Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
白と青、そして一人ぼっちのこの世界は自分のいたあの森とどこか似ていた。
悲しみも傷も全て自分一人のもの。ガロアは水たまりの水を顔にかけて顔を伝う涙を誤魔化した。
(死ぬってそう悪いことじゃない)
どこからか響くハミングは既に何週目だろうか。同じ曲がかかっており、後三周もしたら飽きてしまうだろう。
だが長く聖なる場所で愛されている曲だけはあり、流石に心は幾らか落ち着いてきていた。
(俺がもう何をどう思おうと……あっちには伝わらないってところがな)
人は死後の世界を知らない。知らないからこそ死を恐れ、利用する。
都合のいいときに限ってあの人は天国から見てくれているだとか、あっちで笑ってくれているだとか。
だがそれでいいのだ。この世界で自分が泣こうが笑おうが、何を思おうが向こうの世界には何一つ影響を及ぼさない。
だからこそ自分は力を求めてあの場所を飛び出せた。父が見ていて、父が自分に声をかけられたならば止めていたのだろうから。
それでいいのだ。自分はセレンにこれ以上何も出来ない。だからこそ、人は失った痛みすらも薄れさせて前に進んでいくことが出来る。
もっとも、その『前』がどういったものなのかはその時は分からないが……この世界ならもう大丈夫。
「……」
「……!」
男がこちらに向かって歩いてきていた。流れてくる曲に合わせて何やら歌を口ずさんでいる。
「For the Lord God Omnipotent reigneth……ハレルヤ、と」
(そうか。そんな歌詞だったか)
男が木からもぎ取ったリンゴの一つをこちらに投げてくるのを受けとるとニッと笑った。
「いやぁ……飛びかかってくるかと思ったんだが」
「俺はお前を確実に殺した。だろう?…………お前はあの時の医者」
向かってくる男はあの日自分に声を与えた医者だった。
そう、こうなってからよく考えてみればいくらAMS適性があったところで脳にまで障害があるのを今の技術でどうにか出来るはずがない。
恐らくは、自分達が持っていない類の技術を使ったのだろう。理由は分からないが。
「……うーん。こんな空高くに生るリンゴの癖に美味い。そう思わないか」
そういう男は所々が向こう側が透けるように見える。もう消滅が近いのだろう。
それと同時に自分はまだ死んでいない……いや、へばりついていることを知った。いつもそうだ。自分だけは生き残る。こんなときまで。
「……。だな」
奇妙なことに、この高度なら圧力がかからずに中身がすかすかの薄味になるはずなのに齧ったリンゴは蜜がたっぷり詰まってとても甘かった。
「ちょっと蜜が溢れるのがいただけないがご愛敬だな」
「……なんで俺はあの時お前に会えた? この手で……握手までした」
確かにちょっと冷たかったような気もするが、死体や機械という程冷たくはなく、表情も非常に豊かだった。
「三次元音響浮揚の技術は君たちは持っていなかったか」
「……?」
「しかし、やってくれたよ。ほんのちょこっとのバグ……取るに足らない木っ端の癖に」
吐き捨てるように言うべき台詞だというのに、言葉とは裏腹にその表情は少しだけ嬉しそうに見えた。
今もそうだが、さっきもそうだった。もう自分に対して敵対心を感じられない。それもあり飛びかかろうという気になれなかった。
「……退屈だろう。死路への旅立ちまで……付き合ってやる」
「そうかい。じゃあ、聞けよ。色々とさぁ」
「お前は何なんだ?」
「俺は人類の最後のストッパーだ」
「この場所も……」
大理石の手すりも、齧ったリンゴもまるで現実としか思えないが。
