Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
明らかにアレフが倒れた後に放たれたマザーウィルの主砲には「停止したネクストへの攻撃は禁止」というルールを守ろうという意思も無くただ黒い殺意しか見えない。
「ガロアアァァァーッッ!!」
自機を追い抜きアレフに直撃した主砲を見てセレンはシリエジオの中で叫んだ。
自分の負けを認める言葉をガロアが戦場の中心で言ったのを確かにセレンは聞いた。
それが何を意味するのかは考えたくない。
アレフに向けてコジマキャノンをチャージするソルディオスに銃を突き刺し、自律兵器を踏みつぶしながら全速力で進む。
もう彼我の距離は数kmも無いのに宇宙の果てのように遠く感じる。
アレフにまとわりつきスラッグガンを狂ったように撃つ自律兵器は死体にたかる蠅のようだ。
「うあああああああああ!!」
ようやく辿りついたセレンは、腕が捥げヘッドが吹き飛びあちこちに大穴が空いたアレフを見て一瞬息を止める。
生身ならもう5秒で死ぬようなコジマ汚染の中で、ほんのすこしでもコアに穴が空いていたらもうお終いだ。
「ガロア! 今助けるから!! おい!!」
返事は返ってこない。その言葉はむしろ自分に向けての物だった。
「ひっ……」
残った左腕を掴んだ時、この世で最も頑丈な機械の一つに数えられるはずのネクストだというのに肩部があめ細工のようにどろりと溶けて再び地面に崩れ落ちた。
頭を掻きむしりたくなるような焦燥感を抑えながらそのボディを抱えた時、アレフに向けてソルディオスオービットがコジマキャノンを発射した。
「あ゙ぐっ!!」
一撃でAPが三分の一も持っていかれた。
そして今も自律兵器が弾の節約など一切考えずにスラッグガンを撃ってきている。
(…………ダメだ……)
ここまで来るのは難しいことでは無かった。
だが、全ての照準がアレフに向けられている中でネクスト一機を抱えてここから無事に脱出する方法が思い浮かばないし、
ここで応戦しても意味がない。必死にシリエジオに乗ってここまで来たというのにもう手詰まりだった。二つのソルディオスのチャージが終わった。
二人で死ねるなら。
そんな絶望にまみれた考えに頭が支配されてしまった時。
「っ……!」
片方はレーザーキャノンに貫かれ、もう片方は突如飛来したネクストに踏みつぶされた。
逆関節のダークレッドのそのネクストはこちらに一瞥をくれると叫んだ。
『くっ……早く連れて行け!! 早く!!』
「オッツダルヴァ!?……すまん!!」
そう言う間にもアンサングはアレフに狙いを付けるソルディオスを次々と撃破していく。
だが問題はある。射程数100kmに及ぶマザーウィルがこちらに狙いをつけているという事だ。
それに自律兵器もまだ数えるのも嫌になる程残っている。
『早く行ってください! マザーウィルは引き受けます!』
『信じられん……これは……』
『急げ! 手遅れになるぞ!』
アンサングに負けず劣らずのスピードで飛び回り自律兵器を切り裂いていくレイテルパラッシュも、
レーダーが潰され今どこにいるかは分からないが、声の持ち主のローディーとリリウムもここに来るまでに要領を得ない説明でセレンが必死に支援要請をしていた者達だった。
「頼んだ!」
全ての武装をパージし、絶対に落とさないようにかつ丁寧にアレフを抱えながらシリエジオはオーバードブーストを用い全力で戦場から離脱した。
その光景を見ながらローディーは呆けたように突っ立っていた。
(いくら戦争とは言え……これがたった一人の子供を殺す為に……?)
