真剣で一振りに恋しなさい!   作:火消の砂

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まだ月曜日。


その時、それはライオン。

生憎の雨、その道は試練に相応しい程ぬかるんでいた。

 塚原山に入ってから二時間ほど歩いている、総一郎を先導しているのは祖父の純一郎。二人の間に会話は一切ない、初めに「ついてこい」と純一郎が言ったきり言葉はなかった。

 冬の日、雨が降る塚原山は極寒だ。足元は不整地で歩きにくい。せっかくの正装も裾が泥まみれだ。

 幼き頃から慣れ親しんだ塚原山。かって鉄心とも精神修行を行い、現実から逃げたい時に使う憩いの場だった。夏は上裸で熊と共に魚を取り、秋は鹿と共に山を駆け巡り、冬は皆で集まり暖をとった。春先はその場で寝て起きると木の実や肉が傍に置かれていた。総一郎にとって塚原山は動物たちとの生活そのものだった。だからどんな状況でも遠くから自分を見つめている気配がしていた。

 だが、まったくと言っていいほど動物たちの気配が感じられなかった。

 それを知った時、総一郎は尋常じゃない不安に駆られていた――

 まるで自分の中身が自分の首元に刀でも突きつけてきたかのように。雲で光が遮られ、霧で視界が良くは無い。

 まるで崖へ繋がる真っ暗な道を歩いているようで――だが総一郎は足を止めなかった。胸に刻んだ言葉を糧にして。

 

「闇の旅を進んで行く」

 

 そう呟き、しっかりと前を向いた。

 

 小さい呟きに純一郎も少し反応していた。

 

 

 

 それから更に二時間。気配からして総一郎は全く知らない場所に来ていると感じ取った。木や土の様子から塚原山に違いはない、自分が知らない山の最深部なのか、それとも儀式的なために結界でも張られているのか。どちらにせよ知らない物は知らない、そう考えるように対して愛着のない刀に左手で触れた。

 ――と、純一郎は突如足を止めた。二人とも森が遮っているとはいえ隙間から通る雨と葉を経由し、滴として垂れてくる水滴。跳ねっ返りとぬかるんだ土を踏むときに飛び散る水分で二人はびしょ濡れ。髪が濡れに濡れている二人は皺やヒゲ、輪郭などの年齢差はあるが、視界も悪いため瓜二つに見え、極寒の塚原山にその血を受け継ぐ水も滴るいい男――といったところだろうか。

 振り向いた純一郎は総一郎と視線を合わせると「そこだ」と言葉を口にした。すると総一郎の目の前に一つ小屋が、そこに小屋があったか――自分が気が付かなかったのか、それとも現れたのか。

 こじんまりとした小屋、そこでこの大太刀を振れば横壁だろうと天井だろうとすぐに引っかかるだろう。深く考えすぎか――と短慮に思考した総一郎は純一郎に一瞥して小屋へ進んだ。

 

「帰ってきたら、お前を抱きしめたいな」

 

 小屋に手を掛けたその言葉だった。はっ!――と純一郎には見えないところで表情が崩れた。純一郎も総一郎に背を向けているため双方からそれを汲み取ることは出来ない。少しして総一郎は後ろの方で枯れた葉が踏まれている音を感じた。そして肩の力が抜け、心の内に隠れていた提灯に火が灯る。その火はすぐに周りの和紙にも燃え移る――気が付けば総一郎の全身には熱が帯、体全身は酷く強張っていた――が、次第にそれも緊張感のある筋弛、そして闘志が目に宿っていた。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 言うべきであったか――否、言うべきではなかった。もし失敗したならば私のせいだ。

 ――だが!

 ――それでも言わずにはいられない!

 ――私は総一郎に確信を向けられない!

 ――私は何年も総一郎の魂に触れていないのだ!

 ――私は!

 

 いつの間にか止んだ雨に気が付いた時、総一郎の気が――隠れた――のを悟った。

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 薄暗い小屋に足を踏み入れた時、総一郎は驚愕の一言以外に感情を持たなかった。

 

「広い」

 

 それが切欠とは言わないが奥に人が座っていることに気が付いた。

 その――男――は自分に背を向けている。顔は見えず、服装は正装ではないがみすぼらしいとは思わなかった。

 そして男は鞘に入った刀を地面に立てていた。

 

「某は」

 

 男が話す。一言で脈絡もない。だが総一郎はすぐに受け答えた。

 

「塚原家長男、塚原総一郎。塚原家当主試験の為、参りました」

 

 可能な礼儀を尽くした。すると男は「そうか」と言う、そしてゆっくりと立ち上がり、総一郎に分かるよう対面した。時同じくして小屋と思われた部屋――道場に明かりが入る。

 