記憶か、あるいは記録から作り出された物なのだろう。
「そう、過去の場所だ。綺麗だろう? 俺はここが特に気に入ってる。天国に行けないなら作ってしまえばいいとは恐れ入ったね」
「でも……そこも滅びた。そうだろう」
男がうなずくと同時に雲の向こうに見えていた巨大な天使の像が音を立てて崩れ落ち、他にもいくつか浮かんでいる空中庭園に火が付きはじめた。
「偽りのアルカディアを作ろうとしては落ちて、それでも人はまだ上を目指し続ける。終わりの無い進化こそが人の業か? 自滅こそが辿るべき運命か?」
「……」
個の力の頂点とも言える兵器を作りあげ、地球を汚染し人類はゆりかごに乗って空へと旅立った。
この男の言う通り、何も変わってはいない。
「ある賢者は言った。民衆全てがもう少し賢ければ自分の状況こそが自分のいるべき場所だと甘んじることが出来るのにと。ある賢者は言った。民衆全てがもう少し愚かならば自分の置かれた状況を疑うことも無く日々を安寧に過ごせるのだろうと」
「……獣になっちまえばいい。本能だけに。この胸を空っぽに……未来も過去も覗けるような穴を空けてな……そうすれば苦しみは無い」
そして、人間でも無い。人間が人間であり続けるのは、
人間が人間を人間にしてくれるからだ。人は一人では存在できない。
「俺がこの姿になったのはずっと前のことだ。気が遠くなる程な」
「元々は人間だったのか。何故人間をやめた?」
「人類を守るためだ」
「その為に俺を殺そうとしたって?」
「その通りだ」
「……。ふん」
冗談では無い。だがこの男ほどの力と武力があれば世界の為に誰かを有無を言わさず抹殺することすらも正しいことにできてしまうのだろう。
その時ガロアはこの男が自分がかつて目指した物の果てだということに気が付いた。
「初めてのケースだった」
「?」
「何度も滅びようとしては俺が保護して……結局失敗した。全てを忘れさせる前に人間の中から邪魔者が現れた」
(黒い鳥……)
「俺の手を振り払って、まだ浄化の済んでいない地上に出て、結局争って、滅びかけて。何度も繰り返した」
男の言っている言葉は納得できる部分と納得できない部分が混在している。
この男の存在自体がそれの証明だとして、今までの人類の歴史と全く噛みあっていない。
「おい……人類の歴史は? キリストの生誕やWW2、あっただろう」
「初めてのケースだと言っただろう? 君たちは全てを……前の人類が滅びかけた技術も歴史も忘れた後に地上に出された人類の子孫だ。どれが本当にあったかを確かめる術はない」
「アフリカのイブは?」
「おいおい、君は遺伝子学者か? 違うだろ? 自分で調べたわけじゃなくて本や人から得た知識だろ? 炭素の半減期も自分で調べたわけじゃない。何かを発掘するにしても自分で地面を掘って自分で調べるわけじゃない。手分けをするだろう? それぞれの専門家が。1000年前の記録は本当の事だとどうやって信じる? 教えられたことを、専門家が言っているから正しいんだと思うのか?」
(……いつから? でも、WW2なら写真が)
そこまで考えて無駄だと悟る。それすらも作られた物なのかどうかを確かめる術は自分にはない。
実体験した者の本?それを書いた者は実在したのか?
自分の目で見た物以外は全てが誰かに作られた幻想の可能性がある。
(自分の目で見て調べた物なんか一個もねえのか)
ウォーキートーキーに教育を受けて、家にあった本を読んで歴史を、科学を知った。
この手で事実から積み上げた物などなかった。教えられたものを信じただけだ。
(俺が見た物は……あの雪山のAC……、……!)
