その者の最大が百だとして最小が六十だとする。その者の最大が七十だとして最小が五十だとする。双方の最大と最大、最小と最小が戦ったとしてどちらが勝つかと言えば数値が高い者だろう。この数値は実力だけではなく状況や怪我の度合い、調子の良さを考慮したものだとする。
では最小の六十である前者と最大の七十である後者が戦った場合はどうなるか。
後者が勝ち、前者が負ける。これは武を嗜むものにとって常識である。「必ずしも強い方が勝つとは限らない」「時の運で勝負が決まる」これらはこの常識を表した言葉だ。
つまり――
♦ ♦ ♦
大苦戦の最中に居る総一郎は防御に徹していなかった。攻撃六、防御四というのが今のスタイルで時折その比率が上下する。それは適応してきたという裏返しではない、リスクを侵して成長を選んだのも理由であるが、それ以外の要因もある。
まず調子が最大に近づき始めた。状態だけで言えば対百代戦と同じくらいである。調子から状態から全て完璧になれば今の実力で出せる最大を見せることも出来る。
それは今まで出せなかった本気ということだ。
だがまだ足りない。
主導権を握っている揚羽は耐えつつ喰らい付いてこちらを見ている彼の瞳を綺麗だと感じた。
「(心は折れぬ、勝負を投げ出さぬ……立派な剣術家ではないか。後は本人が気が付くだけ、だからこそ稽古とは思わぬ)手加減はしておらぬぞ!現状維持が得策と思うな腰抜けの青二才が!自分よりも実力が下である我の決死に怯むなど強者ではないわ!」
肘と膝に連打が打ち込まれる。関節の要が痺れて対応が遅くなればそれが些細であっても致命的になる。左足の蹴りが総一郎の脇腹を直撃した。
語弊も勘違いもない――直撃――が総一郎を襲った。
「――かっ――」
肋が折れたことは明白であろう、音がそれを知らせる。問題は揚羽のつま先が抉った背骨――腰椎が損傷しているかどうかだ。得体の知れない痛みが総一郎の感覚をそれで一杯にした。そしてコンマ遅れで吐いた血が内臓の損傷を決定づけている。骨が刺さったのかそれとも蹴りの衝撃なのか。
ドラマやアニメである喧嘩ではない。気を纏った武人たちの蹴りが直撃したというのは彼らにとっての致命傷を意味すると言っても過言ではない。
吹き飛んで地面に転がった総一郎を揚羽は追撃した。踵落としという単純な技が心臓を狙った。大振りいい大振りであるそれは流石に当たらない、間一髪で避けたが、その体では回避すらもダメージに変わってしまう。
そして揚羽の攻撃は続く。
忘れていけないのは揚羽の本質が百代寄りでも戦い方は燕寄りだ。その為に模擬戦をしたのであるが、総一郎はダメージの大きい技を避けることにしてダメージの少ない技は必要経費だと考えてしまった。この場合では最も愚かな選択である。
HPも少ない中、毒をくらって更にパターンを決められているということだ。いずれHPは零になるだろう。この場合は死、もしくは意識を失って病院へ直行の二つだ。揚羽がその前にトドメを刺せばまた話は変わってくる。
手加減はしない――この言葉に全てが詰まっている。
♦ ♦ ♦
痛い――と感じる。脳内麻薬で感覚が麻痺すると思っていたのに全身が痛い。何故だろうか、腹の所が痛いはずなのに全身が痛い。幻覚だろうか。
これ以上は死ぬ、辞めよう。プライド何て知らないし塚原なんてどうでもいい。ここは戦場じゃない、恥を晒して生きようじゃないか。誰か文句があるか、あったとしてもいい関係ない。蔑むか、ならば目と耳を閉じ口を噤んで孤独に暮らそう。動物たちは俺がどうなろうとも傍にいてくれる。今まで何度も辞めようとしたじゃないか。ファミリーの皆はどう思うだろうか。
キャップは「いいんじゃねえの?人生長いし」と旅に誘ってくれそうだ。
