夜のとばりもすっかり降りたころ。
「んじゃ、行くとするか!」
魔理沙の掛け声が、町の仄かな明かりに響く。
僕たち四人は里を出発し、暗闇の中を歩いていた。足元を照らすのは、魔理沙が用意した異様に明るいランプ。見た目は普通のモノで、中に蝋燭を入れるタイプ。しかし、放つ光は魔法の力による物らしく、僕たちの周りにぽっかりと、球形の明るい空間を作り出している。かといって、眩しいわけでもない。松明のような柔らかい光だった。
実際に魔法を目の当たりにするのは初めてだが、その「魔法」はとても自然なもので――童話に出てくるようにきらびやかなものではなく、かといって、悪い魔女が用いる強大で邪悪なチカラでもなかった。ただただ、僕たちの道を照らすためだけに輝いている……不思議な、けれど「あたりまえ」のランプのように感じられた。
星が綺麗な夜だった。山の端には月が澄みきった月が半分だけ姿を見せている。そう、月に負けじと輝く星々の光に、このランプの光は似ているのかもしれない。
「……凄いな、このランプ」
自然と漏れだしたそんな言葉に、先頭を行く魔理沙が反応した。
「まぁな。光と熱は私の十八番だからな」
「いつだったか見せてくれた花火も綺麗でしたよ」
阿求が魔理沙を誉めている。その横を歩いている小鈴も「見たかったなー」と呟く。光と熱の魔法か……魔法の花火は、さぞや美しい光を散らせる事だろう。僕だって見てみたかった。今度、個人的に打ち上げを依頼してみようかな、と冗談半分に考える。
「これくらいしか取り柄が無いんだ。せめて見栄えだけでも、この幻想郷で一番の魔法を造り出したい……そんな風に決めたのが……いつだったっけな?小さい頃、親父の店を飛び出した時のことだった」
いつになくしおらしい声で語る、魔法使いの少女。
半分独り言のような言葉を漏らしつつ歩いていく。
「何のために魔法屋なんてやってるんだっけ……そう、強くなりたいってのもあったし、親父が嫌いで、その反動が、ってのもあった……あとは」
恥ずかしいこと言うぜ、と魔理沙は前置きする。
「綺麗なものとかさ、派手なものって、見ると楽しいだろ?」
ランプの光の下で、阿求と小鈴が首を縦に振るのが見えた。
「周りの奴ら……霊夢とか里の皆、お前たちもそうだが……いつか私のでっかい魔法で、皆を楽しませてやりたいなー、なんて思ってるんだ。ついでに私も楽しければ、それで他に言うことはない。才能の乏しい私だからこそ、楽しめる生き方があると思ってさ」
魔法使いはそう言うと、一つ鼻を啜った。「今日も冷えるなー」などと言いながら、マフラーをいじり、帽子の角度をしきりに直している。話していて照れ臭くなってしまったのか、柄にもないことを言ってしまった……と後悔しているのか。多分両方だと思う。
彼女はきっと……そのひょうきんな態度の下に、凄まじい数の努力と忍耐を重ねている。言葉以上に、彼女の使う暖かなランプの光と、小さな背中が語っていた。僕は彼女を――羨ましいと思った。
「ん、もうすぐ道が少し悪くなる。足元……特に車椅子は気をつけろよ」
「分かった」
振り返って僕に注意を促す魔理沙の顔には、いつも通り自信たっぷりの表情があった。
僕は灯火の当たらない方、もう片側の顔の輪郭を想像する。でも、思い描いた魔理沙の顔はやっぱり、見えている表情とぴったり重なる笑顔だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
他愛ないことをぽつぽつ語り合いながら、ゆっくり歩き続ける。月は徐々に高く登り、遂には山の頂上の辺りに重なって見えなくなった。同時に、星が一斉に輝きを増したように見えた。
あんまり上ばかり見ていると、道の小石に車輪をぶつけてしまいそうになる。このおんぼろな車椅子の車輪にはゴムなんか巻いてはいないから、石を踏んだだけでかなりの衝撃が来る。
何も言っていないのに気を効かせて「押しましょうか」と申し出る阿求の厚意を丁重にお断りする。せめてこのくらいは自分で面倒を見たい。
いい加減気をつけて進もう、本当に道が荒れてきた。
そう考えたとき、魔理沙が立ち止まった。
「痛った……急に立ち止まらないで下さいよ!」
「またか。だからもうちょい距離を空けて歩けよ……それより、ちょっと静かにしろ」
小鈴が魔理沙の後頭部あたりに鼻筋をぶつけたらしい。
いや、そんなことはどうでもいい(鼻血でも出ていれば別だが)。何か問題でも起こったのだろうか。魔理沙は立ち止まったまま、道の横に広がる林の方に目を凝らしていた。僕もそちらを見てみるが、ランプに照らされていない林は暗すぎて、ただのざわめく黒い塊にしか見えない。
黒い……塊?
