「『運命を操る』ゥ?」
「そんなに変な声を出すことはないでしょうに」
薄く積もった雪が眩しい朝。
阿求の口から飛び出したその言葉に、僕は思わず奇声に近い疑問の声を上げていた。
あの招待状が来てから二日目。稗田邸、僕の寝室。時刻は九時半。阿求は先程から、部屋の隅にある箪笥の衣類を引っ張り出しては仕舞い、引っ張り出しては仕舞いを繰り返している。僕はその背中を眺めつつ、今日の「パーティー」――吸血鬼が主宰だとかいう、あのパーティーについて――阿求の話を聴いていたところだった。
そうしたら、唐突にこれだ。
「だって……運命だろ?そんなバカなことが……大体運命なんてのは……」
「あるらしいですねぇ。霊夢さんや魔理沙さんも言ってましたし」
運命を操る。
それが、今日訪れる館の主、レミリアとかいう女吸血鬼の持つ能力なのだそうだ。運命って、僕の知る限りでは「神様」とか、その辺の凄い存在が握っているものだ。どことなく宗教的な響きがあるし、でなければ胡散臭い占い師か何かが口にしそうな言葉だ。それを吸血鬼がいじり回すとは?わからない。
「具体的にはどういうことが出来るんだ?未来を全部好き勝手出来るってことか?制限はないのか?」
「質問は一つずつですよ?……まぁいいでしょう」
その後に続く阿求の話を聞く限り、「運命を操る」と言っても限定的なモノのようだ。霊夢から聞いたという情報によると、
「あー、変えられるかどうかは別にして、少し先の未来が見えている節はあるかなー」(原文ママ)
だそうだ。一番単純な使い方として、「未来を見て、それを修正するために行動を取る」という風な使い方が有るらしい。他にも、彼女の周りの人物の運命が数奇なものになったりだとか。まだよくわかっていないことの方が多いらしい。本人も語る気がないのか、意味深なことを言って周りを煙に巻いて楽しんでいるらしい。質が悪そうな奴だ。
「性格はワガママで気まま。それでいて強大な力を持っていますから、機嫌を損ねた時のリスクは大きいですよ?丁重に接することです。大丈夫、いきなり取って喰われたりはしませんからね」
そうは言っても、やっぱり恐ろしい相手には違いない……たぶん……しかし、この話を聴いていると何だか落ち着かない。怖い、というのは違う。もっと沸き立つような……「血が踊る」、という感覚か?自分でも分からなかった。
戦いに行く訳でもないのに。
そうこうしている間にも阿求は「絶対和服似合わない」などと呟きながら箪笥をごそごそとやっている。どうも、僕の服を選んでくれているらしい(使用人にでもやらせればいいのに)。和服は着付けが大変そうだし、正直僕も着たくないから、配慮には感謝したい。でも、今、君が僕の身体に当てがってサイズを見ているそのシャツ、それはダメだ。袖の所にフリルなんか付いている……最悪だ。
「え?外ではフリル、流行ってないんですか?」
「さあ?」
僕に訊かれても困るけれど。取り敢えずそれは女性向けじゃあないだろうか?でなければ、お金持ちのボンボンが着るようなヤツだ。ほら、サイズもパッツンパッツンだしさ……似合わないって。
「んー、でも前に小鈴の所で見た雑誌では、男性もフリル付きの服を着てたけれど」
とにかく僕は願い下げだ。そう言ってやっても、阿求は箪笥いじりを止めない。全く、どうして女性ってのはこうも衣服に拘るんだろうか?しかも自分の服を選んでいる訳でもないのに。
ほら、このシャツだって十分綺麗だし。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
