い出してしまう。

 

「……行かなきゃ」

 

 そんな感情を誤魔化すかのように、少女は飛び立つ。今の今まで見下ろしていた階下の、その先へ。

 少女は進む。想いを受け止めた上で、それでも彼女は立ち止まらない。想いを信じ切った上で、彼女は前を向く。

 

 さわさわと、桜の若葉が擦れる音が響く。

 春はまだ、始まらない。

 

 

 *

 

 

 突然だが、お賽銭と聞いて真っ先に何を連想するだろうか。

 神社? お願い事? それともご利益だろうか。確かに、それも一理ある。お賽銭と言えば神社にお参りに行く際に準備するものだし、お賽銭を準備して神社にお参りに行くという事は、それは即ち何かお願い事があるという事だ。そしてその場合、気になるのはご利益である。商売繁盛や学業成就。恋愛成就や安産祈願など。人によって求めるご利益は違うだろうし、お賽銭をする上でそこに興味を惹かれるのは至極当然であろう。

 

 しかし。しかし、だ。それだけではないだろう?

 お賽銭と聞いて、それらを連想してしまうという気持ちも確かに分かる。けれどそうじゃない。それだけじゃない。もっと直接的かつ、分かりやすい答えが存在するじゃないか。お賽銭とは何だ? 一体何を示してお賽銭と呼んでいる? 一体()()賽銭箱に投げ入れて、参拝客は祈りを捧げている?

 

 そう。お賽銭とは即ち。

 お金である。

 

 お賽銭とは、祈願成就のお礼に神様へと奉納する金銭の事。神様を祭る為に必要となるお金なのだ。

 大抵の場合は小銭を投げ入れる事となるが、別に金額が決まっている訳じゃない。お札などを奉納しても全く問題はないし、寧ろウェルカムである。というか叶えたい願いが大きければ大きい程、奉納する賽銭もそれなりの額にするべきなのではないのだろうか。そう、払うべきだ。遠慮なんかせずにもっとじゃんじゃん払うべきなのだ。

 

 いや、というかもう寧ろ払ってほしい。神社に来たなら真っ先にお賽銭をしてほしい。祈願なんてしなくていいから、取り合えず払ってほしい。払ってくれてもいいじゃないか。

 毎日――とは言わずとも、少なくとも何日かに一回は誰かが神社まで足を運んでもおかしくはないはずだろう。そんな参拝客が毎回欠かさずお賽銭を入れてくれたのなら、いつしかこのお賽銭箱だって潤うはずじゃないか。

 

 蓋を開けたら小銭やお札がザックザク。いや、それは少し言い過ぎかもしれないが、少なくとも両手で抱える程の金額が入っていてもおかしくないはずだ。神を信じる熱心な信者がいるのなら、それくらいのお賽銭があってもおかしくはないはずなのに。

 

「そう……おかしくはないはずなのよ」

 

 それなのに。

 

「なのにどうしてすっからかんなのよチクショウ!!」

 

 ヒステリックに言葉をぶちまけつつも、博麗霊夢は賽銭箱の蓋をぶん投げていた。

 

 ギロリと今一度その中にを確認してみるが、けれどやはり見間違いなんかじゃない。

 すっからかんである。まごう事なき、清々しいくらいに綺麗さっぱりすっからかんなのである。お札はおろか、小銭一枚も入ってない。無駄に掃除をしている所為か、チリの一つも見受けられない。見れば見るほど悲惨な姿を目の当たりにして、霊夢は最早深々と溜息をつく事しかできなくなっていた。

 

 これはあれか。新手のイジメか何かだろうか。幾らちょーっと神社の運営に不真面目な部分があるとは言え、ここまでお賽銭が入らない事など有り得るのか?

 いや、有り得ない。有り得る訳がない。だとするとこれは異変? 博麗神社のお賽銭だけがピンポイントでなくなるという、新たな異変なのではないだろうか。

 

「だったらすぐにでも解決しに行かなくっちゃ!」

「貴方は何を馬鹿な事を言っているのですか……」

 

 霊夢が一人短絡的な思考に陥っていると、不意に背後から声をかけられた。

 イラつきを隠す素振りも見せずに振り向くと、そこにいたのは見覚えのある一人の少女。霊夢は思わず「うげ……」と変な声を漏らしてしまった。

 薔薇色のセミロングヘアに、白いシニヨンキャップを被っている事がまず目に入る。上着の前掛けには茨の模様が描かれており、更に胸元には花飾り。加えて特徴的なのが右腕で、指の先まで白い包帯でぐるぐる巻きである。見るからに生真面目で、かつ世話焼きそうな印象を受ける少女だった。

 

「何よ。またあんたなの……?」

「また、とは随分なご挨拶ですね」

 

 茨木(いばらき)華扇(かせん)。妖怪の山に屋敷を構える人ならざる者。仙人、と呼ばれる連中の一人らしい。

 彼女が本格的に博麗神社に通い始めたのは、ちょうど去年の今頃だ。それだけ聞くとまるで熱心な信者のようにも思えるかも知れないが、実際はそういう訳ではない。彼女は別に、お参りをする為にこの神社へと足を運んでいる訳ではないのだ。

 

 まぁ、端的に言ってしまえば。所謂お節介というヤツだ。

 

「賽銭箱は神社にとって大切な公共物だったはずだけど」

 

 転げ落ちた蓋を拾い上げつつも、彼女は小言を述べる。

 

「幾らこの神社の巫女と言えども、存外に扱うのは如何なものかと思うのですが?」

「はん。そんな事あんたには関係ないでしょ? お賽銭箱をどう扱おうと、それは所有者である私の勝手だわ」

「あ、貴方は……!」

 

 華扇は酷く呆れた様子だったが、霊夢は肩を窄めるだけで反省の色など見せない。

 

「というか大体おかしいじゃない! お賽銭が全く入ってないなんて、これはもうお賽銭箱としての役割を完全に放棄しているわ! 参拝客も全然増えないしやってらんないのよ!」

「参拝客に関しては貴方の態度が問題でしょう? そもそも貴方、ちょっと前まではあんなにやる気を出してくれてたじゃない! それなのに、どうしてまた……」

「ちょっと前ぇ……?」

 

 ちょっと前。やる気。それは、この仙人に無理矢理修行をさせられた直後の事だろうか。

 まぁ、確かに。華扇の言う通り、霊夢も少しの間だけはその気になっていたのだけれど。

 

「あー、あれねぇ。うーん、なーんか飽きちゃったのよねぇ……」

「あ、飽きたって……」

 

 あからさまに華扇が肩を落としているのが見える。華扇からしてみれば霊夢の為を思って修行をつけてくれたのだろうけれど、それがこうも簡単に水泡に帰してしまったのだ。思わず肩を落としてしまっても、仕方がないと言える。

 

「まさかこんなにも早くあの死神の言った通りになるなんて……」

「何の話よ」

「……こっちの話です」

 

 何やらボソボソと呟く華扇。相変わらずな霊夢を見て流石の彼女も頭痛でも感じているのだろうけれど、だからと言って霊夢の気が変わる訳でもない。

 嘆息を一つ挟んだ後、華扇は再び霊夢へと小言を並べる。

 

「いいですか霊夢。もう何度も言っているけど思うけど、貴方は少し俗気にまみれすぎよ。そりゃあ、人間なんだから多少の欲はあって当然なのかも知れないけれど……。けれど貴方は博麗の巫女。もう少し、自分の立場を自覚して……」

「さーて、そろそろ準備しないとね。今日は忙しくなるわよー!」

「ちょっと! 私の話を聞きなさい!」

 

 説教を無視して踵を返す霊夢の姿を目の当たりにして、華扇も声を荒げずにはいられないようだ。

 まったく。どこまでも口うるさい奴だ。紫といい、どうして霊夢の周りにはこうも世話焼きな奴が多いのだろうか。

 世話焼き、と言えば聞こえは良いかも知れないが、要するにお節介で説教臭いという事だ。いい迷惑である。

 