アンサングとレイテルパラッシュがシリエジオを追う兵器を次々と処理していくが、それが全てあのガロアを殺す為に集まったというのか。
いや、それどころか砂浜にはもう地面が見えない程の金属が散りばめられており、その一つ一つが元は殺人兵器だったことが伺える。
その中にはアンサラーと思われるAFの残骸まであり、それだけ暴れまわったとしたのならばこの戦力は決して過剰では無いのかもしれない。
(だが……それでも狂気だ……)
いくら強力な戦力とはいえたった一人の子供をこれだけの戦力で殺しに来るという事実に吐き気がする。
リンクスは企業失くしてあり得ない、とは思っていたがそれでもそんな企業に尻尾を振っていた過去を恥じ入る。
『ローディー様、マザーウィルを止めます!』
「……! ああ」
王がいなければ何も出来なかったあの少女がよくぞここまで成長したものだ。
そしてその成長を促したのも、この少女が好いていたのもあの少年に違いないのに、こんな場面に瀕してもなお自分のすべきことをはっきりと主張している。
(子供が凄惨な現実を見ても泣くことすら許されない世界か……私は立ち止まっている場合では無い)
砲撃が来る方へと飛ぶアンビエントに遅れぬようにフィードバックも戦闘モードを起動し飛んだ。
すっかり食道のおば……もといお姉さんと化していたリザイアも同様に困惑していた。
人類が宇宙に逃げた。自分達は置き去りにされた。それらは全て戦線離脱していたリザイアの知らないことだった。
だがそれも当然のこと。地上に残った企業の私兵、リンクスには何一つ知らされていなかったのだ。全てを切り捨てられたのだ。
そして宇宙に逃げた人類はコジマの関わる技術の一切を持ちこんでいない。もちろんリンクスもネクストも。同じ轍を踏まないようにということなのだろうが、
彼らは過去を清算するのではなく無かったことにした。それが正しいことなのかそうでないのかは誰にも分からない。
そんな中でリザイアは耳に入ってきた『ガロアが帰ってきた』という言葉に小走りで発着場に駆け出した。
恋ではなかった。だが、家系と嘘に縛られ続ける彼女にとって、そんなしがらみは一切なく自分に正直に戦い続けるガロアはリザイアにとってカラードにいる誰よりも眩しく、
汚れている自分の対極にいる存在のように思えたのだ。
「え……?」
昔、まだ彼女が幼い子供だった頃にトマトをぶつけあう祭を見たことがある。
タンカの上に乗せられたガロアはそれと同じくらい真っ赤に染まり、傍でオペレータの女が何やら叫んでいる。
肩から飛び出しているあれは……骨?上に乗せられているあれは手?腕はあそこにあるのに?
もしそうだとしたら痛いでは済まないだろうにピクリとも動いていない。
自分と違い何にも縛られないガロアに本当に少しだけ憧れを抱いていた。
自分より10以上も年が下の子供に馬鹿馬鹿しいとも思ったがそれでも。
あれが何もかもを剥きだしにして戦った先にあるものなのだとしたら。
「……」
人は嘘を着て安全を買う。
恐怖を知るからこそだ。
リザイアは今日初めて、恐怖を知った。
「あんなに強い人が……私は……運が良かっただけなのね……」
だが、そんなガロアでも戦いの輪廻と死の運命からは逃れられなかったようだ。
自分が唯一あらゆる皮を脱ぎ捨てて自分でいられる戦い。
いつから人殺しを神聖な行為に昇華させていたのだろうか。
冷たいアーマードコアの中にいてはそんな実感もわかなかったからなのかもしれない。
自分が勝ってきた今までも誰かをあんな風にして、そして自分もああなる可能性があったのだ。
ガロアに倒されたのは幸運だったのだ。
「身の程を……知ったわ……私……もう戦えない……」
リザイアはこの日、初めて戦いと恐怖という物を知り、そして戦意を永遠に失った。
マザーウィルはリリウムとローディーの言葉にすぐさま戦いを止めた。
アサルトセルが焼き払われることは一部の上官は知っていても、乗組員の誰もが自分達は地球に捨てられるという事を知らなかったのだ。
ただ「アレフを駆るガロア・A・ヴェデットを何にも優先して抹殺せよ」という命令があったのみだった。
その後、数日で全世界にある基地及び街、コロニーと連絡が取れて戦争は終結した。
そう、終結し、互いにもう戦う理由もなかったはず。それなのに何故か戦いは終わらない。
ラインアークの管轄する基地も、企業が管轄していたコロニーも断続的に襲撃されるのだ。
何度かの話し合い、そして戦場から持ち帰られたアレフの映像記録によりこの攻撃は、ラインアークでも地上に残った企業でも無い、全く別の第三勢力によるものだということが判明した。
分かったのは敵……『敵』と呼んでいいのかも分からないその存在は人間ではない何かという事であり、目的も規模も不明。
ただ明らかに人類全体に敵意がある。
絶え間ない攻撃は神出鬼没で互いに疑心暗鬼となり、いつ終わるのかも分からない攻撃は通常よりも遥かに早く企業も、ラインアークも、地球に残った人々を疲弊させていった。
僅か二週間で地球に残った戦力を持つ者達の五分の一が戦場から逃げるか、あるいは殺されていった。
そして防衛戦力の無くなったコロニーや街は感情のない無人兵器の攻撃により死の街へと姿を変えていく。
この戦いに終わりはあるのか?
