再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

54 / 55


馬の描写がややキショくなってますが、回り道の成果です




#44 スカボロー・フェア その1

 

 

 

二度と潤わぬ庭の、枯れた井戸端に座して君を待つよりも。

迂回路をいま、先へ、先へ。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 四方八方から殺到する光弾。錯綜し、行き交い、そしてまた元の壁へと還る。

 もう幾度目ともしれないそのパターンは、繰り返される度により速い間隔で射命丸文を験(ため)した。

 命名決闘法におけるスペルカードの「終了条件」は大別して二つ。即ち弾を掻い潜って詠唱者をぶん殴るか、線香花火の火球が落ちるのを待つように攻勢自体が終演するまで耐えるか。

 

(しかしこの悪夢の終着に関しては、そのいずれでもないのでしょうね)

 

 またも静止した光の都のただ中。息を整え、外した肩関節を元に戻しながら文は微笑した。近ごろはデスクワークと現地調査ばかりでこういったスポーツはご無沙汰であったから咄嗟の選択に瑕疵(ミス)が多い。やらかしたなら無茶で補うしかあるまい。

 此度は無理くり躱すためにいったん肩の角度が犠牲になった、それだけのことだった。

 恐らくは残る一つの「謎を解くこと」。躱し方も謎の一つ、鵺をひとまず鵺として看破することも謎の一つ。最後に残ったのは──

 

(自惚れてみせるなら──)

 

 今までどうして気づけなかったのか。此処には延々と続く光子の牢と、正体不明の概念そのもの以外に何一つない。挑戦者一人を除いては。

 

(私か)

 

 この弾幕を打ち破り、鵺を明らかにし、さらには彼(・)女(・)の(・)目(・)的(・)を果たす一石。

 その先触として、文はついに掌中の紙片をゆらりと掲げた。腕にはすでに幾つかの熱傷や生傷が刻まれている。

 

「度々の御無礼、失礼仕りました。詫びは此れにて」

「……」

 

 返答はない。それでも鵺はこちらの言葉に耳を傾けているに違いなかった。

 なぜなら──

 

「『何ゆえ、これほど執拗に射命丸文に追われねばならないのか』それが貴女にとっての最大の謎。この戦場が発生した、そもそもの所以(ゆえん)。三つ目に問われているのは貴女ではなく、私だったのですね」

「…………」

「ふふ。どのみち、そろそろこのかったるい盤面を返さねばなりません。言の葉よりも業をご覧頂きましょう。おしゃべりは合間合間と……貴女を射抜いたその後で」

 

 無明の都に、いずこからとも知れぬ一陣の風。それは迷えることなく射命丸文の掲げた手に訪れ、ひと撫でし、掌中の札を上空へ攫って吹き抜けていく。

 

「此度、私の役は旗手。名告りましょう──【猿田彦の先導】」

 

 奇妙に静止した都を舞台に見立て、射命丸文の狂言回しが始まった。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 激しい揺れ。痛いほどの風の流れ。内臓を締め上げられるような感覚。そして、腹部のとてつもない痛み。

 

「ま、魔理……」

「うるせー! 箒(こいつ)にはそういう魔法掛けてるから簡単には落ちやしない。黙って布団干しされてろ! ……大の男を余計に乗っけて飛ぶようにできてないんだよこの箒。お前が動くから揺れるんだ。たぶん」

 

 いろんな意味で怖くて目を開けられないが、今、僕は間違いなく空を飛んでいる。それも魔法使いの箒──の、柄に腹を引っ掛けた二つ折りの状態で。

 おそらく傍目から見るとかなり大爆笑モノだろう。

 

 経験したことのない加速、旋回が繰り返されていることだけはわかる。でも腹部の痛みに耐えるので精一杯だし(下腹部から下はどうなっているのか想像もしたくない。そこから下の感覚は骨から全身に伝わる振動以外ほとんどないから)、目を開けたところで今僕にできることはないんじゃないだろうか。恐怖心で身体が下手に反応してはいけない。大人しくじっとしていよう。そう決めて固く目を閉じた時だった。

 

「怖いんだぁ」

 

 聞いたことのあるような、ないような声がすぐ目の前から発された。

 思わず薄目を開ける。逆さまの僕の顔を覗き込んでいる、逆さまの顔。やはりどこかで見たことのあるような、そうでもないような薄緑色の頭髪らしき線が視界の端をちらついていた。