「話を聞かなくても分かるわよ。要するに、巫女としてのお仕事を真面目に熟しなさーいって事でしょ?」

「分かってないから言ってるのです! お金だとか、参拝客だとか、貴方は自分の利益の事ばかりを考えて……。それのどこに巫女としての」

「あー、はいはい。説教なら後で聞くわよ。私これから用事があって暇じゃないの。さぁ、分かったなら散った散った」

「…………っ」

 

 シッシッと、まるで虫を追い払うかのようにひらひらと手を振るう霊夢。

 華扇は最早怒る気力も失せてきた様子。本格的に頭痛を覚え始めたようで、眉間を指で押さえつつも彼女は空を仰いでいた。

 そう。霊夢だって暇じゃない。華扇は霊夢の事を不良巫女のように思っているのかも知れないけれど、それはとんだ誤解である。霊夢はただ、欲に忠実で無邪気なだけ。決して巫女としての立場を軽んじている訳ではない。

 

 その証拠に、霊夢は博麗の巫女としての義務を最低限は熟している。

 

「忙しくなる、って言ってたわね。一体何をするつもりなんですか?」

「仕事よ仕事。博麗の巫女としての、ね」

「仕事……?」

 

 思わず首を傾げる華扇。この反応、どうやら霊夢が何を言いたいのかいまいちピンとこないらしい。

 仕方がないので、分かりやすく説明してやる事にする。

 

「博麗の巫女としての仕事といえば、選択肢は限られてくるでしょ?」

 

 拝殿の奥に仕舞っておいたお祓い棒を手に取って、博麗霊夢は言い放った。

 

「ずばり、妖怪退治よ!」

 

 

 *

 

 

 今日も今日とて、人間の里は賑わっていた。

 幻想郷の中でも、特に多くの人間が生活基盤を築いている場所。人里とも通称されるそこは、幻想郷の賢者である八雲紫の手によって守護されている場所である。

 妖怪は人間がいなければ存在を確立させる事ができない。けれど非力な人間の大半は、妖怪を相手にまともに渡り合えるような手段を持っていない。好き勝手に妖怪が暴れれば人間なんて簡単に死んでしまうだろうし、最悪絶滅してしまう危険性も有り得る。

 

 人間の絶滅。それは即ち、妖怪の完全消滅に直結する。人間がいなければ幻想郷のバランスは大きく乱れ、幻想郷の崩壊という最悪の事態に発展する可能性だってある。

 故に、調整が必要なのだ。

 人間の安全を保障。妖怪、延いては幻想郷にとって、それは必要不可欠な要素なのである。妖怪側にある程度の制限を設けなければ、逆に妖怪の首を絞める結果になる。そんな状況、妖怪達だって望んではいないはずだ。

 

 人里では人間に襲いかかってはならない。それこそが妖怪の間に伝わる暗黙のルール。

 だけれども。そんなルールなど知ったこっちゃないと言わんばかりに、人里で問題を起こす輩だって稀にいる。ちょっとした悪戯や盗みを働く程度ならまだしも、人間の命に関わるような事件を起こすのは言語道断だ。そういった妖怪は、誰かが速やかに退治しなければならない。

 

「えーっと。つまり、そいつは夜中に一人でいた所を、何者かに襲われたって事なのか?」

「え、ええ。何でも夜道を一人で歩いていた所を急に、だったとか……。私も風の便りで聞いただけなので、詳しい状況までは分からないのですが……」

「へぇ……そりゃ初耳だな」

 

 人里の一角。特に人が多い商業通りで、霧雨魔理沙は情報収集を行っていた。

 事の発端は数日前。人里の路地裏で、人間の若い男性が遺体となって発見される事件があった。目立った外傷は見られず、死因は一切不明。毒物が盛られた形跡もみられなかった事から、当初は急性の病気か何かが原因ではないかと考えられていた。

 

 けれどそれだけでは終わらなかった。遺体が発見されてから数日後、また別の男性の遺体が人里で発見されたのである。しかもその数日後にまた一人。そして更にその数日後にまた一人。

 計四人の死者。そのどれもが若い男性という点と、死因が不明だという共通点が存在する。これは果たして偶然なのだろうか?

 

 ――いや、違う。偶然なんかじゃない。これは明らかに作為的である。

 つまるところ、連続殺人事件。しかも遺体の状態から考えて、犯人は恐らく人ならざる者。妖怪だとか、そう言った類の仕業とみて間違いない。

 妖怪の手による連続殺人。事が大きくなるにつれて、人里の中でもそんな噂話が流れ始める事となる。噂話は不安と共にみるみるうちに膨れ上がり、今や人里ではちょっとした騒動となっていた。

 

「ふぅむ。成る程、話は分かった。情報提供ありがとな」

「は、はい……。それでは」

 

 住民の女性に礼を述べつつも、魔理沙はメモ帳を掲げる。開いたページに所狭しと書かれているのは、彼女が集めた事件に関する情報の数々だ。

 基本的には平穏だったはずの人里に、突如として巻き起こる不平穏。連続殺人などという分かりやすい事件の香りを嗅ぎつけて、魔理沙が黙っているはずがない。何せ普段から異変等にも積極的に首を突っ込む性分の少女である。好奇心が刺激されない訳がないだろう。

 

「ふっふっふ……。情報もだいぶ集まって来たな」

 

 メモ帳を眺めながらも、魔理沙は一人悦に入る。

 事件解決の為に必要なのは、何よりも情報である。比較的人通りの多い人里の大路で聞き込みを行えば、有益な情報も得られやすいのではないかと思っていたのだが。どうやらその読みは大当たりだったらしい。

 次々と集まってゆく噂話。そして事件に巻き込まれた被害者の状態。これだけの情報が集まれば、事件解決までそう遠くはないはずである。

 

「こりゃ、今回ばかりは霊夢の出番もないかもなぁ」

「誰の出番がないですって?」

「おわっ!?」

 

 考えを巡らせつつもニヤニヤと笑みを零していた魔理沙だったが、不意に声を掛けられてメモ帳を落っことしそうになる。何とかバランスを保ちつつも後ろを振り返ると、そこにいたのは紅白の巫女服に身を包む一人の少女。

 噂をすらば何とやらとは、この事だろうか。

 

「な、何だ霊夢かよ。タイミング良過ぎだろ……」

「何よその反応。失礼な奴ね」

「お前の方こそ、いきなり背後に立つなよなー」

「あんたが気付かなかっただけでしょ? 一人でどかっと突っ立ってニヤニヤしちゃってさ」

 

 博麗霊夢。博麗神社の巫女。そして妖怪退治の専門家でもある。

 平穏な人里で巻き起こった連続殺人事件。その犯人が妖怪等の人外であるという可能性が浮上したのなら、博麗の巫女である彼女が黙っているはずがない。そんな霊夢を出し抜くかの如き勢いで真っ先に行動を開始した魔理沙だったが、この様子だと彼女の目論見も失敗に終わりそうだ。

 思わず肩を窄めつつも、魔理沙は嘆息する。

 

「なぁんだよ。折角お前より先に事件を解決してやろうと思ってたのにさ」

「あら? そうだったの。でも諦めなさい。この私が動いたからには、事件なんてソッコーで解決よ」

「……だろうな」

 

 博麗霊夢の持つ勘は、とんでもなく正確である。こと妖怪絡みの件に関しては最早超能力の類を疑ってしまう程の正確さで、これまでの異変だって持ち前のその勘で簡単に解決してきたくらいだ。今回は異変とは違うけれど、それでも妖怪絡みの大きな事件。霊夢の手にかかれば、それこそちゃちゃっと解決してしまう事だろう。

 

「まぁいいさ。こうなりゃお前と一緒に事件を追ってやる。そうすりゃ私の苦労も無駄にはならないってもんだ」

「あ、そう。まぁ好きにすれば? 私はちゃちゃっと妖怪を退治できればそれでいいのよ」

「そうだな。これ以上被害が広がる前に、早いところ事件を解決して……」

「そして謝礼金をがっぽり手に入れる!」

「……ブレないなぁ、霊夢は」

 

