再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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セントエルモの火 (前編)

 

 

 

 障子の向こうから雨の気配がして、僕は顔を上げた。寝転がったまま読んでいた本を伏せて起き上がり、寝室として使わせてもらっている部屋の、中庭に面した障子を少し引く。細かい雨粒がぱらり、ぱらと庭の草葉を弱々しく叩いていた。困ったな。今日は鈴奈庵に本を返しに行く日なのに。

 

 五月も半ば。あれだけ美しさを誇っていた桜は、咲いた時と同じように、二日間ですっかり散ってしまった。それからもう、一ヶ月近く経ってしまった。花とかそれにまつわる出来事とか、昨日のことのように思い出せると僕は思っているけれど、だんだん細部がぼやけてきて、ただ漠然としたイメージが残りつつある。人の記憶なんてこんなものなのかもしれない。

 

 日本の古語というか古い暦では、五番目の月のことを「皐月(さつき)」と呼ぶらしい。でも、その呼び名が付けられたのはもう何百年も昔のことで、そのころと今では暦の数え方が違うから、厳密には皐月と呼びがたいのだとか。阿求から教わった。最近、彼女の空き時間を割いてもらって、勉強の真似事のようなことをしている。日常生活を送るのに十分な知識を身につけるためだ。いつまでも字が読めないようでは困るから、と阿求は言う。心遣いがありがたいような、少しむず痒いような。

 

 しばらく弱々しい雨脚の様子を見た後、畳の上の本を拾い上げ、枕元の風呂敷 (ただの布切れだが、便利だ。使い方さえ分かれば用途は多岐に渡る) に包む。部屋の隅に這って行き、置いてある車椅子によじ登った。今ならまだ雨は強くないから、急げば大丈夫だと思う。ぐずぐずしていると道に水溜まりが出来るかもしれない。そうなったら悲惨だ。車椅子の車輪が泥に捕まってしまう。あぁ、本当にこいつ(車椅子)は不便だとも。僕以外の人には分からない悩みだろうけど。

 

 廊下へ出て、書斎へ向かう。ここに来て間もない頃は、しょっちゅう迷路のようなこの屋敷の中で迷ったものだけれど、もういい加減覚えてしまった。難なく書斎の前へ辿り着く。僕は一呼吸置いてから、閉まっている襖の向こうにいるであろう彼女に声を掛ける。

 

 

 「出てくるよ」

 

 「ふーん。何処へ?」

 

 「本、返さないと」

 

 「そう。傘は下駄箱の横だから」

 

 「分かった。行ってくる」

 

 「行ってらっしゃい」

 

 

 中で書き物でもしているのか、ちょっと生返事気味だった。

 彼女のくぐもった声を背にして、僕は玄関に向かう。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 いざ外に出てみると、僕を迎えたのは、傘なんて要らなかったんじゃあないかと思うくらいの小雨だった。時折小さな水滴が頭や肩に落ちてくるのを感じる程度で、これは心配し過ぎだったかな、と拍子抜けさせられる。肩に引っ掛けていた傘は、すぐに畳んでしまった。

 雨は鈴奈庵に向かっている間に強まったり……ということもなく、結局身体は乾いたままで店まで辿り着いた。たった一冊の本を大事に風呂敷に包んで、傘まで持ってきたのがちょっと馬鹿らしい。

 

 それでも小雨のせいか、店の前の通りはがらんとしている。ここに来るまでの道にも、人通りは少なかった。

 

 暖簾をくぐり、引き戸を開けると軽やかに鈴が鳴る。どうやらこの音には、店に入る者の心を落ち着ける効果があるらしく、聴くと自然に「ほっ」とため息が出る。別に何てことはない、ただの鈴なのだろうけど……店の中に漂う少々不穏な気配も、慣れてしまえば好ましい。むしろ、それらの不穏さが鈴の音と一緒に口を揃えて「今日も面白いものが見つかるぞ……」などと教えてくれているようにも思える。

