Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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戦い続ける歓びを

ガロアはいつ寝ていて起きているかのかは分からないがこれは絶対に寝言では無いのだろうとセレンは思った。

 

「う……は……えぅ……」

 

「何か言いたいことがあるのか?」

耳が聞こえないこともあるが、舌が上手く動かずまともな言葉すら発せなくなってしまったという事にただ泣きたくなるが、今はガロアが何かを伝えようという意思を持ったことを喜びその意思を汲み取ってやらねばならない。

 

『身体が痛いのか?』

 

「……」

 

『水か?』

 

「……」

 

『飯か?』

 

「……う」

手の平に書いた最後の言葉に反応し、手を握りながらガロアは重たそうに頭を縦に振った。

 

「そうか、よし」

栄養剤が点滴で入っていっているとはいえ、何か食べた方がいいに決まっている。

状態は良いとは言えないが、腹が減ったと主張してきたのはいい事だ。

台所に立ったセレンはすぐに食器とスプーンを持って戻ってくる。

 

「食べやすい物なんて売っていないから……頑張って作ってみたんだ」

こういう時に何を食べさせればいいのか、そして何だったら作れそうなのかを調べてセレンなりに必死になって作ったのが卵がゆだった。

熱すぎては食べるのも難儀するだろうと思い、かなりぬるくしてある。

 

「ほら……」

枕と掛け布団を重ねて背に当てて座らせる。

しっかりバランスを保たせないとそのまま倒れてしまいそうだ。

少なめに粥を乗せたスプーンを乾いてカサカサの唇に当てると小さく口を開いた。

嗅覚も無いからこの距離でも食事だと気が付かないらしい。

 

「……」

 

『美味いか?』

そう手の平に書いたら弱弱しく握り返された。味覚も無いというのに。ましてやそんな気遣いが出来る奴では無かったのに。何よりもこの粥は……自分で言うのも何だが全然美味しく無かった。

どうしてこんな状態になってそんな優しい嘘を吐きはじめるんだろう。

 

(どこかに行ってしまうとでも思っているのか?)

引き止める為に嘘を言っているのか、あるいは、あるいは……

色々と考えは浮かんでくるがそのどれもが悲しみ以外の感情を呼び出さずに涙が零れる。

 

「ぐっ、げぼっ……」

 

「あっ……」

考え込んでつい口に入れ過ぎてしまったのか、ガロアは弱弱しく咳き込み吐きだしてしまった。

 

「ごめんな」

 

「……」

口の周りを拭いていくが服の中まで汚れてしまっていることに気が付く。

どちらにせよ、そろそろ身体を拭こうと思っていた。

 

『もういらない?』

健康な時の量とは当然比べるまでもない。だが、その問いにイエスと返ってきた。

普段ならば無理にでも詰め込んでいたが今はもう物を飲みこむことさえ辛いらしい。

味覚がないということは何を口に入れられても味がしないという事だ。

味がしない物を延々と飲みこむ辛さは想像できない。

 

「……体を拭こうか」

シャツを脱がせると、当然の事だが痩せて傷ついた身体が出てくる。

傷はまだいい。だが日に日に細くなっていくことに耐えられない。

今月いっぱいが限度という言葉が現実味を帯びていく。

 

「……」

身体を拭いていると「視線」を感じた。

見えていない筈だが、ガロアが白内障の患者よりも遥かに真っ白く染まった目でこちらを見て静かに涙を流していた。

 

「泣くな……」

辛いだろう。ただでさえプライドと意地の塊のような男で、しかも18歳という年齢なのに頭の天辺から足の先まで全て女に世話をされているなんて。

 

「絶対に、死のうなんて考えるな」

ガロアの考えていることはよく分かっていた。

今の自分を恥じ、重荷だと考えているに違いない。

こんな状態では自殺も簡単には出来ないが。

 

コンコン、と単調で冷たいノックの音が聞こえる。

 

「……誰だ」

来客はそう多くはない。

何せ今も正体不明の敵と戦っている真っ最中で、見舞いに来ている暇などないからだ。

むしろオッツダルヴァはリーダーなのによくこれたものだ。

 

「容体はどうだ」

最初に会った時とまるで変わらぬ顔で入ってきたその男、マグナスを見た時セレンは自分の頭の中が沸騰する感情によってどうしようもなくぐちゃぐちゃになっていくのを感じた。

 

「……貴様!! くそ、何をしに来た! ガロアを、見るな!!」

子供が生まれたあの時は心の中で感動し、祝福さえしていた。

だがやはりどうしてもこの男はガロアとは相容れない存在のようだ。傷だらけの上半身を晒すガロアに布団をかけて間に立つ。

ガロアが何もかもを失ってきたのに対し、この男は妻を得て子供も授かり、守るべき家族があるという幸せを手に入れている。

それがどうしても許せない。ガロアの感じていた怒りがようやく分かったような気がした。

 

「出来れば彼と話がしたいのだが」

 

「知らないなら教えてやる! 視覚も嗅覚も味覚も聴覚も潰れた上に運動神経もずたぼろで動くこともできない! おまけに腕もなくした!」

 

「……」

 

「幸せか!? 守るべき家族がいるものな! 貴様には!」

 

「俺は」

 

「ガロアが何をした!? ガロアが何をしたんだ!? ただ生きていただけなのに奪われて奪われて! ここが最後に辿り着く場所だと!?」

 

「幸せだろう、アナトリアの傭兵……お前が自分の幸せを守るために戦ってガロアの人生は狂った……! 何が最強のリンクスだ! そんなもの!!……お前さえいなければ……、ガロアは今頃普通に学校に行って……クソ、お前が悪い!!」

違う、この男が完全に悪いんじゃない。憎むべき悪という物はもっと別のところにある。そう分かっていても怒りが抑えられず、許そうなどと思えない。

ガロアはこの感情に決着をつけたくて戦っていたのだろう。だがガロアの人生の歪みが自分との出会いを作ったのも知っている。

 

「そうか。意思疎通は出来ないのか」

 

「貴様……!」

今更何を聞きに来たというんだろう。小指の先っぽほどは気になるがどこまでも冷静なこの男の態度が気に食わずに腰の銃に手をかけた。

 

「……!」

 

「ガロア……どうして……」

怒声が空気を震わしたのを肌で感じたのだろうか。銃を抜きとろうとした腕をガロアは静かに掴んでいた。

どうして止めるのかとも思うし、止める理由もよく分かる。頭がおかしくなりそうだった。

ガロアがこんな状況になった元凶の男は明日も妻を愛でて子供の頭を撫で、そしてガロアは全てを失い死ぬ。

だがそれでも、マグナスのいる世界はガロアの欲しかった物そのものだからこそ、壊したかったし壊れてほしくないんだろう。

 

「とことん……ガロアを狂わせやがって! 出て行け!!」

 

「……日を改めよう」

 

「二度と来るな!!」

まだまだ中身が残っている皿をぶん投げたら冷静さを欠いていた割には見事にマグナスの頭にヒットした。

それでも表情を変えずにマグナスは皿を台所に置いて出て行った。

その終始冷静な様はますますセレンを怒らせたがガロアの手は離れなかった。

 

 

 

 

「だから、行くなと言ったのに」

何やら食事を頭からかぶって出てきたマグナスを見てジョシュアは言った。

 

「やはりダメだったか」

渡されたハンカチで顔を拭きながらマグナスは先ほどのセレンの姿を思い返す。

マグナスはあの二人について多くを知っているわけでは無い。ガロアは恐らくサーダナの知り合い以上の何かで、サーダナを殺した自分を憎んでいる。

そしてセレンは恐らくガロアのオペレーター以上の何かでガロアを傷つけるものを許さない。

分かっているのはそれだけなのだが、まるであの姿は母が子をあらゆる残酷な現実から守ろうとしているかのようだった。

先日母となり高潔なまでに強くなって家で子を守りながら待つフィオナは今日も自分の無事を祈っているのだろうか。

 

