最強の味
夜風が吹く多馬川、総一郎の話を聞いた大和、百代、京は大きな衝撃を受けていた。壮絶な試験、卜伝との決闘――そして。
「今の俺は赤ん坊のようだ。クリスのような人間すら許容できない」
彼の大きな変化。これは真っ当な人生を送れるようになった証でもあり、そして心が敏感になった証でもある。不躾なクリスを許せないのは当然な話だ、今までがおかしかったのかもしれない。
「すまないな、百代」
「何がだ?」
「お前の挨拶すら鬱陶しい」
学校で百代の拳を受けた時のことを言ってるのだろう。百代は悲し気に振り向く総一郎に優しく首を振った。
「お前のおかしさはそういうことか」
「ああ」
大和と京は未だ回想と総一郎の関連を完璧には繋ぎきれていない。確かに壮絶であり壮大な話に違いはない。だが、恐らくは今の現状と真逆のことが起きているはずなのに総一郎は今まさに精神的に退化している。
「ごめん、イマイチ理解ができていない」
「私も」
言いずらそうに大和と京は同時に総一郎へ謝罪の視線を向けた。
「空っぽになったんだな」
二人の視線は百代に移った。
「嫌いな剣術、嫌いな父と祖父、師の無念。そして恐らく今後の人生でも二度あるかないか、その死闘を繰り広げた。全てが終わり、解決すればもう何も残っていなかったんだ。私にはまだ分からないがな」
百代の語りはあまり見られない光景だ、だからこそその意味が全て伝わってくる。武術家としての芯が剣術家の芯と共鳴して理解できたもの。言えばわかるが本当の意味は感じることしか出来ない。
「お前が現れなければその気持ちを私も味わっていたかもな」
呟くような声でその言葉は総一郎へ向けられた。少しだけ、少しだけ風が吹いて二人の長髪が同時に靡く。沈黙の後に大和がパンっと手を叩いた。
「さあ帰ろう、皆心配してる」
「世界が敵になっても風間ファミリーは総一の味方だから、大和の敵になったら私は大和の味方になるけど」
「はいはい」と大和が笑い飛ばしていつもの光景が川神に広がった。
♦ ♦ ♦
「一体どうしたのだ」
総一郎が帰って来て言ったクリスの言葉は配慮のかけらもなかったが、取りあえずのフォローでその場は収まった。由紀江は総一郎の変化に気がいていたようだが。
週初めは総一郎とクリスの話で持ちきりだった。
クリスは世間知らずで日本を勘違いしているため物珍しく、しかも金髪の美少女。同学年の男子が目を光らせないわけがない、すでにファンクラブができている。だが女子の反感を買っているわけでもない。
総一郎もそれまたすごい人気だ。同学年だけではなく上級生も二年F組へ彼を見に来ている。特にすごいのが一年生の人気、初めて見る幻のエレガントチンクエに失神する者もいる。既にあったファンクラブは百代、冬馬と並んで最大規模のものとなっていた。クリスと違う点といえば人気の偏り、前まではあまり多くはなかった男子からの妬みが凄まじい。噂によれば彼女の心が寝取られたなんて話もあるらしい――
「――だ、そうだ。頑張れ総一」
「辛れえ・・・」
机に突っ伏しているのは他でもない当事者である総一郎だ。大和からの情報を得ると今日の違和感をようやく理解したのだ。
「へ、ざまあねえな」
「そうだぜ、そのまま男にでも掘られちまえ」
「よーし、ヨンパチとガクトは今すぐ新宿3丁目に連れてってやるよ、それとも東京湾がいいか?」
まだ立ち上がってもいないというのに二人はすでにひれ伏していた。
「猿も島津もみっともないよ」
近くにいた千花からは蔑んだ視線が二人に送られている。
「そうだ、総一郎。今日クリスとまゆっちを秘密基地に連れてくぞ、いいか?」
少し間が空いて、総一郎はまた突っ伏してから右手を挙げた。大和は複雑そうな表情をしていたがそれを了承と受け取ったらしい。
相も変わらず男子の視線は変わり映えなく、総一郎は憂鬱な1日を過ごす。放課後は秘密基地に直行していた。嫌な予感はするものだ。クリスは確かに嫌いな部類に入るが、彼女がまだ幼く、世間を知らないことも理解できる。だからと言って彼女自身を許せなんてことにはならない。
「こんな場所はさっさと壊すべきだ」
クリスの発言に激昂した京は暴言を撒き散らして今にも襲いかかろうとしていた。勿論、百代も総一郎も居れば仮にそうなったとしても止めることは容易い。この場合は大和が抱きしめることでそれを防いでいた。
京の次に激昂したのはモロだ。明らかな敵意、拒絶、怒気は感じられないがその不自然な程の笑顔は怒りを表すには丁度いい。発言に攻撃性が混ざっている。冷静かつ、やはり先輩というところか、百代はクリスの「ウザさ」を指摘してそしてこの場を収めようとしていた。それまでの鬱憤が溜まっていたように余所余所しい由紀江にまでその矛先は向かっていた。
