桜花妖々録   作:秋風とも

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第76話「隠し事」

 

「……デート、か」

 

 夜。先程の妖夢とのやり取りをふと思い出し、進一は思わず独り言ちた。

 掃除用具を片付けて、風呂に入って、そして寝間着に着替えて。脱衣所から出た辺りのタイミングで、今更ながらじわじわ()()()実感し始めている。

 デート。

 生前の自分がどんな奴だったのかは未だにはっきりとしないが、少なくとも今の自分にとってはあまり馴染みのない言葉である。本来ならば男の方が誘うべきだとか、男の方から積極的にエスコートすべきだとか。そんな知識は何となく思い浮かぶものの、実際具体的にどんなシチュエーションに至るのか皆目見当もつかない。

 

 と言うか、デートって。

 妖夢と一緒に、デートって。

 

(……そんなの)

 

 そう、そんなの。

 

(……何だこれは。妙にテンション上がってきたぞ)

 

 柄にもなく気分が高揚してきた。油断するとニヤケ顔になってしまうかも知れない。

 今現在における自分の心持ちを一言で言い表すとすれば、“浮かれている”。それはもう、グッとガッツポーズを作って歓喜の叫び声を上げたくなるくらいに。

 流石に実行に移す事はしないが、そう比喩すべき程に胸が高鳴っているのである。今までにない感覚だ。

 ついさっき輝夜に抱き着かれても然程強い感情を抱く事はなかったのに、妖夢にデートに誘われたらこの衝撃。どうやら生前の自分は、相当彼女にお熱だったらしい。──そう考えると何だか自分でも恥ずかしくなってきたので、早々に思考を打ち切る事にした。

 

(……これが恋愛ってヤツなのか)

 

 よく分からないが、そういう事なのかもしれない。

 しかし、いつまでも浮かれている場合ではない。記憶を取り戻す事に関してもそうだが、デートをするとなるとやはりこちらもそれなりの心構えで臨まなければならないだろう。幾ら記憶がないとはいえ、妖夢にばかり甘えっぱなしではいられない。

 生前の自分は、妖夢とはどこまで関係が進んでいたのだろう。デートはどの程度していたのだろうか。考えても思い出せないのがたまらなくもどかしい。

 

「……分からん」

 

 色々と、分からない。

 一体自分は、何をどうすべきなのだろう。当日はやはりお洒落をしていくべきなのか? しかし生憎そんな小洒落た服など持っていない。というか今の自分には私物が殆どない。皆無と言っていい。

 だとすれば行動で示すべきだろうか? 今からでも小町か紫辺りに話を聞いて、幻想郷の地理を出来る限り頭の中に叩き込んで。多少なりとも、エスコートが出来るくらいにはなっておくべきだろうか。

 或いは例えば手を繋ぐ際等は、こちらから行動に移すべきなのだろうか? 一緒に歩く時の距離感は? 話題は? 自分の気持ちを、どこまで行動に表すべきなのか。

 

 ──やっぱり、分からない。

 

(……まるで童貞を拗らせてる奴みたいな思考だな)

 

 そんな阿呆な事を一人で悶々と考えつつも、進一は取り合えず寝室に向かう事にする。

 それなりに夜も更けてきた。これ以上あれこれと考え込んでも答えは出てきそうにないので、そんな思考の続きは明日にでも回す事にする。デート当日まではそう日数は空いていないので、それまでに色々と考えを纏めておかねば。

 ──というか、今夜は眠れるのだろうか。表面上は割と平静を保てているのだが、その実内面はかなりざわざわとしている。まぁ、亡霊なので別に眠らずとも然したる問題はないのかも知れないが。

 

「……ん?」

 

 と、寝室に向かう最中で、進一は不意に足を止める事となる。

 夜。月明りが優しく照らす白玉楼の廊下。その途中に、薄っすらと扉が開きっ放し一室が確認できる。進一の記憶が正しければ、あそこは確か厨房だろうか。

 

「厨房……」

 

 夕食はとっくの昔に済ませてある。当然ながら、この時間帯の厨房は無人であるはずなのだが──。

 しかしどうして扉が半開きになっているのだろう。単純にしっかり閉めるのを忘れたという可能性も考えられるが、しかしひょっとしたら誰かがいるのだろうか。泥棒──などではないと思うが。

 

(……小腹を空かせた幽々子さんがつまみ食いでもしてるのか?)

 

 ともあれ、ここまで考えてしまうと気になって仕方がない。中の様子を確認したい衝動に駆られる。

 誰もいなかったらそれでいい。改めてきちんと戸締りして、それで終わりだ。もしも幽々子がつまみ食いをしていたら──幾ら進一が居候の身分でも、少し注意した方が良いだろう。幾ら亡霊でも太るかも知れないぞ、とか。また妖夢に怒られるぞ、とか。

 

「……よし」

 

 進一は特に躊躇う様子もなく厨房の扉を開ける。

 厨房、と言っても例えばレストランだとかホテルのような厨房ほど仰々しいものではない。確かに白玉楼は豪邸に分類される日本屋敷なのだけれども、厨房に関しては意外と普通なのである。ちょっと豪華な台所と言った所か。

 しかし、設備は少々古風がある──というか古臭い。初めてこの厨房に案内された際、幽々子が嬉々として「最近になって、がすこんろ? という物を取り入れてみたの!」と説明してくれた事が印象に残っている。

 最近。つまるところ、ついこの間までこの屋敷にはガスが通っていなかったという事だ。

 今まで一体どうやって火を起こしていたのだろう。IHコンロのような物も見当たらなかったし、まさか常に木炭か豆炭辺りを使っていたのだろうか。

 

 ──まぁ、それはともかくとして。

 そんなちょっぴり古風で、ちょっぴり豪華な台所に足を踏み入れた進一の目に飛び込んできたのは、ひとりの少女の姿だった。

 やっぱり誰かがいた。しかし進一の予想とは裏腹に、そこにいるのは幽々子ではない。

 

 白銀色のセミロングヘア。小柄な体格。こちらには背を向けていたが、後ろ姿だけでも彼女が誰なのか進一には一発で分かった。

 ──魂魄妖夢。

 間違いない。意外にも、夜が更けていたこの厨房に足を踏み入れていたのは、つい先ほどまで進一が考えていた少女で。

 

