再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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遅ぅなりました。






#31 Hello,world!! (あなたと、わたし)

 屋敷の門から一歩踏み出せば――といっても、僕には足はないが――小さな通りに出る。目の前の平地には、家、畑、家、湿田といった具合の景色がずっと広がっている。この阿求の家は、里の中心部から少し離れた場所にあるらしい。人家はぽつぽつと点在する程度だった。

 しばしぼうっと門前に立っていると、幾人か人通りがある。若い男が二人、暇そうにのんびり喋りながら通り過ぎていく。荷車をガラガラ牽いた中年の男が急ぎ足で横切る。道の向こうを歩く、赤ん坊を背負った農作業着の若い女の人が、こちらにちらりと目をくれたが、すぐに前を向いて歩いていく。柄にもなく、僕は緊張する。人々の日常の中にたった一人で分け入って行くのは、少し恐ろしかった。しかし、行かなきゃいけない。そんな、ちょっとした覚悟を決めて、僕は車輪を進める。屋敷の塀に沿って、左手――里の中心部へ向かう方角――に進んで行く。

 

 舗装されていない、土の路面。風が吹けば砂が転がる。車椅子の車輪の下から、ひっきりなしにガリガリと砂を噛む音が聞こえる。ちょっとでこぼこしているけど、ここが地面の上であることを感じられて、何だかわけもなく嬉しかった。この道を自分の足で踏み締めて歩く事ができたら、どんなに気持ちいいだろう。他の人にとっては当たり前の事でも、「歩く」こと……それ自体が羨ましくて仕方がなかった。道行く人々を横目で見ながら……そんなことを考えながら……僕はただひたすらに車輪を回した。

 

 

 十四、五分ほどそうしていると、道の両脇に並ぶ建物の数がだんだん増えてきた。それに伴って、人通りも多くなる。街路にはいつの間にか柳がしだれかかっていて、どこからか合流した細い運河沿いにずっと続いていた。木箱をいくつか積んだ小舟が、浅い円錐形の妙な帽子(カサ? っていうのかな)を目深に被った船頭に操られて、ゆっくりと川面を滑っていく。水は澄んでいるから、空の色を写して、深い青に染まっていた。

 車輪を繰る手を止めて、川辺の柳の下で一休みしてみる。一メートル下の水面を覗き込んで見ると、小さな魚の影が群れを成して、水底を舐めるように泳いでいるのが目に入った。僕の影がその上に架かると、蜘蛛の子を散らすようにパッと散り散りに逃げてしまう。上流から優雅に泳いできた鴨のような水鳥が、僕には目もくれずに目の前を気ままに流れていく。足元の下生えからぴょこんと飛び出して来た緑色のカエルが、鳥の通った隙を見計らって運河に飛び込んで行った。水音がちゃぽん……と小さく響いて、同心円状の波紋が広がっていく。

 

 それをずっと見ている。青に揺れる水面に吸い込まれる気がして、目が離せないでいる。昨日の夜に、あの霧の湖で見た、水鏡に映る星の海が思い起こされた。あれは一瞬で僕の目とこころを奪ったが、これら(・ ・ ・)は自然と吸い寄せた。どうしてこうも草木は、水は、星は、生き物は――心地良いのだろう。こういう気持ちに浸ることを、もしかしたら「童心に帰る」って言うのかもしれない。僕には思い出がないけれど、きっとそうだ。

 

 どれくらいそうしていたかは定かではない。気がつくと僕の身体は自然に――「吸い込まれた」時と同じように――岸辺を離れて、往来に戻っていた。再び人の群れの中に混ざりながら、僕はふと一つの答えに行き着いた。どうやら、生きるのに精一杯な時には気づけない、大事なことがあるらしい。

 ここのところはずっとそうだった。何がなんだか分からないままに振り回されて、色んな人や、人でないものと出会って、記憶の体験を追いかけて……いつも必死にしがみついていた。それはまだ終わっていない。けれど、今は少し余裕が出来ている。視て、聴いて、感じるだけの時間がある。

 たったそれだけで、こんなに世界が新鮮で美しい。

 僕はちょっと泣きたいような気持ちになった。その感情の正体がよく分からないままに。

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 「ぬぅー……」

 

 

 四方の壁を本に囲まれた、薄暗い室内。

 カウンターテーブルに突っ伏した少女が、人知れず呻き声を漏らした。

 里の貸本屋、鈴奈庵である。

 

 

