桜花妖々録   作:秋風とも

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第80話「友情と愛情と」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 そう口にしつつも申し訳なさそうに頭を下げるのは、妖夢の友人の一人でもある現人神──東風谷早苗その人である。しょんぼりと控え目に謝罪の言葉を口にするその姿を見ていると、先程のはっちゃけっぷりが嘘のようだ。まるで別人である。

 

 寒いから上着を買おうと。そんな進一の提案に乗って、近くの衣服店に入ってみて。そこで予想外にも魔理沙と遭遇し、まぁ、色々と()()()()を経て魔理沙の上着を借りる事になったのに。今度は早苗が現れて状況は更に拗れていた。

 拗れた、と言っても魔理沙が早苗への報復を始めただけであるが。それでも彼女の圧倒的な凄みを前に妖夢も事態を収拾させる事が出来ず、結果として進一と共に事の成り行きを見守るだけになってしまった。

 

 そしてそれから約数分後。ようやく正気を取り戻したらしい早苗が、こうして妖夢達に頭を下げてきたのである。

 つい先ほどまで魔理沙の絞め技やら何やらを食らっていた所為か、彼女は若干涙目である。そんな表情でこうして謝罪をされると、何だかこちらが悪い事をしてしまったかのような錯覚を覚えてしまう。客観的に見れば妖夢達の方が被害者なのだろうけれど、だからと言って彼女を頭ごなしに否定する気にもなれない。

 

 まぁ、そうでなくとも妖夢は早苗の事を責めるつもりなど端からない。

 悪い癖、だとは思うのだけれども。どうして彼女があんな行動を取ってしまったのか、それは妖夢でも何となく察する事が出来るから。

 

「そ、その……。私、何だか調子に乗り過ぎちゃったみたいで……。ははは……」

「調子に乗った、だけで片付けられるレベルじゃないけどな」

「そ、それを言われると何も言い返せませんけどぉ……!」

 

 早苗と魔理沙がそんなやり取りを続けている。その合間を縫って、妖夢は口を開いた。

 

「ううん、大丈夫だよ早苗。私達は別に気にしてないから」

「へ……?」

 

 早苗が間の抜けた声を上げている。

 妖夢の反応が予想外だったのだろうか。早苗のリアクションから察するに、お咎めでも食らうとでも思っていたのかも知れない。

 

「そ、そりゃあ……。あ、あんな姿を見られちゃった訳だし、ちょっとは恥ずかしいって思うけど……。でも早苗は、私の事を心配してくれてたんだよね。……私の事が心配で、だから追いかけてきてくれたんだよね」

「そ、それは……」

「だから私は早苗の事を責めたりなんかしないよ。寧ろ、私の方こそ迷惑かけちゃってごめんね……。神霊騒動の時だって、早苗には余計な心配をかけちゃったみたいだし……」

「そ、そんな、妖夢さんが謝る事では……!」

 

 早苗はあたふたとしている。妖夢は本当に思った事だけを口にしたつもりだったのだが、ひょっとして余計に困らせてしまったのだろうか。

 確かに、罪悪感を感じているのは今は早苗の方である。そんな彼女に向けてこちらから謝罪の言葉を口にしてしまうのも、却って余計な気遣いをさせてしまうだけかも知れない。少し軽率な行動だったか。

 

 妖夢は慌てて話題を戻す事にする。

 

「え、えっと、とにかく! 私も進一さんも、この件はもう水に流しちゃったから。だからやっぱり、早苗が気に病む必要なんてないって事だよ」

「よ、妖夢さん……」

 

 うるうると、妖夢の言葉に心打たれたらしい早苗は再び涙目になる。そしてがしっと、妖夢の両手を握りしめると。

 

「ふぇぇん! あ、ありがとうございますぅ! わ、私、どうしてあんな事をぉ……! じ、自分が恥ずかしいですぅ……!!」

「ええ!? ちょ、泣かないで、早苗……!」

 

 ポロポロと大粒の涙を流す早苗を前にして、妖夢もあたふたせざるを得ない。まさか泣かれるとは思わなかった。今日の彼女は感受性が豊かである。

 何だか似たような事を前にも経験した事があったなぁと思いつつも、何とか妖夢は早苗を落ち着かせようと必死になる。このまま泣かれるのはいよいよ居た堪れない。以前に布都に泣かれた時、早苗はこんな気持ちだったのだろうか。いや、あの時は間違いなく早苗が悪かったのだけれども──。

 

「随分と感情表現が分かりやすいヤツだな」

「まぁ、何て言うか……。早苗は()()()()()で素直というか、真っ直ぐなヤツだからな」

 

 妖夢達の様子を眺めながらも、進一と魔理沙がそんな事を言っている。

 確かに。魔理沙の言う通り、早苗は色々な意味で真っ直ぐな少女なのである。表裏がなく、自分の気持ちに正直で。何事にも囚われず、常に自分の意志を持って行動に移している。──些か自分の気持ちに正直過ぎるきらいがあるけれど、それでもそれは間違いなく彼女の美徳の一つだ。少なくとも、妖夢はそう思っている。

 

「ほら、泣かないで早苗。私は本当に大丈夫だから。ね?」

「ぐすっ……。妖夢さぁん……」

 

 背丈は妖夢よりも早苗の方が高いが、今はうなだれている所為で彼女の方が妖夢を見上げるような形となる。

 うるうるとした瞳での上目遣い。その姿は何だか愛くるしい。同性の妖夢でさえも、ちょっぴりドキリとしてしまう。そんな姿を見せられると、例え妖夢が怒っていたとしてもすっかり毒気を抜かれてしまうのではないだろうか。

 

「う、うぅ……。ま、まさか私の方が慰められてしまうなんて……。妖夢さんが優しすぎて、私どうにかなっちゃいそうです……」

「そ、そんな大袈裟な」

「全然大袈裟じゃないです! 今の私には、妖夢さんが慈愛に満ちた天使のように映ってるんです! 妖夢さんマジ天使です!」

「お前ほんと妖夢のこと好きだよな……」

 

 ぐいぐいと主張する早苗に、困ったような表情を浮かべる妖夢。そんな二人の様子を、魔理沙が呆れた顔で眺めている。進一に至っては特に口も挟まずに静観である。ひょっとしたら未だに早苗に気圧されているのかも知れない。

 

 閑話休題。

 それから少しして早苗が落ち着いてくれた事により、この件にもようやくピリオドが打たれる事となった。

 何だかドッと体力を使ってしまったような気がする。まだ午前中だというのに、この疲労感は何なのだろう。無論、魔理沙や早苗の件に関してもその要因の一つなのだろうけれど、やはり進一にくっつき過ぎたのも要因の一つだろう。

 あまりにも動悸を激しくし過ぎた。お陰で軽い酸素の欠乏と、発汗によるこれまた軽い脱水のせいでぐったりである。疲れた。

 