「……妖夢か?」

「!?」

 

 声をかけると、彼女は弾かれるように振り返る。そして進一の姿を見るなり、その驚愕を更に大きなものにして。

 

「し、進一さん、ですか……!?」

「ああ」

 

 チラリと妖夢の傍を見る。

 まず目に入ったのはコップだ。おそらく中にはただの水が入っている。喉の渇きを潤す為に水場を利用したかったのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。

 視界に入ってしまった。進一の姿を確認した途端、妖夢が慌てて背中に何かを隠しているのを。

 

「何してたんだ?」

「へ!? え、えっと、これは、ですね……!」

「つまみ食いか?」

「そっ……そうなんです! ち、ちょっと、小腹が空いてしまって……。えへへ……」

 

 適当に聞いてみたが、やや躊躇いがちに肯定されてしまった。

 「ふむ……」と進一は腕を組む。この違和感。何と言うか、彼女は咄嗟に自分を取り繕うとしているようにも思える。わたわたと慌てふためくその様が、まさにその推測を肯定しているように思えてきて。

 

「そうか。つまみ食いか」

「え、ええ……。お、お夕飯、足りなかったのかなぁ……?」

「太るぞ」

「……はい!?」

「もう遅い時間だ。俺や幽々子さんならともかく、お前は半分人間なんだろう? 油断してると、あっという間に……」

「わ、分かってますよ! そんな事、くらい……」

 

 しゅんっとしてしまう。しょんぼりだ。

 やはり彼女も女の子。体重やら体型やらが気になるお年頃なのだろう。しかし妖夢の場合、普段から剣を振るっているとは思えないほどにほっそりしていると思うのだが──。それでも気になるのだろうか。

 まぁ、冗談はこのくらいにして。

 

「それで? 実際のところは何をしてたんだ?」

「で、ですから、ちょっと小腹が空いて……」

「まだそれで貫くのか……」

 

 進一は再びちらりと視線を逸らす。そして妖夢の脇辺りから見え隠れする、()()を一瞥した。

 しっかりと隠しきれていない。あれは、紙袋か何かだろうか。色が白い所為で、この薄暗闇の中では余計に目立つ。

 見覚えがある。あれは確か、そう。昼間の永遠亭。その帰り際に、いつの間にか彼女が手に持っていた物。

 

「それ……。ひょっとして、薬か?」

「…………っ」

 

 妖夢の表情が僅かに強張る。

 分かりやすい反応。まるで暗に肯定しているかのようだ。本人に()()()がないのだとしても、ちょっと反応を窺うだけでも抱く気持ちは察してしまう。それくらい分かりやすい性格の少女なのだ、彼女は。

 

「永遠亭。そこで俺が鈴仙と待っている間に、お前は白い紙袋を持って帰ってきただろ? 今後ろに隠した()()は、その時の紙袋と酷似している」

「え、えっと、その……」

「……あの時は深く聞かなかったけど、やっぱりお前の薬だったんだな」

 

 まぁ、()()あって聞きそびれたという側面もあったけれど。

 兎にも角にも、これで一つはっきりした。どうやら妖夢は、永琳から貰った薬を服用しているらしい。それも恐らく、定期的に。台所にいた理由は、薬と呑む為の水を汲みに来たといったところか。

 

「ひょっとして、どこか悪いのか? だから、薬を……」

「ち、違いますっ。別に、身体を壊しているとか、そんなのじゃなくて……」

 

 しどろもどろ気味に口を挟んでくる妖夢。その様子はまさに、薬の服用を露骨に誤魔化そうとしているように見えるけれど、それと同時に別の()()()も何となく伝わってきた。

 確かに誤魔化そうとはしている。しているのだけれども、しかし。

 

「え、えっと、その……。ちょっと、複雑な事情があると言いますか、その……」

「複雑な事情、ねぇ……」

 

 気になる。非常に気になるのだけれども。

 だが妖夢は、この件に関する事情をあまり話したくはないらしい。原因はいまいち良く分からないが、兎にも角にも積極的に触れていいような話題ではなさそうだ。

 進一は思案する。やはりここは、強引に踏み込むべきではない局面なのだろうか。小町や映姫にも指摘されたが、どうやら今の自分にはデリカシーだとかの配慮に欠ける側面があるらしい。だとすれば、尚更慎重にもなってしまう。

 

「いや、まぁ……うん。そうだな」

 

 未だにおどおどとした様子のままの妖夢へと向けて、言う。

 

「すまない、別に無理に話してほしい訳じゃないんだ。話せない理由があるのなら、強要なんてしない」

「…………っ」

 

 妖夢は口をつぐみ、そして俯く。

 やっぱり触れてほしくはない話題、という事だろうか。できれば進一には話したくないから。知られたくないから、だから隠し事を貫き通そうとしている。

 苦しんでいるのなら言ってほしい。困っているのなら相談してほしい。

 確かにそんな思いだって、進一の中には存在するのだけれども──それでも。妖夢の気持ちを尊重したいと、そんな気持ちも彼の中に確かに共存しているのである。

 

 それ故にこそ、彼は無暗矢鱈には踏み込まない。

 ()()話したくないのなら、話したいと思える()()()()()()まで。

 

 待ってみるのも、間違いではない。

 

「悪かった。邪魔したな」

 

 進一は踵を返す。

 記憶喪失云々以前に、自分の抱く感情がどこかちぐはぐである事は何となく自覚している。器用じゃない、とでも称すべきだろうか。そんな要素を持っているからこそ、映姫からも説教の対象にされてしまうのかも知れない。

 不器用で、ぶっきら棒。

 そんな自分なりに考えた最善の選択。最良とは言えないのかも知れないのだけれども、それでも。

 

 彼は彼なりに、大切な人を尊重する。

 

「ま、待って、ください……!」

 

 けれどその時。踵を返して静かに立ち去る、彼の背中に声がかかる。

 歩みを止めて振り向くと、大切な彼女が進一の事を引き留めてくれていた。

 

 その小さな両手が、踵を返した進一の手を必死になって握っている。

 

「本当は、話そうって思ってたんです……。でも進一さんに余計な心配をかけちゃうと思うと、何だか言い出せなくなってて……。どうしても、躊躇ってしまっていて……」

 