誰もがそう思ったが、それは結局はるか昔から人類が抱いていた疑問と変わりないものだった。
「あなたの言った通りねぇ。ガロア君は確かに『生き残った』わ」
『敵』に攻撃されるコロニーを防衛し損傷したセレブリティアッシュを修理しながらアブは呟いた。
機械の音で通常の人間ならまず聞こえないその声をウォーキートーキーは聞きとって応える。
「イイエ。ガロア様は『死』にマシタ」
「ふぅー……ん。ま、いいわ。どうせあと50年しかないし、付き合ってあげる。でも、それでどうするの?」
「ガロア様は……ガガッジジジ……ガロア様は……まだ戦いマス」
「……あなたの方が付き合いが長いんだろうから……その言葉、信じたいけど……今度こそどうかしらね」
ガロアは奇跡的に生き残った。
複数の医師による30時間以上の手術の中で、何度も心臓も止まり自律呼吸すら危うかった。
右腕の治療は最早叶わず、肩から切断された。身体中に金属片が埋まってしまい肺や腸など臓器のいくつかを損傷し、特に腎臓は片方を完全に摘出しなければならなかった。
更に視力・聴力・味覚・嗅覚は完全に潰れてしまい、運動神経はコジマ粒子により徹底的に破壊され立ち上がるどころか動くこともほとんど出来ない上、何かの意思表示も出来ない。
脳死患者とほとんど変わらない状態だった。
「……さらにコジマ汚染も激しく、どれだけ尽くしても5年後まで生きている確率は……非常に低いとしか……。いえ、……正直な話、この衰弱から見て今月いっぱいが限界でしょう」
ガロアが身体に負った損傷と症状、そして受けた治療を事務的に説明されるだけで数十分を要した。
「……」
あの日から20日、ようやく呼び出されたセレンは黙ったままただ青ざめている。
「どうやら元々コジマ汚染患者だったようです。蓄積されていたコジマ粒子からも今回わかりました」
「動けない……と?」
「残念ながら、寝返りすらも……。本人の意識があるのかも分かりません。柔らかいものならかろうじて嚥下できますし、水も少しずつなら飲むことも出来ます。……ですが……」
「あぁ……、! そうだ! ガロアはAMS適性がある! だから、」
「確かに……その技術はあります。しかし……」
「しかしなんだ!?」
「AMS適性自体が数十万人に一人、あるかないかのものなのです。ましてや義肢に堪えるAMS適性を持つ患者は世界に数人いるかいないか……。AMSによる義肢技術を持つ医師はほとんどいないでしょう。もちろん、私もです」
「…………あ……」
当たり前の話だ。
そんな数百万人に一人に有効な治療法を何年もかけて覚えるよりも、数百万人がかかる病気の勉強をした方がいい。
そしてガロアは医者にとって特別じゃない。他に診るべき患者がいるのだ。特にこんな状況では。
ガロアは退院した。というよりも回復の見込みがないため「入院」が出来ないのだ。
それでも金を出せば普段なら病院で看護師と医師による適切な介護を受けられるが、それも普段ならばだ。
負傷者が日に日に増える今、どれだけ金を積んでも病院に置いておく訳にはいかない。
話は分かるが納得などどうして出来ようか。
現にガロアは喋れない状態から喋れるようになったのだ。
だがアスピナとは連絡が取れなかった。CUBEには連絡がついたがあの医者も行方不明らしい。
現場に出ている者以外ほとんどがクレイドルに移ってしまったという話だから、あの優秀な医者も行ってしまったのだろう。
どれだけ諦めないと言っても、今この世界にAMSに知識がある医者というものがいるだろうか。AMS適性を持つ人間はほとんどいないと一般に認知されて数十年たったというのに。
いや、いたとしてここまで連れてこれるだろうか。八方ふさがりだった。最早世界がガロアの命を捨てているとしか言えなかった。
どうしてガロアはあの戦場から逃げださずに戦ったのだろう。戦力の差は最早絶望的と言ってすらよかったのに。
映像で見たあの『敵』に言っていた「お前はセレンの敵だ」とはどういうことだったのだろう。
あの『敵』を破壊してガロアは何を得たのだろう。
疑問がどれだけ生じてももうガロアにはただの一つだって答える術はなかった。
ガロアは地獄に落ちた。
暗く深いどこかに意識は沈み、何も見えない、聞こえない。