ガクトは「情けねえな、俺様の様なマッスルが足りないんじゃないか?」とわらわせてくれそうだ。
モロは「僕何てまだ始めてすらいないよ。良く逃げるしね」と優しく同意してくれるかもしれない。
クリスは「武士にあるまじき!私が鍛え直してやろう!」と喝を入れてくれるかもしれない。
由紀江ちゃんは「人生休息も必要だと思います!」「ま、ゆっくりやろうジャン?」と松風と共に勇気を振り絞って励ましてくれるかもしれない。
源さんは「どうでもいい……まあ働き口は紹介してやるよ」と影ながら心配してくれるだろうか。
ワン子は「なら戻ってくるまでに超えて見せるわ!」と健気に送り出してくれるかもしれない。
京は「いつでも帰ってくればいい……ファミリーですもの」とたまにある真面目な雰囲気で言ってくれるかもしれない。
大和は「なんかあれば頼れよ、お前が将軍ならおれは軍師だからな」と嬉しいことを言ってくれるかもしれない。
百代は――不満だろうな。きっと「ま、仕方ないさ」と軽く微笑みながら胸の内を明かすこと無く言うだろう。
他にもいい人は多い。義経だって、弁慶だって、ココちゃんだって、冬馬だって、ハゲだって、小雪だって、梅先生だって、鉄っさんだって、ルー先生だって、宇佐美のおっさんだって、辰子さんだって――
――つば――
♦ ♦ ♦
「――め!」
唐突に意識が鮮明になった総一郎は残っていたほんの一握りの息を吐いて吸い、そして叫んだ。
「が、許すわけはねえな!」
意識が戻ったということは意識が飛んでいたということだ。体のあちこちが激痛で覆われている、百代であれば瞬間回復を使えるのだが、どうやっても身に付けられない技もある。
息を大きく吸って吐き、状況整理を始めた。
横になったということは完全に伸されたかもしくは無意識で戦いながら吹き飛ばされて意識が戻ったか。時間の経過はよくわからない、だが痛みは増してる。揚羽との距離がある、向こうはまだまだ余裕の雰囲気。
体は絶不調――思わず総一郎は口角を上げてしまった。
「よーし。気を取り直しましょう」
「ほう?気の練りが変わったな。満身創痍で吹っ切れたか」
「いえ?体痛くて仕方ないです。倦怠感も凄くて今すぐ寝たいです。まあでも――耐えれば問題ないですよね?」
「――はっ!」
武術家の行きつくところ、それは根性ではない。そもそも武術家という者の根本に胆力がある。一胆二力三功夫というのは全く持って正しい。痛みは力と功夫で治められない、意識は力と功夫で保てない。
「負けねえよ」
真骨頂である胆力に、総一郎はようやく――気が付いたのだ。
♦ ♦ ♦
「九鬼家決戦――」
「総閃流――」
静粛から放たれる一撃、それは交わるまでなんとも静かなものだ。
「――古龍昇天破!」
「――百斬!」
だが、一度でも交われば地形が抉れるほどの爆音が響く。ヒュームはここを買い取って正解だと感じていた。既に原型は無い、ここが採石場だと言われてもだれも気が付かないだろう。
達人と達人が全力で戦った。一般人ですらそう考える。
「何とも厄介だな、その技は!」
「そりゃあ塚原の英知ですから!」
総一郎は一度切れた精神の宮殿を再度構築していた。だが呼応するように――いや、まるで寿命を削るように揚羽の気も膨大な物へ変化していく、後の後を読んだとしてもその先は総一郎の技量によって試されていた。
「九鬼家決戦――」
ゾワリ。と総一郎は身を震わせた。相当な一撃が来ると全身が恐怖のセンサーを発した。先程から奥義の打ち合いに戦い方は変貌している。つまりは総力戦、時間経過の感覚は二人にないが既に二時間、これは消耗戦でもある。
双方の全ては悲鳴を通り越して限界を超え、境地を迎えていた。
(我もここまで来れるわけだな……それが分かれば十分!あとは先人として背中を見せてやろう!)
