Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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The battlefield is where my soul belongs.


誕生

「ぅあ゙……」

夢の中の自分の意識はまどろみ、ガロアは目を覚ました。

最近はもう夢の中ですら戦っている。ずっと暴力的な夢を見ている。

現実の戦いだけではもう負債を返しきれないと言われているかのようだった。

繰り返す悪夢は『お前は誰も救えない。殺し続けろ、戦い続けろ』と囁いてくる。

夢、夢と言ってもそれは実際に過去にあったことなのだ。

 

(三角締めが決まっても倒れるときに勢いを付けて頭を叩きつければ俺が勝っていた)

ごく自然に、夢の中の自分はどうしたら勝てたのかを考えていた。

思考が操られている、と認識していてもそれを回避することが出来ない。

 

(そういや俺………レストランでメチャクチャに食べたというのに金すら払っていなかった)

今も関わっているリンクス達と初めて出会ったあの日、レストランに誘われ勝手気ままに食べ、何も言わずにその場を去った。

今思うと滅茶苦茶だ。自分が如何にこの社会で角を立たせずに生きていくのに向いていないかがよく分かる。

 

(俺はセレンの幸せを……壊している?)

あの男がセレンを幸せに出来るとは思えない。

でも自分がいる限りはセレンはどこの誰のところにも行かない。

自分が幸せにしようにも、自分のような常識の全くない男に出来るのだろうか。

いや、それ以前に自分は戦いが終わっても生きているのだろうか。日に日に頭痛と幻覚が酷くなっていく。

 

(俺の願いは……)

セレンが幸せになりますように。今はもうそれだけだ。他には何も思っていない。多くは望んでいないと思う。

クローンの紛い物人間だとしても、幸せに。それだけだというのに、もう自分の限界は近いようだった。

誰に謝ればいい?

誰に請えばいい?

夢の中ですらもただ流れるだけの緩い幸せを許してくれない。現実でももう――。

 

「お前もか……」

 

「……ん?」

隣を見ると目を「3 3」にしたセレンが起き上がっていた。夢の中の目つきとは随分かけ離れている。

訓練の時の姿とのギャップに慣れるまで時間がかかったものだ。暗い部屋の中で時計に目をやると午前12時を回った頃だった。

 

「うるさいよな……」

 

「まったくだ……」

赤道にごく近いとはいえ、一応は南半球に位置するこの場所ではこの時期になってからの方が暑く、ここ数日は夜も冷房をかけて眠っていた。

それが問題だった。海の音は胎内の音に似ているからなのか、波の音がリズムよく聞こえても熟睡出来た。

窓を閉めるようになってから気が付いたが隣の部屋からずっっっっと獣のような喘ぎ声が聞こえてくるのだ。

もしやあの二人、ラインアークに移ってから毎日毎晩飽きもせずにしているのだろうか。体力も性欲もよく尽きないものだ。

 

「野郎……隣に人がいることわかってんのか? やるなら昼にやれ、クソ」

 

「……」

どちらかといえば夜にする方が正しいのだろうが、やたら耳触りで眠れないのは間違いないのでセレンは黙っておく。

隣の部屋に声が漏れるリゾートホテルってどうなんだろう。少なくとも付き合い始めのカップルにはお勧めできないんだろうな……とセレンがぼんやり思っていると。

 

「ドア蹴破って文句言ってくる」

 

「お前………まぁいい」

声から察するに今が一番盛り上がっているのだろうが、そこにドアを蹴破って入っていくなんて悪役そのものだし、こちらが恥ずかしい。

だがしかし、止める気力もなかった。

 

コンコン、とこんな時間にノックの音が響く。

 

「あ……? 向こうから詫びを入れに来やがったか。上等だ」

 

(……? 馬鹿な…?)

入り口近いガロアには聞こえていないのかもしれないが、声は今も聞こえている。

まさか一人でしてこんな声をあげている訳ではあるまい。しかしこの時間に来客というのは考えづらい。

 

「……誰だ? お前」

 

(誰だ?)

