パーティー会場には、既に多くの人々が、そしてあやかしの類いが集まっていた。稗田阿求とその一行は、その雑多な群れの渦中にある。解放感のある古風な造りのホールに満ちる、楽しげなざわめき……ここに居るものの多くが「常連」である。それは物好きな町の人々であり、(この館の主と同じく)暇をもて余した妖怪であり、また幽霊や妖精といった存在が構成する、いわば幻想郷に息づく者たちの坩堝だった。
だが、主催者であるはずの人物は、まだ姿を見せない。代わりについ先ほど、紫色のローブに身を包んだ女性が壇上に上がり、短いスピーチを披露した――「我が盟友、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットに代わって、開幕の挨拶を述べさせていただく。彼女は遅参の予定……お集まりの皆さん、存分にお楽しみあれ」――そんな内容の、本当に短い挨拶だった。「主催者不在」というあり得べかざる事態にも動じず、大抵の参加者が「いつものことか」と納得して、それぞれに杯を干していた。件の吸血鬼の傍若無人ぶりは有名である。
「……毎度ながら、豪勢なことだ」
ちょうどその辺りを飛び回っていた給仕係のメイド妖精を掴まえて、半ば強引にシャンパンを受け取りつつ、魔理沙がそう言った。割りに正装をしている人間の多い中で、彼女はいつも通りの一張羅(もちろんスペアは大量にあるようだが)である。ただ、例の山高帽やマフラーはどこかに仕舞い込んでいるあたり、少しはドレスコードをを意識しているのかもしれない。
ひっきりなしに辺りを見回していた小鈴が問い返す。
「へー、いつもこんな感じなんですか?」
「それでも面子はちょくちょく入れ替わってるが、人数も規模も、前と同じくらいだな……どっから資金が沸いてくるのやら。金づるだか金のなる木だか知らないが」
「それより、
「うん、見たことがあるから間違いない……どっかその辺に居ないか……」
二人の会話を横に聴きながら、阿求はじっと立ったままでいた。手には給仕から受け取ったグラスがあるが、その内容物は受け取った時のまま、ほとんど減っていない。
(……向こうにいるのは……あぁ、東町の商家の主人。こっちですっ転んでるのは三妖精の茶髪……扉際で談笑している二人組は命蓮寺の入道使いと毘沙門天の下っ端鼠……禁酒ってやっぱり建前ねぇ……)
「観測者」「記録者」としての習性か、阿求は出席者たちの顔ぶれを一人一人確認し、記憶の中の厚い帳簿と照らし合わせていた。これでも本人なりに酒宴を楽しんでいるつもりである。
やや危なっかしい足取りで立ち去る巻き髪の妖精の後ろ姿を見つつ、ぼんやりと思う。
(ここにいる皆、私の知っている顔……名前ばかりで)
それなのに、と……少し離れて隣に佇む車椅子を見遣る。
(ここにいる彼だけが、記憶の外にある存在のように思える……なぜ?)
ここ数日で見慣れてしまったはずの青年の姿が、阿求にはこの場で最も「未知」に近い存在のように思えた。まるで彼だけが違う時間を過ごしているような違和感が、少しずつ足元を浸していくように――
「なぁ、阿求」
気がつくと、彼はこちらを向いて緩慢に笑っていた。
微妙な恐怖のようなモノを感じながら、阿求は応える。
「何か?」
「レミリア・スカーレットというのは、人をからかうのが好きな種類なのかな? なかなか来ないけど」
「……そうですね。人を騙すことは一種、知的快楽じみたところが有ります……あの吸血鬼はその手のものを好みますからね。この遅刻で起こる効果、それも娯楽の一環として考えているのではないでしょうか……」
彼はいつもと変わらないように見える。でも……何かがずれているような気がしてならない。問いに答えながら、阿求は目の前の青年そのものが「吸血鬼の悪ふざけ」のために用意されたギミックであるような錯覚に陥りかけていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
僕の前にいる彼女は、まるで造り物のような姿をしていた。
身体の輪郭から顔のパーツ、その細部に至るまでが、非の打ち所のない「芸術品」。それも、とびっきり精巧な「人形」だ。
「さて、このままだとお互いにアレだし……そうだな、向こうのテーブルを使おうか」
そう言って、ベッドから腰を上げる女吸血鬼――彼女の紅玉の双眸は、立ち上がっても、その眼前に座っている僕の頭より少し高い程度の所にあった。極端に背の低い……幼子?
