Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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心が戦場だから誰にも救えない


Mechanized Memories

最終作戦が始まった。

敵ネクストが上がってくることを想定して対ネクスト戦闘に特に長けた五機がクレイドル空域まで上がり、クレイドル21にくぎ付けになっているアサルトセルを電磁バリアで囲う。

衛星軌道掃射砲が発射されアサルトセルが一掃された後は企業から世界の主導権を奪わなければならないが、アルテリア、クレイドル、掃射砲の一つでも奪われれば敗北は確定する。

ここまで死者もそれほど多くなく、上手くやってこれているように見えるがそれは電撃戦で常に先手を取れていたからに過ぎない。

長期戦となれば物量で劣る方が勝てるはずも無いのだ。さらにアルテリアを一つ失っていることも痛い。

企業はもちろんクラニアム以外にもエネルギー供給施設を保持している。各企業の主要アームズフォートにも意図不明の動きが見られているようで、各地にネクストを配置せざるを得なかった。

 

朝起きるとベッドの隣がまだ温かったことにセレンは気が付いたがガロアはもういなかった。

その後最終作戦の説明がされたが、その時には既にガロアはネクストに乗りこんでいた。

やる気十分だというのならば構わないが、不安で仕方が無い。声をかけようにも既に戦地に赴いているガロアになんて声をかけたらいいのか分からなかった。

 

 

『衛星軌道掃射砲、発射まで後5、4』

無人のクレイドルに向かってレールガンを撃ちまくるアサルトセルは自傷行為を避けて電磁バリアから離れようとするがその過程でアサルトセル同士でぶつかり合っている。

金魚を入れ過ぎた金魚すくいのように滑稽な光景だった。

 

『3、2』

ビリビリと頭が痺れるのをガロアはずっと感じていた。

未だ慣れない幻覚を伴う頭痛では無く、命を落とす可能性が極めて高い敵と対峙する前に味わう第六感からの警告だった。

 

『1、0』

 

遥か10000m上空からでも視認可能な強烈な光が起こった。

その瞬間に注視していたクレイドル、アサルトセル諸共全てが光の中に溶けて消えていった。

遠くを見れば細い光が地球からまた上がっており、ここからでは流石に見えないがあの光の先でまた企業の罪が浄化されていっているのだろう。

 

『作戦完了だ』

 

「……? あり得ない」

 

『何がだ?』

久々に言葉を発したガロアに少々安堵の混じった声をかけるセレンだが、ガロアの言葉には不穏な響きがある。

 

「あっけなさすぎる……何故だ? これで本当に終わりなのか?」

まだまだこの後に企業に対してやることは山ほどあるはずだが、それでもリンクス集団謀反の最大の目的は達成された。

聞かなくてもこの目で見たのだからそれは分かる。だが何か不気味な気配がする。

それに昨日味わったリアルな死の予感。これで終わるはずがない。

ガロアは恐ろしい敵が近づいていることを予感していた。

 

 

 

 

 

親父が嫌いだった。

親父が母に優しく接していたところなどおよそ見た記憶がない。

年にほんの一、二回帰ってきては金を置いていくだけ。いや、あれは帰ってきているんじゃなかったんだろうな。

俺の母も妻なんかじゃなかったんだ。妾とかそんなところだろう。

じゃあ母は分かっていたのか?金を貰っては頭を下げて、殴られてもにこにこしていて。

金を貰って股を開く。娼婦じゃないか、そんなの。

そんなプライドのかけらもない母も嫌いだった。

クソ親父め。そんなにリンクスってのは偉いのか。金と地位さえあればそれでいいのか。

 

どこから話が漏れたのか、学校でも俺の親父がリンクスだという事がばれていた。

親父の評判はリンクス以前に人として最悪で、元は刑務所にいた囚人だとか手の付けられない悪党でAMS適性があったから出してもらえただけだだとか色々言われた。

俺に言うんじゃねえ。親父が最悪なのは俺も知っている。それでも自分が馬鹿にされたような気分になって、ふざけたことを言ってくる連中を殴り飛ばして踏みつぶし、唾を吐きかけてやった。

そうだ。俺を馬鹿にしているんだ。どうあっても俺の半分は親父から出来ているんだから。

母は学校に来てもひたすら謝っていた。この人はいつもいつも謝っている。

「人に暴力を振るってはいけない」と優しく怒られたが、じゃああんな親父とは縁を切れと言ったらなんにも言ってこなくなった。

 

 

そういえば親父から初めてかけてもらった言葉は「お前なんて名前だっけ」だったな。殴りかかったら逆に顔の形が変わる程殴られた。

母はひたすら親父に謝っていた。親父がいなくなった後に抱きしめられた。どうせ「親父に逆らうな」とか言われるだろうと思ったのに。

その時初めて理解した。プライドを捨てても親父にへいこらしていたのは全部俺の為だったのだ。

この時代に女手一つで子供を育ててまともな服を着せて学校に行かせるのがどれだけ大変なのかが分かった時にはもう遅かった。

何か恩返しらしいことを一つでもする時間もなく、母は病気で亡くなった。俺が16の時だった。

母が病気で入院しても、亡くなっても親父は姿を見せなかった。

病気の原因はあの親父のせいだ。決まっている。アナトリアの傭兵に殺されたらしいが、ざまぁみろだ。

そうじゃなくても俺がいつか殺していた。そのつもりでローゼンタールのリンクス養成所に入ったんだ。

その金もあのクソ親父に母が頭を下げて受け取った金なのだと思うだけで全身の血液が沸騰しそうだったが。

恩のある母の姓は名乗っても親父の姓は死んでも名乗る気は無かった。

 

結局最後の最後まで親父は親父らしいことを一つもしなかったし、母は幸福という物を一つも知らないで死んでいった。

リンクスがどれだけ偉いんだ。ただ運よく適性があっただけじゃないか。それだけであそこまで腐った人格になるのか。

俺を笑った奴も、リンクスも、クソみたいな世界にしている企業も、どいつもこいつも有罪だ。俺がリンクスになったら全員ぶっ殺してやる。

 

金を持っている奴が一番強いんだ。その上でリンクスなら最高だ。どうあっても逆らえない。

オーメルのオッツダルヴァは極めて優れたリンクスで金も唸るほどあるくせに人と関わろうとしない。きっと馬鹿なんだろう。

王小龍は金も力も地位もあるのに、年老いてやることといえば新しい玩具のガキに執心するだけ。あんな年になっても性欲が衰えないとは醜い。

 

リンクスになって数カ月たった日、奇妙な女に街で出会った。

レストランの使い走りのウェイトレスだった。一目見て、「ああ、この女は俺みたいな見た目が好みなんだ」と分かった。

既に金も地位もある程度あった俺はたまにはこういうずべたも悪くはないと思ってナンパしたら見事に引っかかった。

その過剰な自信ってのは持っている金と力から出てくるのだろうか。だとしたらもしかして俺は救えないのかも、とは思ったな。

 

妙なことになったのはそれからだった。度々連絡してくるし世話を焼こうとしてくる。初物だったのがまずかったのか。

「ちょっとした遊び心、気の迷いだっただけだ。お前みたいなブスは好きでもなんでもない。金をやるから失せろ」

そんな酷い言葉をぶつけた時に良心の呵責は少しも無かった。

それでも世話を焼いてきたし、酷い言葉をぶつけるとある日、「あなたの弱さを支えたいから」と言われた。

俺のどこが弱いんだとカッとなってその日初めて殴ってしまった。それでも俺のそばからいなくなろうとしなかった。わざと分かる様に他の女に連絡を取ったりしていたのに。

そんな日々を繰り返しているうちに……子供が出来てしまった。

ふざけんな。まだやることもやりたいことも沢山あるのにどうしてこう、よりにもよって一番強力な縁が出来ちまうんだ。

あれは俺の子供だ。それは分かっていても怖かった。責任と恐怖に挟まれてやることと言えば養育費を払いに時々その女の元を訪れるだけ。

 