一見してただ者ではないことが察せる恐らくは40代の男が立っていた。

髭にまで白い部分があるがブラウンの髪からも目の力からも今が一番戦士として脂が乗った時期にいることが分かる。

ガロアよりは20cmほど低いだろうが体つきもがっしりしている。

どこかで見かけたような気もするが自分達との接点はないし、ましてやこんな時間にいきなり訪ねてこれるような仲では決してない。

 

「そうか。君とは初めてだったな、リンクス。知らないようだから先に自己紹介しておこう。私はジョシュア・オブライエンという」

 

(! あの男が……)

リンクスの絶対数の少なさから、どのリンクスからも最終目標とされるような者は少ない。

その中でこのレベルに達せれば間違いなく伝説となれるという数少ない男がそこにいた。

 

「ほー。じゃあ俺も、知らないようだから教えておいてやる。俺はテメェも嫌いだから二秒以内に視界から消え失せろ」

直接的な仇では無いにしても、仇の男と協力して本当に生き死にの際までガロアを追い詰めた張本人なのだ。

敵意むき出しの対応はむしろ当たり前に思えたし、こんな時間に訪ねてきたのだからなおさらだ。

 

「頼みが……いや、ミッションがあってそれを伝えに来た」

 

「テメェがやれ。失せろ。二度と来るな」

 

「もちろん私も参加する。そして受けられる資格のあるものは非常に少ないのだ。君と……そこのセレン・ヘイズ、二人へのミッションだ」

 

「あぁ?」

 

「……なんだと?」

 

 

ジョシュアの口から語られた『ミッション』の内容、そして自分達でなければ受けられないという理由はすぐに理解できたしその『ミッション』が来た原因も分かった。

その説明を聞いたときのガロアのとうてい説明しきれそうもない悲壮な顔と、受けると言った時の声色をセレンは生涯忘れることは無いだろう。

 

 

 

 

「うぅ……クソ野郎……何考えてんだ、クソ……でも……」

 

「……なら、何故受けた?」

 

「俺にも分からねえ……ああ、クソ! セレンは理解できるか!?」

 

「……半々だな」

 

ジョシュアの訪問から三十分後、二人は病院にいた。

依頼の内容はごく単純だった。入ってくる者は全て倒せ。それだけだ。

ガロアとセレンは一つの扉の前に立ち、この場所に通じる扉は二つ。非常階段とストレッチャーを通す為の大扉だけだ。

後ろの扉からは苦痛に呻く声が絶え間なく聞こえており、小さく励ますような声も聞こえてくる。

もうそろそろだったはずなのは知っていたが、とうとうその日が来た。フィオナ・イェルネフェルトの出産である。

今、この病院に入る者は厳重に検査され、金属の類は一切持ち込めない。当然、ガロアもセレンも果物ナイフすら持っておらず、完全に非武装の状態である。

『出産の間護衛してほしい』

それが依頼だった。自分達が選ばれた理由はよく分かる。素手という条件ならばどんな相手でも、何人でも速やかに制圧出来ることをマグナスもフィオナも以前の事件からよく知っているからだ。

確かに素手での護衛という点で自分達を選ぶのは間違っていない。3mの大男がガトリングガンを乱射しながら入ってきたりしない限りは問題なく守り通せるだろう。

 

問題なのは何故自分達にそれを依頼したのかということである。

リンクスとなってから負けなしだったマグナスにとって初めての敗北を与えたガロアは人生最大の敵だと言ってもいい。

そしてそうしたかった者も山ほどいるはずだし、今この状況で警戒しているのもそういう人物がいるということを正しく理解しているからなのだろう。

そのガロアによりにもよってこんな依頼を、それこそ信頼がなければあり得ない依頼をするのは理解しがたい。

しかしその反面、セレンにはそれをガロアに依頼する理由も分かる様な気がするのだ。

 

「くそったれ……俺が誰だか分かってんのか……!」

 

「なら……今すぐ押し入って全てを終わらせるか?」

ガロアがその気になれば、今新しい命が生まれようとしているこの部屋を、

100mを走るぐらいの時間で両親ごとただの肉塊に変えられるだろう。

 

