「……それで、魔理沙さんったら二つ返事で引き受けちゃうんですもの。びっくりしましたよ」
小鈴が、やや魔理沙を責めるような口調で霊夢に先程の出来事を説明していた。
鈴奈庵である。
稗田家からの帰りに合流した三人が茶を飲んでいる。室内に和の香りを漂わせている熱い緑茶は霊夢のリクエスト。
湯飲みに口を少し付けて、魔理沙が反論する。
「さっきも言ったが、人助けは私のライフワークの一つだ。それに、『記憶を探してるヤツ』なんかそうそうお目にかかれるもんじゃないと思うがな。面白そうじゃないか?」
「むー、なんか危機感ないですねぇ……」
小鈴が頬を膨らませるが、彼女以外の二人はまったく同じことをまったく同時に考えていた。
「あんたが言うな」と。
口に出したい気持ちは山々だったが、それを抑えて霊夢が問う。
「あんた、やたらとあの男を警戒してるみたいだけど、どういう訳なのよ」
「だって……分かってない事が多すぎるし……もしかすると記憶喪失なんて嘘かも知れませんし、ひょっとすると妖怪かも知れませんよ?地面の底から出てきて無事だなんて」
ところが、その危惧は直ぐに、霊夢によって否定される。
「妖怪?それは絶対にない」
空になった湯飲みを脇に置きつつ、魔理沙も「ああ」と同意する。小鈴には訳が分からない。
「どうして言い切れるんですか?」
異変解決屋の二人は口を揃えて答えた。
「勘だ」
「勘ね」
小鈴が反応するまでに、たっぷり三秒はかかった。
そして三秒後に流れ出した言葉は「はぁ……」という、諦めとも呆れともつかないため息だった。
冗談と侮ってはならないことは知っていた。この二人、特に霊夢の勘はほぼ絶対である。そこに小鈴の感覚や理屈をねじこんで反論することは不可能に近い。
「まぁ、何かあったらお二人に任せますけど……」
やっぱり紅魔館に手紙を書こう、と思う小鈴であった。あそこのメイド長が人里へ買い物に来ることは多々あるから、その時を見計らって渡せばいい。
要するに、本居小鈴は友人であるところの稗田阿求が心配なのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
白い服を着て、妙な箱を背負った人が来たと思えば、どうやら薬売りらしい。男か女かも分からない。
僕は阿求と薬売りの会話を隣の部屋で聞いている。
「……補充分は軟膏が二つ、絆創膏が四箱に、胃薬が一瓶、と。絆創膏、よく使われますねぇ。今度から一箱余分に置いておきましょうか」
「えぇ、お願いします。小間使いが手を包丁でちょっと切っちゃったりするからねぇ……それに加えて季節柄、あかぎれになる者も多いので……軟膏も重宝するらしいわ。はい、これで丁度、あるかしら」
「へい、毎度あり……ところで、例の彼は……」
なんだ?僕の話か?二人の会話が低い声になってしまったからよく聞こえないが、どうも薬売りも僕の事を知っているらしい。
『例の彼』か。
自分の名前がない、というのはすごく変な気分だ。およそこの世の中に名前のない物はない……と思うし、何より僕の周りが困惑しているようだ。目の前にいる阿求は僕の事を「貴方」と呼ぶ。この屋敷に大勢いるらしいお手伝いさんたちは「お客人」と呼ぶ。さっき訪れた自称魔法使いの女の子(本当に魔法使いなのだろうか?そういうのが居るという話は聞いたが、未だに実感が沸かない)は、遠慮なく「お前」「お前さん」と呼んだ。そのとなりで頬を膨らませていた小動物っぽい女の子は……いや、彼女は僕を呼ばなかったか。でも、やっぱり「あなた」って感じなんだろうか?
貴方、お客人、お前さん、お前、例の彼……そのどれもが僕の名前ではない(当然だ)。
……あの、夢の中に出てきた人は。「これは選択だ」と、僕の背中を押した人は。
森の中で、僕に「回転の力」を思い出させてくれた人は。
彼らは、僕の事を、名前を知っていたに違いない。彼らに会う方法はないものだろうか。
そして、この車椅子。夢の中で座った物と瓜二つ……いや、まったく同じものに違いない。確かに僕が夢の中で得た物だ。これはどういうことだろう。
ヒントは夢の中にある、ということか?