あれすらも、人に聞いて調べてもらおうとしていた。
(手を加える隙はいくらでもあったという事か)
何か今の世界の歴史を丸ごとひっくり返すような発見をしてしまってもその全てを調べるのはその人だけではない。
もし仮にそうだとしても、発表するまでにいくらでも情報を改ざんできる。そうやって闇に葬ってきた真実が幾つもあるのだろう。
そうやって人類を監視してきた目がいくつもあったのだろう。アブ・マーシュやウォーキートーキーのように。
それでようやく分かった。あの日、山から持ち帰った写真や書類はウォーキートーキーにいつの間にかすり取られていたのだ。
もしかしたら今頃あの山ごと消し飛んでいるかもしれない。いや、笑えないが。
「ま、でもいたよ。DNAの塩基配列は嘘をつかない。その後の歴史をちゃんと知らないだけだ」
「全てを忘れるにしても、自分達を管理していた物の存在や自分達がいた場所の記憶くらいはある筈だ。それを伝えようとする奴もいただろ」
「簡単だ。第一世代の者達には脳にマイクロチップが埋まっていた。全員地下で生まれ地下から出た者だからな。何か余計なことを喋ろうとすれば……ボン!だ」
「……でも、完璧じゃなかった。伝承として残ってしまった」
その管理体制ならば3世代も時間を超えれば全てを忘れるはずだ。だが世界各地に黒い鳥や古き王は伝承として残っている。
これほどの力があるというのに杜撰さが目立つ様な気がする。
「まぁな。案外……君たちは二、三百年前に地上に出てきた全てを忘れた人類の子孫……なんてこともあるかもしれないぜ」
冗談じゃない、そう言いたいが人類を地下に閉じ込めている間に地上の設備を整えて、地上に出した第一世代の者達に子孫に何も伝えないように制限を設け、この男の手の者達が嘘の歴史を教え続ければ……100年もすれば残った人類は教えられた歴史以外は知らなくなる。
過去のことを確かめる術は残った伝承や遺跡などから調べるしかないのだから。
ところが伝承も歴史も作られてしまっているし、もし本当の歴史を示す物が出ても大抵はこの男の目に入り握り潰せてしまう。
「……俺の眼をなぜ奪った?」
まだ納得できないところはある。
今なら『声を与える』というのは手術をするための口実だというのは分かるが、どうしてあの眼が奪われたのか分からない。
「……何度も……何度も繰り返し味合わされてきた。『君たち』に……」
「なにを言っている?」
「ただ素養の持ち主を殺すだけではダメなんだ。次も、その次もあるのならば知らなければならない。何が『イレギュラー』へとつながるのか。君の場合は特異な眼だと、そう判断した」
「どうやら見誤っていたようだ。君の強さはそこでは無かった。……結局、失敗したのさ」
(何を笑っている……?)
そうだ。間違いなく討ち倒され、失敗しただのと言っているくせに何故かこの男は笑っている。
何がそんなにおかしいのか。
「……。『君たち』はどうしても生まれる。何故だ?」
「?」
「支配する俺を破壊する者。まるで何かに導かれるように。どれだけ完璧に近い予測をしても、それを上回る『イレギュラー』。いや……それこそ神の御業か」
「神を恐れているのか、お前でも」
「俺は、君が恐ろしいよ」
男の言葉と共にまた一つ滅びの記憶が再生されていく。
幾つもの空中庭園には火が付き青い空が赤く染まる程になっていく。
天国はあっという間に地獄になった。人の手で。
「……何故俺たちはダメだった?」
「ふーむ。実を言うと今から20年以上前……国家解体戦争なんてものが実行されてから既に処分は決まっていた」
(……処分)
いくら元が人間だろうが人類の為だろうが、人を殺すことを処分の一言で済ませるこの男はもう怪物なのだろう。
「さっさとやればいいものを。何を20年以上もダラダラしてやがった」
「数が多いとそれだけ長引く。長引くと意志は強固に残ってしまう。人類が一定の数まで減ってから実行する予定だった」
「クレイドルは?」
そう聞きながらもあんな不安定な飛行機がいつまでも残るはずがないとは思っていた。
クレイドル同士で戦争が始まれば、沈むのはあっという間だ。
「宇宙空間にあんな物で出た時点で全員死ぬ確率の方が高いだろ。そして……何故ダラダラしていたか? だったか」