「出来ると思うか……! そんなことが、俺に、俺に……!!」

口にはしないがガロアは今、いままでで一番激しい頭痛に襲われている。

理性は蜘蛛の糸よりも細く、いったん切れてしまえば頭の中にある惨劇を欲求のままにこの場所に顕現させてしまうだろう。

 

「……そうだよな」

ガロアの両親はガロアを出産するタイミングを狙って殺害された。間違いなくそこからガロアの人生は狂い始めたのだ。幸せな家庭を築けたはずの家族を、未来を全て奪われて。

知ってか知らずか、そんな惨劇を起こさせない為によりにもよって一番自分を憎んでいるガロアにアナトリアの傭兵は依頼したのだ。これ以上酷なことはそうないだろう。

 

「ちくしょう……誰でもいい……入ってきた奴は……」

 

「……」

 

「皆殺しだ……!」

 

(なんて顔を……するんだ)

今、この世で最も尊いものを守っている者だとは思えない程凄惨な顔つき、そしてその目は今にも涙が溢れそうであり、

その声はむしろ乱入者を望んでいるかのようにも聞こえる。悪意ある誰かが入ってきた瞬間にガロアは頭の中で弾ける感情を発散するかのように惨殺するだろう。

 

(私はどうすればいいんだ? どんな言葉をかけるのが正解なんだ?)

この苦しみを終わらせるにはガロアの背中を押して扉の中に入れてしまえばいい。

そしてとうとう人間も永遠にやめることになるのだろう。それは恐らく夥しい数の人間を巻き添えにする地獄へ続く道に他ならない。

しかし、ここで止めてもその怒りも苦しみも和らげる方法をセレンは知らない。

 

「なんで俺に……!! この力はそんな事の為に……クソッ、クソッ」

 

(胸が……痛い)

性善説も性悪説もセレンは信じていない。

生まれながらに聖なるものもいれば、突然変異のように悪意の権化のような狂人も生まれる。

きっとガロアは生まれながらに善だったのだろう。普通に生きていれば大きな身体と優れた頭で優しく人を助けて、そして当然その分助けられて、

その人格に相応しい温かく幸せな人生を歩めたはずだ。だが現実にはそうはならずに、ガロアは奪われ続ける人生にケリを付ける為にそんな善の性格を捨てて茨の道と知りつつも歩んできたのだ。

何もかもが反発するかのように現実がガロアを刺してくる。そんなガロアを救ってやれない事実にひたすら心が痛い。

だがここでガロアが新しく生まれる命を守ることは絶対に間違ったことでは無い。

しかしそれが苦しみでもある。逃げる選択肢はあり得なかった。どの道を選んでもガロアは苦しみ続けるのだろう。

 

(頼む、誰も入ってくるな……)

この中にいる家族の為では無く、ガロアの為にセレンは生まれて初めて信じてもいない神に祈った。

 

葛藤と苦しみは時間の経過を忘れさせた。

ここに来てから三時間も経った頃、扉の中からか細いが力強さを感じさせる確かな生命の産声が聞こえた。

 

(…………生まれた、のか……)

多分これはスピード出産とかいう奴で母子ともに健康に間違いないんだろう。

赤子の声も、中から聞こえてくる人物の声も歓喜に満ち満ちている。

握っていた拳に血が滲んでいることに今更気が付いたガロアは、もう帰ってもいいのかな、と思いながら同じく赤子の声を聞いて顔を上げたセレンに声をかけようとした。

 

「入ってくれ」

 

「……て、……!!」

中から出てきたマグナスに反射的に口汚い言葉を吐こうとしたが、今この瞬間にそんな事を口にするのは何よりも唾棄すべき行いだという事が先に分かり口を噤んだ。

 

「入る、理由がねぇ、だろうが……」

 

「護衛任務は護衛対象の安否確認を最後に必ずしなければならない。不要なトラブルを避ける為にもな」

悔しいがその言葉は全て正論。どんな任務でも確認せずにその場を離れて後でいちゃもんをつけられたら反論しようがないからだ。

だが、この男は正論を本当の意図を覆う隠れ蓑にしていることがセレンにもガロアにも理解は出来ていたが何も言えなかった。

 

中に入ると医師と助産師、そしてベッドの上には汗で着ている物まで全てびっしょりのフィオナ・イェルネフェルトがおり、その腕の中には今しがた生まれたに違いない赤子が抱かれていた。

