桜花妖々録   作:秋風とも

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幕間6「足取り」

 

 香霖堂でコートを貸した妖夢達と別れてから数分。魔導書を抱えた魔理沙は、香霖堂の店前で気怠そうに空を仰いでいた。

 今日は何だかドッと疲れた。色々と気を遣い過ぎて、精神的にクタクタである。本来の目的である霍青娥の捜索という点は微塵も進展していないのだが、ぶっちゃけ今日はこれ以上そんな捜索を続ける気にはなれない。いっその事、本当にもう帰ってしまおうか。──まぁ、そういう訳にもいかないのだけれども。

 

「はぁ……」

「どうしたんですか魔理沙さん。そんな溜息なんてついて」

「……誰の所為だと思ってんだよ」

 

 呑気な様子で尋ねてくる早苗に向けて、魔理沙はジト目を向ける。この疲労感は、八割方この現人神が原因なのである。それをもっと自覚して欲しい。

 

「うっ……。そ、そんな目を向けないで下さいよぅ……。私だって、反省してるんですから……」

「……ま、自覚してるだけまだマシか」

「何だか魔理沙さんの反応が冷たい……」

 

 ──まぁ、早苗をぞんざいに扱うのは流石にこのくらいで十分だろう。彼女も反省しているようだし、魔理沙だって好き好んで突き放すような真似はしない。

 気を取り直し、ついでに肩に抱えていた愛用の藁箒も持ち直す。幾ら疲れているとは言え、こんな所でいつまでもぼんやりとし続ける訳にもいかない。異変の件に関して、事態がまるで好転していない事に変わりはないのだ。のんびりとしてはいられない。

 

「さて、と」

「……魔理沙さん? どこにいくんですか?」

「私は一度里に戻る。期待はできないだろうけど、少しでも青娥(ヤツ)の足取りを追わないとな」

 

 魔導書を掲げつつも、魔理沙はそう答える。

 随分と寄り道をしてしまったような気がするが、やはり本来の目的を達成しない事には魔理沙としても気持ちが悪い。疲れているだろうか何だろうが、このまま何の手掛かりも得られないまま帰るなんて、そんなの魔理沙のプライドが許さない。

 木を隠すなら森の中。霍青娥が人里に潜伏している可能性だって、まだ完全に否定された訳ではない。

 

「えっと、宮古芳香さんの髪に付着した霊力の痕跡から、その魔導書の魔術式を使って青娥さんの足取りを追おうとしてるんでしたっけ」

「ああ。……まぁ、それも空振りに終わりそうな予感がしてるんだけどな。さっきも言ったが、こいつじゃ宮古芳香の情報が強すぎるみたいだからな」

「あの、思ったんですけど、探知に使う霊力の痕跡なら、博麗神社に充満していたあの気持ち悪い霊力を使うのなんてどうです? 魔理沙さんの事ですから、サンプルは既に採取しているんでしょう?」

「あー……。いや、まぁそう思うよなぁ」

 

 その点は魔理沙も真っ先に疑った所だ。

 神霊騒動があったあの日。博麗神社に充満していた気味の悪い霊力のサンプルに関しては、当然ながら抜かりなく採取済みである。そしてこの魔導書の魔術式を発動するに辺り、真っ先にそのサンプルを使って探知を試みようとしていた。

 だけれども。結論から先に言ってしまえば、期待していた結果などまるで得られなかったのである。

 

「あの霊力は、ダメなんだ」

「……どうしてです? あれは青娥さんの霊力じゃなかったんですか?」

「それは……」

 

 釈然としないリアクション。けれど今の魔理沙は、早苗にそんな反応を返す事しかできない。

 なぜならば。

 

「……よく分からないんだよな」

「え? 分からない、とは……?」

「言葉通りの意味だぜ。私もあの霊力は、霍青娥のものだとばかり思っていた。だけど、解析してみるとその当ては外れてたって事が分かった」

「……と言いますと?」

「あの霊力からは、霍青娥らしき人物の情報を引き出す事ができなかったという事だぜ」

 

 魔理沙のそんな話を聞いて、早苗は難しそうな表情を浮かべる。

 彼女の気持ちは分かる。そんな反応になってしまうのも、無理はない事だろう。

 

「霊力って、指紋だとか瞳の虹彩だとか、そういった生体器官と同じで人によってそれぞれだったと思うんですけど。青娥さんが放出した霊力ならば、それを解析すれば青娥さんの情報を引き出す事なんて……」

「……()()は多分、霍青娥の霊力じゃない」

「えっ……?」

 