原因は確かにクリスにある。だが、今この場にはリーダーがいない、キャップがいない。だから彼が帰って来ればその場は収まった。ついでに聞けば箱根温泉旅行なんていう物を持ち帰ってきたのだ。これを機にクリスと由紀江がファミリーに馴染めば――と。
「俺は行かないぞ」
今まさに仲直りとまではいかないが、それに近い状態に入っていた。だが、それを蹴破ったのは今まで黙りを決め込んでいた総一郎だった。驚愕の視線が全て総一郎へ集まった。
「総一――」
「こんな馬鹿げた奴をファミリーに入れるのは反対だ」
「な……!」
収まりかけてきたクリスの興奮が最高潮へ達した。
「大和を非難したそうじゃないか、それどころか武士道やら仁義やらを勝手に履き違えてやがる。いくつかの先入観はあるがそれでも不快に変わりはない」
「総一! 言い過ぎだ!」
明らかにいけない雰囲気へ変わろうとした状態を大和は止めなくてはならなかった。だが、京と違い抱きしめて止まるような人間ではない。声を張り上げて制止する他ない。
「武士とは義を重んじる者だろう! 大和が卑怯なことは明らかだ! 武士である総一殿ならわかると思っていたが……!」
「武士は主君の為忠義を尽くすが、そのために汚いことだっていくらでもやるさ。俺の先祖は兵法家なんても言われていたな。俺は罪のない人を殺したこともあるさ、え? それで、この俺に武士道を説くつもりか、日本有数の武士道の家系である俺に武士道を説くのか」
クリスは言葉に詰まりその場で後ずさっていた。否、この場にいる殆どが体を硬直させていた。百代と一子以外。
知らぬうちに総一郎は自分が殺気を放っていたことに気が付いた。
「……」
クリスに嫌悪感を抱いたことは確かだった。京が怒声を上げ泣き叫ぶ姿に総一郎は怒りを覚えたのだ。彼女がファミリーにかなり依存していることは確かだが、京がここまで豹変するとは思いもしなかったわけだ。それに呼応するように自分の素が出てしまったわけだ、つまり根底にある剣士としての威気、殺気にも似たものが表に出てしまった。
それを認識した途端、激しい嫌悪感に塗れた――クリスにではない、自分に対してだ。気まずさで思わず顔を背け、自らの精神に潜り込んでしまった。一同の視線が自分に集まっているのだ、耐え切れない。
暗い宮殿の中、総一郎はその声に耳を傾けから静かに目を開いた。
「すまん……今日は帰る」
逃げるというよりかは少し重い足取りで総一郎は秘密基地から去って行った。
♦ ♦ ♦
夕暮れを過ぎて夜に差し掛かる頃、総一郎は問いかけても問いかけても答えをはぐらかす卜伝に困惑していた。
「それでよい」
そうとしか返ってこない。気が付けば総一郎は知らず知らずに多馬大橋へ足を運んでいた。
そして一人の老人と再会した。
「荒々しく、それでもって稚拙な精神に成り下がったな――いや、年相応というべきか。悪い傾向ではない、俺からしたら伸びしろが増えたように見える。前よりも良い赤子になったな」
「ヒュームさん……でしたか。お久しぶりです」
まるで興味のない瞳にヒュームは鼻で笑った。
「随分と辛そうだな」
「……ああ」
総一郎は俯いたままそれを肯定した。ヒュームとしては「関係ないだろ」とでも言われるのだろうと思っていた、しかし長身から見る総一郎の姿はなんとも言い難いものである。
「――三手」
ヒュームの言葉で総一郎は視線だけをヒュームの顔を向けた。
「三手だけ付き合え」
総一郎は少し驚いてからいつの間にか首を縦に振っていた。
それから数十分後、二人は森の奥、ひらけた原っぱのようなところにいた。ヒュームの服装は燕尾服のまま変わらず、総一郎もまた私服のカジュアルな和服から変化はない。
「良い刀だな」
「ああ、名刀さ」
総一郎の腰には一本だけ、雨無雷音が差されている。
「三手、本気でいいか」
「構わん、来い」
腰を低く、左手は少し鞘を支え、右手は静粛の間に刀を引き抜いていた。擦れた金属音が聞こえなかったのは何故だろうか、一瞬の疑問も総一郎の思考からはとうに消え失せていた。
そんな光景にヒュームは感嘆を覚えた。「いいか」と言われ「来い」と答えたが彼から交える気概を感じはしない、だが彼の気が透き通り洗練され、それが円のように広がっていく光景が見える。受けの初手――突っ込むだけが初手ではない、相手からの攻撃を受けることが初手、総一郎は無意識にヒュームの攻撃を受ける気でいた。