 

「確かにあの少年は何かを知っていた……あるいは勘づいていた。だが……聞けないだろうな、何も」

中からの怒声は全部聞こえていたジョシュアは頭を掻く。

正体も規模も分からない敵といつ終わるかも分からない戦いを続けるのは通常の比ではなく兵達に疲れが溜まっていく。

一番正体不明の敵と戦ってきたガロアは確かに何かを知った。あの戦いの映像記録での発言からも行動からも。だがもう何もかもが遅い。

このままでは常に後手に回り最後は疲弊しきってしまう。

 

「ミド・アウリエルを探そう」

 

「馬鹿な」

 

「俺の知る限りで唯一、AMSの知識を持つ医者だ」

 

「彼女が行方不明になってからもう何年経つ? 仮に生きていたとしてどう探す? 第一地球にいるとも限らんだろう」

リンクス戦争の最中で負傷により退役したオーメルのリンクス、ミド・アウリエルは元は医学を志した学生だった。

下半身不随となった彼女は再び大学に行き、医師となったとジョシュアもマグナスも風のうわさで聞いており、その時にAMSの医学的利用についてミドが学んだ可能性が非常に高い。

行方不明になった、との話だが下半身が動かない状態ではそれも難しいだろう。その技術で自分の下半身を動くようにした者に教えを請い、身につけているのではないか。

そうでなくともリンクスならばAMSの知識がある。自分達は医学の知識がないからどうしようもないだけなのだ。ガロアの身体を再び動かせるようにできるとすればまずそれだ。

だがミドがリンクスを辞めて大学に戻っているとき、マグナスもジョシュアもフィオナもアナトリアを離れて各地を流浪しており、連絡先は愚か今となっては生きているかどうかも分からない。

 

「退役したとはいえ金も地位もあったレオハルトも、最も権力のあるリンクスである王小龍も今回の事を知りもしなかった」

 

「何が言いたい?」

 

「このことからクレイドルにはリンクスは連れて行かれなかったのだと考えられる。生きているのなら地球にいるはずだ」

 

「彼女がAMSについての知識があっても技術があるとは限らないだろう」

 

「いや。もし生きていたのならば、必ず身につけているはずだ」

 

「何故だ?」

 

「ミド・アウリエルはたった10歳で大学に入学した天才児だった。何度か会ったことがあるが、知的好奇心の塊のような女性だった。AMS適性が発覚したのも自ら進んで実験を受けたからだ。何よりも彼女はまだ幼い頃に両親を失ってからも厳しい世界で生き抜いたタフな経験がある。生きているさ」

 

「で、どう探す?」

拙い希望だとはマグナスも分かっていた。

そもそもが何故行方不明になったのかも分からないのに。

 

「彼女はリンクスだった。リンクスの知り合いがいる素人よりも、リンクスの知り合いがいるリンクスの方が多いのは当たり前だろう。そしてこの地球上にリンクスは50人もいない」

 

「つまり? いや……まさか、マギー……」

 

「聞き込みだ」

原始的だな、とマグナス自身も思ったがそれ以上の方法は思いつかない。

 

「今がどういう時か分かっているのか? そんなことよりも俺たちは戦うべきじゃないか?」

 

「世界が……変わったとして、人間を変える力はない。変わるのもあくまで人間の意志だ。そして人間までもが変われば全てが終わると俺は思う」

 

「……」

 

「いらないもの、足手まといを切り捨てるのは簡単だ。同時に人間性も切り捨てることになるがな。何もかも切り捨てて生き残るのは残忍で利己的な人間だけ。もしそうならば、……そんな人類は滅んだ方がいい」

 

「……今、私のホワイトグリントとお前のルブニールは修理中だ。だがそれも後三日で終わると言ったところか」

 

「悪いな。付き合ってもらうぞ」

優しいだけでは生きてはいけないということはマグナスは誰よりも分かっている。

だが生きる為に優しさをすべて捨てたのなら、何の為に生きて、生きることに何の価値があるのか。

この世界でそれを見定めるのは非常に難しいし、時に下手くそな優しさはこれ以上ないくらいに人を傷つけることもある。

戦う為に改造された身体、植え付けられた強烈な闘争本能を抑えて冷静沈着な表情を保ったままマグナスは人が人である理由を探す為に、今日も人であろうとする。

 

 

 

自分はあとどれだけこの窓から月を見るのだろう。

ガロアがいなくなったとき、自分はどこに行くのだろう。

 

「満月だな」

水を浴びたアルメリアが月の光を反射する様子は生命が溢れているようだ。

気が付けばガロアにあげていたのと同じくらい、この花には愛情を注いでいる。

 

「……」

ダメだというのは分かっているが酒に頼っている。逃げる場所がないなら頭で作り出さなければならない。

何よりも、眠れない。3時間に一回は起きて体勢を変えてやらねばならないとか色々考えるとぐっすりと眠ることも出来ないのだ。

身体にも悪いだろう。何も食べていないのに酒をかっくらっているのだから。

食べなければいけないのは分かっているし、メイやリリウムも飯はしっかり食べて寝ろと言ってくる。

そんなことは分かっているが、喉を通らない。

 

「今思うとあの時が一番楽しかったかもな、ガロア」

目を閉じてまだ小さかった頃のガロアを思いだす。

あの時には異性としては見ておらず、恋なんてものは全く知らなかったがそれでも今と変わらず何よりも大切で生きる意味だった。

 

「……、……」

月の薄い灯りの中でガロアを見ると影が出来てよく分かる。ガロアはもう頬までこけてしまっている。

腕が一本ない分を差し引いても体重は軽いし、薄くなった筋肉越しに骨の形まで分かる。次の満月の晩はどうなるのだろう。

 

「分かっている……私まで倒れたら……誰がお前を守るんだ」

肌を人前で晒すのも日焼けするのも嫌いなセレンはこんな場所でも割と厚着で過ごしている。

普段はどちらともなくタイミングをずらして着替えていたのに、今はそんなことを気にする必要もないので一枚一枚ベッドの横の椅子の上で脱ぎ始めた。

 

「私は……」

ボタンを外すのも煩わしく、頭から無理やりに脱ぐと乱れた髪が広がった。

昔の自分に戻ったようだ。見た目に気を使う必要性を感じられない。

 

「お前の前で裸体を晒す日は……きっと人生で一番幸せな日になるんだと思っていた。……見えない……のか……」

そして聞こえないのも知っている。ぼそぼそと独り言以下の音量で呟きながらブラを外して寝間着に手をかけた。

月明かりに照らされる花、自分の乳房、そして動かないガロアを見て少しだけ何かを考えたセレンは掴んだ寝間着を床に落とした。

 

「そっちに行くぞ」

ショーツ一枚だけでベッドに入るのは実に久しぶりだった。

前までのように、ガロアの右側に横になると改めてそこに腕が無いことを実感してしまい脳が揺れる。

あの長くて繊細な指が、大きく頼りがいのある手の平が、逞しく金属のように固かった腕が全てない。

 

「ずるいよな……許してくれ」

あるはずの腕がないおかげで、抱き着くとこれ以上ないくらいにぴったりと身体がくっついた。

凹凸のはっきりとした自分の身体にガロアの身体を通して一秒ごとに消えようとしていく命が、そして焦がれた感触が伝わってくる。

 

(どうしてもいなくなるというのなら……この感触をずっと覚えておこう)

これから先、自分の肌を合わせたいと思う程に焦がれるような男は現れるのだろうか。

考えるだけで馬鹿馬鹿しくなってくる。ガロアがいなくても自分はそれを心の底から拒否していたのに、ここまで心を許したガロアを失った後に求めることなんて考えられない。

でも、そうだというのなら。この世界のどこに生きていく価値があるのだろう。

一人で呆けていくのは辛かった。この幸せを知った後でそこにまた放り込まれるというのならば、それは死ぬよりも辛いことだ。

ガロアには死のうなんて考えるなと言ったが――。

 