……いや、そうとは限らない。確かに夢の中に答えの切れ端はあった。「回転の力」とか「車椅子」がそうだ。だが、かといって全てがそこにあるとは考えられない。あの人は「もう一度出発しろ」と言ったんだ。寝て、夢を見て解決、というのは余計に考えにくい。
だとしたら、目的地はどこにある?
考えていると頭痛がしてくる。そろそろ休みたいな、と考えていると、阿求が部屋に入ってきた。
「何か考え事ですか?」
「……昔の事を思い出そうとしてた」
「そう、ですか」
素直に答える。どうも彼女に隠し事ができない。
隠せるほどの考えも持っていない。
「昨日、夢を見たんだ。なんていうか……抽象的な夢だったけど……」
「それは、どんな?」
ビーチの側の牧場で、脚の不自由な少年が馬に乗ろうとして叶わず、引き摺られていたこと。そして彼はどうやら、僕自身の過去の姿で……知らない人に励まされ、もう一度再出発するために少年の車椅子に座った「儀式」のこと。
その後、森の中で獣に襲われ、抵抗しようと足掻くうちに「爪を回転させて撃つ」力を『思い出した』こと。そして、霧の向こうの人影。
それらのビジョンをできるだけ鮮明に、言葉にして阿求に話してみる。聡明な彼女なら、あるいは――
が。
「抽象的ねぇ」
やっぱりか。
しかし、分かっていつつも落胆する僕にではなく、自分に囁くように彼女は続ける。
「でも、夢というのは記憶の反映が多い……脚が動かなくなったこと、能力が芽生えたことからして、その夢と現実が繋がっているのは確かだから……」
呟きを止め、彼女はこちらに向き直った。
「時に、一つ質問しますが」
「え?…ああ」
「夢の中の貴方は最初、自分の脚で歩いていた。ということは、過去、貴方は自分の脚で歩くことが出来た、ということでしょう。その件について、何かしら思い出せませんか?」
……そういえばそうだ。あの騒々しい街で、ビーチへと繋がる道で、僕は自らの脚で立ち、歩き、走った。
ということは――
目蓋を閉じて、そのイメージを呼び覚まそうとする――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
《港に泊まった、小さな客船。今日は天気がすごくいい》
【背中に背負った、とても大きく、とても大事なものを引きずって】
【波に揺れる甲板の上を一歩一歩、噛み締めるように歩く】
【海洋の匂いを乗せて、そよ風が顔を撫でる】
【長い旅を終えてようやくここまで来た】
【この旅は、僕たちにとって――】
《暗転》
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ッ……ハァッ……」
「――ねぇ、大丈夫ですか?もしもし?」
凄まじい頭痛が訪れ、過ぎ去った。汗を拭って目を開けると、目の前で阿求が心配そうな表情を作っていた。大丈夫だ、と手を振る。
「誰かと旅をしていた……誰かはわからない」
「それはどこです?」
「はっきりとは……でも『旅の終わり』だ。僕は自分の脚で歩いていた」
阿求は小さく息を吸い込み、吐き出した。
「……では、貴方はきっと歩けるようになります。それが貴方の本来の姿なのでしょうから……何にしろ、方法はあるはずです。記憶を取り戻すこともそうですが、例えば医術や魔術だって……」
「言っておくが、自分の力で歩けるようにならないと意味がないんだ。まだ他のことは何も思い出せないが、それだけは絶対に譲れない……絶対に」
僕も深呼吸をする。少し感情的になりすぎた気がしたからだ。
「それに、他の人には『僕を歩かせることなんか出来やしない』……魔法なんてものがあったとしても、だ」
どうして?と訊ねる彼女に微笑もうとして、上手くいかずに天を仰ぐ。
「わからない……けど、そんな気が……する」
「貴方がそう言うなら、そうなのかも知れませんね」
けれど、と阿求は語を継ぐ。