「大丈夫か妖夢? 疲れてるみたいだが」

 

 そんな妖夢の状態を敏感に察知したらしい進一が、心配そうにそう尋ねてくる。そんな彼へと向けて、妖夢は苦笑いを浮かべながらも。

 

「そ、そうですね……。確かにちょっぴり、疲れちゃったかもしれません」

「だよな……。休むか?」

「いえ、大丈夫です。ですから今は取り合えず、魔理沙の上着を借りにいきましょう。折角の厚意を無下にはできません」

 

 矢継ぎ早にそう告げる。

 別に無理をしている訳じゃない。休むにしても、この大通りで立ち往生するのも他の住民に迷惑がかかると思っただけだ。どこか休める場所を探すくらいなら、先に魔理沙の提案を呑んでからも遅くはないと。妖夢はそう客観的に判断したのである。

 

「疲れてるんなら、お茶くらい出すぞ」

「え? い、いいよ、気なんか遣わなくても。上着を借りたら、すぐにお暇するから」

「何だよ。遠慮なんてする必要ないのにな」

 

 魔理沙のそんな厚意は、気持ちだけ受け取っておく事にした。流石にそこまで世話になる訳にはいかない。

 

「ま、お前がそう言うんなら良いけどな。それじゃ、とっとと行こうぜ。あまり無駄な時間を増やすのも考え物だからな」

「……そうだね」

 

 妖夢達を先導するように、魔理沙は踵を返した。そんな魔理沙を追って、妖夢も後に続く。そして彼女の後ろに進一と早苗が続くような形となった。

 妖夢はチラリと後ろを振り向く。すると丁度、何やら早苗が進一へと声をかけていた所だったらしく。

 

「えっと……。あなたが妖夢さんの恋人さん、なんですよね?」

「ああ。まぁ、一応な。お前は妖夢の友達なんだろう?」

 

 そういえば、まだ二人がまともに会話を交わすのはこれが初めてだったか。まずは世間話から自己紹介、という事なのだろう。

 折角こうして出会えたのだ。二人にも仲良くなって欲しい。別に妖夢は、進一が他の女の子と会話をしていたからといって嫉妬心を抱くようなキャラじゃない。折角会えたのだから、寧ろ友達になって欲しいと思っているくらいで──。

 

「私、あなたの事まだ認めた訳じゃありませんから」

「……は?」

「その辺は留意しておいて下さい」

「…………っ」

 

 ──何やらちょっぴり不穏なやり取りが行われていたような気がする。先行きに仄かな不安感を覚え始めたのは妖夢だけだろうか。

 そんな微妙な心境を燻らせつつも、妖夢は魔理沙について行くのだった。

 

 

 *

 

 

 香霖堂というこの古道具屋に閑古鳥が鳴いているのは珍しい事ではないが、店主である森近霖之助はそんな状況に対して特に危機感などは抱いていない。

 客足の減少により採算が取れなくなり、その結果閉店という結末もしょっちゅう耳にする事態であるが、それらはあくまで()()()()()が経営している店の話である。森近霖之助は半人半妖であり、そういった意味でも()()()()()の定義から外れている。

 

 彼にとって、商売はあくまで趣味の範疇に過ぎない。自分が仕入れた商品をただ店先に並べ、そしてそんな商品をたまに客が眺めてくれるだけで十分なのである。まぁ、それでも流石に売り上げがゼロでは少々厳しい事もあるのだけれども──。今のところ、そんな状況に陥ってしまったのは過去に数える程度しかない。

 

 彼が重視するのは気ままである事だ。ガッチガチに緊迫した状況など肌に合わない。

 だから今くらいが丁度いいのだ。基本的には静寂に包まれ、たまに客の相手をする。喧騒が苦手な霖之助にとって、宴会よりもこういった時間の方が楽しいと感じてしまう。常に誰かと騒ぎ立てるなんて、それこそキャラが違い過ぎるというものだ。

 

 今日も香霖堂は静かである。今日はまだ客が誰も訪れていない事もあってか、いつも以上にまったりとした時間を過ごしているように思える。店のカウンターに腰かけて、たまにお茶を啜りながらも読書に耽る優雅な一時である。

 静かだ。静寂は、心に安らぎを齎してくれる。

 今日は一日こんな調子でも良いんじゃないか。まったりとした時間をただ一人読書に費やしてしまうのも、まぁ、悪くないんじゃないかと。そんな気持ちにもさせられる。

 

 やっぱり静寂は良い。

 

 だからやはり、今日はこのまま──。

 

「香霖ー! 邪魔するぜー!」

 

 ──無慈悲にも静寂はぶち壊された。

 どたんと、やや乱暴気味に店の扉が開け放たれる。次いで流れ込んで来たのは、静寂とは程遠い元気な少女の声。

 顔を上げて一瞥すると、軒先にいたのは小柄な少女。白と黒の衣服に、これまた黒い三角帽。左手にはぶ厚い本を抱え、そしてもう片方の手には藁帚を肩で担ぐようにして持っている。さながら魔法使いのような出で立ち。そんな彼女を目の当たりにした途端、霖之助は悟った。

 ──ああ。早くも静寂は喧騒に置き換わってしまったんだな、と。

 

「すいません、どこのどちら様ですか?」

「何だその他人行儀な対応。まるで私を歓迎してないみたいだな」

「そりゃ、歓迎してないからね」

「おいおい、ストレートに言うなぁ。私とお前の仲じゃないか」

「それで? 君は一体どこの誰なんだい?」

「あくまでお前は私を他人として扱おうってんだな……」

 

 そりゃぞんざいにも扱いたくなる。今まで彼女がこの店に齎した事を考えれば。

 

「私は至極普通の魔法使いにして森近霖之助の腐れ縁、霧雨魔理沙ちゃんだぜ。よくよく覚えておくんだな」

「うわー、ウザいね……」

「……そういう事はあまり口にするもんじゃないぜ」

 

 魔理沙がジト目を向けてくる。向けたいのはこっちである。

 普通の魔法使いを自称しているこの少女──霧雨魔理沙と森近霖之助は、確かに腐れ縁である。魔理沙とは彼女が生まれた時からの付き合いで、霖之助にとっては殆ど妹のような存在だ。魔理沙も魔理沙で霖之助の事を兄のように思っている節があり、その所為なのか何なのか知らないがよく香霖堂にちょっかいを出しにくる時がある。

 彼女が客として香霖堂に訪れる事なんてない。大抵の場合、霖之助の許可なく勝手に店の奥まで入り込み、霖之助の許可なく勝手に彼の私物であるお茶を飲んだりしている。店の商品も勝手に持っていってしまう事があり、お陰で既に彼女には多大なツケが重なってしまっているのである。まぁ、当の本人は払う気など更々ないようなのだが──。

 

 要するに、好き勝手な少女なのである。いい加減勘弁してほしい。

 