 妙に生き生きとしている霊夢を見て、魔理沙は思わず嘆息する。

 

 霊夢とは腐れ縁である。それ故に、彼女の事に関しては人並み以上に理解しているつもりだ。

 今回の件、確かに不可解な事件であるが、けれども何ら問題ない。博麗霊夢の手にかかれば、やがて事件は解決する。けれどそれでは面白くない。ここで身を引いて霊夢が事件を解決するのを見届ける? そんな選択、霧雨魔理沙には有り得ない。

 

 それなら協力する方が良い。折角ここまで足を踏み入れたのに、無駄になるなんて悔しいじゃないか。

 霊夢だけの手柄にはさせない。いつも通り、このまま首を突っ込ませてもらう事にしよう。

 

「それで? さっき話してた女の人、誰だったの? あんたの知り合い?」

「女の人……? あぁ、いや、全然知らない人だ。手当たり次第に声をかけて情報収集をしてただけだからな」

「ふぅん……」

 

 けれどその甲斐もあって数多くの有益な情報を手に入れる事ができた。言うなればこれは、数打ちゃ当たる作戦。けれど意外にも馬鹿にはできない。

 

「目撃例はゼロだけど、やっぱり犯人は人間じゃないと見て間違いなさそうだな。被害者は全員、夜中に一人でいる所を何者かに襲われて殺されている。しかも外傷を残さずに、だ。これって明らかに普通じゃないよな?」

「まぁ……。妖怪は夜に活発化するヤツも多いし、呪いとか、そういった類のものを使えば外傷を残さずに人を殺す事だって不可能じゃないわね」

「だろ?」

「でもおかしいじゃない。被害者は一人でいる所を襲われたのに、何でその“一人だった”って情報が流れてくるのよ。被害者はみんな死んじゃってるんでしょ?」

「その部分はあくまで噂だ。信憑性は薄い」

「……ガバガバね」

 

 まぁ、確かにそこを突かれると痛い。けれど被害者が一人でいた所を襲われたのであろうとなかろうと、その殺害手段が不明瞭な事には変わりないのだ。

 外傷を残さずに死に至らしめる。しかも犯人の姿は誰にも目撃されていない。これは明らかに普通の人間による犯行ではない。

 

「にしてもまさか人里(ここ)でこんな事件が起きるとはなぁ……。つーか紫は何やってんだよ? 人里はあいつが守護してんじゃなかったのか?」

「知らないわよ。寝てるんじゃないの?」

「……マジかよ」

 

 ――何とも身も蓋もない答えである。

 

「ま、初めから紫の協力なんて期待してないし。行くわよ、魔理沙」

「……行く? 行くってどこにだ?」

 

 踵を返してどこかに向かおうとする霊夢を引き留め、魔理沙は疑問を呈する。

 

「第一被害者の家族の所よ。ちょっと確認したい事があるの」

「ほう……? そこに目を付けるとは、流石だな霊夢」

「……何よ?」

 

 「ふっふっふ……」と含みのある笑みを零しながらも、魔理沙は霊夢へと歩み寄る。あからさまに怪訝そうな表情を浮かべる霊夢とは対照的に、魔理沙は実に楽し気な様子である。

 すまし顔。それを浮かべた霧雨魔理沙は、口角を吊り上げると、

 

「第一被害者の家族の所……。私も丁度行こうと思ってたんだぜ?」

「……どうだか」

 

 呆れ気味の霊夢を余所に、魔理沙もまた彼女と共に歩き出すのだった。

 

 

 

 

「弟、の事ですか……?」

「ええ、そうよ。詳しく聞かせてほしいの」

 

 人里の一角。比較的住居が集中しているその地区に、事件の被害者の家族が住む家がある。戸を叩くと出てきた被害者の姉を名乗る女性から、霊夢は話を聞こうとしていた。

 

「詳しく、と言っても……。弟の状態は、概ね流れてる噂通りで……」

「あぁ、いや、そうじゃなくて。私が聞きたいのは亡くなる前の事よ」

「前……?」

「そう。普段何をしていたとか、人間関係とか」

 

 それにしてもこの少女、よくここまで無遠慮にぐいぐいと踏み込めるものだ。魔理沙だって無作為に話しかけて情報を集めていたのだけど、流石に遺族が相手となると話は別だ。多少なりとも遠慮はするし、聞きにくい質問は極力聞きたくない。

 けれど霊夢は、何というか。豪胆なのである。

 確かに未だ犯人が野放しにされているというこの状況、一刻も早く対処しなければ被害がどんどん広がってゆく危険性もある。それ故にすぐさま情報を集めるべきだという事も、分からなくはないのだけれども。

 

「霊夢は相変わらずだなぁ」

「何がよ?」

「何でもない。独り言だ」

 

 

 それから数分。第一被害者の遺族から十分な情報を得られた魔理沙達は、住居地を後にして再び露店が立ち並ぶ大路へと戻ってきていた。

 更に情報が書き込まれたメモ帳を眺めつつも、魔理沙は苦い表情を浮かべる。霊夢が遺族から話を聞き、魔理沙が素早くメモをする。まるで探偵とその助手のような心地だったが、お陰で色々と新しい情報も掴む事ができた。

 ――何とも反応に困る情報だったが。

 

「むぅ……。なんつーかこれは……」

 

 メモ帳へと視線を落としたまま、魔理沙は唸る。

 

「随分とどうしようもないヤツだったんだな、こいつ……」

「そうね。一応、定職には就いていたみたいだけど……。でも問題は女癖の悪さね。毎週のようにとっかえひっかえで、しかも暴力的。気に入らないヤツには暴行を加えてたみたいだし」

「女の敵ってヤツか? この様子じゃ、誰に恨みを持たれてもおかしくはなさそうだが……」

 

 第一被害者の人間性から鑑みるに、殺害の動機は彼への恨みだと考えても自然のようにも思える。けれどそれでは、色々と納得できない点が出てきてしまうのだ。

 まず第一に、二人目以降の被害者の事。年齢こそ最初の被害者である男性とは近いものの、けれど明確な接点を持っていた訳ではない。つまりは無関係の人物。仮に同一人物の犯行だったとして、犯行を重ねる理由が説明できない。

 そして第二に、そもそも魔理沙達は犯人が妖怪である事を前提で調査を進めていたという点だ。確かに第一の被害者は女癖の悪い悪漢だったが、けれども特に妖怪等と接点を持っていた訳ではない。妖怪に恨みを持たれるような事はしてないだろうし、そうなると推測される殺害の動機との矛盾が生じてしまうのだが――。

 

「実は犯人は人間だった、なんてのも考えられないよなぁ……。そもそも殺害方法が人間離れしている訳だし」

「ま、少なくとも犯人は人間以外の何かでしょうね。でもだとすると選択肢は限られてくるんじゃないの?」

 

 魔理沙の斜め前方を歩いていた霊夢だったが、立ち止まりつつもくるりと振り向いてきた。

 

「誰に恨みを持たれてもおかしくない、暴力的で女癖の悪い第一被害者。人間離れした犯行方法。そしてその後も狂ったように続く連続殺人。被害者は若い男だという共通点。そこまで考えれば、犯人が()()()()()存在なのか、ある程度は見当もつくでしょ?」

 

 鹿爪らしい表情を浮かべる霊夢。どうやら彼女の中では、ある程度犯人を絞り込む事に成功しているようだ。

 魔理沙は腕を組む。実は魔理沙も霊夢と同様、既にある程度のあたりはつけている。魔理沙だって伊達に霊夢と行動してた訳じゃない。散りばめられた情報を集約した結果、とある可能性が浮上してきたのであるがーー。

 

「……やっぱり、霊夢もそう思うか?」

「まぁね。それだと色々と納得できるし」

「だよなぁ……」

 