 

 正面のカウンターに人影はない。卓の上に置いてある蓄音機 (覚えている。僕の時代には既にあったのか?) が、小さな音で、誰かの歌を垂れ流していた。軽快なドラムとピアノ、澄んだコーラスの色気。歌詞はよく分からない。彼女こそキラー・クイーン、だとか何とか。なんとなく、あの小さな吸血鬼に似合いそうな詞だな、と思う。この上なく危険で、どうしようもなく優雅で、言いようもなく素晴らしい彼女にピッタリの言葉……

 

 辺りを見回しても、店内には誰も見当たらない。本当に営業中だったのだろうか? いや、表に休業の札はなかったはずだ。蓄音機も掛けっぱなしだ……テーブルの上に呼び鈴が付いている。鳴らしてみれば、小鈴かそのお父さんか誰かが来るかもしれない。戸棚の間を進み、カウンターへ近づく。

 壁際に備え付けられたソファーの横を通り過ぎた時だった。

 

 

 「……小鈴なら奥だよ」

 

 

 不意にソファーから聞こえてきた、聞き覚えのある少女の声。

 

 

 「マ……理沙か」

 

 「うん」

 

 

 霧雨魔理沙はソファーに寝転がり (なるほど、見つからない訳だ。ソファーは入り口に背を向けている)、けばけばしい色をした表紙の本を読んでいた。どろどろした装飾文字で「学校の怪談」と書かれている本だ。魔理沙は口をへの字にして、目を半分くらい開けた眠そうな顔で本のページを見上げている。ソファーの前のテーブルには、紅茶の香気を放つティーカップが一つ、湯気を立ち上らせていた。

 

 

 「奥って……何やってるんだ?」

 

 「在庫整理だとさ。今朝、外来本の入荷が大量にあったらしくてねー。私が来たときも『整理がもう少しで終わるから』って言って、直ぐに奥へ引っ込んじまったよ」

 

 

 茶だけでも出してくれたのは有難いことだ、と魔理沙は言い、「よっこらしょ」とソファーから身を起こした。わずかに乱れた蜂蜜色の髪をくしゃくしゃかき回して、伸びを一つする。

 

 

 「んー……お前こそ何しに来たんだよ」

 

 「本を借りてたから、返しに」

 

 「ふーん。マメだなぁ。霊夢なんぞ延滞しっぱなしだっていうのに」

 

 「あの娘……あの人も本、読むのか」

 

 「そりゃ、人並みにな。あいつも……」

 

 

 つまらなさそうにそう言うと、魔理沙はまた本を立てて読み始めた。そのテーブルの一角を使っていいかどうか訊きそびれた僕は、のろのろとカウンターに向かい、返しに来た本をそこに置いた。店の中は相変わらずどこか虚ろで、外から聴こえてくる小さな雨の音と、蓄音機に住んでいる誰かの歌とが、本棚と本棚の間にくぐもって響いている。そこへ時折、魔法使いの少女がページを捲る音が加わる。

 そんな、ぽっかりと穴の空いた時間がしばらく続く。

 

 カウンターの上で歌っていた蓄音機の針が、レコードから離れた時だった。

 

 

 「……そろそろ行くか、ジョニィ……ジョースター」

 

 

 魔理沙の低い声。僕は振り向いた。彼女はいつの間にか本を脇に打ちやって、ソファーのひじ掛けにもたれながら、僕の顔をじっと見ていた。何か探るような、推し量るような目をしていた。

 僕は息を吸い込んで、言葉を選ぶ。口の中は乾ききっていた。

 出てきたのはたったの一語。

 

 

 「……どこへ?」

 

 「……森だよ。忘れちゃいないだろう」

 

 

 ふーっ、とため息をついて、彼女はテーブルの上のティーカップをソーサーごと手に取った。

 

 