「今日は一体何の用なんだい。そろそろツケを清算する気になったのかな」

「んなもん払う訳ないだろ。勿論別件だ別件」

 

 そんなもんと言ったかこの少女は。まるで悪びれる様子すら見せない。

 

「何辛気臭い顔してんだよ。今日は客を連れてきてやったんだぜ。感謝しろよな」

「客……?」

 

 怪訝そうなリアクションを見せる霖之助の前で、魔理沙が何やら店の外へと手招きしている。するとこれまた見覚えのある少女が店内へと入ってきた。

 体格は小柄な魔理沙と同じくらいである。白銀色のセミロングヘアに、頭の上には黒いリボン。そして何より目を引くのは、傍らに連れた大きな霊魂。そんな印象的な特徴を目の当たりにすれば、例え数度会っただけでも記憶に深く刻まれそうだ。

 

 実際、霖之助はこの少女を知っている。一週間とちょっと前にも、彼女は香霖堂まで足を運んでいたのだ。

 

「おや」

 

 半人半霊の少女。つまるところ、人間と幽霊のハーフ。寅丸星が色々と先走って香霖堂に押し掛けてきた時も世話になった人物である。

 

「こ、こんにちは、霖之助さん。一、二週間ぶりくらいですかね……?」

「やあ、妖夢君じゃないか。いらっしゃい、歓迎するよ」

 

 彼女──魂魄妖夢が相手なら、魔理沙のような塩対応をする必要はない。自然と表情を綻ばせて、霖之助は彼女を歓迎した。

 ちょっぴり肩の荷が降りた。彼女も一緒であるのなら、魔理沙の暴挙も多少なりとも鳴りを潜めるかも知れない。もしも霊夢と一緒だったら霖之助の胃が更なるダメージを負う所だったのだろうけど、妖夢だったら恐らく大丈夫だろう。安心だ。

 

「……やっぱり、向かってたの魔理沙の家じゃなくて香霖堂だったんだね。途中から何となくそんな気はしてたけど……」

「まぁな。けど、まぁ、香霖堂だって最早私の家みたいなもんだけどな」

「……お茶を出すって言ってたのは?」

「いやー、香霖の仕入れるお茶は旨いんだよなー」

「あ、あはは……。うん、何となく理解したよ……」

「家みたいなもんだけどな、じゃない。というか、なに僕の知らない所で勝手に話を進めてるんだい。君はもっと遠慮というものを覚えるべきだ」

「はぁ……相変わらず固いな香霖は。まったく、頭でっかちめ」

 

 勝手な事を言っていたので苦言を漏らしてみると、嘆息交じりにそう言い返された。

 誰が頭でっかちだ。霖之助は人間として最低限の常識を諭しただけなのに。──自分は半分妖怪だが。

 

「つーか香霖! お前私の時と妖夢の時じゃ対応変わり過ぎだろ! どういうつもりだよっ!」

「……何を言ってるんだ魔理沙。君と違って妖夢君は、分別を弁えている丁寧な子じゃないか。そりゃ僕の態度だって変わるさ」

 

 魔理沙と違って勝手に物を持って行ったりしないし、時には買い物だってしてくれる。彼女の爪の垢を煎じて魔理沙にも飲ませてやりたいくらいだ。

 そんな事を指摘すると、魔理沙はますます不機嫌な顔になる。痛い所を指摘されて怒っているのだろうか。多少なりとも自覚があるのなら、せめて行動を改める兆しくらい見せてくれてもいいのではないかと思うのだけれども。

 

「……霖之助さん。魔理沙だって、そんなに悪い子じゃありませんよ。分別だってちゃんと弁えていると思いますし……」

「……妖夢君は友達想いだね。けれど魔理沙の手癖の悪さは君だって知っているだろう? あまり甘やかすと、この子はますます調子に乗ってしまうよ」

 

 困ったような苦笑いで妖夢がフォローしてきたので、霖之助も自分の意思を表明しておいた。──まぁ、仮に厳しく接したとしても、魔理沙がその行動を改める事はなさそうだが。

 

 そんな妖夢とのやり取りを横で見ていた魔理沙が、何やらずいずいっと間に割って入ってくる。

 相も変わらず不機嫌そうな雰囲気。霖之助を非難するようなジト目。そんな表情を隠す素振りもなく、魔理沙はずいっと身を乗り出すと。

 

「……おい香霖。さてはお前、妖夢の事を狙ってるんじゃないだろうな?」

「……は? 何の事だい?」

 

 質問の意図が分からない。一体何の事を言っているのだろう、彼女は。狙っている、だとか。あまりにも脈絡がなさすぎるのではないか。

 

「とぼけるなよ。お前、妖夢に対しては妙に褒め称えるじゃないか。しかも態度だって何だか紳士的だしな」

「別に普通だろう」

「普通じゃない。全然普通じゃないだろ。それとも無意識の内にそうなってんのか?」

「……一体何を怒っているんだ君は」

「別に怒ってないし。つーか話を変えるなっ。まだ白を切るつもりなのか?」

「いや、だからね……」

「はっ! けど残念だったな香霖! 妖夢(こいつ)は既に彼氏持ちだ! だからお前が付け入る隙なんて米粒たりともないんだぜ!!」

 

 いや、本当に、一体何の話なのだろう。

 ビシッと人差し指を突き出す魔理沙を前にして、霖之助は困惑する事しか出来ない。

 ひょっとして、()()()()()とは()()()()()()だったのだろうか。だとしたら魔理沙の素っ頓狂な勘違いだ。一方的に妙な疑惑を抱くのは止めて頂きたい。

 

(まったく……)

 

 取り合えずやたらと興奮気味な魔理沙を宥める為、まずは彼女の誤解を解いてやる事にする。事実無根である事を至極冷静に説明すると、彼女は意外と早い段階で大人しくなってくれた。

 興奮しているのが自分一人だけであるという状況に気がつき、客観的に見て馬鹿らしく思えてきたのだろうか。それなら最初から冷静になってこちらの話を聞いて欲しいと切に思う。彼女は別に物分かりが悪いという訳ではないのだし、これで()()()()がもう少し何とかなれば霖之助の気苦労も減るのだろうけれど──。

 

「はぁ……。君は相変わらず、そそっかしいというか何と言うか」

「な、何の話だよ急にっ」

「何でもない。……というか半ばスルーしちゃってたけど、妖夢君って恋人がいたんだね。少し意外だったよ」

「え? あっ……は、はい。えっと、一応……」

 

 頷きつつも、妖夢は小恥ずかしそうにもじもじしていた。

 妖夢との付き合いはそれほど長い訳でもないが、それでも彼女の性格がどちらかというと奥手であるという事くらいは察する事が出来る。性格は生真面目で、恋愛云々に現を抜かすより剣術鍛錬に精を出すようなイメージがあったのだが。

 それでもやはり、彼女だって女の子。恋人がいてもおかしくはない年頃である。

 

