Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
ロランは未だに幸福の七年間の中を彷徨い縋りながら生きていた。
戦う事で生きていく事しか知らない彼が戦いの外で死ぬことは遂になかった。
今日も彼は求めるように戦いただ生き残る。生き残ってしまう。
「……」
最近になって思ったことだが死ぬことにあんまり意味は無い。
生きていることには結構意味がある。と思う。
ただ、今どうして自分が生きているのか、わからない。
今日この日までしたことの裁きが下っていないだけなのか、それとも間違ったことをしてきた訳ではなかったのか。
リザが殺されたのはリザが間違っていたからなのか。どっちだっていい。
このまま何も自分を止められずに終わるならばそれはそれで目的に達する。
殺されたなら殺されたで…会えるんだろうか。あの世という物があるのならば。
「……」
何千回も同じことを考えている。
いつかそれが変わることを信じて。
だが現実は変わらず脳みそが溶けてきたような感じがする。
でも見えているものは何も変わらない。
変わらない。
黒煙をあげる5つのクレイドルがもがき苦しむように高度を上げ地球を閉鎖する自律兵器から集中砲火を受けている。
その中の一つのクレイドルの上でネクスト・リザは巨大なエンジンに背を預けて脚を伸ばして座っている。
両手のライフルとショットガンを傍に放り、両手を頭の後ろで組み流星のような弾丸が降り注ぐのただ見ていた。
「……」
この流れ星は願いを叶えない。
ただ命を奪い去っていくだけ。
一定のリズムでミシン目のようにクレイドルに撃ちこまれていく弾丸は一度に幾つの命を奪っているのだろう。
それとも下層に避難してぶるぶる震えながら辛うじて生きながらえているのだろうか。
「……」
自律型ネクストがエンジンの一つを爆破する。
クレイドルに大きな地震が起こりリザの姿勢が少しだけずれた。
ピピピッ
「……」
画面に表示される自律型ネクストの数が急に減り始めた。
空に浮かぶ自律兵器に落とされているんじゃない。
最初に落とされた奴の傍から次々に落とされていってる。
「……」
ケロイド状になった皮膚が固まった、死人のような手でコードを手に取り首のジャックに差し込む。
腕を枕にして一晩寝たような痺れが四肢に数秒広がった。
「…ハァ」
溜息と同時に油圧が上がり銃を手に取りながらゆっくりと立ち上がる。
のんびりしている間に自律型ネクストは残り一機だけになっていた。
今日ここに誰が来るのかは、わかっていた。
「…久しぶりだなぁ…ガロアぁ…」
「なんだこれは…地獄か?」
アレフ・ゼロから送られてくる映像のみだが、どこもかしこもこうならばそれは地獄に違いない。
襲撃者の追撃から逃れるように高度を上げたクレイドルに突き刺さる無数のレールガンの光、無差別にクレイドルを焼く自律型ネクストの数々。
その一撃一撃で両手で数え切れぬ数の人が死んでいるというのに一向に攻撃の雨がやむことは無い。
「何故高度を…!」
攻撃されるのに何故高度を上げたのか、という言葉が全て出てくる前に理解する。
知らないんだ。恐らくあの中にいる人は誰も下から命を狙う者だけでなく、上からも命を狙う物があるということを。
ただただ襲撃してくるネクストの限界高度まで上げようとして…網にかかったのだ。
(だから私たちに依頼が来たのか…)
今この敵に対応できるだけのリンクスが出払っているという言葉に嘘は無いだろう。
だが、それでも雑魚リンクスを4~5人集めれば汚染はともかくそれなりに対処できたはずだ。
ただ、そうなると最早この空に浮かぶ自律兵器の数々を隠し通すことはテロリストの対応と同時進行することは不可能だったのだろう。
だからガロアに依頼が来たのだ。その存在を知っていて話す口を持たず、そして強いガロアに。
「今動いている自律型ネクストの数…23機!急げ!一秒ごとに数百人は死んでいるぞ!!正義感で言っているんじゃないぞ!!
このまま遅れれば遅れる程…例え勝ってもお前が恨まれることになるんだ!!」
『……!』
しばし呆然とその惨状を見ていたアレフ・ゼロが一番近くにいた自律型ネクストを撃ち落とす。
今のところ怪我の影響は見えていない。
クレイドルからアレフ・ゼロへ泣き叫ぶような通信が入る。
『リンクス!何をしているんだ!既に数百万人の死傷者が出ている!』
「今やっているだろう!!」
怒鳴り返すセレンも同様に相当焦っている。
クレイドルがコジマ汚染を避けるためにネクストを警備に使っていないのは少し考えれば誰だって分かることだがそれならば何故もっとまともな警備を増やさない?
