サプライズ古明地理論
里に横たわる運河沿いの、柳の葉さえぴくりともそよがぬ昼下がり。涼みたいと思えば少々危険を冒して滝の重吹く沢へ出向くか、氷精の類が遊ぶ湖に出るか。どちらをも選ばないのであれば冷たい菓子でも買うしかあるまい。
「おばちゃん、氷ふたつおねがいします。タレは杏仁とぉ……
「なんだっていいよ」
「黒みつ!」
あいあい、と鷹揚に頷いた甘味処の女店主は帳簿を持ち、裏の厨へ齢六十なりのはやさでゆるゆると歩いて行った。その後ろ姿を少々緊張の見える笑顔で見送った少女は、背後の座敷で胡坐している連れの方へ向き直る。
この二人連れ、双方とも無地の木綿小袖を着たうら若き乙女であるということ以外に何らの情報もない。誰が、どう見ても、それ以上に解像度が上がることはないであろう。
小声でこそこそ。
「ふー。ここのおばちゃん目が悪くってですね。月二くらいで来てるんですが、他に客がいたらすごすご帰っておりますよわちき。こんなに堂々としててもいいなんて──あっあっ、流石に煙草は駄目!」
まるで外見年齢に似合わぬ手慣れた仕草で煙管の火皿に草を詰めようとしていた連れの少女、慌てふためく相方の様子をつまらなさそうに見遣ってはしぶしぶ喫煙を中止する。
「誰も観ちゃいないって。それにさっき調合してもらったこいつがね、早く焚いてくれって急かすんだよ」
「すいーつに
「概ね何言ってるかわからんのだけれども、じゃあ最近の若造は何やってんの?」
「……蘭奢待?」
「末法無戒も極まってるじゃないか……」
だんだん声が大きくなっている上、会話内容が既に大道芸の類である。しかしながら店内に居る三人の一般客はいずれも、彼女らが占拠している一角にほとんど関心を持っていないようだった。
不明とは便利な言葉だ。此度、彼女たちを正しく明確に認識するためには、あらかじめ正答を想像して見つめる必要がある、そういう状態になっている。
正体不明を宿す薄い靄を通せば、観測者の認識が「おおよそ少女らしい姿の者が二人、何やら雑談をしている様子」から先へ進むことを困難にするくらいは朝飯前なのだった。
里でそこそこ有名なビビッドカラーのへっぽこジャンプスケア系妖怪、改めどこにでもいる
「せっかく誰にも正体を暴かれない
人間を怯えさせる以上の娯楽が有るものかと思っている正体不明獣からすれば呆れる他ない提案だったが、顧みれば
狩り場の偵察がてら付き合ってやろうかと承諾したのが間違いであった。
朝から手製の梅干を米飯無しで三つも食わされるわ、八百屋で大豆と菜っ葉を物々交換する現場を眺めさせられるわ、呉服屋でウィンドウショッピングとやら(曰く、金がないときに満足感を味わうための儀式らしい。とことん哀れな小童妖怪である)に付き合わされるわで少女Bとしては辟易しっぱなしだ。
甘い香りのするタレがぶっかかった山盛りの掻き氷が二つやってきた。うひゃーいただきまーすなどと手の施しようのない声が相席から鳴っているが気にしない。向こうからは杏仁の香りがするがこっちのタレは焦がした黒蜜らしい。
くろみつくろみつ。どことなく誦経の気配がする語感だな、と少女Bは現実逃避の余りにそんなことを考えている。一日あたりの飯の数より破戒の数が多そうな船幽霊は地底以来の縁だ。底の抜けた柄杓も破れた傘も似たようなものだが、今は前者が無性に恋しかった。
ふにゃふにゃの雑魚妖怪を眺めながら仕方なしに掬う氷菓子は過剰に甘美な頭痛の種。獨酒を桶に一杯飲んでも宿酔いは味わえない身にさえ、氷菓三匙は覿面であった。
「おいしー。あ、このあとどこ行きますか?」
「……」
傘──今は没個性な渋色の番傘らしきものとして座敷のヘリに立て掛けられている──の不気味な長舌とは大違いの丸っこいベロンチョがようやく、口の端のタレを舐め取る以外の用途に使われたと思ったらこんな事をのたまう。一瞬ならず、もうこんな日雇い芸人なぞ上空から稗田屋敷の中庭にでも放り込んで帰ろうかと検討する少女B。
(む、しかしこやつは普段から寺の裏手なぞ彷徨いてやがるからね。雑に扱えば次に顔を合わせたとき面倒だ)
コッチとしては
しあわせそうに氷を啄みながらこちらの返答を待っているへっぽこ向けに、いい加減に目的地へ向かおうじゃないか、というような内容の言葉を選んでいたその瞬間だった。