 もじもじと、躊躇いがちに妖夢はそう口にする。

 

「だけど……。やっぱり、進一さんには隠し事なんてしたくないんです……! この『眼』の事だって、進一さんには誤魔化したくない……。進一さんには、嘘なんてつきたくない……。だって……」

 

 彼女は一歩、前に出る。

 小柄な少女であるが故に、どうしても進一を見上げるような形となってしまう。ルビーみたいに真っ赤な瞳が、進一の姿をしっかりと捉えていて。

 そして妖夢は、「だって私は……」と言葉を続ける。

 

「進一さんには、私の全部を、知ってほしいから……」

「…………ッ!」

 

 不覚にもドキリとした。

 何だろう、この感じ。ついさっきデートに誘われたという事もあって、余計に妖夢の事を意識してしまっているのだろうか。胸の中のどきどきが止まらない。

 しかし今は、いつまでもそんな浮ついた感情のままではいられない。

 妖夢の表情は真剣そのものだ。冗談を言おうとしている訳でも、これ以上話題を逸らそうとしている訳でもない。意を決し、迷いを払拭して。彼女はこうして、進一と向き合おうとしてくれている。

 

「だから……お話しします」

 

 故に進一もまた、真っ直ぐに彼女と向き合う事にする。

 彼女の想いを軽い気持ちで受け止めたりなんてしない。この世界で彼女と出逢えたあの日から、進一は心に決めていたのだ。この少女が抱く、どんなに小さな想いだろうと──必ず、しっかりと受け止めてみせると。

 

 だから進一は前を向く。魂魄妖夢という少女の姿を、しっかりその目で見据え直して。

 

「この『眼』の事……。私が再び得た力……『狂気の瞳』の、事を……」

 

 ぽつりぽつりと、妖夢は話し始めた。

 

 

 *

 

 

 夜も、だいぶ更けてきた。

 

 今は何時頃なのだろう。月と星の位置から考えて、そろそろ日を跨ぐくらいだろうか。規則正しい生活リズムを保つ為にはもう眠りにつく時間帯なのだろうけど、しかし全く眠気はない。

 亡霊だから、という要因はあまり関係がないように思う。亡霊──取り分け今の自分の身体は、限りなく人間に近い形となっている。死を迎える直前の姿を保っているのだから、それはその()()()()()()だって身に染みてしまっている。

 

 つまり、眠くなる事は十分に有り得る。現に昨日はぐっすり床に就いた。だから今夜だってそろそろ睡魔が忍び寄ってきてもおかしくはない時間なのだ。

 それなのに、眠くはない。何故か。

 

 ──原因は明白である。

 

「『狂気の瞳』、か……」

 

 雄大な夜空に浮かぶ月をぼんやりと眺めながらも、進一は一人ボソリと呟く。

 とある一室の縁側に腰かけた彼が思い出すのは、先程妖夢の口から語られた話の内容である。それは元々外の世界の住民で、その上今は記憶喪失である進一にとって、どこまで理解できているのかイマイチ自信はないのだけれど──。それでも、彼女が()()抱えているのかだけははっきりとした。

 

 『狂気の瞳』。それは妖夢が、かつて太古の月の力に中てられて覚醒した能力なのだという。

 必ずしも“穢れ”を持つ地上の民にとっては、本来ならば無縁の力であるはずなのだが──しかし妖夢は、どういう訳かその力を得てしまったらしい。

 月の魔力。その力は絶大だ。元より妖夢が持っていたはずの単なる霊力などとは、比べ物にならないくらいに。

 

 しかし強大な力というものは、必ず何らかの()()──デメリットが備わっている。そうと相場が決まっている。当然、『狂気の瞳』だって例外じゃない。

 

 結論から言ってしまえば。

 魂魄妖夢という少女は、そんな力に振り回されてしまっている。

 

(いや……)

 

 振り回されている、などとばっさりと言い捨ててしまうのは少々飛躍し過ぎていたかもしれない。

 『狂気の瞳』の魔力を使えば、自身の身体能力を飛躍的に向上させる事も可能だ。妖夢はそんな魔力の大半を自己強化に割く事で、通常では実現できないような芸当を実現しているらしい。──が、そんな中でも一つ無視できない問題に直面してしまっている。

 

 魂魄妖夢は元来、霊力の扱いがあまり得意な方ではなかった。それはその対象が月の魔力となった所で同じこと。

 妖夢は一度高めた魔力を自ら四散させる事が殆ど出来ない。放置すれば魔力の密度がどんどん濃くなってゆき、やがて彼女は“狂気”に飲み込まれてしまう危険性がある。

 

 可能性だ。

 あくまで()()()()()()()()というだけで、確実にそこに至ると言い切れる訳じゃない。ひょっとしたら狂気になんて飲み込まれる事などないのかも知れないのだけれども──。しかし、だからと言って放置はできない。

 悪影響が及ぶ可能性があるのなら、何らかの形でそれを回避しなければならない。

 故に妖夢は、あの薬を服用している。今の彼女は、自らの力で魔力を四散させる事が出来ないから。だから彼女は、八意永琳の薬を定期的に服用するしかない。

 

「妖夢……」

 

 心配ではない、と言えば嘘になる。

 八意永琳の力ならば、『狂気の瞳』を完全に治療してしまう事も可能らしい。体内から月の魔力を完全に消し去ってしまえば、そもそも魔力の濃度云々を気にする必要はなくなる訳だ。

 けれど妖夢は治療という選択を拒んだ。『狂気の瞳』と向き合い、月の魔力と共存する道を選んだのだ。

 

 それは言わば茨の道。

 月の魔力などという遺物を抱えながらも、それに飲み込まれるどころが逆に利用しようとする。──本来持ちえない後天的な力。それを無理矢理馴染ませて行使しようとする。

 はっきり言って無謀だ。現に妖夢は、永琳の薬なしでは魔力を上手く四散できずにいる。日々鍛錬を続けているようだが、それでも未だ完全な共存には至らない。

 

 どうして、そこまでして彼女は力を求めているのか。どうして彼女は、そこまで必死になっているのか。

 その答えは既に得ている。妖夢本人の口から、直接語られた事だ。

 