そこまできてやっと分かった。

俺は親父と同じことをしている。

俺は親父とそっくりだ。

分かった時にはもう遅かった。

娘はたまに『帰ってくる』俺を見ては怯えている。

せっかく帰ってくる家だってのに。どうしてこうなったんだ。

 

リンクスだからそうなのか、それとも俺だからそうなのか。

でも、どんなリンクスも自分勝手な人殺しばかりじゃないか。

今回の集団謀反にしてもそうだ。余計な混乱を起こしやがって。

仕事は増えてますます家には帰れないし、エネルギープラントを奪ったりするもんだから俺の家の方まで被害が出た。

 

くそ。誰が悪いんだ。聞けば全ての事の発端はあいつだって言うじゃねえか。

最強のリンクスってのはどんな気分なんだ?お前も傲慢野郎か?

どうせしょうもない小物なんだろ。

殺してやるぞ。お前は俺の踏み台がお似合いだ。

 

 

 

 

『敵機接近! ……! 上から!?』

 

「なに……?」

確かにアサルトセルはクレイドルにくぎ付けだったから大気圏まで行くことも出来ただろう。

分からないのはどうして上に行くのかということだった。

無論、射撃が上からの方が有効なのは当然だがそれは地上での事。

障害物が何も無いこの空域で上に回っても労力の方が遥かに大きい。

邪魔しに来るとしたって何故今更?

もう終わってしまったというのに。

 

「うっ!?」

針の穴ぐらいの大きさのネクストが見えた時、胴体を狙った横薙ぎの攻撃が来た。

なんとか避けたが今のはどう見ても斬撃だった。

 

『ランク11、トラセンドだ。! ……なんだ? 見た事もない兵器を積んでいるぞ!』

左腕に取りつけられた甲殻類の殻のような金属には火を噴きながら蠢くいくつものフジツボのようなものが付いており、

その右腕にはアームズフォートでもまずあり得ない口径の大砲のような形状の金属が取り付けられ、そこから放出される熱は空間を歪めている。

目の前に立つ敵も味方も全て焼き払うというドス黒い殺意が形状からも見えている。

 

『ゴボッ……。テメェの首にかけられた1000万コーム……もらい受ける』

明らかに不調を来していることが伺える通信が入る。

一発攻撃をかました後に宣戦布告とはどうしようもなく小物臭いが、それよりもそんな体調で挑んでくるのが馬鹿らしい。

 

「違う。お前じゃない……俺を殺すのは」

自分がこの男に殺されるヴィジョンが浮かばない。確かに積んである兵器は凶悪だが、それだけだ。

自分の首に届くには今までの敵と比べてもこの男では遥かに力不足だと感じていた。

ならば、先ほど予感した恐ろしい敵とはなんなのだろうか。

 

 

 

 

「あ……?」

喋れた事にも驚いたが、それよりも今言われたことがダリオには理解できなかった。

 

『さっさと消えろ。俺と戦えば死ぬのはお前だ』

 

「あぁ?」

それだけ言うとガロア・A・ヴェデットのの機体はこちらに背を向けてしまった。

まるで戦うのにも値しない相手だと言わんばかりに。

どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがる。

 

『お前ではガロアを倒せん。即座にこの場を離れることだ』

相手のオペレータからわざわざ入ってきた通信が引き金となった。

 

「やってみろよッ!!」

機内温度の上昇と共に身体に異常をきたし鼻血が噴き出る。

目は充血し、血管が膨らむ。企業から渡されたこの兵器はアームズフォートだろうとネクストだろうと一撃でバターのように切り裂くがその代償は大きかった。

1秒ごとにAPと命が削られていく。どちらにせよ早く決めないと死ぬのは間違いなかった。

 

「おぉ!!」

敵機がこちらに向かってくるのと同時に巨大なブレードを振ると直線状に光が奔る。だが当然のように回避された。

近づかれたら負ける。情報以上に素早い。降下しながら相手から距離を取りもう一度振る。

また、避けられた。考えてみれば当然だ。いくらこの兵器の射程がとんでもなく長くても、こちらの振る腕が見えていたら見切るのは容易い。

ましてやあいつは近距離戦主体で戦ってきたのだから。

 

(待てよ? あいつなんで……撃ってこない?)

重量オーバーで鈍重になっているトラセンドだ。

ロックオンをしないで撃ってもお釣りが来るほどに当たるはずだ。そもそも相打ち上等のつもりで来たというのに。

 

「なめやがって……!」

それだけ自分の事を脅威と感じていないということなのだろう。

線で空間を切り裂いていくが掠りもしない。

だがそれでも作戦通り、後退しながら巨大なブレードを振りまわしていく。

その強さも、そして動きも予想通りだ。

この男はグレネードやロケットを空中で相手に当てることはまずしない。いや、出来ないと言った方がいいのか。

だから必ずブレードでとどめを刺しに来る。

 

『自殺志願者か? 望み通り殺してやる』

 

(!! 速い!!)

想定通りでは無かったのはその速さだ。アレフ・ゼロの武装から考えられる最大速度を大きく超えており、

反撃も間に合わずジェネレーターが切り取られる。

 

(だが……これでどうだ!!)

エネルギーを生成する装置がなければいかにネクストと言えどまともに動くことは出来ない。無論予備電源はあるがそれで戦うのは例えノーマル相手でも勝てるかどうか怪しい。

だが『作戦』にはそれで十分だった。

ゆっくりと、だが確実にトラセンドに積まれていた兵器に取りつけられたレバーを引いた。

 

薄暗い空に強烈な光がほとばしる。

 

『ぐぁっ!!』

 

「がぁっ!!」

その瞬間、トラセンドの左腕は小規模の核爆発を起こした。

ネクストの装甲ならば核爆発の一つや二つは問題ないし、特にPAで守られているアレフにはほとんどダメージは無かった。

だが現在の高度は14000m、その高度での大気濃度による核爆発はほんの数十mの範囲に置いてだが電磁パルスを発生させた。

通称EMPと呼ばれるそれは、生物の身体にはほとんど害は無いが、機械類の動作を強制的に中断させる致命的な効果があった。

 

『EMP!!? 何故だ!!? クソ!!』

だがEMPが現代の戦場で使われることはほとんど無い。指向性、つまり敵方だけに作用させる方法がないからだ。

さらには核爆発を伴う物がほとんどで人道的にも大いに問題があり、使用出来る場面は極少ない。

それに加え、ネクストをも麻痺させるほどの物は確かにあるが、出力が足りないので発射されるタイプの物は開発されていないし、それほど長い間拘束できずに回復されてしまう。

ネクストのジェネレーターやそれに比する程の出力があればその場でEMPを発生させられるだろうが、戦場で棒立ちになるそれは事実上の自殺に等しい。

その周囲の全てを犠牲にしてでもネクストを数十秒拘束したいという状況でなければまず使用されない。

そもそもネクストはその特性上相手の陣地に飛び込んで暴れまわるのを非常に得意としている。その場面で自分の陣地にいるネクスト相手にEMPを用いるのは悪手でしかない。

 