 「お前の身体も随分良いようだし、そろそろ頃合いだと思うんだ。どうせ始めるなら早いほうがいいに決まってる……お前だってそうだろう?」

 

 

 なぜか、言葉が見つからなかった。

 ようやく「その時」が訪れたことが、嬉しかったんだろうか。怖かったんだろうか。

 僕はただゆっくりと頷いて、もう一度彼女の唇が開くのを待った。

 

 

 「明後日……いや、阿求の許可が取れれば明日にでも行こうか」

 

 「……あぁ」

 

 

 逸る心臓の鼓動と息苦しさを感じながら、僕はやっとそう言った。

 魔理沙はしばらく僕の顔をじっと見ていたが、そのうちぷっと吹き出した。

 

 

 「何だよその青い顔は。そう、それ。その『いざ倒れ逝くその時まで』戦おう、みたいな顔だよ。死地に赴くわけじゃないんだからさぁ。こりゃ遠足であって、妖怪退治なんかじゃない」

 

 

 その証左に、小鈴も連れて行こうかと思ってるんだ。親御の許可さえあればな。

 魔理沙はそう言ってティーカップを置いた。明るい陽の光のような笑顔。この顔を見ただけで、ふっと頬が緩む。どんな時でも、霧雨魔理沙が居れば大丈夫だ。彼女の笑顔はそのサイン。

 

 

 「慈善事業じゃないんだからな。しっかりやることはやってもらうぜ」

 

 

 その笑んだ横顔を見て、言葉を聞いて、僕は本当に安心できた。

 

 

 「お待たせしましたー……っとっと」

 

 

 その時、店の奥の方から軽やかな少女の声が聴こえたかと思うと、すぐに本居小鈴が姿を現した。僕を発見して、びっくりしたように「い、いらっしゃいませー」。そして、僕と魔理沙を交互に見てこう言った。

 

 

 「えー……っと、なんのお話ししてたんです?」

 

 

 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 

 

 小鈴の両親はすぐに許可を下ろした。「霧雨のお嬢さんが一緒なら」とのことだった。本当にこの魔理沙という少女は、顔が広いというか何というか、里の人間の信頼を勝ち得ているらしい。きっと彼女の朗らかな人柄と、強さがそうさせているのだろう。僕はまだ、彼女が戦っているところを見たことはないが。

 

 問題は阿求の方で、説得には少々手こずるだろうと予想された。ちょっと前に許可は得ているが、いざ行くとなるとまた、僕や小鈴の安全面について色々と追及してくるに違いない。そう考えて、だから僕も魔理沙も身構えたまま、稗田屋敷の書斎へ足を踏み入れた。まず魔理沙が行程について説明をして、常に僕と小鈴に付いて行動することを固く誓った。その上で僕が嘆願するという二段構えで臨んだ。

 しかし、意外なことにも、

 

 

 「へぇ、いいんじゃないかしら。気をつけて行ってらっしゃいな」

 

 

 あっさりと許可が下りた。「身体さえ良ければ私も行くのになぁ」などという台詞も飛び出す始末で、僕らは拍子抜けしてしまった。顔を見合わせる僕と魔理沙を見て、阿求はなぜか楽しそうに微笑んでいた。

 こうなればあとは簡単で、あっという間に話が固まった。明日の昼十二時、里の外れの運河に掛かる橋で待ち合わせることになった。

 

 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 

 その日の夜は、いつもよりずっと長かった。

 幾度となく寝返りを数えた。暗い天井や部屋の隅を見つめながら明日のことを考えるたび、心臓が忙しなく脈打つ。それを何度も繰り返しているうちに、意識がとろりと溶けていった。

 

 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 

 翌日の昼、屋敷の門を出た僕を待っていたのは、昨日とはうって代わって雲ひとつない青空だった。これ以上望めないくらいの日和。僕は手ぶらで待ち合わせ場所へ向かった。何も持たないのは魔理沙にそう言われたからでもあるが、それ以前に、森へ持っていくようなものは何一つ、持ち合わせていなかった。

