Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

111 / 112
右手が妨げとなるなら
切り取り
捨ててしまえ

五体の一部を失ったとしても
全身が地獄に落ちない方が益なのだから


マタイによる福音書 5章27~30節


本当の願い

すれ違う人は皆怪訝な顔をしてこっちを見てくる。

戦争は終わったものの人類の被害はやはり大きかった。

リンクスの死者は奇跡的に出ていないが民間人、兵士の死者はあの一日だけで70万人に上り、負傷者はその倍に達する。

自分もその中の一人であり、この病院では珍しくもない部類の怪我人のはずだ。

だがそれでも目立つのは分かる。右腕は肩から消えてなくなり、左脚も膝から下が無くなってしまった。

服の下にも火傷はあるし、首からも見えているが中でも酷いのは顔だった。

抉れた部分が更に焼かれたせいでとてもではないが直視できない程グロテスクになっている。

横に裂けた唇も、抜糸はしてあるが縫った跡が痛々しい。

焼けたのはおおよそ顔の右半分側だけだがまともな左側が残っている分、元の顔が想像できてしまい益々悲惨だった。

短く生えてきた髪の下の頭皮も焼け爛れてガサガサしている。

なんで生き残ったのか今でも分からない。あのまま何もかも燃え尽きてしまえばよかったのに。なんでまだ苦しませるんだ、と思ったら右目の眼帯の下で涙が滲んだ。

右目の眼球が丸々はじけ飛んでしまった後遺症でこれから暫くは何もしなくても涙が溢れてしまうのだという。

 

「世話になった。ドクター・アウリエル」

セレンの押す車いすに乗って外に出たガロアは見送りに来た医師のミドに挨拶をした。

 

「いいえ。気を付けてください」

 

「ガロアの為にわざわざ……礼を言う」

 

「ここには私の助けを必要としている人がたくさんいますから」

ガロアの治療の為にここに来たミドがガロアの身体や顔に残った傷痕に整形を施さなかったのには二つ理由があった。

一つは他にも治療や手術を必要としている人が大勢いるから。ガロアの顔に多数残った傷を元に戻す為に時間を使うのならばその間に他に切羽詰まった者を治療した方がいい。

それは今、全世界どこでも同じ状況だったしミドは優秀で金では動かない医師だった。実際戻ってきたガロアに何よりも必要なのは折れた骨や火傷の治療、そしてリハビリであり、見た目は二の次だった。

 

「待ってくれ。ドクター」

それじゃ、と言って病院に戻ろうとしたミドをガロアは引き止める。

まだ目は上手くなじんでいない。遠ざかる背中もぼやけていた。

この世のどんな物でも見通せるほど優れていた目は今や老人のようにぼやけている。

この世界から見たくもない残酷な物が消えてからこうなるとはつくづく皮肉だ。

 

「ここでやることが落ち着いたらあなたはどうするんだ」

ミドは元リンクスだと、リハビリに付き添っていたセレンが言っていた。だから絶望的だった自分を治療出来たのだと

そんな元リンクスがこれからの世界でどうしていくのかが気になった。

 

「また、旅に出ます。今でも、その時も、どこかで私の治療を必要としている人がいるから」

 

「素晴らしいことだ」

ああ、実に素晴らしいことだ。戦争屋をして人を殺して金を受け取るより遥かに高潔だしこれからの世の中でも必要とされることだろう。

狡兎死して走狗烹らる。もうこの世界には鴉も山猫も必要無い。

 

「……、ありがとう。その言葉が欲しくて、ずっと世界を旅しているんです」

 

「……」

ガロアは今のミドの一瞬の間の微妙な表情と、これまでの病院でのセレンの態度、そして自分の持つ鋭い直感から自分の身にこれから何が起きるかを察していた。

自分がもう見た目を直す理由も、義足をつけて歩く訓練をする必要もない理由も。歩こうと思えば、四点杖を左手に持てば一本足歩行でゆっくりとだが動ける。

だから一人で用も足せるし、部屋の中を歩き回るぐらいなら問題ない。

それでも普通に歩くよりははるかに遅いから車椅子に頼らざるを得ないが、片腕なので普通の車いすを使うとなれば押す人が必要になってしまう。

 

