真剣で一振りに恋しなさい!   作:火消の砂

10 / 43
総一郎の過去編になります。

一万字あります、本編ではないのにwww




過去編
――私の意義。――


 今から三年前の話、総一郎が新当流総代になった経緯を語る。

 

 十三歳の総一郎は荒れていた。行いではなく精神が、だ。

 事の発端は十歳の時に人を斬らされたことだった。

 

 夜――川岸に純一郎、信一郎と共に着くと一人の剣士が笠を被って立っていた、腰には真剣が差されている。異様な雰囲気はここへ来る前に察知していた総一郎だったが、特に断る理由もなく父親について来た。

 この時は鍛錬が嫌いでも剣術は嫌いではなかった、純一郎や信一郎に言いつけられれば鍛錬を欠かさなかったのだ。

 川岸に立っていた剣士は純一郎と言葉を交わして深く頭を下げている、笠で表情は見えないがどこか気が起っていた。その時、信一郎が総一郎の目の前に現れて一つの言葉と共に一つの刀――真剣を手渡した。真剣の重みに驚いて信一郎の言葉が余り耳に入ってこなかった、恐らくこの刀の銘でも言われた――と勝手に思っていた。

 純一郎が引き、信一郎も総一郎から離れる。川岸辺りは二人以外の気配がなく、異様な静けさに塗れて総一郎は目を閉じて周りを察知し始めた。

 目を閉じて感覚に頼っていたのが幸いし、気が付けば刀を抜いていた。しかしなぜ抜いたのか理解していない。気付いた時には刃と刃の共鳴する音が静粛を断ち切っていた。

 相手が斬りかかってきた――漸く気が付いた時には二撃目が自分を襲っていた。

 父はどこだ――祖父はどこだ――

 迫りくる斬撃を躱しながら視界に入るものを選別して助けを求めようとした。居た――そこに見えたのは信一郎だった。しかし、助けに来る様子はない。純一郎も見当たらない。

 失念しすぎた総一郎は相手の斬撃を完全に躱しきれなかった。動脈より下の部分に浅い切れ目ができてそこから血が少量流れだした。痛みが――鋭い痛みが襲い掛かってくる、紙で指を切った時とは比べものにならない痛みが走り、全身に痛みがあるように錯覚して少し過呼吸になる。傷を抑えて袖が赤く染まる、大した出血量ではないはずだというのに死を予感する恐怖を感じた。

 そんなことを考えている間でも相手は何度も斬りかかってきた。

 そんな時初めて気が付いた、喰らった傷のすぐ上には動脈があることに。よく観察してみれば相手の斬撃は動脈や心臓、手首など人体の急所ばかり狙っている。

 ああ――この男は俺を殺そうとしているのか。

 男の笠が取れ、そこには死に物狂いで総一郎を殺そうとしている鬼のような形相が見えた。浅い傷を抉るように錯覚させる鋭い痛みが体に突き抜けていく、剣士の気だった。

 何故誰も助けてくれないのか、自分はこの男に何の理由もなく殺されかかっている、何故父はそこで傍観しているのか、祖父はどこに居るのか、自分は一体どうすればいいのだ。

 

 剣士の刀を総一郎は受け止めて思った。そして間髪入れずに行動へ移す。何故か体はどうすればいいのか理解していた。

 

 気が付いた時には剣士は自分の足元で倒れ、お気に入りの草履と袴の先は赤く染まり、川が少しだけ濁っていた。

 

 

 それから三年、十三歳の総一郎は荒れていた。荒れている理由を周りは知らない、その理由は塚原にとっても新当流にとっても重要秘匿だった。

 荒れて鍛錬をサボる総一郎はそれでも慕われてた。塚原卜伝の再来という肩書がそうしていたのだろう、その時はそれすら父親の策略で、自分が剣術から離れないようにするための留め具だと思っていた。

 留め具と思っていたのはそれだけではない。

 当時の新当流総代だった師匠、雲林院村雨。そして姉弟子の松永燕だった。一時は燕と仲が良かった総一郎も人斬りが切欠で周りとの関係を断ち切り、燕もそれに巻き込まれていた。