 早苗の言葉を遮るように、魔理沙はそう口を挟む。

 

「いや……。もっと言えば、()()()()()霊力ですらないな、あれは。もっと沢山……。何人分もの霊力を一箇所に集め、それを強引にかき混ぜたみたいな……」

「か、かき混ぜたって……。ど、どういう意味です?」

「最初に言っただろ、よく分からないって。まぁ……それでも強引に推測するのなら」

 

 そこで魔理沙は一呼吸置く。

 想像するのは最悪な可能性。あまりにも薄気味悪くて、あまりにも陰湿で──そしてあまりにも、惨い。魔理沙達が追っている霍青娥という人物は、自分達が思っている以上にとんでもない奴なのではないかと。そう思わずにはいられない、目を背けたくなるような真実。

 

「呪術の類、とかな」

「…………っ」

「死人……或いはそれに纏わる何かを使役、または自らに取り込む事で、強大な力の糧とする。そういった呪術だって、確かに存在しているらしい。まぁ、私も噂で聞いた程度なんだけどな」

「……それは、つまり。青娥さんは、そうやって不特定多数の霊力をその身に有していて……。だから、かき混ぜただとか、そんな印象を抱いてしまうと……?」

「……そうだな。少し違うけど、まぁ、ニュアンスはそんな感じだぜ」

「少し、違う……?」

 

 早苗はあまりピンと来ていない様子で、不安気に首を傾げている。そんな彼女へと向けて、魔理沙が説明の補足をした。

 

「多分、完全に取り込んでしまっている訳じゃない。なにせあそこまで乱雑にかき混ぜられた霊力の塊だからな。仙人の類とは言え、一人の人間がそんな禍々しい霊力をまともに宿す事なんて出来る訳がない。精神がぶっ壊れるのがオチだぜ」

「そ、それじゃあ、なぜ……?」

「恐らく、あいつはそんな霊力を単に()()()()()()()()()なんだと思う。まるで霊力の鎧か何かみたいにな。つまりヤツは霊力を操っているだけで、自分の身体をそんな霊力の貯蔵庫にしてしまった訳じゃない。何らかの呪具か何かを媒介にして、()()()()から霊力を引き出している……と、思う」

「……ッ」

「ま、私も直接霍青娥に会った事はないし、この話も全部勝手な想像……というか、最早殆ど妄想なんだけどな」

 

 霍青娥という人物。

 魔理沙は未だに彼女と対面した事がない故に、実際にその人となりを目の当たりにした訳ではない。あくまで霊夢や華扇から話を聞いた程度の情報量。けれどそれでも、霍青娥なる女性の人物像は何となく伝わってきた。

 

「霊力の貯蔵庫となっている()()が他に存在する、という事ですか……」

「ああ。……まぁ何にせよ、その霍青娥ってのはロクでもないヤツだって事は確かだろうな。こんなとんでもない事を思いつき、あまつさえ実行に移すなんて、マトモな思考回路じゃあり得ない。なーんて、そこまで言うのはちょっと大袈裟かも知れないが」

 

 ──それでも、お気楽に看過するなんて出来ない。

 霍青娥は危険な存在だ。確かにこの一週間、彼女は特に何の行動も起こしていないようにも思えるが──。しかし、これから先も何も起きないなんて事は流石にあり得ないだろう。

 水面下で何かを進めている可能性だって否定できない。魔理沙達も未だに感知できてないこの状況で、刻一刻と彼女の魔の手が伸びているのだとしたら? 知らず知らずの内に、彼女のロクでもない計画が着実に進行してしまっているのだとすれば?

 やはり放ってはおけない。取り返しのつかない事になる前に、何らかの策を講じるべきだ。

 

「兎にも角にも、そんなヤツにいつまでもやられっ放しなんて、私だって我慢できない。是が非でも、足取りを掴んでやるぜ」

「……ですよね。こんな不気味な状況なんて、私だって早く解決しちゃいたいです」

 

 『異変』はまだ収束していないのだ。霍青娥を捕まえるまで、心の底から安心なんて出来る訳がない。

 

「一度霊夢さんと情報を共有してみるのはどうです? ひょっとしたら、何か掴んでいるかも知れませんよ」

「……そうだな。それもアリか」

 

 霊夢は霊夢で霍青娥の足取りを追っているようだが、しかしそれもあまり芳しくない様子だった。今回の『異変』、彼女の勘でも未だ黒幕まで辿り着けていないのである。

 それほどまでに霍青娥は用意周到な人物、という事なのだろう。やはり一筋縄ではいかない。

 