 けれどもしこの推測が真実なのだとすれば、事は一刻を争うという事になる。このまま犯人を野放しにすればますます被害が広がるだろうし、住民達の不安感も余計に煽る事になるだろう。パニックになる前に、早急に片を付けなければなるまい。

 

「ま、流石にこれ以上均衡を乱すような事になれば、紫辺りが黙ってないと思うけどな」

「でもだからと言って調査を投げ出すつもりはないわ。ここで止める理由もないしね」

 

 そう口にすると霊夢は再び踵を返し、そして歩き出す。そんな霊夢の後ろにくっつきながらも、茶化すような口調で魔理沙は言った。

 

「なんだなんだ? やっぱり謝礼金の為かぁ?」

「それもあるけどね。でもどっちみち、これ以上この人里で妖怪どもに人間への危害を加えさせる訳にはいかないでしょ。博麗の巫女として黙ってられないわ」

「へぇ……。何だよ、今日のお前は随分と正義の味方っぽく……」

「それにこれ以上好き勝手されるのもムカつくし……! 私の管轄下で不正を働くなんて、良い度胸してるわよねぇ……?」

「急にチンピラっぽくなったな……」

 

 ぽきぽきと指の関節を鳴らす霊夢。博麗の巫女――というよりも、女の子としてあるまじき形相である。この様子では、事件の犯人はただでは済まなさそうだ。

 

「あぁ、考えるとますますムカついて来たわ……! 行くわよ魔理沙! さっさと犯人を捕まえるのよ!」

「……へいへい」

 

 些か動機に問題はあるが、霊夢の行動が事件解決に繋がる事は間違いない。

 これ以上被害が広がるのは、魔理沙としても見過ごせない。ここは霊夢と協力し、いち早く犯人確保に努めるのが賢明だ。

 犯人が更に犯行を続けるのだとすれば、おそらく決行されるのは夜。それまでに、魔理沙達は事件を解決しなければならない。

 

 

 *

 

 

 太陽が西の地平線に近づき、空が茜色に染まり始める時間帯だった。

 人間の里は基本的には人の多い賑やかな場所ではあるが、当然ながら人気の少ない地区も存在する。特にこの時間帯はそろそろ夕飯時であるという事もあって、例えば路地裏などは特に人が寄り付かなくなる。

 

 丁度太陽が建物の陰に隠れ、日の光も殆ど通らない薄暗い路地裏。そんな寂しげな小通りを、一人の女性がとぼとぼと歩いていた。

 若い女性だ。その恰好は、どこにでもいそうな町娘といった服装。

 けれどどこか胡乱である。特に何の飾り気もなく、面白みのない地味な路地裏。その小通りを歩きつつも、注意深く周囲をキョロキョロと見渡しているのである。まるで、何かを見定めるかのように、慎重に。目に見える程の警戒心を醸し出しつつも小通りを進むその様は、どう見ても不審そのものであった。

 

「よう。こんな所で何してるんだ?」

 

 そんな女性へと突然投げかけられる声。女性が反射的に振り向くと、そこにいたのは白黒の衣服に身を包む小柄な少女。

 女性が進む先。周囲ばかりを気にしていた所為で、その存在に気付かなかったのだろう。黒い三角帽を頭に被り、金色の髪を棚引かせる一人の少女。霧雨魔理沙、その人である。

 

「あなたは、さっきの……」

「ん? 覚えてたのか。まぁ、そりゃそうだよな」

 

 妙に緊張した面持ちの女性とは対照的に、魔理沙は至極冷静な様子である。そんな心持ちの差が、女性の“不審さ”をより浮き彫りにさせている。

 この女性と出会ったのは、ついさっき商業通りでだ。出会った、と言っても魔理沙が無作為に聞き込みをした人物の一人に過ぎない。それ以前に接点を持っていた訳ではないし、それ以後も関係が続くとは魔理沙も思っていなかった。

 つい、先程までは。

 

「何だよその顔。何か良からぬ事でも考えていたのか?」

「……っ。い、いえ……。すいません、私急いでるので……」

 

 危機感を覚えたのか、女性は踵を返して路地裏を引き返そうとする。

 だけれども、そうは問屋が卸さない。

 

「あら? どこに行くつもりなのかしら?」

「……っ!」

 

 踵を返したその先に腕を組んで佇むのは、紅白の巫女服をその身に纏う一人の少女。

 

「まるで犯行現場の下見でもしているみたいね」

 

 博麗霊夢であった。

 

 女性の表情にますます狼狽が色濃く浮かぶ。前は魔理沙、後ろは霊夢。完全に逃げ道を塞がれてしまった事になる。冷や汗を流しつつもキョロキョロと視線を泳がしていた女性だったが、やがて生唾を飲み込むとようやく口を開く。

 

「あ、あなた達……。こ、こんな、時間帯に、女の子だけでこんな所に来るなんて……危ない、ですよ? だから早いところ、お家に帰った方が……」

「ん? ひょっとして心配してくれてるの? でも余計なお世話よ。私こう見えて結構強いから」

 

 無駄な抵抗である。苦し紛れに話を逸らそうとしたのだろうが、そうはいかない。

 メモ帳を取り出しつつも、魔理沙は彼女へと言葉を投げかける。

 

「ここ最近、人里で続発している殺人事件。勿論、知ってるよな?」

「そ、それが何か? 私の知っている情報なら、先程あなたにお話した内容が全てで……」

「あぁ、その節は助かった。お陰で決定的な情報を掴む事ができたんだからな」

 

 女性が息を飲み込んでいるのが分かる。けれどそんな事などお構いなしに、魔理沙に続くような形で今度は霊夢が口を開いた。

 

「被害者は全員、若い男。夜道を一人で歩いていた所を何者かに襲撃され、殺されているそうね。でも目立った外傷は全く残ってないし、具体的な殺害方法が分からない。人里でも散々噂になってるわよ?」

「な、何が言いたいんです……? 私だって、それ以上の事は何も……!」

「何も? 知らないとでも言いたいわけ?」

 

 口籠る女性へと向けて、霊夢は更に追撃する。

 

「あんただけなのよねぇ……」

「えっ……?」

「他の連中から聞き出せたのは、被害者は若い男ばかりだったとか、夜中に襲われただとか……。精々その程度の噂話。でもあんたは違う。被害者は()()()()()()()()()()()だなんて、そんな具体的な状況を口にしたのはあんただけだったのよ」

「…………ッ!?」

 

 女性の表情が驚愕に染まる。みるみるうちに血の気が引いていく。それでも彼女は口を開くが、最早動揺が完全に露呈してしまっていた。

 

「そ、そんな、事……。どうして、分かって……」

「魔理沙が事細かにメモを取っていたお陰ね。誰がどんな情報を口にしたのかまでも、律儀にリストアップしちゃってさ。ま、お陰で尻尾を掴む事ができたんだけど」

 

 得意気な表情を浮かべながらも、魔理沙はメモ帳を掲げる。所狭しと文字が書かれているように見えるが、けれども乱雑という訳ではない。

 どんな些細な情報であろうとも、彼女はきっちりとメモを取っていたのだ。事細かに整理した上で。

 

「ふぅ……。下手に第三者ぶろうとしたのが仇となったわね。あの時まさか魔理沙に声をかけられるとは思ってなかったんでしょうけど、でも余計な事まで喋りすぎ。迂闊だったって事ね」

「…………っ」

 

 遂には女性は視線を逸らし、そして俯いてしまう。

 目に見えて分かる狼狽。分かりやす過ぎる反応。これでよく今までバレずに済んだものだとは思うけれど、無理もないだろう。

 なぜなら彼女は、どこからどう見ても普通の人間にしか思えない姿なのである。“人間以外の犯行である”という固定観念に囚われていた人里の住民達は、彼女に対して不審な目を向ける事すらしなかったのだろう。

 

 八雲紫に守護されている人間の里。けれどそれ故に、住民達は半ば平和ボケしてしまっている。

 故に気を回さなかったのだ。人外であるという特徴が、必ずしも目に見える場所に存在している訳ではないという事に。

 