凍りつくように寒く、焼け付くように熱いここから動けないのは無数の棘が身体中を貫いているからだ。
身じろぎしていないのに身じろぎしているようで、その度に棘が身体中に突き刺さり、痛みだけがあって全てを忘れて呆けることも出来ない。
もうどれだけこの世界にいるのかも分からない。時々粘土のような食感の味気ない物と水を口に入れられる。
いらないのに拒む力すらもない。
鬼や悪魔がいて罵倒しながら拷問してくれる方がまだよかった。ただただ一人ぼっちだ。
一人この無明の世界で永遠に痛みに苛まれ続けるのだろうか。
今までどれだけの人間を自分はここに叩き込んできたんだろう。
そう考えるとお似合いだった。こうして死にたかったのかもしれない。
そこに、ど真ん中にある自分という存在さえも徐々に溶けて分からなくなり痛みだけになる…………。
……………ということにはならなかった。
左手に自分をこの世界に繋ぎ止める楔が穿たれていた。
「いいさ……私がそばにいるって言っただろう?」
世界は戦い続けているがここは静かだ。
痛み止めが一定時間ごとに流れる機械と栄養剤の点滴に繋がれたベッドの上のガロアの手を握りながらセレンは呟く。
セレンがネクストに乗れることを知ったラインアークは当然のように戦場に出るよう要求してきたがその全てを断った。
その時にオッツダルヴァが味方に付き「ガロアのそばにいてやってくれ」と言ってくれたおかげもあり、ようやく何も気にせずに二人でいられる。
無明無音の世界にいるガロアがどんな孤独を味わっているのかは想像も出来ない。ただ触覚が生きているのならば握る手の感触も分かるはずだ。
「やっと……やっとお前の戦いは終わったな……」
本当の両親を奪われて、家族を奪われて、人間らしさを失くして。
他の子供がアニメを見て友達と将来の夢を語り合っているときに森で生きるのに必死になり、他の子供が夕方の部活動に力を入れている間に朝から晩まで身体を苛め抜いて、夢を見ず、妄想をせず。
ひたすらに今を必死に生き続けた果てに得たものがこれだというのならば。
「それで……いいのかよ……お前は……結局失ってばかりじゃないか……」
本当はもう殺してくれと思っているのかもしれない。
医者の話では痛み止めがあってもどうしようもないくらいの痛みがあるという話だから。
それでも、自分のわがままだと分かっていても生きていてほしい。
そして可能ならばまた言葉を交わしたい。
「もっとたくさんのことを言っておけばよかった……! こんなことになってから……言いたいことがたくさん思い浮かぶ……」
もうない事だと分かっていても、また抱きしめてほしい。だが掛け布団の上からでも分かる右腕部分の不自然なへこみ。
何度見ても本当に肩から先がない。長い指も、大きな手も力強い腕もまるごと消えてしまっている。
「お前の事が好きなんだ……どうしようもないくらいに……こんな風になっても……。でももう……何も……聞こえないんだな……」
全部自分のわがままだ。ここでガロアを失ったら本当にどうしていいのか分からない。どちらを向くのが『前』なのかも分からないのだ。とくにこんな世界では。
ガロアがリンクスになる本当の理由を知ったのはいつだったか。
強烈だった。
この世のあらゆる残酷さから保護されるべき年齢と弱さのはずの子供がよりにもよって世界最強に何の後ろ盾も無く挑もうとするその姿は。
自分は止められなかった。
「でも今度こそ、お前を全部から守ってやる」
その声が届いたのか、あるいは心が届いたのか。
「……!! ガロア……!?」
握力で言えば1kgもないだろう。だが今、確かにガロアは握り返してきた。
いや、握っているというよりもただ手を閉じているだけに近い。それでも、力なく開かれていないというだけで意識があり自分を認識してくれているのだと分かる。それだけで嬉しい。
死んでしまったらもう存在を確かめることすら出来なかったのだから。
自分が感じている全てはとっくに死んでしまった自分が作り出した幻想なのかもしれない。
五感のほぼ全てが潰された今、確かめる術もない。
だがそんなのは昔から変わらない。水槽の中の脳だとしても、感覚こそが全てで生きてきた。
冷静に理論をこねる頭に背反して理屈などクソ食らえと思い続けて来た今だ。
(……………………)
せっかく敵を倒して終わったのに何故こんな状態で生かされているのだろう。