 

「なにが怖いの? 痛いやつ? 落ちるやつ? それとも今からやらなきゃいけない事とか?」

 

 何を言ってるんだこいつは? 今はそれどころじゃない。「落ちそう」だから黙ってじっとしていなきゃ。耐えていればいいんだ。

 

「わかっちゃった、わかっちゃったー。これまで落ちたことないから怖いんだ。そんならいっぺん落ちてみれば良いのに。いくらでも手伝うよ?」

 

 誰かの冷たい指が、箒の尾を抱きしめている僕に指にそっと添えられた……かと思えば、それは本当にこっちの指を一本一本剥がそうとしている! クソッ、おかしいと思っていたんだ。いつの間に懐に潜り込まれていた? これも亡霊や悪魔の類か? 

 脳裏に「爪」の名を叫び、せめてその指を切り裂いて追い払ってやろうとした──僕の意識は。

 代わりに、思っても見なかった言葉を吐き出していた。

 

「……落ちたら、明日に進めないじゃないかッ……」

 

 引き剥がす指の動きがピタリと止まった。

 頭上のどこかで魔法使いの少女が何か言っている。風のうねりと耳の奥で鳴る血流の音に遮られて聴き取れない。僕自身の声さえもよく聞こえていないくらいなのだから。どうでもよかった。

 

「一回でも落ちたら全部台無しなんだッ……僕は昨日に何にも持ってない! だから──」

「だから、明日?」

 

 ヤツはとぼけたような声を出した。その声だけがこの風と耳鳴りのなかでもはっきりと聞こえる。

 

「……そうだ」

「うーん、よく分かんないや。私たちはみーんな永遠に終わらない今日を落ち続けてるの。留まれる人も登れる人もいないの。ね、こっちのがカッコイイでしょ」

「……」

「明日なんてないと思うなー。寝ても醒めても今日があるだけだよ」

 

 僕は、箒を抱え握る腕と指にますます力を込めた。ヤツはもう僕を落とそうとはしていない。もちろん味方ではないだろうが、敵で(・)す(・)ら(・)ないということも判ってきた。

 つまり何が言いたいんだ? 「明日」なんて言葉を都合よくこねくり回すのはやめろってことか? でも、暦表を見ては未だ来ていない収穫や祭事の日(ハレ)について考えられるのが人間ってもんじゃないのか? 

 ──いや、そもそも「落ちる」ということと「明日はない」という考え方に対立はない。僕たちの思考の中で起きている「明日への落下」と「寝ても醒めても今日があるだけ」という『観測』はぶつかり合うことすらないはずだ。

 

 彼女が僕に施そうとした『落ちる』という世の摂理。それは単に「やめろ」というような単純な話ではなかったはずだ。なぜなら現に──

 僕は目を開けた。

 見えたのは、上下逆転した地平線に貼り付いた山々。視界の端には、見る間にもだんだんと遠ざかっていく人間の安全圏たる里。そして心もとなくぶらぶらと揺れる僕の足一対。

 箒を抱え込んでいた腕を僕は解いた。下方には当然、後ろへかっ飛んで置き去りにされていく地面の連続。片手を垂れ、掌を開いて風の感触を捉えてみる。

 覚えがあった。いや、「考えて」思い出したわけではない。僕の中を流れていた、何か失い難い根源的な観念が今固体になった感じだ。言葉にするなら、そう。

 

(時速四十マイル)

 

「それ」に乗っていたなら、完全にトップスピードを超えている。少なくともトラックコースを一マイル以上走るような品種が出してはいけない、禁忌の速度だ。

 現実はどうかって? ああ、今はロープに吊られた洗濯乾燥中のシーツみたいな感じでね。素敵にイカれた魔法の箒に引っかかったままその速度で上空二十ヤードをカッ飛んでいるようだ。

 僕は心の底からの笑い声を発した。

 

「え、どうしたんだそんな急に気持ち悪い感じになっちゃって」

 

 箒は折れた牧柵の直上を通過し、青々とした草地の上を飛んでいる。スピードが二マイルほど落ちたおかげか彼女の声がよく聞こえるようになった。ずいぶんこう、心配させているというか、二、三歩後ろに引かれているというか、そんな声色だったが。

 