「さぁ、分かったなら無駄な言い逃れは止めなさい!」

 

 お祓い棒を突き出しつつも、霊夢は声を張り上げる。

 

「さっさと正体を現すのよ!」

 

 最早これ以上の誤魔化しは不可能。完全に追い詰められたあの女性は、俯いたまま動かなくなってしまっていて。

 けれど、だんまりを決め込んだ訳ではなく。

 

「はぁ……」

 

 深々と嘆息をした後に、

 

「あーあ……。バレちゃったかぁ……」

 

 ()()した。

 

「……っ!」

「うお……! なんだこりゃ……!?」

 

 突如として吹き荒れる烈風。思わず霊夢は腕で陰を作り、そして魔理沙は帽子を押さえる。

 瞬く間に充満する重苦しい雰囲気。背筋に悪寒が走るかのようなこの感覚は、実に分かりやすい特徴だ。慣れない者がこの場にいればあっという間に具合が悪くなってしまいそうだが、お生憎様、霊夢も魔理沙も異変解決のスペシャリスト。この程度ではどうとにもならない。

 

 怨念。それが強く込められた気味の悪い霊気は、明らかにあの女性から放たれていて。

 

「思った通りね……!」

 

 霊気を振り払いつつも、霊夢は顔を上げる。

 

「やっぱり亡霊だったのね、あんた……!」

 

 亡霊。死して尚三途の河を渡る事が出来ず、顕界に留まってしまった人間の霊を示す通称。死んだ事に気付かない場合や、この世に強すぎる未練が残っている場合に亡霊となってしまうのだが、彼女は明らかに後者であろう。彼女から放たれるこの霊気、実に分かりやすいくらいに怨念がたっぷりだ。“恨み”という形で未練が残っている事が確実である。

 

「あぁ、もう……。まさかこんなにも早くバレちゃうなんて……。油断したなぁ……」

「ふん、残念だったわね。この人里で悪事を働く事がそもそもの間違いよ」

 

 頭を抱えた女性に対し、霊夢は容赦なく言葉を浴びせる。

 最早あの亡霊の悪事もここまでだ。こうして霊夢に正体がバレてしまった以上、退治される他に道はない。

 けれどまだだ。まだ解せない事が残されている。それを確認する為に、魔理沙は彼女に質問する。

 

「どうして殺したんだ? それがお前の未練なのか?」

「ええ、そうよ……」

 

 女性はあっさりと首を縦に振った。

 

「あの男……あいつだけは絶対に許せなかった……! 私を良いように利用して、弄ぶだけ弄んで……! 最後は無残にも切り捨てたのよ……? あんなクズ野郎、死んで当然じゃない!」

 

 完全に本性を現した女性は、精一杯の恨みを込めて吐き捨てるように言い放つ。やっぱりそうだったか、と魔理沙は納得していた。

 第一被害者であるあの男性。はっきり言って、あまり良い噂は聞いていない。とっかえひっかえに女性を弄び、時には暴力を振るって無理矢理にでも従わせる。そして都合が悪くなったらゴミのように切り捨てるなどといった悪行を繰り返していたらしく、心に深い傷を負ってしまった女性も多いと聞く。中には自殺をしてしまった者もいるようだ。

 

 おそらく彼女は、そんな男性の被害に遭った人物の一人。死んだ事で彼に対する恨みが膨れ上がり、亡霊として顕界に縛り付けられてしまったのだろう。

 基本的に亡霊は、残した未練を晴らす為に行動する場合が多い。彼女にとっての未練は、あの男に復讐する事だったのだ。

 

 納得である。決して許される行為ではないが、それでも殺害の動機としては十分に納得できる。

 けれど分からない。これは一度の殺人事件などではなく、連続殺人事件なのだ。

 

「最初の男を殺した理由は分かった。でもそれじゃあ、どうしてその後も犯行を続けたんだ? 二人目以降の被害者は、お前とは関係なかったはずだろ?」

 

 そう、それである。

 あの男は誰に恨みを持たれてもおかしくはない程の人物だ。特にあの男の被害に遭った女性であるならば、殺意を持ってしまっても仕方がないと言える。そんな彼女が亡霊となり、その恨みを晴らすためにあの男を殺害した。そこまでは分かる。

 けれどその後は? 二人目以降の被害者は全員、あの男とは無関係。殺されなくても良い人物ばかりだったはずだ。

 

 それなのに、どうして。

 

「足りないのよ……」

「……は?」

 

 けれど。

 彼女が口にしたのは、とんでもない返答だった。

 

「あいつを殺す事ができて、それで満足だと思ってた……。でも、足りない。あいつ一人を殺しただけじゃ、私の恨みは消えなかった……。私の心は満たされなかった……!」

「なっ……」

 

 こいつは何を言ってるんだ?

 魔理沙のそんな疑問など露知らず、女性は続ける。

 

「だから殺した。もっともっと殺さなければ、私の未練は晴れないって……そう思った。でも、まだ足りない。殺しても殺しても、殺しても殺しても殺しても……! 足りない……。殺し足りない」

「お、おい……」

「だからもっと殺さなければならない。殺して殺して、殺して殺して殺して殺して……! 殺して、殺さなければならない……。私はもっと、殺さなければならないのよッ!!」

 

 膨れ上がる怨念。溢れ出る霊気。未練を晴らすだとか、最早そんなレベルの話を超えてしまっている。

 異常だ。この女性は、最早亡霊という枠組みから外れかけてしまっている。あまりにも強すぎる怨念に取り付かれ、本来の未練も忘れてしまっていて。今や、殺人を繰り返すだけの狂人と成り果てつつある。

 第一被害者と歳が近い男性ばかりを狙って犯行を重ねている辺り、まだ完全に理性がなくなってしまった訳ではなさそうだが――。

 

「……話にならないわね」

 

 そんな女性の主張を黙って聞いていた霊夢だったが、いい加減痺れを切らしてしまったようだ。

 不機嫌そうな面持ちで霊夢は言い放つ。

 

「誰かへの恨みという形でこの世に未練を残した亡霊の主張なんて、大体そんなもんよ。殺し足りないから殺す。そんなトンデモ持論がまかり通ると思っているのなら、これ以上あんたから何を聞いても生産性なんてカケラもないわ」

 

 そして霊夢は、再びお祓い棒を突き付ける。

 

「話は終わりよ! 大人しくお縄につくか私に退治されるか、どちらか好きな方を選びなさい!」

 

 一瞬、辺りに静寂が訪れた。

 霊力を解放し、亡霊としての本性を現した女性。けれど霊夢と魔理沙の手によって正体を暴かれた時点で、これ以上の犯行は不可能である。並みの人間相手ならまだしも、相手はあの博麗の巫女とその友人。まだ亡霊になったばかりの彼女では、霊夢達には到底敵わない。

 

 そう。()()になったばかりであるならば。

 

「まだよ……」

 

 俯いた女性。霊夢からお祓い棒を突き付けられた彼女だったが、しかしまだ諦めていない。

 

「私はまだ、退治される訳にはいかないのよッ!!」

「っ!?」

 

 再び烈風。霊力を爆発させた亡霊女だったが、けれど臨戦態勢の霊夢に攻撃を仕掛けた訳ではない。

 踵を返して、飛び出して。向かう先には霧雨魔理沙。霊夢よりまだそちらの方が突破できる可能性が高いと、そう踏んでの行動だったのだろう。

 

「魔理沙!」

「おうよ!」

 

 けれど魔理沙だって、彼女に好き勝手させるつもりはない。懐からミニ八卦炉を取り出して、それを亡霊女へと向けて。

 

「止まれ! 簡単に通すとでも……」

「邪魔よ!!」

「えっ……?」

 

 何が起きたのか。その瞬間では理解できなかった。

 ミニ八卦炉を取り出して、そこに魔力を集中させて。魔理沙お得意の魔法で彼女を動きを止めてしまおうと、そういう算段だったはずだ。

 