「結局貴方自身の問題だとしても、その解決のために周りの人を頼ってください。一人ではどうにもならないことだって……あるでしょう?貴方はこの土地に来た理由を知っていても、この土地を知っている訳ではない。この幻想郷に答えがあったとしても、貴方はまだ自分の脚すら取り戻していない。ですから……」
分かっている。
今の自分が生まれたての赤ん坊のように弱いのは、重々承知している。
「……分かった。『僕が脚を取り戻す』までは」
「はい。……私などに出来ることは限られていますが、善良な人々はたくさんいます。どうか一人で抱え込まず、彼ら、彼女らを頼りにしてくださいますように」
「あぁ……そうだ、阿求」
色んなことが一気に起こって疲れたせいか、眠くなってきた。
眠気は急激に訪れる。
「今日はもう休む……明日になったら、町に行ってみたい」
「里に?えぇ、貴方の具合次第ですけれど」
「大丈夫……傷はそんなに痛まないから……」
まるで上と下の目蓋に磁石がくっついているようだ。
視界が狭くなって……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
うつらうつらしている青年をのせた車椅子を押して、阿求は廊下を歩き、これから彼が寝泊まりするであろう仮の寝室へ入った。
「ほら、起きて下さい……」
青年の肩を叩き、車椅子から下ろす手伝いをするから一旦起きろ、と言う。
「いや、いいよ……」
しかし、彼は寝ぼけ眼のまま阿求の手を振りほどき、身を前へ屈めた。
かと思うと、ちょうど綺麗に「でんぐり返し」をするような動作で車椅子を転がり降りて、布団の上にごろりと転がってしまった。そのまま動かない。
「……やっぱり、変な人ねぇ」
その不可思議な動作に呆れつつも、物を回転させる能力というのはこういう事なのか、と奇妙な納得を得た阿求であった。
二十秒ほどのち、障子を閉める音がして、部屋には一人名無しの青年が残された。
……やがて寝息を立て始めた彼の身体の上には、掛け布団という名の老婆心が乗っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日の夕暮れ、幻想郷の東の端の博麗神社。
広い境内の、無駄に長い参道の中ほどで、鈴奈庵帰りの巫女が一人、一心に掃除をしていた。
「雪はもう無いけど……やっぱり枯れ葉が鬱陶しい……」
少々危うい口調で独り言をぶつぶつとやっている博麗霊夢。彼女の日課の掃き掃除、今まで「完璧に完了」した試しがない。神社を囲む鎮守の森から枯れ葉が無限に供給される上に、掃除すべき範囲が広い。強風など吹こうものなら、枯れ葉の供給と掃除の成果の崩壊――集めた塵芥が飛び散る――が一気にやってくる。
「終わりがないのが……終わり……なのかなぁ」
悟ったような一言で不毛な清掃活動を打ち切った霊夢がふと顔を上げると、本殿の屋根の下、賽銭箱の近くに何か黒っぽい物体が落ちているのが見えた。
「んー?枯れ葉……じゃあないわよね」
不審に思った巫女はそれに近づき……拾い上げた。
「何これ」
彼女が拾ったのは、表面にシンプルな紋様の刻まれた鉄の塊だった。ちょうど手のひらに収まるような大きさで、その形状は――
「……割れてる、のかな?なんか、元は毬みたく丸かったっぽいけど」
上面は確かに磨き上げられた球形だったが、ひっくり返して見れば、それはごつごつとした断面を晒した。
「…………」
霊夢はそれを境内の隅に投げ捨てようとして……やめた。
彼女の勘が、「これは何かしら特別なものに違いない」と囁いていた。
投げ捨てる代わりに懐へ仕舞って、また箒を握る。また明日、魔理沙か誰かに見せて、使い道が判らなかったら香霖堂にでも持っていこう。ぼんやりと、霊夢はそんな事を考えた。
境内から一望できる美しい景色の向こう、西の山の端へ日が沈もうとしている。
今回のタイトルは、BUMP OF CHICKENが2007年にリリースしたアルバム「orbital period」の一曲目より。寂しい。