「まずは要点をいくつか」
稗田家の居間。霊夢、魔理沙、小鈴、阿求、鈴仙、文、慧音、そして里の医師を前にして、八意永琳はこのように口を切り出した。
「例の患者の容態だけれども、非常に安定しているわ。麻酔が切れ始める今は睡眠薬で眠らせているから、目覚めるのは明日の朝あたりでしょう」
二つ目、と永琳は続ける。
「彼の頭の穿孔について。長いけど良く聴いて」
永琳は懐から透明な袋を取り出す。
「あの穴を開けた原因は……これよ」
永琳が差し出すそれを、皆は近づいてまじまじと見つめる。
異様な物体をたっぷり十数秒は見つめてから、ようやく霊夢が言葉を発した。
「これ……って『人の爪』よね、どう見ても。でも……」
でも。
ただの『爪』が。
人の頭に食い込んでいるなど、どう考えてもあり得ない。
永琳もその点は認めていた。
「そう。ただの爪が頭蓋骨を貫入して脳髄まで達するなんて、どう考えてもあり得ないこと。けれど、この爪の不可思議な点はそれだけに留まらない。私が現場にたどり着いた時、傷は確かに脳まで達していた。なのに、さっきうどんげに手伝ってもらって傷を診たときは……」
一旦言葉が切られるのを、八人は固唾を飲んで見守っていた。
「この『爪』は回転しながら、自分が貫いた穴を『再生』しつつ外に出てきていた」
皆は呆然としている。あるいは彼女の言ったことが理解できないのか。
「……実を言うと、私にもさっぱりなのよ。『何らかの』原因で頭に食い込んだただの爪が、『何らかの』原因で回転しつつ傷の中を巻き戻り、その過程で『何故か』破壊された組織を再生していった、としか言いようがない」
結果だけを言うならば、と永琳。
「私が見ている前で、『爪』はだんだんと傷口から出てきた。とにかく早く調べたかったから、すぐにでも引っこ抜いてやりたかったけれど、なにぶん訳のわからない『爪』と『回転』だったから、暫くは放っておいて、様子を見ていたの」
鈴仙が脱力したように呟く。
「あの時間って、様子を見ていただけだったんですか……」
「仕方ないでしょ、不明なものには手を出せないのだから」
竹林の医者はさらに続ける。
「『爪』が脳を出て、頭蓋骨を途中まで再生し終わったあたりで"『爪』に掛かっていた何らかの力が消滅したらしく"、回転が止まったの。そこを見計らって、爪を引っこ抜いて終わり。骨を造成する薬品と皮膚を再生する薬品を使ったら、傷は完全に塞がってしまったわ。手術なんてしなくてもよかったくらいに簡単な処置だった」
更に呆気にとられている皆を置いて、永琳は「三つ目」と言う。
「これがむしろ深刻よ。頭の処置が終わって、全身にある傷の縫合をしていたときに気づいたことだけれど、彼はおそらく……」
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霧がかった森の中、相も変わらず獣は僕の耳元で囁き続ける。
【Movere crus】
あの不快な腐肉の臭いはだんだんと薄れ、首筋にかかっていた息遣いも消えていく。
【Movere crus】
脚を動かせ。
あぁ……分かってる!だが、どうやって?
僕の脚は動かない。それは僕が『はじまり』に戻ったからだ。
そう決めたから。自分の意思で。
どうすれば、『動かない脚を動かすことが出来る?』
答えはどこにある?
顔を上げると、前方に居る獅子と豹が、だんだんこっちに近づいて来ていた。その距離、おおよそ三十メートル。
答えはまだ見つからないが、僕は先に進まなくてはならない。
だとすれば、僕が考えることは一つだけ。
僕の進む道を阻もうとする奴らを倒す……『殺す』ことを考える。逃げて、生き延びる方法を探すのもいい。けれど、そのままでは僕は何もかも失った負け犬のまま。途中で逃げ出すただのクズ……それだけは『死んでも避けたい』。やるしかない。
落ちている石ころを三、四個掴む。
こんなものでどうにかなるとは思えない……だが、思い切り投げてヤツらの目玉にぶつければ、まだ手段はある。無きに等しい可能性だろうが、それに懸けるしか無い。
【Movere crus】
甲高い声で囁いてくる声。あぁ、分かってる。僕を勇気づけてくれてありがとう。
アイツは絶対に、殺してやる。
それが僕の『勇気だ』
【チュミィィィ】
……狼?さっきまでの声とは違う……?