「……あぁ、ちょっとオカシくなってた。今、ちょっとず(・)り(・)落(・)ち(・)て(・)た(・)ん(・)だ(・)」

「これでも最高速度の三分の一もないぜ。今日はそんな用向きで飛んでないがね──まあいいや、ちょっと私の左膝の方を向いてくれ。あそこに三頭見えるだろう」

 

 首を思い切りねじ曲げてそちらの方角を見る。バタバタと僕の顔を叩いているロングスカート裾の向こう、草原と雑木林の境界を馬が三頭、確かに連れ立って走っていた。

 

「雲の下に入るぞ!」

 

 間髪入れずに叫び声が飛んでくる。視界が一気に暗くなり、霧の中に突っ込む。あっという間に顔や服に水滴が滴った。

 

「逃げ出したのはおそらく五頭だ。お前を攫ってくる前に数えた限りでは。あれがたぶん一番取っ捕まえやすいグループだ。あれの側に付ける!」

 

 僕は目を凝らして八十ヤード向こうの馬たちを観察した。体高十二〜十三ハンド(百三十センチ以下)ほどに見える軽種が三頭。上空の強風や落雷に怯え、頻繁に方向を変えながら頭を高く振って駆けている。三頭は互いに寄り添ってはいるが、その実お互いの身体や脚が接触するのにも構わず、狂ったように逃げ道を探しているだけのように見えた。

 

「ダメだ。あの中に『リーダー』はいない。残りはどこだ?」

「あー?」

「五頭を一気に制御下に置くなら、アタマを抑えなきゃならない。普段群れのリーダーをやっている馬に乗ってしまえばその役ができる……自信ないけど」

「おいおい今さら日和るなよ。高度上げてやるから自分で捜してくれ……うーむ、この雲、『結界』になってるな。さっきはそんなことなかったんだが」

「そっちは任せる。あとヒモかなんか持ってる?」

「病気以外はだいたい持ってるよ。天才だから」

 

 みぞおちが下方へギュッと引っ張られる感覚とともに箒は急上昇した。四十五マイル、五十マイル……おそらく生まれてこのかた味わったことのない、素晴らしい加速だ。螺旋状に旋回する軌道の上で、僕は睫毛の水滴を払うためにさかんにまばたきをしながらも地上を凝視した。

 もう恐怖はない。不安だけはいくらでもあるが──その不安を軸にして妙に思考がクリアになっていく……今までにない感覚だった。

 魔理沙が後ろ手に寄越した縄(どこから出てきたんだ?)を受け取って結び目を二つ作る。素材もやり方も何もかも不適当だが、これで御するしかない。頭絡さえついていなかったら、そのときはその時だ。

 今思い出したが、この場所には見覚えがある。そう、いつか阿求に連れられて馬を見に訪れた小さな牧場だ。であれば、逃げ惑う連中の中に僕が乗ったあの競走馬がいるはずだ。体格と能力から考えればそいつがリーダーの可能性はとても高い……

 

「やっぱり雲の壁が結界になってる。もう中には入れないな──このまま外周を旋回しながら探すしかなさそうだ」

 

 上で彼女ががなり立てている。ケッカイというのがよく分からないが、それが邪魔になっていて思うようなルートで飛べていないらしい。

 

「壁なら壊せないのか?」

「里の近くじゃ取れない手段なら幾つか思いつく。あー、こんな時アイツなら指二本でちょいっとなぁ──」

 

 近くで見ると雲というよりは濃い煙の塊のように見える暗雲を半周もした頃になって、遥か下方、牧場の端の一画に建つ簡素な作りの小屋が見えてくる。

 その陰に、彼はいた。激しい風と濃い霧を避けるように、小屋の外壁に身を寄せて。

 

「小屋の陰だ! 降ろしてくれ!」

「見えてるよ。慌てるない」

 

 窘められてしまった。が、全くその通りで、この馬については全く急ぐ必要がなさそうだった。やはり先程の馬たちよりも一回りは大きく、すらりとした体躯とバランスの良さが際立っている。

 この異常気象のただ中にあるにも関わらず彼は落ち着き払っていた。そればかりか、未だ上空に在り、だんだんと速度を落としながら近づいてくる僕たちを「見上げている」。

 

「賢いぞ」

「っぽいな」

「普通の馬は遠くを飛んでるモノに関心を払わないんだ」

「そりゃ『思い出した』のかい?」

 