「今、何月なんだろ」

病院に戻ってしまったミドから目を逸らしセレンに目を向ける。

片方しか目が無いから遠近感がおかしい。何よりこの顔がちゃんと見えないのが辛い。

 

「12月の終わりくらいだ。なんで?」

 

「そっか。なんでもない」

確か自分が一度動けなくなったのが10月だったからもう二か月以上経っているわけだ。

障碍者となってしまった自分に対して文句の一つも言わずにこの人は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。

また涙が滲んだがそれが感情から出たものなのか、後遺症なのかは分からなかった。

 

 

バスに乗って部屋まで戻る道程でもすれ違う人間は自分の事を見てきた。

そうだろうな。分かっているよ。もう終わった戦争の生々しさを直視するのは嫌だろう?

勇敢な戦士たちが戦って世界を守ってくれた尊い戦争って言って美化したいよな。いずれ教科書に綺麗に書きたいよな。

こんな凄惨な物は見たくないよな。心配しなくても大丈夫だ。人類の歴史が示してきたように、汚いものは闇の中で消えていくから。

 

「おい……ウォーキートーキー」

部屋の中は綺麗だった。セレンが整理整頓しているからというよりは、ほとんどずっと病室にいたからだろう。

そんな部屋の中で全く動かなくなっていた機械を見て、思わず杖を使って立ち上がる。

 

「…………、すまない。言おうとは思っていたんだが」

セレンの声は遠い。まだ聴覚も上手く馴染んでいない。

アレフ・ゼロもウォーキートーキーも、自分のそばにある物は壊れていく。

どうしてみんな自分から離れていく?

 

「ずっと……気が付かなかった。ごめんな」

街に出て人と触れ合い、改めてこの機械と触れ合ってようやく分かった。この機械には感情があった。

だというのにこの結末はあんまりじゃないか。遅すぎたのか?やはり自分が悪いのか?

ウォーキートーキー、ウォーキートーキー、と何度か声をかけても何の反応も返ってこない。赤いランプが光るはずのアイは仄暗い灰色に染まっている。

あんなにうるさかったのに。一度くらい言えばよかった。お母さんって。感情があるというのなら、そうしたら喜んだだろうに。

 

「ガロア……」

 

「いや……いいんだ。機械は……壊れる」

ここで感情に溺れればセレンまで悲しみに引き込んでしまう。

流れる水滴を暑いから汗をかいたのだという事にして冷蔵庫に向かう。

 

「水か? 待っていろ」

 

「!……」

あっという間に追い付かれ有無を言わさずにベッドに座らされてしまった。勢いでサンダルが脱げてしまう。

カーテンと窓を開いて冷蔵庫に早足で向かうセレンの速度に自分はもう二度とついていけない。

そしてこの身体じゃどこかに行くのも難しい。行けたとしても追い付かれる。

 

「……水切らしていたから買ってくる。すぐ戻るから絶対にそこで待っていろ」

 

「あっ」

という間に外に行ってしまった。自分はもうセレンと一緒に歩けない。

ふわりと窓から入ってきた風に短い髪が揺られる。窓のそばには瑞々しく咲いたアルメリアがある。開花時期が違うのに咲いているのは気候のせいだろうか。

きっとどんなに忙しくても毎日水をあげていてくれたのだろう。

 

(ああ、きれい)

よくは見えないが窓辺の花も、窓の向こうの空も海もどこまでも綺麗なんだろう。

この世界ならもう、セレンはきっとうまく生きていける。

 

 

 

水のペットボトルを買って急いで戻ってきたセレンは思わずその光景に見惚れてしまった。

窓の外を静かにほほ笑みながら眺めているガロアの命は静かに光る湖畔のよう。

こんなに傷だらけなのに、こんなにボロボロなのに笑っている。どうしてなんだろう。

ガロアが全てを投げだして敵を討ったお陰であの時リンクスは全員生き残った。

ガロアだけが割を食った。なのにどうして笑えるんだろう。

 

「水……買ってきたぞ」

 

「………。……あ、……ありがとう」

 