「……そういえば、その進一はどうしたんだよ? 何で店の中に入ってこないんだ?」

「あっ、うん……。何だか早苗が話があるみたいで、今は二人でお店の外にいるよ。大事な話だって、早苗は言ってたけど……」

「……大丈夫なのか、それ?」

「え? 何が?」

「……いや、お前が気にしてないんなら良いんだけどさ」

 

 妖夢と魔理沙がそんなやり取りを交わしている。

 その進一というのが、妖夢の恋人なのだろうか。早苗──と言えば、守矢神社の風祝である東風谷早苗の事で間違いないだろう。彼女達の口振りから察するに、今はその四人で行動しているという事なのだろうか。

 多少なりとも気にはなったが、それでも霖之助はそれ以上の追求をする気にはならない。色恋話だとか、正直そこまで関心のない話題なのである。それよりも今は、魔理沙が妖夢を香霖堂まで連れてきた理由の方が気になる。彼女は客を連れてきたとか何とかと言っていたが。

 

「……話を戻すけど、今日は一体何の用なのかな」

「おう、そうだったな。なぁ香霖。前に私が着ていた服、確かお前が預かってたよな?」

「魔理沙が着ていた服……?」

「ああ。ほら、あれだ。上に羽織る、ちょっとしたコートみたいなヤツ」

 

 霖之助は首を捻る。

 まぁ、確かに。魔理沙の衣服に関しては、何着かこの香霖堂で預かっている。というか、魔理沙が勝手に戸棚の一部をクローゼット替わりにしてしまっている。本人曰く、自宅に収納スペースがないとの事だが──。

 香霖堂だって最早家みたいなものだという彼女の言葉は伊達じゃない。魔理沙は香霖堂を体のいい物置場か何かと勘違いしているのではないだろうか。

 

 けれども今さらそれを指摘するのも馬鹿らしく思えてきた。言った所で、彼女が考えを改める事はないだろう。既に半ば諦めている。

 嘆息しつつも、霖之助は頷いた。

 

「……君の服なら、確かに僕が預かっているね」

「だろ? それでだ、香霖。そいつを妖夢に貸してやってくれないか? 妖夢のヤツ、今日の気候の割に薄着で来ちゃったみたいなんだよ。この恰好のままじゃ、ちょっと寒そうだろ?」

 

 チラリと妖夢を一瞥してみると、確かに彼女はあまり厚着をしていな事が見受けられる。ここの所は気温の低い日が続いているようだし、その恰好では寒そうだという魔理沙の意見には同意である。平均以上の春の陽気ならその服でも十分なのだろうけど、少なくとも今日のような気候なら話は別だ。

 

「成る程ね。そういう事か」

「ああ、そういう事だぜ。……言っておくけど、金を取るとか言い出すなよ? あくまで私の私物を妖夢に貸そうって話なんだからな。別に何かを売りつけようって訳じゃない」

「分かってるよそんな事。君は僕を何だと思ってるんだい」

「守銭奴」

「おいおい……」

「商売人なんて皆そんなもんだろ」

 

 酷い偏見だ。

 そもそも霖之助は、商売に対してそこまで積極的な姿勢で臨んでいない。寧ろ彼は消極的な方である。商売人に向いていないという評価を下された事もあるくらいだ。そんな調子の霖之助を守銭奴とするのなら、他の一般的な商売人はどうなってしまうのだろう。──何だか逆にこちらが申し訳なく思えてきた。

 

「まぁ、魔理沙の服を貸すくらいならお安い御用さ。妖夢君、遠慮せずに上がっていくと良いよ」

「あっ、はい。すいません、お仕事の邪魔をしてしまって……」

「別に気にしなくて良いよ。どうせこの時間は暇だからね」

「ま、この店は閑古鳥がしょっちゅう鳴いてるからなぁ」

 

 妖夢を店の奥に招き入れると、余計な一言を口にしつつも魔理沙がついてくる。

 まったく、大きなお世話である。霖之助は香霖堂の現状に満足しているのだ。客足の多さなんて関係ない。自分の好きなように道具を集め、自分の好きなように商品を並べ、そして自分の好きなように適度な商売を行う。それで十分なのである。

 

(本当に……。まったく、だよ)

 

 霧雨魔理沙というこの少女は、昔からこんな感じなのだ。

 文字通り淑やかとは無縁な少女で、誰に対しても歯に衣着せぬ言葉遣いで気さくに接している。根は真面目であるはずなのに変な所で手癖が悪い一面があり、そのうえ厄介ごとに自ら首を突っ込もうとしがちな傾向がある。普段から『異変』にも積極的に関わっているのがその証拠で、少々危なっかしい事態に陥る事も多々あったりするのである。

 

 そう。危なっかしいのだ。

 彼女の生き方は、時にあまりにも無謀だ。誰に対しても気さくに接するという点は確かに美点なのだけれども、けれどそれは時に自らの首を絞める結果になる事がある。

 下手に無理をして、踏み込んで。その結果、背負うはずのないものまで背負う事なってしまったら。

 彼女は一体、どうするのだろう──。

 

「……霖之助さん」

 

 考え込んでいると、不意に妖夢が声をかけてくる。

 後ろについてくる魔理沙に聞こえないくらいの声量だ。内緒話でもするかのように、妖夢は霖之助へと続ける。

 

「魔理沙の事、心配ですか?」

「……どうしたんだい、急に」

「いえ……。何だかそう見えたので」

「君の勘違いだよ。僕は別に心配なんかしちゃいない」

「そうですか……」

 

 やや口早にそう答える。殆ど反射的だった。

 なぜだろう。自分でもよく分からない。否定の言葉が、自然と彼の口から漏れる。露骨な程に、霖之助の思考を否定する。捻くれた想いが、彼の胸中を駆け抜ける。

 

「霖之助さんて、魔理沙と話している時だけちょっぴり印象違いますよね」

「……そうかな」

「そうですよ」

「……どんな風に?」

「普段より楽しそうな感じです」

「……君の目は節穴なのかい?」

 

 いきなり妖夢に突拍子もない事を言われた。

 何を言っちゃっているんだこの少女は。自分で言うのも何だが、魔理沙に対しては割と雑に扱っていたじゃないか。こっちだって迷惑している。それなのに、楽しそうだなんて。

 

「そうですね……。表面上は素っ気なくぶっきら棒な様相を呈していますけど、実は内心では結構楽しんでいる感じでしょうか?」

「……そう見えるのかい?」

「ええ。そう見えますね」

「どうやら君は疲れているようだね……」

「……意地でも否定するんですね」

 

 別に意地になんてなったつもりはない。霖之助はただ真実だけをストレートに口にしただけだ。

 まぁ、確かに。魔理沙と一緒にいると退屈しない事は事実であろう。それは霖之助だって否定しない。けれども流石に、ここまで無遠慮にずけずけと入られると、多少なりともうんざりと思ってしまうのは当然の心理ではないだろうか。