 僕が橋に着いたとき、橋の上には小鈴が既に待っていて、ぼうっと欄干に肘を突いて運河を見下ろしていた。僕に気づくと、彼女は朗らかに挨拶をして、こう言った。

 

 「いいお天気ですね。今日一日はずっとこうみたいです」

 

 「どうして分かるんだ」

 

 「龍神様の像を見てきましたから」

 

 里の中心部に龍 (角の生えた蛇に見える。僕の知ってるドラゴンじゃあなかった) の像が有ることは知っていた。何度か見かけたことがある。小鈴が言うには、像には不思議な術が仕込んであり、竜の眼の色がその日の天候を示すのだという。今日は青だったそうだ。

 小鈴は大きな風呂敷包みを持っていた。結び目の間から、花見の時に料理が入っていた黒い箱がわずかに見えた。昼飯(ランチ)が入っていることは想像に難くない。お昼は向こうで、という話になっていたからだ。この間の料理は美味しかったなぁ、などと考えていると、欄干に寄り掛かっていた小鈴が空の一角を指差した。

 

 「あ、アレかな? 魔理沙さん、来ましたよ」

 

 魔法使いらしく空でも飛んでいるのだろうか。指差す方を見ようとゆっくり振り返った瞬間、ひとかたまりの風が僕の顔にまともに当たり、思わず目を閉じた。何が何だかわからない内に、すぐ側でと、ととん、という足音が聴こえた。何となく分かった。「彼女」が飛んできたんだ。

 

 目を開けると、箒を片手に橋の真ん中に立つ人影。

 白いシャツに黒いチョッキとスカート、黒い山高帽。白黒の少女がその帽子のふちをくいっと持ち上げると、そこから覗いたのは麦の穂のような色の瞳。自らが起こした風になぶられる、長い黄金の三つ編みが一本。

 魔理沙は頭上の太陽のように笑んで言った。

 

 「疾風よりも疾風らしく、っと。どうだ、見てたかい?」

 

 僕はかぶりを振った。見ようと思ったら既に到着してたんだから仕方がない。

 残念だな、芸術点の高い飛行と着地だったのに、と魔理沙。芸術点、というのはよくわからなかったが、アクロバットなら見てみたかったような気もする。小鈴は見てたのかな、と横を見ると、突風に煽られて欄干に頭でもぶつけたのか、見事に目を回していた。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 森までの道程はそう長くない。十数分ほど歩いたころにはそれらしい木々の塊が見えてくる。

 道すがら魔理沙から色んな話を聞く。南は里のすぐ近く、北は山の麓までずっと広がっている森、人呼んで「魔法の森」。随分と率直で芸のない呼び名だが、それなりの理由があるからそう呼ばれているのだろう、と魔理沙は言う。

 

 

 「森の大半は、人が足を踏み入れることが出来ないぐらい深い藪だ。湿度が高いから妙な茸や植物が山ほど生い茂っているし、まぁそれを利用している連中もいる。妖とか獣とか私とか。普通の人間にとって安全な場所といえば、森の比較的浅いところに付いている道沿いくらいのもんだよ。どれぐらい昔に開かれたのか分からないが、何故だかその周辺だけ毒気が薄いようだ。今回はこれを使う」

 

 

 着いたら昼飯にしようか、と彼女は笑って、傍らに浮く箒に吊り下げられた小鈴の弁当箱をぽんぽん叩く。箒は地面の上一メートルほどを、滑るようにして移動していた。小鈴と魔理沙が持ってきた荷物は全部、箒の柄に吊り下げてある。箒が (あるいは魔法使いが) 空を飛んでいる光景は中々にファンタジーというかメルヘンチックだったが、僕はもう驚かない。まだ幻想郷の全てを見聞きしたわけではないけれど、これまで得たわずかな知識と経験だけでも十分に納得できる。これくらいは当たり前なんだ。

