再び所は変わって、ここは人里の一角、貸本屋『鈴奈庵』。
やや薄暗い店の奥のカウンターで、いつものように、店番の少女が古書の数々にかじりついている。
「うーん、いい加減虫干しかな。最近やろうと思った日に限って天気悪かったのよねー」
彼女、本居小鈴が広げている絵巻、題名は「私家版百鬼夜行絵巻最終章補遺」。実を言うと数々の妖怪が封印されている危険な代物であったりするのだが、そのあたりは楽天的な小鈴のことである。妖魔本コレクターとしての欲求と純粋な好奇心、そして万が一何かあっても霊夢と魔理沙が何とかしてくれる、という考えで、特に危険視はしていない。
チリン……
入り口で鈴の音が転がるのは、来客の合図。
「いらっしゃいませー」
絵巻を仕舞って、小鈴は顔を上げる。そこには、白と黒のエプロンドレスに身を包んだ、小柄なマジシャンの姿があった。小脇に紙袋を抱えている。
「あら、魔理沙さん……あ、そういえば、これから阿求の所へ行くんでしたよね!待ってて下さい、すぐ支度しますから……」
魔理沙が何も言わないうちから急いで店内用の前掛けを脱ぎ、外行きの上着を羽織る小鈴。
その気の急いた様子を見て、魔理沙は苦笑しつつ押し止める。
「まぁまぁ、ちょっと待てよ。探し物があるんでね」
「というと?」
「ちょっとな……『外の世界の武器に関する本』、置いてないか?」
「唐突ですねぇ……そんなの、あったかなぁ……?」
唐突といえばあまりにも唐突な魔法使いの注文を聞いて、小鈴はしばらく何事か呟きながら考えていたが。
「ちょっと待ってて下さいね……確か返却の方に」
と言うと、カウンターの隣に積んであった本の山を探り始めた。
「んー、この間、里の鍛冶屋さんが借りたものなんですけど」
魔理沙に差し出されたのは、写真のカラーも色褪せた、薄い図鑑のような冊子が数冊。
「えぇと、なになに……『火器の発展と変遷』、『今昔刀剣集』……」
「どうですかね?」
「おー、これなら何とか使えそうだな。いくらだ?」
小鈴が魔理沙に提示したレンタル価格は安価だった。以前小鈴が招いたトラブルの解決の報酬として、霊夢と魔理沙にだけ与えられた特権である。
「サンキュ。じゃ、阿求んとこ行くか」
「はーい」
店先に【臨時休業】の木札を掛け、稗田屋敷を目指して出発。晴れてこそいるが、まだまだ肌寒い晩冬のお昼前。道行く人々は皆身を縮めて、目的地へ急ぐ。
歩きながら、ふと小鈴は先を行く魔理沙に問うた。
「何に使うんです?あんな本」
魔理沙はニヤリと口の端を吊り上げて笑う。見た目は可憐と言っても差し支えない魔法使いが時折見せる、この不敵な表情が、小鈴やその他大勢を惹き付けてやまない。
「秘密兵器ってやつの開発に、だぜ。ま、完成したら見せてやるからな」
「あはは……あんまり物騒なものを作らないで下さいね」
「ちゃんと弾幕ごっこに使える、優美でパワフルなヤツさ。無論、言うこと聞かない妖怪をとっちめるのにもな……って、ありゃ?」
先を歩いていた魔理沙がいきなり立ち止まったため、小鈴は魔理沙の後頭部をめがけて鼻を思い切りぶつけてしまった。とっさに鼻を押さえるが、鼻血が出るほどではないようだった。
「痛ったぁ……何ですか急に!」
「いや、向こうに知り合いが……おーい!鈴仙ー!」
魔理沙の声と視線が向かった先では、白い旅装束に大きな行李を背負った薬売りが佇んでいた。思いもよらない方角から声を掛けられたらしく、ビグンと軽く飛び跳ねている。
かと思うと、小走りにこちらへ駆け寄ってきて。
「あんまり大きな声で呼ばないでくれる?目立ちたくないんですよ」
