「直江殿」
「ん? どうしたクリス」
「ああ、実は椎名が――」
近くにいた総一郎とキャップは聞き耳を立てることなくその会話が聞こえていた。椎名が――と言われればファミリーとしてクリスの話を聞かないわけにもいかない。
つまり京がクリスの案内をすっぽかした、そういうことだ。分かっていたことだが、まさか見事にここまでとは思わない。成長したと言っても赤子に毛が生えた程度であると三人は再認識した。
「俺はこの後バイトだからなー」
「総一は?」
「うーん、川神院に呼ばれてる」
「じゃあ俺だな。クリス、まずは学校から案内するよ」
「すまない」
教科書類を全て鞄にしまうと大和は「じゃ」とキャップと総一に一瞥、クリスを一つお辞儀をして教室を出ていった。
すると、総一もそのまま川神院に向かおうとしたのだが、キャップが妙なこと言う。
「面白いよなあ」
「は?」
ただの独り言だったようで「バイトだー! 総一またな!」と風のように走り去っていく。総一郎はその一言が波乱の幕開けを呼ぶ言葉ではないのかと、自然の台風よりもこの男を恐れていた。
川神院――その説明はもう必要ないだろう。世界武術の総本山。剣術の総本山である塚原と対をなす、と言いたいところだが。塚原純一郎や信一郎が剣術界最強になる――と言われた人昔前からすれば、川神院に全ての分がある。それでも尚、川神院と対等と言えるのはその門下生の数、つまり新当流の影響力だろう。そしてそこに塚原総一郎と言うニュージェネレーションがその立場を優位に立たせている。武神に勝った男であり、塚原卜伝の再来、そして――
「まずはおめでとう」
「ありがとうございます」
「当主継儀はいつごろになるかのう?」
「早いうちに。六月の中旬ぐらいに予定してます」
鉄心の自室に総一郎、百代、一子、ルーは集められ、鉄心の点てた茶を啜りながらその話は進んでいた。今のところ抽象的な会話で鉄心とルー、そして総一郎以外の二人にはイマイチ伝わっていない。
「とうしゅけいぎ?」
恐らく漢字は想像できていないだろう、聞こえたままの発音で鉄心と総一郎へ疑問をぶつける。すると百代は感づいたらしく、総一郎と目が合うと思わず笑みを溢した。
「当主継儀」聞くことのない言葉。だが正しく読むことができれば理解も容易い。特に総一郎の事情を知るものならばすぐに分かる、一子が理解できていないのは馬鹿だからだろう。
「ワン子、総一郎はなんで今まで帰ってこなかったんだ?」
「えーと……当主を受け継ぐ為の試験が――あ、当主!……けいぎ?」
連想出来た当主までは良かったものの、肝心の継儀が理解できていない。読めたとしても意味は分からないのだろう。そこにいた一同は深く溜息をついて、一子は困惑しながら行き場を失った犬のようになっていた。
「継ぐ儀式、継儀だ。当主継儀」
「当主……継儀。え、当主になるの!?」
「おう、鉄っさんにため口きいても誰も文句は言えねえぜ」
「それは違うじゃろう……」
元より総一郎が試験を受けることは知っていた。だが、総一郎が十二月の終わりに京都へ向かってから三ヵ月間以上一つとして連絡がなかった。ファミリーや鉄心たちが心配した理由はそこにある。塚原の事情とはいえ鉄心や教師のルーは気が気ではない。
「あまり言うべきことではいかもしれなイ。だけど何故連絡が取れなかったのか教えてくれるかイ?」
誰もが知りたい訳、知られざる塚原の試験。教えてもらえなくとも聞かずにはいられない話だった。
「単純に連絡の取れない場所にいました」
「……三ヵ月モ?」
「いえ、正確には二ヵ月ぐらいで、その後二週間ほど寝込んでました」
淡々と話す総一郎とは対照的に鉄心や百代は表情を曇らせていく。百代が寝込んでいた――という言葉に反応したとは違い、鉄心はもう一つの言葉に反応を示す。
「総一郎や」
「はい」
「お主は何者かと戦っておったのか?」