(まだ……うまく聞こえないんだ)

うるさく入ったつもりはないが静かに入ろうと意識したつもりもない。

なのにここに来るまで自分に気が付かなかった。獣のようなアンテナを持っていたガロアが。

今のガロアはペーパーナイフを持った子供ですら殺せてしまう。自分が守らなければもうガロアはどうしようもない。

そう思いながらも感情はなんとか顔に出さないようにして蓋を開けたペットボトルを渡した。

 

 

 

 

当たり前のようにペットボトルの蓋を開けて渡してきたセレンを見てガロアは静かに静かに決心をした。

病院でもそうだった。歯磨き粉を付けるところから食事まで世話になりっぱなしだ。

 

(……もう……俺は……)

そう、もう自分一人ではペットボトルの蓋を開けることすら難しいのだ。

そんな誰でもできるようなことですら。自分にはセレンが必要だ。だがセレンが自分を必要とする理由がない。

感情で理論を壊すのはもうやめよう。

 

「ガロア……?」

 

「もう、別れの時間だ」

これ以上重荷になりたくない。これ以上苦労をかけられない。

そばで沈黙するウォーキートーキーを見て、光の中に消えたアレフ・ゼロを思いだす。

気のせいと言いきるには重なり過ぎた。

 

「え?」

 

「セレン、もう君は君の幸せを探しに行ける。料理も洗濯も洗い物もしっかりやってくれた。それに……普通に人と接せる様になったじゃないか……。君はもう、セレン・ヘイズだ」

 

「何を……何を言っているんだ?」

言葉でそう言いながらも、もうセレンはガロアが何を言おうとしているのかを分かってしまった。

 

分かりたくないだけだった。

 

「もう……この世界は……君を否定しない。君なら幸せになれる。美人だし……本当は優しくて健気なのを知っている。ずっと尽くしてくれた」

 

「なんで」

 

「クソッたれの企業も……神様気取りのイカれた機械ももういねぇ。この世の何も君を否定しない。君は君で存在理由を見つけられる。……いや、見つけられただろ。これからも……そうなるよ。ずっとそうなる」

 

「……一人になりたいのか? しばらくどこかに行っていようか?」

 

「そのまま、もう戻ってくるな。二度と」

 

「……!」

あえて酷い言葉で突き離そうとしている。これをセレンは知っていた。

こういうのもまた愛と言えるのが分かったから。

 

「金……金を……俺が稼いだやつ、全部やるから。好きなところに行って好きなことやれ」

そう言って金がたんまり入っているはずのカードをガロアはセレンに投げる。

 

「お、お前、本当に私が……それで喜ぶと思うのか」

確かに金はある。企業がいなくなっても通貨の価値は変わっていないし、小さな村なら土地ごと買えてしまうくらいには億万長者だ。

ガロアがリンクスとなり文字通り命も身体も削って稼いだ金だ。少なくとも五、六回は死にかけて身体のいろんな部位を欠損しているのだから、人生を五、六回買えるだけの金があることはむしろ当然だ。

四年間の対価にそれだけの金を受け取ることは、それだけで見れば破格の報酬だと言える。だがセレンにとっては違う。

 

「行け」

そう言ってガロアは無表情になって俯いてしまった。このまま本当にいなくなればガロアは涙で溺れ死ぬほど泣くだろう。

セレンもそうだから分かるのだ。だがその未来を回避するには壁が大きすぎる。ガロアがそれでいいと思ってしまっているのだ。セレンの知る誰よりも頑固なガロアの心を変える方法をセレンは未だに知らない。

 

「金の為に一緒にいたんじゃない」

これではダメだと。言った後にセレンは思った。

そんなことは二人とも分かっているはずだ。

 

「……」

黙ったまま表情を変えずに俯いているガロアを見て冷や汗がだくだくと流れていく。

どこから見ても怪我を負っている場所が目に入るというのに、こんな状態になっても弱音を吐いてくれない。

 