(武人の決死。死人とはまた別。そして揚羽さんは他でもない俺に道を作ろうとしている……ならば俺は押し通るまで。だってこんなにも)
総閃流「金剛弐斬り」
「楽しい!」
「!……我もだ、決着だ!」
揚羽は飛び切り笑顔を見せると距離を取った、総一郎も同様である。
「次で決まるか」
「ええ、そのようですね」
ヒュームとクラウディオ、他の者も二人の気を感じ取った。練りの練度が違う、明らかに全てを出し切るつもりで気を高めている。
武人としての集大成を一撃に――ではない、九撃に込める。力、技、胆力。それだけではない、思い出や心、悔しかった百代との一戦、家族の顔や師であるヒュームの教え、全てが九つの最強に込められる
生まれたて。楽しい気持ちが、負けたくないという心が生まれてから数十分。二つだけであってもそれらが全てを物語っている。総一郎の本質に無かったそれらは、本当の意味で彼を剣術家という者にさせるだろう。もしかすればいつかは人を斬らねばならぬ時が来るかもしれない。だが、その時は目の前にいるこの人のことを思い出すだろう。総一郎を引き上げた人の事を。だからこそ、この――九閃――に全てを込める。
「九鬼家最終決戦奥義――」
「塚原総閃流秘伝奥義――」
間合いは百から零に変わる。
「――九撃一殺――」
「――九閃太刀――」
一で交わり
二で交わり
三で交わり
四で交わり
五で揚羽が勝ち
六で総一郎が勝ち
七で相打ち
八で相打ち
「はあああああああああああああ!」
「があああああああああああああ!」
九で決まる。
「見事」
汗と泥、それに反射した夕日が祝福したのは地面に倒れて陰に入った揚羽ではなく、不格好に汚い総一郎の立ち姿であった。
♦ ♦ ♦
ふと、目が覚めてスマホを見てみると夜中の二時、完全に寝ぼけておりなぜ自分が寝ているのかさえ理解できなかった。揚羽と戦って、勝った。それ以外を思い出せない。
天井は白く、体は軽い、心なしか枕も柔らかい。
総一郎はもう一度スマホの画面を見た、今度は時間ではなく日付である。
「土曜……」
約二日眠っていたことに驚きを隠せなかった、後爆睡。豪快な二度寝をかますと再び目を覚ますころにはその日の十一時であった。
医者が言うには過労――だけではなく即死レベルの傷跡が体中、もちろん皮膚だけではなく内臓も幾つか潰れたり、もしくは折れた骨が突き刺さったりしていた。
幸い骨折と傷は既に完治している。壁越えならではの自然治癒力と此処葵紋病院、九鬼家バックアップの下で覚醒までの完治プログラムが組まれたらしい。その効果は覿面であったが、二日も疲労で起きなかったことは事実であり、退院手続きの最中でも気怠さは隠しきれなかった。
「総一!」
葵紋病院一階ロビーの受付に駆け込んできたのは大和。島津寮で連絡を受け取ったのは彼のようだ。
急いできたのか額から汗を垂らし息も途切れ途切れである。
「よう、おはよう」
「おはようって……大丈夫なのか?