そこから起こった一連の出来事を端的に纏めると、こうなる。
「多々良小傘ほどではないものの──この封獣ぬえという少女妖怪もまた、そもそもあまり運が良くないところがあった」と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔法使い、本屋、パパラッチ、屋根上の用心棒からなる霧雨魔理沙御一行が、贔屓の甘味処を目指して運河沿いの小路を進む道すがらで、顔色の悪い汗だくの青年を載せた車椅子を回収したのは物事の道理からいって必定であった。少なくとも小鈴と魔理沙については、そういう状態の知り合いを無視できるほど乾ききった性格はしていなかったし、外来の青年も彼女らの庇護と視界から外れるには機動力が足りなかったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「──ははぁ、お前、それは抜け首というやつだよ。まあ誰しも最初は魂消るもんだ。最初だけだがね。災難だったな」
「何かされても反撃できない……撃てない、そういう距離だったせいか、身体が竦んでしまった。向こうは何もしてこなかったけど……」
「シャイな奴だからなぁ。柳のしだる夏の川辺でもなけりゃ映えないし。次に見たら試しに撃ってみても構わない」
「飛頭蛮ね。同じ柳の下の住人でも、幽霊と違って写真にクッキリ映るの。此方としては商売のネタにし易くて助かってるわ」
「ジョースター、此奴の言うことは聞かなくていいよ」
僕は色々とどうしようもなくなって、返事をする代わりにただかぶりを振った。情けなくも恐ろしい思いをしたすぐ後に遭う存在として、霧雨魔理沙とその友人たち──今は小鈴のことだ──は、この上なく頼もしい存在ではある。
ただ、もう一人。
「よよよ、お聞きの通り、この場では私のメディアとしての信頼度は無に等しいのです。外来のお方、どうか情報の取捨選択はご自身の耳目と心に依ってくださいな。この郷に染まりきらず、未だフラットな貴方にこそご注進申し上げるのです。文々。新聞は何時でも皆様の見聞を
「カモをガセに染める、の間違いだろ……小鈴もなんか言ってやってくれ」
「醜聞と陰謀論は身に巣食い育つ。まあ真珠みたいなものですよねぇ。酔う分にはキレイでいいんじゃないかなって」
「流石は本居嬢。判っていらっしゃる」
「うわー、こいつらメディアーの虫なんだ。逃げようジョースター号。それっ」
背後から魔理沙にとんでもない勢いで車椅子を押されてつんのめりながら、僕はあの掴みどころのない女性──いや、化生やヤオヨロズの神々の類であろう──ルポライターのアヤという人格を計りかねている。
初対面の記憶はほとんど曖昧だ(なんだかうるさかった気はするが)。知っているのは妖怪であるということと、記者をやっているということ──貸本屋で、その、彼女が編纂しているブンブンマルとかいう珍妙な響きの新聞(戸口横やカウンターに平積みされていた。どう見てもタブロイドの類だったが)を手に取ったこともある。
「突拍子もない、くだらない記事を書く、なんだか迷惑な新聞屋」くらいの印象が僕の中にはあった。新聞の見出しと魔理沙や阿求からこぼれた話の総合だ。しかし、その先入観と、今この場にいる人物から得られる情報がほとんど噛み合わない。
身のこなしからして異様だった。これほど完璧に『歩く』者には会ったことがない。
紅い館のレミリア・スカーレット、あの吸血鬼と同じか? 歩きながらの身振り手振りに至るまで、ブレ、無駄、冗長さといったものが一切見受けられない。軸がずれない。マナーではなくスポーツ的技術だ。どれほどの訓練を積んだらこんな動きが日常動作で出来るようになるのか……
そして、口を開けば丁寧で、しかしどこか人を小バカにしたようなオーラが滲んでいて、それでいて老獪さというか、決してお互いの『ライン』を刺激しない回りくどさが駆使される。
総じて、その身が発する全ての情報に油断ができない感じだ。そう、おそらくヒトではないが──でも、この土地ではモンスターやゴーストが新聞を書いてるって? 現実味のなさは前提だが、今さらイヤにコミカル。
「なあ」
