桜花妖々録   作:秋風とも

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第73話「少女の恋心」

 

「無理ね」

 

 開口一番にそれだった。もう少しオブラートに包んでくれても良かったのではないかと、思わずちょっぴり考えてしまう。

 

 あの後。失われた進一の記憶を取り戻す手掛かりを見つける為、妖夢は彼と共に幻想郷へと足を運んでいた。そして真っ先に訪れたのは、ここ最近よく世話になっている薬師の所である。

 迷いの竹林。その中に忽然と現れる大きな日本屋敷。大昔に建てられたはずなのに、何故だか劣化を微塵も感じさせない不思議な建造物。

 

 永遠亭。そんな辺鄙なお屋敷で薬師を営んでいる八意永琳は、妖夢にとっても信頼を置ける人物の一人である。

 彼女は天才だ。常人では真似できぬようなロジックを組み立て、常人では考えられぬような結論に辿り着く事が出来る。それ故に思考が読めず、何を考えているのか理解できない部分もあるが──。それを差し引いてでも信頼できる部分が彼女にはある。

 

 八意永琳は真実しか口にしない。余計な世話を焼いて、気休めにしかならぬような嘘を口にする事はない。

 それは彼女の信条か、それとも天才故の思考回路なのか。定かではないけれど、事実として彼女の言葉には必ず根拠が存在するのだ。

 だから信頼できる。嘘偽りのない彼女の言葉ならば、それは紛れもなく真実なのだから。

 

 そう。分かっていた。

 彼女が気休めなど口にする訳がないと、そんな事は初めから分かっていた事じゃないか。だからこの程度で一々気圧されていては身体が持たない。

 

「……理由を聞いても?」

「単純な話よ。幾ら私でも、死んだ人間を生き返らせる事なんて不可能って事」

 

 妖夢の問いに、ただ淡々と永琳はそう答える。

 死んだ人間を生き返らせるなど、随分と飛躍した解釈だ。ただ妖夢は、記憶を失った進一の診察を彼女に頼んだだけなのに。別に進一を生き返らせてほしい、なんて酔狂な事を言っている訳じゃない。ただ妖夢は、お得意の薬技術で進一の記憶を取り戻す事は出来ないのかと──。

 

「同じ事よ。彼……えっと、進一だったかしら? その彼は既に死んでいて、今は亡霊として存在を保てている状態。確かに姿形だけは普通の人間のように見えるかも知れないけれど、でも根本的に人間とは違う。実体はあるけど、肉体はない。精神はあるけれど、『生命』は既に消失している」

 

 薬品の匂いが漂う診察室。椅子に座っていた永琳は、足を組み直しつつも言葉を続ける。

 

「半人半霊みたいに半分でも生きているのならともかく、流石に完全に死んでいる亡霊の“何か”を再生する事なんて出来ないわ。幾ら私でも、そこまで行くと流石に管轄外よ」

 

 静寂が漂う診察室に、そんな永琳の声は嫌というほど響いた。

 容赦のないストレートな事実。けれどそんな言葉を浴びせられている張本人であるはず岡崎進一は、意外にも冷静な様子である。貴重な手がかりが一つ潰えてしまったのに、それでも彼は少なくとも表面上は平静を保てているようだ。

 

「……そうか。やはり、どうにもできないか……」

「あら? 意外と落ち着いてるのね。まぁその方が話が早くて、私としては助かるのだけれど」

 

 冷静に真実を受け入れる進一に対し、永琳は感心したようにそう返す。

 多少なりとも予想は出来ていたから、進一はそこまで大きな動揺は見せなかったのだろうか。彼らしいと言えばらしい反応である。

 

「俺は既に亡霊だ。だから普通の人間を想定した対処方じゃ、どうしても限界がある。それがはっきりと断言出来るようになっただけで、今は十分に御の字だ」

「ふぅん……。それじゃあ、端から()()()()の期待しか抱いていなかったって事なのかしら? 私も随分と舐められたものね」

「え? い、いや……。別に、そういう訳じゃないが……」

「ふふっ。冗談よ。ちょっとからかってみたくなっただけ」

「……。あ、ああ……」

 

 何やら永琳は満足そうに笑っている。それに対し、進一は何とも微妙そうな表情を浮かべていた。

 感情乏しく淡々とそんな事を言われても、とても冗談とは捉えられない。相も変わらず、彼女は考えが読み取りにくい人物である。

 

「貴方も真面目ね。フォローのつもりだったのだろうけど、別に変な気を遣う必要なんてないのよ? 見ての通り、私は周囲からどう評価されようとも全く気にならないタイプだから」

「……らしいな」

 

 八意永琳はどちらかというと、自分が満足できれば周囲の評価などどうでも良いと思っているタイプの人物である。例え周囲の人々が彼女の事を幾ら批判しようとも、彼女はそんな意見など気にしないしそもそも眼中にない。流石に非人道的な暴挙に及ぶ事はないだろうが、良くも悪くも()()()()な一面がある女性なのだ。

 