丁度授乳の真っ最中であり、どこからどう見ても母子ともに問題ない。性別は見た目からはよく分からないのだがなんとなく女の子だと思った。

 

(うっ、……痛ぇ……)

全身の神経が棘になったかのような痛み。自分はこんなことをしてもらっていない。

何故?自分に最初からなかったものをこいつらは持っている?俺にはなかったのに、俺から奪ったのに。

頭の中でぐるぐると渦巻く疑問の答えは出てこないし、そこらに転がっている訳でも無い。

縋る様にセレンの方を見れば意外というかやはりというかその光景に心から感動しているようだった。

本当に親も家族もいない分、自分ではどうしようもない憧れがあったのだろう。

 

(俺だって……これが欲しかった……)

でもそれは許されないはず。自分もこの男も最悪の人殺しでそんな幸せを世界が許すはずがない。

奪われて何も無くなった。取り戻しに来ただけなのにこんなことになってしまった。今ここでこいつらを殺せば全てが『終わる』。

そう、『終わる』だけ。何も始まりはしないし何も戻ってこない。欲しかったものも幸福も何一つ。

自分と同じくアナトリアの傭兵に家族を殺された者はここで一体どうするのだろう。

泉のように幸福が噴き出すこの場所でただ一人、耐え難い痛みと苦しみに襲われている中、授乳が終わった赤子をマグナスが抱きあげこちらに近づいてきた。

やめろ。何も言うな。

 

「抱いてやってくれ」

くそ。何一つお前は俺の思い通りにならない。

 

「人殺しの、手なんだ」

一体どれだけの生き物の命を吸ってきたのかも分からない両の手を突きだしアナトリアの傭兵と腕の長さだけ距離をとる。

 

「俺もだ」

そうだ。お前もだ。なら、どうして?

静かに呟いたマグナスはガロアの手に赤子を乗せてしまった。

やろうと思えば一瞬でこの赤子を捻り殺せるのに。そうする可能性もある筈なのに、いとも簡単に。

果たしてガロアは首を締めることも放り投げることもせず、落とさないようにそっと赤子を抱えた。

 

「うっ、ぐっ……?」

怖がって泣く訳でも無く、愛に満たされた赤子は母の乳を飲み終えてすやすやと自分の手の中で眠っている。

頭に添えた手にただ力を込めるだけでも果物のように握り潰すことが出来るだろう。

自分が誰だか分かっているのか。お前の親をバラバラにして殺したいほど憎んでいるんだぞ。

この小さな身体はいつか引き摺った動物の死体よりもずっと軽いのに今まで手にしたどんなものよりも重い。

 

「うっ、あっ……ああぁ……」

ガロアは泣いていた。もう何をどうしていいのかも分からずにただ泣いた。

涙で視界が滲み前が見えなくなるほど泣いたのは育ての親が死んだと分かった時以来だろうか。

18年の人生で泣いた記憶はそんなにない。そのうち二回もよりにもよってこの男の前で涙を見せることになるとは。

 

「……」

その場にいる誰もが涙を流すガロアを呆けたように見ていた。

見る者にとってその滴はまだ何も知らない赤子のそれと同じくらい純粋に感じられた。ガロアの人生を知るセレンにも、ガロアの強さを知る夫妻にも。

どうしてそんな透明な涙が流せるのだろうか。

幼子が駄々をこねて玩具を壊すのと同じレベルで世界の宗主ですらも消滅させられるだけの力があるのだろうに、自分の力ではどうしようもない壁にぶつかってしまった子供のように。

 

 

(お前は正しかった)

滲んで消えていく視界の中で手の中に残った赤子の重さだけが現実へのよすがだった。

 

(俺は悪だった)

何も作り出せない。生み出せない。

守るつもりがますます争いを呼びこみ、理性的であろうとすればするほど行為も愛も脳の底から拒んで求めるのは戦いばかり。

戦って人を殺して、自分は憎しみと悲しみ以外に何を生み出せたのだろう。

 