「闇が濃いな……へえ、懐かしい顔だ」
呟くと、魔理沙は今度は声を張り上げて、林を覆う闇に問いかけた。
「こんなところで会うとはな!お前の縄張りはもう少し山の方じゃあなかったのか?」
縄張り?相手は人……では無さそうだ。
ややあって、闇の中から応える声が響いた。
「んー?なんだ、白黒さんか。しばらく見ないうちにおっきくなったねー?」
やや間延びした、少女の声だった。
阿求が僕と小鈴にささやく。
「あの闇……妙に濃いと思っていたら、どうやら妖怪の仕業だったようね。もし近づいてきても、なるたけ目を合わせないように。魔理沙さんがいるとはいえ、用心に越した事はないわ」
真剣な面差しの阿求の言葉に、僕たちはとりあえず頷いておくしかない。
よく見れば、林の入り口あたりに、一際闇の濃い球形の領域があるように見える。魔理沙は腰に手を当てて、その闇の塊に向かって話しかけている。
「背も少し伸びたかもな。それよりお前、こんなところをうろうろしてるってことは……腹でも減ってるのか?干し肉なら幾らかあるけどな?」
「いやー、いいや。お腹空いてないよ?」
闇の中の声は楽しそうに続けた。
「こないだ食べたばっかりだから。それにさ、あなた強くて食べるの無理だし。お連れさんに至っては絶対食べちゃいけないのが一人いるし。手を出したらむしろわたしが食べられちゃうでしょ、もっと強いひとに」
「はは、物わかりが良くて助かるよ」
「まーね。じゃ、わたしは帰るよ。ちょっと様子見に来ただけだし」
言うと、闇の塊はずぞぞと動き出し、林の中へと消えていく。かと思うと、途中でどん、と何かに何かがぶつかるような鈍い音がして、続いて「おぅ……」と間抜けなうめき声が聴こえてきた。何が起こったのかはよくわからない。
魔理沙は塊の背中に「あんまりウロウロすると退治するぞー」と軽い調子で手を振っていた。随分打ち解けた様子だ。妖怪といっても、見境なく暴れたりするわけでもないらしい。会話は普通の人間と同じように出来ていたし……少々ヘンテコな奴だったが。
それにしても、「絶対食べちゃいけないのが一人」って、誰の事なんだろう。
まさか僕でもないだろうし、理由は分からないが多分阿求だろうな、と考えていたら、すっかり見えなくなった例の妖怪が遠くから何か言っているのが聴こえてきた。
「あ、白黒さーん」
こちらを向きかけていた魔理沙は、その声に振り向いた。
「何だよ、こっちは急いでるんだがなー」
あれだけのんびり歩いてきた癖に何を言うか。
嘘と知るよしもない闇の妖怪は「じゃあ手短に」と区切って、こう言った。何も見えない林の中から声が聴こえてくるから、まるで木々そのものが喋っているようだった。
「最近妙なモノが増えてるから、気をつけてねー」
「ん?妙……ってお前、それは?」