 村雨は人斬りなった総一郎を見かねて自身の高弟とし、前々から稽古をつけていた燕も内弟子にしたのだった。

 総一郎を弟子にしてみればそれは悲惨だった。鍛錬を軽々とサボり山に籠っている、久しぶりに鍛錬をするかと思えば稽古相手の燕に容赦ない一撃を喰らわせて全治一ヶ月の骨折を負わせてしまう。村雨も頭を抱えていた。

 自分には無理かもしれないと思う村雨を立ち直らせたのは燕の言葉だった。

 

「分からないけど、総一郎君はあんな子じゃないと思う。もっと笑顔がドキッとする男の子だよ」

 

 理不尽な暴力で傷つけられた女の子が言う言葉ではなかった。痛々しい腕が頻りに視界に入り心が痛む。

 村雨は勿論、総一郎が人斬りであることを知っている、そして燕はそれを知らない。ならば自分がどうにかするしかないではないか。

 

「私は伊達に雲林院を名乗ってはいない。先祖の借り、今返そうぞ」

 

 そう決意したのは総一郎の師匠になってから半年がたった頃だった。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 すべてが空しい、そして苦しい。

 いつものように総一郎は森で一日を過ごしていた。熊の腹を枕にし、栗鼠を腹に乗せ、横で寝ている鹿の頭を撫でながら空を眺めていた。

 お節介焼の村雨と何度傷つけられようとも刃向かってくる燕に少しずつ心を動かされていくが、それでも胸の靄は取れない。それを分かっているのか総一郎に集う動物は格段に増えていた。

 総一郎、十三歳の夏だった。

 

 

「うっす」

 

 夜、家に戻ると顔も合わせたくない父と祖父がいないときを見計らって、母の作った作り置きの夕飯を食べる。一日山に居たとしても、一日何も食べなければ腹は減った。

 薄暗い食卓で夕飯を食べていると総一郎の妹、水脈がその姿を覗いていた。それに気づけば総一郎は微笑みを見せた。憎いのは父と祖父だけ、何も知らない母と妹にそのような感情は抱いていなかった。それでも初めは微笑み返すことも出来なかった、これは村雨と燕の努力だろう。

 次の日に総一郎は久しぶりの鍛錬を行うことにした。相手は村雨――だったが、急遽燕に変更された。

 不満だった。燕は強い、総一郎も認めていた――だが、一瞬で切り殺せてしまう。才能に努力がまだ追いついていない、彼女にはそういう評価を下していた。

 いざ、手合わせ。だが、いつになっても村雨は道場にやってこなかった。心配した燕と待ちくたびれた総一郎は離れにある村雨の部屋に行く。村雨は結婚しているが、町に住む奥さん、子供と離れてこの塚原家敷地で暮らしていた。

 

「ししょー、稽古したいいんですけど」

 

 襖の前で声を掛けても反応は無かった。

 

「師匠居ないのか? 鍛錬に出ろっていつも言ってる師匠がこの様かよ」

 

 わざと蔑むように言っても反応は無かった。燕は「すれ違ったかもね」と言って道場へ踵を返すが、総一郎はその場で立ったままだった。

 悟ったかのように総一郎は勢いよく襖を開けた。

 そこには煎餅布団から這い出るように倒れている村雨の姿があった。

 

 

 

 

 二日後――新当流が懇意にしている市内の病院にて総一郎と燕は村雨の妻、静が主治医との話を終えるのを廊下にあるソファで待っていた。村雨は昨日の朝方に目を覚まして精密検査を受け、検査結果は本人が知る前に静に伝えられていた。

 総一郎はソファに座らず壁に小一時間寄り掛かっている。視線を右に移せば村雨の娘に絵本を読み聞かせている燕の姿が目に映る。二人がこの場にいるのは正式な内弟子と高弟だったからだ、総一郎は塚原家嫡男であることも関係している。当の塚原家当主は昨日村雨と小一時間話して帰ってから見舞いに来ない、総代であった村雨の代わりで忙しい――もしくは、ということだろう。

 二日前に倒れた村雨を見つけた時は大騒ぎだった。混乱を収めるために塚原家総出で事態に対処していた。新当流総代とはそれほどに大きい存在――それを総一郎と燕は初めて実感していた。

