真っ先に玄関から飛び出し、あっという間に屋敷の前の通りに駆けつけた魔理沙が、雪を蹴散らしつつ滑り込むように停止する。
「うぇ。なんじゃこりゃ」
そのままの姿勢で固まる白黒の元へ、遅れて霊夢と文が駆け寄る。そうして二人とも、目の前に広がる光景に対して言葉を失った。
「……何よあれ」
「見ての通りだな。虫の大群だ」
「流石に気色悪いですねぇ」
通りの奥、三百メートルほど向こうに見えるのは、黒色の波が押し寄せる様子。その波を構成するのは、わさわさと蠢きつつこちらに向かってくる、巨大な虫。ここからではよく見えないが、一匹一匹の大きさは三十センチメートルほどもあるだろうか。数百、いや千近い数がいることが容易に想像できる、分厚い波だった。
「先手必勝……」
呟きつつ何処かから八卦炉を取り出した魔理沙が、詠唱無しのレーザーを一条放った。光の矢はやや鈍い速度で飛び、虫の大群の一角に突き刺さった。数匹が消し飛び、分厚い波は少しだけ崩れたが、仲間の死骸を乗り越え、次々と新しい虫が押し寄せる。
魔理沙はその様子を忌々しげに観察していたが、暫く後に言った。
「一つ一つは弱いし、脆いんだが見た目通り数がヤバい。霊夢、阿求と小鈴をどっか安全なところまで連れてけ。後の連中は……コイツら掃除を手伝ってくれ」
その言葉を聴いて、霊夢は一瞬何か言い返しかけたが、その言葉を引っ込めて踵を返し、再び門から屋敷へと駆け込んで行った。
「さて、と。やるか」
「魔理沙さん、あの『マスターなんとか』で全部吹っ飛ばせませんか?」
「人里が四分の一くらい無くなるが、それでも良いなら」
「やや。ではちまちまと」
緊張感に欠けた、ある意味勇ましい会話を背中に聞きながら。
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左手の爪を全弾、正面にいる豹に向かって連射する。目か口か、どこか柔らかい部分に当たったらしく、豹が唸りを上げて足を止める。すかさず右手と右足、計十本を獣の身体に集中して浴びせる。
「…………く……」
それでもやはり、ろくなダメージは通っていない。またすぐに顔を上げ、ゆっくりと間合いを詰めてくる。
僕との距離はもう、十メートルもない。
駄目だ。
続けて左足の五本を獅子へ。こちらもやはり突き刺さりすらせず、厚い毛皮に弾かれるだけ。足止めの用も為さない。
「クソッ………」
飛ばすだけで威力もクソもないが、再生だけは早い。生えてきた左手と左足の爪を再び撃ち放つ。が、今度は狙いが外れ、全て霧の中へ消えていく。
「う……ぁ」
目の前に迫る獣の恐怖よりも、今こうして無力な自分に対して憤りを感じた。
折角……答えの切れ端を掴んだと思ったのに。
僕は……いつもこうだったのか?
「おい!何とか出来ないのかッ、お前!」
傍らに浮く精霊に答えを求める。そんなつもりは無かったのに、怒鳴るような声が喉の奥から飛び出してきた。
精霊はただ、黒い小さな瞳で見つめ返してくる。その光がこう語っていた。『僕は君自身なのだから、君を上回ることは出来ない』と。
「うぅ……ッ」
頭の中をぐちゃぐちゃにするような、激しい悲しみと怒りが沸き上がってくる。半ばやけになって、爪を撃ち続ける。ついには、血に飢えていたはずの獣の目が、哀れみの目にすら見えてきた。あと、三メートル。
手が、足が落ちる。
答えは無かった。
全てを取り戻す為に、全てを最初から始めたこと。
そこには、何の意味も無かった。
撃つことをやめ、頭を垂れたその時。
『おいおい、どうした?』
突然、霧深い森の中に言葉が鳴り響いた。
二頭の獣の向こう側、おぼろげに人影が見えた。
微かに……
『おまえさんは既に答えを掴んでいる』
その声には、光があって。
その響きには、確固たる強さがあって。
『向かおうとする意志を持つなら、なぜそれを使わない?』
空っぽの僕に、溢れそうな懐かしさを注ぐ力を持っていた。
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「……どうやら、今さら逃げることは出来なさそうだな」
窓から外の様子を伺いながら、慧音が呟く。