何故神は自分を連れて行かないのだろう。
こうなると分かっていた。セレンは自分から離れない。だからこそ、さよならだと決めたのに。
それでも自分の中の物事を感じる全てが幸せだと言っている。酷い自分勝手だ。
(……………………)
それでセレンの人生は良かったのだろうか。
勝手に生み出されて、なんの偶然か手に入れた自由を、よりにもよって自分みたいな奴にくれて。
(……………………)
自分は父に愛されていた。
だから愛がどういう物かを知っている。
でもセレンは誰かに愛されたことがあるのだろうか。
どういう物か知っているのだろうか。そんな訳ない。今までのセレンの人生がドブの中のようなものだったのだと、自分は知っている。
形にも見えない愛という物を知らないはずなのに自分にこれまでずっと献身してくれていたのか。
(……………………)
今、願うのはこの痛みと苦しみ、そして束縛からの解放、死。
あるいは……この身体がもう一度動けば自分は……
(……………どうするんだろう……?)
「!……誰だ」
手を握り返されたことにただただ感動し、そのままずっと手を握っていたらノックが聞こえた。
だが今のセレンにその手を握り続ける以上に大事なことなど無く、その場で声を返すだけに終わった。
「少しだけ時間をもらえるか?」
「オッツダルヴァ……。……ああ」
その顔を見れば自分に戦えとかくだらないことを言いに来たのではないことが分かった。
「ガロア……腕が……!……? 寝ているのか?」
「……」
先ほどここに戻ってきたばかりでオッツダルヴァもそれを聞いてここまで来たのだろう。
つまり、ガロアが今どういう状態にあるのかを知らないのだ。
改めて、それを全て口にするのはセレンにも辛いことだった。
「なんということだ……ああ、私はお……」
「遅かったなんて言わないでくれ。ガロアは生きている」
「……。どうしようもないのか?」
「あるとしたら……AMS技術を用いた手術だ。だが……その技術を持った医師がいない」
「…………。すまない。私には医師の心当たりはない。……だが、探してみよう」
「頼む。でも……お前にもやることはあるのだろう」
「……。私は……遅かった……」
言うなと言ったのにオッツダルヴァはその言葉を口にした。
だが、その遅かったというのがあの戦場に辿り着くのがという意味では無いということがセレンにも分かった。
恐らくは出会う時期、あるいはガロアが誰なのかを気が付く時期のことなのだろう。
「また来る……何度でも」
「……ああ」
結局、ガロアに意識があることは言えなかった。
言えば彼もこの場を離れようとはしなくなるだろう。
オッツダルヴァが戦わなくなることは自分が戦わないのと比べ物にならないくらいの損失がある。
彼が心配しているのはよく分かるしそれはエゴなのかもしれないが。
開けっぱなしのドアへと歩いて行くオッツダルヴァの背は何となく自分と似ているような気がした。
「どうだった?」
自分と同じく、連日戦い続けているメルツェルが疲労の色が見える顔で聞いてくる。
だがメルツェルは中でのやり取りは全て聞いていた。
「……あぁ」
「泣くな、オッツダルヴァ。お前がリーダーなんだ。お前がぶれていたら私たちは誰について行けばいいんだ」
「分かっている……分かっているさ……」
「だが……お前がそういう奴だからこそ、リーダーなんだ」
「……?」
「いや、いい。さぁ行こう」
仲間を数として切り捨てる非情さではなく、打たれ弱く感傷的な部分があるのは幼い頃の記憶を取り戻す前からだった。
そんな男だからこそ、そしてそれでも強かったからこそ、まだ10代だったオッツダルヴァを皆がリーダーだと認めたのだ。
自分が弱い部分を支えていけばいい。メルツェルはそんな自分が優しいというよりは甘いという事が分かっていた。
だからこそ優秀であっても右も左も分からない子供の頃にオッツダルヴァに出会ってからここまでの付き合いになってしまったのだろう。
だがそんな生き方も、企業の駒になって命令されるだけの人生よりはずっといいと思っていた。
「……?……!! なんだ……? 何の臭いだ?」
本当に少しだがコミュニケーションが取れる事が分かった。
手のひらにゆっくりと文字を書いて、YESなら握る、NOなら握らない。そのルールのみでだが。