「お前が好きだって言ってくれたから。嬉しかった。私もお前が好きだ。どうしてそれではいけないんだ? 頼むから素直になってくれ」

今度の言葉はガロアの心をこれ以上なく揺らしていった。またガロアの眼帯の下で涙が滲んできていた。ガロアは命果てるその日まで泣き続けるのだろう。

一生消えない傷を身体にも心にもこれでもかというほど負って。

 

「なっているさ。君を愛している。この世界の……どんなことよりもだ。そして幸せになってほしい」

 

『お前を愛している』

遺書に書いてあったその言葉はガロアの今までの人生で貰った言葉の中で一番綺麗な宝物だった。

そしてまるで悪意のない呪いのようでもある。あの森でアジェイしか人間がいなかったのだ。

その生き方を追うのはどうしようもなく仕方のない事だ。

 

「なら……どうして?」

とうとう泣きだしてしまったセレンを見てガロアの心に棘が刺さる。

こんなにも想っている相手への精一杯の思いやりはどうして傷つけることになるのか、とガロアの頭の中に疑問が浮かんでは消える。

 

「………、………」

生命とは消滅するもの。愛とは犠牲。

それがガロアが人生で学んだものだった。

そしてガロアの歩いてきた道で関わったものはみんな壊れてしまった。

 

「も、もう、苦しまなくても、お前はだって……世界を……、……!」

確かに結果だけで言えばガロアは全世界の人間の命を救い未来を守った。

だがそれは結果の話。結果だけで言えばガロアは復讐の為に身に着けた力で人を散々殺しながらも結局目的の男は殺せていない。

そんな結果だけの話をしてもガロアの救いにはならないと気が付いてセレンは口を噤む。何を言えばガロアを傷つけないのか分からない。

ガロアはひたすら荒れ狂い敵を破壊し続けただけなのだ。

 

「リリウムを見て思った。俺は生まれながらに悪感情に取りこまれやすく出来ていたみたいだ」

 

「……間違ってなんかいないよ、そんなのは」

ガロアが死にかけた時、セレンも怒りに取りこまれ酷い八つ当たりをしていた。

アナトリアの傭兵がそれを責めなかったのはやはり自分達より生きた分だけそれが分かっていたからなんだろう。

ガロアの感情に何一つ間違いなど無い。愛する者の喪失による怒りも恨みもそれ自体が愛の重すぎるリスクのような物だ。

 

「気付いたら戻れない場所にいて取り返しのつかない罪を犯していたよ。ただ生きていただけのつもりだったのにそんなふうになったってことは……俺はこの世界で生きるのに向いていないからだろう。……もう行け」

そのくせ罪を感じる意識が芽生えてしまったのが余計に手に負えないだろう。

愛と感情に振りまわされるのがガロアの人生だ。

 

「私の想いはどうなる!?」

陳腐なドラマのように好きだといえば好きだとオウムのように返して終われば楽なのに。

相手のことを思っているつもりが自分の事だ。ガロアも全く同じ。どうしていいか分からずに頭を抱えて叫んでしまった。

 

「俺のそばにある物はみんな壊れる。俺の愛した人も。否定してみてくれ……俺を納得させてくれ。最後は……俺自身だ。まるで……悪い夢を見ているみたいだ」

あちこちが欠けた身体を重そうに起こし、ベッドの上で片方の目でこちらを見てくる。

その姿は戦場で静かに眠るアーマードコアの残骸によく似ていた。戦いが終わってしまえば、どれだけ強くてもどれだけ守ってくれていても厄介者扱いされる戦争兵器に似ている。

そう思ってしまったこと自体を否定したいがもう消せない。

 

「…………うぅ……」

そんなもん嘘っぱちだ、被害妄想だと言って笑うにはあまりにもガロアの周りの物は壊れすぎてガロアは生き残り過ぎてしまった。

ガロアは金も自分の命もどうでもいいと思っているのにそんなところだけ悪運に恵まれてしまっているのは……不運なのだろう。

これまでの周りの出来事が全部不運によるもので気のせいだとしても、もう積み重なり過ぎてしまった。

 