「我は――」

 

 その言葉の後に総一郎は戦慄した。

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 塚原山に隣接する塚原邸、さらにその隣には新当流の道場があり、清閑な塚原邸とは裏腹に道場は血気盛んな門下生の熱気に包まれている。そして双方の差はいつもよりも際立つ。

 現新当流総代である総一郎が試験に臨んでいるためか、門下生の気合の入りようは凄まじい。師範代の興輝でさえいつもよりも力が入り込んでいる。

 そして塚原邸に住むその三人は粛々と佇んでいた。

 

「お母さん」

 

「……大丈夫よ、大丈夫……」

 

 いつ帰ってくるのか、一体何の試験を行っているのか――それを全く知らない妹の水脈と総一郎の母、皆美は居間で只々総一郎の帰りを待ち望んでいた。水脈はある程度総一郎の変化を理解している。感覚的なものでしかないため総一郎が人斬りであることは知らない。

 それは皆美も同じだ。だが決定的に違う。

 自らの腹を痛めて産み、大人しく育ち、どんな動物たちとも仲良くなれる優しい子――それがある日を境に激変した。目の下には隈が深く深く、仲の良かった燕にもきつく当たる姿。碌に稽古もせず、信一郎や純一郎と会話すらしない。自分とは話してくれるが、それもどこか薄く硬い壁があるようで何も言ってはくれない。

 知りたくて知りたくて、辛い気持ちを背負ってあげたくて仕方ない我が子に何もできない自分が情けない。不安で仕方ない。

 今日自分に向けて「行ってきます」と言った時の表情が忘れられない。

 

 なんて明るい笑顔なのかしら――

 

 決意と不安、そして自分ができないこと――つまり支えてくれる人たちがいる、それを感じさせる表情だった。

 

「……よし、何か食べましょう!」

 

 皆美は自らを鼓舞するように言葉を発した。

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 塚原山へ通ずる正式な道は塚原邸の敷地内にある。ここから許可を取って山に入れば万が一があっても国、もしくは塚原の者が助けることができる。が、その他から入れば保証は一切ない。熊もいれば猪もいる、獰猛な毒を持つ生物もいるだろう。

 その入り口の門番は新当流の門下生が担っていた。しかし今は特別な時期、塚原山への入山は禁止されているため新当流の門下生はそこへ近づくことすら許されなかった。その為か門番の仕事――違う、これはそのようなものではない。その男は只待っているのだ。

 

「おじさま」

 

 そう不意に声を掛けたのは燕だった。

 

「燕ちゃんか……」

 

 この場合「不意」と言う言葉は正しい。燕は唐突に声を掛けたし信一郎は燕の存在に気が付いていなかった。

 

「この距離まで近づいても気が付きませんでした?」

 

「……ああ、勘が鈍っているのかもしれないね」

 

 信一郎は苦笑気味に後ろに居る燕の方へ眼をやった。見るからに敵対心――とまでは行かないが少なくとも懐疑心までは抱いている様子だった。門下生用の道着でなく、私服でここにきているのは「自分は門下生としてここに来ていない」とでも言いたげな様子だ。

 

「この先に?」

 

「そうだ。先導役の父と総一郎以外はこの先に立ち入ることは許されない、燕ちゃんでもね。一度出れば父でも入ることは出来なくなる」

 

「厳格ですね」

 

「当たり前さ、命にかかわる――」

 

 そう言えば燕から送られる視線の鋭さが無防備な自分を貫いた。

 

「……呪いですか?」

 

「燕ちゃんも知っていたか……誰から聞いたのかな?」

 

 口調は至って優し気の信一郎だったがようやく凄味を増してきた。

 

「総ちゃんが師匠から聞いたそうです」

 

「――何? 村雨から?」

 

「はい」

 

 平然を装っていた信一郎は惜しげもなく装を脱いで驚きを露わにする。それでもって悲し気な視線を空へと向けた。恐らく空にいる旧友へ向けたのだろうか。

 

「あいつには一度も負けたことがなかったのになあ」

 

 自分が知っている信一郎には似つかわしくない砕けた言葉使い、けれどもそのせいなのかその言葉が誰に向けて発せられたのか容易に理解できた。

 

「あいつも塚原流に呪われたか……そうか」

 

「……あいつも? おじさま、呪いとは一体何なのですか?」

 

 信一郎は一度燕に視線を向けると目があってから数秒で塚原山入口に歩みを進めた。

 

「ここ――違うな、これ、か」

 

 「あの」と、燕はその言葉が理解できなかった為追及を続けようとした。もしくは予想していた抽象的な表現が気に食わなかったのかもしれない。

 だが、燕は言葉を止めた。信一郎の言葉に遮られたのではない、自らそれを飲みこんだのだ。

 