その答えは簡単で、巨大な資本なしにはネクストは動かせず、通常ならばただのテロ組織がネクストを持つことなどあり得ないからだ。
「高度を下げろ!!」
『何故だ!下からテロリストどもが…』
「いいから早く!!」
わけがわからずとも指示に従い高度を下げていくクレイドル。
だが、もがく様に魔の手から逃れよう逃れようとうねりながら高度を上げていったクレイドルは、今更高度を下げても到底自律兵器の射程圏内からは逃れられなかった。
『くそ…地上のクソどもめ…!這い回ってないでとっとと死ねばよかったものを…!』
「……!!」
あまりにも勝手な言い草につい手に力が入りキーボードの一部を握りつぶしてしまった。
選ばれた者が上に住みそうでないものが下で苦しむ。
実に分かりやすい差別は当然のように選民意識を生んでいた。
カッとなり、つい返す言葉が頭の中で巡り始めたとき、残りの自律型ネクストが一機になったことが画面に表示された。
「よし、そいつを落とし…」
待てよ?ネクストがいると言っていなかったか?
こんな自動人形なんかではなくて…
そう気が付くのと通信が聞こえたのは同時だった。
『…久しぶりだなぁ…ガロアぁ…』
「!?」
臓腑に舌を入れられるような悍ましいその声は確かにガロアの名前を呼び
画面に表示されるガロアの心電図が崩れるように異常を示した。
『……!』
「誰だ…貴様…!」
そのネクストはレールガンが雨あられと降り注ぐクレイドルの上を大雨の日に傘を差さずにぶらつく傾奇者のようにゆるりと歩いていた。
『…?オペレーターか?』
首筋の三寸後ろで囁かれたかと錯覚するほどにねばついた声を出しながらそのリンクスはアレフ・ゼロ越しにこちらを見ている。
「答えろ貴様…久しぶりとはどういうことだ!?」
『…この状況じゃなくてそれを尋ねるのか…。そうか…今はお前がガロアを…』
ふわりと浮かびアレフ・ゼロの目の前まで幽霊のように近づく道中、一つのレールガンがそのネクストの右肩を掠めていったがまるで意に介していない。
『飯はちゃんと食べているか…?』
『……』
「な…」
『夜は…ちゃんと眠れているか?』
『……』
「なんだ…こいつは…」
動揺している。見える訳ではないが、恐らくガロアは今、せまいコックピットの中で子供の用に自分の肩を抱いて震えている。
動揺している。送られてくるその映像、アレフ・ゼロの目の前に立つネクストの頭頂にあるその独特な曲線のスタビライザーは、ガロアが唯一持っていたネクストのパーツと同一のものだった。
『元気で今日までやってこれたか…?』
『……』
「お前…お前は一体なんだ!?」
摩擦熱で光をあげる弾丸が飛び交う中で親戚の子供と世間話をするかのように声をかけるこの男が今回の事件の主犯なのか。
『……』
『……』
「クソッ、ガロア!この空域にいるネクストがまともなはずがない!こいつが主犯だ!聞こえているのか!」
『…ガロアが育った場所を知っているだろう?』
「…あ?」
場違いな声場違いな雰囲気場違いな問答。
突如として現れた不気味なネクストに崩されイラついていた調子が一瞬素に戻り、その答えが浮かぶ。
…ロシアの田舎であったはずだ。
『点と点は調べても線は想像つかなかったのか』
「…なんだと…?」
『この世界で…たかだか10歳の子供が一人で生きられるか…?飛行機はおろか車も運転できない子供がどうやってそこからインテリオルの管轄街まで行く…?』
「お前は…」
ガロアは自分から人間関係を明かさなかった。話せる、話せないではなく、明かさなかったのである。
それは関わった人間の数が極端に少ないということも理由の一つではあるが、一番の理由は命の恩人でありながら世界的なテロリストと成り果てたその男の陰も出さぬためであった。
『俺は…ガロアが子供の頃を見てきて生き残ったこの世界唯一の大人で…』
幼子の頭を撫でようとするかのようにその右腕を柔らかく上げ
『ガロアの敵だ』
その引き金を引いた。
(よく避けた!…だが…)
ほぼゼロ距離で放たれたその銃撃を回避したのは流石だが、普段なら迷わず、
それも当たる瞬間まで気づかないようなレベルの斬撃を繰り出せる距離で攻撃することも距離を離すことも無くただその場に浮いているだけ。あり得ない。
『斬れよ。ガロア…』
『…、…』
どちらが死ぬか分からない程の強敵も、ほとんど抵抗も出来ない雑魚も平等に蹴散らしてきたガロアが心を先に刈り取られている。
『…なら死ぬだけだ』