 そして村雨が一命をとり止めたのは総一郎の的確な処置と燕の迅速な通報だったこともあり、一躍時の人となっていた。

 思考に更けていると近く扉がスライドして開く。

 

「ママ!」

 

 燕の膝の上から飛び出して扉から出てきた静に抱き付いた。一時間程ではあったが、母親の意気消沈と父親が病院のベットで寝ていることを幼いながらも感じ取ったのか、寂しいというよりも怖いという気持ちが大きく、五歳になる圭が燕を忘れたかのように静に抱き付く様子はそれを体現していた。

 

「圭いい子にしてた?」

 

「うん!」

 

「燕ちゃんありがとうね」

 

「いえいえ、こういう時は助け合いです」

 

 良く見ると静の目は少し赤みかかって腫れているのが分かる、圭は気が付かなかったが二人にはそれが分かった。

 悲し気な表情で静は圭の頭をできるだけ優しく撫でていた。

 

「圭ちゃん、お母さんはもう少しだけお話があるから、またお姉ちゃんと絵本読もうね」

 

 少し顔が膨れていたが、静と燕の両方に窘められて圭はまた燕の膝上に乗っかる。燕は圭に見えないよう総一郎へ視線を送った。

 

「静さん」

 

 総一郎は誘導して一番奥にあるソファで二人は座った。静は渡されたペットボトルのお茶を両手で強く握りしめ、顔は俯いていた。少し間を置いてから話を切り出そうとした総一郎だったが、それよりも前に肩の力が抜けた静が切り出した。

 

「原因不明だそうです」

 

 不謹慎だが一層のこと癌とでも言ってくれれば分かりやすい。初期の癌ならば助かるケースが多い、心筋梗塞や脳梗塞も程度によっては普通の生活を送ることだってできる。

 しかし、原因は不明。

 静は淡々と言葉を並べた。

 少し辛いことを言うが総一郎は聞くしかなかった。

 

「どれくらいですか」

 

 ソファが軋む程、静は体を震わせた。悍ましい言葉だったのだろう、その反応で総一郎は理解――確信した。

 

「村雨師匠に会えますか」

 

 静は俯いた顔をさらに沈ませて小さく頷いた。

 

 

 

 

「やあ」

 

 総一郎が来たことに気付いた第一声がこれだった。

 軽い口を叩いているが、昨日会った時とは大違いと言えるほどに頬の筋肉が落ちていた。指先や腕も老人のように細くなっている。

 村雨はまだ三十三歳だった。

 

「うちの爺さんよりも皺くちゃですね」

 

「はは、すまない。笑ってくれていいよ」

 

 村雨は笑っているが総一郎は皮肉を飛ばすのが精一杯、とてもじゃないが笑えなかった。人に死を与え、息絶える所は何度も見たが。隣にいる人物が死に行く姿、そしてそれを見て受け止めなければならない愛する者を見たのは初めてだった。

 正直吐き気がした。

 

「どうした、私よりも青色が悪いぞ。お前も私と同じでもうすぐ死ぬつもりか?」

 

 雲林院村雨は天才だ。十代で壁を超え、二十代後半で新当流総代になった。その特徴は剣術と武術を兼ね備えていること、長所と長所を知り短所と短所を知っている。言うことは簡単だが、そのどちらも壁を超えている。塚原総一郎という天才がいなければ若手筆頭の剣術家だっただろう。

 その男がもう刀を握ることも出来ず、死が一瞬で間合いを詰めようとしている。それにも拘わらず笑い飛ばすように不謹慎ギャグを言う村雨を見ていられなかった。

 

「気の流れが殆どない、俺が気が付けばここまで悪化することもなかった。仮にも高弟の俺は立つ瀬がない」

 

 一体それが本音かどうかは総一郎にも分からない。だが、それを村雨は軽々と否定してみせた。

 

「それは無理だ、これは呪いだからな」

 

「……どういうことですか?」

 

「これは呪いだ、塚原流の呪いだ」

 