『八十年後の未来の世界。そこで私は、沢山の想いに触れてきました。私の事を信じ、私に想いを託してくれた人だっていました。……そんな人達の想いに、答える為。そんな人達の想いを、叶える為にも……。私はもっと、強くならなくちゃならないんです』

 

 二年前。魂魄妖夢は、理不尽にもタイムトラベルに巻き込まれた。そして飛ばされてしまったその先の世界で、彼女は数多くの出会いを経験した。

 岡崎進一との出会いも、その中には含まれている。非常に情けない限りだが、未だに自分はその際の記憶を思い出せずにいるのだけれど──。

 

 ともかく、だ。

 妖夢の覚悟は本物だ。伊達や酔狂でこのような道を選んだ訳では決してない。彼女は自分の意志をしっかりと持ち、考えて。そしてその上で、自らの心を決めたのだ。幾ら進一でも、そんな決意にとやかく口を入れる権利なんてない。

 

 だから、決めた。

 進一は、妖夢の意見を尊重する。確かに心配だという気持ちは、少なからず進一の中に存在するのだけれど──それでも。それでも彼は、妖夢の気持ちを応援するのだと決めたのである。

 

 魂魄妖夢が茨の道を進むというのなら。

 だったら自分は、どこまでだって付き合おう。いつだって、彼女の傍に寄り添って。いつだって、彼女の支えになってあげて。それに足り得る程の存在になってやるのだと、岡崎進一もまた決意する。

 

「……俺に」

 

 何が、出来るだろうか。右手に作った握り拳を眺めながらも、進一は考える。

 自分は記憶喪失だ。未練だって良く分からない。その所為なのかどうかのかは分からないが、亡霊である癖に()()()()()()()だって殆ど出来ない。

 精々、ちょっと空が飛べるくらいだろうか。例えば霊力を操って弾丸のように飛ばしたりなんて出来ないし、何か魔術的というか、呪術的な芸当だってさっぱりである。

 

 ──いや。違う、そうだ。

 唯一、自分にはちょっとばかりの特異性が残されているじゃないか。

 

 そう。それは──。

 

「何こんな所でぼんやりしちゃってるのかしら?」

「……え?」

 

 思考を続ける進一のもとへ、不意にそんな言葉が投げかけられる。

 ぼんやりとしていたのは事実だ。考え事に集中していたのだから、周囲への注意力はどうしても散漫になる。声の方向へとおもむろに振り返ると、そこにいたのはちょっぴり意外な人物だった。

 

 紫色を基調とした衣服。金色の髪。白いナイトキャップ──は今は被っていなかったが、それでも彼女が()()()()()であると判断するのは容易だった。

 漂わせる雰囲気だとか、この唐突に現れたかのような感覚だとか。それらを認識してしまえば、彼女の正体など一目瞭然だ。

 

「紫……?」

 

 進一はその少女の名を呼ぶ。そして彼女──八雲紫へと向けて、少々怪訝な表情を浮かべつつも。

 

「どうしてお前がここにいる?」

「あら? 私がここにいちゃまずいのかしら?」

「ここは冥界だろう。それなのにお前、ナチュラルに登場するもんだから……」

「何? 貴方まであの閻魔様みたいな事言うの?」

 

 その閻魔様の事が気になっているが故に聞いているのだが。

 説教好きな彼女の事だ。八雲紫という()()()()の国である冥界へと頻繁に出入りしてしまったら、確実に黙ってはいないと思う。()()()()()である故に仕方がないという側面もあるとはいえ、おそらくあの閻魔様からして見れば「それとこれとは話が別」というもの。説教の餌食にされる可能性は高い。

 ──どうやらそんな可能性は、一応紫も危惧しているらしく。

 

「だから今来たのよ。極力彼女に見つからないよう、真夜中にこっそりと……ね」

「成る程な」

「納得してくれた?」

「ああ。お前が夜遅くにいきなり訪ねてくる程度に非常識な奴だって事は分かった」

「随分と悪意のある言い方ね……」

 

 等と答えつつも、彼女はおもむろに進一の傍らへと歩み寄ってくる。そして特に確認を取る事もなく、彼女は進一の隣に腰を下ろした。

 薄暗い一室から、月明りに照らされた縁側へ。よく見ると彼女の服装は、これまでのドレスと比べると幾分かラフな印象だ。帽子も被っていない事から察するに、ひょっとして部屋着か何かなのだろうか。

 

「印象が違う恰好だな。ひょっとして、それを見せつける為に態々冥界までやってきたのか?」

「そ、そんな訳ないでしょっ。……あ、あんまりジロジロみないでよ。いやらしい……」

 

 茶化してみると、彼女から帰ってきたのは気恥ずかしそうな反応である。そんなリアクションを取るくらいなら、キチンと着替えてからくればよかったのにと思う。この少女、案外ズボラなのだろうか。

 まぁ、変に指摘すると面倒な事になりそうな気がするので、ここは大人しく黙っておく事にするが。

 

「……でも、良かったわ。進一君がまだ起きててくれて。流石に眠っている子を叩き起こすのは忍びないものね」

「何だ? 俺に用でもあるのか?」

「だからここまで来たんでしょ。……貴方に大事な話があるのよ」

「……大事な話、ね」

 

 それは、急を要する話なのだろうか。映姫の目を盗んでこんな夜中に態々やってくるのだから、それなりに軽視できない話である事は何となく理解出来る。

 とすると、考えられる内容は──。

 

「愛の告白なら勘弁してくれ。俺は妖夢が好きなんだ」

「す、する訳ないでしょそんな事!? いきなり何言っちゃってるのよ!?」

 

 ──流石にふざけるのはこのくらいにしておこう。

 彼女はこれでも妖怪の賢者。大した要件もなく進一のもとを訪れるとは考えにくい。しかも状況が状況である。十中八九、『異変』に関する事であろう。

 

「大事な話って言ってたな。それはやっぱり()()()()()()なのか?」

「き、急に話を戻すのね……。まぁ良いけど……」

 

 コホンと、紫は咳払いを一つ挟むと、

 

「ええ、そうよ。進一君に関する事。貴方に幾つか、確認しておきたい事があるの」

「確認?」

 