『……』
再び攻撃。全て回避してはいるがその避け方には異様な恐怖が映っている。
直撃すれば即死は免れない暴力の雨が空を裂くこの空間でも全く物怖じしていなかったというのに。
そしてこの恐怖はこの男に対する物ではない。この男へ攻撃することへの恐怖だった。
「お前…お前は一体何なんだ…?」
『…お前はガロアの何を知っている』
質問返しについ口が止まる。
本人の口から何も聞けない自分が一体どれだけ本質に触れているのか、いや触れられてきたのか。
「ガロアは…」
『そうだ…お前の思っている通りだ』
「え…?」
依然として攻撃の手は緩められず、当たりはしていないものの、やはりガロアから攻撃を仕掛けることは無い。
これだけ動き回ってまだダメージを負っていないのは奇跡だ。
『聡く…優しく…真っ白な…こいつが育った土地と同じくらい…真っ白な子供だった。俺以外のガロアの知る者は全員死んで、一人ぼっちだったからだ』
『止める者は誰もいなかったはずだ。正す者も誰もいなかったはずだ。理解する者も。ガロアの正義はガロアだけの物だからだ。だから今日まで誰でも殺せたんだ。…だから今日まで知らなかったんだ…』
「何を言っている…?」
『分かりやすく言ってやる。ガロアは俺を殺せない。自分の知り合いを、思い出を一緒に斬ることが出来ないんだよ』
「…あ」
考えたことが無かったが、カラードという物が持つ異常性。
それは昨日顔を突き合わせていた者が今日殺し合うという可能性があるという事。
ガロアは今日この日まで知った顔の者と戦場で向かい合うことが無かった。
単純に友人が少ないという事もあるし、見知った人物がある意味でガロアの敵に回るような相手では無かったという二つの点が大きい。
知己を、しかもさっきの話が本当ならば幼いころからの繋がりでその上命の恩人である男を殺せるというのか。
「クソ…ガロア、目の前を見ろ!そいつは大量殺人犯で…お前を明確に殺そうとしているんだぞ!」
一方でセレンは自分がメチャクチャなことを言っていると分かっていた。優しい子供だったというし、今でもそうであると信じたい。
だからこそガロアはこの男を斬れない。それは他の誰かが、カラードの道行く他人が言うよりはずっとガロアは人間だったということだからだ。
そうあってほしいと願っているのに自分は今、ガロアにこの男を殺せと言っている。
『……』
『それがわかってるから…苦しんでいるんじゃねえか…。大人なら…子供の成長を見守ってやらなきゃな』
「……」
セレンの言葉が刺さる。
そうだ、目の前に立ったこの人を、人々を今まさに殺そうとするこの人を、自分に攻撃してくるこの人を倒さなければならない。
ショットガンが連発される。
「……」
範囲の広いそれを避けれているのは自分が弾が広がり始める前の距離にいるからだ。
本当なら斬っているはずのこの距離に。
でも攻撃は出来ない。
父が死んでから今の自分がここにいるのはこの人物のお蔭以外の何物でもないからだ。
『お前は生きろ。生きて…この世界を見てみろ』
遠い昔に目の前のこの人に言われたはずの言葉が霞んでくる。
「…、…」
何故自分には言葉が無いんだ。撃たないでくれ、こんなことはやめてくれ。
自分はあなたを殺したくない。そう言いたい、伝えたいのにこんな機械の中ではそれも出来ない。
今まで敵を目の前にしたときに湧いてきたふつふつとした熱く、けれども心の底を冷やした何かが出てこない。
無理だ。自分は義務感では人を殺せない。
「……あくまで俺を殺さないつもりか…」
これだけ攻撃しているのに、これだけ弾丸が上から降ってきているのに掠りもせずに避けている。それだけでも一流のリンクスになったということに一切の疑いは無い。
あのオペレーターは人が死んでいることを使って焚き付けようとしていたがそれは無理だ。
人と…特に幼い頃に殆ど人と関わらず、その上唐突に父を奪われたガロアは、
恐らくは会ったことも無い人間というものが薄ら透明にしか想像できないだろうし、
理不尽に死ぬとなってもこの世界はそういうルールなのだと心の底にまで染みついているだろう。
だから少なくとも人が死ぬという事に関して特別怒ったり心を動かす事は無いはずだ。
人は勝手な理由で死ぬし殺される。その考えが幼い日にガロアの世界に刻まれたからだ。
そしてその考えを実行してきたはずだ。今日この日まで。勝手に死んで欲しくない人間が目の前に現れるこの日まで。