 

 大体、彼女らのことをファンタジーだとか言っている僕だって、考えてみれば相当なものじゃあないだろうか。地面の中から掘り出された、百年以上前の人間。頭に穴も空いて、記憶もほとんど吹っ飛んでたけど生きている。脚も不自由だけど、本人は何処へでも行くつもりでいる。生きた百科事典のような少女や、幼子にしか見えない吸血鬼と出会って、今は空飛ぶ魔女と一緒に森へ向かっている。これが、いま僕の生きている現実だ。

 ファンタジーだろうがメルヘンだろうが、そんなことは関係なくって、次々とやってくる出来事を受け止めたり呑み込んだりしながら、「どこか分からないが確かに落ちている」過去を探してゆく。難しいことのようで、今のところなんとかやれている。けれど先はまだ長いのだろう。

 

 徐々に近づいてくる森の入り口。小鈴と魔理沙の話し声。風や陽の感触。僕はそれら全てを噛み締めるように感じ取ろうとして、身体中の器官を研ぎ澄ます。

 一体僕はどこまで来たのか……

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 歩き通しの十分間、喋り通しの十分間。

 

 

 「よし、飯にしようか」

 

 

 下らないけど純粋に楽しい時間の終わりに魔理沙がそう言ったのは、ちょうど森の手前。ちょっとした広場のようになった場所で、奥の方に……何だろう、家? 店? のような建物があった。小振りな瓦屋根の和風建築で、見たところ結構古い。周囲にはところ狭しとがらくたみたいなものが積んである。汚い……というよりは、子供の作った秘密基地のような感じを受けた。軒先に掲げられた大きな木の看板。「香霖堂」……コウ……読み方が分からない。

 雨に林って何だろう。考えている間に、魔理沙が建物に近づいていく。ドアを三、四度ノックして、叫ぶように。

 

 

 「こうりんー。霖之助居るかー」

 

 

 親しげな呼びかけ。コーリンとかリンノスケはどことなく男の名前っぽいが……

 ややあって、ドアが内側から開き、背の高い人影が戸口に姿を現した。灰色っぽくくすんだ、くしゃくしゃの白い髪をした若い青年。縁の太い眼鏡を掛けて、不思議な文様を染め抜いた、青が基調の着物を着込んでいる。肌の色は少し白めで、細めの体躯と相まってあまり丈夫そうな印象を受けない。

 こっちへ来い、と手招きする魔理沙に従って、僕と小鈴は建物の前に行く。

 「香霖堂」の前に居並んだ僕と小鈴、魔理沙を順番に見て、青年は無表情に呟いた。見た目のわりに低い、深く豊かな声色で、妙な圧力を感じるしゃべり方だった。

 

 

 「いらっしゃい……しかし客……ならまぁいい。だがそうではないんだろうね。魔理沙」

 

 

 後半は、建物の前のがらくた (本当にガラクタか?) を嬉々としていじり回している、にやけ顔の魔法使いに向けられていた。名を呼ばれた当人は、扉の近くに立っている赤い金属の円筒 (のような何か) をコツコツ叩いている。やがて「赤いな」と解ったような解っていないようなことを言って、青年の方へ向き直った。

 

 

 「いや、ピクニックで遠足なんだよ。それで魅力的なランチタイムが私に囁いているんだ。『飯を食うなら今、ここしかない!』ってね。今すぐにでも茶が沸くかい?」

 

 「沸かない。あと、僕の固い頭にも理解できる言語で話してくれると大いに助かる」

 

 「はぁ~……察しろよ。一体何年こうして付き合ってると思ってるんだ?」

 

 「おしめの取れないころから、だったかな」

 

 「それは恥ずかしいが記憶が無いのでノーカウントにしようか。で、本題に戻るぞ」

 

 