人殺しが正義を語るな。人を殺しておいて中途半端で降りるな。殺さないで平和が実現できるものか。

それは全て正しい。それならば、それを知ってもなお何故人は手を汚しても明日への希望を捨てずに歩けるのだろうか。

その答はシンプルだった。未来は手の汚れていない子供が作る物だからだ。

何千年も時間をさかのぼり、善悪の概念はあっても国も村も法律すらも無かった時代に手を全く汚さずに生きのびて家族を守れた者はいたのだろうか。

いるはずがない。それが何よりも難しいことなのはガロア自身がよく知っている。

それでも人は手を汚して生きていく。今を生きる子供たちが、次に生まれる子供たちが、手を汚さなくても幸せに生きて幸せに死ねる理想の世界に行けるという事を信じて。

どれだけ世界が病んでいても。

 

(この……小さな子供こそが未来そのもので、俺は、俺は、それを奪い去るだけか)

殺して奪う以外に本当に知らない。悪と一口に言えどいろいろあるのだろう。財産を奪う、誰かの恋人を凌辱する、何よりも大切な子供を誘拐する。

自分はその中でも最悪だ。かすかな希望の未来すら残さず全てを飲みこむだけ。通ってきた道は全て黒く塗りつぶして終わり。

今まで、ずっとそうだった。

 

(いつから、どうして、俺は悪だったんだろう? でも、もういい。何も戻りはしない。この世界から失われたものは……)

自分は『この子』だったはずだ。

だが今の自分はその正反対の物になってしまった。

殺し殺されたの先に幸せなどないと誰よりも分かっていたのにこれだ。

 

少なくともこの男、マグナスは誰かを幸せにするために戦っていた。たとえその過程で誰かを殺し誰かを不幸に突き落としていたのだとしても。

他の人間だって殺す事で少なくとも何かを守っていた。大切な人間はもちろん、自分の命やプライドなんかもあるだろう。

なのに自分は、自分の命すらもいらなかったしプライドも途中で折れていたというのに。そんな亡者みたいな自分は自分の為だけに殺し続けてきた。

それこそが悪だ。力を手に入れる為に自分は善をどこかに捨ててしまった。

自分は誰かを不幸にするために殺しに殺してここまで来た。そして増長した力は実際にセレンすらも巻き込んでいる。何もかもが救えない。

関わった人間を次々と死なせて自分はどんな幸せを作ったというのだろう。

 

 

 

 

「結構な……ことじゃないか……」

涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになったガロアはようやく口を開いた。何分時間が経ったかは分からない。

腕の中の赤子は目を開いていたが特に暴れたりはしていない。

 

「この子には……親がいる……、……二人も」

決して乱暴にならないよう、それでも絶対に拒めないような形で赤子をマグナスに返す。

 

「結局……お前は正しかった。全てが終わったら……消えてやる」

 

「待、」

一瞬、蛍光灯がぶつりと暗くなり持ちなおした時にはガロアはマグナスに背を向けていた。

自分が背負うはずの業すらもガロアの中にある底すら知れぬ闇に吸い取られたような感覚をマグナスは感じていた。

自分の未来と幸福を守ることについてはこの少年がここに来たのは間違いでは無かった。

だが、この少年にとっては全てが、何もかもが間違いだったのではないか。

自分は何かとんでもない物をこの少年になすり付けてしまったのではないだろうか。

何かを言おうとしても全ては後の祭り。もうガロアは扉に手をかけていた。

 

「大事に育てろよ……セレン、行こう」

そうしてガロアはセレンが何か発する前に手を引いて暗い夜の中へと消えた。

 

 

 

深夜五時近くになってもガロアはまだ泣いていた。

もう一時間以上泣き続けている。部屋にはなんとか戻ってきたがセレンにはどう声をかけていいのか分からなかった。

自分と同様に生命の誕生に心が動かされただけではこうはならないだろう。だが何が起こっているのかが分からない。

 

「ガロア……ほら、もう寝た方がいい」

 

「いい、先に寝てくれ」

ただの一言なのだが、それがとてつもない異常のサインに思える。

同じベッドで寝るようになってからは必ず同じタイミングで寝ていたというのに。

 

「でも、寝ないと身体に響くぞ」

 

