これは一人の男の物語。
男には一人の友人がいた。友人、とはいっても何か特別な間柄であった訳ではない。何人かいるうちの一人。会えば話し、遊びもするがこれといって特別なつながりなどない普通の関係だった。そういったありふれた友人関係にあった人物。男にとって普通の隣人を、便宜上ここではAと呼称する。
Aは善良な人間だった。
男は決して親近感溢れるような人柄を持ってはいなかったが、男とAは友人だった。それも他者に対する深い思いやりを持つAの人徳がなせる結果だったのだろう。自分以外にも沢山の友人がいるにもかかわらず、Aはぶっきらぼうなその男に対しても平等に接していた。何ら気負うことのない屈託のない笑顔。誰であろうとも見下したり、差別するようなことを決して行わない素直な心根。それらの素朴さに影響され、男も自然とAの友人になっていた。
特別な能力は持っていないし、人気者として人々の中心にいることもない。だが、Aは素朴で善良だった。悪いことをする人間がいれば、その悪を憎み。虐げられている人々がいれば、それら犠牲者に手を差し伸べ、涙する。そんな普通の善性。目立つことはないが、それら素朴で尊ばれるべき健気さをAは持っていた。
Aが持つ模範とすべき人間としての心根。その心根をしっかりと認識している者は多くなかった。世界人口の八割が何らかの能力を持つ超人社会において、能力以外の何かは極端に目立たなかったからだ。だが、男はAの心根を知っていた。模範とすべき人間としての心根。裏表のない素朴な正義感。男はAを尊敬していた。能力もなく特別な何かを持っている訳でもない。それでも、Aは模範とすべき人間としての心根を実行していた。当たり前の行いを当たり前に実行する。当たり前だが、素朴で普遍的な善性を持つA。その健気さを、男は尊敬どころか羨ましくすら思っていた。
だが、Aが周囲からの尊敬を得ることは終ぞなかった。
世界はAにとって厳しいものだったからだ。個性と呼称される異能を持つヒーローが跋扈する世界。人々は道端に転がる石ころに目をくれることなどない。正義側に立つヒーローと、能力を悪用するヴィランとの戦い。二陣営が繰り広げる血みどろの争いに目を晦ませられていた。
男はその状況が不可思議でしょうがなかった。凄まじい能力を持ったヒーローが悪を退治するという構図をどうしても受け入れることが出来なかったからである。能力を持った者同士の争い。超常の異能が繰り広げる戦いも、強い武器を手に入れた子供同士のお遊びにしか見えなかったのだ。強い能力を持っただけの人間が、理念も思想を持つこともなく、ただ正義と悪という陣営に分かれて戦いを繰り返す。このくだらない茶番。お遊戯の様な幼稚さに何故人々は気づかないのだろうか。
男は考える。
より強い光へと人々の視線が注がれる中、注目を集めることのない光はどうなるのか。ヒーローが跋扈するこの世界で一体どれだけの尊さや善性が見捨てられてきたのだろうかということを。
何故人々はヒーローを賞賛するのか。能力を持っていない人々の持つ健気さや善性が何故無視されるのか。例えばAの様に。能力を持っていない人々の中でも、ヒーロー以上の健気さや善性も持っている人物は存在している。何故、人々の規範となるべき善性を持つ人間であっても、能力が弱いという理由だけで見向きもされないのか。何故、Aが見向きもされず、能力にかこつけて正義面をするヒーローが人々からの賞賛を受けているのか。ヒーローという、強い能力を持っただけのわがままな子供を何故人々は褒め称えるのか。
男には分からなかった。
Aが死んだという事実を聞いて、男の疑問は留まるところを知らず煩悶を深めていく。
Aはあっけなく死んでしまった。ヒーローとヴィランとの戦いに巻き込まれたのだそうだ。取り残された子供を助けに向かった結果、Aは犠牲になって帰らぬ人になってしまったのだという。Aの中にあるその健気な心根。その善性に従った結果、Aは死んだ。
男は、子供を救おうとしたAの行動を高く評価した。そして、Aの行動が新聞の行間にすら載らない現在の社会に対して深い絶望を抱いた。