(情報の共有、か……)

 

 早苗のそんな言葉を聞いて、魔理沙の脳裏にふと一人の少女の姿が思い浮かぶ。

 自分と、早苗と、霊夢。けれど今回の『異変』に深く関わっている人物は、もう一人いる。それはある意味で、最も深く『異変』に関わっていると言ってしまっても過言ではない少女。つい先ほど香霖堂でコートを貸したばかりの、魔理沙の大切な友人の一人。

 

(……やっぱり、妖夢ともちゃんと共有すべきだよな)

 

 半人半霊の少女、魂魄妖夢。一週間前の神霊騒動の解決に関しては、恐らく彼女の功績が最も大きいだろう。豊聡耳神子という尸解仙と弾幕ごっこを行い、神霊騒動を解決したのは紛れもなく彼女なのだから。

 そして。

 今回の『異変』が始まる以前に、霍青娥という名の人物を認知していた唯一の少女でもある。

 

(それ、だよなぁ……)

 

 なぜ彼女が霍青娥を知っていたのか。それに関しても、魔理沙は明確な答えを持ち合わせていない。妖夢本人に聞こうにも、彼女は頑なに話そうとしないのだ。だから魔理沙も、あまり強引に話を聞き出そうとはしなかった。

 だけれども。既に、一週間だ。

 事態がまるで進展しなくなってから、今日で一週間である。流石にこれ以上は悠長に事を構えてはいられない。今はどんなに些細な情報でも提示して貰いたい状況。

 

 故に、そろそろ話して貰わなければならない。

 妖夢は何を知っているのか。妖夢は何を隠しているのか。妖夢は一体、何に気付いているのか。

 

(……でも)

 

 けれど。

 それと同時に、魔理沙の心には別の“想い”が共存してしまっている。

 

(……進一、って言ったよな。あいつ……)

 

 魂魄妖夢には恋人がいる。その事実を魔理沙が認知したのは、つい先ほどの事である。

 まさか彼女にそのような存在がいたなんて、魔理沙はあの瞬間まで考えもしなかった。しかもあの様子だと、昨日今日出逢ったばかりという訳でもなさそうだ。そもそも妖夢は、出逢ってすぐさまお付き合いを始めてしまうような軽い少女ではない。

 しかし恋人が出来たなど、彼女はこれまでそんな素振りすら見せなかったはずだ。あの岡崎進一という青年だって、魔理沙が見かけたのは先程が初である。服装から察するに、外来人である事は分かるのだが──。

 

(……いや。そもそも、あいつって)

 

 ──分かっている。伊達にこれまで何度も異変に首を突っ込んではいない。流石に霊夢ほどの勘は持ち合わせていないが、それでもちょっと対面するだけで相手がどういった()()なのか察してしまえる自信がある。

 彼は亡霊だ。死して尚死にきれず、顕界に縛り付けられてしまった哀れな亡者。

 けれども、例えばつい何週間か前に人里に出没した殺人亡霊女とは違い、彼からは深い怨念のようなものを感じ取る事はできなかった。つまり彼は、復讐だとか、そういった類の未練から亡霊となってしまった訳ではないように見える。人間に対して特に危害を加えようとする気配もないし、あの様子なら特に危険視をする必要はなさそうだが。

 

(でも……)

 

 やはり気になる。色々と、気になってしまう。

 彼は外来人だ。その服装と、身に纏う雰囲気から察するにそれは間違いない。

 そんな彼と妖夢は、一体いつから知り合いだったのだろう。一体いつから、妖夢は彼に想いを寄せていたのだろう。

 外の世界の住民である彼と、冥界の住民である魂魄妖夢。

 二人の出逢いは、果たして──。

 

(──って、)

 

 そこまで考えた所で。

 魔理沙はぶんぶんと頭を振って、邪な推測を払拭しようとする。

 

(いやいやいや! 何ひとりで勝手に推測してんだよ、私は……! そんな詮索、悪趣味だぜ……)

 

 魔理沙は頭を掻きむしる。

 何だ、これは。どうかしている。ひょっとして自分は、あの青年に対して妙な不信感でも抱いているのか? 霍青娥の捜索が芳しくないが故に、少々神経質になってしまっているのかも知れない。別に彼は、霍青娥との何らかの関係性を持っている訳でもないだろうに。

 彼の事に関してとやかく口を挟む権利なんて、魔理沙にはない。二人の仲を邪魔するなんて、それこそ言語道断だ。

 

