この日の総一郎は違った。慢心はせず初めから精神の宮殿を発動。防御に重きを置いた初心に帰るような戦法をとる。
弁慶がその一見華奢に見える腕から途轍もないパワーを出すこと、そしてそれを助長するテクニックとスピードがあることを理解していた。そして彼女が義経よりも下であることを理解してもいる。
そんな相手に対して今出来る最大限の初動で迎え撃った。
(重い……衝撃がこっちにだけくるようにしてるのか)
(うわあ。通らないね、実力差が聞いていたよりも開いてる)
その慎重さに呼応するかの如く弁慶の攻めも怒涛とはいかなかった。それでも手を休めようとは思わない、今のうちに情報を読み取ろうとしていた。
(主の言っていた癖、それにいければ……!)
流れるような錫杖、その一撃には濁流などという小さなものではなく、ダムの決壊の如く瞬間的な力が働いている。
川神に錫杖のチャランチャランという音、刀と交わる金属音が複雑に広がる。
その時に弁慶が仕掛けた。
防に重きを置いている総一郎、そこに緩急の付かない、しかし外見の変わらない一撃が、義経が弱点とするそこへ放たれた。錫杖の丸い先穂が殆ど同じ長さの大太刀の鍔、踏み込んだ先は相手の陣地、入った分穂先は先に届く。先が重ければ振りも大きくなる、それはつまり遅くなるということだが弁慶に限ればそうでもない。大きい振りこそ早い、それが弁慶の強み。しかも相手の体を狙うのと武器を狙うのでは意識の差が違う、武器というものの意識が低ければ低い程その攻撃は有効である。義経はそれを弱点と呼んだ、総一郎の武器への散漫を癖と呼んだ。
この日の総一郎は違った。それが弁慶――いや、この場合は義経の誤算。総一郎の心境がこの短期間で変わるかどうかそれを予測できなかった、しなかったというのが正しいかもしれない。
錫杖に足が出た。
弁慶の攻勢と総一郎の防勢。奇妙な位置関係はジリジリと変化していく、それは何の変哲もない事へ変わっていくのだ。
弁慶の防戦と総一郎の攻勢。正しい位置関係になった。
しかしおかしい。総一郎は畳みかけなかった。それは慎重になり過ぎているわけではなく、辰子とは違うパワーの使い方が彼に違う戦い方をさせていた。
(鋭かった。辰子とは違い機を見た)
(足で躱されるとは思わなかった。不味いね)
防戦一方にしては少し余裕のある弁慶、刀傷はないが当て身による打撲は間違いなくある。違和感、総一郎はすぐさま攻撃を仕掛けた。殺すことはしない、実力差があるからだ。それは慢心ではない、事実だ。
もしそれが間違いだとすれば責められるものじゃない、もしかすればという予測は立てられても、それ以上を考えることなど妄想でしかない。
だから総一郎の決め手が弾かれようとも、彼の驚愕する権利を侵すことは出来ない。
その時、日本にいる全ての武人は振り返った。
瞬間に爆発した気は百代と対峙した時の彼と同等。気に弾かれたのか、それとも錫杖に弾かれたのか、そんな程度のことは気にしている暇もなかった。距離を取らざるを得ない、今の彼にとって弁慶の間合いに居ることは全身に肉を纏わりつけてライオンの下顎を撫でているようなものだ。
黄金の気に纏われた彼女は波状の黒い髪の毛が際立ち、逆毛立ってはいないが何だか浮遊しているような錯覚に陥る。当の彼女自体には外見以外変化は見当たらない、どんなに高揚しても変化がない彼女の性格が起因しているのだろう。
「金剛纏身」
見た目はともかく。その力は金剛を纏ったに相応しい、この場に居る猛者全てが同一の意思を持っただろう。
その力は壁越え上位まで引き上げられていた。
(まじかよ、ないわ)
これほどの爆発的成長。一時的なものにしても異常である。なんらかの条件下のみで発動すると総一郎は考える、同時に九鬼の恐ろしさも伺える。
距離がある。二人の間には少なくとも十メートルの間が出来ている。双方の間合いではない。大太刀を使う総一郎の間合いが六、弁慶が五だとして被るのは一。長物同士であればこれぐらいの重なりで瞬間的な動きをすることはない。
そんな少しの冷戦状態。総一郎が危惧していたのは弁慶の成長がどこに振られたのだろうかということだ。テクニックかスピードか、それともパワーだろうか。
(テクニックはルー先生、スピードは義経、パワーは辰子)
おおむね総一郎の予想は当たった。
その時動いた状況によって一つの予想が外れたことを認識した。間合いを詰める足は義経であり、入ってからの攻防はルーである。武器を合わせた時の力は――
百代である。