小鈴とアヤから十二分に距離が離れたところで、僕をダッシュで運んでいる愉快なヤツに声をかける。確認しておきたいことがあった。返ってくるのは走っている人間のものとは思えないほど軽やかな、楽しそうな声音。
「おん、どした?」
「もうあの人から随分離れたよね。今のうちに訊いときたいんだけど──」
「んー、このやかましい車輪の音込みでもこの距離なら余裕で聴かれてると思う。あと、やっこさんがその気になれば、まばたき一回の間にこの距離を三往復はできる。ナイショにしたい話なら後にしてくれ」
それはもう……ああ、おぼろげに、「テング」というワードが記憶の底から浮上してきた。阿求が言っていた、あれは風の妖怪。僕は質問の内容と今の情報に対する反応を両方呑み下して黙らざるを得なくなった。
運河沿いの景色が風の速さで後ろに流れていく。連なる家々、枝垂れる柳並木、底抜けに青い空と、見越すほどの積雲。平屋の多いこの区画からは郊外の山がよく見えるのを初めて知った。青々と繁茂し、雲を戴く夏の嶺……あの山に、領域に、きっとヒトの足は届かない。であれば、棲んでいるのは……
「──まー、めんどくさいだけで悪い奴じゃないから。なんか事件に巻き込まれる前にさ、彼奴のあしらい方を覚えとくのも手だとは思う。私から今言えるのはこのくらいだよ」
「オーケー、しょうがない」
「うん、しょうがない。それよりジョースター君、あと十数秒後にお前は車椅子人類史上の最高速で甘味処に入店することになるわけだが、意気込みを述べてくれ」
「……水に点々が付いてる漢字って読み方『コオリ』でいい?」
「停車しまーす」
車椅子から慣性で射出されながら氷屋に入店する史上初の人類になる寸前で僕は持ちこたえた。見た目こそ普通の家と大差ないが、群青色の暖簾と軒から下がる垂れ幕でもって店の在り処と知る。
暑いし、先ほど味わった緊張のおかげで喉は渇いているし、氷をくれるというなら願ってもない。しかし、昼間から年下の女性に──文字通り放り込まれる場所としてはかなり不適当だ。変な客に騒がれないことを祈ろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
かくして、平穏を享受していたはずの甘味処には車椅子の外来人、暴力装置兼魔法道具屋、敏腕ルポライターの天狗、貸本屋の店番、サトリ妖怪の残滓が立て続けに入店することとなった。
ちょっと慌てふためいている店主に全員分の注文を申し伝えつつ、座敷の奥から手を振っている一般客の顔馴染みに笑顔で手を振り返している霧雨魔理沙。謎の前転で要領よく土間の車椅子から座敷に転がり登った外来人。店主に撮影許可を貰おうとしている射命丸文。屈んで全員の履物を揃えている本居小鈴。
それら姦しい集団を、人知れず睨んでいる、先客の少女B。Aの方は既に大口をパクパクさせながら壁にへばりついていた。
(ちっ、面倒な。時運は上々だが、余計なのが二つ転がり込んできやがった)
舌打ちすらも噛み殺して、
(おい、化け入道。あんまり滑稽な動きをするんじゃない。さすがに隠しきれんかもしれん)
そろり、そろりとこれまた大仰な動作で壁から剥がれてこっちにピッタリ貼り付いてくるのも鬱陶しい。こいつは一体ふだんからこんな調子で
まあ、疎んじても急いても仕方のないことだ。三十六計はチャッチャとこの氷菓子をやっつけて勘定を済ませ、できるだけ自然にこの場を離れるに如かず。
不明の術さえ効いていればそうそうバレることはない。勘だけで正解を引き当ててくるような巫女と違って、霧雨とかいう娘はこの類の搦手にあまり強くはないのだ。或るとすれば天狗の方だが、幸いにして今はおしゃべりと何やら筆記に夢中。こちらを気にするそぶりもないあたり、この格の物の怪にも自分の力は通じているらしい。
(ま、当然だがね。向こうが外法ならこっちは
(さ、さすが姐御)
(いい加減離れろ暑苦しい。無駄にイイ匂いがするんだよお前の頭)
「あ、この匂いね、八かける四? っていうのよ。塚でたまに拾えるんだって。ふりかけるとスーッとして、誰でも良い香り! でも、頭に使うやつじゃあなかったような気が?」
(ど、道理で使った時に目が痛かったはずだ! あのバケネズミめ、適当なこと言っちゃって!)