予想もしない言葉だっただろうか。本来武術における試験とは通過儀礼的な意味合いが強い。度胸を試したり、絶対に達成できない事柄にどれだけ挑戦できるかを試す。もちろん何者かと戦うこともあるだろう。
だが、総一郎は二ヵ月の間試験を行っていたはず。もし戦っていたならば、だ。
「――ええ、そうです。塚原の呪いと戦っていました」
「二ヵ月間もか!?」
もしや――と予想していた百代が大声を上げた。鉄心とルーも渋い顔をしている、唯一一子がだけが意味を理解できていない。
「総一郎、一体呪いとは――」
鉄心が口にしようとした言葉を途中で切る。そんなつもりが無くとも総一郎から放たれた雰囲気がそれ以上の追及を拒むと理解したのだ。
「――いや、すまぬ。とにかく無事に戻ってきて安心したわい」
「本当によかったネ」
「ご心配をお掛けいたしました。時期が時期なのでまた迷惑がかかるかもしれません、その時はよろしくお願いします」
「……うむ」
♦ ♦ ♦
「隙が無い」
「モモちゃん強すぎ」
「総ちゃんもお姉さまも意味が分からないわ」
川神院から秘密基地へ向かう途中の河川敷、三人は疲労感を覚えながら遅い足取りで目的地へと向かっていた。疲労の理由はあの後に行った稽古。朝とは違い百代と総一郎はかなり激しさを増した攻防戦を繰り広げ、そこに一子も加わるという三つ巴の稽古を行っていた。
百代の激しい攻撃を受け続け、たまの隙に鋭い一撃を放つ総一郎。そして二人の虚を突くため機を見定める一子。稽古としてやっている総一郎や楽しんで戦っている百代とは違い一子の疲労は二人よりも大きい、三人の足取りが遅いのは一子に合わせた歩幅だからだ。
「ワン子大丈夫か?」
「うーん、平気よお姉さま」
「ワン子、負ぶってやろうか」
「いや、大丈夫……zzzz」
頭をコクコク揺らす一子を見てヤバイと思った総一郎は近くに寄ろうとする、百代も構えているが案の定一子は道端で寝てしまう。それを総一郎は支えると百代と二人で苦笑を漏らした。
「私が背負うか?」
「いいよ、何だか妹みたいだ」
そういうと気持ちよさそうに寝ている一子に微笑んで小さな体を総一郎は背負った。
「歳は同じなのにな」
「ああ。だが、心は一番強い」
「うん」
体勢を整えると三人――歩いているのは二人――は一子を起こさないように先程と同じ歩調で秘密基地へと向かう。
すると総一郎が重そうな口を開いた。
「どこまでいけるか、な」
「……安心しろ、私はお前も責めはしない」
「ああ、安心だ」
一見していい雰囲気の二人だが、生憎そんな感情が二人の間に芽生えることは無かった。手をつなぐ距離にいてもそれは違う。
この二人は手を繋ぐことよりも拳と刀を合わせることの方がよっぽど心地が良かった。
そんな歩調で秘密基地に向かうのだからそこに着いた時間はかなり遅くなっていた。キャップやガクトは「遅い!」と言うつもりだったらしいが、一子がぐっすり総一郎の背中で寝ていることに気が付くと息を吐いてただ微笑み、言葉はしまわれた。
そして一子が熟睡の中ファミリーのリーダーであるキャップから音頭がとられる。
「えー大馬鹿野郎の総一郎が帰ってきました。て、ことで騒ぐぞー! かんぱーい!」
「いえーい!」
「お帰り!」
「イケメンに磨きをかけやがってチクショー!」
「大和好き! 結婚して!」
「そりゃおかしい」
「ふがっ! 食べ物!?」
「そりゃおかしい」
音頭言えぬキャップらしい音頭でフルメンバーの金曜集会は幕を開けた。
その後は総一郎に対する文句と質問攻め、特に京からの執拗かつ陰湿な文句を受けて意気消沈。そして転校生の話題へと移る。
「――ってことで、俺は卑怯呼ばわりされた」
「何それ、殺していい?」
「止めとけ」
「結婚しよう!」
「お友達で」
京が迫る直前で大和の制止が入る。
「まあ、酷い話だな」