「だから……行け……俺のそばにいると死んじまう……一緒に……」

そうは言ってもこの身体ではもう戦えない。一人で生きようにも間抜けな兎ですら狩れないだろう。

翼の捥げた鳥は食われ、角の折れた鹿はのたれ死ぬ。自分も大した抵抗も出来ずに殺されるであろう――そんな未来をガロアは想像していた。

身体中ボロボロなのに痛みも苦しみも無いのがまるで嵐の前の静けさのようで不気味だった。

 

「私たちは家族だって……。お前は私のところに帰るって……」

 

「…………忘れろ……。いや、忘れる。時間が洗い流してくれる。怒りも悲しみも……喪失も」

 

「お前が……それを言うのか」

ガロアがそれを忘れるような人間では無かったことは行動が物語っている。

説得力がなさすぎる。もううまい言葉も見つからないくらいガロアもぎりぎりなのだ。

 

「全てを失ったとしても未来がある。君には……。……そして俺には今しかない」

 

「!!」

 

「……死に行く、……俺にはもう……も……なにも必要無い!!!」

 

「なんで……知っているの……?」

見た目はどうあれ身体の治療は終わっている。流石に吹き飛んだ目玉や手足は戻らないが、これから五感も元に戻っていく。

だが身体に蓄積したコジマ粒子だけはもうどうしようもなかった。一年後に生きているかどうかは分からない。

これだけコジマに侵されていればもう、いつどこで何が起きるか分からない。究極に切羽詰まった時限爆弾付きの身体だった。

不調が始まるまで半年もないだろうと言われた。だから醜くなった顔を整形することも出来なかった。

気の問題もあるだろうからガロアには一切言っていなかったのに。やはりその鋭い勘で気づいてしまっていた。

 

「俺を見ろ……もう戦いどころか……普通の生活も……まともに歩くことすら出来ない。なんで生きてんのかわかんねえぐらいにこんがり焼けてまるっきり化け物だ……必要か!? 幸せな未来に俺みたいなのが!!」

とうとうガロアは爆発してしまった。ごちゃまぜの感情の中にある愛はセレンを引き止めてしまうことを知って、それを消し飛ばす為にも辛い現実を突きつけていく。

ペットボトルの蓋すら開けられない自分がどんな幸福をあげられる?おまけに近いうちに死ぬというのだ。

早めに死ぬならまだ、とも思えるがそれを『救い』だと思ってしまっているのならば、そばにいることがどうしてセレンの幸福に繋がるのか。

ガロアももういっぱいいっぱいだった。自分の中の弱さすらも分からなくなる程度には。

 

「私にはお前が全てなんだ! お前じゃなきゃ嫌なんだ!!」

受けた痛みはすでに過去の物、訪れた平和を世界が噛みしめている中でどうして自分達は怒鳴りあっているのだろう。

互いに愛があるのに上手くいかない。ガロアの心の問題のはずなのに自分が悪いのではないかとすらセレンは思ってしまう。

 

「感傷が人間を殺すのは知っている……行け!! 愛も繋がりも……痛みを癒してくれたかと思えば……また大きな穴を作っていく……」

 

「……」

 

「もう……お願いだから……これ以上俺を苦しませないでくれ……もうダメなんだ……耐えられない……心も身体も」

片方だけ残ったガロアの目から涙が流れ、傷痕にそって歪な線を作っていく。

 

「ガロア……」

 

「こっちに来るんじゃねえ!!」

 

「……!!」

醜くなってしまった顔から透明な滴を零すその姿に少し歩み寄ってしまった途端に怒鳴られた。近づくことすらも否定されている。

だが、自分がいなくなった後に、数えきれない程の人々を救った英雄でありながらこの部屋で一人毒に侵されて死に行く未来を想像してぞっとする。

ガロアの周りで人が死に過ぎた。そして生きる為にガロアの心の中には暴力という獣が棲みついた。それはとうとうガロアの身体と未来までも食い潰そうとしている。

世界に不幸をばら撒きまくるか、世界の不幸をすべて請け負うか。ガロアは両極端な運命の元に生まれてしまっていた。それを変えるにはどうしたらいい?