「……ずっと、一緒だ」

誰もが下手に励ますことも出来ず、ひたすら落ちていくだけ。

次第にセレンの考えも底なしに暗いものへとなっていった。

 

 

 

日が昇ってからずっと、自分のネクストが修理されているのを横目にマグナスは歩き回っていた。

 

「え? 知らないぜ」

 

「……そうか」

とりあえずリンクスには手当たり次第で聞いてみようとしてもう7人目。

最初に見た時より随分逞しくなった気がする少年に尋ねてみたが当然のようにNoと返された。

彼は確かGAと懇意にしていたリンクスだというし、当然と言えば当然だ。

 

「あんた、アナトリアの傭兵……」

 

「む?」

 

「別に今までのあんたの行動を否定するわけじゃないけど、ガロアには近づくなよ。お互いの為になんねーと思うよ。俺はな」

 

「……?」

 

「あいつがどうしたかは人づてだけど聞いた。殺されなくてよかったな。でも……あいつの人生にケリを付けられなかった。そしてもう付けることも出来ない。そっとしておいてやってくれよ」

 

「お前はあの少年の友なのか」

 

「あいつがどう思っているかは知らないけど、俺は一応そう思っている。そばにいてやりたいとも思うけどそれは俺の役目じゃねえ。もう時間がないなら、ずっと二人でいさせてやれ」

 

「助かるかもしれない、と言ったら?」

 

「……マジで言ってんのか?」

 

「あの少年のAMS適性の高さならあるいは……」

 

「……? なんの関係があんだ、それ」

 

「AMSは元々身体障碍者用に開発された技術だからよ、ダン君。動かなくなった部位も、使えなくなった神経もAMS適性があれば人工的に復活させられる。……その技術があれば。でしょう?」

この少年と同じ時期にラインアークに移った女がいつの間にか後ろにいて声をかけてきた。

 

「その通りだ」

 

「でも、知らないわ。他を当たってちょうだい。弾を補給したらすぐに行かなくちゃ」

 

「そういうことだ。さっきの言葉は撤回する。なんとしてもその女の人を探し出してくれ」

 

「出来るだけやってみよう」

 

 

 

マグナスが手当たり次第にリンクスを捕まえては話を聞いているとき、ジョシュアも同じくリンクスを捕まえては話を聞いていた。

 

(!……あの女性もリンクスか?)

全リンクスを把握しているわけではないとはいえ、あんなリンクスまでいたのだろうか。

上げた髪の下から見える鈍色のジャックを目で追うと鉄のマスクが目に入った。

 

「少し時間を頂けるか?」

 

「……? はい?」

 

「ミド・アウリエルという女性を知らないか?」

 

「ミ……?」

 

「……。失礼をしたな」

 

「いえ……、その……そのリンクスは知っている……」

 

「!」

リンクスとは言っていないのにリンクスだと言ってきた。

関係は分からないが、少なくとも全く知らないというわけではないようだ。

 

「あ、ごめんさい……やっぱり分からない」

 

「時間がないんだ。何か知っていることがあるなら小さなことでもいいから教えてほしい」

 

「だから知らないと言う、のに!」

 

「……?」

ふざけているのか本気なのか、何かを知っているはずなのに知らないという。

その女性が頭を抱えたときにマスクの下のグロテスクな火傷の痕が見えた。

 

「すまないが、それ以上の詮索はやめていただきたい」

 

(! ウィン・D・ファンション……)

彼女ほど企業に忠実で責任感の強い女性はいない、と聞いていたから裏切ってラインアークに来た時には驚いたものだ。

そして何故か今、敵を見るような目でこちらを見てくる。

 

「ウィンディー……?」

 

「行こう」

何か弁解らしいことをする前に何かを知っているであろうその女性はウィンに連れられてどこかに行ってしまった。

 

「…………何かしたか……?」

敵愾心こもった目で見られることは仕事柄少なくはないがただ話しかけただけでここまで牙を向けられたのは初めてかもしれない。

良くも悪くも個性的な人物の多いリンクスに聞いて回ることはただの聞き込みより遥かに難しいということにジョシュアは今更気が付いた。

 

 

 

 

 

もはやここにいる理由もない。

自分は次に何をすべきか、とりあえず王のところへ帰ろうと思ったらその場に残って戦えと言われた。

確かにあの場所は強固な戦力に守られており、有象無象の雑魚がいくら固まって攻めてきてもまず攻め落とせないだろう。

ならば弱い人々を守るために戦うというのは美しい理由だし、命をかけるのに十分な理由だとは思う。

だが、いくら倒しても波のように押し寄せてくる敵に終わりが見えない。

一機一機が弱くても、弾の数に限界があるし、精神力の終わりもある。

アンビエントも少しずつだがガタが来始めていた。

 

(人間じゃない敵……?……分かりません…………)

目的も規模も不明、ただ分かるのは人じゃないという事だけ。

完全にSFの世界の話だ。アサルト・セルが焼き払われたときは、のんきに『来年あたりにはあの屋敷を出て空で暮らしているのだろうか』なんて考えていたのに。

 

(……)

あの日、既に泣くだけ泣いた。自分にない強さをどこまでも手にしているあの少年があんな無残な姿で帰ってくるとは。

ガロアの他と隔絶した圧倒的な強さはどのリンクスも知っていたからこそ、誰もが言葉を失っていた。

だがそれよりも気の毒なのはセレン・ヘイズの方だろう。

痛いほど深い愛情を持っていたあの女性は日に日にやつれていく。動かなくなったガロアも、セレンももう見ているだけで辛い

 

(鍵……)

王は敵の正体を握る鍵は、まずガロアを何よりも優先して狙ったことにあるのではないかと言っていた。

国家解体戦争以来全く足並みの揃わなかった企業が一斉に下した判断、『ガロア・A・ヴェデットの抹殺』。

敵として考えれば確かにガロアは最悪の戦力だったかもしれない。だが何故あのタイミングでアレフの破壊を?

理由をこじつけようとすればいくらでもあげられるが、決定的な物はない。

まとまらない考えを抱えながらガロアとセレンのいる部屋へと見舞いに行くために歩く。

邪魔にならないように、そう長くは居座るつもりはなかったのだが。

 

「……!」

廊下の壁にもたれて動かないセレンを見つけた。

髪が乱れ、目の下に大きな隈を作っているのがここからでも分かる。

あんなに綺麗な人だったのに酷くやつれて見る影もない。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「……リリウムか」

 

「どうしてこんなところで……」

 

「水を買いに行こうと……思ったんだ。ちょっとふらっと来てしまってな」

 

「リリウムが買ってきますから、部屋で休んでいてください!」

 

「……。頼めるか? すまない……」

 

「……セレン様、眠れていますか? お食事は?」

 

「………」

 

「リリウムのお部屋でお休みになってください。冷蔵庫にお食事もありますから」

 

「だが……」

 

「お水はガロア様に? リリウムが届けてそばにいますから。このままではセレン様が先に倒れてしまいます」

 

「お前……やることがあるだろう?」

その言葉は裏を返せば、やることがないならば、という風にも捉えられた。

もしかしたら自分の親切は二人の時間を邪魔するようなものなのかもしれないとは思うが、このままでは本当に危険だ。

 

「アンビエントの修理と補給に半日はかかりますから大丈夫です。さぁ、リリウムのお部屋に行きましょう」

少々強引だが、手を引くとセレンは何も言わずについてきた。

自分の部屋に着くまでのほんの数分の間にも目が閉じかけては開いてを繰り返す。

この世で最も惨い拷問の一つが眠らせないことだと言うが、確かにこれは辛そうだった。

 

 

手渡された鍵で部屋に入ると明らかに雰囲気が重暗くなっていた。

奇妙なことだが、これだけ静かなのに誰かがいる気配はある。

 