 けれど、それは叶わない。霧雨魔理沙の目論見は、打ち砕かれる事になる。

 

「なっ……!?」

 

 魔理沙が魔力を放出しようとした直前の事だ。亡霊女から突如として放たれた霊力は、魔理沙の想像を遥かに凌駕する程に強大なものだったのである。

 どす黒い光が目に見える程に強大な霊力。感じた事もないような不気味な感覚と共に吹っ飛ばされた魔理沙は、路地の壁に背中から叩きつけられてしまう。ミニ八卦炉を落としてしまったが故に集中していた魔力は四散。放出までには至らない。

 

「うぐっ……!?」

 

 鈍い痛みから顔を顰めえる魔理沙。その隙を亡霊女は見逃さない。

 けれど魔理沙へと追撃を加える事よりも、まずはこの場から逃げ出す事を選択したらしい。忌々し気に魔理沙を一瞥した後に、彼女はそそくさと立ち去ってしまう。

 

「ま、待て……!」

 

 しかし待てと言われて素直に待つ馬鹿はいない。

 失態だ。圧倒的に優位な状況にあったはずなのに、亡霊女を逃がしてしまった。伸ばしたその手は虚しく空を掴み、逃げ去ってゆく亡霊女の背中を睨む事しかできない。落としてしまったミニ八卦炉を慌てて拾うが、時すでに遅し。

 

「っ! このっ……!」

 

 逃げ去ってゆく亡霊女へと向けて、霊夢も懐から取り出した封魔針を投げつける。けれど彼女はそれすらも物ともしてない様子だった。

 あまりにも早すぎる逃げ足。亡霊女は、複雑に入り組んだ路地の先へと逃げ込んでしまったらしく――。

 

「ちょっと魔理沙! 何やってんのよ!」

「わ、悪い霊夢……! 油断した……!」

 

 魔理沙は霊夢に文句を言われる。完全に亡霊女を取り逃がしてしまった。

 痛む背中を魔理沙は摩る。あの女、てっきりただの亡霊だと思っていたのだが――。けれどあの様子、明らかに普通じゃない。あそこまで強大で、かつどす黒い霊力。あんなものを持っている時点で、彼女は最早――。

 

「ったく。ほら、大丈夫? 立てる?」

「あ、ああ……。大丈夫だ、大した事ない」

 

 霊夢に手を貸してもらい、魔理沙は立ち上がる。

 

「あんにゃろー……。スペルカードルールを知らないのか……?」

「さぁね。でも何にせよ、あまりのんびりしてらんないわよ」

「そうだな……」

 

 亡霊女が消えた路地の先を睨みつつも、霊夢は舌打ちをした。

 

「随分と面倒な事になってるわね、あれ……」

「アイツは色々とヤバイ……。早いところ追いかけないとマズいぞ霊夢。このままじゃ……」

「ええ。今度は無差別に人を殺しかねないわね……。急ぐわよ、魔理沙!」

「ああ!」

 

 逃げ去って行った亡霊女を追いかける為に。霊夢達も路地の先へと走り出した。

 

 

 *

 

 

 息せき切って、彼女は走り続けていた。

 路地裏を抜けて、一度通りに出て。そしてまた別の路地裏へと逃げ込む。そしてまた通りへと出る。殆ど普通の人間と同じ姿をしているお陰で、人混みに紛れてしまえば奴らの目を攪乱させる事も不可能ではないだろう。このまま行けば、必ず逃げ切る事が出来る。

 

 逃げて、逃げて、逃げて。通りに出て、路地裏に入って。また通りに出て、そして路地裏に入る。そんな事を繰り返している内に辿り着いたとある路地裏にて立ち止まり、彼女は乱れた息を整えようとしていた。

 

「はぁ、はぁ……。ふ、ふふふふ……。ここまで来れば……!」

 

 幾ら博麗の巫女とその友人と言えど、所詮は子供。大人の、しかも亡霊である自分の方が、体力的にも上である。

 大丈夫だ。もう追い付かれる事なんてない。

 

「これで……」

 

 これで。

 

「これで、また殺せる……」

 

 そう。殺せる。殺す事が出来る。

 亡霊となった自分の未練は何だ? それはあの男に復讐する事だった。夜中に一人になった所を隙を見て襲い掛かり、強力な呪いを植え付けてやって。そうすれば、あいつは簡単に死んでしまった。苦しんで、倒れこんで、のたうち回って。けれどそれも一瞬だけ。驚くほどにあっさりと、あいつは死んでしまったのだ。

 

 満たされない。

 私はあいつに苦しめられたのに、あいつはそれに見合うだけの苦しみを受けていない。

 

 そう思うと、彼女は胸に渇きを覚えた。もっと、もっと、もっともっともっと。苦しみを与えなければ、この渇きは潤せない。満足する事が出来ない。

 だから殺す。もっと殺す。殺して、殺して、殺しまくる。

 

 自分が受けた苦しみと、同等の苦しみを振りまいてやる。

 それくらいしないと、満たされる訳がないだろう?

 

「あ、は……」

 

 女性は得体の知れぬ愉悦を覚える。殺せると思うと、胸の奥が高まってしまって仕方がない。

 楽しい。楽しい、たのしい、タノシイ。

 

「あはっ……。あはは……! アハハハ!!」

 

 女性は笑う。狂ったように笑う。

 笑い声は木霊して、路地裏へと響き渡る。けれどどうせ誰も聞いちゃいない。だから知ったこっちゃない。

 だから笑う。この愉悦を受け入れて、その上で笑う。

 

 タガが外れた亡霊女は、最早人間だった頃の面影すらなくなりかけていた。復讐に駆られ、怨念に飲み込まれ。幾ら未練を晴らそうとも、満足する事ができない。成仏する事はできない。

 この女性は。既に、もう――。

 

「……哀れですね」

 

 突如として流れ込んでくる声。亡霊女は反射的に口を閉じて、そして弾かれるように振り返る。

 嘘だ。有り得ない。だってついさっきまで、周囲に人の気配は感じられなかったじゃないか。にも関わらず、どうして。

 

「……ッ!?」

 

 亡霊女は息を呑み、そして路地の先を凝視した。

 暗闇の中、コツコツと靴底を鳴らす音が響く。おもむろに歩み寄ってくるのは、あの紅白巫女でも、白黒魔法使いでもない一人の少女。

 

 小柄な少女だ。雪のように白い肌に、銀色のセミロングヘア。その身に纏うのは緑を基調とした衣服で、そして腰に携えているのは――二本の剣。

 この薄暗闇の中でも分かる。鮮やかな紅の瞳が、憐れむようにこちらの姿を捉えていて。

 

「未練を残し、亡霊として顕界に縛り付けられる。それは然して珍しい現象という訳ではありません。けれどあなたは、それだけじゃない」

 

 歩み寄りつつも、少女は喋り続ける。

 

「憎悪に呑まれ、怨念に溺れ。未練は楔となってあなたを顕界に張り付けている。幾ら潤いを渇望した所で、あなたの渇きは癒えない。あなたが満たされる事はない。あなたは、もう……成仏する事ができない」

 

 少女は一方的に喋り続ける。けれどあまりにも回りくどい。

 亡霊女は表情を歪ませる。こいつは一体何だ? 直前まで気配を全く感じなかった事に関してもそうだが、それ以上に気になるのはこの口振り。

 まるで、こちらの事情を理解しているかのような。そんな戯言。

 

「何なのよあなた……。一体何が言いたいのよ……!?」

「……いえ。ただ……」

 

 立ち止まった少女は、今も尚悲し気な表情のままで。

 

「どんな事情があるにせよ、無益な殺生を繰り返すあなたを見過ごす訳にはいかないと思いまして」

「…………っ」

 