 (……あたまいたい)

 

 

 飴色の髪の少女、本居小鈴は頭痛に悩まされていた。

 今朝方、いつもの布団の中に自分を見出だした時から、ずっと続いている。頭蓋骨の内側の広い範囲が、鈍い痛みを訴えていた。昨日のパーティーのことを思い出して、飲みすぎたのかなぁ……と反省して、そもそもどうやって帰ってきたのかさっぱり覚えていない自分に、小鈴は驚いた。朝食の席で父が言うには、「あの有名な霧雨のお嬢さん」が、酔い潰れた小鈴を連れ帰って来た……のだとか。

 

 (うーん、というかそもそも私、お酒はあんまり飲んでないんだけどなぁ)

 

 伏したまま内心首を傾げつつ、小鈴は昨晩の出来事を思い返そうとするが、上手くいかない。阿求が青年を捜しにステージへ行ったあたりから、記憶が曖昧なのである。

 

 (あの人が見つかって……そのままステージの下で……駄目だ、わかんない)

 

 しばらく頭痛と戦いながら記憶を辿っていた貸本屋の一人娘であったが、思うように記憶を掘り起こすことが出来ない。そのうちに思考は別の宇宙を彷徨い始めた。

 

 (結局、ちっちゃい吸血鬼さんは、あの人と話をしたのかしら)

 

 

 小鈴は彼女なりに、吸血鬼レミリア・スカーレットの「気まぐれパーティー」が行われた、その本当の理由に当たりを付けていた。あの手紙……数日前に自分自身が書いた手紙だろう、と。

 【彼の正体を見極めて下さい】、そう綴った。依頼を承けてくれたからこそ、私と彼はパーティーに呼ばれたのだ。

そうでなければ、わざわざ招待状など送りつけてくるものか。阿求や魔理沙はともかく、こちらはしがない古本屋の小娘、そして何処の馬の骨とも知れない外来人の男である。

 

 

 (それはそうなんだけど、結局どうだったのかしら)

 

 

 本当にレミリアは依頼を遂行してくれたのだろうか。そのようなそぶりは全くなかったが、本当に彼女は青年を「見極めた」のだろうか。答えを確かめるすべはない。小鈴は起こしかけた顔を再びカウンターテーブルへ伏せて、痛む頭を押さえる。その時だった。 

 

 暖簾に吊り下げてある鈴が鳴った。もちろん来客のしるしである。

 思えば今は開店中。小鈴は身を引き締めた。

 

 「いらっしゃいませー」

 

 目を擦りながら戸口を見れば、逆光の中に浮かぶ、車椅子に座るシルエットがそこにあった。思わず目を見張る。里でこのような影法師を見たことはほとんどない。あの青年を除いては。

 名前のない青年。

 小鈴はすぐさま立ち上がった。

 

 「やぁ……えぇっと、こ・す・ず……だったよね、君の名前は」

 

 キコキコという車輪の軋む音をさせながら近づいて来る男の声も、顔も、差し込む昼前の光でよく見えない。小鈴はようやく言葉を絞り出した。

 

 「え……あ、はい。本居小鈴です」

 

 青年は小鈴の前まで来て立ち止まると、やや躊躇したのちに言った。

 

 「そうか。僕は……ジョニィ。ジョニィ・ジョースター」

 

 思わず小さく息を呑んだ。

 目の前で恥ずかしげに微笑する青年は……彼は……

 小鈴は言葉を選ぼうとして上手くいかず、曖昧な数音が唇からこぼれた。

 

 「あの……えっと……」

 

 「僕もまだ、掴みきれてない。でも、あの(ひと)と……レミリア・スカーレットと会ったら、ほんの少しだけ戻ってきたんだ。名前と、あともうちょっとが」

 

 小鈴は、あの吸血鬼が依頼を果たしていたことを知った。

 彼は記憶を――僅かだが――取り戻したのだ。

 だが――

 

 「もうちょっと?」

 

 「そう。大事な『もうちょっと』が。話せば長くなるんだろうけどね――まずは改めて、よろしく」

 

 差し出された手を、小鈴は恐る恐る握った。大きくて温かい手のひら。

 それに触れた瞬間彼女は、心のどこかに氷塊のように固まっていた、青年に対する不信感が熔けてゆくのを感じた。今までは名前も知れぬ、どこか気味の悪い存在だと感じていた。それが今、彼の顔を、表情を、目を見たことで、一気に消えていくのが分かった。