「ああ、疲労感はまだ残ってる。早く温泉に入りたい……あ、つーちゃんと入ろうっかなー」
「よし、馬鹿言ってるから大丈夫だね。安心安心」
そんな燕はひょっこり大和の後ろから現れた。おっかなびっくりの大和も見ると別行動だったのだろうか。
話を聞くと燕の方には九鬼伝で久信に、そして燕へ情報が渡ったらしい。燕の髪が少し乱れていることに大和は気が付かなかったが、病院を出る時総一郎の指が彼女の髪の毛を梳かすと、燕はジト目で口を尖らせた。
「起きないってことはないと思ったけど、流石に心配はしたよ。割と九鬼の方も焦ってたし」
「まじかよ。つーちゃんが心配したのはよくわかってるけど、九鬼が焦ったって聞くと恐ろしいな」
「一々茶化さない」
葵紋病院から島津寮へ直行すると総一郎は服を脱ぎ棄てるように風呂へ飛び込んだ。一応体は洗っている。
勿論帰りはタクシー。のはずが、外に泊まっていたのは黒塗りの高級車、どうやら九鬼が用意した物で、運転手はクラウディオのクローンのような人であった。無駄な疲労感を感じることなく帰宅できたのは思いのほか総一郎にとってありがたい事である。
湯船というか中浴場の島津風呂に浮かぶ総一郎、燕もまた温泉を満喫していた。混浴でないはずの島津寮は少しばかり桃色の雰囲気を醸し出している。
「しかしあの言い方だと要らぬ誤解を招くぞ、特にガクトとかちょっぴり大和とか。後はクリスとか京とか」
「おほほ。一番やばそうなのは京ちゃんのアタックを受ける大和クンだよね」
「気の毒だ」
浮かせていた体を直し、湯船に座ると肩甲骨まであるワカメ髪がオールバックで纏まり、少しばかり源さんの様な雰囲気を醸し出し始めた。
「あらいい男」
「おやいい女」
スーッと総一郎は燕に近づいていく。肩が触れると止まり、燕の額から流れる水滴はただの汗なのか、それともそうでない汗なのか。
「で、どうだった。揚羽さんとの戦いは?」
「んーまあ良かったよ」
「ありゃ、何だか歯切れ悪い?」
「そうか?一つ芽生えたとすれば……負けるつもりが無いって気持ちかな?」
ゾワリ――半径十メートルの間に居た人間が寒気に襲われた。隣いた燕も例外ではない。彼女以外で唯一悪寒を感じた大和は思わずこう呟いた。
――姉さん?
変わりのない飄々とした総一郎の少しでありながらも著しい進歩を遂げたことに気が付いた燕はその姿に惚れ直し。そして――
――一瞬でも恐ろしいと感じてしまった自分を認識してしまった。
♦ ♦ ♦
「海だあああああああ」
ブーメランパンツにスーパーマッスル、一見してモテそうであるが顔つきと視線がやらしく。更に少しすればモッコリしてくるのでガクトはモテない。
F組でも特に盛り上がっているのがガクト、そしてヨンパチ。雄たけびこそ上げていないが、数十万はするカメラと酸素ボンベを持ってきているくらいにはテンションが上がっている。九鬼が監視するなかで奇跡という一枚の写真を撮ることは至難の業であろうが、彼にはそんなこと関係ないのだろう。
「この日の為に賭けてきた!」
「頼むぜヨンパチ!」
そんな空しい男二人と不特定多数の男達の野望が今始まる――
「風間やっぱイケメンだわ」
「源もヤバイ系」
「皆さん鍛えていらっしゃるんですね」
「あ、京極先輩は――着物かあ」
「葵系は貧相な体系でも顔はヤバイ系!」
野望は時に空しい。二人の代わりにスグルが嫌悪感を露わにしていた。
「あ、総一系!」
「ほんとだ、総っち!」
羽黒と千花の声に反応したのは更衣室から出てきたばかりの総一郎。海パンは半ズボン型の和柄、相変わらずのワカメ髪と上半身には赤い海用のパーカーをしっかりとファスナーで絞めていた。
その姿にF組二代女子は不満を露わにする。
「ちょっとーどうしてそんなの着てるの!」
「早く脱げ系、ていうか脱がせる系!」
「待て待て待て!傷とか多いし、あんまり見せない方が……」
「いいから脱ぐ系!」
羽黒が迫る。脱がされないと分かっていてもその恐怖感は途轍もないものだった。仕方なくパーカーを脱ぐ、そうすると他クラスの女子からも感嘆が漏れ出した。
源さんや風間よりも筋肉質且つ、ガクトの様に暑苦しくない。所謂ピンク筋で構成された肉体美は芸術作品。一つ一つの筋肉を分けるように影が出来、貧相さは全く感じられない。腹筋は割れ、腕は豪胆、胸筋も際立っており、良く見ると足もスラッと長く、そして男らしい。
そして何といっても刀傷が浅く幾つも目立っている。稽古以外では人斬りの初戦、百代と戦うまでの間一度も傷を負ったことが無い為深い傷は少ない。だが、それがまた女子心を鷲掴みにするのだった。
「死ね」
ガクトからの切実な願いにこたえてやれないものの、うるさい――と一蹴することが出来なかった。
気分転換に書く小説のアンケートがあるので良ければ活動報告を見て、コメント下さい。少ないと好きなものを書きます。