(くそ……やっぱり倒されるまでがミッションだったのかよ)

上から襲撃しろ、近づいて来たらEMPを使えという奇妙な注文。

出撃するだけで100万コームという破格のミッション。

 

(勝って勝って……最後に負ける運命か……お前も同じだ……それがどういう結果になるのかは分からないが、精々思い知るがいい)

上を向いたまま麻痺しているアレフには見えないだろうが、これからどうなるかは概要を聞いていたダリオには分かりやすかった。受け取った金は全て家族の元に行くようにしてある。

自分がどれだけ自分の血や運命というものに逆らえたのかは分からないが気分は割と清らかなまま、ジェネレーターを失ったトラセンドは大海の真ん中へと墜落していった。

 

 

 

『ガロア! 大丈夫か!? くそ、何が目的だ!?』

 

「大丈夫だ! あともう少しで回復する!! 作戦はどうなった!!」

未だ麻痺は解けていないが不幸中の幸いか、この下は海だ。

いつまでも潜っていれば如何にネクストでもまずいが、地面に叩きつけられるよりはよっぽどいい。

 

『作戦は成……! なんだこれは……クレイドルが! クレイドルが! あいつら…ジジッ…っから…ザザッ』

 

「なんだ!? どうしたんだ! 通信が……、!!」

雲の中に入ったから通信障害が起きたのか、と思った瞬間だった。

突如目の前に黒い機体が雲を掻き分けて出てきたのは。

 

 

 

「なんだ……!? 何が起きている……!?」

全てが突然だった。

この作戦以前から企業の静けさは不気味なほどだった。

一番最初の批判こそ声が大きかったもののその後の作戦はほとんど嫌がらせ以外に何も無く、

今回の最終作戦もガロアの言う通り、本当に終わりなのかと思う程呆気なかった。

そして今次々と入っている通信。

 

『クレイドルが大気圏外まで上昇している』

 

そしていつかリザイアの言っていた『クレイドルを改装している』という言葉の真意。

 

「あいつら……最初から地球を捨てるつもりだったのか……!」

宇宙開発が進まないのは技術の問題では無かった。空気も食料もクレイドル内で生産出来ているのだからむしろあの高度を保ったまま飛び続ける方が余程エネルギーの無駄だったのだ。

クレイドルは最初から宇宙船だったという事だ。ORCAの作戦が企業も黙認しているものだとしたらその可能性も十分あり得たのだ。

そして現在地球にクレイドルを追って大気圏外まで行ける宇宙船は存在していない。止めようにもネクストでは壊す以外の方法は無いし、押し返すことも出来ない。

そもそも今ここで宇宙に行く無辜の民を押し戻そうとすることは感情による行動以外のなんでもない。

つまり自分達は捨てられたのだ。この汚染された地球に。だがそれよりも不気味なのは。

 

「これ……は……ガロア……」

画面にはただ『SIGNAL LOST』とのみ映っている。

トラセンドの不気味な行動、何故アレフだけ襲撃されたのか。

そして画面が消える最後、雲の中で突然映ったあの黒い機体は。

出撃するたびに未確認機が現れるのがこの頃の常だったとはいえ今回は危なすぎる予感がする。

周囲が混乱にどよめくこの場所で、今自分は何を当てにすればいいのか。

いや、今は一分一秒が破滅に繋がる。勘が優れている方だとは思わないが、これは外れていたのなら外れていたでいい。

もしも当たっていたのなら。セレンは鍛えた肉体のみを頼りに真っ直ぐ駆け出した。

 

 

 

神様は人間を救いたいと思っていた。

だから、手を差し伸べた。

 

でもその度に人間の中から邪魔ものが現れた。

神様が作ろうとする秩序を、壊してしまう者…

 

神様は困惑した、

人間は救われることを、望んでいないのかって。

 

でも神様は人間を救ってあげたかった。

だから先に邪魔者を見つけ出して、殺すことにした。

 

そいつは「黒い鳥」って呼ばれたらしいわ。

何もかもを黒く焼き尽くす、死を告げる鳥。

 

 

 

「放せコラ!!」

麻痺からは立ち直ったもののアレフは完璧に拘束され全く見動きが取れていなかった。

雲を掻き分けて現れた四つの大型ブースターに翼の生えたジェット機のような機体はアレフより僅かに大きく、不気味なことに手が生えていた。

ECMが展開されており、通信も全くできない。ネクスト一機を抱えているというのにとんでもない速さで進んでいく。

 

「ぐ、うっ、ごぶっ!? げっ、な……」

PAが突然減少を始めたと思ったら、抗うことなど到底出来ない嘔吐感に襲われ吐瀉物と胃液をぶちまける。

重度コジマ汚染地域にでも入ってしまったのか。次から次へと事が起こり頭がついて行かない。

 

(離れた!!)

眩暈と頭痛、呼吸困難に見動きが取れなくなっている中で、拘束が緩んだのを感じ、アレフを掴んでいる謎の機体をブレードで切り刻む。

 

「手ごたえのねえ奴、だ」

謎の黒い機体には確かに切れ目が出来たが何の反応も無く、ただアレフを手放して飛んでいってしまった。

 

「変態球!?」

だが安心する暇も無く、いつか相手にしたソルディオスオービットが周囲を囲んでいた。

絶不調の身体は無視し回避に専念するが、いくつかの攻撃が装甲を掠めていき肌に焼けるような痛みが走る。

そしてこれは絶対に避けられないというコジマキャノンが発射された。

 

「あ゙あ゙!!」

出来るとも思っていなかったし、その動きをしたのは偶然だった。

コジマキャノンを左腕で払う動きをしたとき、偶然にその位置だけPAと呼んでいいのかすら分からないコジマ粒子の膜が発生しコジマキャノンを弾いた。

見ればPAは消えたが全くの0という訳では無く、0から僅かに増えたりまた0に戻ったりを繰り返している。

アレフの出力のお陰なのだろうか。だがPAよりは遥かに頼りないことは間違いない。

 

「! うっ……! 今のは……! マザーウィルか!? クソがァ!!」

ソルディオスオービットの隙間を縫って飛来してきたネクストを包み込むほどの大きさのある弾丸には見覚えがあった。

その姿は見えないがあのスピリットオブマザーウィルの物だろう。

眼下には大海原が広がっており、砂浜と逆方向から放たれている事が分かった。

海の上に立つマザーウィルが攻撃してきているのか、ここからでは見えない対岸からなのかは分からないが、少なくともマザーウィルのいる方までは辿りつけないだろう。

 

「こいつ……アンサラー……か?」

鯨の鳴き声のような音をする方を見ると砂浜の上に骨組みだけになった巨大な傘のような物が浮かんでいた。

あちこちにミサイル発射口やレーザーキャノン発射口が認められその中心には極悪な緑の光が爛々と輝いている。

コジマ汚染の原因は間違いなくこれのせいだった。更にその周囲には昔カブラカンを破壊した後にわらわらと出てきた自律兵器が数えきれないほど浮かんでおり全てがこちらに銃口を向けている。

ようやく頭が追い付いてきて分かった。こいつらは自分を殺す為だけに集まっているのだ。人類が宇宙に行くため、この地球で壊死しない為の作戦だというのは企業も承知はしていたはず。

だというのに限りある資源とエネルギーを今ここで自分を抹殺するためだけにつぎ込んだというのだ。なんとも愚かではないか。こんな人類の未来などもともとたかが知れていたのかもしれない。