「……!…………ガロア様」

久しぶりに会ったからこそ分かりやすい。

人はたった数週間でここまで痩せられるのか。

呼吸でわずかに上下する以外にはほとんど動きがなく、自分が入ってきたことにも気が付いていないようだ。

布団の上からでも右腕がないのが分かるし、セレンは何も言っていなかったが右腕どころかもう長くはないのも明らかだった。

生き残ったとは言え、こんなのはあんまりにも残酷だ。このまま死に行くのならなぜ生き残ったのだろう。

あの決戦でアナトリアの傭兵が生きていた事にも、自分が幼い頃に凌辱の果てに殺されなかったのも意味があるとは思う。だがこれはただただ残酷なだけだ。

生きていてくれてうれしいとは思う。しかしそれはあくまで一瞬の、しかも自分の感情だ。

意識はあると言っていたが、いったい彼は何を考えているのだろう。

 

「お水を……」

買ってきたペットボトルの水を口元まで運ぼうとして、横になったままではむせてしまうという事に気が付く。

上体を起こす為に左腕と背に手を回すと、その体温は異常なほど低かった。

圧縮したゴムのようだった腕からも筋肉が消え失せ、あろうことか皮が余り始めている。

 

「……?」

 

「え?」

気のせいかもしれないが、今の一瞬ガロアがあれっ?という顔をしたように見えた。

表情はほとんど変わらないはずなのだが奇妙なことだと思いながらも水を口に入れると少しずつだが取り込んでいく。

食事はどうしよう、と考えたがこの調子ではほとんど無理なのだろう。それに空腹になったら主張してくると言っていた。

 

「……」

それは、再び横にさせるときに勢いをつけて倒れ込まないようにと手を掴んだ時だった。

 

「!?、う、ぐ……? っ!?」

 

「!」

明確な拒絶だった。光の消えた目を見開いて手を振り払い、怯えるように何かを探している。

無明の世界で知らない者に抵抗も出来ないまま身体を触られたらそれは確かに恐怖だろう。

だが、もっと根本的に言えば、手の感触だけで知らない人物だと見抜かれたのだ。

 

(分かるんだ……こうなっても……)

何も分からない世界で、形が覚えられるほどにずっと手を握られていたのだろう。

それだけ付きっきりだったのならばあの憔悴も当たり前だ。

 

「お二人は……結ばれるべきです……なのに……」

この二人の絆のなんと強いことか。

ガロアの出生と育ちを知って、自分が先に出会っていれば何かが変わったのかなんて卑屈なことを考えるときもあった。

だがそんな小さなことで変わったり崩れたりするような関係では無かったのだ。

自分では支えにならないというこれ以上ないくらい分かりやすい拒絶なのに、不思議とそれに対する悲しみは無かった。

えげつない汚さばかりが目立つこの世界でとても綺麗な物を見つけた。

ガロアはセレンを大事な人だといい、セレンはガロアを何よりも大切にしている。

そこにはそれだけで掛け替えのない価値がある。

 

「……? だ……れ?」

リリウムの顔を手で触れながら、たったそれだけの短い言葉ですらも呂律も怪しいままに尋ねてくる。

 

「リリウムです」

 

「……」

 

「リリウム……で……す……」

 

「……」

どれだけ言っても耳には届かない。

ヒューヒューと秋の夜の風のような呼吸の音が返ってくるばかり。

拒絶されたことは悲しくない。

 

(もう……この人には…………)

ガロアの世界ではセレンとそれ以外の者に分かたれてしまい、認識すらしてもらえないということこそが悲しかった。

ここに確かに肉体はあるのに、精神はもう誰にも届かない世界に行ってしまった。

 

「今……何か、食べられる物を……」

とりあえず意識はあると分かったので買ってきたリンゴの皮をナイフで剥いていく。

慣れない作業で、あまりうまくはいかなかったが何かをしてあげたかった。

しかし、今のガロアは固形物を食べられないということをリリウムは知らない。

 

ガチャリ、とドアが開く音が聞こえた。

そういえば鍵をあけて入ってきたはいいが気が急いて閉めるのを忘れていたか。

セレンが戻ってくるには早すぎるような気もするが。

 

「えっ?」

男が立っていた。

大けがでもしてまだ治療中なのだろうか、両脚には矯正器具を付けており、口から覗く歯はボロボロ、異様な出で立ちだった。

だが何よりもおかしいのはその手に握られていた拳銃だった。

今まさにベッドに横たわっているガロアに向け引き金を引こうとしており――

 

「いやっ!!」

思わず男を突き飛ばした瞬間に弾丸が発射され、ガロアの頭のすぐ横に穴が空く。

 

「なんだぁああああこの野郎はよぉおおおおなんでまた別の女はべらせてんだああああ」

どう見ても悪いのはこの男なのに、いきなり逆上してもの凄い力で掴みかかってくる。

細身のリリウムは片手で軽く押されただけでベランダのそばにある机まで飛ばされてしまった。

 

「新しい女かよ? でももう何も出来ねえんだもんなぁあああ」

 

「なっ、やめ、なんなんですかあなたは!!」

首を絞められたまま椅子に座らされて思い切り押えつけられる。

多少の抵抗はしたが非力な少女の力では男の力に敵わなかった。

 

「ざまぁねぇよな、そう思うだろ!? 最強のリンクスだがなんだか知らねえが巡り巡ってツケが返ってきたなあっ!!」

そのまま口を開いて出した舌をゆっくりと首元に這わせてくる。

心底気色の悪い感覚にリリウムは鳥肌が立った。

 

(助け……)

思わずガロアの方に目をやるが助けるどころか、耳元数cmの距離に弾丸が当たったことも、男が入ってきたことにも気が付いていないようだ。

この男が言う通り何も出来ない。

 

「肌寂しいだろ、こんなんになっちまったらなんもしてもらえないもんな。おお……そうだそうだ、そのままこいつの顔を見ていろよ」

力で無理やり押えつけたまま身体のいたるところをまさぐってくる。

男が何を考えているのか、男がなんなのかが分かってきた。

ガロアに恨みがあって、今のガロアが動けないのをいいことに殺しに来たのだろう。

だが自分を見つけたから予定を変更して何もできないガロアの前で犯すつもりなのだ。

考えが追いつくと同時に男はベルトを外してズボンと下着を降ろした。

幼い頃のトラウマが一気に蘇り目を背けてしまう。

 

「いやっ、やめて!!」

だがガロアへの恨みは本物だとしても、それを理由に周りに悪意を巻き散らすこの男は本物の屑だということも分かる。

必死に暴れて細い脚で男の身体を蹴るが。

 

「暴れんじゃねえ!!」

 

「ゔっ」

その数倍の力で腹を殴られた。

息が詰まった瞬間に今度は顔を思い切り殴られる。

何度も何度も。自分より弱い者や女への暴力が如何に慣れているのかがその拳には表れていた。

そんな分かりやすい悪にさえまともな抵抗が出来ない。

リンクスになって、ネクストに乗って強くなったとしても本質的な部分で何も変わっていない。

何度も顔を殴られ意識が遠のいているとき、ネクストから降りてもひたすらに身体を鍛えていたガロアの姿を思いだした。

こんな時の為だったのか、と遅すぎる納得をする。そう、遅すぎる。

 

「誰か、助げっ」

 

「叫ぶなよ、分かんだろ、そんぐらいよおおおお!! 静かにすんだよォ静かにィイ――!! あァ――ッ!?」

口を開いて助けを呼ぼうとした瞬間にまた男の容赦ない拳を浴びせられる。

舌を噛み、口の中が切れて血が流れていく。抵抗する気力もなくなった途端に服が引き千切られた。

助けを呼ぶとして誰が来てくれるというのだろう。ほとんどの人間は戦いに出てこの建物の中にはいない。

セレンもあの様子では少なくともあと一時間は眠るだろう。あの日のように王が助けに来てくれることなどあり得ない。

髪を引っ張られて頭を無理やりあげられる。男の下卑た笑いが目に入った。

視界の右半分がぼやけているのは目の上が腫れてしまったからだろうか。こんなこと経験したことも無かった。

 

(結局……)

乾いた笑いが漏れてしまう。

結局あの時先送りにしただけなのか。

いや、もっとひどい。ここで自分はメチャクチャに犯された後に殺され、ガロアも殺されるだろう。

 

『弱者も敗者も奪われ弄ばれる。そうならないためには?』

かつての王の問いの答えを、優等生だった自分は分かってはいた。

自分の身を守る力を付けるしかないのだ。分かってはいたのに。

とうとう、身に付けていた衣類が全て剥ぎ取られた。

 

 

 

 

 

 

 

耳元に着弾した弾丸にすら気が付かないガロアの精神世界に変化が起こっていた。

それがガロアの夢なのかどうかは分からない。長い間痛みに襲われ続けまともに眠ることも出来ず、とうとうせん妄が始まっていたのだ。

 

(何をしに来た?)