編み傘の下から覗く赤っぽい目。
「いやさ、お前も阿求んとこ、行くんだろ?」
「まぁね。でも、置き薬の補充があと二、三軒残ってるから」
重そうな行李を持ち上げて見せる。中に入っているのは、永遠亭の名医印の良薬などだろう。
「という訳で、また後で会うかもね」
鈴仙・優曇華院・イナバはそう言うと、行李を担ぎ上げてもと来た方へと歩き去った。
「おう」
魔理沙は短く返事をすると、小鈴を振り返って言った。
「さてさて、お忙しい薬商人はうっちゃって置いて、私たちは先を急ぐとするか」
「あの人、昨日の妖怪兎なんですか?」
「あー……まぁ、そうだな。昨日はテンパってて変装すらしてなかったが。あぁ心配するな、アイツの売る薬はちゃんとしたものだから」
「どうして安心だと言い切れるんですか?」
「んむぅ……人里を敵に回すと不利だから、永遠亭としては上手く共存したい……とか言ってたな」
「……ふーん」
もうひとつ角を曲がって、稗田屋敷まであともう少し。
「……なぁ、小鈴」
少しだけ歩調を緩めて、ぽつりと魔理沙が小鈴に問う。
魔理沙の声が急に低くなったので、小鈴は足を早め、魔理沙の隣に肩を並べた。
「どうしました?」
「あの、穴の底から出てきた男。お前、アイツをどう思う?」
「どう、って……」
「あ、いや、まだろくに会ってもいないからな、見た感じどうだったか、ってことだ」
その話題は、今から二人が阿求を訪ねる理由と寄り添っていた。
何とはなしに、小鈴は唇へ人差し指を当てる。
「うぅむ……なんと言いますか……」
「なんだ?」
短めに切った明るい茶色の髪を冷たい風に揺らしながら、小鈴は空を見上げる。
「淋しそうな人でしたね。でも、ちょっと怖いかも」
「……というと?」
「主のいない、小さな家とか……もう忘れられてしまった古代の文字で書かれた本、みたいな。」
「なるほど、さっぱりわからん」
「私だってよく分かりません」
二人が不透明な会話をしている間に、屋敷は見える所まで近づいていた。
昨日の損害を修理するためか、二、三人の職人らしき人影が門の近くを右往左往している。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お邪魔しまーす」
「お邪魔しま……するのぜ」
屋敷の長い長い廊下を歩く二人。
小間使いによれば、阿求は後庭に面する縁側にいるらしい。
この家に頻繁に出入りする小鈴でさえ、迷うことがあるほどの広大な屋敷である。目的地へたどり着くのにも一苦労であった。
「こ、こっちでしたっけ?」
「私に聞くな。だがたぶんこっちだ。話し声が聴こえる」
庭が見えるまであと少し、という所で魔理沙と小鈴は立ち止まった。確かに、角の向こうから話し声がする。
無礼と分かっていつつも、耳をそばだてる二人。
一つは阿求の、細いが不思議と芯の通った声。
もう一つは……
「……本当に広いな、ここは」
「旧い家はみんなこうですよ。見てくれが大事だったのでしょうね」
「……あの、塀の側に並んでいるのは何の木だ?」
「桜です。春になると豪奢な花が咲きますよ」
「……ふむ。男の声だな」
「ってことは」
うん、と二人で謎の頷きを交わし、魔理沙と小鈴は角の向こうへ足を進めた。
「おう。お邪魔したぜ」
「お邪魔してまーす」
二人の視線の先にあったのは、縁側に座っている稗田阿求と……その隣、車椅子に腰掛けて庭を見ている、くすんだ金髪の男だった。洋風のシャツにズボン。顔の彫りは深く、明らかに東洋系の顔ではない。が、不思議と「日本人離れした」という形容は不向きであるように思われる。その男が驚いたように、青い瞳をこちらへ向けた。