 違うんだよ。

 顔もよく見えなかったさっきの悪魔が去ってから、知識とか経験とかっていうものに対する考え方が変わってしまったような気がする。

 まだまだぎこちないながらも極東の言葉を話すように、感覚のない下半身とどう付き合ってきたのかを思い出すまでもないように、僕は彼ら(Horses)に関する言葉と感覚が「落ちてくる」のをただ受け取っているだけだ。

 百年は、仮初の死は、僕からそれを奪いはしなかった。今はそれがこの上なく嬉しい。

 

 だんだん近づいてくる地面を見ながら考える。しかし、前回は巧くいったが今回はどうか? あの『回転』を使った乗り方は自然に会得したものじゃない。おそらくジャイロ・ツェペリの技術と記憶が絡んでいるから──

 

「刺激したくない。慎重に、二十歩くらいの距離で降ろしてくれ」

「別にいいけど、お前車椅子なしで『二十歩』進むのに何十秒かかるんだ?」

「……」

「だるいからもうちょい近づくよ。それに──ほら、逃げる心配はない」

 

 地面まであと数メートルというところで魔理沙の箒が一旦停止した。顔の前まで垂れてきた彼女の指で促されるままに、僕はもう一度馬の方を見た。

 

 

 頭を垂れた馬と相対するように、少女が佇んでいる。

 こんな風雨の中をどこから来たのだろう。いや、いつからそこにいたのだろう。

 吹きすさぶ霧雨交じりの風の中、黄色のフリルシャツも、黒いフェルト帽に飾られたリボンも、淡いグリーンの髪も。まるでショーウィンドウの中のマネキンのようにぴたりと静止していた。

 その緊張したおそろしさに、覚えはない。

 

 緩慢な動作で、少女が前へと手を差し伸べた。四脚の友はそれに応えるように耳を垂れ、ますます頭を低くした。頭絡に、馬銜輪に、首筋に、そして鞍へと指を滑らせるように触れつつ円を描く足取り。

 

「付け方、これでよかったかなぁ? 昔は乗ってたんだけどねぇ。その子も、逃げ出しちゃって」

 

 低く、鼻を鳴らす音。

 少女は首を傾げて微笑んだように見えた。

 

「ちょーっとこわいけど、私たちには言葉(痛み止め)があるから大丈夫。ごまかしながら乗るから、勘弁してね」

 

 箒はすでに馬から数歩の距離まで近づいていた。魔理沙が先にぴょこんと箒から飛び降り、少女に声をかける。

 

「──さっきからずっとちぐはぐだと思ってたら、お前だったか。地底にはもう帰らないのかい」

 

 初めて聞く類の声色だった。不安に上ずったような、それでいて戸惑いと切なさをたたえたような。そんな霧雨魔理沙の声を聞いたことがなかった。

 

「今はもうないあの場所へ? うーん。いつかきっとね」

 

 応える少女の声もまた、郷愁と不安の両方を呼び起こす名状しがたい響きだ。

 

「♪ 迷子の迷子の白黒ちゃん♪ あなたのおうちはどこですか?♪」

 

 指に引っかけた帽子をくるくると回しながら唄う。魔理沙は押し黙ってしまった。どうもこの得体の知れない子供(の姿をした妖怪かなんかだろう。今日はつくづくモンスター尽くしの一日だ)は彼女の苦手分野らしい。僕がどうにか場面を動かすしかないのか? 

 意を決して箒から徐々に上体をずり落ちさせ、脚から先に地面へ降りる。萎えた動かない脚では当然踏ん張れるはずもなく、崩れるように思い切り地面に腰を打ち付けた。衝撃で息が止まり、背骨から痺れたような感覚が全身に伝わる。

 確かに『落ちた』。だが、やはり登ろうとジタバタしてこそ人間だって気がするんだ。

 

 彼女はいつの間にか馬上に居た。まるで体重のない者のように、全く馬に負担をかけることなくその尾骨のあたりにちょこんと腰掛けている。僕を一瞥し「おー」と目を少し丸くしてひと言。

 

「おめでとうー」

 

 不思議と馬鹿にされている感じはしなかった。でもちっとも腹が立たなかったかというとそれも嘘になる。クソッ。

 

「──君の言うとおり、世の中の大体の物事は『落下』なのかもしれない」

「でしょ。解ってくれると思ったー」

 