「けど実はね、前に一度だけ試しに亡霊や幽霊向けの薬を開発してみた事もあったのよ。ウドンゲを使って実験してみたんだけど、でも結局上手くいかなかったのよねぇ。薬の効果と言えば、精々被験者となったウドンゲが二週間くらい死んだように意識を失って全く目を覚まさなかった事くらい? 当然それじゃあ実験成功とは言えないわ。やっぱり私の薬学技術じゃ、まるで生命の通っていない何かをどうこうするのは不可能みたいね」

「そうですか……。え?」

「うん?」

「…………」

 

 ──何だかさらりととんでもない事を暴露されたような気もするが、きっと気のせいだろう。こんなにも自然かつ至極平静を保った状態でそんな事を口走るなんて、幾ら何でもぶっ飛び過ぎである。十中八九、こちらの聞き違いであろう。

 昨日は色々と大変だったし、自分が思っている以上にまだ疲れが抜け切れていないのかもしれない。永琳の言葉を聞いた途端、同席していた鈴仙がまるでトラウマでも想起したかのように顔面蒼白となっていたが──きっと因果関係なんてないはずだ。

 

「え、えっと……。とにかく、進一さんの記憶喪失は、永琳さんでも治療できないと……。そういう事ですよね?」

「ええ。そういう認識で構わないわ」

 

 いずれにせよ、事態があまり好転していない事に変りはない。

 しかし永琳でもどうにも出来ないとなると、いよいよ手掛かりがなくなってしまうような気がする。果たして一体、これからどうすべきなのだろうか。

 どんなに些細な手がかりでも必死になって掴み取って、手繰り寄せて。でも結局、求める真実へと辿り着く事が出来ない。改めて見直すと、何だか二年前と状況が似ているような気もしてくる。思い返せば、あの時だってどうして妖夢はこの時代に帰ってくる事ができたのか、それは未だにはっきりとしていない。

 

 そう。

 二年前の事件も含めて、妖夢達は未だに明確なゴールに辿り着く事が出来ていないのである。分かっている事と言えば、霍青娥という人物が密接に関わっている事くらいだろうか──。

 

「……ところで、話は少し変わるのだけれど」

 

 そんな中。妖夢がどんよりと思い悩みがちになっていると、不意に永琳がそう声を上げた。

 反射的に顔を上げると、ちょうど彼女と視線がぶつかる。

 

「妖夢。貴方に幾つか、確認しておきたい事があるのよ」

「私に確認……ですか?」

「ええ。そうね、でも出来れば……」

 

 そこで永琳は、チラリと視線を妖夢から逸らす。そんな彼女が一瞥したのは、進一と鈴仙の姿で。

 

「貴方と二人だけで話がしたいわ。良いかしら?」

「二人で……?」

 

 一瞬だけ怪訝に思った妖夢だったが、けれどもすぐに永琳が言わんとしている事を何となく察して表情を引き締める。このタイミングで彼女が話題を切り出し、尚且つ鈴仙達の同席を望んでいないとなれば話はだいぶ絞られる。

 そう。彼女にだって、既に知られてしまっているのだ。

 二年前の、タイムトラベルを。

 

「……分かりました。お話しましょう」

「話が早くて助かるわ。それじゃあ……」

 

 そこで永琳は、さっきから黙りこくってまるで喋らない鈴仙へと改めて視線を向ける。

 

「ウドンゲ。暫くの間、彼と一緒に席を外してくれる? 取り合えず、客間にでも案内してくれれば良いから」

「えっ……!?」

 

 鈴仙が見せるのは、何やらやたらと大きなリアクションである。さっきまで妙に黙り込んでいたのに、永琳が話を持ち掛けた途端これである。

 動揺しているのだろうか。別に永琳は、とりわけ妙な要求をした訳ではないと思うのだが。

 

「あ、あの……! そ、それって、つまり……! わ、私が、この人を、案内するって事ですか……!?」

「だからそう言ってるじゃない。ほら、彼は亡霊でしょ? ここは永遠亭だから問題ないとは思うけど、死者である彼を一人で行動させると、いらぬ混乱を招く可能性もあるじゃない。彼にその意図があるなしに関わらず」

「そ、それは、そうですけどぉ……!」

 

 確かに永琳の言う通り、既に三途の河を渡ってしまった立場である進一を、無闇に一人にさせてしまうのも問題である。すぐさま映姫の説教が飛んでくる案件だ。鈴仙が一緒にいてくれるのであれば、妖夢としても安心なのだけれども。

 

「そ、そうですよね……。わ、私がやらなきゃですよね……」

 

 未だにやたらと怯えた様子の鈴仙。そんな彼女の姿を見て、妖夢はある事を思い出した。

 そうだ。そうだった。確か、鈴仙は──。

 

「さて、進一の事はウドンゲに任せておいて、私達も行くわよ妖夢。色々と説明して貰う必要がありそうだし、あまり時間を無駄にはできないわ」

「え? あっ、はい。今行きます」

 

 鈴仙を気に掛ける隙もなく、妖夢は永琳に永遠亭の奥へと招き入れられる。一先ず鈴仙にペコリとお辞儀を向けた後、妖夢は足早に永琳の後を追いかけた。

 鈴仙さん、大丈夫かなぁと。そんな思いを密かに胸に秘めながら。

 

 

 *

 

 