その目を見たとき、小鈴の脳裏に小さな違和感が走る。
(……なんだろう。昨日と少し違う。昨日より……)
そんな小鈴にはお構い無しに、魔理沙は阿求と話している。
「いや、やっぱり気になったんでな。勝手に押し掛けさせてもらったぜ」
「いえ、迷惑ということは無いので」
親しげに話す阿求たちを、車椅子の青年は怪訝そうに窺っていたが、やがて。
「阿求、この人たちは?」
いきなり呼び捨てか。遠慮がないな、と小鈴は思う。
「あぁ、こちらの金髪の彼女が……」
魔理沙が阿求の紹介に割って入る。
「霧雨魔理沙、だ。職業はごく一般的な魔法使い。……で、お前さん、大丈夫なのか?」
彼はややぼうっとした面持ちで魔理沙を見ていた。驚いているのやら、呆れているのやら。
「あぁ……まぁ、なんとか」
こほん、と咳払いする阿求。
「……でもって、向こうの茶色くて元気そうなのが……」
「もう少しまともな紹介思いついてよね……本居小鈴といいます。あ、貸本屋の店番してます」
「……というわけです。二人とも私の友人でして、昨日貴方をここへ運び込むのを手伝ってくれました」
「重かったのぜ」
自分が迷惑をかけた、という言葉を聞いた青年が、途端に申し訳なさそうな表情になる。
「そうなのか……ありがとう」
青年は心持ち頭を下げる。包帯を巻かれた首筋が小鈴たちの目に入った。
「いやいや、別にあれだ、怪我してる人間が居たら助けるのは当然のことだろ」
柄にもなく大袈裟に照れる魔法使いを横目に見ながら、小鈴は先程感じた違和感をもう一度咀嚼していた。
(やっぱり、何かが違う……あの時、虫を撃ち殺したこの人は……もっと空っぽで……怖かった)
昨日の昼、彼の冷徹な攻撃が、不気味な虫から小鈴と阿求の命を救った。その時彼の表情は冷たく、人間らしさが欠落していたように思われるほどだった。それなのに今、小鈴の目の前にいるのは、見た目の割にどこか少年じみた、少し生意気そうなただの人間でしかない。
――彼は本性を隠しているのか――
見透かしてやろう、と小鈴は彼を見つめる。
知らず知らずのうちに、頬が膨らんでいたらしい。
「ん?小鈴、どうしたの?そんな栗鼠みたいな顔をして」
「り、栗鼠じゃないわ!」
結構真剣に睨んでいたつもりだった小鈴も、阿求のこの指摘にはかなりビビった。
魔理沙が目を閉じ、首を振りつつ言う。
「そうか……妖魔本の読みすぎで、ついに栗鼠の妖怪に」
「どこからどう転んだら栗鼠妖怪が誕生するんですか!」
「はは……ま、そんなどーでもいいことは置いといてだな」
顔を赤くして腕を振り回す小鈴を華麗に無視しつつ、魔理沙は車椅子の青年に向き直る。彼は、一気に騒がしくなった縁側の雰囲気に適応しかね、困惑しているようだった。
「さてと、だ。お前、何処から来たんだ?名前は?」
その時、小鈴の視界の端で阿求が「あ……」と小さく声を上げ、何事か魔理沙に言おうとしたように見えた。
しかし、それより早く青年は魔理沙の問いに答えていた。
「実を言うと、それを僕も知りたいところなんだ」
魔理沙は口をつぐみ、数瞬後に再び問い直す。
「どういうことだ?」
「思い出せない。自分がどういう人間だったか?どこで生まれて、どこから来たのか?どんな力に引かれてここに来たのか?思い出せないんだ」
少しの間、静寂が訪れた。
剛毅で鳴らす魔法使いも、好奇心旺盛な少女も、皆押し黙った。
そっと、阿求が付け加える。
「彼は……いわゆる『記憶喪失』だと思われます……でも……」