「じゃあ……俺、外に行ってくるから……先に寝ててくれ」

肩をこれ以上ないくらい落としたまま扉に向かうガロアの背中は初めて会った時よりも小さく感じられ、セレンは反射的に手を掴んでしまった。

 

「一体何年……そうやって一人で抱え込んできた? これからもそうするつもりか」

生命が愛によって正しくこの世界に誕生することの素晴らしさに心を打たれると同時に、ガロアの中で決定的な何かが壊れてしまったと感じている。

だが、何がどうなっても自分がそばにいるのだとガロアが病院で意識を取り戻した日に告げたその言葉に、心に一切の偽りはない。

 

「……」

掴んだ手は弱弱しく、しかしはっきりと拒絶の意志を込めて無言で振りほどかれた。

自分ではダメなのか。それとも誰でももうダメなのかは分からない。

 

「……」

ひぐっ、と嗚咽の音が背けたガロアの顔の方向から聞こえた。

子供のように顔をくしゃくしゃにして泣いているのだろうと思った時、どうしてか胸が高鳴るのを感じた。

女は『強い男』に魅かれるものだと思っていたし、今まで読んだどんな本に書いてある『女性の憧れの男』というのは色んな意味で強い男だった。

今のガロアの背中は最強のリンクスであるということも並ぶ者がいない武闘家だという事実も虚ろになる程に弱弱しく、そんな背中にどうしようもなく焦がれてしまう。

 

「行かないで」

今の言葉はちゃんと頭を通って出てきたのだろうか。

反射のように脊髄だけから出てきたのではないのかと思う程無意識に言葉を出していた。

しっかり腕まで掴んでいる。

 

「……」

油を差したドアを引くぐらいの力で振りほどけそうな腕が繋がったままガロアは黙っている。

ここでどんな言葉を言うのが正しいのだろうか。

 

「わたっ、私は……」

 

「女であることも、この見た目も、生まれる前から決まっていた」

 

「だから……、ああ、何て言えば……」

 

「……」

再び手が振りほどかれた。

どこへ行くのかは分からないが、一つだけこれは絶対だと言えるのはアナトリアの傭兵を殺しに行くのではないということ。

ほんの少し前までそれが全てだったのになんて皮肉なんだろう。あと三歩でガロアは出て行ってしまう。

一度も経験したことは無いのに、このままではそれが永遠の別れになることが理解できた。

言いたいことも伝えたいことも山ほどあるがあと三歩の内に言うとしたら自分は何を?

 

「好きだ。どこにも行かないでくれ」

言うべきことでは無く、言いたいことを。

これが最後になるのだとしたら。

 

「……」

 

「私は今……作られた物だとしても自分が女で良かったと心から思っている。お前が男だからだ。意味が分からないなら何度でも言うから」

 

「お前が私を大事にしてくれているのは分かる。でももう、それだけじゃ足りない」

 

「もっと愛してほしい。朝までずっと抱いていてほしい」

 

「近くにいるのにお前が遠く感じるのはどうしてなんだ」

それはガロアが自分の隣にいても泣いていることと無関係ではないだろう。

出会った時からそう。いつも一番近くにいるのが自分なのに、自分の事をほとんど見ていない。

それ以外の仄暗い何かを見ている。他の女を見ているとかならばまだ救いがある。

その視線の先の物に自分が打ち勝つことなど出来ないのだろう。

 

「みだらな女だと思わないでくれ……日に日に……そばにいるのに満ち足りなくなってしまったんだ」

言いきって思うのは結局自分の事しか言っていないということ。

慰めも励ましも一言も出てこなかった。そんなにたくさんの事は言っていないのだが息が切れている。

全部ぶちまけてしまったことに後悔する気持ちとようやく言えたと安堵する気持ちが半々で結局頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。

だが、ここまで言っても分からないほど人間をやめてはいないだろう。その証拠にガロアは足を止めて涙色一色の顔をこちらに向けてきた。

得も言えぬ絶望はその顔から薄れていた。

 

 

 

「思わない」

セレンの心からの声は確かに届いていた。

壊すだけしか、戦うだけしか出来ないそんな自分でもこんなにも必要とされている。

女であることを、恋心を理由にした自分勝手な主張だったのかもしれないが、必要であるという主張は何よりもの救いだった。

 