 永琳に連れてこられたのは、薬品やら何やらが棚の上に所狭しと並べられた個室だった。

 先程の診察室とは違う雰囲気。ここは所謂、永琳が薬の開発や実験に用いる為の部屋なのだろう。並んでいるのは何らかの薬品であるという事だけは分かるが、具体的にどんな用途で用いるのかまでは流石に理解出来ない。

 

 薬品独特の匂いが鼻孔をくすぐる。正直あまり得意な匂いではないが、今は我慢だ。

 図らずも妙な部屋に連れ込まれてしまった妖夢だったが、何も今から薬の実験台にされる訳ではない。これから行われるのはあくまで確認。二年前の事情を知っている永琳が相手だからこそ、こちらも包み隠さず話さなければならない。

 

「それじゃあ、早速話してもらいましょうか」

 

 妖夢を部屋に招き入れた後、くるりと振り返りつつも永琳が声をかけてくる。

 さて、果たしてどこからどう話すべきか。やはりここは、永琳の質問に対して正面切って真っ直ぐに答えてしまうのが吉だろう。彼女が相手なら、多少要領を得ない回答でも自分で補完して納得してくれるはず。

 

「そうね。まずは彼……進一について聞きたいのだけれど……」

 

 まぁ、そう来るだろう。当然の質問だ。

 亡霊でありながら記憶喪失。しかも一度三途の河を渡ってしまったのにも関わらず、未だに亡霊としての存在を保ち続けている青年。はっきり言って、彼のそんな特異性は幻想郷でも例外中の例外である。

 そんな亡霊を連れてきて、いきなり診察して欲しいなど。永琳は割とすんなり引き受けてくれたが、やはり怪訝に思う方が正常な反応というものだ。

 

「彼って──」

 

 けれど彼女の事だ。既にある程度の()()()はつけているのだろう。その上で、こうして妖夢に確認を取ろうとしているに違いない。

 それなら話は簡単だ。既に見透かされているのなら、今更変に誤魔化しを入れる必要はない。ここはずばっと、真実だけを口にして──。

 

 

「──ひょっとして、貴方の恋人?」

「ひゃい!?」

 

 反射的に変な声が出た。心臓が大きくどくんと高鳴り、跳ね上がるように身体が震える。

 いやいきなり何を聞いているのだこの薬師は。予想外の質問にも程がある。彼女が聞きたかったのは進一の正体だとか、タイムトラベル関連の事ではなかったのか。それなのに、どうして。

 

「い、いきなり何を聞いてるんですか!? え? お聞きしたい事ってこれなんですか!?」

「あら何? 違うの? 何だか仲良さそうだったから、私はてっきり……」

 

 妖夢の至極真っ当な疑問など、彼女は完全に無視である。いつも通りの淡々具合だが、けれど聞いてくるのは色恋沙汰。

 何なんだ。ひょっとして、何か意図があるのだろうか。実はこの質問には大きな意味があって、妖夢がそれに答える事で新たな真実に辿り着く事が出来るのだとしたら──?

 

「~~~~っ!?」

 

 思考が支離滅裂になっている。頭の中が混乱して、冷静な判断を下す事が出来ない。

 中々に阿呆臭い思考だとは思う。けれど相手はあの八意永琳。妖夢ではとても思いつかないような考えを抱いている可能性は十分にある。

 だとするのならば。

 

「そ、その……」

 

 ここは、正直に答えるしかあるまい。

 

「ま、まぁ……。そ、そう、ですけど……?」

 

 頬を真っ赤に染め上げて、妖夢は永琳へとそう答える。

 その直後。

 

 微妙な表情を向けられた。

 

「えっ、嘘……何? 本当に付き合ってたの? 冗談のつもりだったのに、その返答は予想外なのだわ……」

「馬鹿にしてるんですか!?」

 

 妖夢は思わずいきり立つ。

 一体何がしたいんだこの人は。訳が分からないにも程がある。と言うか、今冗談と言ったか? 冗談だったのか? こんなにもシリアス気味な雰囲気を醸し出しておいて?

 だとすればあんまりだ。キレそう。

 

「まぁ、いいわ。おふざけはこの辺にして……」

「おふざけ!?」

 

 どうやら本当に深い意味はない質問だったらしい。妖夢はキレた。

 けれども永琳は変わらず飄々とした様子である。幾ら妖夢が感情的になろうとも、のらりくらりと受け流されてしまっているように感じる。妙に図太いと言うか何と言うか。

 何となく、彼女には敵わないような気がする。色々な意味で。

 

「さて、本題に入るわよ。改めて、進一の事なのだけれど」

「ほ、本当に本題なんでしょうね……!?」

「流石にこれ以上脱線はしないわよ。まぁ、この際だから単刀直入に聞いちゃうけれど」

 

 妖夢が妙な警戒心を強める中、永琳はやはりいつもと変わらぬ様子で口を開く。

 

「彼……タイムトラベラー、なのでしょう?」

「…………ッ」

 

 本当に、直球で核心だけを的確に捉えた質問だった。あまりにもストレート過ぎて、妖夢は一瞬だけ呆気に取られてしまう。

 妖夢は生唾を飲み込む。急な話題の転換故か、思った以上に動揺してしまっているが──何も警戒する必要はない。この類の質問が飛んでくるのではないかと、それは端から予測していた事じゃないか。今更驚く事ではないはずだろう。