 成る程。そういう事だったのかと、亡霊女は納得した。

 とどのつまり、こいつも博麗の巫女達と同じであるという事だ。人里で人殺しを繰り返す存在の話を聞いて、その悪行を止める為にこうしてここまで足を運んでいる。ひょっとして、こいつも博麗の巫女の仲間なのか? いや、今はそんな事などどうでもいい。

 

 腹が立つ。何も知らない癖に。この苦しみを味わった訳ではない癖に。それでも知ったような口を利く。青臭い正義感でも感じているのだろうか? だとしたらますます腹立たしい。

 

「ふざけないでよ……」

 

 何が見過ごせない、だ。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 

「これ以上、誰にも邪魔はさせないわ……!」

 

 亡霊女は声を張り上げる。それに呼応するかのように、自らの霊気が加速度的に高まってゆく。

 膨れ上がる霊気。烈風を作り上げ、砂埃を舞い上がらせても尚、止まる事を知らない。

 

「それでも邪魔をするのだと言うのなら……」

 

 亡霊女は癇癪を起す。最早本来の未練など、綺麗さっぱり忘れ去ってしまったかのように。

 怨念に身を任せ、ただ憎悪の赴くままに。

 

「オマエも殺してやるッ!!」

 

 亡霊女は飛び出した。

 狙うは五月蠅いあの小娘。霊力を更に膨れ上がらせ、怨念を更に増幅させて。忌々しく、禍々しく、おどろおどろしい霊力の塊を。呪いとして、その小娘へと――。

 

「……ッ!?」

 

 ぶつけようとした、その時だった。

 突如として胸部に走る鋭い痛み。幽霊ほど存在が希薄ではない亡霊だからこそ感じ取る事が出来る、直接的なダメージ。カッと熱が込み上げてくるかのような感覚の後、亡霊女はむせ返る。

 血反吐を吐いて、激しく咳き込む。

 

「ごふっ……!? がっ、は……!?」

 

 分からない。何が起きた? ただ、あくまでこちらの邪魔をするあの小娘を排除する為に、彼女は怨念の籠った呪いをぶつけようとしただけだ。どす黒い霊気を爆発させ、呪いを内側から蝕ませて。今まで殺した奴らと同じように、あの小娘も殺してしまおうと。そう思っていたのに。

 なぜだ。あの小娘は目の前にいたはずだろう? それなのに、いつ背後に回り込んだのだ? 腰に携えていた長刀を、抜刀した上で。

 

「あ、あっ……ああ……」

 

 視線を落とすと見えるのは、血に染まった長刀。銀色の髪を持つ少女が抜き放った長刀は、亡霊女の胸を背中から貫いていた。

 ドクドクと溢れ出る鮮血。響き渡る痛み。それでも何とか意識を保って、亡霊女は視線を回して背後を見る。少女の冷たい瞳が、こちらの姿を捉えていた。

 

「どうしたのです?」

 

 抑揚のない声。首を傾げつつも、少女は口にする。

 

「私を殺すのではなかったのですか?」

 

 何だ。何なんだ、こいつは。

 ただの小娘などではない。そもそも人間かどうかも疑わしい。彼女の傍らにあるあの大きな霊魂はなんだ? 幽霊か何かの類なのか? いや、そうだ。思い出した、確か、前に聞いた事がある。

 幽霊と人間のハーフ。死者と生者の特徴を同時に併せ持つ存在。

 半人半霊という、種族の事を。

 

「ふ、ふふふ……」

 

 けれど。

 この少女の正体が何であろうと、そんな事は知ったこっちゃない。人間と幽霊のハーフ? だからなんだっていうんだ。

 

「半人半霊……。幽霊と人間のハーフ……。そんなあなたなら分かるはずよ……」

 

 亡霊女は、ニヤリと笑う。

 

「私は亡霊……。顕界に縛り付けられた人間の魂……」

 

 それ故に、アドバンテージがある。

 

「既に死んでいる今の私に、こんなナマクラなんて……」

「ええ。通用しないでしょうね。ですからこうします」

「えっ――?」

 

 ざしゅっと、肉が斬り裂かれるような感覚。その直後に響くのは、ぐちゃりという、これまた肉が抉られるような感覚だった。

 四散する鮮血。けれど、痛みはない。いや――それどころか、今の今まで感じていた鋭い痛みさえも引いてゆく。

 

 感じた事もない感覚。身体が軽くなるような浮遊感。四散した鮮血だったが、けれども血だまりを作るような事もない。蒸気となって、急激に蒸発してゆく。

 

(な、に……!?)

 

 分からない。何だ? 何なんだ、これは?

 倒れ込む亡霊女。そんな彼女の瞳が捉えるのは、半人半霊の少女が手に持つ二本の剣。片方は先程亡霊女を貫いたものだが、けれどもう片方は違う。

 短刀。肉を抉られるかのようなあの感覚は、間違いなくあの剣によるもので。

 

「白楼剣は迷いを断ち斬る妖刀です」

 

 倒れた女性を見下ろして、半人半霊の少女は言う。

 

「あまり使い過ぎると閻魔様に怒られてしまうので、出来れば避けたかったのですが……。まぁ、致し方ないでしょう」

 

 身体がますます軽くなる。けれどそれに比例して、瞼は重くなってゆく。

 そして感覚が、遠のいてゆく。

 

「怨霊となった今のあなたを、救う手立てはありません」

 

 声が聞こえる。けれど、それだけだ。立ち上がって飛び掛かる事も、最早何かを言い返す事も出来やしない。

 

「……そんなあなたには、せめてもの安息を」

 

 消えてゆく意識。遠のいてゆく声。

 

「さようなら」

 

 そんな彼女が最後に目にしたのは、悲し気な表情を浮かべる少女の姿だった。

 

 

 *

 

 

 取り逃した亡霊女を追いかけ始めてから数分。霊夢の勘を頼りに人里を駆け抜けていた魔理沙達は、とある路地裏にまで辿り着いていた。

 淀んだ空気。重苦しい雰囲気。間違いなくここに奴がいると踏んで足を踏み入れた魔理沙達だったが、けれどその目に飛び込んできたのは衝撃的な光景。

 

「なっ……!?」

 

 驚愕のあまり目を見開く魔理沙。そこにいたのは、消滅してゆく亡霊女を冷たく見下ろす一人の少女の姿だった。

 魔理沙とほぼ同じくらいの小柄な体格。銀色の髪。緑を基調とした衣服。そして傍らに連れる大きな霊魂。

 

 知り合いだ。出会ってから、もう結構長い付き合いになる。魔理沙もよく知っている、この少女は――。

 

「妖夢……?」

 

 名を呼ぶと、彼女はおもむろに振り向いた。

 手に持っていた二本の剣を、鞘に仕舞いつつも。彼女はその紅色の瞳で、こちらの姿を認識して。

 

「あっ……魔理沙。それに、霊夢も」

 

 魂魄妖夢。冥界の白玉楼にて庭師を勤める半人半霊の少女。

 冥界の住民でありながら頻繁に顕界へと赴いているので、彼女がこの場にいる事に関しては然して気になる事ではないのだが――問題はそこじゃない。

 魔理沙の目に飛び込んできた事実。消滅してゆく亡霊女と、そんな彼女を見下ろしていた妖夢。それが意味する事は――。

 

「ひょっとして、魔理沙達も例の騒動を追っていたの?」

 

 けれどまるで何事もなかったかのように、妖夢は口を開く。

 

「でも一足遅かったね。もう私が片をつけちゃったから」

「片をつけたって、お前……!」

「本当はもっと穏便に事を済ませたかったんだけど……。まぁ、仕様がないよね。あんな状態じゃ……」

 

 冷静だ。妖夢は至極冷静に、淡々と語り続けている。

 そんな彼女の様子が。魔理沙には少し、不気味に感じた。

 

「……斬ったのか? 白楼剣で……」

「……うん」

 

 彼女は。この少女は。自らあの亡霊を手にかけたのにも関わらず、その上で未だに冷静さを保っている。まるで他人事みたいに、淡々と自らが取った行動を分析している。

 分からない。なぜだ? どうしてこいつは、こんなにも。

 