身体中を棘に貫かれ動くことも出来ないまま痛みに苛まれ続ける自分を見下ろすアレフ・ゼロがいた。

 

『__、__』

 

(いつも同じことを言うんだな……)

戻ってきてくれ、戦おう、と。

まとめてしまえばその二つになる。

いつもアレフ・ゼロは同じことを言う。

そして凶悪な力を渡してくる。

 

(もう動けない……それに俺はこのまま……死にたいんだって、分かれよそれくらいは……)

あれだけ自分と密接に繋がっていたなら『自分の意志を汲む』ことぐらいできるだろうに。

こんなところにまで表れて同じことを繰り返す。

 

『__』

 

(痛ぎっ、あ゙っ!)

短い言葉の後に、無理やり身体を持ち上げられた。

凄まじい痛みが身体中を襲うが、自分を貫いていた棘から遠ざかっていく。

 

『__、__』

 

(…………)

何度も何度も繰り返す。

敵はまだいると。

 

『__、__』

例えば、すぐそこにいると。

 

 

 

 

どくん、と力強い音が聞こえた。

自分の心臓の音では無い。

 

(……えっ?)

男は自分の股ぐらをいじくるのに夢中で気が付いていないようだ。

音のする方に首を向けるとリリウムは信じがたい物を見た。

どくん、どくんとここからでもガロアの胸が脈動して跳ねるのが見える。

鼓動はやがて太鼓の音のように激しく早くなり、ガロアの肌がどんどん赤く染まっていく。

 

(ガロ……ア……様……)

ほとんど動くことすら出来なかったガロアがベッドの上に散らばったリンゴを掻き分けてナイフを掴む。

そして――

 

「おぐっ!? おっ? えっ?」

そのまま男の腹部……肝臓に深々とガロアの長い腕が持ったナイフが突きたてられていた。

ぶちぶちとガロアの身体中に付けられた管が抜ける音がする。

上体を起こしたガロアは目を見開いていた。

真っ赤、瞳孔の色すらもなく余すところなく赤く塗りつぶされたその目はアレフ・ゼロの複眼の色とよく似ていた。

 

「ぶっ……?」

爆発するかのように勢いを付けてガロアはナイフを男の腹から抜き、そのまま血濡れのナイフを男の首に突き刺す。

男は何が起こったのかを認識する前に息絶えていた。

 

ガロアには何も見えていない聞こえない。

こんな姿になってすらも命を奪う。死の隣に座り続けてガロアはいよいよ本当に死神に近づいていた。

悪意と敵意だけがガロアの精神世界に映りこんでいた。

 

「…………」

だが、そのままベッドに戻って布団をかけて管を入れ直してまた眠りにつく……なんてするはずも無く、ガロアもそのままベランダへと続くガラス戸に向かって倒れ込み、思いきり顔からぶつかる。

床に突っ伏すまでにガラスに垂直にガロアの顔から噴き出た血の線が描かれていた。

 

「ガロア様!!」

今の自分がどういう状態であるかも忘れてガロアを腕に抱く。

力なく口と目が開かれているのを見てぞっとしながら胸に耳をやると心臓が止まっていた。

さきほどの血のように赤い肌が嘘のように青白くなっている。

 

「いっ、いっ、いや!! 死なないで!!」

あの時目の前で息絶えたメイドとガロアが重なる。

何度か思ってしまったことだ。

あの時助かったのは運が良かったからでは無く、自分の代わりにメイドが撃たれたからではないのか?

女は殺さないと男達は言っていた。『自分の代わりに死なせてしまったのではないか?』

 

「そんなっ、まさか! いやです! だめ!!」

まさか今日ここでも。セレンは自分を信頼してくれたというのに。

また今日も自分の代わりに死ぬというのか。

小さな拳で何度もガロアの胸を叩く。やせ細った身体にこんなことをして逆効果なのではないだろうか、正しい心肺蘇生の方法はなんだったか。

渦巻く疑問と焦りがリリウムの頭の中を埋め尽くした時。

 

どんッ! とおよそ人の身体から出るとは思えない激しい音がガロアの胸から響く。

ガロアの心臓がまた動きだしたのだ。リリウムの願いが届いたというよりは、『何か』がガロアの魂を再びこの身体の牢獄に入れたかのようだったがそれでも。

 

「ああ、ああぁ……ああ……!」

ほんの数分の間に起こった津波のような感情と思い。

怒り、羞恥、屈辱、焦燥、悲しみ、安心、喜び。

まだ好きだと言えていない。あんな人には絶対に身体を許したくない。助けてくれた。

その全てに翻弄されて飲みこまれていく。

 

リリウムはガロアの口にキスをしていた。

順番は逆だが、まだ動悸が安定していないから肺に空気を送りこまなければ、と頭の中に浮かんだ言い訳も全てそれで吹き飛んでしまった。

 

セレンに対する酷い裏切りだと、ガロアはそんなことこれっぽちも望んでいないと分かりながらも何度も何度も唇を重ねてしまっていた。

もうガロアには何も分かっていない、心に入る隙間はないと知っているのに。

自分の世界を変えた少年に対する愛おしさと感謝が、痛め付けられた身体と対照的に輝くようにして弾けてしまったのだった。

 

 

セレンが戻ってきたのはそれから30分後のことだった。やはりよく眠れなかったセレンは部屋に戻ってその惨状を見て一発で目が覚めた。

何度も殴られたかのように腫れた顔をしたリリウムは何故か服を身に着けておらず、ベッドから転げ落ちてリリウムに抱えられているガロアは血だらけで、血だまりの中で絶命しているのは見覚えのある男だった。

 

『ガロア様が助けてくれた』

 

そのリリウムの言葉足らずの説明――およそ医師や無関係の人間ならば信じられないであろうそれを、セレンは簡単に納得してしまった。

 

自分でも、ましてやリリウムでも無い。助けようと思ってした訳でも無い。

死に行くガロアをこの世界に引き戻して起こしたのは敵意、悪意なのだ。

こんな状態になってもまだガロアは戦いに誘われているのだと。

 

 

 

 

 

 

「どうだ?」

 

「なしのつぶてだ」

ジョシュアもマグナスも二人して頭を抱えた。

分かってはいた事だが、希望が見えてこない。

 

「まだ聞いていないリンクスは?」

 

「……今帰ってきた者にはとりあえず聞いていないな」

ジョシュアの言葉に振り返ると、まだパイロットスーツを来た色男が歩いていた。

その周りには五人程、血の繋がりもうかがえない老人や子供、女性がおり誰だかは分からないが一見してとっつきやすそうな性格に見える。

 

「すまない。少し時間を頂けるか?」

 

「んん? なんか用かい、ジョシュア・オブライエン」

 

「私を知っているのか」

 

「知らない方がおかしいだろ。ああ、俺はロイ・ザーランド。まぁ覚えなくてもいい。男に覚えられてもな」

そう言うとロイの近くにいた歯の欠けた老人が愉快そうに笑った。こんな状況なのに笑顔を忘れていないとは強い者達だ。きっとこの男が負けるとはこれっぽちも思っていないのだろう。