 

 (そっか。この人は……)

 

 私たちと同じ、血の通った人間なんだ。

 なんとも言えない、漠然とした感覚。けれどもそれは確信に近かった。

 突然芽生えたその確信は、決して一過性のものではない。そんな気がした。

 

 (大丈夫なんだ)

 

 この人は怖くなんかない。

 私たちと同じ――

 

 

 「……ねぇ、そろそろ離してくれない?」

 

 「あれ? うわゎ、ごめんなさい」

 

 

 気づけば、彼の手を握ったまま暫く固まっていた。気恥ずかしさに頬が少し熱くなるのを感じながら、小鈴は慌てて手を引っ込めた。青年はふたたび口の端で笑い、「いいんだ」と首を軽く振る。それから口調を変えて言った。

 

 「阿求に外出の許可を貰って、街を見て回ってた。そしたらここの看板が目に入ってさぁ。この……ガイドブック? みたいなやつに貸本屋って書いてあったから、もしかして……と思って寄ってみたんだけど……急にゴメン。びっくりさせたかな」

 

 小鈴は「とんでもない」と首を振った。

 

 「いえいえ! 本しかないところですけど、ゆっくりしていって下さい」

 

 営業スマイルを貼り付ける間もなく、小鈴は頭を下げる。

 頭上で苦笑する気配がした……ような気がした。

 

 「うーん……僕、難しい漢字は読めないからなぁ」

 

 「むしろ簡単な漢字は読めるんですね」

 

 「どこで覚えたのかは分からないけど……言葉も分かるし、案外この『ニホン』って島に居たことがあるのかもな、ジョニィ・ジョースターは」

 

 他人事のように呟いてから、青年は車椅子の向きを変えて書棚に近づいていった。その背中に「何かお手伝い出来ることがあれば、呼んでくださいね」と声を掛けて、小鈴は再びカウンターの後ろの椅子に戻った。

 

 

 (ふぅ)

 

 

 心の中で小さくため息をついて、深く椅子に身を委ねる。

 手のひらの内側に、まだ彼の手の温かみが残っていた。それをもう片方の手の指でそっとなぞりながら、ふと小鈴は考えた。

 

 

 (……この感触……なんか、覚えがあるような?)

 

 

 彼女は記憶を辿っていく。

 誰かの手……自分の手のひら、たまに触れる阿求の冷たい指、霊夢の繊細な指、ちょっと傷跡があって固めの魔理沙の手のひら、よく遊びに来る近所の子供たちの紅葉のような手のひら……どれも違う。

 そもそも人の手に触れること、それ自体あまり多いわけではないことに気づき、小鈴はなんとなく寂しい気分になった。その時突然、小さな稲光のような閃きが、小鈴の記憶を過った。

 

 まだ物心もつかぬ頃の自分。

 いつでも側に居てくれて、私のことを見ていてくれた。

 時たま手を握って、散歩や買い物に連れていってくれたのは――

 

 

 (……お父さん……?……)

 

 

 小鈴は自らの頭を疑った。

 今も元気に生きている父(現在は営業と本の回収で外出している)と、そこにいる外来人の青年とでは、余りにも違いすぎる。外見も、物腰も、性格も、何もかも。

 それなのにどうして、あの手のひらは父を想起させるのだろう。

 暫く考えて、小鈴は一つの結論にたどり着いた。

 

 

 (うーん、「安心感」かなぁ?)

 

 

 むしろ、それくらいしか共通点は無かった。

 彼の手を握ったときに流れ込んできた熱が、幼き日の父の思い出と重なったのかもしれない。

 あるいは、彼の父性が?

 

 

 (……ないわー。いや、ないわー)

 

 

 小鈴は何故か意味もなく落ち込んで、先程の如くカウンターに突っ伏した。

 考えてみればおかしな話である。相手は先日知り合ったばかりの外来人であり、どこか子供っぽい印象すら受ける若者なのだ。それがどうして父と重なるのか。「バカげた連想ね」……飴色の髪をわしゃわしゃと掻き回してぶつぶつ唸る小鈴であった。

 

 しばしそうして煩悶としていると、本棚の間から僅かに木の擦れる音がして(車椅子の車輪が床と擦れる音だろうか、と小鈴は想像する)、店の奥から青年が姿を現す。その手には一冊の本があった。

 

 

 「あ、借りて行かれますか?」

 

 