 少々気になる言い方だ。確認、という事はひょっとして進一の記憶に関する何らかの手掛かりでも見つかったのだろうか。或いは、最初の想像通り『異変』に関する何かか──。

 

「大事な話だと言うのなら、俺と対面するだけで良いのか? 妖夢や幽々子さんにも聞いて貰った方が……」

「……貴方だけで、いいのよ。妖夢にも、幽々子にも、今はまだ話さない」

「なに……?」

 

 こんな時間に訪ねてきたのは、それも理由の一つなのだと彼女は説明する。妖夢や幽々子に気付かれる事なく、こっそり進一と話がしたいから。だから彼女は、()()()にもこんな時間に現れたのだという。

 何だ、それは。妖夢にも幽々子にも、今は話さない? ますます奇妙な言い回しである。

 進一に関する話。進一だけに確認したい内容。幽々子にも、妖夢にも、今はまだ話さない──否。今はまだ、知られたくない()()()

 八雲紫のその瞳からは、そんな意図がほのかに伝わってきているような気がして。

 

「藍から聞いたわ。進一君。貴方って、幽霊と会話をする事が出来るのよね?」

 

 聞いてきたのは、そんな内容。何気ない質問のようにも聞こえるが、けれど紫の表情は至極真剣である。

 視線を合わせただけで伝わってくる。この質問には、言葉以上の意図がある。決して軽い気持ちで流してはいけないのだと、思わずそんな気持ちにさせられてしまう程に。

 

「ああ。確かに、俺は幽霊達とも明確なコミュニケーションを取る事が出来る」

「……それって、実はとんでもなく奇怪な事なのよ? それに関しては認識している?」

「……ああ。それは幽々子さんからも聞いた」

 

 そう。その通りだ。

 幽霊という存在は、基本的には口を利く事が出来ない。気質の集合体であるが故に“感情”に関しては他の種族より伝わりやすいが、しかし彼らは“言葉”でコミュニケーションを取る事が出来ないのである。

 幽霊から伝わってくるのは、何となくそう思っているのではないかという漠然とした感覚だけ。明確な()()を互いに伝達し、完璧な会話を実現させるなど。幾ら亡霊と言えども、何か特殊な『能力』でも持っていない限り不可能なのである。

 

 しかし、進一はそんな不可能を可能に出来てしまう。幽霊と言葉を交わし、明確なコミュニケーションが実現出来てしまう。

 それは普通じゃない事なのだと、幽々子からも指摘されたのだけれども。

 

「だが、だからと言ってそこまで難色を示す程なのか? 高がちょっとコミュニケーションが取れるだけだろう」

「……いいえ。軽視なんて、出来ない」

「何故だ?」

「…………っ」

 

 八雲紫は口ごもる。きまりが悪そうに目を逸らし、その口を堅く閉ざしてしまって。進一の呈した疑問に対して、答えを示す事を拒んでいるかのような。そんな印象。

 今までにないリアクション。見たことのない表情。そんな紫の様子を目の当たりにして、進一もまた二の句を継げなくなってしまう。かける言葉を見失った、と表現した方が正しいか。八雲紫が何を思い、そして何を躊躇してしまっているのか。その答えは、今の進一には皆目見当もつかなくて。

 

「……次の、確認よ」

 

 程なくして紫の方から口を開く。しかしそれは進一の疑問に対する答えではない。

 次の確認。進一が言葉を挟む暇もない。矢継ぎ早に投げかけられるのは、やはり進一の『能力』に関する質問。

 

「貴方のその『眼』……。『生命』が、見えるのよね?」

「……ああ」

 

 追求する気になれない。いや、()()()()()()()()()気がする。だから進一は、流されるように八雲紫の話に合わせてしまった。

 強烈な違和感。それを胸中に抱いたままの状態で、会話は進んでゆく。

 

「お前の言う通りだ、紫。どうやら俺の『眼』には、本来見えるはずのないものが映っちまっているらしい。だが……」

「でも今の貴方の『能力』は、ただ単に『生命』を見る事だけに留まらない。そうよね?」

 

 食い気味の確認。それに対して、進一はただ頷いて答える事しかできない。

 

「お前も、知っているだろう? あの時お前は、俺たちの行く末を見守ってくれていたんだから」

「……ええ」

 

 そう。八雲紫は知っている。あの時彼女はそこにいたのだから、進一の『能力』だって目の当たりにしたはずなのだ。

 ──知っている、はずなのに。

 

「これは妖夢から聞いた事。生前の貴方の『能力』は、あくまで見える事だけに留まっていたはず。それ以上でもそれ以下でもない。見えるからといってそれをどうこう出来る訳じゃないし、他人に対して特別な干渉が出来る訳でもない。貴方はただ、『生命』という一瞬を見届ける事しかできなかったはずなのに」

 

 「それなのに」、と。紫は続ける。

 

「亡霊となった今の貴方は、そんな定義から外れてしまっている。今の貴方の『能力』は、『見える』というだけに留まらず『操る』という領域に足を踏み入れつつある」

「……何が言いたい?」

 

 回りくどい言動。要領を得ない言葉。そんな中、痺れを切らして進一は踏み込んだ。

 分からない。この少女は何を気にしている? 一体何を察している? 妖夢にも幽々子にも話さない。けれど進一だけには確認を取る。漠然とした感覚のまま、釈然としない言葉をつらつらと並べ続けて。

 

「……似ているのよ」

 

 八雲紫というこの少女は。

 不服気に、不満気に、不安気に、訝し気に。

 

()()()()()()

 

 一瞬、静寂が辺りを支配した。

 ジッとこちらを見つめる八雲紫。そんな彼女の口から発せられた言葉。その意味が瞬間的には理解できず、進一は思わず言葉を見失ってしまう。

 何の事を言っているのか。何を意図してそんな表情を進一に向けているのか。分からない。分からないから、口籠る。

 

「何の、事だ……?」

「……顔つきとか、性格とか、言動とか、雰囲気とか。そういう意味じゃない。……性質。貴方と幽々子が似ているのはそこよ」

 

 西行寺幽々子。彼女もまた、亡霊でありながら生前の記憶がない。

 『死を操る程度の能力』。彼女が生前より抱いていた人を死に誘う能力が、自ら『死』を経験する事で更なる変化を遂げた『能力』。死のその先──幽霊と化した魂を制御化に置く事も可能で、それ故に幽霊との明確な会話さえも出来てしまう。西行寺幽々子の特異性である。