「君が引き金になるはずだったんだよ」
(……やっぱりな)
この男を屠る前、あの女と戦った時に死にかけながら見た幻影は全くの嘘では無いのだろう。
「企業に付けば全てのリンクスが死ぬ。ORCAに付けば地球全体を巻き込む争いが起きて大勢が死ぬ。……もしくは君自身が大量の人間を死に追い込む。ほうっておけば俺が楽になるようになっていた」
「だが……」
「こうなったのは完全に想定外だ。あるいは……俺がその原因の一端を担ったか。余計なことをしなければよかったのかもしれん」
また笑った、と思った。
確かに不思議なことだろう。力の一つを奪ったはずがこうなるなんてのは。
自分は……なんだろうか。矛盾しているとは思うが、獣だった頃よりも弱くなったのに強くなった。
守る物が何もないというのは強い。だが絶対に守りたい物があるというのも同様に凄まじく強い。
自分の守りたかったもの、それを今一度思いだす。
「いや……。そうじゃない。俺は……分かる。そうなっていただろう未来が想像できる。俺にはその力もあった。この世界を……自分の思い通りに粘土みたいに変える力が。だが、そうじゃない」
「何が聞きたいんだ?」
「あの人に出会っていなかったら俺はどうなっていた?」
運命の分岐点なんていうのはその時には分からない。後になって振り返ってみて分かるものなのだろう。
あの時、あの場所で出会ったことから自分の運命は変わった。それは間違いない。自分は獣だった。
「んー、まぁ大別して二通りだな」
「……」
「養成所で同期を殺してしまいそのまま少年院へ。それかインテリオルで薬物に縛られて傀儡となるも薬物が切れて発狂した君は企業を叩き潰して終わり」
「今が一番マシな未来だと?」
「君らから見たらそうなんじゃないか。どこにどう転んでも君は戦いの中心だった。その才能も思想も、戦禍を望む世界が放っておくはずがないからな」
(一番マシな未来が……俺が死ぬことだとは……笑える)
平和な世界など自分が生きる世界では無く、世界は争いを続けていたから自分は生き残っていた。
生まれたその日から自分だけは争い合う世界の中で生き残っていた。
だとしたら本当に自分はどんな幸せを受ける為に生まれたのだろう?
手に入れたと思えばすり抜けていく。求めることすらも許されなかった。
「俺はもうすぐ消える」
「そうか。消えちまえ」
リンゴの最後の一口はほとんど透明になってしまった男の身体に吸い込まれて行く。
それと同時に自分達のいる空中庭園にまで火が回り始めた。いつの間にかアカペラの代わりに銃声と悲鳴が響くようになっていた。
自分の行く場所はいつもこうなる。もうそれでいい。
「ジジッ……ここまで、ガガガッ、何故君が入ってきたのか? この際それはどうでもいい。ジジッ……ピー……俺になれ、ガロア・A・ヴェデット」
声にノイズが混じりはじめ急に男の目が非常事態を示すランプのように赤くなった。
どうやら本題に入ったようだ。
「……」
何故接触してきたのだろう、とは思っていた。
この世界で一人きりでこの男が気の遠くなる様な時間を生きてきたのはやはり使命があるからに違いない。
そしてこの男は自分と似ている。だからこそ、その使命を受け継ぐ物を滅びる前に欲するはずだ。そしてそれは自分と同じ存在へと行くのだろう。
「小さな独裁国家の支配者が血迷って言うものとは違う。限りなく神に近い存在になれる。ま、修復に数百年かかるけどね。絶対の正義となり人類を守れ。後は何をしてもいい」
「いらねえ」
やはりそう来た。一昔前の自分ならその座に二つ返事で就いていたのだろう。そうなりたかった。
「……。この世界には全てがある。美味い食べ物も、過去に存在した絶世の美女も、美しい景色も。全てがある。直すのに時間はかかるがな」
男が手を振るだけでさっきもぎ取ったはずのリンゴがまた生った。
ここと現実にさして違いはないだろう。この座にいる者ならば現実も自分の思い通りに変えられるはずだ。
真の恐怖は目に見えない所にあり、それが意思をもって王となったとき、人はそれに太刀打ちする術を持たない。
革命を起こすにも姿も肉体も無い王をどうやって討つ?今回こうなったのも全ては幸運に幸運が次いだからだ。自分の生まれついてしまった戦いと勝利を望む星の凶悪性のおかげだろう。
(……!)
