再生と追憶の幻想郷   作:錫箱

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♯04 絶望と可能性を包んだ森に似たもの

 縫合開始から約三十分。

 簡易手術室の中で、老医は肌を縫い合わせる手を止め、汗を拭った。外では雪がちらつく寒さにも関わらず。

 顔を上げると、銀の長髪を後ろにひっつめた女医の姿が目に入る。同じ医術を修めた者とはいえ、自分の軽く三倍近い速度で縫合と洗浄を繰り返すその技術レベルには雲泥の差があった。舌を巻かずにはいられない。

 

 「八意先生。あと何ヵ所、残っていますかな?」

 

 竹林の医師は顔も上げずに答える。

 

 「えぇ……と、大小合わせて残り十五……いえ、十六」

 

 思わずため息をつく。

 六十の切り傷、裂傷その他諸々。一体何をすればこのような有り様になるのかわからない。老医は十年ほど前に『下級妖怪に数十回引っ掛かれた子供』を見たことがあったが、今目の前に横たわっている青年はそれより更に酷い。

 

 例えるならば、歴戦の戦士が負ってきた全ての傷口が、同時に開いたような。

 おびただしい数の損傷が、男の身体を覆っていた。

 

 「どうしたの?考え事?」

 

 やはり顔も上げずにこちらの動作を察してくる。

 

 「いえ……ただ、酷いものだ、と思いましてな」

 「そうね……でも、見た目より内側の方が問題かもしれない」

 

 意識のないまま横たわる青年の『脚』をじっと見つめながら、八意永琳は呟くように言う。

 

 「…………」

 

 その意味を察しかねるままこちらが黙っていると、彼女はこう言った。

 

 「……今はどうしようもない事。後でまとめて話すから、今できる処置に集中してちょうだいね。ほら、もう四分の三は終わったのだから」

 

 上手くはぐらかされた気がする。

 自分よりずっと若々しい姿に、老医は本来なら感じるはずもない彼我の間に横たわる年月の差を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 森に入ってから、随分時間が過ぎたような気もする。そうでないかも知れないが、実際のところはわからない。

 

 意外なほど平坦で進みやすい(『歩きやすい』ではない。今の僕は車椅子に座ってその車輪を進めているのだから)落葉と落枝の道に沿って、前へ前へと身体を進める。周囲の木々は至って普通の樹木のように見えるが、ときたま見たこともないような奇抜な形が目の前に現れる。巨大なキノコ型の……いや、あれは本当にキノコだ。ほかには絵本の魔女が住む森に出てきそうな、不気味な形にねじまがった樹。

 

 そういった奇抜なモノを横目に見つつ、更に森の奥へ行く。

 

 『豹』のような形の枝をもたげた木の横を通り過ぎ、前方に妙な形をした大岩が見えてきた。この岩は『獅子』に似ている、そう思った時だった。

 

 獅子岩の陰から、ゆらりと獣が姿を見せた。

 霧がかった森、木々の間から見えるその両眼が脂ぎった光をこちらに向けてくる。

 

 ……動けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷のどこかで、壁掛け時計が重い音で十二回鳴る。

 

 手当ての終了を待ち、顔を伏せて囲炉裏を囲む面々に沈黙が訪れていた。

 既に菓子鉢の中身は空っぽ。やや温くなった茶を啜る音だけが不定期的に聞こえる。

 

 「……いつになったら終わるのでしょうね」

 「……さぁ……」

 

 …………………………

 

 「アイツ、やっぱり『外来人』なんだろうか」

 「そうね……」

 

 途切れ途切れの言葉の切れ端が飛び交うが、それらは長続きせずに空気に漂うばかりで、まるで会話を成さない。

 

 「なぁ鈴仙」

 「……魔理沙さん」

 「たくさん縫うんだろ?」

 

 鈴仙は胡乱な目で魔理沙を見返す。

 

 「つぎはぎ人間みたくなるのか?」

 「んー、師匠の縫糸は傷の跡がほとんど見えなくなるぐらいになる上物なんで、そんなことは無いとは思いますけどね」

 

 「あ、でも戦いの傷痕を自慢する男の人も居ますよね」

 

 小鈴が思い出したように口を挟んだ。滞っていた空気の循環がようやく再開する。

 

 「そういうのを考えると、ちょっと跡を残しておくのもいいかも?」

 「あー、私ならそうするかもな。カッコいいじゃんか……こう……目と目の間とかに……ズバァーッと」

 

 かぶったままだった白黒のとんがり帽を傍らへ起き、「ズバァーッ」と口に出しながら自分の額から頬のあたりにかけて指でなぞる魔理沙。

 

 「魔理沙、お望みなら付けてあげましょうか?消えない傷痕」

 「勢い余って頭をかちわりそうな巫女には頼まない」

 「でも不死身でしょ?」

 「再生不能なのぜ」

 「霊夢さんは馬鹿力ですからねぇ」

 「誰が馬鹿だこの不良天狗」 

 