 こんな調子で延々と喋っている。どうしていいか分からなくなった僕は、助けを求めるように隣を見る。同じように、困惑を湛えた小鈴の目が見返してきた。どうも、この二人の関係性が見えないのだ。ものすごく古くからの知り合いであるようなことを言っていたが。

 

 

 「要するにここで飯を食わせろ、と。そういうことか」

 

 「そういうことだよ。香霖も一緒にどうだ」

 

 「断る理由を考えるのが面倒だ。少し待っていてくれ。丁度湯を沸かそうとしていたんだが……」

 

 

 言うと、香霖なる青年は扉の奥へ引っ込んでいった。ガッタンと大きな音がして、ちょっとくたびれた木のドアが閉じた。魔理沙は僕たちを振り返って言った。

 

 

 「今のが森近霖之助だ。小鈴は会ったことがあるな?」

 

 

 頷く小鈴。魔理沙は「何と言えばいいか」と一瞬天を仰ぐ仕草をする。適当な表現を探して、本当に迷っている人間の顔だった。

 

 

 「見ての通り、偏屈な道具屋だよ。色々面倒なヤツだがまぁ、慣れればどうってことはない。世話になることがあるかも知れないから、覚えておくといい。頭の片隅にでも置いとくくらいの感じで、な。そうだ、森近霖之助ってのは大体そういうヤツだ」

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 「香霖堂」の前で敷物を広げ、昼食を摂る。森の前にぽっかりと空いたこの空間というか広場は陽当たりが良く、確かに休憩には持ってこいなのかもしれない。だが、何を扱っている店にせよ、その目と鼻の先で飯など食べていいものだろうか。その辺りは小鈴も気になっていたらしく、森近霖之助――人間と妖怪のハーフだという――に、「大丈夫なんですか?」と遠慮がちに尋ねていた。返答はこうだった。

 

 

 「む、まぁどうせ客は滅多に来ないからな。構わないよ」

 

 

 彼の商いは古道具屋。それも、幻想郷の外から流れ着いてきたような物を集めて取り扱っているらしい。だが、外の世界の品物は大抵壊れて使い物にならないか、使い途が分からないか、若しくはその両方だそうで、売れ行きはあまりよろしくないとか。魔理沙がこっそり耳打ちしてくれた。

 

 

 (香霖は半端な能力持ちなんだ。道具を一見しただけで名前と用途がたちどころに判る眼を持っているんだが、外の世界の品物は「読めない」ことも多いらしい。それに、使い途が判ったところで意味はないさ。幻想郷じゃどうしようもないモノが大半だし、第一ヤツが気に入ったモノは私物化しちゃうからな)

 

 

 魔理沙の囁きを聴きながら、小鈴が作ってきた握り飯を食べる。食べながら、向かいに座って小鈴と話をしている霖之助を眺める。彼は古道具屋らしく、何か道具について蘊蓄を傾けているところで、「ウィジャなんとか」がどうたらこうたらと言っている。それを聞いている小鈴の表情はどことなくうつろで、恐らく本気で耳を傾けてはいないのだろうと思う。

 

 

 (……ま、ヤツの話はああいう風に、適当に聞き流すくらいがちょうどいいんだ。少しでも興味があるふりをしようものなら最後、)

 

 

 日が暮れてしまうからな。魔理沙はそう言って、重箱の隅に詰めてあった野菜の煮物を箸でつついている。僕は「そういうものかな」と首を傾げながら小鈴の様子を窺っていると、しばらく後、ちょっとした言葉の切れ目を突いて、小鈴が「お話もいいのですが、お弁当、折角作ってきたんですから、召し上がって下さいね」などと言って弁当箱を差し出し、延々と続く知識の披露を抜け出そうとしている。人は良さそうな彼のことだ、あれは断れないに違いない。

 実際そうなった。

 

 

 ≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡

 

 