「総一郎もそう思うか」
穏健派(自称)の総一郎は京の意見に同意する。軽い口調だがやはりどこかで苛立ちを覚えていた大和はその同意にすぐ反応した。
「冬馬と違って卑劣さが目に見えるのは確かだが――我が陣営の軍師様は侍中さんだからなあ」
「あ、確かにそれは言えてるね」
「侍中ってなんだ? ワン子わかるか?」
「知らないわ!」
「ワン子は馬鹿として、ガクトは相変わらず馬鹿だなあ」
分からない――と言ったはずのワン子の頭を撫でつつガクトに冷ややかな視線を向ける総一郎。不機嫌な顔をして「どうゆうことだよ!」と叫び、何故か馬鹿にされているはずのワン子は勝ち誇ったように頭を撫でられていた。
「軍師とか策士ってのは知力がメインだろ? それには葵が当てはまる。侍中ってのは政治家のことだ、頭と人脈を生かして政をこなしていく。俺は葵よりも単純な知力で負けるが小細工と人脈ではその上を行ってる。まあ小細工とかするから事が終わった後露見するんだ、そこが葵との差かな」
ファミリー一同が「なるほど」と頷く。「お前卑劣とか言ったろ」と大和が遅れて総一郎に詰め寄るがそれを躱す。と、少し心に傷を負った大和へ百代が「まあ落ち着けよ、お姉さんが慰めてやるから」と抱き付けば、大和は顔を赤くして大人しくなっていた。
――そして。
「なんだかんだあるがクリスをファミリーに入れよう!」
強引な話題変換――いや、共通の話題だったが明らかにタイミングがおかしかった。恐らく元々言うつもりだったのだろうが、クリス反対の雰囲気に移行する前に。と強硬手段を取ったのだろう。
そんなキャップに言葉をなくすが、流石はファミリー。入って一年の総一郎ですらすでに苦笑を漏らしている。
「んー私は賛成だ。可愛いし!」
「私も賛成よ! いい対戦相手だわ」
「俺様も賛成だ! 可愛いし!」
「僕は反対かな。総一は良かったけどあの時の総一はそんなに印象が悪いわけでもなかったし。今回は先入観だけど良いとは思わない」
「私は反対」
「俺は……保留よりの反対かな」
今までのファミリーであれば賛成多数でクリスの仮入団が決まっていたが、今回は総一郎の是非がカギとなる。無言の視線が自分に集まることが嫌だったのか総一郎はコップに入っていたサイダーを飲み干して自分の視線と他の視線を交合わせないよう遮る。
「どうなんだ」
百代からの催促が入る。
「んー……反対寄りの保留で」
その言葉でキャップは頷き、ファミリー一同も総意に反対すること無くそれを了承した。
「じゃあ取りあえず遊んでみて駄目だったら切るってことで」
「了解。それにしても総一郎が反対寄りとは思わなかったぜ」
「確かに意外だね」
ガクトとモロがそんなことを言うと総一郎は口を開こうとするところでそれを辞めた。「ま、そんな日もある」と誤魔化したように言うが、大半の者にはそれが不自然に見えている。特にファミリーの感情に敏感な京、そして今日一日総一郎へ違和感を感じ続けている百代は三ヵ月前の総一郎を今の総一郎へ投影していた。
♦ ♦ ♦
いつもより少し遅い夕飯。転校生のクリスがそこに加わり賑やかな食事になっていたが、秘密基地を出るときに誰もが危惧していたクリスと大和の喧嘩が始まっていた。そんな光景に不機嫌な京を諭す総一郎だったが、傍からみれば彼が一番イライラしていたに違いない。そんな雰囲気を良いことに壊したのが彼女だった。
扉の隙間から居間を見ていた彼女、その存在に気が付いたのは状況を変えたいキャップ。
「おーい、お前そんなとこで何してんの」
「え、あ、そのですね。少しお、遅れてしまって」
「おう、こっちきて飯食おうぜ」
「は、はい」
恐る恐る居間へ入ってくる彼女の姿に総一郎は見覚えがあった。彼女がテーブルへと座る直前、総一郎は彼女の名前を呼ぶ。
「――由紀江ちゃん?」
遅くて短くて面白くないものを書いてしまった。苦痛だ