(ああ、そうだ……。だって……)

 

 そう。

 なぜならば。

 

(あの時の妖夢は……。凄く、楽しそうだったんだから……)

 

 霧雨魔理沙は思い出す。

 不本意だと思いながらも、結局はついつい覗き見紛いな事をしてしまった自分。そんな魔理沙の瞳に映っていたのは、仲睦まじい様子で進一に寄り添っている魂魄妖夢の姿だった。

 そんな彼女の雰囲気は、ここ何年かで魔理沙が妖夢に感じていた違和感とはまさに正反対。

 自らの想いを押し殺し、極限まで意固地になって。あまりにも強すぎる使命感に縛られて、苦し気に剣を振るい続けて。けれどそれでも、魔理沙達の前では「心配なんていらない」と虚妄の笑顔を浮かべる。魔理沙はずっと、そんな不安定な様子の妖夢を目の当たりにし続けてきた。

 

 だけれども。

 先程の妖夢は、違った。

 

 虚妄の笑顔なんかじゃない。意固地になっている訳でもない。彼女はどこまでも素直に、自分の気持ちを曝け出していた。

 そこには厳格な剣士の印象など微塵も感じられない。

 彼女だって女の子だ。普通に笑い、普通に甘え、そして普通に恋をする。そんな普通の女の子なのだ。

 本来ならば、()()()()()()()なんて絶対に向いていない。進一と共にいたあの姿こそが、本来の彼女──。

 

(だったら……)

 

 だったらこれ以上、『異変』なんかに首を突っ込む必要はない。このままあの亡霊と共に、平穏無事な時間をゆったりと過ごせばいい。

 けれども幾ら魔理沙がそんな事を想った所で、結局妖夢は引き下がらないだろう。既に『異変』に関わってしまっているのだから、中途半端な所で投げ出すなんてしないはずだ。

 

 どこまでも生真面目で、正義感は人一倍強い。

 そんな彼女も、紛れもなく彼女の一面そのものなのだから。

 

「……魔理沙さん?」

 

 そこまで考えた辺りで、不意に早苗に声をかけられる。

 我に返って視線を向けると、彼女は怪訝そうに首を傾げていた。

 

「どうしたんです? 急にボーっとしちゃって」

「え? あっ、いや……」

 

 思わず魔理沙はしどろもどろな対応になる。

 いけない。そこまで露骨にぼんやりしていたのか、自分は。もっとシャキッとしなければ。

 

「何でもない。これからの事を、ちょっと考えていただけだ」

「これからの事、ですか?」

「ああ」

 

 そう。考えていたのは、これからの事。

 

(いや、まぁ、でも……)

 

 それにしても。

 

(本当、どうするかなぁ……。これから……)

 

 これ以上、妖夢を『異変』に巻き込みたくはない。けれども彼女の力を借りなければ、『異変』の解決は難しい。相反する二つの要素。板挟みになり、霧雨魔理沙は葛藤する。

 けれど幾ら魔理沙が妖夢の平穏を望んだ所で、妖夢本人は自ら『異変』に関りを持とうとするだろう。だったらいっその事、素直に彼女に頼ってしまうべきだろうか? 霍青娥の何を知っているのだと、そうストレートに聞いてしまっても良いのだろうか?

 

 ──いや。だが、しかし。

 

(ああ、くそっ……。一体何が正解なんだよ、まったく……)

 

 中々に面倒くさい思考になっているなと、自分でも薄々気づいてはいる。

 もしも自分が、考えるよりも先にまず行動するタイプの人間なら良かった。けれども生憎、魔理沙は先にあれこれと思考を巡らせてしまうタイプの人間である。霊夢のように素直に行動に移す事が出来たなら、どれほど楽だった事か。

 

「……まぁ、とにかく私は一度人里に戻る。ダメ元でもこの魔術式をもう一度試してみるさ」

「そうですか……」

 

 一先ずこの思考は一端置いておく事にする。今は出来る事から始めていくべきだ。

 

 この一週間、霍青娥は何のアクションも起こさなかった。けれどそれ故に、より一層の警戒心を抱かなければならない。魔理沙は踵を返して、言葉通りに人里方面へと足を進めていく。

 このまま指を咥えて事の成り行きを見守る趣味はない。是が非でも、霍青娥の企みなんて頓挫させてやる。

 

 ──そして。

 

(妖夢の事も、上手い着地点を見つけないとな……)

 

 そんな事を心の片隅で考えながらも、魔理沙は人里に向かうのだった。


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