 くちばしを突っ込んできた文を楽しそうに絞め始める巫女。文も文で「くるじぃ!おぢる!」などと笑顔で抵抗っぽいことをしている。そこへ白黒魔法使いが意味無く体当たりを仕掛けて、三人が団子のようになった。

 

 

 それを見て自分の受け持つ悪ガキ共の姿を連想したらしい慧音がため息を大きく吐くと、膝を起こした。

 

 「……バカどもは放っておくとして……そろそろ茶のお代わりが欲しいな。今度は私が淹れていいか?阿求殿」

 「こちらこそお願いします……呼び捨てでいいのですよ」

 

 「私が良くないのだよ。えぇと、部屋に七人。その内バカが三人だから、七引く三で四人分か……」

 

 

 

 冗談とも本気とも付かないようなことを言って慧音が立ち上がろうとした時、襖が開いた。

 

 

 「その後お医者さんが二人部屋に入ってくるから、お茶は六杯ね」

 

 「四足す二で六、よ」とのたまいながら入って来たのは……

 

 

 「八意殿、それに医者の先生……終わったのか!」

 「そうね、目を覚ますのは明日だけれど」

 

 

 八意永琳は一旦言葉を切り、じゃれあっている三人にも声を掛ける。

 

 

 「例の怪我人について話があるの。聴いてくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獣は一歩一歩を、僕に恐怖を与えて踏みしめてくる。

 こいつの事を、僕は知識として知っている。『狼』だ。血に飢えた肉喰らい。

 

 逃げようにも、脚は萎えて感覚もなく、腕はがたがたと震えて車椅子の車輪すら上手く掴めない。喰い殺されるという、原始人の味わった原初の恐怖が今、僕を喰い殺そうとしていた。

 

 狼は充血した紅い目と、赤い舌を見せびらかすようにこちらに向け、既に手の届く距離にまで近づいて来ていた。

 

 

 「うぁ……ああ……ハァーッ、ハァ、……ハアッ」

 

 

 息づかいと一緒に漏れる自分の声が、何だか遠くに聴こえる。

 

 何とか逃れようと、車椅子ごと横へ倒れる。倒れた拍子に顎を打ち付け、切れた口から血が流れ出した。かまわず這いつくばり、そのまま身体を引き摺って後ろを向く。

 

 

 

 そして、僕はそれを見た。

 

 あぁ、なんということだろう。

 さっき通り過ぎた、あの豹の形の木。

 そして、獅子のような大岩。

 

 それらは皆、『それぞれの獣と化していた』。

 獅子と豹は、僕の退路を完璧に……完全に絶っていた。

 

 

 

 背後から焦らすように忍び寄ってきた狼が、僕の身体に覆い被さる。

 腐肉の臭気を吹き出す大きな口が、牙が、僕の首へ辿り着き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【Movere crus】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……え……?」

 ……一瞬、理解が出来なかった。

 狼が、僕の耳元に口を寄せる。

 

 

 僕の国の言葉ではない、不思議な響き。けれどその音は、僕の脳に意味を持つ言葉として、確固たる意味として響き渡った。

 

 もう一度。

 

 

 

 

 

 

 

 【Movere crus】

 

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、狂暴な獣は僕の喉を喰いちぎる代わりに『こう言った』

 

 

 

 

 

 

 

 

 【脚を動かせ】と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ふぁぁーあ、やってらんねぇ」

 

 人里の入り口。一人の兵装の男が、槍を持ったまま大あくびをしている。

 

 「……暇だなァ」

 

 彼は里の治安を守る自警団の人員の一人である。妖のひしめくこの地、たとえ巫女や半人という強力な守護者がいるとしても、三交代制で行われる二十四時間の見張りは必要不可欠な事項。

 だからといって、見張りが常にスリルに満ちているわけでもなく。

 まだ若い彼には退屈に過ぎる職務であった。

 

 「……っつ……痛ってぇ」

 

 そして彼もまた、「畑の瀕死者」を見に行った野次馬の一人。だが、そこを同じく見に来ていた自警団長(非番)に見つかり、先程までこってりと絞られていた。彼が赤くなった頬をさすっているのは寒さが三割が原因、残りの七割が団長の怒りのムチの痛み。

 

 

 「……ったく、あのジジイ……二度も打つこたぁ……ん?」

 

 

 親父も俺を打ったことがなかったのに、と続けようとした彼の視界の彼方、竹林の間際から『何かがこちらに向かってくる』という事実が映った。

 

 

 

 「小せぇな……犬か?いや猫……」

 

 

 

 そのどちらでもなかった。

 次々と湧いて出てくるそのモノの数、そして正体を目の当たりした彼は……

 

 

 

 「れっ、霊夢さんは……!!」

 

 

 

 彼に出来る唯一の職務を果たすため、背後から迫りくるモノから逃げ出すように稗田屋敷へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 
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