常軌を逸した、壮麗な美貌……確かにそうだったが、レミリア・スカーレット――その身体の大きさは未だ、とても小さい童女のものだった。
彼女はちょこちょこと歩き(勿論、とても洗練された動作で)、僕の前を横切って、部屋の中央辺りに設えられた、小振りの石英の円卓の方へ向かっていく。僕はそれを、言葉の無いままに見送った。小さな背中には……
「あなたに椅子は……要らないか。その車椅子のまま、空いてる場所に入って?」
肩越しに問いかけてくるそんな言葉も、見た目に似合わない優美さで、成熟した魅力が満ちていて――僕は思考する以上に実感した。この、少女のかたちをした存在は……やはり、人間ではない。
背中を飾る、あの大きな黒い翼だとか、ときおり口の端にのぞく、尖りすぎた犬歯だとか、そういったいかにも「吸血鬼『的な』」要素よりも、彼女の滲ませる圧倒的な蠱惑が雄弁に語っていた。これが人々の上に立つ悪魔の素質……というものなのだろうか……?
言われるがままに卓へ近寄ると、卓の上にワインボトルが一本、そしてグラスが二つ、無造作に置かれていた。ボトルのラベルはやや黄ばんでいた。僕がテーブルに付くのを確認して、小さな吸血鬼はボトルを取り上げた。
「こういった事を自分でするのも結構、久しぶりかも知れないね?」
誰に問うでもなく語尾を上げて言い、ソムリエナイフの代わりに長い爪を素早くコルクへ走らせる。あっという間に封が切り裂かれ、コルクが除かれる。何となく固唾を呑んで見ていると、そのうち、紅く煌めく液体が音もなくグラスへ注がれ、僕の前に差し出された。
「行儀が悪い……というのは言いっこ無しだ。まぁ今夜ばかりは許してくれ」
いくら相手が人外とはいえ、女性に、しかも子供のような見た目の彼女に酒を注がれるのは居心地の悪いものだった。それ以前にマナーに反している気がする。許してくれ……と言われたが、この場合非礼を詫びるべきはこちらなのだろう。そう考えはしたが、言葉が上手く出てこなかった。
再びちょこちょこと歩いてテーブルを迂回した女主人は、丁度僕の真正面に位置していた椅子(多分あれは陶器で出来ている)に腰を下ろし、自分のグラスを手に収めた。滑らかな動作で口元へ持っていく――淵が唇に触れるか触れないかというところで、動きが止まる。
「あぁ、そういえばこれは地下蔵から引っ張り出させたものだ。いつだったか『外』から取り寄せたんだけどね……私の所のじゃない、無銘の自家製だが、良い色合いと香気だ……はて、何年の産だったかな? ラベルは貼ってあるはずだけれど……ちょっと見てくれるかい?」
ボトルは僕の右手の側に立っていた。手に取ると、ややざらついた瓶の感触が、中で揺れる液体の音と一緒に伝わってくる。小さく黄ばんだ紙に、読みにくい掠れた文字で日付が書いてあった。「読んで?」言われて僕は、彼女の前に立ってから初めて口を開く。口の中が妙に乾いていた。
「一八九〇年……九月二十五日?」
「そうか……ふふ、百年以上も前に詰められたモノか。私のコレクションの中では割に新しい方だけどね」
百年……その数字が多いのか少ないのか、僕には判別が付かなかった。レミリア・スカーレットは何が可笑しいのか、ころころと笑った。無邪気な笑声は紛れもなく、幼い子供のもの。でも、目の前の彼女にはどうしようもないくらいワイングラスが似合っていた。
ひとしきり笑い終えた彼女は、ようやくグラスを傾け、中身を半分ほど空けた。燃えるような紅い瞳で、貴方も飲め、と促してくる。ぎこちなく口へ運んだ葡萄酒は、何だか優しい味をしているように思えた。酒のことはよくわからないけど、これは好きだな、と感じた。
何となくグラスを左右に揺らしつつ、舌の上で酒精を転がしていると、テーブルの向かい側に肘が二つ、載せられるのが見えた。思わず姿勢を正す。