 

「呪いとは――」

 

「我は――」

 

 

「塚原卜伝也」

 

 燕は茫然とし、総一郎は戦慄した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♦  ♦  ♦

 

 

 

 

 

 

 

 

「訳が分からんか?」

 

 戦慄している総一郎に少し笑みを浮かべながら問いかけたのは他でもない、塚原高幹――知られる名で言えば塚原卜伝。日本最強の剣客、兵法家、「剣聖」と呼ばれる戦国時代初期の人間だ。彼将軍「足利義輝」の師でもある。

 それが何故総一郎の目前に立っているのだろうか――

 

「いや、全て理解した」

 

「ほう」

 

「あんたが呪い、あんたを殺せばいい」

 

「肯定じゃ」

 

 と、総一郎は気を殺意に変えて全てをその鞘から抜きだそうとしていた。

 

「待て」

 

 総一郎が抜く前に卜伝はそう言って地面で胡坐をかいた。腰につけたひょうたん徳利で酒を煽る。

 目の前に広がる光景はどうにも理解しがたく、まるで戦闘意識が感じ取ることができない。

 

「そうじゃ、まず納めろ。そして話してから殺る」

 

 一間おいて総一郎は刀から右手を離してその場に座り込んだ。

 

「歳は幾つだ?」

 

「十六」

 

「学校はどこだ?」

 

「川神学園」

 

 「おお」卜伝は感慨深そうに喜びを上げた。

 

「川神の者が居るあそこか。なるほど、理解したわ」

 

 総一郎は手短に答え、あいづちは決してうたなかった。

 

「呪いとは儂のことであり塚原その物のことだ」

 

 総一郎の意図を汲んだのか、それともただ満足したのかは分からないが卜伝の唐突さには総一郎も少しだけ驚きを隠せなかった。それ以上に興味が少し湧いた。

 

「そしてその本質は失われている」

 

「……どういうことだ」

 

 ようやくの反応に卜伝は笑みを溢すが総一郎の期限が悪くなる前に話しを続けた、自分で話の腰を折っても仕方がない。

 

「本来の呪いとは儂が生きているときに受けた「死ねず、会えぬ」と言う呪いを指す。誰にも会えず死ぬことも許されない、最悪の呪いじゃな」

 

「……なるほど」

 

「しかしな、儂の血縁はそれを放置することを良しとはせんかった。呪いを解こうとやっきになったわけだ――それが全ての始まり、間違った対処をした血縁は儂に新たな呪いを憑けた」

 

「……奪う――か?」

 

 一瞬目を見開いて笑みを浮かべた。

 

「かかか、鋭いな。そうだ「奪う」それがここまで塚原の子孫に負担を掛けさせた、それ以外の者にもか」

 

 その言葉に敵意を向けるよりも前に総一郎は目を伏せた。

 

「塚原流と言う言葉を聞いたことはあるか?」

 

「……師匠が」

 

「塚原流とは流派のことではない。塚原の流れを指す。つまり血縁もしくは近しもの――それから力を奪う。命も例外ではない」

 

 そこで総一郎は全てを悟った。いや、ようやくロジックが繋がったのだ。

 

 信一郎と純一郎が年々弱くなっている理由。

 

 村雨の不審死。

 

 ――自分の役目――

 

「理解したか」

 

「ああ」

 

 総一郎はゆっくりと立ち上がり卜伝に背を向けた。それをみて卜伝は小さくうなずいてひょうたん徳利を投げ捨てると立てかけてある刀を取る。

 

「爺さんは知らんが親父が弱くなったのは当主を継いでからと聞いている。つまり試験の度にあんたと戦っていたわけだ。そして負けて力を取られ続けている。当主試験の時にあんたと戦うのは血縁の者が――」

 

 言葉を遮ったのは卜伝が投げた大太刀だった。

 

「総一郎、お前の鈍らでは相手にならん、それを使え」

 

「……ああ、助かる」

 

 二人は言葉なしに立ち位置についた。

 

「あんたを俺が殺せば全てが終わるんだな」

 

「そうだ。言っておくがお前は確実に儂を超える存在だ、だからな――」

 

 

「総一郎、お前が儂を殺せなければ儂がお前を殺す」

 

 

「止めてやるよ、全部。生憎死ぬわけにはいかないんだ」

 

 

 

 鞘から刀が抜かれる擦れた金属音が二つ、雷音が一つ――




一ヶ月更新がなくてすみません。遅れた理由はありますが言い訳しても仕方がないでしょう。
ちなみにパソコンは壊れてないです(LANのジャックが外れたけど何の関係もない)

ちなみに明日僕の誕生日です。

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