「ふっふー。さて、こっちもそろそろ帰りましょ、っと」
むわっ、闇が濃くなった。かと思うと、それっきり林は静かになった。
妖怪が闇に溶け込んだのだろうか。
「……変わんないな、ヤツも。しかし……」
そう呟いた魔理沙の背中は、どこか寂しげだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
妙ちきりんな闇妖怪と別れたのち、林に沿って歩くこと三十分以上。
「……幻想郷では多くの妖怪が、力を示すために美しい女性の姿を採っています。『美しい』といってもその姿は千差万別、古風だったりやたらと奇抜なせんすを持っているのも居ます。それはさておき、美貌は人間を釣る餌になるわけです。釣った人間を直に食べる妖怪もいれば、恐怖や畏怖などのマイナスのエネルギーを食べる妖怪もいます。むしろ後者の方が数としては……」
なぜか、阿求による妖怪講座が始まっていた。生徒はもちろん僕だ。時々魔理沙と小鈴が茶々を入れてくるが、阿求はこの二人をも生徒として相手取っているようだった。
元はといえば、僕が闇の妖怪について詳細を訊いたのが始まりである。妖怪についての講義までしてくれと頼んだつもりは毛頭ない。ないのだが……とりあえずあまり長々と喋られては僕の精神衛生上よろしくないので、少しずつ話題をずらそうと試みてみる。
「さっきの妖怪、会話も出来てたし、そんなに危険な感じはしなかったが……」
「危険ですよ」
やんわりと、しかし断固として否定された。
「まず大前提として、全ての妖怪は、里の人間の『敵』です。これは
分かるような気がする。人間が妖怪を怖れなければ、妖怪は存在し得ない。幽霊とかを信じない人の目に幽霊が見えなくなる……という話と、理屈は大体同じなのではないだろうか。
納得したような気になっていると、阿求がボソッと付け加えるのが聞こえた。
「……というかさっきのは人喰いですけど……そうですよね、魔理沙さん?」
「お、おう……」
先頭を行く魔理沙の肩が微妙に跳ねた気がした。
……いや、それよりあの闇妖怪(ルーミアとかいう名らしい)、人を食べるヤツだったのか?おとぼけた雰囲気も声色からも、とてもそんな風には……まさか、「ふり」をしていただけ?
「あれが素だと思うがなぁ」
黒いとんがり帽子が揺れる。
「まぁ、阿求の言う通りだよ。ぽやぽやしてるが人喰いだ。腹さえ満たされればそれでハッピー、って感じのヤツさ……『闇』を操る力があるらしいが、正直ありゃ持ち腐れだな……っと。そろそろかな」
急に魔理沙の足が早まった。揺れるランプの光を追いかけて、僕たちも歩調を早くする。心なしか、辺りが霧がかったように白くなる。
「さて、もうすぐ館に着くわけだが……その前にっ」
林に囲まれていた視界が、急に開ける。一面の霧……そして……水音?