「……そろそろ本題に入るけど。なぜ君を呼んだか、という事だが」
尊大さとフランクさの間で揺れる喋り方を、どうやら僕は好きになれそうだった。
頷きを返す。
「あぁ、それは暇潰しの為なんだ……怒らないでくれよ? 貴族から派生した種族のどうしようもない性でね、普通の人間が生きるために労働するのと同じように、これは私の存在に欠かせないんだ。分かってくれる?」
「今さら怒って、何か僕に得がある?」
少々挑戦的な返しをしてしまった。高貴な者に不可欠な娯楽……その理屈は頭では理解していたが、やはり少しムッとせずには居られなかった。
彼女は気にもとめず、微笑して「そういう攻撃は卑怯だよ、嫌いじゃないけど」と言い、話を続けた。
「とまぁ、そういうわけだからね。私は基本的に、面白そうだと思った事は取り敢えず試すことにしているんだ。地面の底から記憶喪失の男が発掘された。幻想郷でもめったに起こらないような、少々奇抜な事件……そしてその、掘り起こされた彼と話がしてみたかったの。単純な興味――だからこれもいつもと同じ、『ただの遊戯』……そういうつもりだった」
そこで彼女は一旦口を閉じ、右手に持つグラスを揺らした。やや橙色のかかった部屋の明かりに反射して、それは複雑な輝きを見せている。その光を見つめているうちに、自然と言葉が口を突いて出た。
「それで……どうだろう?」
「なにが?」と可愛らしく首を傾げる彼女に、僕は再び問い掛ける。
僕にとって、今一番大事なこと。
「どうだろうか……僕には、君の暇潰しになるくらいの価値がある? 今、そしてこれから先……僕は何かをやり遂げる事が出来るんだろうか? 君には、僕にそれだけの素質があるかどうか見える? 僕には自分が解らないから……」
レミリアは曖昧な表情のまま、傾けたままだった首を元に戻した。
「その判断を運命に任せる、と?」
「……出来ることなら、自分自身の脚で確かめたい。記憶を掘り起こして、脚を治して、それで……」
「それで、どうする?」
そうだ。
僕は――僕は、どうしたいんだろう。これまでにも何回か、そのことについて考えてきた。でも結局、結論は出ないままで、僕は彼女の目の前に一人で座っている。
何のために?――僕が、「僕」だった頃を取り戻すために。
何のために?――記憶の端に見え隠れする、あの暗い影を取り除くために。
何のために?――あるはずのものが無い。その隙間を埋めるために――
「僕は――前に進むことで、あるべき姿に戻りたいんだ――と、思う……」
精一杯の結論だった。
前進と回帰……本来両立しない二つは僕にとって、同じ意味を持っている。
身体のどこかが小さく叫んで、弱々しい、けれど確かな力が沸き上がってくるような感じがして、その勢いに任せて僕は前を見据えた。
大きな紅い双眸が僕を見つめ返して、こう言った。
「私が思うにね、貴方には、求める場所へ辿り着くだけの力がある。それを『価値』と呼ぶのなら、貴方には『価値』がある。私にとっての価値なんてものは、この際どうだって良い。そうでしょう?」
「君は自分で勝手に『楽しみを見つける』ってことか?」
「そう。そしてその『娯楽』は、どうやら大掛かりな物になりそうね」
パチン、と指を鳴らして、レミリアは立ち上がった。そうして僕の方へ少し近づき、今度はテーブルの上に腰を下ろす。
「少し、私の『予感』についての話をしようか。ワインもう一杯要る?」
「もらうよ。でも今度は僕がサーブする。君も飲むなら、だけど」
「うんうん、分かってるねぇ。……でも、少し待って」
今度はワインボトルを爪で弾いて、再び立ち上がる。かと思うと、テーブルの周りをゆっくり歩き始めた。気分が高ぶってきたのか、随分と忙しない様子だ。