「私たちも……ああなれればいい。いや、なればいい。そうだろう? この世界にお前も私も一人なんだから」

震えながら泣きそうな顔で笑っているから表情が崩れて少しぶさいくだ。セレンのこんな顔を見れるのは世界で自分だけなのだろう。

 

(でも、もう俺はだめかも……)

向き合うだけでいよいよもって頭の中の大事な血管がぶち切れそうだ。

 

(とことん壊れてやがる……俺は……)

黒と赤の絵の具の雨が降ったかのように目に映る全てが染まっていく。

自分の好きな匂いがするはずなのに血の臭いしかしない。

脳と身体が切り離せたら楽なんだろうにどうしようもなく人間という物は脳に支配されていた。

 

「セレン……」

肩に手をかけるだけでとうとう身体中に痛みが走った。

そんなガロアの外見は涙で濡れている以外に異常はなく、それがますますガロアの中で何が起こっているのかを分かりにくくした。

幸せな言葉が返ってくるという想像に一切の疑いを持たずセレンは静かに笑って待った。

 

「必ず帰ってくるから……ごめん」

その言葉を聞いて、セレンは合格を確信していたのに自分の番号がなかった受験生のように表情をこわばらせたまま固まった。

ガロアが扉の外に出て行き扉が閉まるまでセレンは現実を受け入れられなかった。

 

 

街灯の明らかに足りない道をガロアは波の音を聞きながらあてどなく歩いていた。

 

「あ……? なにこれ……」

涙を拭ったつもりがどす黒い血が手の平にべっとりと付いていた。

ホワイトグリント戦の古傷が開いたのか、全く別の原因なのかは知る由もないし興味もない。

 

(ああ……俺は……死ぬな……次の戦いで……一人……)

それだけが分かった。戦うことしか許されないのならいつかは必ず負ける。

分かっていたことだ。必ず来ると思っていた事が来る。それだけだ。

 

(ようやく……)

戦わなきゃ死ぬというのがガロアの人生だった。

それがいつの間にか戦う以外のことをしたら死ぬになっていた。

ホワイトグリント戦以降度々ガロアを苦しめどんどん頻度が上がっていた幻覚と頭痛は警告だったのだ。

 

 

 

 

「も~全員! ここに永住したらいいんじゃないっすかね~」

 

「バッカニアはぶっ壊れるし、冗談じゃないよ。あたしは。それに砂漠の方が肌に合っているね」

 

「まぁまぁ。改めて、帰る家があるってのはいい事だと思うぜ?」

ロイ・ザーランドとフランソワ・ネリスはその取り巻きとともに全員べろべろに酔っぱらいながら夜の道を歩いていた。

深夜に壊れたスピーカーのような音量で騒ぐ酔っぱらいというのはどこにでもいるものだ。

 

「この調子でウィンディーにプロポーズしようかな、俺」

何がこの調子なのか本人にも周りにも分かっていないが、歓声とともにやっちゃえやっちゃえと声が上がった。

このまま今が何時なのかも気にせずにロイはケータイを取り出してウィンに電話を掛けようとした。その時。

 

「お? あれは……最強のリンクスのガロア・A・ヴェデット君じゃないですか! ヘイ! レッドヘアードボイ!一緒に飲もう! よう!」

暗くてよく見えないがあの背の高さはガロア以外にあり得ないだろう。全力で絡むために大声をあげるとネリスの取り巻きの何人かがその名前を聞いて少々複雑な顔をした。

よもや自分達の顔、覚えていないだろうな、と囁いていると。

 

「うっ……?」

 

「えっ?」

街灯の元に姿を現したガロアは血涙を流しながら歩いており、こちらが間違いなく視界に入っているはずなのに全く見ていない。

それは無視というよりも、人が地べたを必死に歩く蟻に気付かずにいる様子に似ていた。

その場の全員の酔いが吹き飛び磁力で反発するように距離をとった。

結局ガロアは一切視線を向けることもなく、歩調を崩さずにずしんずしん、と歩いてどこかへと消えていった。

 