 

「どいつもこいつも雁首揃えて……」

オープン回線にしてこの場にいる全ての者に、つまり敵に聞こえるように叫ぶ。

嘔吐感に押しつぶされて遠のく意識の中で、ガリガリに痩せた餓鬼が自分の身体に集っているようなイメージが浮かぶ。

こいつら俺が怖いんだ。俺に食われるのが怖いから先に食いに来やがったんだ。既にガロアの意識は戦場のどす黒い殺意に飲まれていた。

 

この感覚。森の王もあらゆる敵も葬ってきたこの感覚は内側の獣が、街に住むようになってから出来上がった理性を引き裂いて出てくる感覚だった。

 

「俺を食えんのか!!? テメェらごときが!! 俺を食えると、思ったのか!!?」

自分を殺してその後どうするのだろう。何故自分を殺すのだろう。

まさか他の連中にも同じような戦力が赴いているのだろうか。いや、あり得ない。

見て分かる。残存する対ネクスト戦力のほとんどが集結している。

今は関係のないそんな事ばかりが霞む意識の中で思い返され、かき消すように叫ぶ。

 

「やってみろ!! 蹴散らして!! 踏みつぶして!! ぶっ殺して……今ここにいる奴ら……一人も逃さねぇ……全員食ってやる!! 覚悟しろ!! 生まれてきたことを後悔させてやる!!」

その声は遠く離れた海岸でアレフに照準を合わせるマザーウィルの乗組員にまで届いており、戦場に立つ全員が魂を掴まれるような寒気に襲われた。

ここでガロアを仕留められなければ殺されるのは自分達の方だと一人一人がただ理解した。

 

『うーん……流石に人間離れしているねぇ……やっぱり』

 

「……!」

全身の毛が粟立つと共に唐突に分かった。

この声の持ち主こそが自分が何に代えても倒すべき敵だという事が。

この世界をどういうわけかいつも息苦しい物にしている元凶だという事が。

 

『いや、本当に滑稽だ。企業が何をして、何を考えていたのか本当に分からなかったのかい? ま、君はここで死ぬからどうでもいいんだけど! ぎゃはは!!』

声がやけにノイズが混じったようなざらざらとした感じだったのが耳についた。

その声の持ち主が乗っているであろうそれは赤いカラーリングの細身の機体で、ほとんど骨組みだけのように見え特に胴体部分は背骨しかない。

その背からは身体を丸々覆える程の巨大な赤い翼のような物が生えており金属とは思えない程柔軟に動いている。

コアのあるべき部分には光の球体が輝いており、全長だけで言えばネクストよりも大きいが『どこにも人が乗っていると思える部分がない』。

 

「出るもんが出やがったな……」

最悪の予想はいつも当たる。

いつからかはもう覚えていないが、その時から直感していた通りに真の敵は人間ではなかったのだ。

だが機械と人間を接続して戦う自分達ももう人間としての境を飛び越えてしまっているのかもしれない。

そう思えばそれほど驚くことでは無い。問題は、ここで絶対にこいつを倒さねばならないという事だ。

 

(自分の力が必要だろう?)と心の臓を切り裂いた奥深くにある獣が声をかけてくる。この獣がいたせいで自分だけは今日まで生き残ってしまった。

 

『へぇ。何を知っているんだい』

その異様な見た目からは想像も出来ない軽快な声でからかうように言ってくる。

マザーウィル、アンサラーの乗組員もただただ驚いてた。その機体は今回の作戦に参加すると聞かされていたどの兵器とも合致しておらず敵か味方かも分からない。

 

「お前はセレンの敵だ。それで十分だ。お前を殺す」

だがガロアにとっては簡単だった。この場にいる全てが敵で、全てを倒さなければ生き残れない。

そしてこの相手はセレンの敵だと言い決めつけている事は最早理屈では無かった。頭に声が響くのだ。こいつを殺せ、食ってしまえと。

 

(分かっている。どうせお前も俺の一部なんだろ。食い散らかしてやる)

コジマ汚染による不調が出ているのは明らかなのに気分は高揚し、身体中から気怠さが吹き飛んでいく。

プライマル・アーマーが消滅する寸前、獰猛な意思を反映して砂地に地割れのような模様を浮かべた。

 

『いーじゃん! 面白くなってきたじゃん! どうせ殺す事しか能のない存在の癖にさぁ!!  ……本当は好きじゃないんだ。こういうマジな勝負ってのは…オレのキャラじゃないしね。ま、やるんなら本気でやろうかぁ! そのほうが楽しいだろぉ! ハハハハッ!! なぁJ!!』

 

『……言葉など、既に意味をなさない』

 

「! ……お前は‥…」

『J』とその男が言った瞬間、先ほどアレフを掴んでこの戦場まで連れてきた謎の機体がまた姿を現し、アレフに切り刻まれた部品を次々にパージしながら本体を露出させた。

その姿は色と細部こそ違えど、かつてガロアが命を賭けて破壊したネクスト、ホワイトグリントそのものだった。

 

『この場所では力こそが全てだ』

そしてその声は、昨日聞いたばかりのジョシュア・オブライエンと全く同じものだった。ちりちりと脊髄が焼け付くように痺れる。

 

「強い……、な。まるで見当もつかない程……こんな出会いは二度と……俺は……お前のような奴と」

二人ぼっちで全てを賭けて戦ってみたかった。こいつがなんなのかなんてことはどうでもいい。

だが。計り知れないほどの強敵であるのにも関わらずさらに数の利を頼り、無数の味方を引き連れて自分を潰そうとしてくるそれはまさに暴力。

関係ない。相手が何を持ちだし何を引きつれようとも。それすらも培った全てを使い独りで粉砕すること、それこそが武。

例え己が悪であってもこの世界で最高の純粋な武は自分と共にある。鳥肌寒気立たせながらガロアは血を噴き笑う。

焼け付く意志を外へと形にして出したアレフの周囲に蛇ののたうちまわったような紋様が出来上がった。

 

 

 

困惑する人々が慌てふためきあちらへこちらへと目的無く歩き回る中、セレンが目的を持った目で駆け抜けていくのをアブは見ていた。

ラインアークで一番目立つ人間は?という問いに自信を持って「自分だ」と答えられるがそんな自分すら目に入っていなかったようだ。

 

「んっんー……今回の人類は宇宙に逃げちゃったようね」

喧騒の中で機械に話しかけるアブに周りの人間は気にも留めていない。

そもそもがこの男、年がら年中機械に話しかけているので今更誰も気にしないのだ。

 

「……」

 

「で、後はどうなると『思う?』あー……ウォーキートーキーって名前を付けてもらったのよね? ウォーキートーキー」

 

「ガロア様は生き残りマス。ワタクシは信じておりマス」

その答はアブの問いに対する答としては随分ずれているものだが、アブはその答がいたく気に入った。

最初から気が付いていたがこの機械の中でバグが起きている。機能として付けておきながらもあえて封じていた部分にヒビが入っている。

それはバグ、もしくは故障と呼んでもいいものなのだが、アブには直す気などさらさらなかった。

 

「ふぅん……『信じる』ねぇ。さて、どうなるのかしら……」

既に影も残っていないセレンの走って行った方を見てアブは厚化粧極まった顔を歪めた。

 

 

 

 

人の数だけで言えばガロア一人に対し四万人の兵力が集まるこの戦場は、人類史の中でも最も過酷な戦場だった。

弾丸が暴風雨のように吹き荒れる中で蟻が一匹紛れ込んでいるのに等しいこの状況下で、しかしガロアはまだ生き残っていた。

 