 小一時間ほど昼食休憩を取った後、いよいよ森へ入ることになった。魔理沙は荷物の中からよくわからない道具を次々引っ張り出して、獣除けだ、妖怪退散のアレだ、虫除けだ……と言いながら僕たちに手渡す。最後に出てきた小瓶には毒々しい色の液体が満たされていたのだが、「茸の胞子は一般人には危ないからな。これを飲んでおけ」と言われた時には正直、腰が引けた。

 勇気を出して呑んでみたら、意外と味は良かった。余計に心配になる。

 

 

 「そりゃあ見た目は酷いがな、この森に滞在するなら何らかの対策は要るんだよ」

 

 

 そういう魔理沙は飲んでいない。君はどうなんだ、と訊くと、

 

 

 「……私はアレだ、うん。むしろパワーにする」

 

 

 ……森を前にして、率直に言おう、僕は尻込みしていた。こんな風で大丈夫なのだろうか。むしろ、これで何事もなければ大したものだと思えるほどだ。客観的に見れば、僕らは怪しげな荷物をしょって、うっそうと茂る危険な森へ足を踏み入れようとしている三人組で、二人は年端も行かない子供だし、もう一人に至っては満足に動けない身体の持ち主だ。「客観的に」「理性で」見れば、自殺行為のようにも見えるだろう。

 だが、結局のところ、

 

 

 「……じゃ、行くとしようか。楽しい森の探検に」

 

 

 彼女の声を聴いて、その背中を追い掛けていくうちに、そんなことはどうでも良くなってくるのだ。身体の中心から沸き上がってきた高揚は徐々に僕の全身を駆け巡り、やがて前へ進む力になってゆく。僕らの前に障害はない。敵もない――もう少しでそんな勘違いを引き起こしてしまいそうになるくらい、その力は強く僕を突き動かす。

 

 森の口まで見送りに来ていた森近霖之助が言う。

 

 

 「――しかし君ね、ジョニィ・ジョースター、だったかな――本当にそれで行くのか? アレを――魔理沙を信用するのもいいが、彼女とて、君やあの娘(本居小鈴)の命の保証は出来ないんだよ?」

 

 

 僕は車輪を繰る手を止め、ちょっと振り返ってこう言った。

 

 

 「せっかくここまで来たんだから、この先へも行かなければなりません。僕はこんな身体だから、進める時に少しでも進んでおかないと、後できっと歩けなくなる時が来る。そんな気がするんです」

 

 

 僕は森の入り口へ向き直る。もう小鈴と魔理沙は少し奥へと進んでいて、あまりここでモタモタしていると、そのうちに見失ってしまうかもしれない。道に沿って進んで行けば、そんなこと――おいてけぼりの迷子――はまず起こらないかもしれない。

 

 だが、誰か信用出来る人の背中を追い掛けていくことが、旅の上でどんなに心強いことなのか、僕は何となく知っているような気分でいる。なぁ、ジャイロ・ツェペリ。あなたと僕がどんな旅路を辿ったのかは、まだ思い出せないままだ。だが、そのうちに――そのうちに、過去のあなたに追いついてみせるからな。

 「回転は無限の力」「その軌跡が描く螺旋の向こうで」「オレ達は待っている」そう言ったのはあなただ。その言葉を意思の源にして、僕はここまで進めた。これから先もそうだ。

 

 顔を上げて前へ進む。そう、僕には最初から、このやり方しかなかった。

 ふと、向こうを歩く二人の少女の影に、もうひとつの影が重なったように見えた。

 

 

                            

 

 













 タイトルはBUMP OF CHICKENのアルバム「COSMONAUT」の楽曲より。「船乗りの前途を護る火」の意だそうです。
 
 このお話を書き始めるきっかけとなった幾つかの曲のうちの一つであります。ジョジョなんだから洋楽でやれよとお思いの方もいらっしゃるとは思いますが、自分の中ではもう、物語と切り離せないものになりつつある彼らの詞です (もちろん、いずれ洋楽をテーマにした話も書きます)。

 気が向いた方は是非とも、歌詞も合わせて聴いて頂きたいものです。



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