セレンには何も分からなかった。

 

 

 

ガロアはセレンの番犬になっていたつもりなのに、今のセレンの顔はまるで飼い主に捨てられた犬のようだった。

セレンと同じようにガロアもどうしたらいい、どうしたらいいと頭を巡らしていく。

 

「……。分かっているよ……分かってる。想いは消えない。どうしたって……消えてくれないんだよな……。それが例え痛みなのだと分かっても……消すほうが辛いから」

 

「なら」

やめろ。その言葉がまた穴を空ける。俺の心はただ血を流し続けている。

そう言う前に、ガロアはあと何を自分は差し出せるか、感情がごちゃ混ぜになって回転の悪くなった頭を巡らせる。

 

「花を……」

 

「……」

消えゆくガロアとはこの部屋で逆に命を溢れさせているものがある。

ガロアがセレンに贈ったあの花だ。

 

「花を持っていけ……世話をすれば何度でも咲いて、新しい種はまた新しい花を咲かせる。あの花はきっと君の為に咲いているんだ。俺の為じゃない」

たった18年しか生きていない中で、この四年間はとても大きなものだった。今にも消えそうなろうそくの灯のようにゆらゆら揺れるたまゆらの命は二つの願いを叫んでいる。

どちらも自分に苦しみを残すが、片方は未来のない自分には必要のない物だとガロアは思いこむ。

あの男の言っていた通り、自分はこの世界をも握り潰すほどの存在だった。力では無い。その精神がだ。

この人に出会っていなかったら、自分はきっと人間では無い何かのままだった。

 

「……」

またセレンが泣いている。また泣かせてしまった。

自分といたばっかりに。自分のような人間に好意を寄せるから。だがそれでも。

 

「……嬉しかった。セレンには全てを貰った。こんな俺と一緒にいてくれて……ありがとう」

 

「……! それは、私が……」

私が言うべき言葉なんだ、とは言わなかった。

セレンはそれが別れの言葉になってしまうと理解したのだろう。

その通り、もう別れを告げているのだから。

 

(なんでいつも俺の前の……選択は苦しい物ばかり……)

暗い森を抜けた先は困難な選択に溢れていた。またここでも一つ、大きな傷を残す選択が現れる。

 

「私の幸せはお前といることなんだ……他には……」

セレンは同じ内容を言葉を変えて繰り返している。

本当にそれしか無いからなのだろう。その気持ちは知っている、よく分かる。

 

「あるさ……あるよ……見つかるさ。俺の幸せは、あの森で時々知らないことを教えてもらいながら父さんと一日一日を生きていくことだった。それだけだと思っていた」

 

「……」

 

「同じなんだ。あの森で俺は一人だった。セレンは街で人の中にいても一人だった。……でも外を見ろよ。俺は……こんなに世界が広くて、人がたくさんいるなんて知らなかった」

いつの間にか日が沈みかけていた。きっとこの世界は今どこまで行っても綺麗な物に出会えるのだろう。

片目では笑顔がよく見えない。片腕ではうまく抱きしめられない。片足では一緒に歩けない。

 

「だってお前と……」

 

「でも……いつか見つかるから……もう、行け」

 

「本当に……終わりなんだぞ……お前……まだ18だぞ……幸せなこと……全然知らないじゃないか」

 

「誰もが……この世界でいずれは朽ち果てて死ぬ。あの森にいても、戦場にいても、それは変わらない。この世界のルールだ。そんな世界で俺は愛すべき人を見つけて、守った。俺はもう、満足だ」

 

「愛してくれているなら……そこまで分かっているならなぜ?」

 

「仕方が無いじゃないか……だって…………」

死の際の後悔を知っている。それでもセレンに幸せになってほしい。

今ならまだ間に合う。最後まで離れられずに自分の死を見ればそれはセレンの心と未来に消えない傷を残すだろう。それほどに想われていることは知っている。

その後の何十年もの苦しみと、余命いくばくもない自分の苦しみなど天秤にかけるまでもない。

だがどっちがワガママなんだろうか?