 理解し難い話だ。

 呪いに罹った、そもそも塚原流の呪いなど聞いたこともない。もう少し言えば「塚原流」など聞いたこともない単語だった。

 それを自分の師――新当流総代で、総一郎よりも塚原の深みに居る人物が言っているのだ、邪険にはできない。

 

「君は剣術が嫌いか?」

 

「――!……憎いです」

 

「そうか」

 

 総一郎が人斬りだということを村雨は知っている。分かっていたことだったが本人から言及されたことはなかった。詰まりながら答えても淡白な相槌しか返ってこない。

 

「君は何故人を斬った?」

 

「それは――」

 

「結果だけ言いなさい、経過は必要ない」

 

「……無理やり斬らされました」

 

 また「そうか」と返って来た。

 

「では何故無理やり斬らされた?」

 

 言葉を返せない。「知らない」とも言えなかった。

 始めの中はそれを考えたこともあったが、ここ二年は思ったこともなかった。諦めた、というよりも仕方がない、と思っていたのかも知れない。

 

「それが塚原流の呪いだ、君を苦しめている」

 

 また理解し難い言葉が村雨から出てくる。今度こそ反発してしまった。

 

「意味が分からない、悟ったようなことを……!」

 

「悟ったのさ、死期を」

 

 用意した言葉は一言で遮られてしまった。医者からの言葉はまだ本人は知らないはず、その言葉から察するにもう村雨は生きようとはしていなかった。

 

「一週間生きればいい方だろう、ならば最後は師として生きよう」

 

 先程まで真っ白だった村雨の顔色は元の肌色に戻っている。無理やりにでも気を戻したのか、そうでもしないと気を保っていられない程に村雨は衰弱していた。

 

「塚原流の呪い――それを調べている途中で私は倒れた。呪いは塚原の不自然に全て繋がっている」

 

 捻りだすように言葉を総一郎に繋げている、全てを総一郎に託すつもりなのだろう。その眼は総一郎が今まで見た中で一番生きようとしている目だった。

 生きるのは今だけでいい――

 

「君が人を斬らねばならない理由、塚原家の当主制度、信一郎さんと純一郎さんが弱い理由」

 

 一つ目は総一郎にとって一番の不自然、二つ目は疑問程度、三つ目は予期もしない言葉だった。

 

「親父と爺さんが弱いとはどういうことですか」

 

「純一郎さんの武勇伝を聞く限り今の実力とは辻褄が合わない、本当だったら私が優に及ばない剣術家だっただろう。信一郎さんもそうだ、彼は純一郎さんを超える才能の持ち主と本人からのお墨付きだった」

 

 それを聞いた総一郎は反論の余地もなかった。確かに信一郎も純一郎もあまり強くはない、信一郎は「三撃」と称されているが、裏を返せば三撃目を外せばそれまでという皮肉を込められている。純一郎も「鬼太刀」と呼ばれた面影は塵一つも残っていない。

 

「私はそれを元にこう推測した――塚原家当主制度には何か裏がある、根拠は信一郎さんの弱体は彼が当主になる頃だったから、そして君の人斬りが強制されたのもその頃だ」

 

 粗末な推測、単純に不自然を辻褄合わせにしただけだった。

 

「そしてそれを調査している時に一つの言葉を聞いた――塚原流とその呪い、だ」

 

「どこで聞いたんですか」

 

 尤もな疑問だった。

 

「笠を被った男に「塚原流に近づくな、塚原以外が近づけば塚原流の呪いがお前から生を奪う」と言われた」

 

「そんな戯言を――」

 

「現に私は原因不明の病で気が止まって、余命は良くて一週間だぞ」

 

 幾らでも反論はあっただろう、村雨の言い分は些か超常すぎる。穴は幾つでもあったはずだ。それでも総一郎は否定できない――否定したくなかった。

 本当であれば師の命を奪い、自ら苦しめている根源が見つかるのだ。

 

「兎にも角にも、私はもう倒れた。もう調べることも出来ない――君を呪縛から解き放つことも出来なくなった」

 

 言葉を疑った――俺を呪縛から解き放つ?