一騎当千、天下無双の頂点へと。

 

「ははっは……あはっは……あーっはははははっはははあああ!!!」

一秒毎に命が削られていき、血が止めどなく流れる。どう避けても機体を弾が掠めていき致命的な砲撃を避けるだけで精一杯だった。

身体の痛みは激しく、汚染により身体中の穴という穴から血が流れ、血管が幾つも破裂している。もうここから生きて帰ることなど出来ないだろう。

だというのにこの痛みが、銃声が、砲撃音が、なんと心を安らがせてくれることか。

この戦場こそが自分の魂の場所だったのだ。

外からの攻撃はアレフを削るが、内側の獰猛さが不調も敵も、自分自身の身体も飲みこんでいく。

 

 

ホワイトグリントのような機体が一斉にミサイルを放つ。

あの分裂ミサイルでは無く最初から多量のミサイルを放っているらしい。

どれも当たれば損傷はもとより、動きが止まってしまいその後集中砲火を受けることは明白だった。

絶対に当たってはならない。

 

「ああああああああ!!」

叫ばなければもう意識が飛んでいきそうだった。見る見るうちにAPが減っていく中で突如頭に「28」という数字が浮かんできた。

考える前にマシンガンを構えて引き金を引く。ガガガガと心地よい振動が腕にまで響き互いに音速を遥かに超えている弾丸とミサイルは無数の自律兵器を縫うように抜けて奇跡のような邂逅を果たした。

それは一昔前までの必然だった。

 

「眼が……戻っている!!」

自律兵器の数もソルディオスの数も、アンサラーに取りつけられた砲門の数も、次々と迫りくるミサイルの数も軌道も何もかもが自然に流れ込んでくる。

「もしかするとこれはコジマ汚染と何か関係があるのかもしれない」と頭を掠めたが今はどうでもいいことだ。偶然でも奇跡でもこの力を使って全てを叩き潰す。

泣いたつもりはないが眼の周りが濡れている。鼻からも出ているのだ、眼からも血が出ているのだろう。

出血量から考えてももう10分ももたない。

 

翼の生えた機体が細いレーザーを辺り一面にまき散らし、自律兵器はおろかソルディオスまでも撃墜しながら迫ってくる。

だが一つ一つが規則的に動きながら近づいてくるそれを無傷で回避するのは難しく無かった。

 

「くあっ!!」

避けた瞬間に、自分と同様にレーザーを掻い潜ってきた黒いホワイトグリントがブレードで攻撃してくる。

光波まで出る斬撃を全て避けることは出来たがネクストを上回る出力で叩き込まれた体当たりに吹き飛ばされる。

ラグビーボールのように空中で回転しながらガロアはこの敵がホワイトグリントよりも技術的にも機体的にも優れていることを悟った。

 

『面白かったけどここまでか? んん?』

その挑発に耳を傾けている暇はなかった。回転から体勢を立て直す前にソルディオスオービットがチャージを終えているのを目に捉えた。

 

「らあ゙っ!!!」

コジマキャノンを手で払うとバヂン、とネクストの中にいなければ鼓膜が弾け飛んでしまいそうな音を出しながらかき消えた。

 

(見たぞ!!)

今度は見えた。左手でPAとも呼べないようなコジマ粒子を展開したとき、わずかにコジマキャノンが逸れながら消えていったのを。

だが目を僅かに逸らした瞬間に凄まじい速度で戻ってきた黒いホワイトグリントが肩にかかと落としを叩き込んでくる。

 

「ゲハッ……」

べきべきと鎖骨が砕ける音が身体の内側から響き、地面に叩きつけられる。

 

(俺以外にこんな動きをする奴が……。……!!)

吐きだした血の味を認識する暇も無く、膝蹴りが飛んでくる。

 

「カッ!!」

その動きの全てを見切り、肘をコアにぶち込むと同時に肘部のブレードを起動する。

 

「!?」

それは先ほどからいる赤い翼の生えた機体でもホワイトグリントもどきでもなく、いつからか腐れ縁の出来てしまったような謎のノーマルだった。

目を周りに向けると次々と頑丈そうなヘリが未確認のノーマルを運んでは降下させている。

 

(動くのか!)

コアにブレードが刺さっているというのにまだ動こうとしてる。

確かに、人が操縦していないというのならばコアが貫かれようと無意味だろう。

反射的にマシンガンを砂地に突き刺して空いた右手でノーマルの頭を掴む。

 

「踊るがいい!!」

そのまま頭を握り潰したまま持ち上げてオーバードブーストを起動し、次々と迫ってくるノーマル達を大槌で砕くかのように持ち上げたノーマルをぶつけて破壊していく。

 

「うらあッ!!」

散々ぶつけられて全く動かなくなったノーマルを空に向かって投げるとアンサラーからのレーザーに直撃して砕け散った。

 

「俺を!! 殺すなら!! もっと来い!!」

ただの金属の塊のジャンクになったノーマル達を次から次へと空を飛ぶ二機に向かってぶん投げていく。

最後の一投はマザーウィルからの砲撃に直撃し空中で爆散した。

 

 

 

 

アンサラーの乗組員も世界中の基地、およびラインアーク関係者同様に混乱していた。

混乱の理由は違ったが原因は同じだった。突如現れアレフと交戦している二体の未確認機と次いで出現するノーマル達。

本部に照会を求めても回答が返ってこない。未確認の機体だ、と返ってくるのではなく、一切の通信が返ってこないのだ。

だが、だからといって攻撃をやめればアレフに殺される。もしや帰る場所が襲撃されてしまったのだろうか、もしや、もしやと憶測が憶測を呼び通常の半分の戦力も出せていなかった。

 

 

 

翼の機体が凶悪なキャノンを連射してくる。何故エネルギーが切れないのかと考えるのは無駄なことなのだろう。

必死に、しかし確実に避けながら一機のオービットに接近する。円運動の中心はアンサラーだった。

どう見てもアンサラーに収容される場所など無いのに、こいつらも進化しているという事か。

だが進化しても動きが一定では大した意味は無い。マザーウィルからの砲撃を避けながら、ブレードを根元まで突き刺す。

 

「でああああ!!」

そのままアンサラーの翼に叩きつける時、別のオービットがチャージを終えながらもまだ発射していないのが見えた。

いつ発射するかは分かりやすかった。アンサラーの翼から飛びあがると同時にロケットとグレネードの最大火力を叩き込み一枚の翼をバラバラにすると付きまとっていたいくつかの自律兵器が巻き込まれて爆発した。

黒いホワイトグリントからの執拗なライフルの射撃の回避はせずに腕で受け止める。右手の小指部分が吹き飛んだ時、尋常では無いリアルな痛みが走ったが無視しその瞬間に備える。

 

(来た!!)