 ああ、そうだ。

 霖之助だって辟易としている。この気持ちに偽りなどない。

 

「……お節介なのは承知の上で、言わせてもらいますけれど」

 

 ──と。霖之助が思考を続ける最中で、妖夢が不意にそう告げる。

 

「魔理沙は誰に対してもあんな感じって訳じゃないですよ。まぁ、確かに普段から無遠慮な一面はありますよね。今持っているあの魔導書だって、パチュリーさんから強引に借りてきたものみたいですし……。手癖が悪い、という霖之助さんの印象だって間違ってないんだと思います」

「……君だってそう思うだろう? まったく、だからあの子は……」

「でも、()()()()()じゃないんですよ」

「……え?」

 

 霖之助が言い終わるとりも先に、言葉を挟んでくる妖夢。矢継ぎ早に告げられる彼女の言葉を前にして、思わず霖之助は言いかけていた自らの言葉を飲み込んでしまう。

 代わりに彼の口から出てきたのは、疑問の言葉。

 

「……どういう意味だい?」

「霖之助さんが相手では、魔理沙は特別遠慮がないって意味です」

 

 ──それは、つまり。

 一体、どういう事なのか。果たして彼女は、何を伝えようとしているのだろうか。

 

「霖之助さんの前だと、魔理沙は普段以上に真っ直ぐなんですよ。歯に衣着せぬ物言いも、ちょっぴり意地になる所も。遠慮がないのだって、きっと霖之助さんを心の底から信頼している表れなんだと思います」

「…………」

「だから、魔理沙だって分別を弁えているんです。相手が誰であろうと関係なしに、軽率な行動を取っている訳じゃありませんから」

 

 「だから安心して下さい」と、妖夢は微笑んで付け加える。

 ──安心とは、何の事を示しているのだろう。話の流れから察するに、魔理沙は誰に対してもあそこまで無遠慮ではないという点だろうか。いや、何だかそれ以上に深い意味が込められているような気がする。

 分からない。霖之助の勝手な勘違いかも知れない。別に深い意味なんてなかったのかも知れない。

 

 だが。

 

「おいお前ら。何私に隠れてこそこそ話してんだ」

 

 後ろについてきていた魔理沙が、不機嫌気味にそう尋ねてくる。

 そんな彼女に対して、「何でもないよ」と妖夢は答える。けれども魔理沙は怪訝そうに、「本当かよ……」とぼやいている。霖之助はそんな彼女達の様子を一瞥した後に、軽い嘆息を零した。

 

 まったく。魂魄妖夢という少女もまた、大概お節介である。こんな事をした所で、彼女は何のメリットも得られないだろうに。──等という損得勘定を無意識にしてしまう辺り、自分の中にも多少なりとも商売人としての血が流れているのだろうか。

 

 ──まぁ、だけれども。

 妖夢の言葉は確かに唐突だったけれど、しかし全くの的外れだという訳でもない。森近霖之助という青年は確かに魔理沙を邪険に扱っているように見えるが、別に彼女を本当に邪魔者扱いしている訳ではないのである。

 勝手にお茶を呑まれたり、戸棚をクローゼット替わりにされたり。色々と好き勝手な事をされているのだけれども、しかし霖之助は最終的には拒まない。なんやかんやで、魔理沙の事を受け入れてしまう。

 

 そんな奇妙な心持ちと行動に対して、霖之助本人も自分で半ば呆れてしまっているのだけれども。

 まぁ、何と言うか。

 これはこれで悪くないのではないかと、そんな気持ちだって彼の中には確かに存在しているのだから。

 

「……まったく」

 

 だから本当に、まったくだ。

 

「出来の悪い妹を持った兄の心境って、こんな感じなのかな」

 

 霖之助は、小さく呟く。

 満更でもない。そんな感情が、自然と彼の表情から零れていた。

 

 

 *

 

 

 魔理沙が妖夢を連れて香霖堂と呼ばれる店へと入って行ってしまった。

 けれども彼──岡崎進一は、妖夢の後を追いかける事はしていない。今回の目的は妖夢が羽織る上着を魔理沙から借りる事だ。そう時間は掛からないだろう。

 だからこれは、束の間の離別。妖夢とはすぐにまた会える。彼女の事は、魔理沙に任せておけば安心だ。

 

 故に、こそ。

 今は直面したこの問題としっかり向き合わなければならない。

 

「丁度よく、二人でお話ができそうですね」

 

 目の前にいるのは、東風谷早苗という巫女服の少女。妖夢の友達の一人であり、先程から進一達を尾行していた張本人である。

 妖夢が魔理沙を追って店に入ろうとした寸前、進一は彼女に呼び止められたのだ。少し話二人で話をしたい。だから時間をくれないか、と。

 

 そんな彼女の提案に対し、妖夢は特に反対の意見を提示しなかった。「それなら私はその間に上着を借りてきてしまいますね」と、そう口にして魔理沙の後についていってしまったのだ。──亡霊である進一を、会ったばかりの生者と二人だけにしても良いのかと。そんな疑問を口にする暇もない。

 そして意外な程にあっけなく、今はこうして早苗と二人きりの時間が流れ始めている。

 

「えっと……。岡崎さん、ですよね?」

「ああ。……お前は東風谷、だったよな?」

 

 あちらが確認をしてきたので、進一も一応確認しておく。苗字で呼んでくるものだから、進一の方も彼女の事は苗字で呼ぶ事にした。いきなり名前で呼ぼうものなら、鋭く睨まれてしまいそうである。

 ──そんなピリピリとした雰囲気が、彼女からは放たれている。決して穏便な様子ではない。

 嫌悪感までとは言わない。けれど彼女から向けているこの感情を好意的に捉えられるほど、進一はお気楽ではないのである。彼女の鋭い感情が、チクチクと肌をつついているかのような。そんな感覚さえも覚えてしまう。

 

「岡崎さん。あなたに幾つか、確認したい事があるんです」

「……何だ?」

 

 妙な緊張感。流石の進一も息が詰まりそうになる。

 向けられるのは疑いの視線。先程までの様子からは考えられない程に、彼女の瞳は真っ直ぐに進一の事を捉えていて。

 

「……魔理沙さんは、結局何も言いませんでしたけど。でも多分、彼女だって分かっているはずなんです」

 

 意味深な口振り。

 そして彼女は、言葉を続ける。

 

「……亡霊さんですよね? あなた」

「…………」

 

 突き付けられたストレートな言葉。回り道なんて経由せず、一直線に真実へと。

 進一は口ごもる。彼女の質問に対して、咄嗟に答えを提示する事ができない。

 しかし考えてみればおかしな話ではない。確かに進一の姿形は殆ど普通の人間そのものだが、けれども今の彼は既に人間ではない。必ずどこかに、多少なりとも()()()が生まれてしまう。そんな微妙な違和感に目敏く気付く者がいてもおかしくはないと、そんな推測だって簡単に立てられたはずなのに。