 

 息を整えて気を取り直し、妖夢は永琳の質問に答える事にする。

 

「……ええ、そうです。おそらく、永琳さんの想像通りでしょう」

「……そう。ま、タイミング的にそうじゃないかとは思ってたけど、でもまさかねぇ……」

 

 永琳は考え込むような素振りを見せる。

 難しそうな表情。幾ら天才と謳われる八意永琳にとっても、今回の件は少しばかり複雑なようだ。

 無理もない。ここまで例外的な出来事が立て続けに起きてしまうと、誰でも頭を抱えたくなるというものだ。幾ら何でも、不確定要素が多すぎる。

 

「二年前……貴方がタイムトラベルに巻き込まれた際に助けてくれた男の子というのが、彼の事ね? 今度はそんな彼がタイムトラベルに巻き込まれ、しかも亡霊となってしまった上に生前の記憶を失っている、と……。全く、流石にしっちゃかめっちゃかが過ぎるわよ」

「す、すいません……。私達も、殆ど事情を把握できてない状況でして……」

「それで私に白羽の矢が立ったってこと? 信頼してくれて痛み入るけど、流石に買い被りすぎよ。今の私は、あくまでしがない薬師でしかないのだから」

 

 肩を窄めつつも、永琳はそう口にする。彼女ほどの腕を持つ人物が()()()()薬師などと名乗るのも些か無理があるような気もするが、けれどこの状況をひっくり返す事が出来ないのも事実なのである。そういう意味では、彼女が立たされた状況もまた妖夢達と似通っているとも言えるかも知れない。

 

「彼……亡霊なのに記憶喪失って所も妙よね。未練も何も覚えてないのに、亡霊として存在を保つ事が出来るなんて。そんな特異性は、西行寺幽々子だけだと思っていたけれど」

「……確かに、その点だけを見れば進一さんと幽々子様には共通点があるとも言えますが……」

 

 けれど正直、今は進一の記憶が失われた()()よりも、失った記憶()()()()の方が重要である。もしも彼がタイムトラベルの直前の事を思い出す事が出来たのなら、それを手掛かりにして原因そのものを追求する事だって可能かも知れない。無論、記憶喪失とタイムトラベルに何らかの因果関係がある可能性もあるが、いずれにせよ彼が何かを思い出してくれない事には何も進まない。

 

 ──それに。

 彼の記憶は、妖夢にとっても大きな意味があるものだ。

 

「幻想郷のため、って気持ちも勿論あるんですけど……。それ以上に、進一さんには進一さんの為に記憶を取り戻して欲しいんです。外の世界での出来事を、まるっきり何も覚えてないなんて……。そんなの、とても悲しい事だと思いますから……」

「悲しい、ね……。でも現実的な事を言うと、死んで亡霊になるのではなく魂だけが正常に彼岸へと辿り着いた場合、その時点で生前の記憶は失われてしまうのでしょう? だったら今の進一は、ある意味輪廻通りの道を歩めているとも捉えられるんじゃないかしら? 死ねば生前の記憶は失われる。本来ならば、そっちが普通の事なのでしょう?」

「それは……」

 

 「ま、私には無縁の世界だけどね」と永琳は付け加える。妖夢は思わず俯いてしまった。

 そう。確かに、永琳の言っている事は正しい。正常に彼岸へと運ばれるような死者の魂は、基本的に生前の記憶を失っている。魄と魂が切り離された時点で、記憶という情報は成立しなくなってしまう。それでも尚記憶を保てているのなら、死んでも死に切れていないという事になる。

 未練によって顕界に縛り付けられた彷徨う亡霊。満足に成仏する事も叶わず、転生する事も許されない。いずれはその魂ごと怨念に囚われ、ただ災厄を振りまくだけの怨霊になり果ててしまうだろう。

 

 それでも西行寺幽々子という例外だって存在する。けれど進一もその例外と同一であるとは限らない。最悪の場合、本当に怨霊となってしまう危険性もあるだろう。

 だとすれば──。

 

「……質問を変えましょうか」

 

 口籠る妖夢を見かねたのか、永琳がそう切り出してくる。

 ともすれば冷酷とも捉えらえるような視線。それを真っ直ぐに妖夢へと向けて、永琳は問う。

 

「貴方は……()()()()()()()()?」

「…………っ」

 

 それは酷く抽象的で、けれどあまりにもストレートな質問。

 彼を──進一を、妖夢はどうしたいのか。そう問いかける永琳の表情は相も変わらず無感情で冷たいものだけれど、しかし質問の意図は不思議と伝わってくる。

 死んでも死に切れぬ哀れな魂。本来ならば顕界には存在してはいけないもの。そんな彼へと好意を寄せて、想いを伝えて。果たして妖夢は何がしたいのか。どこを目指しているのだろうか。

 

「…………」

 

 けれど妖夢は素っ頓狂な事をしているつもりはない。

 彼の事が、好きだから。愛しているから。

 故に、こそ。

 

「……進一さんは、八十年後の未来の世界の住民です」

 

 魂魄妖夢の抱く想いは、既に固まっている。

 