顔は知らなかったがその名は以前から知っている。独立傭兵の中では一番上のランクにいた男だったはずだ。

 

「ミド・アウリエルという女性を知らないか?」

 

「……? どっかで聞いた名前だな。いや、悪い。今までにあった女は全部覚えているんだがな……」

 

「ちょっと待って。ミドって……医者のミド?」

実に豊かな表情でロイが顔をすまなそうにしたとき、隣にいた褐色肌の女が声をあげた。

 

「! 知っているのか!?」

 

「あー……それだ」

 

「黄色人種で、ちょっと脚が悪い医者だろう? 知っているさ。私はその人に手術をしてもらったんだ」

 

「!! 連絡先は分かるか!?」

これはもうほぼビンゴと言ってもいいのではないだろうか。

黄色人種で、身体に障害がありかつ医者。ここまで一致して他人という事は考えにくい。

 

「ああ、知っているよ。何か悪いとこが出たら連絡してくれって言われて」

 

「やった……マギー! おい、マギー!」

この幸運は自分の物なのだろうか、それともあの少年が引き寄せているものなのだろうか。

とにかく言えるのは途轍もない激運だということだけだ。思わずジョシュアは叫ぶ。

 

「……」

 

「マギー! 何をしているんだ!」

言い出しっぺの本人はというと明後日の方を向いたまま黙っていた。

 

「あの二人……片方はORCA旅団のメンバーで片方はカラードから来た者のはずだ。随分と親し気だが」

 

「……?」

視線の方に目をやると黒髪の女と金髪の男が隣り合って座りながら修理されているネクスト、ノブリス・オブリージュを見ていた。

その距離感は間違いなく男女の間にある壁を超えて繋がりあった者同士の物だった。

同じく、それを見たロイが口笛を鳴らす。

 

「……あの王子様がねぇ。女には優しくても絶対に手を出さなかったのに。よっぽど思い合っていたんだな」

金髪の男の方は知っていた。そもそもが有名人だったからだ。ローゼンタールの最高リンクス、ジェラルド・ジェンドリンだ。

だがそれよりも気になる言葉があった。

 

「いた? いたとは?」

 

「え? だって女の方がどう見ても固そうじゃないか。前に声かけたけど完全に無視されたしな。女に手を出さない男と固い女が結ばれる理由ときたら、昔からの縁とかだろ」

 

「……、……!」

ジェラルドの過去は知っていた。自分と同じくコロニーアスピナ及びアスピナ機関出身のはずだ。

ということはその頃からの縁?そこまで考えが及んだ時、嫌な予感が頭を掠めた。

 

「ミド・アウリエルに連絡はとれるか?」

 

「四日前に電話が来たばかりさ」

 

「あとで話をさせてほしい。彼女の治療を必要としている人がいるんだ」

 

「まぁ、いいけど来てくれるかわからないよ」

 

「迎えに行く。……すまない、少し気になることができた。話はまたあとで」

なんなんだ、という顔をするロイと褐色肌の女、ミゼルを後にジョシュアは隣り合って座るジュリアスとジェラルドの元へと向かった。

 

 

「ジョシュア・オブライエン……!」

 

「!! あなたに会えて光栄だ」

ジュリアスは声をあげ、ジェラルドに至っては立ち上がり敬礼までしてしまった。

そんなことをしなくていいとジェスチャーをしながらジョシュアは口を開いた。

 

「君は……ジェラルド・ジェンドリン。ローゼンタールの……」

 

「はい」

 

「そちらの……君の名は?」

 

「……ジュリアス……エメリー」

 

「どこに所属していた? ORCAの前だ」

 

「レイレナードだが……なぜ?」

さらりと言ったその言葉にはとてつもない悪意が潜んでいる。

 

「! 二人ともアスピナ出身だな? いつから企業に?」

 

「あなたが……。アナトリアを襲撃する半年前だ」

 

「……!!」

ジェラルドの言葉を聞いてジョシュアの脳は一気に回転を始めた。

 

ローゼンタールグループとレイレナードグループはリンクス戦争で敵だったはずだ。

それに新たに戦力としてリンクスをアスピナが送っていた?

 

かつてローゼンタールグループのオーメルからジョシュアに直接持ちかけられた依頼を思い出す。

もはや全てのリンクスを超越してコントロールの効かない存在となったマグナス・バッティ・カーチスの抹殺。

そして同様に個の持つ力としては危険すぎる領域にいるジョシュアの死。

自分たちが世界の混乱の中心だという自覚はあった。

だが何よりも、その依頼の受諾をしなければアスピナは企業から敵と認定されることとなり未来がなくなるという事実がジョシュアに苦しい決断をさせた。

 

帰る場所のある男が力をつけすぎることというのはそういうことなのだ。

「人間」は一人では生きていけない。その人物がどれだけ強くても周りの物が脆いことは避けられず、それは破滅への起爆剤となる。

二人が制御不能の力を得た時点でアスピナかアナトリア、どちらかに未来はなかったのだ。

 

一人で最後のミッションに赴くときに、最期に会ったあの男は、自分の教官であったあの男はすべてを察した顔で初めて神妙な声で言った。

「すまない」と。

 

そしてアスピナには平和が訪れた。

訪れたが。

 

最後の戦い、そして二人が姿を消せば平和になるはずだった。

 

オーメルの、いや、企業の主張は実際正しかった。

個人が過ぎた力を持つべきではないのだろう。

その主張が正しかったとして、なぜアスピナはまだあんな商売を続けていられる?

何故未だに兵器開発を続けている?

 

 

(すまないだと?)

だがあの男の行動は、戦争の種をばら撒いているのでは?

戦い争いあう勢力に同じだけの戦力を送るというのはどういうことか。

勝負がつかないことは変わらない。

変わるのは。

 

(人の死ぬ数……)

今起きている戦争と同じだった。

人が死ぬことだけを目的としているのならば全てが繋がる。

 

あの男の、自分の優秀な教官だったあの男の普段の不気味なつかみどころのなさと、あの時の神妙な表情。そのどちらが本性だったのか。

 

 

「主任……?」

 

「「え?」」

ジョシュアの言葉にジュリアスとジェラルドが同時に反応したそのとき。

 

『ようやく気が付いたのかい』

ジョシュアの胸ポケットに入っていた端末が勝手に起動し声が出てきた。

あの日のアレフ・ゼロとの戦いで自分の生存は世界に知られ、生きているのならアスピナにいる『主任』の耳にも届いていたはずだった。

だからいつか連絡が来るのではとは考えていたがこのタイミングとは。

 

「「「主任……」」」

三人の声は同時に同じ言葉を発した。

取り出した携帯端末に映っている男は塗りつぶされたような黒い髪よりも顔に彫られたいくつもの刺青のほうが目につき、袖からのぞく手にも暴力的なタトゥーがある。

初めて会った時から髪型が変わったりタトゥーが増えたりしていたが、何よりも老けないなと不思議に思っていた。

8年ぶりに見た彼はやはり全く年を取っておらず、見た目だけで言えばもう自分の方が年上になってしまったようにも思える。

 

『初めに言っておこう。アスピナは関係ないんだ。信じるか信じないかはそちらに任せるけどね。倒すべき敵と言うのならばそれは俺一人だ』

 

「……」

淡々と語り始めた男の言葉に三人は理解が追い付かずに固まる。

 

『じゃあ……フィナーレと行こうか』

 

 

 

 

『人類に宣戦布告する』

 

 

―――100年前の出来事を知っているだろうか?

 

ああ、知っているよ。あの国とあの国が戦争をして、あそこで大震災が起きて、ああなってああなったよ、と。

誰もが知る様な大事件を挙げていくだろう。

 

知っているのならばそれが事実だと証明できるだろうか?