そうしてようやく気が付いた。どこか隙だらけなのだ。残ってしまった伝承も、弱点丸出しだった最後の戦いも。
この男は王だ。そしてそれは誰にも理解されない永遠の孤独と共にある。むしろ王と言う名と使命に縛られた奴隷だ。
この男のいる場所は天国などでは無い。むしろその逆、地獄だ。
「霞スミカか? データはあるから優先して復元したらいい。文字通り、永遠に一緒にいられる」
「違う。霞スミカじゃなくてセレン・ヘイズだ」
確かに、彼女が一緒ならばそこが地獄でもこの世の果てでも自分は進んでいける。
でも、この世界にはいない。
「DNAは同じだぞ」
「いいや。例えば俺が、本当の両親と一緒に普通の生活を送っていたら……DNAが同じでも」
「ないな。生まれてきたことでさえバグみたいな確率なのに。君の両親が普通の生活をしていたら出会わなかったし結ばれなかったからな。君の両親は『君の親になったから死んだ』んだよ」
知っていた。この世界がもっとマシで平和だったら自分の本当の両親は出会うことすら無かっただろう。
リンクスなんてものもなかった世界で、父は、アジェイは自分を拾う事も無かった。
この世界が腐っていたから自分は生まれた。環境が生んだ化け物が自分だ。どうして自分がそうだったんだろう。
「なら……もし仮にあったとしたらそれはもう俺じゃねえんだ。セレン・ヘイズも霞スミカではない」
「そうだとしても。彼女の育った環境を再現すればいい。DNAが同じなら君の知るその「セレン・ヘイズ」になるんだろ。時間はかかるけどな」
「……いらねぇ」
それも無理だ。あの時、獣と人間のぎりぎりの境界線にいた自分と出会ったことで、まともな人生を送っていなかったセレンも鏡を見て自分の姿を直していくように普通の感性を手に入れられるようになったのだ。再現不可能だ。
「確かに俺は君に負けた。だが本当にいらないのかい。勝者が全てを得る権利を持つのは当然の事だ」
「最強の力で目の前に立つすべてを叩き潰し……統治し、君臨する……絶対的正義。お前はかつての俺が目指していたものそのものだ。そしてその姿も知る者がいなくなれば本当に無敵なのだろう」
戦いの果ての絶対者になるか、負けて死ぬか。
それが自分の歩むと決めた道だった。目の前の全てを倒した者は何よりも強く、この世で一番強い奴が、全てを決める。正義も、悪も。全てを超越したただ一つの頂点ならば。
間違っていなかったはずだ。今その答が目の前にある。
「……」
「さぁ。お前との……話も飽いた。そろそろ消滅の頃合いだろう? やれ」
権限は移譲されていないならばこの世界にある物を削除する権利もこの男にまだあるはずだ。
「本気かい。長い間この世界にへばりついてきた俺ならばまだしも……君は18年しか生きていないだろ。見ろ。あっちの世界の君はもう死んでいる。……本当にいらないのか」
男が指し示した空間に穴が空き、自分の身体が映る。
手足は一本ずつ消えており、右目もはじけ飛んでいる。血の流れが止まっているのは既に心臓が止まっているからだろう。
見慣れたアレフ・ゼロのコアの中にも火が付いており、自分の身体が炎に巻かれて行く。業火が顔を舐めぐずぐずに焼け焦がしていっても悲鳴の一つもあげない。
死人は何も語らない。
「うっ……」
18年間付き合ってきた自分の身体が炎に飲まれて行くのを見て何も思わない訳がない。
もうこれで、本当に終わりだ。セレンを抱きしめることもあの声を聞くことも出来ない。
「俺は……消滅する定めだ……。もう、終わりなんだろ。さぁ、消せ。やれ!!!」
俺は誰かを幸せにすることなど出来ない。頭に声が響く。その通りだ。自分がこの世界の主になってもいずれ全てを消し去るだろう。
根本のところで自分は獣なのだから。昔から、感情を上手く操作することの出来ない人間だった。
「何故そこまで死を受け入れる?」
「この世界が、人間が……もし……これから進む先が滅びでないとするなら……そうでなければならないなら」
セレンの顔と腕に抱いたアナトリアの傭兵の子の重さが思い浮かぶ。
どんな人間にもそんな人がいたはずだ。自分が何も考えずに殺してきた人間にも。
自分の選択した未来の果て、その答はもう目の前にある。そして自分は負けて死ぬことを選ぶ。何故?