(やはり百代と双対になるな……そしてそして双頭とも……)
ヒュームは嬉しさ故に笑みを零れ、「フッフッフ」と声すら漏らしてしまった。
一方、総一郎は待つ、と同時に自身の未完成さを感じ取っていた。
前に立つは現代最強を名乗るヒューム・ヘルシング。前回は世界最巧と言うのに相応しい蹴りである「ジェノサイド・チェーンソ」を甘んじて受けてしまった。今回はあの死闘とあの一振りを経験した成果を見せるに絶好の機会だ。だが、ようやく開きつつある扉を前に立ち止まっていた。
「どうした」
「いや……どうしたものかな」
「馬鹿者が」
卜伝の叱咤が総一郎の体を突き抜けた、慌てて振り返るとそこに卜伝はいない。
だが――気が付けばその宮殿には少しの喧騒が広がっていた。鹿に熊、蛇に猪、栗鼠もいれば狐も狸も。
「――そうか、お前たちがいなかったのか」
扉からの光が総一郎の影をケモノたちに被せるように、まるで黄金の宮殿だった。
「いいな?」
「――ああ、お願いします!」
感覚が広がる――卜伝との死闘では味わえなかった、成長の実感だ。
「ジェノサイド――」
「塚原流――」
後ろを隣を皆が走っている、黄金の回廊を総一郎はとてつもない速度で駆けあがっていた。そして体についていた重しが土のように落ちて落ちて体が軽くなる、死にも似た感覚が快感で、遠く先の見えない回廊もまるで苦に感じない。――そしてそこは宮殿の最上階ということを表すように玉座が見える。
「チェーンソ!」
瞬間、全ての感情、感覚が殻を破り、そして杯からあふれ出す。
百代が振り向き
鉄心が眉を動かし
釈迦堂が静かに笑みを溢し
純一郎と信一郎が嬉しそうに月に向かい盃を掲げ
揚羽が髪を靡かせ
由紀江が驚き
一子が呟き
総理が頭を搔き
少女が月に話しかけ
三人が感じ取り
燕が踊っていた
「――其振り!」
二つの奥義が重なる――それは川神以外の世界に力を知らしめるのには十分の威力だった。
ヒュームは自分の奥義が止められたことに一切の驚愕を感じず、感涙の涙すら流す勢いで二手目のジェノサイド・チェーンソを思いのままに放っていた。勿論それに反応できない総一郎などもうここに存在することは無く、完全に「それ」使いこなして蹴り、ではなくヒューム自身に一振りを放っていた。だが、二つの攻撃は交差する。違う意図があるというのに二つは間違いを犯したように重なった。
研ぎ澄まされた総一郎の感覚は次の三手目で決着が絶対に着かないことを確信していた。それはヒュームに対して引けを全くとらなかった表れと同時にまだヒュームに対して勝つことが出来ない証拠だ。だから、だからこそいまここで出来うる最強を放っておきたい、自分の身を案じたヒュームに全てをぶつけたい、その一心で今、総一郎は刀を上段から振り下ろした――
垂れる汗を拭うと総一郎は雨無雷音を納めた。
「ありがとうございました」
振り返って頭を下げるとヒュームは一枚の名刺を手渡してくる。
「俺直通の名刺だ、暇な時稽古でも付けてやろう」
名刺に視線を落とし、また戻すとすでにそこに金髪老人の姿はなかった。
森の惨状は酷いものだ、だが前と違って身なりが酷いわけでもない。そして心は清々しい。世界最強との三手、死闘との差は明らかにあるものの、そのきっかけは計り知れないほど総一郎にとって有益なものだった。
「やはり年長者のいうことは聞いておくべきだな……半分だけ」
「さて」と呟いて町へと総一郎は歩みを進めた。今日はないだろうがこれから予想される百代からの追及にどう答えようか――それ以前に今まですっかり忘れていたがクリスの件がある。謝る気はさらさらないが箱根に行くことは妥協することに決めた今日の総一郎だった。
九鬼財閥極東本社――今にもステイシーは震えあがって凍り付きそうな体験をしていた。ヒュームが玄関に歩いて帰ってくる、しかも「フッフッフ」と笑みを浮かべながら。殺されるのだろうかと心配をするも自分に気が付かないのか通り過ぎていくと緊張が一気に解けていた。
「……なんだあ? さっきの奴と関係があんのか」
ヒュームが上機嫌に歩いているとクラウディオと九鬼帝が正面から歩いてくる。
「あれ、ヒュームご機嫌じゃん、どうしたの」
「そうですね、気持ち悪いぐらいに上機嫌ですね」
あしらうこともなくヒュームは話を続けた。
「何、久しぶりに心が震えただけです。クラウは気が付いていただろう」
「まあ、そうですね」
「え、俺だけ蚊帳の外かよ、そういうの止めようぜ」
三人の上機嫌さは夜の九鬼ビルに――夜のbarに響いていった。
海外に行ってからの靴を履く習慣がなくなりました。