 この台詞は親切心半分、商売根性半分で出ている。直前までカウンターにへちゃっと平たくなっていた貸本屋の娘はすぐさま立ち上がり、青年の元へと駆けて行く。青年は小鈴の勢いに少々困惑しつつも、軽く頷いた。

 

 

 「読めそうなのがこれくらいしかない」

 

 

 「さっきも言ったけど、漢字はよく分からないんだ」そう言って彼が差し出した本は、古めかしい革装丁の洋書で、背表紙に刻まれた金文字の表題すら読み取れないほどに、ぼろぼろだった。小鈴は懐から眼鏡を取り出して掛け、やや黄ばんだその本のページを繰る。横書きの活字を追う目が、興味深げに光る。

 

 

 「へぇ、戯曲集ですか? こんなのもウチにあったのねー……作者が……えーっと……『しぇーくすぴあ』? 聞いたことある名前かも。有名な人なんですかね?」

 

 「僕も聞き覚えがあるだけで、よく知らないんだ。でも、ちょっと読みやすそうだったから。借りてみてもいい?」

 

 

 小鈴は勿論二つ返事で了承した。テーブルから貸出台帳を取って、書名と日付を記入する。貸出先には「稗田阿求」と勝手に書いておく。この方が楽だと割りきっている。

 

 

 「……はい、完了。貸出期限は基本的に一週間です。自分で返しにいらしてもいいんですけど、どのみち阿求の所にはしょっちゅう行きますから、ギリギリまで持っていても大丈夫です。あ、今お金あります?」

 

 「阿求が持たせてくれた分なら。『少ししかない』って言ってたけど、足りるかな」

 

 

 彼が差し出す巾着袋を「どれどれ」と覗き込んだ小鈴は、心の中で「うへぇ」と呟いた。何が「少し」なものか、一般労働者が半月ほど汗水垂らして働かねば得られないような額が、袋の中には入っていた。

 「阿求、あんたやっぱりズれてるわ」小鈴は口の中で呟いて、袋の中から硬貨を三枚だけ取り出した。

 

 

 「この『こいん』が『百』で、こっちが『十』ですから、十分です。ありがとうございました」

 

 「そっか。分かった。……また、来るよ」

 

 「はい。お気をつけて……ジョニィ、さん」

 

 

 青年は照れくさそうに笑った。

 

 

 「変だな、自分の名前なのに、何か恥ずかしい気分だ」

 

 「きっと慣れですよ。そのうち馴染んでくるんだと思います。元はあなたのものですし、これからはずっと一緒なのですから。わたしが本居小鈴であるのと同じように」

 

 

 そうであってほしいものだ。小鈴は――ぼんやりとだが――嘘いつわりなくそういう気分になった。この青年、ジョニィ・ジョースターの前途に幸あれ。ふと、そんなフレーズが頭に浮かび、すぐに消えていった。あとには、どこか神聖な響きが残った。

 青年はもう一度「また来る」と言い残し、暖簾をくぐって往来へ出ていく。

 彼が去った後の、ほんの少し温度が下がってしまった空間に小鈴は一人で立ち、心に留まった彼の残像を、暫くの間見つめていた。

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 …………♪

 

 「いらっしゃいませー……あ、魔理沙さん。昨日はすみませんでした。送ってもらって……」

 

 「おう、小鈴。来て早々謝んなよ……お前は軽かったが、なにせ距離が距離だ。手間賃寄越せとは言わないが、ちょいとキツかったなぁ」

 

 「ほんと、ごめんなさい。途中からなぜか記憶が曖昧でして」

 

 「ま、まぁ仕方ないな。吸血鬼の宴会ならそういうこともままある……で、だ」

 

 「どうしました?」

 

 「お前、何故嬉しそうな顔をしているんだ」

 

 「……なんでもありません。さっきちょっとだけ、愉快なお客さんが来ただけです」

 

 「ふーん? 私とどっちが愉快かな?」

 

 「面白いのは魔理沙さんですけどね。そういうのじゃあないんです」

 

 「腑に落ちないなぁ。誰だよそいつ」

 

 「うふふ。お茶淹れてきますね」

 

 「あれ? おーい? なんではぐらかすんだよー?」

 

 「紅茶には牛乳ですか? 砂糖ですか?」

 

 「……両方頼む」

 

 

 

 









進捗度合いなんぞありません。ノってきたら仕上げるぐうたらです。
次回は変な子が出てきます。変なTシャツヤローは出てきません。
もう少し頑張って急ぎます。
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