モールス信号でも教えておけばもっと複雑な会話も出来たかもしれないが、自分も知らないしこの状態のガロアがどこまで明瞭に意志を表せるか分からない。
喉が渇いたか、腹は減っていないか。
いくつかのやり取りを終えてそばにいるうちにセレンはベッドに頭を乗せて眠りに落ちてしまっていたが妙な臭いで目が覚めた。
「まさか……」
血が腐ってヘドロに混ぜたような臭いの元を辿ると布団の下だった。
聞こえるはずも無い謝罪を何度も口にしながらズボンを下着ごと降ろすと血尿と血便で下半身が真っ赤に染まっていた。
便意をはっきりと伝えることが出来なくても何かしらの異常があることは伝えられたはずだ。
もしかしたら便をした感覚がないのかもしれない。
そういえばおむつを渡されていたのをすっかり忘れていた。
あんなものをまだ18歳のガロアに使うなんてと思ったのは覚えている。だからこそ無意識に記憶から消してしまったのかもしれない。
「う……」
これほど血が混じったものが体内から出てくるということ。
一体どれほどの痛みがガロアを襲っているのだろう。
痛み止めを送る機械の音がやけに虚しく響く中で、血と汚物で汚れた下半身を丁寧に拭いて服を代えているとガロアの手が小さく震えていることに気が付いた。
「大丈夫だから……。いや、そうじゃないよな……ごめんな……」
もしも自分が全く動けない中で下半身を晒して汚物を処理されることを考えたら、その相手がガロアだったらそれがどれだけ屈辱か。
恥ずかしい、という言葉では足りない。ただでさえ小さい頃から自分の事は自分で出来る男だったのだから尚更だろう。ましてや年齢的に辛く無いはずがない。
もしかしなくても、ここに連れて帰ってきたのは残酷なことだったのかもしれない。
だが、確かに今のままでも辛いがあのまま離れっぱなしなのはもっと辛かった。ガロアがではない。自分がだ。
どこまで行っても自分自分。例え病院に置ける状況でもいろいろ言い訳を見つけて連れて帰ってしまっていたのだろう。
「よし……」
処理を終えて手を消毒したセレンは痩せたせいで作戦前に比べて随分軽くなった気がするガロアの身体を仰向けから横向きに直した。
2,3時間に一回は体位を変えないと血液の流れが悪くなりその部分が腐敗してしまう褥瘡というものが起きてしまうのだ。
何も持つことすら出来ないガロアが寝返りなどうてるはずもなく、どうしても人の手が必要になる。
だがその手間よりも軽くなった理由の方がセレンの涙腺を刺激した。
「腕……本当にないんだな……」
右側を下にしたときの抵抗の無さ、そして重さが現実を突きつける。
腕だけでは無い。このままそう遠く無いうちに全てを失くす。
「昔と同じだな……お前は静かで……でもそこにいて」
「そして……そして、……。静かにいなくなるのか……」
ガロアが全てを捨ててでも力を得ようとした気持ちが今になって分かる。
愛した人が傷つくことはまるで自分も傷つくようで、愛した者が失われることは心に穴が空くのに等しい。
ガロアの心に空いたその穴をあの場所で埋めたのは、自分は間違っていないと信じて戦うことだけだったのだろう。
変わったことは確かだ。心の部分だけでなく、片耳に光る青いピアスもそれを示す。
だが遅かったのだろう。オッツダルヴァの言葉とはまた違う意味で。
『水を買ってくる』
手のひらにゆっくりと文字を書くと弱弱しくだがはっきりと握られた。
きっと全部は飲めない。残った水は花にやることになるだろう。
あの花は何度でも咲くという。ガロアがいなくなった後も咲くのだろうか。
そんなことはもう考えたくもない。
廊下に出てすぐに気が付いた。
臓腑を直接握り潰されるようなこの感覚。
内側に渦巻く殺気を解放したときのガロアがそばにいるような感覚だった。
「だっ……誰だ……貴様……」
開いたドアの影から出てきた男を見てセレンは本気で歩く死体だと思ってしまった。
見える部分全てが焼けただれており、片方の瞼は溶けてくっついてしまっている。
今までセレンが関わったどんな人物よりも危険だという事がすぐに分かった。
そしてその格好は常夏のラインアークだというのに厚着で、そう、一昔前のガロアの格好にそっくりだった。
「……」
「……、な、ま、待て!」