「だから然るべき時代の、然るべき場所で……。きちんと供養してあげるべきだと、そう思います……」

「……そう」

 

 永琳は短く頷いて、けれどそれ以上は何も追求してこなかった。

 表情は薄い。けれど永琳からは、微かな安堵感が伝わってくる。危惧していた状況に陥る事はなく、期待していた方向へと進む事が出来たかのような。そんな表情。

 妖夢の答えは、永琳にとって納得のいくものだったという事なのだろうか。

 魂魄妖夢の選択は、決して間違ってはいないという事なのだろうか。

 

「……ごめんなさい。少し、意地悪な質問だったわね」

「いえ……」

「……でも。そう、成る程ね」

 

 永琳は少しだけ考える素振りを見せるが、けれど直ぐに納得したかのように頷き始める。

 何かを悟ったかのような表情。妖夢の言葉を聞き、妖夢の仕草を見て、そして妖夢の想いを前にして。彼女は一人で思考を続け、そして得心した。

 果たして彼女はどこまで見据えていて、そしてこの瞬間何に気が付いたのか。それは妖夢の力では、計り知れなかったのだけれども。

 

 それでも──。

 

「……貴方は」

 

 それでも。

 微かに表情を綻ばせた八意永琳からは。

 

「貴方は、本当に彼の事が好きなのね」

 

 嫌な感情なんて、微塵も感じ取れなくて。

 

「何だかちょっぴり安心したわ」

 

 こんな表情も浮かべるんだなと、その時初めて妖夢は思った。

 彼女もまた、妖夢の事を気にかけてくれていたという事なのだろうか。二年前のあの日から、定期的に妖夢の様子を診てくれて。淡々と診察を続けてくれていたその裏で、彼女も憂慮に思っていたという事なのだろうか。

 

()()()()()()、心配はなさそうね」

「永琳さん……」

 

 彼女にまで余計な気を遣わせてしまうなんて。本当に、自分は愚かな事をした。

 いや、永琳だけじゃない。きっと妖夢は、知らず知らずのうちにもっと沢山の人達に迷惑をかけていたのだろう。魔理沙や早苗、それに他の皆にだって余計な気苦労を負わせていたのかも知れない。

 

 自分の身勝手な我儘に、振り回されてしまった人達がいる。

 だとするのならば、やっぱり自分はそんな人達に報いなければならない。出来る限りの事をして、少しでもその清算しなければならないだろう。

 散々迷惑をかけたのだから、中途半端な所では引き下がれない。

 

(だから、私は……)

 

 前を向く。誰かから差し伸べられた厚意を、決して無下にはしない。

 とっくの昔から、彼女は一人ではなかったのだから。

 

 魂魄妖夢はその胸に誓う。

 この『異変』を解決する。タイムトラベルの謎を解明し、進一を元の時代に送り届ける。

 

 それこそが、今の妖夢に出来る事。今の妖夢が成すべき事だから──。

 

「……ああ、そうそう。それともう一つ」

 

 そんな中、不意に永琳が話題を転換する。何やら妖夢から背を向けて、棚の引き出しの一つを開けて。ごそごそと中身を探り始めた。

 一体何事なのだろうと妖夢が小首を傾げていると、程なくして永琳は何かを取り出す。そして小さな紙袋に入ったそれを、妖夢へと差し出すと。

 

「これ、少し早いけど渡しておくわ。これから忙しくなりそうだし、切れたりしたら大変でしょう?」

「……これは?」

「いつもの薬よ。定期健診の時に毎回渡してるでしょう?」

「あぁ……。あれですか」

 

 成る程、そういう事か。いきなり手渡してくるものだから、何が何だか分からずにきょとんとした反応を見せてしまった。

 しかし以前の定期健診から時間もあまり経っておらず、薬だってまだストックが残っている。確かにこれから検診を受ける機会が減る可能性があるとはいえ、そこまで慎重になる必要はないように思えるのだが。

 

「……その顔。まるで薬なんて必要ないとでも言いたげな様子ね」

「え? い、いえ、別に、そんな事は……」

「まったく……。生意気な事なんて考えないの。魔力のコントロールに関してはまだまだ未熟なんだから、今は大人しくそれを服用しておきなさい?」

「そ、それは、そうですけど……」

 

 この薬は妖夢の体内に蓄積された月の魔力を中和する効力がある。魔力のコントロールがあまり得意でない妖夢にとって、そんな魔力を抑え込むにはどうしても自分だけの力では限界がある。

 月の魔力。つまるところ、この狂気の瞳から齎される力。妖夢が本来持っている霊力とは違って、それはあくまで後天的に得てしまったものである。それ故に、そんな要素がコントロールの難しさに拍車をかけてしまっている。

 

「前にも言ったでしょう? 狂気は諸刃の剣。あまり執着し過ぎると、かえって自らを蝕む事になる。魔力の濃度が濃くなり過ぎると、貴方の身体に悪影響が及ぶ恐れがあるわ。けれど貴方は魔力を高める事は出来ても、魔力を四散させる事に関しては苦手。そうでしょう?」

「うっ……」

 