 

「私、これでも一応神職に就いている者なので。いや、まぁ、神職というか、神そのものと言ってしまっても差し支えないんですけど……。兎にも角にも、私はあなたの霊力だって敏感に察知する事が出来る。だから、分かるんです」

「……っ」

「あなたは、既に死んでいるはずです。身に纏うその霊力が、なによりの証拠……」

「……そうか」

 

 進一は相槌を打つ。

 別に無理に隠そうとしていた訳じゃない。変に混乱を招く事になるのなら、誤魔化し通せるに越した事はないのだけれども。しかしバレてしまったのならば見苦しい抵抗など無意味である。

 ──流石にタイムトラベル云々に関しては話す訳にはいかないけれど。

 けれどもこの()()の事に関しては、今更否定するつもりはない。

 

「ああ、東風谷の言う通りだ。俺は既に死んでいる」

 

 一瞬、早苗の目が少しだけ見開く。進一がここまであっさりと認めるとは思っていなかったのだろうか。

 

「……そうですか」

「そうだ」

「簡単に、認めるんですね」

「ああ……」

 

 早苗が浮かべるのは、ちょっぴり納得できないような表情である。まぁ、彼女がごの幻想郷で神職に就いているのならば、その反応は無理もないだろう。

 進一は亡霊である自分を受け入れている。自分は既に死んでいるのだと、そう自覚してしまっている。にも関わらず、彼は未練という錘もなしにこうして顕界に留まっている。異常などと称されるのにも慣れてきてしまった。

 

「……ただの亡霊さんじゃない、という事ですか」

「らしいな」

「らしいなって……。自分の事じゃないんですか?」

「……まぁ、そうなんだけどな」

 

 その辺の詳細を求められても進一は説明できない。以前に紫に対しても口にしたが、寧ろ進一の方が知りたいくらいなのだ。

 

「……分からないんだ」

「えっ?」

「生前の事、何も覚えていないんだ。だから俺が、どうして()()()()になっているのか、それは俺自身も理解できていない」

「…………っ」

 

 正直に話す。すると早苗の表情が変わった。

 驚いたような表情。けれどそれと同時に、どこか悲痛めいた感情までも彼女からは感じられる。最悪な可能性。それを何となく察してしまい、否定したくて。けれどどうしても、突き付けられた現実から目を背ける事が出来ない。否定する事が、できない──。

 

 故に彼女は、苦し気に進一から目を逸らす。

 

「あなたは……。亡霊さんとなってから、妖夢さんと出逢ったという事なんですか……?」

「違う。俺は生前から妖夢との面識を持っていた……らしい」

「……ですよね。何となく、そんな気はしていました」

 

 彼女は妖夢の友達だ。恐らくその付き合いは、妖夢と進一のそれよりも長い。そんな彼女だからこそ、気づけてしまう事がある。察してしまう真実がある。

 程なくして、早苗は逸らしていた視線を進一へと戻す。その眼差しには、確固たる“意思”が籠められていて。

 

「以前、妖夢さんから尋ねられた事があるんです」

 

 そして早苗は、語り出す。

 

「もしも好きな人がいて、でもやむを得ない事情でその人とお別れしなければならなくなって。そんな時、私ならどうするのかって……」

 

 それは。

 その質問はつまり、妖夢は自分自身の事情を示していたのだろうか。

 八十年後の未来の世界で進一と出逢って、けれどもこの時代に帰らなければならなくなった。八十年の時という壁に阻まれ、もう二度と会えないような状況に陥って。もしも自分以外の誰かが同じ状況に立たされた時、その誰かは果たしてどうするのか。それを妖夢は確認したかったのだろうか。

 

 何故か。

 ──答えなんて、明白だ。

 

「私は恋人がいた事もありませんから、あくまで想像でしか答える事はできなかったんですけど……。でも、例え離れ離れになるのだとしても、その人が私の事を好きでいてくれるのなら……。それだけで、幸せなんじゃないかって……。そう、思ったんです」

「……そうか」

「でも……。今になって、ちょっと軽薄だったなって後悔してるんです。妖夢さんの気持ちも考えずに、私はただ思った事を口にして……。何も知らない癖に、知ったような口を利いてしまって。結果として、私はますます妖夢さんを追い込んでしまっていたのかも知れません」

 

 早苗の表情が沈む。

 それは、犯してしまった過ちを悔やむかのような表情。自分の取った行動が引き金を引く結果となり、状況を更に悪くしてしまった。自分の軽率な発言の所為で、大切な友達を傷つけてしまった。

 彼女は。

 東風谷早苗という少女は、少なくともそう思い込んでいる。──否。()()()()()()()()()()()

 

「ここ最近、妖夢さんの様子はずっとおかしかったんです。以前から、何に対しても真面目で誠実な方だったんですけど……。でも、違う。日々の雑務も、剣術鍛錬も、私達とお喋りしている時だって……。妖夢さんは、ずっと何かを抱えているかのような様子でした。……ずっと何かを、我慢している。目を逸らしてしまおうと、そんな風に意固地になってしまっている……。少なくとも、私の目にはそう映っていました」

「……っ。ああ……」

 

 早苗は胸元で自らの両手を重ねる。

 胸が苦しい。締め付けられる。息ができない。そんな感情がひしひしと伝わってくる。

 

「あなた、なんですよね……?」

 

 今の早苗から向けられるのは、先程のような威圧的な視線ではない。肌をチクチクとつついてくるような鋭い感情などではない。

 悲痛。

 進一に向けられたその感情は、否応なしに彼の心を締め付ける。

 

「あなたが、妖夢さんをひとりにしたんですよね……?」

 

 震える声で、彼女は頻りに口にする。

 

「妖夢さんは、ずっとあなたを想い続けていた……。でも、いつまでも、あなたとの想い出に頼ってばかりじゃいられないんだって……。多分、妖夢さんはそう思い込んでいたんです……。だから妖夢さんは、ずっと、あんな……!」

 

 あなたの所為で、妖夢さんは傷ついた。だから私はあなたの事を認めない。

 表面上の言葉だけを見れば、そんな感情を読み解く事が出来る。けれどもそれだけじゃない。彼女が抱くこの想いは、たったそれだけの言葉で片付けられる程単純じゃないのである。

 それは会ったばかり進一でも何となく察する事が出来るから。

 

「東風谷……」

「……いいんです、分かっています。私はあなたと妖夢さんとの間にある詳しい事情を知りません。あなたがどうして亡霊なのか、どういった経緯で妖夢さんと出逢ったのか……。分かりません。けれど、それをこれ以上詮索するつもりだってありません。そんな私がこんな事を好き勝手口にするなんて、それは烏滸がましい事なんだって自覚しています」

「…………」

「でも……理屈じゃ、片付けられないんです……。この気持ちは……。想いはっ……、感情は……! どうしたって、割り切れないんですよ……!」

 