達人の戦いでのみ起こる時間が何百分の一にも圧縮されたかのような感覚。

実に久々のそれを感じてガロアは自分がどれだけ過酷な戦場から遠ざかっていたかを痛感しながら、ソルディオスのコジマキャノンを弾くのではなく滑る様にして逸らした。

そのキャノンが向かう先にはガロアの死角から今まさにレーザーキャノンを放とうとしていた翼の機体がいた。

 

「ここで死ね!!」

コジマキャノンが細身の機体に直撃し空中で僅かに停止している隙に迫り機体中に仕込んだブレードを起動する。

その瞬間、確かにガロアは聞いた。

 

『大きすぎる……修正が必要だ……J』

 

(なんだと)

50cm間隔で切り刻んだ機体は間をおかずに爆散し後には何も残らなかった。

最後の言葉に耳に空気が詰まった程度の僅かな違和感を感じながらも黒いホワイトグリントに向き直り叫ぶ。

 

「あとはお前だけだ」

他にもまだ残っているというのに、その言葉を投げかけられた黒いホワイトグリントは笑ったように見えた。

 

(笑うかよ……クソ野郎……、……、見せてやるぜ、武の極み)

 

武と暴力、その二つがガロアの中にはある。

暴力とは己が力に自惚れ弱きを虐げ、弄び殺すこと。

武とは、力でありながらそんな暴力に真っ向して立ち向かうこと。

 

一人に対し圧倒的な数で叩き潰す、暴力の極み。

敵が何千何万いようが立ち向かう、武の極み。

ガロアはその頂点を命に賭けて暴力蔓延るこの世界に示そうとしていた。

 

 

 

 

 

その頃、カラード管轄街で、カミソリジョニーという名で活躍しているリンクスは混乱する人々の中をぼんやりと眺めながらネクスト、ダブルエッジの頭の上で電話を受けていた。

 

「いや……こっちも似たようなもんだな。オイラの知る限りでは重要人物は全員何らかの要件で今日までにクレイドルに上がっているぜ」

 

『じゃあやっぱり?』

 

「捨てたんだと思うぜ。人類が一致団結すりゃあ汚染が完璧に進む前に残った奴らも宇宙に逃げられると思うが……無理っしょ?」

 

『そうねぇ。もう始まっちゃったみたいね。あーあ……』

 

「ずいぶん気に入っていたみたいだけどよ、お前さん」

 

『そうなのよう! アレフの設計図を提出したらなんて言ったと思う? この程度なら問題なく殺せるから構わないって! あたしの技術をバカにしてるっての!?』

 

「いや、それによ。アレフ・ゼロに乗っているから強いのかも、って言ったのお前さんだろ? オイラもホワイトグリントとの戦いは見てたぜ? どう見ても不自然な力を出していたしな」

 

『実際そこなのよね。彼とアレフ・ゼロの間には何かしらの繋がりがあった。その不確定要素は断ち切る必要があった……んだけどねぇ』

 

「残念そうだな?」

 

『ちょっとねぇ。もうちょっとその奇跡じみた強さを見てたかったわ』

 

「今回はキツいぜ。コジマの海に沈めるんだ。腕がどーだかなんて関係ねーっ。奴さんは逃げないしな。そこで逃げるような奴ならそもそもイレギュラー認定なんかされない」

 

『ああん、もう。お気に入りのコだったのに』

 

「分かってんだろ、……オイラたちの心臓は」

 

『分かっているわ。しっかし、コジマ粒子なんて恐ろしい物をよくもね……人間の愚かさには底がないわぁ』

 

「その点は全く同意だな。しかし、ここで生き残るからイレギュラーなのか、イレギュラーだからここで殺されるのか……」

 

『永遠の課題ね。どちらにせよ忙しくなるわぁ』

 

「オイラはこのネクストってやつ、結構かっちょよくて好きだったんだがなぁ……」

電話を切ったカミソリジョニーは戦場にはほとんど出たためしがないダブルエッジのヘッドを撫でてから寝ころんだ。

 

 

 

翼を持つ黒衣の機械が舞いながら互いに全てを削りあっていく。

周りを舞う自律兵器は決着のつかない殺し合いにヤジを飛ばすように弾を吐く。

アレフのAPは残り4桁となった。既にコジマ汚染は生身の人間なら10秒で死ぬほどの濃度になっており、ガロアの命も残り少ない。

 

「があああああ!! ああっ!!!」

お互いに決定打が決まらない。先ほどまではもう一機の邪魔もあり、度々ピンチに陥ったが今は拮抗しており、

マシンガンとライフル以外にお互いにヒットしない。だがそれでもこのまま行けば負けるのはガロアだった。

 

(やはり……人間じゃないか……)

この重汚染区域と化したエリアでなお相手の黒いホワイトグリントはPAを展開している。

普通の人間が乗っているのならば死んでいるだろう。このPAの上からいくらマシンガンを当てても大したダメージにはならないだろう。

 

「おおっ!!」

向こうも同じことを思っていたのか、こちらと同じようにブレードを起動しながら接近してきた。

あの『中身』が人間では無いのだとしたらその考えを上回らなければ永遠に勝ちの目は現れない。

 

(死んでもいい!! 生き残ろうなんて思ってねえ!! だから! だからこいつを!! 目の前の敵を!!!)

このまま行けばゼロコンマ数秒後に敵機と激突するというところで、ガロアは命を差し出して初めて得られる直感に従い左方向にクイックブーストを吹かした。

ほんの一秒前までアレフがいた場所にマザーウィルの砲撃が刺さり人が数十人は入れそうな大穴が空いた。

すぐに激突と衝撃が同時に訪れる。隣で何も考えずに浮かんでいたソルディオスオービットにぶつかったのだ。

だが、起動してた左腕のブレードが深々と突き刺さっており、ガロアは考える前にそれを持ったまま空を飛んだ。

 

アンサラーの中心に緑の光が集まっていくのが見えた。そうだった。アンサラーはアサルトアーマーを使うと言っていた。

そう考えながらガロアは大きく振りかぶって既にただの巨大な金属の球となったソルディオスを投げつけた。

ガッシャァン、と轟音が響く。

 

(よし!!)

通常ではあり得ない質量の物体が中心部に直撃し、アンサラーはコジマ粒子の収縮を中断させられた。

一気にアンサラーへと向かうアレフを黒いホワイトグリントが追う。

 

「おおおおああああああ!!」

全身のブレードを起動し回転しながら巨大な弾丸と化したアレフがソルディオスの埋まった中心部にめり込んだ。

内部、という程広い内部では無かったが思考をやめメチャクチャにブレードで切り刻んでいく。

最後の断末魔をあげたアンサラーは裂けるチーズのように縦方向に分断されて崩れ落ちた。

 

『J』は予想されていなかった行動の連続にアレフの姿を見失っていた。

だが、黒いホワイトグリントのカメラ機能は既存のどのヘッドよりも優れており例えアレフが最高速度で動いても捉えられる。

『中身』の反応速度は関係ない。だがその時、崩れゆくアンサラーの残骸の中で明らかに反応速度を超える何かが動いた。

 

 

「ガラクタがァ!!」

崩れ落ち、残骸になったとはいえ、それでも一つ一つがアレフの総重量よりも遥かに重い。

アレフはオーバードブーストで最高速度を出しながら更に残骸を空中で踏み台にして三次元的にマッハ2を超える速度で動いていた。

黒いホワイトグリントがライフルを放った場所には既に自分はいなかった。そしてその隙を見逃さずに全力で足場を蹴ると太腿から多量の血が噴き出る。

身体中から飛び出たブレードが敵機の装甲を突き破り内部に入っていくのがよく見えた。

 

「俺が王だ!! てめぇは下だ!!」

分厚いPAと、普段ならばあり得ない速度のせいでいまいち上手くヒットしなかったがそれでも既存のどんなネクストでも一発で機能停止に追い込むくらいの威力はあったはずだ。