 図星を突かれて、妖夢はぐうの音も出なくなる。

 確かにそうなのだ。魔力を高めて身体能力を底上げする事は出来ても、その魔力を四散させる事が妖夢には出来ない。──いや、出来ないなどと言い切ってしまうと些か大袈裟が過ぎるが、それでも苦手意識を持っている事には変わりはないのである。溜めこんだ魔力を完全に外に出す事が出来ず、徒に濃度を高めてしまう。

 そうなると危険なのだと、以前にも永琳から説明を受けた事がある。最悪の場合、狂気に飲み込まれてしまう可能性もある、と──。

 

「本当は、その『眼』を治療してしまうのが一番手っ取り早くて確実なのだけれど……。でも、貴方にはまだその“力”を手放せない理由があるのでしょう?」

「……っ。はい……」

「だったら私は治療する事を強要なんてしない。でもね、本当に彼を未来に帰したいと思っているのなら、尚更自分の身体は大事にしなさい。志半ばで倒れてしまったら、元も子もないのだから」

「……はい」

 

 頷く事しかできない。彼女の言っている事は紛れもなく正論なのだから、これ以上の言い訳なんて子供の我儘にしかならないだろう。ここは彼女の言葉を真摯に受け止めるしかない。

 それに。永琳の言う通り、進一を未来に帰す前に自分の身に何かがあっては、それこそ元も子もないだろう。魔力のコントロールが上手く出来ないのなら、この薬を使うしかない。

 

 薬の力に頼るなんて、正直少々気が引けるが──けれども我儘なんて言っていられない。

 それもこれも、未だに上手くコントロールが出来ない自分が悪いのだから。

 

「……彼は、知っているの? 貴方のその『眼』のこと」

「……いえ。まだ、私からも何も話してないですし……。おそらく、知らないはずです」

「そう……」

 

 この件については、進一にもまだ話していない。

 あの日。妖夢は再び狂気の瞳を開眼させて、これほどまでの力を得た。こうして薬を使ってまでも、妖夢は力を求め続けた。

 それ故の弊害。ここまで踏み込んでしまったのだから、最早後戻りなんて出来ない。目を背けて、逃げ出す事なんて出来やしない。

 

 もしも進一に話したら、彼はどう思うのだろうか。幻滅するのだろうか。それとも心配してくれるのだろうか。

 ──けれど。そうだったとしても。

 

「……私だって、進一さんには隠し事なんてしたくないんです。だから……いずれは話すべきだと、そう認識しています」

 

 進一には余計な心配をかけたくない。その気持ちは勿論ある。

 けれどそれ以上に、進一に隠し事をしたくないという気持ちの方が、今の妖夢は強い。このまま誤魔化し続けるなんて、それもそれで違う気がする。

 妖夢は進一を信じている。そして進一も、きっと妖夢の事を信じてくれている。だったらそんな信頼を裏切る訳にはいかない。

 

 いつか必ず、話さなければならない時がくる。

 だから──。

 

「……まぁ、その辺は貴方の好きにしなさい。流石に今回は、私も少しお節介が過ぎたようだしね」

 

 気が付くと、永琳はいつも通りの調子に戻っていた。

 いつも通りの、淡白な様子。いつも通りの、感情が読み取りずらい表情。そしていつも通りの、淡々とした物言い。そんな彼女の言葉を聞いて、妖夢は思考を切り上げる。

 

「とにかく、薬はいつも通りちゃんと飲むこと。いいわね?」

「……ええ。分かっています」

 

 頷きつつも、妖夢はそう答える。

 分かっている。妖夢だって、意味もなく危険を冒すつもりはない。少なくとも、進一を未来に帰すまで彼女は倒れる訳にはいかないのだから。

 やるしかない。利用できるものは利用する。それくらいの心持ちでなければ、この先行き詰まる事もあるかも知れない。

 

 魂魄妖夢は覚悟を決める。

 二年前。外の世界に放り出された妖夢を助けてくれた青年が、今は幻想郷に迷い込んでしまっている。

 だから今度は、妖夢が彼を助ける番なのだから。

 

「さて、そろそろ戻りましょうか。あまり進一を待たせるのも悪いしね」

「ですね。まぁ鈴仙さんが一緒なので、大丈夫だとは思いますが……」

 

 永遠亭はそれなりに複雑な内部構造をしている。流石に迷いの竹林ほどではないが、それでも知らぬ者が動き回ると普通に迷子になりかねない。

 けれど今の彼には永遠亭の住民である鈴仙が着いている。それ故に、妖夢は大丈夫だと口にしたのだが──。

 

「…………」

 

 無表情な永琳。けれども何とも言えぬ妙な沈黙が、一時だけ周囲に漂い始める。

 ──あれ。何だか、嫌な予感が。

 

「ねぇ妖夢。知ってる?」

「は、はい?」

 

 不意に永琳が声をかけてくる。

 感情表現が乏しい表情。淡々とした冷血な口調。そんな彼女が何やら勿体つけるように口にした内容は。

 

「兎ってね……性欲が強い動物なのよ」

「…………」

 

 ──いや。これは、どう反応するのが正解なのだろうか。

 妖夢は目を丸くする。永琳の言葉があまりにも唐突すぎて、頭の整理が追いつかない。

 と言うかいきなり何を言っちゃってるんだこの人は。感情が読み取りにくい表情を浮かべている所為で、その真意をまるで紐解く事が出来ないのだが。

 

「年中発情期なのは勿論の事、雌の兎に関しては重複妊娠も可能なのよ。まぁ草食動物の中でも特に多くの肉食動物から捕食対象にされているから、種を存続させる為に繁殖力の強い動物に進化したのだろうけれど。兎にも角にも、本当にもうお盛んなのよ。この時期は特に」

「いや本当に何の話ですかっ!?」

 

 分からない。八意永琳の真意が、これまで以上に分からない。

 何だ。一体どうしてこんな話になったのだろう。妖夢が鈴仙の名前を口にした途端、何だか話が妙な方向に進んでしまったような気が──。

 

(……! な、成る程……!)