 

 なぜ記憶がないはずの生前の話が出てくるのかというと、人間だった頃の幽々子の事を紫が知っているからという理由に他ならない。

 二人の付き合いはそれほどまでに長い。例え記憶が途中で途切れてしまっているのだとしても、紫にとって幽々子は掛け替えのない大切な親友という事なのだろう。だからこそ、気になってしまう。

 

「貴方と幽々子の性質は似ている。酷似している、と言ってしまってもいい」

 

 大切な親友との奇妙な繋がりを感じさせる存在に。

 

「八十年後の未来から、タイムスリップをしてきた記憶喪失の亡霊」

 

 自分の事さえもはっきりしない、あまりにも胡乱な青年に。

 

「ねぇ、進一君」

 

 八雲紫と言うこの少女は。

 

「貴方は、一体何者なの?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 参ったな、と進一は思う。

 紫が抱く感覚は正しい。亡霊の癖に記憶喪失で、しかもタイムトラベラーで、その上奇妙な『能力』まで持っていて。ここまで怪しさ満点な要素が揃っているのに、不審に思うなという方が無理な話である。進一だってきっとそうだろう。こんな奴がいきなり現れては、真っ先に警戒心を抱く。

 だけれども、いざ自分がその対象になってしまうと。やっぱり少し、困ってしまう。至極当然なリアクションなのだと、それは分かっているはずなのに。

 

「……俺が一体何者なのか、ね」

 

 けれどやっぱり、こう答えるしかない。この答えしか、進一は持ち合わせていない。

 

「そんなの、俺が聞きたいくらいだな」

「…………っ」

 

 そう答えると、紫は進一から視線を逸らして俯いてしまった。

 適当な事を言って誤魔化すつもりなどない。確かに今の自分は、不審極まりない胡乱過ぎる存在だ。それは自覚している。しかしだからと言って、自分が一体何者でなぜこんな『能力』を持っているかなんて、そんな答えなど持っていない事も事実なのである。

 なぜこんな事に巻き込まれてしまっているのか。そんなの、自分の方が聞きたいくらいだ。やっぱり今の進一には、それ以上の答えなんてどうしても見つけられない。

 

「……そう、よね。それも、そうよね」

「ああ……」

「……ごめんなさい」

「なぜ謝る?」

「…………」

 

 沈黙。けれど今回は一瞬だ。

 ようやく紫は、視線を進一へと戻してくれて。

 

「ちょっと、どうかしてたかも。今の質問に深い意味なんてないわ。だから忘れて」

 

 ()()()()を、彼女は浮かべていた。

 笑顔そのものは完璧だ。違和感はない。本当に何とも思っていないんじゃないかと、思わずそんな印象を抱きそうになってしまう笑顔。

 けれど駄目だ。完璧な笑顔。けれどもあまりにも完璧過ぎて、かえって現実味が薄くなってしまっている。それが作り笑いであると、そんな事実は火を見るよりも明らかで。

 

「紫……」

 

 それ故に、だろうか。

 軽視なんて出来なくなる。放っておくなんて我慢できなくなる。このままこれでお終いだなんて、そんな事は看過できない。

 だから進一は意を決する。余計なお節介だなんて、そんな事は分かっているのだけれども。──それでも、だ。

 

「何て言うか……。お前ってさ、妖夢とは違ったベクトルで生真面目だよな」

「……生真面目、って。貴方ね……」

「でも結局、行き着く先は大差ない。お前も一人で何でも抱え込んじまうタイプなんじゃないかって、そう思うよ」

「…………」

 

 紫の笑顔が、一瞬崩れる。

 けれど直ぐに体裁を取り繕って。

 

「貴方は何か勘違いをしているんじゃないかしら? 私は幻想郷の創始者。神出鬼没なスキマ妖怪にして、幻想郷という世界そのものを支える管理者。幻想郷の行く先を見届ける事が責務の賢者」

「ああ……」

「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話。()()()()()()()()()()()()。だから何かを抱えるなんて、そんな事は日常茶飯事」

「慣れている、とでも?」

「ええ、そうよ。だから何とも思わない。だってそれが()()()()なのだから」

 

 ──それは。

 その言い方だと、それはまるで。

 

「まるでお前が世界そのものみたいな言い方だな」

「……っ」

 

 紫は再び、黙り込んでしまう。

 作り笑顔が消える。言葉を詰まらせ、体裁が崩れ始める。動揺が隠せなくなる。

 

 世界そのもの。無論、言葉通りの意味という事はないだろう。彼女は彼女だ。管理者である事は間違っていないのかも知れないが、けれどもそれ以上ではないはずだ

 世界だなんて飛躍しすぎだ。いきなり壮大になり過ぎだ。

 

「俺みたいな奴が、偉そうな口を叩ける義理なんてないのかも知れない。幻想郷の管理者って立場が、どれほど重大で重要な役割なのかなんて、きっと殆ど想像できていないんだと思う。それは理解している。幻想郷という世界。その()()()()を管理する為には、きっと並々ならぬ覚悟とそれ相応の器が必要なんだろう。それこそ、俺なんてちっぽけに見えるくらいに」

 

 全部が全部想像だ。あくまで進一の勝手な尺度でしかない。偉そうな口を利いて何様なんだと、そんな風に責められても仕方がない事だ。それは分かっている。

 でも。

 幻想郷の管理者という立場に立つ上で、どれほどの責任感が求められるかなんて。確かにそれは、想像するのも烏滸がましい事なのかも知れないけれど。

 

「でもな、紫」

 

 それでも、これだけは言える。

 

「幻想郷の管理者だとか、妖怪の賢者だとか。……それ以前に、紫。お前だって女の子じゃないか」

「えっ……?」

 

 ──そう。

 幻想郷の管理者云々以前に、彼女は八雲紫という一人の存在だ。確かに妖怪の賢者として、人間などとは比べ物にならぬほどの時を生きてきたのかも知れない。管理者として、それ相応の振舞いだってしなければならないのかも知れない。

 けれどそれでも、彼女が八雲紫という少女だという事実は揺るがないはずだ。たった一人で、全てを背負い込む必要なんてないはずなのだ。

 

