遅くなりました。
あの鉄門に続いて、木造の玄関扉もまた巨大だった。
扉前に一段、石段があった。それを無理やり越えようとして、そこにいつの間にか木の板が差し渡してあることに気がつく。さっきまで無かったはずなのに……突然現れたようだ。これも魔法かなにかなのだろうか? とにかく、この上を登れば、余計な力はいらないだろう。ありがたく使わせて貰うことにする。
勢いをつけてスロープを一気に上りきると、石段の上で立っていた小鈴が「マジですか」みたいな目をしてこっちを見ていた。そんなに凄いことをしたわけではないと思うけど。腰の支えなしに馬に乗ることに比べれば、このくらいどうってことはない。
僕の背丈の四、五倍はありそうな敷居を見上げつつくぐって、まず目に入ったのは、凄まじく高い天井だ。吊り下げられた豪奢なシャンデリアが、随分遠くに見えている。どうやら、このホールは館の最上階まで吹き抜けになっているらしいが、それにしても高すぎる。外から見た建物の高さと比べると……いや、まさか越えているということはあるまい。
床を覆う赤い絨毯。艶のある石の柱。例のシャンデリアを始めとする様々な装飾品の数々。どれをとっても重々しく、高級感の漂う装いをしている。それらは僕に古城を連想させた。
そのままぼうっとして辺りを眺めていると、もう聞き慣れてしまった魔理沙の声がした。
「よう、来てやったぜ」
「……はて、こんな無礼なちんちくりんに招待状なんか出したかしら?」
「物怖じしないスレンダー美女の家に招待状を投げ込んだのは、確か……おまえだったと思うなぁ。そりゃあ大失敗だったのかも知れない」
会話の相手は、屋敷のメイドのようだった。さっき、滲み出るように現れた影の主か? 彼女らはホールの中央にいるから、僕のいる戸口からでは、そのメイドの人相(人間かどうかも怪しい)が読み取れない。
いつの間にか阿求と小鈴も交えて、随分と打ち解けた様子で話している。怪しげだと確かに思ったが、どうもあのメイドは人間であるらしい。
とりあえず、彼女たちの方に近づいてみる。旧知の間柄であるらしい魔理沙とメイドが楽しげに毒を吐き合っているのを、あとの二人が聴いている。なぜ魔理沙とメイドが知己であると分かったのか? そりゃあ、初対面であんな風に相手を煽れるわけがないからだ。
それにしてもこの白黒女、自分は客の身分だというのに、まったく遠慮がない。このメイドと接する際の態度も素のままだ……いや、しおらしく語尾に「です」「ます」を付ける彼女を想像すると、それはそれで妙に思える。気づかないうちに、僕の中で魔理沙の人格は完全に固定されてしまったようだった。
「……さてと、おしゃべりはこの辺で……ご案内致します」
まだ顔が見えるか見えないかという距離で、青っぽいエプロンドレスを着たメイドはくるりと向こうを向いてしまった……考えてもみれば(いくら魔理沙の友人であるとはいえ)、別にただの案内役の顔を確認する必要もなかったのだが。
ホールの左手に伸びる廊下を歩くメイドの背中について、魔理沙と小鈴も先に進んでしまっている。
「どうしたの? 早くなさいー」
向こうで阿求が手を小さく振っている……かと思うと、やっぱりこちらに背を向けて、廊下を歩いて行ってしまった。頭の中を「薄情者」というフレーズがよぎったが、あまり失礼だったのですぐに思考から振り切った。さっさとついて行かなければ。
車椅子をこぎ出そうとした――その時。
その車輪に手をかけた僕の腕に、ひんやりとした感触が触れた。それが人の指であるということに気づくと同時に、頭の横の方で囁くような声がした。
(おっと、お待ちくださいな)
何をされる?……心中で身構える僕をよそに、腕に触れていた指はすっと離れた――だが、僕はなぜか、身体を動かすことが出来なかった。声帯までもが緩んだようになって、声が出ない。金縛り……というのとも何かが違う。かといって、あの夢の「獣」に睨まれたときの恐怖が襲ってきている訳でもない。一体何が――
「貴方は、こっち」
再び、頭上で声がする。水晶や氷といった透明な固体をイメージさせる、冷たく澄んだ声。なのに、不思議といたずらっぽい所のある、不思議な囁き声が優しく鼓膜を震わせる。