ここに来たのは、どこかに落としてきてしまった思い出を探すためなのだろう、と。
そして、思い出を探し集めればきっと、再び『歩き出す』ことが出来るのだろう。
そう、彼は信じている。阿求は語った。
阿求が口を閉ざした後を引き継いで、青年は呟く。
「今は……今は、分からないことだらけだ。ここには神様やら妖怪やらが普通に彷徨いてるって話だった。正直、怖くてたまらない。勿論そういうのだけが怖いんじゃあない。昔の僕は……」
包帯に覆われていない方の顔の輪郭を、爪でなぞりながら。
「どんなヤツだったのか……どんな『顔』をしていたんだろう……」
誰かが、唾を飲み下した。
若い男の痛みを溶かしたような冷たい空気の中で、小鈴はそれを聴いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
二十分ほど後。
小鈴と魔理沙は稗田邸を後にし、二人並んで鈴奈庵へ歩いていた。
「魔理沙さん、あんなこと安請け合いして良かったんですか?」
「むー、まぁ何とかなるだろ」
あの後、魔理沙は阿求にこう言った。
「私は今まで通り、請われれば助けるから、何か依頼があったら何でも言ってくれ」と。
青年の事に関しても、手伝える事があればいつでも呼べ、と。
彼に警戒心を抱いている小鈴としては、少々面白くないのである。
「『まぁ』で『何とかなる』ことでもない気がするけどねぇ……」
「『まぁ』で『何とかする』のが私であり、何でも屋だぜ。要はいつもの人助けだ」
そんなに簡単な事なのかしら、と小鈴は思う。
彼は記憶を失い、歩く事もできず、また何処にも帰る処のない、保護に値する存在だ。それは小鈴も認めている。
それでも。
(あの人には、そういう弱さ以外にも……何かが在る気がする。強い光のような……)
その光が正しいものであれば良い。しかし小鈴には、彼が燻らせている輝きの色を見るだけの眼はなかった。それは彼自身すら知り得ない、もっと根本的な、運命的な部分から発せられているのだろうか?
(うぅん、ちょっと考えすぎかな)
魔理沙の隣を歩きながら、小鈴はぶるっと頭を振る。そもそも、あの時感じた違和感そのものが勘違いの類いかもしれない。深層心理を読んだり、運命を知る力でもあれば、彼の本質を知ることも出来るだろうが……
(ん……運命、ねぇ)
後者のキーワードには思い当たる節があった。運命をある程度先見し、弄り回す力を持つと云われる、紅色のノクターナルデビル。以前、ペット脱走事件の折りに鈴奈庵との繋がりを持った事がある。
(どうやって話をしようかしら……手紙でも書いてみようかな)
彼が善人であれば、運命を見越すことは記憶を取り戻す助けにもなるだろう。逆に、もし悪人だったら……
「おい、小鈴。小鈴?」
「はっ、はい!?」
「どうした?考え事か?」
魔理沙の呼ぶ声で現実に引き戻される。
「いえ……あの、何ですか?」
「前、見てみろよ」
顔を上げると、通りの向こうに見える人影の一つが、こちらに手を振っていた。町中では目立ち過ぎる、独特なデザインの巫女装束に赤いリボン。
「あ、霊夢さん」
「おーい、霊夢ー」
今しがた来たばかり、といった風の博麗の巫女が、小鈴たちの名を呼びつつのんびりとこちらへ歩いてくる。
うーむ、今回もジョジョらしさ皆無。記憶と能力その他諸々が戻らない限り、彼は主人公ですらないのかもしれません(逆に言うと、それらが戻ってくれば彼はお話を動かす存在になります)。
第一章の終わりまでには、彼を戦いに絡ませたいなぁ、と。