上体を思いっきり捻り、背中を見る。
そこに居たのは、僕に覆い被さる飢えた狼ではなかった。
【チュミィィン】
ソイツを見て、その鳴き声を聴いた瞬間、僕の左手の爪二本が凄まじい音を立てて二頭の獣へと飛んでいった。
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「……『下半身不随』……?」
永琳が口にした言葉を反芻する皆。一様に複雑な表情を浮かべている。
「腰の部分で脊髄が損傷しているわ。随分古い傷がぶり返したような損傷よ」
「それはつまり、あの青年は『歩けない』ということか?」
慧音の訝しげな確認に永琳は頷く。
ますます動揺の色が広がる輪の中で、射命丸文だけが納得したような貌を見せる。
「なるほど。アレはその為の……」
文の呟きを聴いた魔理沙が問う。
「文、どういうことだ?」
「私が入って来るとき、『面白いモノを見つけた』と言いましたよね。これで分かりました……アレは彼の持ち物です。」
「どういうことだ」
「まぁ、見てもらった方が早いですね。表に置いてあるので、ちょっと来てください」
言うが早いか廊下に出ていく文を追って、全員が部屋を後にする。
「だから何なんだよ」
「勿体ぶらずに教えて」
「良いじゃないですか別に~」
「さすがは新聞屋、『見てのお楽しみ』というヤツか。娯楽というモノをよく心得ている」
文たちが騒がしく長い廊下を歩いている最中、彼女らの会話にも加わらずに阿求は考えていた。
(身体が不自由……怪我人……)
なにより、一人ぼっちで。
彼女が考えをまとめ、ある「思い」を芽生えさせた時、廊下の向こうで玄関の扉がけたたましい音を立てて開いた。皆が立ち止まる。
戸口の前で息をきらせている、若い男がいた。
困惑する皆の前で、彼はこう言った。
「た…大変です、霊夢さんッ……!いや、誰でもいい!大変なんです!」
霊夢が前に進み出で、男に反問する。
「一体どうしたっていうのよ」
冬場にも関わらず汗まみれの男は、途切れ途切れに言葉を発する。
「『虫』……『虫』みてぇな……妖怪が何百も……!」
血相を変える一同。
冷静さを保っている霊夢は更に問う。
「襲撃禁止の決まりがあるのに……住民の避難はさせたの?」
「それ…が」
男はきっと顔を上げ、叫ぶように。
「奴ら、俺ら兵士や里の者には見向きもしない!全く……『真っ直ぐ』!どうやら真っ直ぐ、この屋敷に向かって来てるんです!」
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目にも止まらぬ速度で射出された僕の『爪』は、狙い過たず獅子の眼球に直撃した。
吼え猛る獅子。もがき苦しむ様子を見て、豹もまた立ち止まる。
すぐさま左手の爪を見る。
爪は見る間に伸びていき、数秒後には元の長さにまで生長していた。
信じられない。
【チュミ、ミィィ】
いつの間にか、『ソイツ』は僕の目の前に移動している。
つぶらな瞳。ピンク色の表面に、ところどころ星の模様が付いている。表現しがたい形状を成していたが、それは僕に『鳥の雛』だとか、『動物の赤ん坊』のような印象を与えてきた。
生まれて間もない精霊は、フワリと後ろへ翔んでいき、僕の脚をさする。
【Movere crus】
ヒレに似た、ヒラヒラした突起を嘴の側に当て、囁く。
その瞬間、僕の脚が爆発的に動いた。
「な……ッ」
空中へ飛び上がる身体を、僕は『信じられない』。それだけを繰り返し、心の中で叫ぶように呟く。
今度は足の爪が全て飛んでいき、連続した吹き矢の如く豹の身体に突き刺さる。
重力に従い、落ち葉の中へうつ伏せに着地する。
「殺せる……のか」
動かせる。
今はもう動かないが、さっき事実として『爪を撃つ一瞬だけ』脚が動いた。
答えが、見えてくる。
それに辿り着くための『地図』の一欠片が見つかった。
そして『殺せる』
希望を考えた時だった。
視界の先で豹が、獅子がこちらに向かって再び動き出した。
豹の身体には爪が突き刺さっている。けれども肉を貫いてはいない。
獅子の眼からは血が流れている。けれども足取りは確か。
答えは確かに、この『能力』が指し示していた。
だが、まだ何かが足りなかった。
真の意味で目覚めるための、『何か』が。
我ながら遅い展開だと思っております。いつになったら完結をみるのでしょうか。