 東風谷早苗は苦し気にそう語る。

 分かっているのだ。一方的に勝手な事を口にしているのだと、それは彼女本人も理解できている。けれどそれでも、自分自身の心を抑え込む事が出来ない。黙ってなんて、いられない。

 

 ──ああ。そうだ、そういう事なのだ。

 

「……なぁ、東風谷」

 

 東風谷早苗という、この少女は。

 

「お前は、妖夢の事が大切なんだな」

「…………っ」

「妖夢の事が好きだから、そんな風に必死になってくれるんだよな」

 

 彼女は妖夢の友達だ。博麗霊夢や霧雨魔理沙と同様に、妖夢の事を大切に思ってくれている少女の一人なのだ。

 それぞれがそれぞれの想いを抱いている。形に差異はあれども、みんな妖夢の事を大切に想ってくれている。こんなにも良い友達が持てて、妖夢の事がちょっぴり羨ましく思える程だ。

 

 それ故にこそ、東風谷早苗のこの感情は至極健全だ。彼女の憤りは尤もなのだ。そんな彼女の想いを否定する権利なんて、進一にはない。

 

「ああ……そうだ。俺は一度、妖夢をひとりにしてしまった。それどころか、生前の記憶まで失って……。こうして記憶喪失の亡霊という形で妖夢の前に現れて、あいつを……。傷つけて、しまったんだ……」

「……っ。そうですか……」

「情けないよな。ああ、まったく、情けない。お前が怒るのも、無理はない。お前が俺を認めないのも、無理はない……」

 

 そう。

 それほどまでの事を進一はしてしまったのだ。

 生前、自分がどんな状況に立たされていたのかは分からない。何を思い、そしてどんな想いを抱いた上で妖夢と離別する事を選んだのか、今の自分は、その答えを断言する事は出来ないのだけれども。

 少なくとも、早苗の言葉は真実だ。進一が妖夢を傷つけてしまったという事実は、最早覆りようもない事象なのだから──。

 

「……私は」

 

 ──と。不意に早苗が、再び口を開く。

 

「私はあなたを、認めた訳じゃないと言いました」

「ああ……」

「けれど、勘違いしないで下さい」

「え?」

 

 意外な反応。予想できていなかった言葉。

 進一は思わず間の抜けた声を上げてしまうが、それでも構わず早苗は続ける。

 

「妖夢さんを渡さないだとか、あなたは妖夢さんにふさわしくないだとか……。別に、そんな事をあなたに言うつもりはありません。そんな評価を一方的に下すつもりだってありません。それを決めるのは、私なんかじゃないって思いますから……」

 

 そして彼女は「でも……」と言葉を繋げる。

 

「あなたの事を認めた訳じゃない。その言葉だって、嘘じゃありません。事情はどうあれ、結果として妖夢さんに辛い思いをさせてしまったんです。だからその責任くらいは、取ってもらわないと」

 

 責任。その言葉が、進一に重く伸し掛かる。

 辟易してしまった訳じゃない。尻込みをしてしまった訳でもない。ただ、改めて実感できただけだ。目を背ける事だけは、決して許されないのだと。

 妖夢と離れ離れになり、生前の記憶を失い、彼女に辛い思いを押し付けてきた情けないばかりの自分に、果たして何が出来るのか。取るべき責任とは、一体何なのか。

 その答えは、意外なほど簡単に提示される事となる。

 

「岡崎さん。私があなたに言いたい事は、つまるところこの一つだけです」

 

 他でもない。東風谷早苗本人の口から、直接。

 

「これ以上、妖夢さんをひとりにしないで下さい」

 

 ただ、真っ直ぐな瞳を進一へと向けて。

 

「もう、妖夢さんの傍から離れないで下さい」

 

 震える身体を抑え込み、精一杯に凛と。

 

「もしもまた、妖夢さんに辛い思いをさせるような事があれば」

 

 彼女は告げた。

 

「その時は、私はあなたを容赦なく退治しますから」

 

 それは、どこまでも真っ直ぐな忠告だった。迷いも曇りもない、どこまでも誠実な言葉だった。

 

 早苗は()()()()()で素直というか、真っ直ぐなヤツ。

 成る程。魔理沙が彼女にそんな評価を下した理由が、今になって分かった気がする。確かに彼女には、先程のように暴走してしまう一面だってあるのかも知れない。時には周囲の人々を振り回してしまう事だってあるのかも知れない。

 けれどもそれは、彼女がいつだって素直である事の表れなのだ。

 大切な友達の為に、彼女はここまで必死になれる。大好きな友人の為に、彼女はただ直向きに突き進む事が出来る。

 

 妖夢が彼女に全幅の信頼を寄せる理由も頷ける。妖夢は早苗だからこそ、こうして二人で話せる時間を作るのに躊躇しなかったのだろう。

 分かって欲しかったのだろう。

 東風谷早苗というこの少女は、決して不誠実な人物などではないのだという事を。

 

「……ああ。そうだな」

 

 進一は静かに頷く。

 彼女に言われるまでもない──なんて、偉そうな事は言わない。妖夢をひとりにしないで欲しい。妖夢の傍から離れないで欲しい。彼女がそれを望んでくれるという事は、少なくとも進一の事を見限っている訳ではないのだから。

 それならば進一は、彼女の想いにだって答えなければならない。

 

「俺は……俺はこれ以上、妖夢に辛い思いなんてさせない。妖夢のそんな表情を見るなんて、もう二度と御免なんだ。あいつには涙なんかよりも、笑顔の方が絶対に似合っている。だから……」

 

 そう。だから進一は、何度だって誓おう。

 

「確かに俺には生前の記憶がない。だが、それでも俺が抱くこの想いは色褪せてなんかないはずなんだ。……だから俺は妖夢を守る。これ以上、絶対にあいつを傷つけさせはしない」

 

 早苗がどこまでも真っ直ぐに妖夢の事を想っているというのなら、進一だってどこまでも真っ直ぐにこの想いを伝えよう。

 例え記憶を失っているのだとしても、妖夢に対するこの想いは決して偽りなんかじゃない。妖夢が好きだというこの感情は、一時の気の迷い等では決してないのである。それだけは断言できる。そればっかりは譲れない。例え誰がなんと言おうと、この気持ちに嘘はつかないと進一は心に決めたのだ。

 

 そんな進一の言葉を聞いて、早苗の瞳が少しだけ揺れる。

 進一の想いが、伝わってくれたのだろうか。進一の想いを、認めてくれたのだろうか。その反応を見ただけでは、正直何とも言えない。妖夢達に見せていた喜怒哀楽な表情を今は見せてくれていない分、まだまだ彼女の信用を勝ち取れたとは言い難いのだけれども。

 

「……そう、ですか」

 

 それでも早苗は否定しない。

 

「だったら……」

 

 進一と妖夢の関係を、真っ向から否定するような事はない。

 