 

 そうか。

 何となく、永琳の考えている事が分かったような気がする。

 

「ふ、ふふん……! その手には乗りませんよ永琳さん! 大方、鈴仙さんを引き合いにしてまた私をからかうつもりだったのでしょうけど……。そうは行きません!」

「ん?」

 

 永琳のペースに飲まれぬように、妖夢は先んじて対策を講じる事にする。妖夢だって、一方的にやられっぱなしではいられない。

 おそらく彼女は、鈴仙が進一に手を出す可能性を示唆する事で妖夢の動揺を誘おうとしたのであろう。兎は性欲が強いのだか何だか知らないが、とにかくこのままでは()()()が起きるのではないかと。そんな可能性に振り回されて慌てふためく妖夢を見て、悦に入ろうとしていたに違いない。

 

 しかし詰めが甘い。彼女は肝心な情報を考慮に入れていない。

 

「お忘れですか!? 鈴仙さんの人見知りっぷりを……! お買い物するのにも支障をきたすレベルで人見知りを拗らせているのに、異性である進一さんに手を出せる訳がないじゃないですか……!」

「……まぁ、確かにね」

 

 そう。

 鈴仙・優曇華院・イナバは、筋金入りの人見知りである。元より小心者な性格をしている彼女であるが、初対面の人物が相手となるとその臆病ぶりに拍車がかかる。

 しかも今回の場合、相手は異性の岡崎進一である。最早視線を合わせるどころか、受け答えすらも殆ど出来なくなるのではないだろうか。

 先程永琳に進一の事を頼まれた際、彼女が苦言を漏らしていた原因はそこに集約される。恐らく今頃、彼女はまともに口も効けずに部屋の隅で丸まっている事だろう。容易に想像できる。

 

 だから──という訳でもないが、少なくとも鈴仙の方から進一に何かを働きかける事はまずないと思って間違いない。とてもじゃないが、永琳が示唆するような暴挙に及ぶ鈴仙の姿など、妖夢には想像できないのである。

 

(ふふふ……)

 

 ともあれ、これで永琳の妙な精神攻撃を回避する事は出来た。幾ら彼女が天才とは言え、そう何度も易々と暴挙を許してしまう妖夢ではない。

 今回ばかりは妖夢の勝ちである。そう思うと何だか妙な高揚感に包まれそうになってしまう。中々に単純な思考回路をしているなと自分でも思うのだが、そんな些末な問題などこの際無視してしまえばいい。

 今はただ、この勝利の余韻に浸って──。

 

「それじゃあ妖夢。これは知ってる?」

「……えっ?」

 

 ──妖夢が一人ドヤ顔を浮かべかけていた、その時。

 再び、永琳の口が開かれる事になる。

 

「ウドンゲってね……胸、結構大きいのよ?」

「……はい!?」

 

 ──いやいや。

 いやいやいや。

 

 だから何だ。だから何が言いたいのだ彼女は。唐突にも程がある。流石にここまで訳が分からないと、混乱するなという方が無理な話である。

 いやまぁ確かに彼女はブレザーの上からでも分かる程度には起伏に富んでいるようだが。

 

「な、何ですか!? だから何が言いたいんですか!?」

「いや、ほら……男の子って、好きでしょう? 大きいおっぱい」

「!?」

 

 ──いい加減はっ倒してやろうかこの人。

 それはつまりあれか。逆パターンか。進一の方が鈴仙に手を出す可能性はあるのではないかと、彼女はそう言いたいのだろうか。

 そんな馬鹿な事──。

 

「あ、あああああり得ませんよ!? 大体、進一さんは()()()()()に対して結構淡白な人なんです! 幾ら鈴仙さんのお胸が大きいからと言って、そう見境なく手を出す訳がないじゃないですか!」

「それもそうね。妖夢の事を好きになるくらいだし、小さいおっぱいが好みなのかもね、彼」

「お、怒ってもいいですよね!? そろそろ私、本気で怒っても許されますよねぇ!?」

 

 と言うかなぜ永琳はここまで飄々としているのだろう。ふざけているのか、それとも本気で言っているのか。相も変わらずあまりにも淡々とし過ぎていて、その辺の区別が難しい。

 何だか怒鳴りすぎて疲れてきた。気がついたらやっぱり永琳のペースに呑まれているし、もう散々である。素っ気なさそうな雰囲気を醸し出しておいて、彼女も大概おちゃらけた人物だ。

 