着替えの件でひと悶着あったが、何はともあれ、これで準備は出来たのだろう。とは言っても、まだ昼にもなっていない。僕は稗田の屋敷で何か仕事をしている訳でもないから、いつも通り暇になってしまった。
話によると、霧の湖畔にあるという紅い屋敷まで、徒歩で一時間ほど。危険な妖怪が出てくることもあまりないらしいが、それでも妖精(何度聞いてもファンタジーな響きだ)がちょっかいを出してきたり、其処らを根城にしている下級妖怪がうろついていることもあるそうだ。阿求は身体が強くないらしく、以前パーティーに招かれた時は、空を飛べる知り合いに乗せていって貰ったのだとか。
当然のように「空を飛べる知り合い」などという表現が出てきたのには驚いた。聞けば、妖怪は勿論、一部の人間さえ自在に空を飛ぶことができるという。「なにかの能力なのか」と訊いてみたが、それも違うらしい。
「確かにそういう能力の人も居ますがね。大半は霊力やら妖力で術を為し、空を飛んでいます」
「レイリョク……ってのがよくわからない。それって、普通に誰でも持ってる……なんてことは無さそうだね。持ってたら、皆空を飛んでる筈だものな」
「修行次第である程度は伸ばせるようです。あとは才能ですねー……霊夢さんなんか、物心付いたときには飛んでたそうですよ?最も、それが彼女の能力だそうですけど」
なるほど、彼女から感じた「適当に振る舞っているが、実は強い」感じはそれか。
彼女の職業は博麗の巫女。幻想郷を囲む結界の守護者の一人であり、妖怪退治をも生業としている。相当の力がなければ、それらをこなすのは難しいのだろう。見た感じ飄々として、人のことなどどこ吹く風、といった感じだったが。 人は見かけに寄らない、とはよくいったものだ。
そう考えるといかにも、記憶の中の霊夢が英雄然として見えてくる。だがあの服装はよくわからない。冬場なのに脇とか丸出しだ。寒くないんだろうか。
などと馬鹿なことを考えていると、例の黄色の飾り袖を纏った阿求が、鏡の前で紫のカーディガンを引っ張りながらぼやいた。
「あーあ、私も空を飛べたらなー」
「飛べたら、何をする?」
「決まってるでしょう、この幻想郷の隅々までを翔るの。私の務め……『記録』をより正確にするために、私自身の目でこの土地を見て回るのよ……無理だけどねー」
彼女は願望を語っているだけ。それが実現するなどとはつゆほども期待していないようだった。そんな言葉でも、僕の耳には前向きな言葉に聞こえた。なぜなら――僕の願いは後ろ向き。過去を探すことだから。
僕には行きたいところも、したいこともない。ただ、以前の「僕」を取り戻したいだけだった。負から正へ――今の僕は間違いなくマイナスの存在だ。だって――
だって?
……本当に、記憶を取り戻すことは「前進」なのだろうか。
ここは素晴らしい場所だ。僕を取り巻いている人たちはみんな優しくて、実直で、素直に生きている人たちだ。記憶を取り戻すことは、彼ら、彼女らとの繋がりを捨てることにはならないだろうか。
皆は、「脚の動かない、記憶を無くした哀れな男」に慈愛を注いでいるだけなのだろうか。そして、僕が記憶を蘇生させ、自分の脚で歩けるようになったら――僕はまた一人になるのだろうか?それならいっそ、ここにずっと留まった方が良いのかもしれない。何も知らない僕のままで。
【良い始まりだね、ジョニィ――】
……でも。
だったら、「あれは何だ」
記憶を無くした僕に近づいてきた、あの真っ黒な意思は。あれの正体を知らないままにのうのうと過ごしていくのは……怖い。僕はアイツを知らない。アイツは何を知っているんだろう?