「だったらきちんと、表明して見せてください」

 

 けれども彼女は、苦しそうに。

 

「私じゃ、妖夢さんを救えない……」

 

 今にも泣き出しそうな面持ちで。

 

「あなたでなければ、救えない……」

 

 まるで自分の不甲斐なさを強く実感してしまったかのような表情で。

 

「妖夢さんは、あなたと一緒にいる時が、一番楽しそうなんですから……」

 

 彼女はそう、口にした。

 

 震えている。そんな彼女の様子を目の当たりにして、進一は思わず息を呑んだ。

 怯えているのだろうか。どこまでも素直で、どこまでも真っ直ぐだった彼女が。──いや、どこまでも真っ直ぐだからこそ、なのだろう。こうだという結論に一度達してしまったが最後、彼女はそれしか見えなくなってしまう。自分自身の力不足を強く実感してしまったからこそ、これ以上はどうしようも出来ないと否応なしに打ちのめされてしまう。

 

 何も知らない癖に、知ったような口を利いてしまって。結果としてますます妖夢を追い込んでしまった。

 

 そう思い込んでしまっているのが何よりの証拠だ。

 彼女は真っ直ぐだが能天気ではない。寧ろどちらかというと、どんどん考え込んでしまう性質なのだろう。

 真っ直ぐに、行ける所まで、振り返らずに、どこまでも。

 

 故に彼女は、本質を見失っている。

 

「……妖夢は」

 

 ポツリ、と。

 自然と、進一は言葉を紡ぐ。

 

「妖夢はきっと、東風谷にだって救われている」

「えっ……?」

 

 お節介なのは承知している。けれど口にせずにはいられない。

 

「未だに記憶を取り戻せていない、情けないばかりの俺なんかよりも、余程……」

 

 放ってはおけないから。

 

「だから、そんな事言うな……」

 

 見捨てるなんて、出来っこないから。

 

「自分じゃ妖夢を救えないなんて、そんな事は言わないでくれ……」

 

 進一には生前の記憶がない。それどころか、()()()()には生前の自分との繋がりを持つ人物は妖夢ひとりしかいない。それ故に、そんな自分だからこそ、簡単に諦めて欲しくはないと。そう思う。

 

「だって、お前は……」

 

 何故ならば、彼女は。

 

「東風谷は……。妖夢にとって、大切な友人のひとりなんだから」

 

 魂魄妖夢と繋がっている、大切な絆なのだから。

 彼女だって、妖夢の力になれているはずだ。東風谷早苗という存在は、必ず妖夢の支えになってくれているはずなのだ。だから、諦観なんてしないで欲しい。そんな表情なんて、浮かべないで欲しい。

 

「……っ」

 

 そんな進一の言葉が心底意外だったのか、早苗はその表情に若干の動揺を覗かせている。やっぱり余計なお節介だったのだろうか。お前なんかに何が分かるんだと、心の中ではそう思われてしまっているのだろうか。

 ──それならそれでも構わない。結果として、進一が彼女に嫌われる事になってしまっても。

 これだけは。この言葉だけは、有耶無耶になんてしない。

 

「東風谷だって、妖夢の力になれている。だって妖夢は、お前に全幅の信頼を寄せているんだから。それだけは、絶対に間違いない」

 

 一瞬、早苗の目が見開く。けれどもすぐに、プイッと視線を逸らされてしまった。

 藪蛇だったかも知れない。一体何様もつもりなんだと、そう思われてしまっても何も文句は言えない。それは仕方のない事だ。

 ついさっき会ったばかりの自分が、ここまでズケズケと踏み込んでしまうなんて。

 まったく。自分でも、少し呆れてしまう。

 

「……岡崎さんは、」

 

 やり過ぎたかも知れないとちょっぴり反省していると。

 ポツリと、早苗が再び喋り出す。

 

「……岡崎さんって、普段からそんな風にキザな台詞を恥ずかしげもなく口にしてるんですか?」

「な、なんだって……?」

 

 いきなりそんな事をストレートに言われた。どう反応すれば良いのかが分からず、進一は思わず聞き返すような形となってしまう。

 早苗の視線は進一に戻っていた。けれども向けられているのは、呆れたようなジト目である。そして彼女は嘆息すると、

 

「そういうくさい台詞、あまりほいほい言うものじゃありませんよ? 少なくとも、私に向けるべきじゃないでしょう。相手を間違ってるんじゃないですか?」

「……くさい台詞って。普通に酷い事を言うな、お前」

「事実を述べただけですよー」

 

 ぶっきら棒にそう言うと、早苗は身を翻す。

 くるりと回って背を向けて、腰の後ろで手を組んで。そのまま振り返らずに、ちょっぴり何かを考え込むような素振りを見せて。

 

「……ほんと、お人好し」

 

 ボソリ、と。

 

「そんなんじゃ、怒るに怒れないじゃないですか……」

 

 何かを呟いたように聞こえたが、けれどもはっきりとした言葉は進一の耳には届かない。それ以降、早苗は何も言わなくなってしまった。

 ──まぁ、確かにちょっとくさい台詞だったのかも知れない。こういうリアクションを返されてしまっても不思議ではなかった。やってしまったからには仕方がない。甘んじて受け入れるしかないだろう。

 

 それから、そう時間は経たずに妖夢達は戻ってきた。

 魔理沙の上着は問題なく借りる事が出来たらしく、それを羽織ってのご登場である。確かに、里で見かけた衣服とは印象の違う上着である。妖夢の服と組み合わせても違和感がない。よく似合っている。そう告げると、妖夢は照れ臭そうに笑顔を浮かべてくれた。

 

 その間も、早苗はやはり黙り込んだままだった。上着を羽織って印象の変わった妖夢に対して多少なりともリアクションを見せてはいたけれど、しかしそれだけだ。先程までのはっちゃけた様子は完全に鳴りを潜め、随分と大人しくなってしまっている。

 結局のところ、早苗が進一と妖夢の関係について最終的にどんな印象を抱いていたのかは分からない。少なくとも、進一については心底呆れられてしまったようだが──。

 

 まぁ、それでも。

 それでも彼女は、否定だけはしなかった。二人の関係を認めないだとか、最後までそんな素振りを見せる事もなかった。

 だから、という訳ではないけれど。

 きっと彼女は、大丈夫だ。あそこまで妖夢の事を想ってくれている彼女なら、きっとこれからも妖夢の友達でいてくれる。妖夢の力になってくれる。

 

 そして、我儘を一つ言っても良いのなら。

 自分達の関係も、いつかちゃんと認めてくれたら嬉しいな、と。進一は秘かに思うのだった。




更新が遅れてしまい、申し訳ございません。
今回で通算90話目、話数のカウント的には第80話と本作もかなりの長丁場となってきましたが、それでもまだまだ続きます。
執筆ペースが中々向上できない今日この頃ですが、もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。

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