 そんな永琳は、何やらやり切った感を醸し出して満足な表情を浮かべると、

 

「ふぅー。やっぱり貴方をからかうのは面白いわねぇ。思った通りの反応をしてくれるし」

「や、やっぱり私を玩具にしてたんですね……! 酷いです!!」

「ふふっ。つい、ね……。でも正直な所、ずばりどうなのよ? 貴方と進一、上手くやれてるの?」

「う、上手くって……」

 

 今度はそこを深掘りするのか。いい加減、勘弁して欲しいものである。

 それにしても、自分と進一が上手くやれているのかどうか、とは──。そういえば、思い返してみると。

 

「わ、私達、ちょっぴり複雑でして……。実際に外の世界で恋人になってから、私はすぐに幻想郷(こっち)に帰る事になってしまいましたし……。それに、今の進一さんは記憶喪失のままですし、実質的に一緒に過ごせた時間はあまりないと言いますか……」

「あら、そうなの? それじゃあひょっとして、恋人らしい事も殆ど出来ていなかったり?」

「そ、それは……そう、ですね……」

 

 そう。確かに、そうなのだ。

 事情が事情だとは言え、妖夢と進一は未だに恋人らしい事を殆ど出来ていない。というか進一から告白された日のキス以来、手すらまともに握れてないではないか。果たしてこれが恋人同士の有り様なのだろうか。少し控え目が過ぎるのではないのだろうか。

 

「……それは、まずいわね」

 

 不意に、永琳がそんな事を口走る。妖夢は思わずびくりと身体を震わせてしまった。

 

「ま、まずいんですかね……!?」

「そりゃあまずいわよ。折角恋人になったのに、実は付き合う前と殆ど変わってないんじゃないの? 控え目な貴方の事だから大胆な事なんて出来ないだろうし、今の彼は記憶を失っているからそもそも“恋愛”という要素に対して多少の齟齬が生じている可能性がある」

 

 大胆と言えば、妖夢は今朝かなりヤバイ事をしてしまった訳だが、それは流石に伏せておく事にする。というかぶっちゃけ思い出したくない。恥ずかしすぎて顔から火を噴く。

 

「これは、ひょっとしたら……。案外私の言葉も現実味を帯びてきたんじゃない?」

「え、永琳さんの言葉、ですか……?」

「ええ。さっき貴方は進一の事を、性に対して淡白みたいに評していたけど……。けれど進一だって男の子なのよ? 貴方が一方的にそう思い込んでいるだけで、実は色々と溜め込んでいるのかも知れないじゃない」

「そ、そんなこと……!」

「ないと言い切れるの? 必ずしも言い切れないでしょう? もしも仮に、本当に彼が溜めこんでいるのだとすれば……」

「だ、だとすれば……?」

「果たしてウドンゲと二人っきりになって、理性を保てるのかしら?」

「…………」

 

 まったく、何を馬鹿な事を言っているんだこの人は。理性を保てるのかだって? そもそも進一は、外の世界にいた頃だって異性に囲まれていたのにも関わらず、全くそのような間違いを犯す気配すら見せなかった人物じゃないか。それなのに、今更鈴仙に対して劣情を抱く訳がないだろう。

 ──そう、普段の妖夢なら即刻察する事が出来ただろう。けれど今の妖夢は、永琳に不安を煽られて心境が不安定になりつつある状態だ。

 そんな中でのこの言葉。どんなに馬鹿げた話だろうとも簡単に鵜呑みにし、どんなに突拍子もない内容だろうとも簡単に受け入れてしまう。その結果──。

 

(…………っ)

 

 不安感、マックスである。

 何だろう。永琳の言葉が、全て的を射ているように聞こえてくる。そう、そうだ。永琳はいつだって、真実しか口にしない人物だったじゃないか。だから今回の言葉だって強ち間違ってはいないはずだ。というか寧ろ既に何らかの裏付けがなされている可能性すらある。何か具体的な根拠があって、彼女はそう妖夢に警告しているのだとすれば?

 

「…………、どっ」

 

 だと、すれば。

 

「ど、どどどどどうしましょう!?」

「急いだ方が良いかもね。このまま放置しておくのは、色々な意味で危険よ」

「ですよね!?」

 

 そうだ。永琳の言う通りじゃないか。

 完全に気を抜いていた。恋人になってそれで終わりなんて、そんな訳がないじゃないか。自分達はまだまだ、恋人らしい事を殆どしていない。それはつまり、妖夢は進一に対してまだまだアピール出来ていないという事ではないだろうか。

 多少なりとも靡いてしまう可能性がある。もしも進一が、妖夢に対して満たされない何かを持っているのだとすれば。

 

「い、急ぎましょう永琳さん! 一刻も早く、進一さんの所へ……!」

「……え、ええ。そう、ね……」

 

 そうだ。今は時間が惜しい。一刻も早く、進一と合流しなければならない。何だか永琳が必死になって笑いを堪えようとしているようにも見えたような気がしたが、そんな事を気にしている場合ではないのである。今すぐにでも、行動を起こさなければ。

 

(待っててください、進一さん……!)

 

 そう、心の中で強く叫びつつも。

 妖夢は踵を返して、部屋を後にするのであった。


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