屋敷の中に設けられた簡易手術室。今、ここに慧音、阿求、小鈴、そして意識を失った青年が居る。
押し寄せる虫たちの速度は想像以上のもので、あっという間に稗田屋敷は包囲されていた。
個々が弱いとはいえ、屋敷の使用人や阿求たちを連れて囲みを突破するのは無理だと判断した霊夢たちは、慧音を阿求たちの護衛に付け、その他稗田家の人間を地下倉に避難させておき、自分たちは外で虫の掃討を行っている。現在、屋敷の前の道で魔理沙と文が、裏で永琳が、地下倉の入り口に鈴仙が、そして敷地内全体を霊夢が守っており、今のところ屋敷の中への侵入を防ぎきっている。
何匹かの虫が窓ガラスにへばりついては、霊夢に潰されている。その様子を眉をしかめて見ていた慧音は、阿求たち二人に言った。
「……霊夢たちが暴れているから大丈夫だとは思うが……どこか隙間から侵入されていたらコトだ。私はこの部屋の前の廊下に居て見張っておくから、何かあったらすぐに呼んでくれ」
慧音は慎重に襖を開け、廊下へと滑り出ていった。
後に残されたのは、横たわる意識のない青年と、非力な少女二人。
ぽつりと、阿求が言った。
「もし私がここで死ねば、阿礼の血は一度絶える」
「阿求!」
滅多な事を言わないで、と小鈴が血相を変える。それを制止して、阿求は続ける。
「だからこそ、ですよ。こんな時に死ぬわけにはいかない。出来ることは全てやる……なにより、皆さんが守ってくれている」
小鈴は一瞬だけ目を見開き、そして穏やかに。
「ふふ、当然よ。まだまだやりたいことが沢山あるんだから」
二人が穏やかに笑みを交わしたその時、天井の隅の板が落ち、黒い塊が降ってきた。
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『向かおうとする意志を持つなら』
なぜ……それを使おうとしない?
その言葉を理解した瞬間、身体中に電流が走った。
頭の中を、たくさんの言葉が駆け巡る。
『妙な期待をするなよ』
『偶然に過ぎない』
『単なる肉体の反応で』
『それ以上のものは何もない』
『歩かせる事なんか出来はしない』
『この鉄の回転は……』
そうだ。
『回転』を武器に。
『この鉄の回転はオレの武器だ』
遠い遠い昔、そう言った人が居た――――
「回転を……」
地に手を突いた僕の上に、獣の影が覆い被さる。
「力に」
『ブゥゥン』鈍い音を立てて、手指の爪が指の上で回り出す。
獣の向こう側の人影は、じっとこちらを見守っている。
出来る。
どうやったのかは分からない。
それでも結果として、僕の放った『回転』する爪は、豹を、獅子を貫き、引き裂いた。
『それもまた、力だ』
倒れ伏した獣達の身体は、光の微粒子となって散らばる。
『……全部無くしたと思い込んでいても、おまえには闇を切り裂く爪と牙がある』
霧の向こうの影は、だんだんと遠ざかっていく。
『回転は無限に通じる力だ。その軌跡が描く螺旋の先で……オレ達はいつでもおまえを待っている。いつでも、だ』
涙が溢れる。身体が言うことを聞いてくれない。
待ってくれ、まだ……君は……
『……それを探すと決めたのも、おまえの選択だろ……じゃあな』
霧は晴れ、代わりに意識がはっきりとしていく――――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
虫はドクロの形をしていた。ぶよぶよと蠢く表面。人の頭ほどの大きさ。
「ひっ……」
小鈴が後ずさるのを他人事のように、阿求は静かにそれを見つめていた。
(こうして面と向かってみれば……分かりますね)
この化け物は、私にはどうすることも出来ない。
「けっ……慧音さんッ!!」
親友の叫びが遠くに聴こえる。
静かに目を閉じる――――その刹那。
彼女は見た。
視界の端で、瀕死のまま横たわっていた青年が半身を起こす瞬間。
その瞬間、彼女は見た。
目の前の巨大な虫が、真っ二つに切り裂かれるのを。
能力名:【爪】 本体名:???
手足の爪を飛ばすことが出来る。飛ばした爪はすぐに再生し、有効射程は十数メートル前後。これ自体にパワーはない。切り裂いたり、貫いたりする力は後述の回転から来ている。
爪に掛かる強力な回転は能力によるものではなく、意志と技術によるものだと思われる。