セレンを突き離してその幸せを願う事か。それとも……

なんでこんなに難しいことばかりが目の前に来るのだろう。やはり自分の選択の積み重ねが作ったのだろうか。

 

「……」

顔中から水を流して美人を台無しにしている。

そんな顔をちゃんと綺麗に笑わせてくれる人もこの世界にはいるはずだ。

そんな場面は見たくない。でも、何もかもが消えてなくなってくれる死が待っているならもうそれでいい。

だからもう――

 

「俺と一緒にい……あぁ……」

俺と一緒にいたらセレンは幸せになれない。

そう言うべきなんだ。何よりも願っているのはセレンの幸せなのだから。

自分の欲した力が手に入ったからなのか、その前からなのか。

周りにある物がどんどん壊れていく。そしてその真ん中の自分はまるで得手だと言わんばかりに壊して壊して壊して。

 

「俺と一緒に……ぐっ、うっ……おお……おおあぁ、おぉ……」

あの死の際の後悔は?父は何て思っていたんだろう。

同じだ。幸せになってくれと思っていたのだろう。

まだ何かあった気がするが色々ありすぎて頭から抜け落ちてしまった。

 

「そうかもしれない……」

 

(生きていてほしい……死んでほしくないってなんで? なんで俺はそこに命をかけたんだろう。なんで父さんは命をかけたんだろう)

 

「お前のそばにあるものはみんな壊れるのかもしれない。私には否定できない……。でもお前は一つ勘違いしているよ」

 

(……)

幸せになってくれ。生きてほしい。その二つは矛盾するものでは無いはずだ。

何故生きていてほしいと思うのか。どうすれば矛盾せずに共存できるのか。

 

「だ、誰もお前のそばにいなければよかったなんて思っていない。……。ほら。私は……」

そう言ってセレンは笑った。あの日父と永遠に別れたときのように。

 

 

最後の別れのあの日も、父はいつものように頭を撫でて『行ってくる』と言っていた。『さよなら』とは言わなかった。

 

自分も『さよなら』は言っていない。

 

出来ることなら生きて帰ってくるつもりだったのだ。どうして帰ってくるかなんて、考えるまでもない。

父が出来なかったこと、父の本当の願い。

 

雪を転がして遊ぶ自分を、他に何をするでもなく微笑みながら眺めていた。

守りたかったものは自分ただ一人ではない。あの世界を守りたいというのは、あの風景を守りたいというのは、

 

(!…………あぁ……。ずっと一緒に……)

一緒にいてほしかったから死なないでほしかった。それだけだった。

自分も父も、戦う誰もが。

 

アナトリアの傭兵がどうして戦い、何故自分を連れ帰ったのか。

この為だったのだ。

 

ずっと同じだった。自分の本当の願いは――

 

「俺と一緒にいてくれ。これからも、ずっと」

 

 

気付けばガロアは言おうと思っていた言葉を言ったつもりが真逆の言葉を言っていた。

後悔をする間もなくベッドに前のめりに倒れ込む。

『俺と一緒にいたらセレンは幸せになれない』が『俺と一緒にいてくれ』になってしまった。

言った言葉に気が付いて、なんとか抑えていた涙が決壊したダムのように溢れてきた。

この人とずっと一緒にいたい。一緒にいて幸せになりたい。そんな簡単で当たり前の願いが叶わなくて、幸せを他に求めろと言っていた。

手に入らない物だと、作れない物だと父が帰らなくなったあの日から思い込んでいた。

 

(変わるべきなのは俺だった)

セレンの心では無くて自分の心を変えるべきだったのだ。

もしかしたらこのまま本当に二人で不幸に落ちていくのかもしれない。

でも、今回は違うかもしれない。命に関してはどうしようもなくても、残り少ない時間で自分もセレンも幸せになれる何かが、二人でいれば見つかるかもしれない。

何度も裏切られてきた微かな希望はやはり温かかった。そう思った時、残った人殺しの左腕がセレンに握られていた。

 

「やっと……言ってくれたな……」

そうだ。やっぱりセレンは笑っている方がいい。二人でいれば笑えるんだったら一緒にいたい。

 

「もういやなんだ……俺を一人にしないでくれ。ずっと一緒にいてくれ」

弱い奴は死んで強い奴が生き残るんだとずっと理屈で決めつけていた。獣として生きていたから。

本当は違う。卑怯でも臆病でもなんでもいいから生きて一緒にいてほしかった。ずっと前からそれだけだったのに。

 

「分かっている。もう二度と離れない。ずっと一緒だ」

ふくよかで温かいその胸に抱き寄せられたとき、とうとう眼帯の下のコットンも水分を吸いきれずに両目から涙が溢れてしまった。

 

ガロアが愛したものは皆壊れた。それは事実だ。

これからもそうなるかもしれないし、何よりもその思い出と戦いながら共に生きていくのはガロアにとって一番困難な道だろう。

 

(困難な道………………?)