「悪徳業者なんだぁ」
バカ傘と
なんなら──これはかなり予想外だったが──件の外来人が一緒について来ている。渡りに船というやつだ。案外正体を明かしてやったほうがうまく運ぶかもしれないぞ、という考えまで含めつつ、少女Bはのんびり構えて機会を窺うことにした。
要は鬱陶しい奴の相手をしなくて済むようになったから、気が落ち着いてきた、ということなのだが、この決定には幾つかの点において誤謬や見落としが含まれていた。
運河のほとりの小さな店で、事態は次第に混迷を深めていくこととなる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
射命丸文とて目の前の外来人を放っておくわけがない。
今までほとんど放っておいたのは事実追求よりも真実捏造に奔走していたからであり、先の人里襲撃で唯一この世に残った「事実」であるこの男、ジョニィ・ジョースターを名乗り始めた半身不随の外来人の存在はかえってセンシティブ。ゆえに、「里に謎の外来人が現れた」という第一報からこっち、彼の存在を記事に登らせたことはない。
その一報で、まず彼を衆人の緩い監視体制の下に置いた。出現の仕方からして怪しすぎる存在である。彼が記憶喪失症のうえ、満足に五体を動かすことができず、さらには攻撃性の低い性分で警戒に値しない存在であることを人々や里に近い妖怪に知ってもらうには、彼ら彼女ら自身に監視ごっこをしてもらうのが一番手っ取り早い。
天狗は硝子の器から小豆と白玉と氷を一匙に乗せて口に含んだ。ブルー・ハワイなどという存在しない国の見たこともない海を彩った氷をオーダーしようとしたところで魔法使いに勝手に決められた注文である。「なんかお前茶色い」かららしい。
頭部に鋭痛。卓袱台を挟んだ向かいでは魔法使いと外来人がなんかやっている。
「お前、せっかく記者が来ているんだから何か一つ芸でもやったほうがいいよ。うんやるべきだ。あれやってくれよ。爪がキュイーンって回るやつ。キュイーンって」
「それ以外だったらいいよ。足がこれだから、ほかには何もできないけど」
「急に頼みづらくなっちゃった」
「……」
「ん? おー回ってる。小鈴も文も見ろよ。近くで見ると爪が回るっていう字面の気持ち悪さより感心の方が勝つぜ」
「わあー、高回転。私もひとつ派手な芸当が欲しいなぁ」
「芸は身を祐くって言うしなあ」
射命丸文は微笑んだ。失笑の類だった。見ての通り害は全くない人間だ。やや妖怪と魔法使いに近すぎるという点で置かれている環境は本居嬢と大差ないが、能力の差で圧倒的にこの男の方が人畜無害と言っていい。散発的な取材によれば、里の人々からの評価も概ねそこへ行き着いている。たまに車椅子で往来を散策している若い男。頭髪の色や顔の作りは物珍しい。しゃべり方は少しだけぎこちない。「別に、それだけ」だったのだから。それゆえに──今は──彼をノーマークにしておける。
この里の人々が気にするべきこと、恐れるべき者はもっと他に事欠かない。
たとえば、
文は卓袱台に頬杖を突いてゆっくりと店内を睥睨した。客は霧雨御一行を除けば五人。店主の知り合いらしい腰の曲がった老爺と、連れの幼子。没個性な着物を着た若い女が二人。壁際からこちらを鋭い目で睨んでいる痩身着流しの髭面男。
(んー、該当者なし。全員害意なし。目つきが悪いことで有名な穏健一般人一名。これで本当に潜んでいるとしたらなかなかの手練れねぇ)