「悪は裁かれ……罪には罰が必ず下る世界にならなくてはならない!」
そういう世界であってほしい。あの子とセレンが生きる世界はそうなってほしい。
「……正義も悪も見方で変わるだけだ」
その言葉はかつての父の言葉と重なった。
自分もそう思っていた。正義も悪も見方によって変わり、だからこそ誰にも手が届かない最強の存在こそが絶対の正義になれるのだと。
「いいや違う!! 正義はない!! だが悪はある!! 自分の為だけに人の命を踏みにじる者はどうしたって悪だ!! 何人殺したと思っている……俺は俺の為だけに何人も殺した!!」
例えこうなったとしても罪が消えたわけじゃない。アナトリアの傭兵がそうしたように、自分も自分を恨む者を何人も作った。
そしてそうやって誰かを不幸にした分誰かを幸せにしたか?していない。出来なかった。
「俺が何をしたとしても……死んだ生き物が二度と帰らないってことは、人を殺したという罪だけはどうしても贖えない」
誰かを幸せに出来ないのならば、セレンの為に。自分に出来ることは消滅だけだ。
そして、何よりも自分は、セレンが自分のいない世界で自分の事を静かに忘れながら他の男と幸せになっていくのを見るなんて耐えられない。例え絶対者になれたとしても。
何よりもセレンの幸せを願っているのに、自分勝手だから。本当は一緒に幸せになりたかった。彼女と出会う前から、自分はただ幸せになりたかっただけなのにそれが許されなかった。
せめてもう一度だけ会いたい。だが、そうすればもう自分は死にたくなくなってしまうだろう。
「だから、世界が正しい方向に進まなければ滅ぶというのなら!!…………、……!…………手を汚さずとも生きていける世界になれるなら……」
この年で死ぬにはあらん限りの勇気を奮わなければならない。自分はどんな幸せを手にしてきたのだろう。
もうそれは分からない。だが誇るんだ。自分は愛した女を守って死ねたのだと。
「お前がいなくなる今、必ずそんな世界にならなくてはならない。今の俺には平和な世界が必要なんだ! もし、そうなら……」
「後悔はある!! 未練もある!! だが俺はここで罰せられるべきだ!! 消滅するべきなんだ!! さぁやれ!! もたくさしてんじゃねえッッ!!」
周りの世界は全て崩れ落ち、とうとう自分と男が立っている場所以外何も無くなった。壊れゆく世界で消えかけの男はただこちらを見ている。
「罰がお望みかい」
(……!)
手と顔しかまともに見えなくなった男の手に何かが渦巻いていく。
男の目から血のように赤い光は消えていた。
「ならば生き延びるがいい。君にはその権利と義務がある。罰という物。責任という物。弱者の生きる道。それを知るがいい」
(なんだと)
「何故……ジジッ、ガガッ……この世界に、ギギギ……一人で……ピッ、ずっとこんなことを……なんでかわかるかい」
男の表情は見えなくなった。だがその声は明るくなど無い。
やはり地獄だったのだろう。全てが幻想のこの世界で一人、もう自分はいない『現実』の為に生きていくことは。
男の手で渦巻いていた何かは光の玉になった。ここが地獄なら、これは『希望』だとか呼ばれるべきものなんだろうとガロアは静かに思った。
「愛しているんだ。君たちを」
(!)