呆気に取られているほんの数瞬の間に自分の隣をすり抜けてその男は部屋の中に入っていた。
「ガロア……」
「……!?」
静かに横たわったまま動かないガロアのベッドの横に膝をついた男は静かにつぶやく。
「結局……どこまで行っても……どれだけ強くなっても……」
「この世界に……救いは無いのか……ガロア……」
(……! この男が……)
いつかガロアが話していた、自分をリンクスになるための道を示した男。
この男こそがリリアナのリーダー、オールドキングだと知った。
セレンは誰がORCAのメンバーなのか、その全てを把握しているわけでは無い。
だからどうしてここにいるのかは分からない。
だがこの男が何を今考えているかもその言葉も、全てがセレンの心を映しているかのようだった。
時間は少し戻り、最終作戦から4日後のある海域。
「おーれー、はーパッチマーン、幸運の、はこびやー」
海の上を浮かぶ一人乗りにしては大きい船の上で、小太りの男が鼻をほじりながら器用に鼻歌を歌っていた。
「んんー、お! デカい鼻くそとれた」
小指にひっついた鼻くそを海に捨てた男、パッチはビールを飲みながら機械の様子を見る。
あの日、ガロアにボコボコに負けて死の一歩手前まで追い込まれたパッチだったが、プライドをかなぐり捨てた言葉を連発して何とか逃げおおせた。
当然、カラードには戻れなかったがテロ組織がノーカウントを高値で買い取ってくれ、その後パッチはサルベージ船を買い海に沈む幾つものACの残骸や金属を釣り上げては売ってを繰り返し、中々にリッチな生活を送っている。
その全てを幸運だとパッチは思っているし、実際この広い海で何度も残骸を釣り上げるのは並大抵の運では不可能だろう。しかしあの日ガロアに負けた事は幸運なのだろうか。
ORCAのPQやブッパ・ズ・ガンに出会ってしまったことは幸運なのだろうか。客観的に見ればどう考えてもツいていないはずだ。
しかしパッチは自分は運がいいと本当に心の底から思い続けている。
きっと死ぬ瞬間まで自分がアンラッキーだなんて思わないだろう。ある意味最強の男だった。
そして今日も……
「おおお!!? 水素吸蔵合金反応!!? ネ、ネクストだ!!?」
なんと今日は海底に沈むネクストを見つけてしまった。
今までリンクスの数もそう多くないのだから、一人一人の経歴を調べていけば誰のどのネクストなんてのはすぐ分かるだろう。
どこに売るのが一番いいかな、なんて考えるパッチはもう2週間も海の上におり、世界が今どんな状況にあるかなんてこれっぽっちも知らなかった。
「ちっ……はぁ」
水もとうとう無くなった。携帯食料は二日前に無くなっている。
放り投げたペットボトルは狭いコックピットの中で跳ね返りダリオの頭に当たった。
下が海だったこと、そして乗っていたのがこの世で最も頑丈な兵器の一つ、ネクストだったのは幸運だったのか、不運だったのか。
ダリオはまだ生きていた。ジェネレーターを切り取られたおかげでまともに動くことも出来ない。ブーストは当然動かせないし、海に叩きつけられた衝撃でトラセンドの手足もイかれている。
予備電源でギリギリ生命維持装置が動いて酸素を出し続けているだけ。
海底何千mにいるのかは分からないしこんな海の底では外に出る気も無いが、仰向けに倒れているおかげで出ることは出来ない。
殺されはしなかったが結果は同じだ。通信も出来ない。このまま飢え死にするか、あるいは……
「……」
手に持っている拳銃をもうずっといじっている。このまま頭をぶち抜いた方が楽なんじゃないか、ずっとそう思っている。
いっそあそこで殺してくれればよかったのに。
(またかよ…………)
こんな狭い空間にずっと閉じ込められて発狂しない理由がある。
画面の右側に見える物。あれは、なんというか、馬鹿馬鹿しいと思うがどこからどう見ても海底都市だった。あるいは海底で稼働する工場とでも言うか。
暗い空間で戦う事を想定して積んでいた暗視カメラのお陰で鮮明に見える。
アトランチスだとかムーだとかそんな眉唾物の話をどこかで見ては夢がある話だな、くらいにしか思っていなかったのに。
また一機、ACと思われる形の物が出てきてどこかへと海の底を歩いて消えていった。
(しかし……なんなんだ……こりゃ……。……俺は何を見ている? ……俺たちは何と戦ってきたんだ?)