受けた力は防御の上からも衝撃として総一郎に直撃した。外傷なる外傷はないが、三十メートルを刀と共に吹き飛ばされた。河川敷に浅く跳ねる彼の姿は滑稽には見えない、少なくとも四回跳ねた後は完全な受け身を取っていた。
予想が外れたことに対した焦燥はない。だが外れた先が百代ならば違う視点から焦慮を抱くだろう。気が付くころには額から汗が垂れ始めていた。
二人の距離は大凡四十メートルほど。壁越え同士であればなんら意味のない距離だ。
(反動もすべて合わせてこっちに力を流しているのか。腕が痺れてやがる。究極のオールラウンダーだな)
袖で額を拭うと袴も茶色くなる。汗の染みかそれとも土が跳ねたのか。どちらにせよ初めて万全で挑み、そして苦戦している。
「そおい!」
弁慶の一打が彼を襲う。受けるならば万全で、無理ならば避ける。まだ宮殿は手放していない。
一閃一閃の間隔が長い。そのせいか対戦時間も必然的に伸びつつある。
(そろそろ金剛纏身も切れてきそうだと思ったけど……まだ大丈夫みたいだ)
自分の奥義にある限度。何故かそれがいとも容易く超えていることに少し驚く弁慶だが、先程から表情は変わらない。
総一郎も余裕ある。それに彼も防戦一方というわけではない。彼なりに対応が出来つつある。
(やるか)
そんな時総一郎が止まった。
(……)
それを注視するだけで弁慶も仕掛けない。
総一郎はただ、右手を上げた。
三百メートル先の屋上、キラリと光る何かが呟いた。
「ありゃ、出番かね」
その言葉の二秒後には総一郎の立ち位置が変化していた。
「悪いな弁慶、マナー違反だ」
「……いいよ別に、総一の為にやってるから」
右手には其我一振、左手には雨無雷音。
塚原総閃流――日本の大太刀を操る彼のみがそれを持つ、彼が生み出した新流である。
鞘を持ち歩かない総一郎はその場に突き立てた。投げ捨てないところに愛着を窺える。小太刀の二刀流や二天一流が有名どころであるが、二メートルの大太刀を携えた二刀流は殆どないだろう。その姿は異様ではなく異形と言える。弁慶に向けられた雨無雷音、後ろに引いて地面に付けられている其我一振。素人が見ればかっこいいと思うだろうし少し齧った者から見れば阿呆に見える。
弁慶も義経との違いに違和感を覚えていた。
一本の刀を両手で持ち素早く堅実な義経、対して珍しい二刀流で義経よりも倍近く長い刀。今までの打ち合いでも多少の違和感があったが、槍と戦っているよう、弁慶も錫杖を使っていたので「有る」程度であった。だが二本になった途端それが鮮明になっていった。
義経も思った。まず動かし辛い。刀を使う者ならばわかるが視界を超えていく刀がどれほど扱い辛いか、刀身が倍になるだけでどれほど重くなるか。適切な筋力とテクニックがなければ刀に振られてしまう。それをいとも容易く扱い、片手で一本、両手で二本扱う、それは既に常識の範囲外に存在することだ。総一郎の技量がどれほどだとしても想像がつかない。見たことがないのだ。
右の大太刀が地面から浮いた。構えた弁慶は自分がそれだけで防戦になっていると気が付かなかった。近い間合いでは振りの大太刀に守りはあり得ない、瞬間的なパワーが上回っているならば陣地を侵すことが最優先だ。しかも大太刀は二本。
悪手に気が付いたのは思わず「あっ」と呟いた義経だけだ。
間合いを詰めた総一郎の雨無雷音が弁慶の胴体を狙う。斬られるわけもない、弁慶の錫杖がそれを待ち受けた。
そんな時弁慶は途轍もない痺れを腕に感じた。パワーで上回っているはずの自分が衝撃を跳ね返された、状況が上手く理解できていない。
「正しい使い方だ」
「なるほど……フタ〇ノキワミか」
「コンマ何秒後により強い力を加え、相殺されつつある衝撃の上からそれを重ねる。完全に無防備の所にそんなものを喰らえば……すごい技量だ」
義経が言った通り弁慶はその現象にばったり出会った。
総一郎の猛攻、その全てではないが所々同じような攻撃が混ざっていた。不規則なため対応もうまくできない。
そして予想外――いや、そもそも予想は出来ていないのだが。総一郎の手数が非常に多い、そしてバリエーションが多彩であった。
決着は瞬く間に決まって行った。
♦ ♦ ♦
「うー痛い、怠い、川神水、ちくわ」
「はい、はい、大丈夫か弁慶」
「川神水が体に染みるうううう」
「大丈夫だな」
義経に膝枕されながら総一郎のお酌を貰っている。一歩も動けないと言いながらもしっかりと川神水を傾けている。
「二人とも凄い戦いだった。義経ももう一度戦いたい」