「どうして、平気そうなんだよ」

「えっ?」

「斬ったんだろ!? 白楼剣で、あの亡霊を消したんだろ!? なのに何とも思わないのかよ!?」

 

 そうだ。その点がおかしい。納得できない。

 白楼剣は迷いを断ち斬る。つまり幽霊や亡霊に対しては強制成仏を示す。本来、亡霊の成仏には未練の解決や死体の供養等の正式な“手順”が存在するが、白楼剣の前ではそんな“手順”など関係ない。無関係に、成仏させる。

 

 つまるところ、言い換えれば。止めを刺す、という事だ。

 死して尚死に切れず、顕界に留まる死にぞこない。そんな亡霊達を、手にかけるという事なのだ。

 

 だから何とも思わない訳がない。あの亡霊女のような狂人でもない限り、その行為には多少なりとも躊躇いが生じるはずなのだ。

 それなのに。

 

「……いちいち何かを感じていたら、キリがないよ」

 

 どうして、この少女は。

 

「ひょっとして、心配してくれているの?」

 

 それでも尚。

 

「だとしたらありがとう。でも大丈夫。私は平気だから」

 

 こんなにも、渇いた笑みを浮かべ続けているんだ。

 

「ふざけるなよ……」

 

 納得できない。そんな笑顔じゃ、納得なんて出来る訳がないじゃないか。

 半人半霊の半人前。生真面目で、臆病で、その癖に正義感だけは強くて。けれども誰かを手にかけるなんて、そんな事など出来る訳がない少女だったはずなのに。

 

「お前……。お前は……!」

 

 今の彼女は、まるで――。

 

「お前は……ッ!!」

「ちょっと魔理沙。落ち着きなさいよ」

「なっ……」

 

 割って入ってきたのは霊夢だった。

 頭に血が昇った魔理沙の肩を叩く。霊夢の様子は落ち着いていて、魔理沙とはまるで対照的で。だからこそ、魔理沙は困惑した。

 

 妖夢の話を聞いて、彼女は何も思わないのだろうか。

 

 そんな魔理沙の困惑など露知らず。霊夢は妖夢へと向き直って。

 

「まぁ、そうねぇ……。私の獲物を横取りしたのは気に入らないけど、でもあんたの取った行動は間違っちゃいないわ。あの状態じゃ、白楼剣でぶった斬った方が手っ取り早くて確実だし」

「おい霊夢! お前……!」

「だから落ち着きなさいって言ってるでしょ魔理沙。あんたは身をもって体感したはずよ。あの亡霊女の状態を」

「そりゃ、そうだけど……」

 

 そう、その通りだ。怨念に飲み込まれたあの亡霊女は、既に怨霊化が深刻なほどに進行していた。

 怨霊。本来の未練も忘れ、ただ呪いをまき散らすだけの存在。幾ら呪いを振りまいても怨みが消える事はなく、幾ら人を殺しても未練が晴れる事はない。未練が晴れないという事は正攻法で成仏させる事ができないという事であり、最終的には強引に祓うしかなくなってしまうのだが――。

 

 分かっている。そんな事は分かっている。

 でも。

 

「妖夢はただの庭師で、しかも半分は人間だろ。それなのに、こんな」

 

 こんな。

 血生臭い、汚れ仕事なんて。

 

「……優しいんだね、魔理沙は」

 

 妖夢の優し気な声が、魔理沙の耳に届く。

 違う。優しいとか、そんなのじゃない。魔理沙はただ、気に食わないだけだ。感情を押し殺し、自分の気持ちにさえ嘘をつく。そんな彼女の心情が。

 

「私、そろそろ行かなくっちゃ。お夕飯の準備もしなきゃいけないし……」

 

 すると妖夢は踵を返す。そしてそのまま、振り返る事もなく。

 

「またね。二人とも」

 

 おもむろに歩き出し、暗闇の中へと去って行ってしまった。

 

 ギリッと、魔理沙は歯軋りをする。そしてぎゅっと、拳を強く握り締める。

 胸の中がモヤモヤする。あんなものを見せられて、何も気にならない訳がない。

 

 正しいとは思えない。幾ら妖夢の持つ剣が、霊を強制成仏させる効力を持っていても、だ。

 

「まったく。魔理沙はいつも甘いのよ」

 

 肩を窄めた霊夢が、そんな事を言ってくる。

 

「どうせ今回も、穏便に供養してやろうとでも思ってたんでしょうけど。でも四の五の言ってられない場合だってあるのよ? あのままあの亡霊女を放っておいたら、被害者が増える一方だっただろうし」

「……ああ。分かってるさ、そんなこと」

 

 分かっている。けれどこの気持ちは、理屈だけじゃ納得なんて出来やしないのだ。

 昂った気持ちを落ち着かせつつも、魔理沙は口を開く。

 

「妖夢のヤツ……変わったよな」

「……変わった?」

「だって、そうだろ?」

 

 妖夢はあんな奴じゃなかったはずだ。少なくとも、そう。地底の地獄鴉が引き起こした、あの異変の前までは。

 

「なんつーか、もっとこう、年相応の女の子らしかったはずだろ? それなのに、今のあいつは……」

 

 まるで。達観な自分を()()()()()かのような――。

 

「……さあね。まぁ、でも」

 

 妖夢が消えていった暗闇へと視線を向けつつも、霊夢は呟いた。

 

「確かに、ちょっと気に食わないわね」

 

 

 *

 

 

 妖夢は暗闇を歩く。弱々しく、とぼとぼと。月明りに照らされた人里を、彼女は一人で歩いてゆく。

 ふと空を見上げると、優し気な光を放つ月が目に入ってくる。今宵は満月。暖かな春先の陽気が心地いい、朧月の夜だ。薄い雲がかかっても尚、月は地表を照らし続けている。

 

 妖夢の脳裏に、記憶が過る。あの日も確か、満月だったはずだ。大切な人の言葉を聞いて、大切な人達の想いを受け止めて。そして妖夢もまた、自らの想いを貫き通した。あの人の気持ちを、無駄にはしない為に。彼の想いに、答える為に。妖夢はこうして、道を選んだ。

 

 だから彼女は、ここにいる。

 

「…………っ」

 

 ふと、妖夢は魔理沙の言っていた事を思いだす。

 

『斬ったんだろ!? 白楼剣で、あの亡霊を消したんだろ!? なのに何とも思わないのかよ!?』

(……何とも思わない、か)

 

 それはつまり、あの行為に躊躇いはなかったのかという事なのだろう。

 白楼剣による亡霊の強制成仏。言うなれば亡霊を殺すというあの行為に、躊躇いはなかったのか。何も感じなかったのか。その答えは決まっている。

 

「……感じたって、気にしない」

 

 何も感じない訳がない。妖夢だって少なくとも半分は人間で、まだ成人にも満たない女の子なのだ。自らの手で誰かを下すという行為など、本来ならば請け負うべき年頃ではない。

 だけれども。それでも妖夢は、躊躇わない。

 悲しいだとか、苦しいだとか。そんな感覚も確かにある。けれどそれに気を向ける事はない。自分が成すべき事を前にして、そんな余計な感情にまで気を遣う必要なんてない。

 

 躊躇ってはいけない。

 迷いなんて、生じさせてはいけないのだから。

 

「……そうだよ」

 

 手首に身に着けたブレスレット。無意識の内に、妖夢はそれを握り締める。

 薄く笑みを浮かべながらも、妖夢は呟いた。

 

「私はもう、迷わないって決めたんだから」

 

 朧月が地表を照らす、春先の夜。

 魂魄妖夢が幻想郷に帰還してから、二年の年月が経過していた。




ども。という訳で第弐部、連載開始です。
それに伴ってあらすじを一新したり、タグを追加したりしました。第壱部の内容の変更等はありませんが、不自然・不適切な表現を修正したりする場合はあります。

それでは、今後とも「桜花妖々録」をよろしくお願いします。

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