 得意そうに微笑みながらゆらゆらと身体を左右に揺すっている姿は、途方もなく愛らしい。

 わずかな怒りを力に変えて、泥と草とに指を立てて身体を前へ引きずっていく。

 

「それを受け入れるかどうかは別の問題だ。然るべき時には──抗ってみたい」

 

 見てろよ。すぐにそこへ登ってやるからな……

 僕が手を伸ばすと、その赤っぽい栗毛の馬は応えるように一歩前へ進み出で、鼻面を差し伸べてくれた──

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 ときに、風の始まりとは何処なのだろうか。気圧の差が生む自然現象といえばそれまでだが、如何な大妖怪とはいえ天下に於いては矮小な鳥もどき。せいぜい地上から百丈程度の高さに張り付いて日暮す身にはその始まりも終わりも知覚しがたい。

 だから、封獣ぬえが目の当たりにしたそれは彼女の全ての経験を超えていた。

 

 まず、眼下で札を掲げていた天狗女の姿が消失した。

 それを理解した時には、爆破のような衝撃と破壊に全身が曝されていた。自らを囲んでいた黒雲が、その周りを幾重にも取り囲んでいた光の都の城壁が、バラバラに千切れ飛んでいることに気づいた時にはすでに、鵺は自分の位置さえも曖昧な状態で宙を錐揉みで舞っていた。

 

「ぎゃ──ー!!」

 

 叫んでいるのが片手に握っているしょうもない傘の付喪神でよかったなぁ、と鵺はおぼろげに感じた。そこでようやく、全身に鈍い痛みがあることに気づく。鼻の奥から何か温かい粘液が溢れ出し、口の端へと垂れてきた。拭い取ったその指を見下ろす。

 直に轢かれれば、五体が弾けていた。

 直感だった。

 

「……やる!」

「ひぃん、やっぱ無理ですってあんなえりーと天狗様と戦うなんてぇ」

「お前が闘(や)ってるわけじゃないんだから道具らしく黙っててよ。あまり煩いと次は本当に盾にしてやる」

 

 鵺の眼下に在りし光の都。その牢格子は確かに、十町にも及ぶ天狗の突貫の痕によって一文字に寸断されたが、今再び線から点へと崩れ、また線へと戻る行程を経て修復されつつある。

 ただし、天狗の居場所を都の主は見失っていた。

 

 鵺と傘、凸凹の二人を吹き飛ばした風の壁(ソニックブーム)の余韻が消えていく。暗黒の雲を周囲に纏い直しながら、鵺は苛立ちに焦がれた声で吐き捨てた。

 

「切り崩しただけか? 千日手じゃないか」

「……いっぺん呼んでみません? そしたらたぶんもう一回来ますよ」

 

 宙吊りでぷらぷら揺れている傘がそんな事を言う。

 

「馬鹿な」

「向こうの目的はぬえちゃんさんに取材することだと思ってましたけど、それは建前なんじゃないでしょうか」

「……」

「さっきあの天狗様、『冬の異変はぬえちゃんさんと関係があるとみている』みたいなこと言ってましたよね。誰がどー見たってめちゃめちゃ濡れ衣じゃないですか。それって」

「安い挑発だ。それに、たといアレは私の仕業だと衆人が思い込んだとしても、私には得しかない」

「ええ。だから向こうの話にはまだ続きがあるんです。聞き出さないと終わりませんよ」

 

 何なんだろうこいつ、という渾身の怪訝な目線を忘れ傘に送ってやった鵺であった。見れば同じ攻撃を一蓮托生に受けたにも関わらず、スカートがめくれ上がってしょうもない下履きが見えている以外はまったく普段通りの平気な顔をしている。普段からタコ殴りに遭うタイプの妖怪とはこうも頑丈に仕上がるものだろうか。

 

「──二発目、来ますよ!」

 

 我に返れば、大気がスローモーションに歪む様をかろうじて知覚できるだけの猶予がそこにはあった。咄嗟に下へ躱す。一拍置いて、頭上を大筒のような音と共に疾走が駆け抜けていった。

 回避できた。これまでと変わらず、おそらく相手はこちらを視認できていない。滅多矢鱈に突進を繰り返しているだけの、自棄的な攻撃──と解釈するような心の優位はすでにどこかへ吹き飛んでいる。相手が何も狙っていないということは、こちらも動きの予測がつかないということ。今、二人は理不尽極まりない奇襲攻撃(ランダムエンカウント)の可能性に晒されている。