「願ってもないね。義経が本気出してくれるなら」
「あ、それは……し、下に見ているとかそういうことではないぞ!」
「義経はそんなふうに俺を見ていたのか……」
「ち、違うぞ塚原君!」
「あ~慌ててる主で飲む川神水最高~」
「それは良かった」
嵌められたことに気が付いた義経は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
弁慶が横になっているところを見れば勝者が総一郎だと分かる。弁慶の外見こそ大した怪我ではない、だが体のダメージは隠しきれないし金剛纏身の反動も凄まじい。体力を回復するには義経の膝がもってこいなのだ。
「しかしあの二刀流……まるで御庭番の如く鬼神であったな」
「うん。確かにあの二刀流は凄かった。あんな大太刀を二つも使うとは……」
与一の言葉に義経も反応した。
「ああ、確かに初めは大変だったけどな。実戦も殆ど初めて。最初から使わなかったのはそれが理由だ」
「なるほどね」
短く弁慶も呟いた。心のどこかで自分の力を下に見られて手加減されていたと感じていたのかもしれない。少し目を閉じて口の中央から意識とは別に息が漏れた。すると不意に頭が重くなる。義経に手で置かれたかと考えて目を開けた。
弁慶の頭に手を乗せていたのは総一郎だった。
「今日はありがとう。ゆっくり休んでくれ、大吟醸川神水とちくわ持ってくから」
「……」
「弁慶?」
「あ、ああ。楽しみにしてるよ」
「じゃあ、また学校で」と総一郎は去って行った。
そんな後姿を弁慶は見て頭に自分の手を乗せた。良く知った癖っ毛の強い自分の髪、総一郎と同じ髪だった。
♦ ♦ ♦
夜の七時頃、疲れがドっと襲ってきた総一郎は千鳥足で島津寮に帰宅した。「ただいま」と玄関先で声を掛けるが返事はない。テレビの音が聞こえるので恐らくクリスはそこ、源さんはバイトで京と大和は同じ部屋で勉強だろうか。キャップが居ないのはなんらおかしくはない。
すると由紀江が二階から降りてきた。オドオドして目を回している何時もの彼女ではない。何となく総一郎もその表情に察しがついた。
本気の顔だ。
「ちょっと早くない?」
「……凄まじい気だったので」
「あれは弁慶だよ。流石に疲れた」
「はい、分かっています。総一さんの気も鋭かったです」
今この場で決闘できるような雰囲気の由紀江。それとは裏腹、総一郎は今その場に座ったままだった。
「悪いけどさ」
「はい」
「立てないから肩貸して」
「……え?」
「凄い疲れてて……」
由紀江は自分が一人だけ先走っていることに漸く気がついた。
「あああああ、す、すいません!」
「いや、大丈夫だよ。焦らないで、俺の部屋まで運んで……いや、大和の部屋までお願い」
「は、はい!すいません!」
後ろから肩を入れると由紀江は顔を真っ赤にしていた。総一郎にくっ付いているからではなく単純に恥ずかしいのだろう。
「今からでもやるか?」という言葉を期待していたように由紀江は気を張り詰めていたが、総一郎が明らかに消耗していることに気が付きもしなかった。
「あれ、総一お帰り。どうしたの?」
「お帰り」
珍しく京がくっ付いて二人は床で漫画を読んでいた。
「いやあ弁慶との決闘が思いのほか体に来てね。由紀江ちゃんに肩を貸してもらってた」
「は、はい。その通りです!」
「で、大和。俺は風呂に入りたいから着替えを持ってきて、あと風呂まで肩を貸してくれ」
「ああ、分かった」
「百点!」
「「うるさい」」
自分の羞恥なんて無かったかのように由紀江の一瞬は過ぎて行った。
皆が寝静まる頃、許可なしに二階へ上がれない総一郎は階段の所でお茶を飲んでいた。
「あ、総一さん……」
そこに由紀江が来る。特にメールで呼び出したわけではない。来るかもしれない程度の賭けをしてそこで待っていたのだ。
先程は碌に動けなかったが風呂に入って源さんがマッサージを施したので八割方回復したところだ。
「やあ、由紀江ちゃん」
「な、何か?」
「ああ」
明日は精々善戦してくれよな――由紀江の心に炎が灯った。
ルーさん、辰子、弁慶と来て次はまゆっち。テクニックと戦い、パワーと戦い、そしてバランスと戦う。スピードは一応義経と定義してます。天衣とは違う系統のスピードです。
まゆっちはまた違う方向性で行きます。次回もよろしく!
PS、マルさんが一位、やったぜ。燕は負けたけど……
僕は揚羽さんとヒュームさんに入れました。
後前回言い忘れたけど一周年です、皆さんありがとう!