 考えれば分かることだった、何故村雨は塚原流の呪いについて調べる必要があったのか、それは師として弟子に降りかかる不条理を取り除いてやりたかった、ただそれだけだった。

 

「手に負えない――と一度君を突き離そうとした自分が恥ずかしかった、今では君を息子のように思っているというのにね。だから苦しむ君を見るのは心が痛んだ、燕を無表情で痛めつけてその瞳の中には悲しみが宿っている君をどうにかしないといけないと思った」

 

「なんで――」

 

「――師だからね」

 

 一言で全てを纏めてしまうその言葉は初めて聞いた。今まで師だった信一郎からも言われたことはない。何度目も言葉を遮られて分かった。

 この人は俺の師匠なんだ――人斬りの自分を見てくれている人は居る、そう思ったら急に熱いものがこみあげてきた。

 

「俺は師匠に何も出来てない」

 

 思いの丈が一言口から漏れ出た――この人はもう死ぬんだ。

 

「ならお願いを聞いてくれるか?」

 

 その言葉で悟ったのだろう、今までそんなことを言ったこともなかった。少し顔色が悪くなっている。

 

「新当流総代になれ」

 

 絶句した。総一郎は今すぐにでも刀を捨てたいと思っていた、村雨もそれ知る。だからこそ「お願い」と言ったのだろう。信一郎と話していたのはこの件なのかもしれない。

 

「私は剣術家だ、武術家でもある。今回こうして死を間近にして思うことは――無念だ。病に倒れたのは本望、弟子のために死ねるなら幾つだってこの命賭けてやろう。

 だが、無念だ。一人の人間としてな。妻を置いて娘を置いて私はこの世から去る、しかもお前を救ってはいない! 私は悔しい!」

 

 そこで村雨は咳き込んで話を中断した。総一郎は村雨の背中を摩ることしかできなかった、村雨はそんな総一郎を見て言うのだ「すまない」と。

 

「継いでくれないか、私の地位と私の無念を」

 

 できれば継がせたくない――そういう目に総一郎は見えた。総代を継げは呪いに近づくことが分かっている。しかしそれでも村雨は継いで欲しかった。

 これは遺言――我儘なのだ。初めて師と弟子という関係で我儘を言った。それもそうだ、今日が最初で最後だから。

 ならばその師に報いるのも今日が最後の機会であることを総一郎も理解していた。

 

「……そんな目をするなよ」

 

「……」

 

「俺はお前の弟子だ、命令しろよ。そんな目をするな」

 

「……俺を継げ、総一郎」

 

「新当流総代の任、承る――俺が呪いを断ち切る、貴方に報いる」

 

 村雨が微笑んだのを視界の隅に確認しながら総一郎は踵を返した。

 

 三日後、天才雲林院村雨は無念を弟子に託しこの世を去った。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 喪主は静、執り行いは塚原家一同で村雨の葬儀は行われた。

 北陸の剣聖「黛大成」や上泉家、新当流師範代の足利興輝、燕の両親、村雨が生前交流のあった九鬼の者が参列をしていた。武術の総本山川神院は弔辞を送り参列はしなかった。

 式の執り行いを先導したのは次期総代を後日正式に受け継ぐ総一郎と内弟子であった燕。まだ幼かったが、総一郎が信一郎に直訴してそれを認めた。高弟であった総一郎と内弟子の燕が式の執り行いをすることに反対する者など居る筈もなった。

 それでもそれを意外に感じた者は少なからずいた。

 燕は真面目に村雨を師と仰いでいたが、総一郎は内に籠って村雨から碌を受けることをしなかった。それが急に信一郎に対して頭を下げた、不思議と思っても仕方は無い。

 まさしく燕がそうだった。

 

 式が終われば火葬場に着く。棺が焼かれていくと子供の泣き声が聞こえ、母のかみ殺したような嗚咽が周囲の耳に入ってくる。燕と総一郎は並び、総一郎は真っすぐ、燕は顔を俯かせていた。きっと燕は悟られないように泣いているのだろう、気が付いたのは隣にいる総一郎だけ、気付かないようにするのが総一郎のできる精一杯の配慮だ。

 今は胸に刻むよう師の姿を見ていたかった。

 