何かがいる。記者としての文でも天狗としての射命丸でもない、言ってみれば戦士の部分に近い何かがそう言っている。
棚上げを棚上げして言うならば、この里に妖怪や幽霊の類が紛れ込むことなどさほど珍しくもない。ゆえに害意がない以上は放っておいてもよさそうなものだが、飛ばし記事作成モードが起動して間もない天狗の脳内連想ゲームに引っかかる点があった。
害意なし。正体不明。レスポンスなし。
そう、符合している。
文は万年筆を唇の上に乗っけてわざとらしくお間抜けな思案顔を作り、手帳を取り出して適当にめくりながら卓袱台を人さし指でリズミカルに叩いた。指の腹で一、二、三。爪で一、二。四回繰り返す。何だコイツ的視線で刺してくる魔理沙にはポラロイドカメラを向けてやると悪態をつきながら顔を背けてくれた。
「弾幕ごっこで勝ったとき以外撮影は許可してないぞ」
「ありゃま。そうしたら小鈴ちゃんでも撮ろうかしらね」
「載せるなら個人情報保護棒入れてくださいね」
「あれなら面白くて好きだ」
へっへっへ、と適当に笑って見せながら文は天井に意識を遣り、屋根の上から来るはずの「返信」を待った。先ほどの拍子は事前に護衛役と取り決めておいた哨戒要請の符丁だ。聴覚なら山で五指に入る同僚である。どうあろうと聞き逃すはずはない。
無反応。
念のためもう一セット。
返答はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「はい、スモモ味! 裏メニューってやつ? まーおばちゃんがお品書きに書き足すの忘れてるだけなんですけどぉ」
「ん? ──これはどうも」
「私は抹茶練乳。まっちゃっちゃー、まっちゃっちゃー」
少女Cはちべたい陶器を両手で抱えてゆらゆらと揺れながら楽しそうに唄いだした。屋根上の哨戒者は彼女から受け取った氷をぼそぼそと掻き込みながらも、すぐに立ち上がれる跪坐を崩さずに周囲を警戒し続けている。
「何見てるんですかーって」
「色々ね」
「即ち空ねぇ。でも悟ったようなこと言って片付けちゃうのは勿体ないんだぁこの地上。あ、お
「彼処は危ない」
「地霊怨霊の類には顔が利くからいいんですー」
風もないのにそよそよと揺れている。帽子に結んだ黄色いリボン、淡い緑のふわふわ癖っ毛。哨戒者はちらとそれを見て意味もなく自らの白銀の頭髪を撫でつけた。
「白狼さんってなんかぶあつーい湾刀とか大身槍なんて持ってるイメージだけど、さすがに里には持ってこなかったり? ぶっちゃけ、人とか斬った事ある?」
「質問が多い」
「言の葉は有意でも無意でもなくって、ただただ毒なんです。実をいうとさっきから貴方を毒々にしちゃってました。ごめんなさーい」
「わからないな」
「私も。ああ、そうそう、《わからない》は屋根の下にいるよ」
匙を繰る白狼の手がはたと止まった。
「……」
「あの記者の
「……」
鬼瓦の先にかき氷の器をゆっくりと被せ、白狼は懐に手を挿し入れた。半径およそ半里、この店の周囲に怪しげな者はいないことを確認済みだった。唯一近くにいた轆轤首の類はそもそも天狗二羽を見た瞬間逃散している。
目の前の少女の注進が事実なら、賊は最初から店内に潜んでいたことになる。しかし、たかだか二十余畳の空間に、あの忌々しいほどに目敏い烏天狗の目を逃れられる間隙があるとは思えない。
符丁も来ていない。「自分一人で対処できる」と判断したのだろうか?