「あら、どうしたのかしら」
声にふと顔を上げれば、阿求がこちらを見ていた。
「顔が引き吊ってるけれど。吸血鬼が怖いの?」
「まさか。いつだか新聞記者を追い払った時の君の方がよっぽど」
「強気ねぇ……あ、表情が柔らかくなった」
……そうか。
僕は彼女に随分救われていると思う。丁寧な口調の癖して意外と毒舌なやつ。小さな身体に膨大な知識を詰め込んで、僕をからかって遊ぶ少女に。
運命なんて名前の河があったとして、そう、僕は流されて行くのではない。川辺に座って、水流を眺めて暮らすのでもない。かといって、流れに逆らって進むような真似もしない。ただ――流れを利用して味方につけ、向こう側へ渡って行くのだ。独りよがりにならず、繋がりを大切にしたまま記憶を取り戻すことが、出来るに違いない。そうすれば、歩けるようになったその先でも……
自分でも、大袈裟な例えだとは思う。でも、他に表現のしようがあるだろうか。僕を取り巻く、この奇妙な状況を表現する方法が?
◆◇◆◇◆◇◆◇
三時過ぎに魔理沙が来た。
「おう、久しぶりだな」
手袋にマフラーの完全防寒装備、そして例によってあの白黒エプロンドレス。それが部屋の入り口でニヤニヤしながら立っている。
「私が呼んだんですよ」と阿求。
「道中物騒ですからね。護衛も兼ねて、一緒に来てもらいます」
なるほど、護衛か……身体の弱いのが一人と、歩けないのが一人でどうやって館まで行くのか、疑問に思っていた所だった。その問題への回答が彼女であるらしい。
「一応言っておくが、私にも招待状来てるからな!」
誰もそんなことなど訊いていないのに、何処からか引っ張り出した紙切れをひらひらと振りながら、得意気に胸を張って言う魔理沙。大袈裟な……ちょっとしたことでも楽しいヤツだ。
「あら。招待状が無くても突入するんじゃありませんこと?いつもみたいに」
「普段は門番も司書も親切なんでね」
二人の会話からすると、この自称魔法使いのお嬢さんは、日常的に吸血鬼の館への侵入を繰り返しているらしい。簡単に侵入を許す館の警備が意外にザルなのか、それとも――この少女の実力なのか。詳しいことは分からないが、阿求が信頼するからには、護衛としての能力は十分にあるのだろう。
護衛……僕だって自分の身くらい守れるようになりたいものだ。といっても、自力で歩けない今はどうしようもない。そう言えば、例の「鉄球」がそろそろ出来上がるのではないだろうか。鍛冶屋の話では数日、ということだったが。一人で鍛冶屋に確認しに行くのもどうかと思ったので、とりあえず(僕と違って)忙しそうにしている阿求に訊いてみる。返答は曖昧だった。
「あー……」
「忘れてた?」
「まさか。ただ、あの鍛冶屋の親父殿も気ままな人ですからね、期日通りに仕事をこなしているかどうかは分かりません。この土地はそういう契約とかにルーズなんですよ」
「
これは魔理沙の言だ。阿求は相当里の人間に顔が効くらしい。
「そういう強権的な真似は好きじゃないんですー。向こうは『私に出来ないこと』を代わりにやってくれているんですから。口出しは失礼ですよ」
「ふふん、七割は冗談だ……さて、小鈴が来るまで暇だなーっと」
小鈴……って、あの貸本屋の娘だとかいう女の子だったか。彼女もパーティーに呼ばれているのか?だとしたら、人里からも結構人が行くのかもしれない。
阿求は初耳のようだった。
「あら、あの子が呼ばれるなんて珍しいわねー」
「アレかな、ちょっと前のペット脱走事件の繋がりで」
「あー……アレは思い出したくない、かな」
ちょっと気になったので、口を挟んでみることにする。
「ペット脱走事件?」
「……吸血鬼のペットが逃げ出した事がありましてね。酒樽を荒らしまくったり、凄い速さで飛び回ったり……結構やんちゃなヤツで……うちに誘い込んでなんとか捕まえましたが、いやはやあれは気色悪かった。あんなのを『かわいい』って飼ってる主の気が知れないわ」
「