「問答無用で、全部を全部抱え込む必要なんてない。抱えきれなくなっちまったら、信頼できる誰かに相談してしまえばいい。お前だって、一人ぼっちじゃないんだろう?」

「……」

「それこそ幽々子さん……には、今回の件は話したくなかったんだっけか。だったら藍とかはどうだ? 俺もあいつと接したのは短い時間だったが、面倒見が良くていい奴だと思うぞ。まぁ、自分の式神にも話したくないってことなら、無理強いはしないけど……」

 

 ともかく、だ。

 

「まぁ、その……何だ。お前の不審感というか、不安感の原因の一端が俺にあるとして、そんな俺があれこれ口を挟むのも、どうかとは思うが……。えっと、何て、いうか……」

 

 本当に、偉そうなことを良くもつらつらと並べられるなと自分でも思う。そう考えると妙な小恥ずかしささえも覚えてしまう。お陰で言葉も詰まり詰まりだ。

 恰好悪いな、と思う。最後の最後に、キチンと締めくくる事が出来ないなんて。

 でも。

 

「お前ひとりが背負い込む必要なんてないんだ。幽々子さんや藍だって、お前の相談ならきっと真摯に受け止めてくれる。……俺は、そう思うよ」

 

 この気持ちに嘘はない。適当な事を言っているつもりだってない。幽々子だって、藍だって、紫の事を心の底から信頼している。付き合いが短い進一にだって、その想いはひしひしと伝わってくるから。

 だから断言できる。それはきっと、揺るぎない真実の一つだと思うから。

 

 不格好ながらも、そう伝えた。余計なお節介だとは重々承知しながらも、そう伝えずにはいられなかった。

 彼女の事は放っておけない。放っておくなんて間違っている。自分の中の何かが、必死になってそう訴えかけてきたような気がして。思わず、反射的に、首を突っ込んでしまった訳だけれど。

 

「ひとりじゃ、ない……」

 

 だけど、それでも。

 

「……まったく」

 

 それでも。

 彼女の表情に笑顔が戻ってくれるのなら、焼いた世話は少なくとも無駄ではなかったのだと思えるから。

 

「まさか歳下の男の子に、女の子呼ばわりされるとはね」

 

 だから嘘偽りのない、彼女のそんな()()を見れて。

 心の底から、安堵した。本当に間違っていなかったのだと、その瞬間にしっかりと噛み締める事が出来たのだ。

 

 釣られて進一も破顔する。ついさっきまで不信感を抱かれていた事さえも、忘れそうになってしまうくらいに。

 

「何だ? 女の子呼ばわりは不服か?」

「別にそういう訳じゃないけど……。でも私と進一君って、実際凄まじいレベルで歳が離れているのよ? それなのに、女の子って」

「見た目は俺とそう変わらん程度に見えるけどな」

 

 聞けば紫は、幻想郷の妖怪の中でもかなりの古参にあたるらしい。まぁ、創始者の一人なのだから当然と言えば当然かも知れないが。そうなると、まだまだ亡霊になったばかりの進一とでは、確かに彼女の言う通り凄まじいレベルで歳が離れているという事になるだろう。

 

 しかし紫の外見は、とても悠久の時を生きているようには思えない。精々大学生くらいだろうか。生前の進一は大学生だったらしいし、そういう意味でも紫とは歳が近そうな印象になってしまうのかも知れない。

 

「見た目だけで判断しないで欲しいわね。せめてお姉さんくらいの扱いにしてくれない?」

「お姉さんって……。お前って、内面に関しては意外と子供っぽいからな……。お姉さん扱いだと少し無理があるような気がするな」

「な、何よそれっ。失礼しちゃうわっ」

 

 ぷりぷりと不機嫌気味にそう言い返す紫。その仕草がますます稚拙というか何と言うか。

 

「この際だからはっきりと言わせてもらいますけど、進一君ってちょっと私の事を軽く扱い過ぎてない? 何なのよ一体」

「うん? そんなに雑に扱ってるか?」

「扱ってるわよ。だって、ほら。例えば進一君って、幽々子に関してはさん付けで呼んでるじゃない? それに態度だって、どことなく謙っているような気もするし……。それなのに私に関しては普通に呼び捨てじゃない。しかも急に茶化してきたりするし」

「あー……。確かに、な」

「えっ……何そのリアクション。ひょっとして無意識……?」

 

 確かに、あまり深くは意識していなかったように思える。

 幽々子に関しては、何となくだが風格のようなものがあるように思えるである。お嬢様っぽい品格というか、ポヤポヤとしているようでどこか威厳を感じさせる雰囲気というか。とにかく諸々の理由も込めて、彼女に対しては()()()さん付けで呼んでしまっている。そっちの方が、進一にとってもしっくりとくる。そんな気がするのだ。

 

 対する紫はというと──。

 

「何て言うか、あれなんだよな……。お前が相手だと、妙に気が楽になるというか……。気心知れた相手と話しているような感覚になれるというか……」

「何よそれ。変なの」

「それともあれか? やっぱりもうちょっと謙って欲しいのか、()()()?」

 

 さん付けを強調してみると、やっぱり彼女が浮かべるのは不服そうな表情だ。馬鹿にされているようにしか思えないと、不機嫌気味にそう言ってきて。

 

「別にいいわよ今のままで。一々気にするのも馬鹿らしくなってきたわ」

「そうか。そいつはありがたい。今更さん付けにするのも違和感を覚えていたところなんだ」

「あ、貴方ねぇ……?」

 

 他愛もない会話。ちょっぴり怒り顔の八雲紫。作り物なんかじゃない、心の底からの表情。

 やっぱり紫には、偽物なんか似合わない。ありのままの彼女の方が、ずっとずっと魅力的だと進一は思う。変な責任感など負う必要はないのだと、彼女の心の底からの感情に触れるとますますそう思ってしまう。

 けれど今は、これでいい。これで十分なのだと感じている。

 紫の素直な表情が見れた。それだけで、価値のある事なのだと思うから。

 

「さて、と。私もいい加減、そろそろお暇させて貰うわね。妖夢や幽々子が気づてしまう、その前に」

 