アナトリアの傭兵と自分は途中まで同じ存在だったはずだ。力を求めて暴走した手の付けられない存在。

そんな生き物が人殺しの手で愛した者と共に生きていくということ。たとえそれがどんなに矛盾していても。

矛盾に溺れて死ぬよりも、矛盾を知って命を捨てて戦うよりも、矛盾を抱えて一緒に生きる方がもっと大変だっただろう。

自分は賢いフリをしながら思考停止して命と一緒に考えることを投げだしていたのだ。

 

(俺には足りなかったのか……セレンと生きる覚悟が……)

失うのを恐れるあまり手に入れることを拒んでいた。

アナトリアの傭兵は知っていて、実行していた。

ガロアが諦めようとしていたものを。

あの男は愛しい者を守って一緒に生きていた。強さだけではなく、生き残る強かさがあったのだ。

守るだけじゃない。一緒に不揃いな足を揃えて生きていくというとても難しい道。

 

(お前の勝ちだ……)

自分は奴と対峙したあの時に、負けを認めていたんだろう。

 

「ガロア……愛している」

どくんと心臓が揺れたのを感じる。これからもこの言葉をくれる人が一緒にいてくれるからという希望が揺らす。

死ななかったから。生き残ったおかげで。

 

「あ……俺も……、お、俺もセレンを愛している……愛していたんだ……ずっと」

愛した人にこの言葉を何度でも言えるという幸福は人生で初めての物で、一番の物だった。

いつまでも、いつまでもこのまなざしに刺さっていたい。生きている限りは。

 

 

(生きていてよかった)

 

苦しいのになんで生きるんだろう。

その理由は今でもはっきりとは分からないが、ガロアは心の底から生きていてよかったと思えた。

 

 

ガロアはその日、声をあげていつまでも幼子のように泣いた。

ガロアが声をあげて泣くのは、18年前にガロアが生まれたその日以来のことだった。

 

自分の存在を愛してくれる誰かを探すのが人の一生のあり方で、人はその為に死ぬことすらいとわない。

ならば最上の幸福とは、やはり認め合える者と生きていくことなのだろう。

 

何かに弾かれたようにこの世界で一人で迷子になっていた二人は、ようやくそんな存在を見つけた。

二人はこれからも喜びも悲しみも分かち合っていく。




感情と理屈の真ん中くらいで適当に、中庸を意識して生きていかないと大変なことになっちゃいます。
人間だって動物ですし。これからガロア君もそれを学んでいけるといいですね。


次の112話でいよいよ最終話なのですが。

ですが。

ですが。




わ、私は……小さい頃は……エロい仕事をしたかった。具体的な何かはなくてもとにかくエロいことをしたいエロエロガキだったんだ

大人になったらエロい仕事しているはずなのに大学で数学の講義を聴いている……なんでなんだ、エロいことがしたかったんだ、それだけなのに(最低)



悪魔「じゃあエロい話を書けよ」

私「え?」

悪魔「書け」

私「びゃあぁ書きまぁすぅうウゥうう」


悪魔が書けって言ったんだ。


というわけで最終話の前に18禁の話を投稿します。
ここに次話として投稿するわけにはいかないので『短編で投稿』します。

タイトルは『楓』。
読みたい方は作者ページから飛んでってください。
5/29の0時くらいに投稿します。

五万文字オーバーの渾身のエロ小説、見てってください。

読まなくてもあまり問題はないかと思いますが……最後にガロアとセレンにいい思いさせてあげようと考えて書きました。
ええやん、読んだろ!
という方はどうぞ。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。