断続的に出てくるACや兵器はどれも見覚えがある。前々から都市を唐突に襲撃しては、最後は自爆し証拠すら残さなかった奴らだ。
この場所で作られては何か目的を持ってどこかへと消えていく。自分の存在には気づいているはずだが、もう死ぬものだとして放っておいてるのだろうか。
あるいは指令に従う以外のことはしないのか。
そうだ。こんな海底をまともに動き続ける機械の中身が人間のはずがない。
断続的に出てくる機械を眺めてその理由を考えているおかげでまだ発狂していなかった。
この拳銃が自分の頭に向けられるのはいつになるだろう。
「!、うっ!?」
突然、ガクンという衝撃が起きかなり揺らされた後に海底から離れていく。
「……!? 釣りあげられている!!? なんだ!? 誰が!?」
「イエア!! イエス!! ローゼンタールの最新型だ!! ヒィヤァ!!」
釣りあげたネクストの前で一通り狂気乱舞した後、どんな人物が乗っていたのかを調べていく。しかしどこかで見た覚えがある機体だ。
「修理した方が高く売れるか!? いや、このままでも十分金持ちだ!! この機体は……トラ、せん……ど……」
臆病なパッチは危険なリンクスは全部覚えているが、その中でも一番関わってはいけないと思っていたリンクスのネクストだった。
それが分かると同時に頭に何かが突きつけられた。
「頭の後ろに手を組め」
「ひっ、ひぃ!!」
釣りあげた機械の『中身』が入っている事は想定していた。だから『掃除道具』もある。
だが誰が海底数千mに沈んでいる機体の中身が生きているなんて思う?
「そうだ。そのままうつ伏せになれ」
「ははは、はいぃ」
「……! テメェ……リンクスか? どういうことだ。おい、こっちを向け。怪しい真似したらぶっ放して海に捨てるぞ」
首のジャックを見られたのだろう。ゆっくりと後ろを向くと確かにカラードで一番関わってはいけない男、ダリオ・エンピオだった。
「確か……パッチとかいうブタだな? ブタなんだな? あ? コラ」
「ひぃぃ!! ブタです!! 私はブタです!!」
ゴリゴリと頭の形を変える程に銃が突きつけられ思わず失禁しながら返事をする。
「なんだ……どうなっているんだ……」
「お願いですぅ、許してくださいぃぃあなた様のネクストを売ろうなんてこれっぽちも考えていませんからぁあ……!」
「偶然か……? 死ななくてよかったのか……?」
「しゃぶります! ×××しゃぶりますから許して!!」
「触んじゃねえ!!」
「あがっ!!」
錯乱しながらダリオの股間に手を伸ばしていたパッチは蹴り飛ばされ無様に転げ回る。
「おい! この場所の座標は分かるか!?」
「わ、分かります、ひ、ひぃい」
胸倉を掴まれてまたもや銃を頭に突きつけられる。
見方を変えれば自分は命の恩人なのにこのダリオという男には感謝の気持ちなどこれっぽちもない。
「騒ぐんじゃねえブタが!」
「は、はいぃブタは黙ります、黙りますぅぅ……うぅ……うっ」
「俺はどうするべきだ……? 何をすればいい……?」
「あ、あの」
「おいブタ。今世界はどうなっている?」
「へ? あの、なんのことだかさっぱり?」
「ちっ。……飯はあるか」
「あ、ありますあります」
「……よし。持ってこい。それから金をやるから俺を近くのカラードの施設まで送れ」
「は、はい……うぅぅ……」
金、と言われてもネクストを売り飛ばす金には到底及ばないだろう。
いつぶりか、パッチはこの日久々にツいていないと思った。
ヒロインの前で脱糞する主人公
もう落ちるとこまで落ちたなぁ
パッチはしっかりちゃっかり生きていました