「貴方の件も非常に重要なパートなのだけれどね、それ以上に何か、少しずつ何かが私の中で『ずれて』来ているんだ。それもごく最近から。こんな気分、味わった事がない。とっても面白いなぁ、って」
もっとも、まだ一つとして具体的じゃあないけどね、と彼女は指を立てる。
「屋敷の中に何かがいる。メイドの妖精連中じゃない。下僕のゴブリン共でもない。使用人長の咲夜――さっきのメイドね――とか、日陰者の知識人とか、変な方向に出来の良い妹とか、そういう見知った気配とはもちろん違う。もっと弱々しい、それでいて薄ら寒くなるような、気味の悪い奴がいるような気がしてならない……見つけることは出来ない。それには弱すぎる。確認しようにも、不確かに過ぎるんだ――他にもあるわ」
テーブルの縁に指を這わせながら一周して、また僕の隣に戻ってくる。
「幻想郷の何処かで、小さな事件が起こる。それ自体は全然大したことじゃない。けれど今は違う。『それらは全部、同じ色の糸で結びついている』――そう囁いて、被害妄想的な思考が跳ね回る。そう思わせるだけの何かが、空気の中を薄く漂っているの。そして……その糸はきっと」
指の腹を上に向けて、紅い悪魔の人差し指が僕を指し示した。
「貴方が現れた、その事から始まっている。だから、真実を知るために……貴方の記憶は重要なパズルのピースになりうる、というわけ」
僕は混乱し、困惑した。
やはり、この幻想郷で何かが起こっている? それは理解出来た。でも、その原因が僕に結びついている、だって?それは――分からない。僕が何かしたから? もしくは何かをしなかったから、こういうことになった?
でもどちらにしろ、どうしようもない。だって、僕は「なにも知らない」んだから――今は、真実にたどり着くことは出来そうにない。
「貴方の記憶が無いのは知っている」
でも彼女は「真実にたどり着けない」……そうは思っていないようだった。
失われた記憶を「思い出せ」とは言わずに、代わりに吸血鬼は言う。
「だから、貴方の『価値』に――『力』に訊く。貴方の心が、魂が何処を通って来たのかを。精神の奥底に眠るモノを探し出す。そういう方法がある」
思わず顔を上げて仰ぎ見ると、凄まじく精巧な人形のような顔が、僕の顔のすぐ側にあった。
「……どうやって?」
早くなる鼓動を感じながら問う。答えは迅速だった。
「その『精神の形』に――【爪】に訊くのよ」
僕の膝の上で、それは小さく縮こまっていた。
あの、小動物か鳥の雛を思わせる姿をした精霊。暗い森の中で僕を勇気づけ、守ってくれた守護精霊。これが――僕の『精神の形』?
「問うてみなさい。貴方のことを誰よりも知っているはずよ」
レミリアに命ぜられるまま、そのおぼろげな存在を見つめる。何かに怯えるように身を小さくし、震えていた「それ」が――【爪】がゆっくりと顔を上げ、小さくて真っ黒な瞳をこちらに向けた。
【Movere crus】
脚を動かす……あぁ、そうだ――だからそのために、少しだけでいい、僕の事を教えてくれ――
その瞬間、激流が頭に流れ込んできた。
不明瞭過ぎて意味を為さない、単語や会話、文字、文章――大量の何かが、僕の脳髄の中をめちゃくちゃに掻き乱していく――苦しい。叫びたい。叫んだかもしれない。何も聴こえず、見えもしなかった。
そして――数万、数億とも思えるイメージが過ぎ去った後に残ったのは――小さく、古ぼけた感じのする文字。僕は一切の音と光のない世界の中でそれを見つめた。
【STEEL BALL RUN】
暗闇が弾け、眩い光が広がってゆく。
視界が真っ白に染まりきるその瞬間、僕の手に小さな手のひらがそっと重ねられた。
表題はお馴染みQueenの代表作「Killer Queen」から。
レミリアはこの曲の普遍的なイメージに合わせていきます。
なお例のスタンドとは全く関係が有りません。