バラバラに出来なかったのは気に食わないが、今から野菜みたいに千切りにしてやればいい。

ふと右手に目をやると小指が変な方向に曲がっていることに気が付いた。

未だ残るソルディオスオービットと自律兵器の攻撃を避けながら小指を元の形に戻すと転げ回りたくなるような激痛が走った。

同時にPAが回復していく。

 

『ジェネレータ出力再上昇』

 

「あ……?」

倒したはずだろ、という言葉は出なかった。

機体の表面に幾つもの焦げ跡の線を残しながらもまだ動いており、肩部から生えた幾つもの触手が重力に逆らい蠢いている。

真っ黒だった機体の表面の部分部分が太陽のように輝きはじめ周囲のアンサラーの残骸が溶けだした。

そして、PAがみるみるうちに減っていく。

 

『オペレーション、パターン2』

 

「てめぇ……」

充血した眼と呼応するようにガロアの額の血管が弾けた。

 

『この程度……想定の範囲内だ』

 

「……、かはっ……」

既にアレフのAPは残り1000を切っていた。

息を吐くのと同時に粘ついたどす黒い血が口から出てきてしまった。

 

僅かな時間にこれから生きる数十年という時間を使う、灼熱の刻。

終わりが近づいてきたようだ。

 

「まぁ、ごぼっ……色々言いたいことも……聞きたいこともあるんだけどよ……」

 

『……』

 

「その、形をした奴にゃあ……負けてやる訳にはいかねえな……」

 

『……見せてみろ、貴様の力』

目に見える程の濃度となったコジマ粒子を巻き散らしながら敵は浮かびあがる。既に自分も敵機も満身創痍。だがそれでも交差する光を背から出して、ここで命を終わらせるとばかりに向かってきた。

 

人間としての限界がすぐそこにある。

少しでも気を抜けばそのまま意識がどこかに飛んでいきそうなほどに身体を覆う気怠さを右拳で思いきり地面を叩いて消し飛ばし、奮い立たせる。

生物がまともに聞けばそれだけで鼓膜が破れるような轟音を出しながら砂浜に大穴を穿ち、そして中のガロアの手の骨にひびが入った。

 

世界最高の戦いがここにはある。

ここで退いたら自分は一体なんだというのだ。

 

誰もが自分の中に自分では押せないスイッチがある。

心の中にいたずらに入りこんでくる者だけが押せるスイッチだ。

その先にある者こそが本当の自分なのだろう。

それをずっとずっと大事に隠したままの人生など――

 

「本気にさせたな」

ボロボロの機体を再び大地に立たせてガロアは敵機に向かった。

 

 

心の中の凶暴性の権化は敵をほとんど喰らい尽くし、ガロアの身体もほとんど残っていなかった。

ガロアの命ももう残り少ない。

 

 

 

 

 

 

ガロアが今まで勝ち抜いてきた自分の直感を信じて行動しているのと同じように、

ガロアの命が散ろうとしている戦場から数十km離れた地点で一心不乱にある方向へ向かって飛ぶ機体があった。

 

『オッツダルヴァ! 何をしている! 戻ってこい!!』

メルツェルがこの不測の事態にリーダーとしての自分を呼ぶ通信が入る。

 

「弟よ……今度こそは!!」

その勘は正しかった。

目にも留まらぬ速度でアンサングは東へと飛ぶ。

血の繋がっていない親とはるか昔に交わした言葉を守るために。

 

 

 

 

 

 

 

ああ、溶けていく。俺という存在が。もう本当に終わりみたいだ。

戦場に数多眠る死者の砂に、煙になっていく。

還っていく。俺が俺になる前の物に戻っていく。

溶け爛れて全てが乾き、時間が何もかもを連れ去っていく。

例えどこで誰が負けて、何が壊れようとも。

どこかで誰かが幸せになって、どこの誰かが不幸の底で噎せ返っても。全てはいつか流転する。

だが、それでも。

 

 

 

スラッグ弾がアレフのヘッドに当たり、その装甲を剥がした。

 

「ぐふっ……」

それだけのはずなのにそのダメージは中のガロアにまで響き、鼻の骨が曲がり眼窩底を骨折した。

 

最早動く気力もない。ブーストからは屁のような空気が漏れるだけで浮かぶことは出来ない。穴があるわけでも無いところからも血が滴り、魂はボロボロの身体にしがみ付いている状態だ。

 

それでも、最後の命の輝きと言わんばかりにガロアの眼が血を噴き出しながら見開き――そしてガロアの感じる時間が消え失せた。

 

黒いホワイトグリントから放たれる弾丸、無数の自律兵器から向かってくるスラッグ弾が全て止まって見えた。

その弾丸の一つ一つに彫ってある刻印ですらも見え、意識したときには全てが数え終わっていた。

避ける術はない、全方位からの攻撃。何よりも、ガロア自身もう動くイメージが出来なかった。

 

(……人間の歴史は……………)

 

ギン、と音を立ててスラッグ弾の中の一つが空中で弾けた。

それを皮切りにアレフに向かう弾丸全てがギギギギギギギギギンと無数の剣戟のような音を立てながら全てが融解しかき消された。

 

(辿りつけるかな……?)

 

アレフを中心に鋼鉄の壁よりも頑強なPAが展開された。気力で蘇ったなんて生半可な物では無い。

生きて帰ることは出来ない――ではなく。

 

ガロアはこの瞬間、命を捨てた。

 

(ふふ、ふ……よくぞ……ここまで……機械が………)

 

ネクストの絶対条件として絶対に内部にコジマ粒子を通してはならないという物があった。

この世界のあらゆる金属・物質を貫通するコジマを使いながらその条件は、ほとんど矛盾のようだった。

多くの研究者と技術者がその矛盾のギリギリのラインに擦り合わせて作ったのがネクストのコアだ。

それでも中には本当に僅かずつだがコジマは入ってきてリンクスを蝕んでいくし、濃度の高い場所ではますます防ぎきることは出来ない。

 

ガロアは命を捨てたのだ。セレンのそばにいるという未来すらも完全に。

 

 

(負けて生く……だ……と……)

徹底的に打ち負かしたはずのマグナスは愛する妻との間に子をもうけ、明日もこの世で最も愛する場所を守るために戦うのだろう。

 

「俺は勝って地獄に逝く」

この身はセレンの未来を守るためのモノだけでいい、と。

ギザギザと歪んだ心の底から本気でそう思えた。

 

「ゔ」

アレフの周囲で異常な濃度で展開されたコジマ粒子はコアの内部に一気に入りこんでガロアのボロボロの身体を食い荒らして、身体のありとあらゆる部位から血が吹きだした。

 

「おあああああああああぁあああああ!!」

 

咆哮と共に放たれた最後のアサルトアーマーは手では触れることの出来ないがそれでもこの世で最も固い物質の津波のようにアレフを中心に周囲に広がっていき、

自律兵器を霧にしてマザーウィルの巨大な弾丸すらも弾き返した。

 

 

 

 

『あ゙ぁ゙ッッ!!!』

魂の叫びが戦場にこだまし、周囲の砂と自律兵器を吹き飛ばしながらこちらへ向かってきた。世界の理そのものである無限の記号をその背に負って。

 

自律兵器のスラッグもこちらのライフルも全てをその身に受けながら最短距離で向かってくる。

人間では無い『J』は既に反撃までの最適解を叩きだしていた。

直線距離で向かってきた場合、こちらが今から逃げても加速度の問題で追い付かれる。ブースターも先ほどの斬撃で幾つか破損してしまっており、飛び上がることは出来ない。

だがその時にアレフに残っているエネルギー残量は僅か。そしてブレード一振りがぎりぎりであり、その場合一番広い攻撃範囲を持つ左腕のブレードを振るはず。

今までの戦いのパターンからも間違いないし、本人が気づいているのかは不明だがそういう嗜好があった。

『J』は今までの全てのガロアの戦いを知っていた。いや、ガロアがリンクスになる前、まだガロアがこのスタイルを選び出す前のシミュレーションマシーンでの戦いも全て知っている。