ゆっくりと、僕の視界が弧を描いて回る。僕の後ろの「だれか」が、車椅子の持ち手を掴んで、反対側を向かせようとしている……奇妙なことに、抵抗する気はまったく起こらなかった。何も、何もかもが安全。ちっとも危険じゃない。そんな風に思えた。今から振り向かされる方が正しい「道」なのだろう、とも。
スローに回転する景色。そして――あぁ、僕は信じられないモノを見た。
視界の端、どこもかしこも紅いホールの向こう側。阿求たちの背中を追いかけて車椅子を走らせる男の姿を――僕を置いて向こうに行ってしまう、もう一人の「僕」の後ろ姿を。
◆◇◆◇◆◇◆
廊下を歩く阿求が振り向くと、そこには、うつ向いて車輪に手を掛けている男の姿があった。少しだけ離れて、一行の後を付いてくる青年。
「あんまり離れないでね。ここ、空間が少々おかしいようですから、迷いますよ……」
親切心からそんなことを言ってみるのだが、返答はなかった。彼は考え事をしているようにも見える。様子が少しおかしい? いや――
「稗田様、お早くー」
阿求は、自分を呼ぶ声にはっとした。どうやらメイド長のものらしいその声の方角を見やれば、長い長い廊下の向こう、魔理沙たちがこちらを向いて立ち止まっていた。
「……ほら、さっさと行きましょう」
「…………」
背後で車椅子の車輪が軋む音がした。
青年が黙って自分に付いてきているのを知った阿求は、宴会場へと続いているであろう廊下を、早足で歩き始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
カッ……カッ……カッ
規則正しく、足音が僕の鼓膜に刻まれる。
延々と続く薄暗い回廊。僕と、僕の後ろにいるであろう「彼女」は、ただひたすらに歩き続けている。何分くらい経ったのだろうか? さっきから懸命に時間を推し量ろうとしているのだが、この場所はそれを許してくれない。
何かがおかしいのだ。時間の流れが(もちろん感覚としての時間だ)……僕はちゃんと、ここにいるのだろうか? ついさっき見た、僕の後ろ姿? …あれのことを考えると、余計にこんがらがってくる。幻の類いか、それとも吸血鬼……とやらの仕業かもしれない。
そして何より、背後の女。別に殺気じみたものが滲んでいるわけでもないが、何となく振り返るのが怖い。話しかけるのが怖い。コイツは何だろう。僕の頭の後ろにすぐ、その身体がある。車椅子を押して、廊下の真ん中を真っ直ぐに、どこかしらへ僕を連れていこうとする女が――
僕は、餌にでもされるのだろうか。
僕が、吸血鬼への生け贄になる。その想像は確かに暗く、恐ろしいものだったが、同時にどこか甘美で、喜劇的でもあった。記憶喪失、半身不随の哀れな男が、訳のわからぬままに抵抗もできず連れ去られ、あろうことかヴァンパイアのディナーになるのだ。コンナに馬鹿らしいことがあるだろうか? ハ……
薄暗い照明が、行く道をぼんやりと紅く浮かび上がらせている。冷たく、肌の粟立つような空気……この先に何がある? 確かなのは……僕の心が、そして身体が……「これでいい」と囁いている、という不明瞭な感覚だけ。それでいて抗いがたい、精神が送ってきた絶対の「指令」のように思われる、この不思議な感覚。これは……
「あっ」
と、頭上で声がした。さっきの女の、冷たく透き通った声。それが「あっ」……って。何だか似つかわしくない「やっちまった」的な響きを含む呟き……?
僕が黙っていると、頭上から続けて「あらら」「どうしようかしら……」などと聞こえてくる。何か不都合な事でも起こったのか……その間も車椅子は前に進んでいるが。
思い切って、訊いてみる。
「なぁ……どこに連れていくつもり……」
その言葉が終わらないうちに、彼女は
「あ、申し訳ございませんでした。不覚です」
と。
なんだそれは。
思わず全身の力が抜けた。やや混乱したまま、「申し訳ございませんでした」と「不覚です」が頭の中を「あ、」という、これまた気の抜ける感嘆詞と一緒に飛び回って……再構成された。謝罪されている? 何に対しての「謝罪」? ごめんなさーい……すぃませェん……申し訳ございませんでした?