百回殺しても死ななさそうな、図太さにかけては山で五指に入る上役である。なればこそ、屋根の下で静かに進行している──「かもしれない」事態を白狼は図りかねた。
そもそも情報提供者が適当な事を言っているだけの可能性だってある。天を仰いで器の底の小豆と糖蜜を口の中に流し込んでいるこの餓鬼は見るからに昼行灯の飛び上がり者だ。先ほどから胡乱な問いと言葉遊びばかり仕掛けてきており、この発言の真偽も疑わしい。
何にせよ──状況を確かめるには動いてみるしかなかった。
「ぷはー。地上も今日は暑くてやれないわねぇ。おっと、ここでふたたびごめんなさいのお時間です。私がここにいるだけで結構あなたの迷惑になってました。わざとってほどじゃないんだけど。そろそろお暇させていただきまするー」
「……まあいいよ。さっさとお家に帰りなさい」
「いやあ、家ね。うん」
少女は首を傾げて微笑んだ。俄かにその眉目に漂った哀愁に、白狼は衝動的な後ろめたさを感じた。
それほどの哀だった。
「現実は夢の切片。そんじゃ、たまには帰ってみようかな」
陽に萎れた花のような笑みの背後で、出し抜けに乱流が巻き起こった。街路の木の葉が一斉に吹き上がり、見渡す限り家々の間を八衢の突風が吹き抜けていく。目も開けぬほどの砂埃の中で、白狼は目下の軒から二つの黒い影が飛び出し、大路へ向かって疾駆するのを辛うじて見た。
遅れて屋内から現れたもう一つの人影が叫ぶ。
「馬鹿ブン屋! 勘定済ませてからやれ!! 里の外で!!」
白狼は懐から釵と短刀を抜き、わずかに身を落とした後に二つの影を追って屋根を蹴った。低く鋭い跳躍が、屋根から屋根へと飛び移っては遠ざかっていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
風にさらわれたフェルトの山高帽が軒下に落ちていく。それをつかみ損なったらしい少女Cも後を追うように、こてん、と店先に頭から落下した。
空に向かって勘定がどうこう叫んでいた霧雨魔理沙が箒を握りしめ、大きな大きな溜め息と共に視線を地面に落とした時、少女Cは魔理沙の傍らであぐらをかいて自分の額と帽子に大きな絆創膏を二つずつ貼り付けながらしくしく泣いていた。
ややあって、店内から木の軋む音とともに車椅子が進み出た。搭載物の男は不安げに辺りを警戒しながら自らの指先を気にしている。右手の爪が全て抜け落ちていた。
魔法使いは一瞬だけ落とし物の少女Cに目を遣り、すぐに車椅子のほうへ向き直った。
「そういうわけでちょっと追ってくる。まあ里で滅多なことはしないと思うが、せめて町はずれに行ったかどうか確認しておかないと。なんかあったら派手な信号弾みたいなの撃つから、追いつけそうなら見に来てもいいよ」
言うが早いか、持っていた箒を中空に
あとに残された少女Cと青年がお互いを発見するのに数秒ほどの間が必要だった。
「うわ、痛そー。それ、ちゃんと元通りになるの? バンソーコー貼りますか?」
青年は返事代わりに曖昧に微笑み、少女Cに指を差し出した。
「おー、よく見るとミリミリ伸びてきてる。爪を回すだけのびっくり芸人? さんじゃなかったんだ」
「……そんな奴のまま終わりたくはないね」
「うんうん。私も早く何者かになりたいよ。わかるわかる」
「……」
「悩んでないで、とりあえず達観してGo♪ ほら、雨雲だ。晴れる頃には虹が出るかも?」
少女Cがおもむろに指差す西の方角に、いつの間にか夏の晴天には全く不似合いな暗雲が一塊立ち込めていた。ときおり渦を巻き、無音の雷を閃かせ、赤く青く白く妖しく光る、それはバトルフィールド。余人の届かぬ領域にて行われる、少女の特権たる
知る由もない青年は、ただ困惑と不安の入り交じった表情で空を見上げている。彼は空を知らず、力を持たず、表現すべき自己をも半ば喪っていた。戦場は余りに遠く──それゆえに、彼は焦がれていた。
少女Cはといえば、フリル袖手の訳知り顔でうむうむと頷いている。
「巧いねぇ、でもちょーっとオールドスタイルって感じ。
「あれは……?」
「あ、お兄さん
少女は歯を見せて笑った。
車輪は、暗雲の方角を志して勢いよく駆け出す。
このまま店に小傘どんを忘れていったらおもろそうだなと一瞬思いましたが、さすがにかわいそうなので次回も出番があります。
むしろ出番があるほうがかわいそうなのかもしれません