 腰を掛けていた縁側からおもむろに立ち上がりつつも、紫は進一へとそう告げる。視線を向けると、さらりとした金色の髪をふわりとかき上げるような仕草を取っていた。

 

「本当に幽々子さんにも気づかれずにここまで来てたのか」

「ええ。私のスキマを使えば、それくらい朝飯前よ」

「そうか。不法侵入だな。犯罪だな」

「はいはい。もういいわよそれで」

 

 投げやり気味にそう答える紫。どうやら進一の対応にも大分慣れてきたらしい。

 踵を返し、ひらひらと手を振りながらも彼女はいつものスキマを開く。そして相も変わらず不気味さ満点のそのスキマへと足を踏み入れようとした辺りで、何かを思い出したかのように進一へと振り向いた。

 

「そういえば進一君。貴方、妖夢とデートするんですって?」

「……なぜお前がそんな事まで知っている?」

 

 予想外の質問を前に進一が訝し気な視線を向けると、彼女から帰って来たのはすまし顔である。進一が若干の動揺を見せている事に気付いたのだろうか。透かさず彼女は、一本取ったとでも言いたげな表情を浮かべていて。

 

「ふふん。進一君も、やっぱり動揺くらいするのね」

「……さてはお前、俺と妖夢のやり取りを覗き見てたんだな」

「さて、どうかしらね……?」

「畜生……。いよいよもって犯罪だ。訴えてやる」

 

 「誰に訴えるのよ」と、余裕綽々な様子の紫。「そりゃあ、閻魔様かなぁ」と答えると、死ぬほど嫌そうな顔をされた。どうやらそれほどまでに苦手意識を持っているらしい。流石に実行に移すのは止めておく事にした。あんな表情を向けられると、幾ら冗談でも気が引ける。

 

「ま、浮かれるのはいいけれど、あんまり羽目を外し過ぎない事ね。デートと言っても、あくまでも記憶を取り戻す為なんだから。それはちゃんと留意しておくこと」

「ああ。分かっている。この『異変』の謎を解明する為にも、な……」

「そう? ならいいけど」

 

 そういうと紫は、今度こそくるりと背を向ける。そして改めて、スキマへと足を踏み入れつつも。

 

「それじゃあね。くれぐれも……、その……」

「……ん?」

「え、えっと……」

 

 なぜだか突然口籠る紫。一瞬だけ何かを迷う素振りを見せるが、けれども一人意を決したらしい。

 頬を赤らめつつも、精一杯()()()()()()()()()()を醸し出そうとして。

 

「あ、あんまり妖夢に、えっちな事、しちゃだめよ?」

 

 そう言い残し、そそくさとスキマの中へと消えていった。

 紫が通過するや否や、スキマは音もなく静かに閉じる。静寂が漂う和室の中で、進一は思わずポカンとしてしまっていた。

 

 何なんだ、今のは。大人びた余裕のある女性でも演じようとしたのだろうか、彼女は。それにしては完全に自爆してしまったかのような立ち去り方だったのだけれども。

 

「……結局恥ずかしがるなら、最初から言わなきゃいいのに」

 

 ──全く。本当に、紫と話していると退屈しない。例えば幽々子と話している時のような感覚とは違う。八雲紫を前にした時の()()は、それこそ本当に、気心知れた相手と話しているような感覚だ。

 なぜこんなにも気が楽になるのだろう。なぜこんなにも安心できるのだろう。たまたま紫と波長が合っているから? いや、それは少し違う気がする。

 

「……ま、あいつの人となり故にって事なのかな」

 

 単純に、対等な立場で接してくれるからだろう。

 確かに彼女は妖怪の賢者としてそれなりの年月を生きているのだろうが、しかし外見も精神年齢も進一くらいの人間とそう大差ないように思える。

 同年代くらいに思えるから。それ故に、少し気が抜けているのだろう。だから彼女の前では安心して、ああして少し茶化したいとも思ってしまう。

 

「やり過ぎはご用心、だろうけどな」

 

 ──そう。その推測は間違っていない。的外れなんかじゃない。

 同年代くらいに見えるから。だから安心できる。同年代くらいに見えるから。だから気心知れた相手みたいに、ああして接する事が出来る。

 それは事実。嘘偽りなんてない。ありのままの、真っ直ぐな、岡崎進一が抱く思い。

 

 紛れもなく、()()()()()()()で──。

 

『おは──進──。貴方の────じゃな─────? 約──────まだ少し────だけれど』

 

(…………えっ?)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ふらりと、一瞬だけ視界がぼやける。けれどもすぐに我に返って、思わずぶんぶんと頭を振るう。

 呼吸が止まりそうになる。心臓が大きく跳ね上がるような感覚。不安感にも似た心境に支配されかけるが、けれどそれも一瞬だけ。その感覚も泡沫のように儚く消え去り、すぐに塗りつぶされてしまう。

 

 何だ、今のは。

 分からない。分からないが、しかし。

 

 何かが浮かび上がった。それは事実だ。何かを思い出しそうだった。そんな感覚だって存在する。

 けれども、ああ、駄目だ。今はすっかり後戻り。幾ら記憶を探ろうとも、黒く塗りつぶされたそれからは何も見つからない。手掛かりも、兆しも、何も──。

 

(いや……)

 

 違う。()()()()()()()()

 

 進一は弾かれるように振り返る。しかし当然、そこには誰もいない。ついさっきまで紫のスキマがあったのだろうが、今は何もない静寂が漂うだけだ。

 しかし、違う、やっぱり違う。何かが頭の中に引っかかる。

 

 理由は分からない。原因だってさっぱりだ。けれども今は感じている。伸ばしたその手は、確かに何かを掴んでいる──気がする。

 これは何だ? どこで聞いた? ──ああ、そうだ。確か、妖夢から聞いたんだ。

 進一の生前に関する情報。記憶を取り戻す為のきっかけ。その一環として、妖夢から提示された進一の人間関係。その中に、確かに()()はいた。

 

 今はなぜだか、その名を呼ばずにはいられない。()()()()()()()()()()()、ゆっくりと手を伸ばして。その名前を、口にせずにはいられないのだ。

 分からない。分からない。

 分からない、けれど。

 

 だが、しかし。

 彼女の、名前は。

 

「メリー……?」


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