気色悪くて、凄い速さで飛び回って、酒樽を荒らすのか。なるほど吸血鬼だけあって、飼っているペットもなかなかのものらしい。どうせ飼うなら、もう少し可愛いげのあるモノにすればいいのになぁ、と思う。馬……は少し大きすぎるとしても、例えば犬とか、猫とか、小鳥とか……
その時だった。
視界の端、部屋の隅を横切る、小さな白い――
「……?」
何かが、見えたような気がした。もう一度そちらを見てみるが、跡形もない。
「どうしました?」
「いや……?」
いつの間にか煎餅などぽりぽりやっている阿求の言葉に、僕は曖昧に応えた。今のは……虫か何かのようにも見えた。小動物かもしれないが……いや、そんなに重要なことでないのは分かっているつもりだ。鼠かゴキブリ(白いゴキブリなどいるのか?)か何かだと思う。
妙に頭に引っ掛かるな……
「大事を取って二時間前に出るとしても、出発は六時半……おぁー、暇だ。阿求、なんかすることないか?」
「んー、トランプとかありますけどね」
「お、いいな。小鈴も来たら混ぜようか。あ、お前。ポーカーとか知ってる?」
魔理沙が急に話を振ってきた所で、僕の思考は中断された。
まぁいいか。別に危険でも何でもないだろうし。
「だいたい分かると思う」
「おーし、やるか。チップはこのたまご煎餅で……」
「魔理沙さん……食べ物で遊んではダメですよ?」
「おぉう……」
カードゲームは途中でやってきた小鈴も交えて、辺りが暗くなるまでゆるゆると続いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……という訳だ。分かって貰えただろうか」
「んー、大体ね。というかさ、それほとんど紫のミスじゃないの」
博麗霊夢はわざと攻撃的な言葉を選び、目の前の人物の顔色を伺った。霊夢の手にはスコップ。薄く積もった雪を片付けている最中に、この招かれざる客はやってきた。
相手は黄金色の頭髪に同色の尻尾を持つ、九尾である。
「あまり、主人を責めないで欲しい。限りなくそれに近いとはいえ……万能ではないのだ、あの方も」
「わーってるわよ、んなことは……で、私は結界と里をこまめに見回ってればいいのね?」
「今のところは、だ。それしかない……頼んだよ」
そう言い残して、八雲藍は空の彼方へ飛び去って行った。
夕暮れの境内に一人残された霊夢は、何とはなしに辺りを見回した。人っこ一人いない。唯一、居候の小人族が居るにはいるが、その小人も今は寝殿の炬燵で舟を漕いでいるのであった。
「姿なく、未だ実害無き異変、かー……」
ぼんやりと呟いた霊夢は、くしゃみを一つした後、また雪かきを再開した。
見えない異変より見える障害を先に。
(いつもみたく適当に解決するわよ、きっと……)
この時はまだ、彼女もそう考えていたものであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
(おまけ)
「ほら、小鈴の番だ。交換するカードをよこしな」
「あ、阿求、これって役、出来てる?」
「分からないからって、私に見せないで頂戴、勝負が台無しよ……ほら、今、役の組み合わせを紙に書いてあげますから……ほら、上から強い順に並べた表よ」
「ありがと……よし、魔理沙さん、三枚交換です」
「おう。ほいさ……で、お前さんまだかい?……んー、どうも名前が無いのは困るなぁ」
「名前……そうね、貴方、『ジョナサン』って感じの顔をしてるわ」
「言われてみれば確かに……」
「阿求、お前なかなかのセンスだな」
「いや、犬猫じゃあないんだから、勝手に決めないでくれ……よし、決めた。カード五枚ちょうだい」
「人の事さんざ待たしといて決断が五枚かよ!」
最後の会話は八部冒頭と、七部中盤での印象深い会話の合わせ技です。特に後者は個人的に秀逸だと考えていたシーンでして、絶対どっかに突っ込んでやるぞー、と意気込んでいたのが実現した形となりました。彼の記憶にはあんまり関係ありませんけど。