僕たちが立ち止まったのは、霧深い池のそば……いや、湖の畔だった。
魔法使いの少女がランプの蓋を開けて、ふぅっと息を吹き掛けて灯を消す。急に訪れた暗闇に目が慣れるのを待ちながら、彼女は言った。
「今夜は月も出ている……それなりの眺めになると思ったが……」
見れば、薄く立ち込める冷たい霧の下に、満天の星空を映す水鏡。澄み切った、蒼とも翠ともつかない不思議な彩りの水面がどこまでも続き、やがてより深い霧に包まれて見えなくなる。十数メートル向こうはぼやけて見えないくらいの霧の中で、僕たちのいる水辺だけが取り残されているようだった。
雲の隙間から銀の鏡に落っこちて、月が揺れている。
「わぁ……これは……」
言葉を漏らしたのは多分、小鈴だったように思う。
僕は声もなかった。綺麗だとか、そんな甘っちょろい言葉が出てこなかったことを、本当にありがたく思った。ここにいられるものならいつまでも、目の前の光を眺めていたい。
水面が風に揺らぐたび、映るモノは変わっていく。もし時間を止めることが出来たら、この光景を飽きるまでずっと眺めていられる。ふと、そんなことを考えた。同時に、それは少し勿体ない……と思う。やっぱり「写真」は実物に及ばないのだろう。
◆◇◆◇
五、六分ほど湖畔で立ち尽くしていた僕たちは、やがて思い出したかのように、再び湖の側にあるという館へと脚を進め始めた。歩きながら、まだまだ知らないことが沢山有るようですね……と誰かが言った。口調からして阿求だと思うが、しばらく魔理沙がランプを付けずにいたので、本当に阿求だったのかどうかは分からない。
不思議なことに、その時見た光景を後から思い出そうとしても、なぜか上手くいかなかった。やっぱり靄がかっていて、まるで遠い昔の出来事のように思えた。思いだそうとしてぼうっとしている感覚は、無くしてしまった記憶を探っている時のものに、少しだけ似ているような気がした。
◆◇◆◇
「もう見えるな?」
湖沿いに歩くと、ものの数分でそれは見えてきた。月明かりに照らし出されて、ぼうっと紅く光る館。所々に開いた小さな窓から、これまた赤っぽい灯りが垣間見える。なるほど、この建物そのものが赤い棺のように見える。
紅魔館。そう名乗り、呼ばれていると聞いた。
館の正面、巨大な鉄の門がそびえている。その前に立つ、後ろに手を組んだ人影が見えた。門番だろうか、佇まいに隙がない。ぴったりした緑色っぽい東洋の衣服を身にまとっている……こう暗くてははっきり見えない。
人影は近づいてくる僕たちを見ると、手を大きく広げて制止した。そして問い掛けてくる。
「防犯上の理由からお訊きしますー!宴会のお客様ですね?」
溌剌とした、若い女性の声だった。
魔理沙が応える。
「招待状持ってるぜー!確認してくれるなー」
闇夜に浮かぶ影は、魔理沙の声を聴いて「貴方ですか……」と何故か落胆したような声を漏らしている。気にも止めていない様子で魔理沙が近づき、僕たちもそれに続く。
門番さんに招待状を手渡しながら、魔理沙がぼやく。
「毎度思うんだが、こんなに分厚い扉が存在する意味がどこにあるんだい?開閉も面倒だろうし、守りならお前んとこの魔法使いの術で十分だろうに」
赤い長髪の上に乗っけた帽子の角度を注意深く直しながら、門番は面倒くさそうに言った。
「物理的防壁が私。術式的障壁がパチュリー様。そして精神的プレッシャーがこの門です。大抵の人間も妖怪も、この陣容を目の当たりにすれば萎縮するんですがねぇ……どこにでも例外はいるんですねぇ……」
心底迷惑そうに門番がしかめっ面をする。白黒はからから笑っている。全員分の招待状を確認すると、彼女は門の横の呼び鈴を軽く鳴らした。同時に重厚な鉄の扉が、地響きに似た音と共にゆっくりと開いていく。
「さ、どうぞ。ホールから先はメイド長が案内いたします」
魔理沙を睨みつつも表面上はにこやかに、門番は僕たちを敷地へと通した。その横を通り抜けるとき、彼女が一瞬だけ、僕に好奇の視線を向けてきた気がした。が、僕がちらりとそちらを見たときには、そこには既に赤い後頭部しか見えなかった。
良く手入れされた芝生を左右に見ながら、石畳を歩いていく。
「アレも律儀なヤツだよなぁ……妖怪の癖に……」
先頭を行くとんがり帽子が呟くのと、正面に見える玄関が音もなく口を開けるのと、どちらが先だっただろうか。ほとんど同時だったように思う。
煌々と漏れ出す室内の光に……今、影が一つ、にじみ出るように姿を現した。
ようやく紅い悪趣味な館に到着です。
一般的なジョジョSSなら2~3話でたどり着きそうな所を21話も費やしました。こんなことだからエタりかけるのだ