一旦、深呼吸。
吸って……吐いて……と繰り返していると、未だに「あらら」と一人で困惑していた女が、ようやく僕に言葉を掛けてきた。
「えー……人拐いのような真似をして申し訳ありませんでした」
「…………」
「えぇと、貴方と少々折り入って話したい事がある、と……我が主の命を受けまして、ご無礼とは知りつつもここまでご案内させて戴きました……わたくし、当家の使用人を束ねております『十六夜咲夜』と申します……本来なら色々と段取りやら口上やらがあったのですが、見事に記憶から吹き飛んでおりました。誠に失礼いたしました」
「いや、それより……阿求たちと一緒に、というわけには行かなかったのか?」
こいつ、実は相当トボけた奴なんじゃあないだろうか。
困惑しつつ問い掛けると、ややあってから答えがあった。
「はい……貴方に会うこと、それが今の我が主の最大の興味であり、関心の核に位置しているようです……もちろん、阿求様を初めとした他の方々にも話を伺うことになっておりますが、まずは貴方から、ということでしたので……」
「それは……」
いまだ姿を見せない館の主……その関心が僕に向いている……
二の句が継げないままに黙りこんでいると、背後で頷く気配がした。
「我が主は……貴方の出現から始まった、散発する怪事……奇妙な出来事の兆候が見え隠れしているこの土地を盤上に見立てて真相を探る『推理ゲーム』をなさるおつもりのようです。……あの方はきっと、常人の考えなど到底及ばないところで思考を巡らせているに相違ないでしょう……」
ただひとつ言えるのは、と彼女は締めくくった。
「これは『暇潰し』です。あの方の前ではそのつもりで、しかし失礼のないように振る舞うことをお願いいたします。繰り返しますが、これは『暇潰し』に過ぎないのです」
僕は一層絶句した。襲ってきたのは、あまりにも大きな衝撃を叩きつけられたような感覚だった。
怪事……僕が目を覚ましてから起こった? そして、これがゲーム……
頭の中はぐちゃぐちゃで、どうしようもないぐらいの不安と疑問が渦巻いていた。なのに……それに反して、身体の何処かが疼いている。
「前へ進め……」
「前へ進め……」
「正しい選択を……」
あぁ、頭がどうにかなりそうだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
薄暗くなっていく回廊……肌を粟立たせる冷たい空気……どちらにせよ、今の僕に「進むか」「退くか」を選ぶ権利はなかった。背後の女、僕の心の奥底、僕の身体、全てが声もなく僕を運んでいく。通りすぎていく、幾つものドア……タペストリー……ドア……ドア……
「……わたくしの案内はここまでにございます」
……止まった。
磨きあげられた、黒檀の扉。金色のノブ……その場所は、今まで通り過ぎてきた沢山のドアと、よく似ていた。だが、その前に身を置いた瞬間、僕は直感で理解した。この部屋に……
不意に足下でカタカタと音がした。見ると、僕の細い脚が……動かないそれが、細かく震えていた。
「お嬢様……客人をお連れしました」
ノックの音、それに続く女の声に顔を上げると、目の前に人影があった。
そこに立っていたのは、やや長身の女性だった。カチューシャで纏められた、銀を撚ったような頭髪。顔の両脇で垂れる三つ編み。長い睫毛の奥に深青の眼。紅の差した白い貌……
「どうぞ、お入り下さい」
彼女はすでにドアを開き、こちらに頭を下げていた。言われるがままに進み出で、敷居で立ち止まる。部屋の中はほの暗く、細部までは見えない……不安を感じてもう一度振り返ると、すでに彼女の姿はなかった。
茫然と佇んでいると、部屋の奥から若い女の声が響いた。
「ふむ、あなたがねぇ……いや、妙なやり方ですまない。どうしても話がしてみたかった……あの疑り深くて賢い稗田を欺くには、少々手間と細工が必要でね……さぁ、こちらへ」
その尊大な声の導くままに、僕は薄明かりの中へ進んでいく。
そして、僕は見た。
部屋の奥に鎮座した、天蓋付きの大きなベッドの上に、黒い棺桶が無造作に横たわっているのを。
そして、「吸血鬼」の正体を――
「うん、お初にお目にかかる。私が『ドラキュラ公』ヴラド・ツェペシュが末裔、レミリア・スカーレットだ」
そう言って、ベッドの上に腰かけたままこちらを見て微笑んだ彼女は、余りにも小さく、そして――この世の物とは思えない程に美しかった。
長く時間をとったわりにはあまり進んでおりません。
次回から始まるパートは最序盤の見せ処にしたいなー、などと目論んでおります。