人から聞いた話では無く、教師から教わった事ではなく、人の書いた書物を引用するのではなく、自らの手で。

この百年前の出来事は間違いなくあったことなのだと。

 

100年。同じことを周囲から言われ続ければ本当はあったことも無かったことになり、無かったことが本当にあったことになる。

『歴史』とはそういうものなのだ。事実をある人物の主観を通して見た物なれば、伝え聞く事柄はどうしても幾つもの人の意識に触れて歪められている。

 

人と人の間で起こる事実と歴史の認識のずれは人間が三次元存在である限り永遠の課題なのだろう。

今日も明日も、『我が国にはそんな記録はない』、『貴国は我が国に対しこのような振る舞いをした事実がある』と、最早解決のしようのない主張を人間は滅ぶまで繰り返すだろう。

 

100年でそうなるならば。

200年、300年――事実は物質よりも圧倒的に早く風化してしまう。

 

例え目に見えない何かが歩んでいるのを誰かが気付いたとしても。

それが誰かの手によって歪められれば…………

 

この世界には我々の知る『歴史』とは全く別の『事実』がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人類に宣戦布告する、と確かに聞こえた。

すでに1000万人近い死者が出ているという下地がなければ到底信じることはできなかったであろうその一言は、圧倒的にリアルな狂気を含んでいた。

 

 

『地球上の人類現在約3億8700万人。ちょっと多すぎるんだよな』

 

『人口が上から20までの都市に対して今から3週間後に攻撃をしかけるからさぁ』

淡々と述べられている言葉、数字はどこかふわふわと非現実的だった雰囲気を凍らせていく。

ジョシュアの端末から出てくるその言葉に気付かずに歩く人々のいる世界だけが現実でこれは夢なのではないか。

三人はまばたきすらも忘れていた。

 

『逃げてもいい。ま! 結果は変わらないと思うけど』

 

「……、……! 主任……あなたは一体……?」

 

『好きなように呼べよ。今まで通り、主任でもいいし……昔のように管理者と呼ぶのもいいし、伝承のように古の王と呼ぶのもいい』

 

(伝承?)

 

「本気で……、いや、あなたは何なのですか!?」

ジョシュアが引っ掛かった言葉の意味を考えているとジェラルドが声をあげた。

ジュリアスは黙ったまま状況をなんとか飲みこもうとしているが無理だろう。

 

『人は目に見えない事象が示す事を、信じるか、疑うかしかできない。自分から確かめるというのは実に難しい。でも、疑うのは疲れるんだよね。周りが信じていれば尚更、狂人扱いされるからな』

 

「……?」

 

『あったはずだ。どの文明とも類似点が見られない文字で書かれた書物。年代的にあり得ない地層から出てきてしまった機械。デフラグを逃れてしまった断片が。……俺はいつでも……どこにでもいたよ』

 

「……!」

その時ジョシュアは思いだしていた。

自分をプロトタイプネクストから引きずり出した後にアナトリアを襲撃してきたネクストを抹消するためにマグナスが起動した爆弾。

いや、あれは爆弾なのだろうか?一切の生物の存在を許さずそこにあったネクストを含むあらゆるものを砂にしたあの兵器はイェルネフェルト博士が『発掘したもの』だと言っていた。

今なおあの爆弾を超える威力の物は開発されていない、明らかなオーバーテクノロジーの産物。

学者たちが辿りついてしまった禁忌の力だとか、そういったものなのだろうと思っていた。

だが、『発掘』という言葉が正しいとするのなら。

 

「私達の歩んだ歴史は……」

 

『全ては幻想だ』

主任の答はシンプルだった。

抽象的で何にも答えていないようにも聞こえるが、恐らくは簡潔にまとめるとそうなってしまうのだろう。

 

『教え子にこんなことを言うのは心苦しいんだけどね、リンクスは一人残らず処分することが決定している。ジュリアス、ジェラルド』

 

『もちろんお前たちもだ』

 

「待て! その話が全て本当だったとしてそれを何故私達に告げた? 既に戦闘は始まっているというのに!」

そう、これではまるで準備しろと言っているかのよう。

もっと言ってしまえば遊んでいるかのようだ。

 

『一番ウザったいのは後からレジスタンスを形成されたりすることなんだよねぇ。あの時ああしていればまだ状況は、とか、突然で理解が追い付かなかったからとか、あぁ~……ウザいったらない』

 

『知るべきだ。決して覆せない力の差という物があるということを。人類最高戦力のあの彼でもそうだったように』

 

『自分達が全力で立ち向かっても敵わなかったということを覚えておいて欲しいんだよねぇ!』

 

「そうだとして無辜の民を狙う理由はなんだ!? あなたは一体なんなんだ!? 無抵抗の人々を虐殺するつもりか!? 人の心は無いのか!?」

既に一般人の死者の数は冗談じゃすまないだけ出ている。

今更良心に訴えかけるのは滑稽なことだというのは頭のどこかで気が付いていた。

 

『心……』

そう言うと主任は両の手の平を心臓があるはずの左胸へと突き刺した。

 

『そんなもの……どこにもなかった』

両手で開いた胸の中身は真っ暗な空洞だった。

三人が三人とも若い頃から知るその男が本当に人間では無かったのだという実感がそれを見てようやく湧いてくると共に背筋が凍った。

 

『かかっておいでよジョシュア。お前と……マグナス・バッティ・カーチスの二人ならあるいは、あるかもしれないだろう?』

 

「……」

逆だ。自分達が二人で戦った時のパフォーマンスは現状地球に存在するどんな戦力をも上回るはず。だからこそかつての企業はなすすべなく自分達の手で崩壊させられたのだ。

その戦力を正面から叩き潰されたとき、希望は一気に刈り取られるだろう。それこそが好都合だからこそそう言うのだろう。

 

『ま! まずが俺を見つけることだね! また会おう……会えるといいな、ジョシュア。待っているぞ』

 

 

 

 

 

残された映像の解析はすぐさま進められ、そのメッセージは現在ラインアークに所属するすべてのリンクスに速やかに伝えらた。

それから4時間後、来れるだけのリンクスが会議室に集められた。

 

「……そして、声紋も一致している」

コンピュータを操作するジョシュアが指し示すのは四つの声紋。

一つは黒いホワイトグリントの主の声、もう一つは自分の物。

一つは先ほどの主任の声、そしてもう一つはあの戦場にいたもう一つの未確認機から発せられていた声。

 

「奴らは……仮に奴らだとして、奴らは人間を電子化しコピーする技術がある。人間ではないといよりも、人間を超越した存在だったようだ」

 

「な……、じゃあどうすんだよ! バラバラにされても生きているってことだろう!?」

 

「……生きていると言っていいのかすら」

ダンがジョシュアに至極正論な言葉をぶつける。

生きているかどうかも分からない、機体を50cm刻みでバラバラにしても消滅しない相手をどう倒せと?