 ぬえは深く息をついた。相変わらずひんひん言いながら大して効いてもいない様子でぶら下がっている傘に問うてみる。

 

「するとナニか? 『射命丸文は何故鵺を墜とそうとするのか』、その答えは吐かせるのではなく、乞わねばならんということか?」

「うう、はい。見失っちゃいましたし、弾幕もスペルカードを使えば簡単に壊せちゃう、ってことを見せつけられちゃいましたし。今ぬえちゃんさん劣勢なんですよ。相手に点あげないと」

「ふん、刀槍で打ち合えばあんな奴」

「んがー! たられば言ってる場合ですか! 一本勝負でこうなっちゃったんだから負けは負け!」

 

 いよいよ押し黙るしかない鵺である。

 眼下では苛む相手を失った悪夢が空振りを続けている。こめかみを揉みつつ、妥協と恥の間で揺れている間にも「次」は来るかもしれなかった。出鱈目に放たれた突撃の余波でさえあの威力だ。時間とともに苛烈さを増していくタイプの──よくあるパターンだが──攻撃手(スペルカード)なのだとしたら、いつかその密度と速度に押し潰される瞬間が来る。

 

 その前に打開するとしたら、やはり先方に「点」をやるしかないのだが、それはプライドが──

 

「すぅ──ーっ」

 

 傘、吸音。

 

「は?」

 

 鵺、唖然。

 

「天狗さ────ん!!」

「あっ、ちょっ、おい馬鹿」

「すっごい攻撃、感服しました────!! 褒めて遣わし──ー! ますぞ──ー!!!」

 

 へにょっへにょの大音声が暗黒の戦場に響き渡る。不可逆に。

 効果は覿面であった。顔を赤黒く変色させたぬえが小傘をひっぱたくよりも早く、何処からともなく射命丸文が突風一閃出現し、辺りを忙しなく見回しはじめたのだ。

 

「やや! 先ほどまでのドスの効いたお声とはまったく異なる、なんだか可愛らしいさえずりが聞こえた気がします! もしやこれが鵺の正体なのでしょうか!?」

「ア! そうですよぉー! 大妖怪の、えーと、ほうじゅう? ぬえサマだぁー! 天狗さんのお話聞きたい、な♪」

「死ね」

 

 無感情の二文字と共に、封獣ぬえは多々良小傘を射命丸文に向かって力の限り投擲した。ほとんど死角のはずの頭上から飛んできたそれを事もなげに一歩ぶん横へスライドして躱す天狗。長い長い悲鳴と共に幻の平安京をぶち抜いて下方へと飛んでいく傘は、やがてどこからか聞こえてきた結界の砕ける音とともにこの舞台から排出された。

 

 ──文は、二度三度目を瞬いて投擲物が飛んで行った方角を見やり──やがて、ゆっくりと頭上を振り向いた。

 

 空に蠢く光の都の、さらに上空。

 いつの間にか、怪しく紫色に輝く暗雲を背にして、黒い少女が文を見下ろしている。

 黒いというのも尋常の黒ではない。意識の集中を少しでも手放せば直ぐにでも輪郭が背後の闇へと消え入りそうな、その存在さえ不確かな黒。髪、服、印象。そのすべてが昏く、少女の柔肌を覆うベールとして在るような。

 

 烏天狗はもう一度目を瞬き、それから指で目尻を擦り。

 背筋をぴしりと正し、厳かに拝礼した。曰く、

 

「……なんか飛んできましたね」

 

 応えて、黒い少女は片鼻を指で塞ぎ思い切り息を吐いた。鼻腔に溜まっていたと思しい鮮血が一条空に散る。

 

「異物だ。だが、おかげで踏ん切りがついたよ──おそらく私は、しかる後に敗けるのだな」

「はい」

「射命丸とか言ったね。私はここで聴いている。しばらく、好きにするといい」

 

 宙に立て膝して座る暗の雲(Unknown)に、射命丸は本日見せた中で最も真剣な顔で目礼した。

 

 

「結論から申し上げますと──【同盟】を構築したい。我らの山は、貴女の力を必要としています」

 

 

 鵺は、わずかに瞠目した。

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 







次回ちょっと構成上のミスがあって違和感があるかもしれません。リフレインが一回多い曲みたいな
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。