「あんたたち……良く生きてたねえ」

 

「そりゃないですよ……」

 

「あんな化け物だったのかい? リンクスといえども人間、……のはずなのに、完全に人間をやめているじゃないか」

 

「いや……あそこまでとんがってはいなかったはずだけどよ……」

ネリスの取り巻きが口を開く前にロイが答えたが、何があったのか全く分からない。

ただ、変わってしまったことは間違いない。

強い弱いで世界の人間を分ければ確実に強い、それも頂点にほど近い位置にいるはずのロイですら死を覚悟させられるほどだった。

 

「一体……何をしたらああなるんだ……?」

 

 

とぼとぼと歩いているととうとう道路が途切れてしまった。

この先はまだ開発していないのだろう。開発予定を示す看板もない。

未来へ続く道が誰にでもある中で、この暗く途切れた道は自分のどんづまった世界とよく合っていた。

 

(そうか……俺が差し出したのは……未来か)

だがそうだとしても一昔前の自分に後悔など無かっただろう。

幸せな未来なんてものが、一緒に生きていきたいと思える人が出てくるなんて思わなかったから。

 

(いつも悪い想像ばかりが現実になる)

セレンは自分のそばにいても幸せになれないし自分はセレンを幸せには出来ない。

気持ちの問題ではなく、そんなことをすればただ死ぬだけだろう。

もう考えただけでも頭が痛い。

 

ネクストに乗り続ける事による精神汚染は一般にも認知されていることだが、

それでもガロアの汚染度合いはAMS適性の高さから考えてもあり得ない程に異常だった。

 

戦えば傷つくのはどんな生き物でも当然の事。

だがもう自分は戦わなくても傷つき自壊していく。

生き物の枠を超越したのか、零れ落ちてしまったのか。

 

 

「ガガ……、ガロア様。どうしたのデスカ」

どこからつけていたのか、ウォーキートーキーがいつの間にか後ろにいた。

機械なのに心配そうな声を出している。あり得ないことなのだが、ウォーキートーキーは少しずつ人間らしくなっているような気がする。

それともこれもプログラムなんだろうか。

 

「ウォーキートーキー……悪ってなんだ」

 

「ジジジ……悪、デスカ? それは……」

 

「俺だ。俺だったんだよ。遠回りしても……戻る場所は同じだったんだ……」

ずいぶんと小さくなったウォーキートーキーのボディに縋りつき嗚咽を漏らす。

熱を持つ痛みが身体中に走る中で、冷えた機械の身体は心地よかった。

 

 

 

 

必ず帰ってくると言ったのにいつまでもガロアは帰ってこない。

片方だけ綺麗に整えられたベッドの上でガロアの寝間着に顔を埋めながら自慰をしたセレンは涙に溺れながら眠った。

誰かの不幸が誰かを幸せにするように、誰かの幸せが誰かを徹底的に不幸に叩き込むのもまたこの世界だった。




AC4でススやアマジーグを壊していた精神汚染そのものです。
ガロアほどのAMS適性があればそんなものとは無縁のはずなのに力を求めるあまりに彼は悪魔の契約をしてしまいました。
『身体がぶっ壊れて戦えなくなる日まで戦い続けるからその分の力をくれ』と。

結果、彼の中に元々眠っていた世界最高の格闘センスにシミュレーションの世界で先取りした経験が渡されガロアは世界最強になりました。
普通にあと20年くらい修行すれば世界最強の座につけたのに。

オリジナルルートの予告編で「未来は力に捧げた」って書いてあったのを覚えていますか?
「力には代償を」
当たり前なんですよ。



どちらも金を受け取って戦場に出ているので死んでも悪いも正しいもないです。
ですがガロアは金のためになんて思ったことが無く、動物を狩って食うのと同じ感覚で殺してきた日々があったので、その無自覚な悪を認識してしまい壊れてしまいました。
誰かを不幸に叩き込んでも誰かを、あるいは自分を幸せにするならまだ救いはありますが、ガロアはそんなことをせずに不幸をばら撒いていただけなのでした。

動物が進化した先の生物としての人間、知性を持つ生き物としての人間
その境目に人の定義する悪はあります

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