『J』はセレンよりもガロアの戦いの全てを知っていた。

 

『ごおおおおおおあああああ!!』

まさしく華々しく散る直前のような声をあげながら左手のブレード以外の全ての武装をブレードで無理やり切り離して捨てた。

だがそれも想定済み。ロケットもグレネードも元々残弾0だったのだ。それでもエネルギーの残量はそう変わらない。

ブレードの有効射程距離に入った瞬間に左方向にクイックブーストをすることで完全に攻撃手段を潰せる。

後は勝手に自滅するだろう。もちろんとどめは刺すつもりだが。

 

一瞬の思考の間にアレフがとうとう有効射程距離に入ってきた。『J』は既に攻撃をやめている。

ここで攻撃してしなくてももう停止するからだ。そして『J』が左方向へと急激に加速したとき、

 

 

 

 

アレフもそれに合わせるようにして左方向へクイックブーストを吹かしていた。

マシンガンを手放したその右手は固く握られていた。

 

 

 

 

 

(バカが)

 

(俺は右利きだ)

相手が人間では無い――機械ならば。

今までの自分の全ての戦いを知っているのかもしれない。それは予測出来ていた。

ネクストもシミュレーションマシンも機械なのだから、盗み見られていたかもと考えるのは当然の事だった。

ならばそれを超えるにはどうすればいいのか。それが難題だった。実際あらゆる動きを見透かされたように動き、あの斬撃とマシンガン以外はまともに当たりすらしなかった。

ガロアの戦闘経験の中でこれほどまで完璧に攻撃が回避されたことは無い。

つまり、自分にとって合理的でない、かつ効果的な攻撃をしなければならない。

そう考えた時、思い浮かんだのは何故か左腕にブレードを取りつけていたことだった。

 

(なんでだっけか)

初めて人を殺した時も、バックを殺した時も、あの時もあの時も。

左手で命を奪っていた。何かを意図したわけでは無い。

右利きなんだから右にブレードを付ければいいのに、とセレンに言われたときも、何故か変えなかった。

思い返せば今まで負けなしの戦闘の中でこれだけが理に適っていなかった。

全てが偶然。だがもし運命という物があるのならば。

この瞬間の為だったのかもしれない。

 

(……あ…………)

APは残り1だった。一秒にいくつ減っていたかは思いだせないが、もう一秒も無いのは確かだ。

本当に死ぬ。その瞬間の走馬灯。

戦ってばかりの血にまみれた人生の中のほんの一握りの温かい思い出。

利き腕を父に預けて森を歩いた日々。

隣に横たわるセレンと右手の指の一つ一つまで絡めて眠った夜。

利き腕だからこそ大切な人に預けておきたかったとか、この手だけは綺麗なままでいたかったとか、多分理由を取りつければそうなるんだろう。

だがやはり深い考えはない。

 

(やけに色々考えられるな)

目の前の黒いホワイトグリントはクイックブーストの反動であとほんのわずかの間は見動きが取れないはず。

対して自分は右拳を握りしめて、地面を力強く踏みしめている。

 

(そっか。限界か)

柔らかい砂地にも関わらず埋まった足を中心にして巨大なクレーターが出来上がる。衝撃が足から背を伝わって駆けあがり、全てのスタビライザーが吹き飛んだ。

 

「く だ、けち れ」

消えゆく命はもうまともに言葉を口にすることも許してくれなかった。

血を吐きながらも歯を食いしばる。

 

暴力を打ち砕く矛と化した右手が汚染の中心の敵機に突き刺さり鈍い音が響き渡った。

 

ガロアがこれから生きるはずだった全ての命をつぎ込んだ渾身の右ストレートは周囲の砂をはるか上空まで巻き上げる衝撃とともに黒いホワイトグリントのコアに直撃し、粉々に打ち砕いた。

もちろんPAもないアレフの右腕も無事で済むはずがなく、同時に骨組みごとバラバラになって肩部から先が花火のように飛び散っていった。

 

その攻撃がなくてももう限界だったのは間違いない。強制的にリンクが解除され身体中を蝕む激痛の中でも特に酷い右手に目をやった。

 

「ふふふ……何だコレ……」

指先からは肉が消滅し、バキバキになった骨がよく見える。

それどころか手首の部分は皮一枚しか残っておらず、骨も消し飛び右手はもうぶら下がっているだけで指も手の平も全く動かない。

頑丈なはずのパイロットスーツのあちこちから骨が飛び出ており、特に肘と肩からは軟骨のついた部分が生々しく飛び出しながら夥しい量の出血をしている。

 

(ぐちゃぐちゃだ……もう戻らねぇな……)

 

(そりゃそうだ……何一つ戻ることなんてねえ)

 

(壊れて生まれてまた壊れる)

 

(それが世界だからな)

 

(俺の番だ。それだけだ)

充血していたガロアの眼の渦は溶ける様に消えて、黒い瞳孔までもが灰色に侵食され何も見えなくなった。壊れた蛇口のように両耳から血がどろどろと流れていく。

 

(どっちでもいいさ)

 

(戻るだけだ。世界に)

ガロアが初めて殺した男の妻は道中強盗に襲われ三日三晩眠らされずに犯された後にずたずたにされて殺された。

兄は家族を守ろうとしたがその心虚しく撃ち殺され妹は今も娼館で食い物にされている。

それが現実の事かガロアの頭が作りだした幻かは分からない。

ただ、救いがないとすればガロアの心だ。

いつからか始まった戦争はガロアの心までも戦場へと変え今でも救われない。

終わらない戦争は何よりもガロアの心を蝕み、人生を修羅の道へと変えさせた。

 

『この世界は残酷だから仕方がないんだ』

その言葉だけをよすがに罪を感じる心を凍りつかせ、幼く弱い子供でありながら、生きる為に殺して奪いを繰り返し――ガロアは獣へと堕ちた。

 

(俺は死ぬべきなんだ)

数多の人間を地獄に落として自分は何を救ったのだろうか。

 

自分に最強と孤独を与えていた獣が心臓を取り出して齧りつくような幻覚が見える。そして手首がぼとりと音を立てて落ちた。

ガクガクと薬物中毒の末期患者のように身体が震え、魂が出て行こうとしている。

 

(ごめんセレン…………もう……手をつなげないな……)

 

(でも……これでもう終わったから………君は絶対に、ぜったいにしあわせになれ)

『敵』をバラバラにしたのはもう見えないこの目で見た。

だからもういい。終わりにしよう。

 

「テメェの……かちだ……クソやろう……のこさず食えよ? コラ……」

最後の瞬間というのは恐ろしくも優しく包み込む汚泥のようだった。

自分を作りあげてきた記憶、経験、残像のような全てがパズルのピースがバラバラになる様に抜け落ちて、言葉さえもまともに考えられず死の感覚を感じる自分というものさえも消えていく。大切な記憶とともに。

 

アレフの複眼から光が落ちると、バランスを崩して仰向けに倒れた。

 

 

(………………セレン……きみはしあわせに…………)

 

 

そして、倒れたアレフに自律兵器が殺到した。




残り十話です。

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