 

「……こいつらなんなんだよ! あんた、アスピナ出身だろ!?」

 

「こいつは」

その言葉に答えたのはその映像を何度も見たウィンだった。

 

「黒い鳥伝説に出てくる古の王、その伝承の存在そのものだ」

 

「! あんなお伽噺……」

一人の王によって全てが管理されていたというデストピアの伝説。

そこに出てきた黒い鳥が何もかもを黒く焼き尽くし、生き残ったものがまた繁栄を始めて今に至ったという誰でも知っている、誰もが信じないで笑う伝承。

そう、あくまで伝承だったはずだ。

 

「インテリオルグループはいくつかの研究で人類が過去に遥かに高度な文明を持っていた可能性を示唆する証拠を複数見つけていた。世間のパニックを避ける為に、そして確証が得られないが故に発表はされていなかったが」

ウィンは自分がリンクスになって後悔することは何度もあったがそれでも、力と権力を得てインテリオルの機密情報室に入る権利を得た時、そんな情報の数々を目にして心躍ったものだった。

幼い頃に夢見たお伽噺や伝承の真実の一端に触れたような気がして。そして今、その全てが現れた。

 

「で、でもよ」

 

「最早それが真実かそうでないかは重要では無い。大事なのは、本当にこいつらが私達の戦力をも軽く上回りかねない戦力と技術を有していると考えられることだ」

 

「目的はなんなの?」

メイの疑問もウィンの言う重要でない部分に入るのだろう。だがそれは誰もが気になることだった。

 

「恐らく、人類の殲滅では無い」

メルツェルの言葉にウィンだけが頷いた。

黒い鳥という言葉だけならば、イエス・キリストと同じくらいこの世界に生きる者にとって馴染み深い物だ。

だがその伝承を事細かに知る者は聖書の内容をすべて読んだ者と同じくらいしかいない。『しか』と言ってもそれは受け継がれてきたお伽噺の類としては圧倒的に知る者が多い部類に入るが。

 

「現在の地球上の人類が『多すぎる』と言った。そして伝承では古の王は人類を『支配』していた。隷属させていた訳では無い。国家解体戦争以降、広がり続けるコジマの汚染は止められない。あと半世紀もせずに地上を覆い尽くすだろう。新たなクレイドルの建設が追い付いたとしても、そこに誰が乗るかで争いはまた起こる。また汚染は広がる。このまま行けば……地球上の人間がどうなるかは分かりやすい。だが今ここで、少ないながらも人々を保護し、コジマ汚染が無くなるまで保護することが出来たのなら。それだけの力があるのなら……目的は『人類種の救済』だろう」

 

「俺たちリンクスの命と……何の関係もない人達の命を犠牲にしてか!」

 

「もちろん、到底認められるはずがない。だが……」

 

「どうすればいいのか分からない。その男を倒さなければならないのだとしてもどこにいるのかも分からない」

オッツダルヴァの言葉は全て正しい。目的に見当がついたところでどこにどう攻撃するのが有効なのか分からない上、敵の規模も不明。

このままでは確実に防戦一方になる。敵の本拠地があったとしてもガロアがバラバラにしたはずなのに生きて(?)いるのだ。どこから手を付けるべきなのか、煙を掴むような話だ。

 

「メルツェル、クレイドルとの連絡は?」

 

「ついていない」

 

「……そうか。王小龍に連絡を取り全てを伝えろ。少なくとも、攻撃される場所が分かっているのだから」

 

「民間人への発表は?」

 

「控えるべきだ。混乱し、逃げ惑いバラバラになってもらっては守ることすら出来ない」

マグナスの言葉にオッツダルヴァは頷きメルツェルは各コロニーの責任者及び王と連絡を取るために走った。

なんとかやることを見つけられたのは救いで、どうしていいのか分からないダンは今にも泣きそうだが同じような顔をしているメイのそばに寄り添って肩を抱いている。

 

予想が当たっているのなら全ての人間が死ぬことは無いのだろう。

だがリンクスだけはどうあっても処分されると言っていた。

最早戦場から逃げることすらままならない。

リンクスも人間だ。そんな人間が、どこに行っても逃げられず戦う事を強いられるこの現状で何を希望とすれば恐怖に押しつぶされずに最後まで戦い続けられるのだろうか。

それは誰にも分からなかった。

 

 

 

誰もが焦燥感にかられて口を回す部屋からセレンは結局一言も発さないまま抜けた。

 

『命を賭して敵を蹴散らす』

 

『お前はセレンの敵だ』

 

かつてガロアが言った言葉を思い出しながら首のジャックに触れて自分もリンクスであることを思いだす。

ガロアは正しかった。根拠を抜きにして、その恐ろしいまでに鋭い直感で自分に害なす存在を見抜き、戦っていたのだ。

誰にも言わなかったのは、恐らく誰も信じないから。それはそうだろう。今こうなってすら、誰もが半信半疑なのだから。

 

(でも、もういい。もういいんだ)

ガロアの戦いは終わった。ガロアがもうすぐ死に行くこの世界がどうなろうとどうでもいい。

自分もリンクスなのだから狙われるのだろう。理由としてはなんだろう?

脅威の排除だろうか。人類の数を減らした後の管理のことを考えて危険な戦力となりうる存在を前もって排除するということなのだろう。

つまり、ガロアはその中で最も危険な存在だったという事だ。ガロアがあの時逃げなかった理由がようやく分かった。

でも、本当にもういい。殺されるというのならばそれでも構わない。

三週間後と言っていたが、その時にはもうガロアは……。

だからどういう結末になろうと自分には関係のない話だ。

ふらふらと階段を昇ろうとして止まる。

そうだった、部屋は変えてもらったのだったと思いだし、セレンは幽霊のようにガロアの待つ部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

上下の感覚もない暗く息苦しい世界でアレフ・ゼロが語りかけてくる。

戦え、戦えと。

 

(どうして戦うの?)

 

『__』

敵はまだいる、そこら中にいると。

 

(当たり前だろ……誰かが生きれば誰かが死ぬ。誰も彼もお仲間友達ってわけじゃないんだ)

 

『___』

 

(そうだろう、もういいだろう。疲れた)

敵がいるからまだ戦えと、いつになったら終わる?

戦いの螺旋に入り口はあっても出口などない。

結局あの男、マグナスだって戦いから逃れられていない。

 

『______、___!!』

明滅する複眼が答えを語りかける。

終わりなんていらない。何故戦うのか、実に分かりやすく簡単なことだった。この世界から戦いは消えない。例えば今日、どこかの誰かが何かを愛したとして、永遠にその番犬になると誓うのならば。

 

(…………。……そうか……そうだな……)

『どうして自分の思いを汲んでくれないのか』と思っていたがそれは違ったらしい。

この機体は自分の思いを何よりも純粋に、それこそ脳みそを切り開いた奥の奥を見たかのように汲み取っていたらしい。

 

(もう一度動けたらどうするって……?)

まだ自分が生きていることを知った時に浮かんで溶けた疑問に答えという形が与えられていく。

 

『…………』

 

(セレンの為に戦う。それだけだろう。何もかもが消えてなくなるまで)

 

『____、__』

その通りだ。腕が千切れ飛ぼうが目が見えなかろうが関係ない。

脳髄があればまだ戦える。

 

「ああ……待っていろ、ゼロ」

 

「俺が、お前と一緒に行ってやる。必ず戦いに戻るから……待っていてくれ」

 

 

 

「ガロア……?」

部屋に戻ったセレンは、薄く目を開けて、ベッドに横たわりながら空中に向かって話しかけるガロアの姿を見て困惑した。

寝言にしてははっきりとし過ぎている。耳が聞こえないのにこんなにしっかりと喋れるはずがない。

 

「ゼロって……アレフ・ゼロの事か?」

ガロアが意味のある言葉を発するのを聞くのは実に久しぶりだったというのに喜びは湧いてこなかった。

夢の世界にいるときだけはいつも顔から憑き物が落ちていたというのに、再びガロアの表情に火が灯っていた。

そう、戦う男の顔になっていた。

 

戦いがまだガロアを呼びよせていることに気が付いたセレンは、久々にガロアの意識がはっきりとしたというのに喜ぶことも出来ずに顔を青ざめさせた。




例えば……アブが敵側だというのは私達の視点からは分かりますが、ラインアークに長い事協力し、ガロアに新たにネクストを与えたアブを敵側だと疑うのは実際難しいでしょう。
怪しいふるまいは多々あれど、怪しい・奇怪な行動はアブもジョニーも常の事ですから。

一番怖いのはウイルスのように目に見えないのにどこにでもいる敵だと私は思っています。

ガロアくん、相変わらず生きているだけで呼びよせるように敵が来て周りにとばっちりが飛んでいくわけですが、
そんなのマグナスも似たようなもんですからね。
いや、正直数だけで言えばマグナスの方が敵は多いか……
後に誰が言い伝えてもマグナスは『元凶』と言われるでしょうし。
理由はどうあれ、人格はどうあれ。

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