 全てが終わり、静に挨拶をしてから帰る者が増えてきた。母の腕の中で包まるように眠る圭を撫でて燕もその場を後にしていた。残りの作業は総一郎が引き受けた、総一郎が帰させたというのが正しいだろう。「ここは任せて帰れ」と言われた燕は非常に驚きただ頷いていた。

 片付けの指示や金の計算をしていると気が付く頃にはもう七時だった。流石の総一郎も信一郎に言われて後を任せることにする。

 気分転換に街へ出てあてもなく京都を歩き、気が付いたら川岸にいた。癖なのだろうか、荒々しい上流にはよく行っていたが拓けた下流に来るのは久しぶりだった。

 

「こんな時間に居ると襲われるぞ」

 

 総一郎は岸で寝転んでいた燕に声を掛ける、燕は少し息が乱れて汗が垂れていた。

 偶然燕がいた――なんてことはないが意図したわけではない。少し離れていたところで燕の気を感じたためここへ来た。

 

「おろ? 心配してくれるの?」

 

 笑っていた。周りは暗く、髪の毛で顔は隠れていた。

 

「静さんと圭ちゃんは足利家で預かることになった」

 

「そう……よかった、突然だったからどうなることやらって思ってたよ」

 

 飽くまで平常を装うらしい。ならば、と総一郎は考えた。

 

「なあ、つーちゃん」

 

「ふにゃ!?」

 

 反応は予想通りもいいところだった。

 

「いつからだ、俺が燕って言い出したのは」

 

「え……」

 

「いつからだ、お前が俺に気を使って総一郎君って言い出したのは」

 

 何を思って言ったのか、二人とも理解できていない。言った本人は懺悔のつもりなのか、回心のつもりなのか。言われた側はただ単に言った側の意図を理解できていなかった。

 ただ一つ、総一郎は意を決していた。

 

「つーちゃん」

 

「な、なにかな」

 

 口を開いてただ息が漏れた。意を決しても脳が拒否する、言いたくないと声を出させてくれなかった。

 それでも総一郎は心で脳に抗った、形を持たないが自分自身の脳が作った呪いに対抗した。村雨が総一郎の為に死ぬことになった忌まわしき呪いを断ち切るためには、この呪いに抗い断ち切らねば前に進むことは出来ない。

 心が悲鳴をあげて涙が出た。

 

 家族以外の前で泣くのは初めてだ、恥ずかしかった。

 

 燕にはその総一郎が辛い――いや、とても悲しそうに見えた。

 

「俺――人斬りなんだ」

 

 燕の表情を見たくなかった。どんな顔をしているのか分からなかった、だから見れなった。

 嫌われたくない人だった。

 

「じゅ、十歳の時に人を斬らされた。それから――それからずっと最悪だった、つーちゃんって呼ばなくなったのもつーちゃんを突き放したのもその頃……だった」

 

 涙が止まらず、声も震えて詰まった。

 相槌もなく心が握りつぶされて爆発しそうだった、これが愛の告白だったら気分はまた違うだろう。落ち着かせるように言葉を繋いだ。

 

「俺が人を斬らなきゃいけなかったのは呪い――塚原流の呪いだって師匠は言ってた、師匠はその呪いから俺を解き放つために……死んだ、俺のために死んだんだ。

 だけど俺はしてやれなかった……! だから俺を苦しめた呪いじゃない、師匠を苦しめた呪いを斬る!」

 

 鋭く甲高い音が鳴り響いた――総一郎が自身を鼓舞するために刀を抜いたのだ。三尺を超える大太刀は夜に紛れ輝きを失っている。

 それでもその刀を高く天に掲げ、総一郎は天を仰いだ。上を向いているのに涙が零れて肩や地面に零れた。決意に塗れ心が昂っていく――心は呪いに抗い続けていた。

 

「総ちゃん」

 

 そう聞こえて総一郎は微塵の迷いもなく燕を見た。心が反応していた。

 

「辛かったね」

 

 包み込むような笑顔で総一郎に優しい言葉を掛けてくる、総一郎の話を聞いても尚いつも通りの燕――いや、いつも以上の燕だった。

 彼女もまた解放されたように笑顔のまま涙を流していた。

 

「つーちゃん……!」

 

「総ちゃん、三年もよく我慢したね」

 