人々の注目は、ヒーローの活躍とヴィランの悪行にのみ注がれていた。Aの様に。人々にとって、その戦いの陰で犠牲になった者のことなど些末なことなのだ。目の前にある動かない現実に男は何処までも絶望していたし、どこまでも強い怒りを抱いていた。沸々と燃え滾るような灼熱の怒り。その怒りや絶望は、すまし顔でインタビューを受けるヒーローを見てより強いものになっていく。
時が経つにつれ、Aの存在はどんどん希薄なものになっていた。最早Aのことを覚えている者は男と、Aの家族位のものだろう。それが男には許せなかった。闇から闇へとAの存在が忘れられ、能力にかこつけて正義面するヒーローが持て囃される。
『この社会は間違っている。』
動かぬ事実を前にして、男がその答えに辿り着くまでに時間はかからなかった。在るべき理想。正しい社会という狂気に男は憑りつかれてしまったのだ。後に男は反社会的思想を持って行動するようになる。そんな男を更なる不幸が襲う。
その出会いは男にとって転機となった。
そして、その光景は目指すべき理想を男に教えてくれたのだ。
それは、一人のヒーローだった。街頭に出て来るような上っ面の正義面をした偽物ではない。本物のヒーローを男は目撃した。血反吐を吐き、誰よりも苦しみながら人々へ奉仕するその光景。その苦しみをおくびにも出すことはなく、人々の安心と尊厳を守るために戦う姿は何よりも尊いものだった。そのヒーローを見て、男はかつてのAを思い出していた。
『もう大丈夫 私が来た!』
『人々を笑顔で救い出す“平和の象徴”は、決して悪に屈してはいけないんだ』
その出会いは神が下した思し召しだったのだろう。
ヒーローを憎む男が偶々見かけたもの。それは路地裏に倒れていたミイラだった。干からびて疲れ切ったその人物は、男の探していた理想だった。平和の象徴と呼ばれているあのオールマイト。本物の英雄が血反吐を吐きながらも戦っている一人の人間であると知った時、男は落雷で撃たれたような衝撃を全身に感じた。
――――これだ
男が長年探し求めていた理想の社会。正しい答えがそこにはあった。かつてのAの様に。特別な力がなくとも、能力が無くても、一人一人がヒーロー足らんとする行動。その健気な尊さこそが、正しい社会には不可欠なのだ。その行動こそが尊ばれなければ、意味がない。その尊さこそが、目指すべき理想を体現している。
その理想を実現するためには――――――
「…………ハァ……ハァ。特別な能力や異能など必要ない。一人一人がヒーロー足らんとすることこそが、理想には不可欠なのだ。ハァ…………そのために、お前らヒーローは邪魔だ。お前らの様な理想も信念もない偽物が蔓延るから駄目なのだ。人々はお前らの様な連中がいるからこそ、惑う。偽物だらけだからこそ、本物を見失い、偽物に依存してしまう。自分自身がヒーロー足らんとすることを怠ってしまうのだ。理念もなく信念もない、すまし顔の偽物。能力を悪用し、いたずらに社会を脅かす悪党ども。どれも皆、粛清対象だ。」
誰かがやらなければ目の前にある間違った社会を正すことなど叶わない。だれかが先陣を切らなければ、後に続く人々は現れないのだ。
[ならば、俺がやろう。]
無個性だと思ってきた自身に個性があったこと。他の個性を殺し封じる個性殺しの能力が自身に備わっていると知った時、男がその結論へと到達することは当然だった。
「ハァ…………ハァ…………。俺を殺していいのはオールマイトだけだ。俺を殺していいのは本物の英雄だけだ。お前らは、英雄を汚す偽物だ。ここで俺が粛清する。俺がやらなければならない。全ての偽物を粛清し、本物の英雄だけが残れば人々は気付くだろう。一人一人がヒーロー足らんとする果てに正しき社会がある。目指すべき理想がそこにあるのだ…………。」
健気な尊さやAのような存在。目指すべき希望は、人々から見向きもされてこなかった。その絶望が男を突き動かす。どれだけ傷つけられようとも、どれだけ痛めつけられようとも、男は止まらなかった。確信した答えを目指して男は戦う。狂気とも呼べる信念によって、男の精神は肉体を凌駕する。その驚異的な反射神経と身体能力に、個性殺しの能力を備えたテロリスト。幾つものヒーローを打倒し、幾つものヴィランを撃退した彼は、いつしかヒーロー殺しとして悪名を馳せるようになっていた。
――――――全ては正しき社会の為に――――――