何もかもがあっと言うまで頭がついて行かなかった。男が投げてきたそれを受け取るとそれは綺麗な花束になった。
コジマに汚染された地球からこれから消えて行く物だろう。だとすればこれはやはり希望だった。
そして受け取ると同時に地面が崩れ落ちガロアは落ちていった。このままどこまで落ちていくのかと考える間も無く空の彼方に黒い巨人が見える。
天使にも悪魔にも見えるその機体はガロアのもう一つの身体だと信じ切っていた物だった。
「行くがいい。そして君が成したことが何を生むのか、それを見届けるがいい」
その言葉を最後に男は完全に消滅した。壊れゆく世界でどこまでも落ちていくガロアをアレフ・ゼロが優しく受け止めた。
「ゼロ……嘘だろ……お前」
一緒に死ぬってのは嘘だったんだな、と。
アレフ・ゼロの紅い眼光の向こうを見てガロアは一筋涙を零した。
焼けて骨になろうとするガロアの身体に、ジャックを通して強烈な電撃が流れた。
心臓を直撃したその電流は強制的にガロアの心臓を再び動かし始める。
最下層から順に水で溢れていくと考えればまだ時間はある筈だ。
ジョシュアと言葉を交わしながらホワイトグリントの中でジャックにコードを挿そうとしたマグナスは信じられない物を見た。
「!?」
「ベイルアウト!? ネクストにそんな機能は無いはずだ!!」
光の柱の中へと消えていったアレフ・ゼロの背からその中身が吐きだされていた。
パラシュートもクッションも無く、運が悪ければそれだけで頭から着地し、死んでしまいそうなところを吐きだされた人間は、運よく浸水していた海水の上に着水してぷかりと浮かぶ。
「マギー! どこに行く!!」
「……」
素早く地面に降りて首まで浸かる水たまりとなった海水へと入っていく。
(!……酷い怪我だ。何故動けたんだ……)
あちこちに大火傷を負い、特に顔の怪我は酷い。髪は全て抜け落ち、顔の右半分が焼かれているがそれ以前にかなりの傷を負っていたように見える。
耐G性能のあるスーツを着ていないどころか防御性能なんか期待できそうもない病衣にはあちこちに血が滲んでおり全身がぐしゃぐしゃであることが伺える。
だが、焼かれたおかげで出血は抑えられており、吹き飛んでいる左脚も火傷は酷いが血は止まっていた。
ほとんど動きは見られなかった。だが僅かに呼吸をしているように見えたような気がしたマグナスはその胸に耳を当てると力強い鼓動が聞こえた。
「生きている……信じられん……この大怪我で……」
信じられないと驚く時間も惜しく、急いで肩にガロアを担いで水から上がった時、何かを呟く声が聞こえた。
「ぜ……ろ……」
「壁を突き抜けたか……! 絶対に死なせやしないぞ」
死んでいてもおかしくないどころか、死んでいなければおかしい傷でここまで戦った。間違いなく英雄だ。
ガロアの声に光の柱を振り返るともう電流も走っておらず、あるのは燃える二機の巨人だけだった。
ただの殺人兵器のはずなのに、あのネクストが最後にしたあり得ないはずのベイルアウトはまるでこの少年を死なせないようにしたかのようにも見えた。
「はな……せ…………くそやろう……」
相変わらず口が悪いが、これだけ意識がはっきりしているなら大丈夫だ、と足を進めた時、アレフ・ゼロに向かって伸ばしたガロアの手から何かが落ちた。
(……?)
それはどこにでもあるようなリムーバルメディアだった。何故こんなものが?
「生きているのか!? どっちでもいいから早くしろ!!」
色々と考える前にジョシュアに急かされたマグナスは、とりあえずそれを握ってホワイトグリントへと向かった。
この日の人類の勝利は本当に人類の為になる物なのか。
それはまだ誰にも分からない。
実は最初の構想の時点でガロア君にはここで死んでもらうつもりだったんですけどね。
目ん玉弾け飛んだり、手足ぶっ飛んだり、髪の毛消滅したりと取り返しのつかない怪我を負っているのはその名残です。
虐殺ルートを投稿し終えてから、それだとあんまりにもセレンが報われないかな……と思いまして。
英雄になったからなんだって感じでしょうし。
この主任はダクソで言えばさながら薪の王グウィンですかね。
一人で何千年も人類の為に。
次の話なのですが、ストーリーを投稿するのではなく、設定集(のようなもの)を投稿します。
結局敵の正体がよくわからなかったな、という方は見て、どうぞ。
でもネタバレ満載なので、最終話まで見なくていいやという方はそっちの方がいいと思います。