 二人とも涙を拭こうとせずに流しっぱなしで数年ぶりに友達以上恋人未満に再会していた、初めて出会った手合わせを思い出しているのだろうか。

 笑い続ける燕に感化されたように総一郎は少しだけ微笑んだ。

 

「お、俺に付いてきてくれるか?」

 

 小さく燕は頷いた。

 

「憑いていくよ、どこまでも」

 

 そして燕はどこからともなく藁に入った納豆を手に取って言うのだ。

 

「君のハートにな、っとう!」

 

 刀を捨てて飛んでくる燕を受け止めた――抱きしめたとも言うだろうか。

 

 鼻に通っていく臭いは心に加勢して呪いに粘り勝ちを決めていた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 変わって三年後――総一郎が激怒した次の日、信一郎は塚原邸で帰宅して純一郎の元へ急ぎ足で向かっていた、途中で挨拶してくる使用人にも目をくれなかった。

 

「父上」

 

「帰ったか総一郎」

 

 純一郎の襖を開けて名を呼べば待っていたかのように純一郎は正座のまま信一郎と対面した。そんな様子に疑問を覚えないまま要件を切り出した。

 

「総一郎のことでお話ししたいことが」

 

「昨日のことか」

 

 日本全国へ届く気を放ったのが総一郎だと気が付いていたのだろう、祖父であれば当然といえた。

 

「ええ、対戦相手を示したら気を爆発させて……譲位を迫ってきました」

 

「……何?」

 

 由々しき問題だったのだろう、眉間に皺を寄せて信一郎を睨んだ。

 

「で、何と答えた」

 

「……準備がある、と」

 

「ならん!」

 

 怒ったわけではない、その表情はどちらかと言えば困り顔だった。声も怒鳴りはしたが勢いづいたものではない。

 

「すまん、大声を出した」

 

「いえ……しかし、総一郎は呪いの存在を知っていました」

 

「なんだと? 何故だ」

 

「……わかりません、父上と一緒の時以外は口にしたこともありません」

 

 二人は息を吐いて沈黙した。ここにいる二人以外は知る筈もない言葉だったからだ、村雨がその一片を知ることができたのも殆ど偶然だったと言えるだろう。まさか村雨が総一郎に託したなど考えもつかないだろう。

 

「内容は知らないのか?」

 

「そのようです――どうしますか?」

 

 純一郎は数秒目を閉じてから立ち上がって本棚で一つのアルバムを取り出した。その本には「そういちろうせいちょうあるばむ」と平仮名、そして非常に汚い字で書かれていた。

 

「総一郎は儂らを恨んでおるか?」

 

「でしょう、我々に出来なかったことを押し付けているのですから」

 

「そうか」

 

 一枚ずつページを捲っていく――そのページには運動会で一位を取って純一郎と写真を撮る総一郎の姿が、「一位」と書かれた紙でできているメダルを高く掲げ嬉しそうだ。旅行先でコーヒー牛乳を一気飲みする二人の写真、入学式で並びながら涙を流す純一郎と笑顔の総一郎の写真――

 

「……信一郎――」

 

「父上、それは私に言う言葉ではありません。その言葉を受ける資格は私にはありません」

 

「……そうだな、実は先程鉄心殿から電話があってな、私も「どんな事情があろうとお前にあやつの祖父を語る資格は無い」と怒られてしまった」

 

「私も怒られました、肝が冷えるほどの形相でした」

 

 二人は慎ましい笑みを溢し、その後一瞬にして雰囲気は冷たく突き刺さるような気に支配された。総一郎と瓜二つだった。

 

「例え非難され、恨まれたとしても我々は挫けてはいけない。分かっているな信一郎」

 

「はい、父上。どこまでも塚原の呪いを父上と受け続け、父上がいなくなれば私が――そして縛ることがあっても総一郎に呪いを受けさせません、どんなことがあっても」

 

 純一郎は小さく頷いた。

 

「時期は年が明け、春が咲くころだ。後は任せろ」

 

 この会話を総一郎は知ることはないだろう。

 

 ――ただ、この思いが届くことはあるだろう。

 




原作突入はもう少しですね、あと二、三話でしょうか。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。