「白かったお前が真っ黒になったな。でもそれは遍く夜の黒さじゃねえ。ただ犇めく人の中で肩をぶつけあいながらつけられちまった汚れだ」
それじゃあダメなんだ。真っ白な世界でただ一人で決めたあの誓い、進むべき道を、自分の命を使ってでも思い出させなければならない。
選んで殺す暴力など天災にはなれないのだ。今日が自分の命が消滅する日だと、オールドキングは決めていた。
『……』
「なあ…ガロア…企業側につくとか…人類を守るとか…俺はどうでもいいんだがよ…」
『……』
全てを地上に縛りつけようとする悪意が天の川が流れていくように降る中で二人は阿呆のように立つ。
そうだ。今ここにあるこの殺伐として茫漠とした世界こそがガロアがいるべき世界なんだ。
交わらせてはいけない。同化させてはいけない。ガロア以外が辿る全ての者の人生に。
だから。思い出させるんだ。
最後の甘さを断ち切らせるのだ。
「こいつは殺す…こいつは殺さないなんてしていると…なっちまうぞ、アナトリアの傭兵と…おんなじに、よ」
いつか白い世界で純白の少年が出した答え。
それは今一度、世界で一番汚れた大人によって呼び起された。
『…、………… …………』
「……へはは…素晴らしい…」
ヒュゥ、と喉から息が漏れる声が耳に届いた。
瞬間、戦場から音が消えた。
オオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアア
音が消えたのではない。
別の不気味な音にかき消されているのだ。
『貴様何を…ガロ…ア?』
アレフ・ゼロの出す慟哭のような軋みにこの空間の音全てがかき消されている。過剰な排熱による幾つもの壊れた楽器が奏でるような音の原因は不明だ。
ただ一つ、その軋みに乗せた感情だけが鮮明。
俺はそうはならない。殺してやる。…と。
「そうか…聞こえているぞ、ガロア…お前の言葉が…」
溶けていく。
ガロアのネクストが、空虚な宇宙の闇と一体になっていく。
揺籃の時間もいよいよ終わり、世界最悪の災禍が孵化しようとしていた。
(王になるんだろ?ガロア。お前がそう思ったのはお前には大切なものも守りたいものも何一つなかったからだ)
そうだ。目の前に立つ相手の生殺与奪を選んじゃいけない。悉く消せ。自分が正しいと思うのならば。
(もう人間には戻れやしないんだよ、お前は)
さあ、自分の見る世界こそが本物だと、俺を殺して示せ。
王は誰にも平等な恐怖でなければならないのだ。
無粋なのか、単純にAIに沿ってターゲットを変えただけなのか。
巨大な浮遊物にひたすら刃を這わせていた自律型ネクストがアレフ・ゼロの真後ろから斬りかかった。
だがその刃がアレフ・ゼロに触れることはなかった。
『……』
十年住んだ家から出るときに見もせずに傘立てから傘を手に取るように、さりげなく後ろに差し出した左腕のブレードが自律型ネクストのコアを捉え、ずぶりと刺さっていた。
ジジジジジ、と鉄板に肉を押し付けるような音が響く。
『……』
切り捨てることも抜くこともせず、ただそのブレードを刺し続けている。
ふわりと同じ高さに立っている二機のネクストが嘘のように、その機体は重力に逆らえずに少しずつ落ち赤熱した傷口が広がっていき…やがて機能を停止した。
『……』
熱と電気を効率的に伝えるための液体金属が派手に飛び散り、アレフ・ゼロのカメラアイにかかる。
急激な気温の低下に逆らうことなく液体は固体となり、その線はアレフ・ゼロの消えることの無い銀白の涙となった。
最後の人間らしさをガロアは捨てたのだと、オールドキングは当然のように理解できた。今から自分はあの子供に惨殺される。
「泣いていい…呪っていい…それがお前の道だからだ…」
自分自身に言い聞かせるようにオールドキングは呟きながら一挙一投足も見逃さぬと目を見開く。
この冷たく纏わりつく死の熱。殺気だ。コックピットの中にいる自分の喉元にすら匕首を押し当てられているかのような錯覚がする。素晴らしい。
あまつさえ涙をはらはらと流す、最後にあった時と全く変わらないままの幼いガロアの姿までもが見えている。
「そうだ…この圧だ…この覚悟だ… 、!!!」
眼前にただの機械の塊と化した自律型ネクストが投げられた。
「…っ!」
一瞬、ほんの一瞬目を離した隙にはこの広い空間に自分一人になっていた。
「どこに…!」
逃げたのではない。
先ほどの殺意は本気で殺すという覚悟の元でなければ出ない。
ケモノが戯れに放つものとは濃度が違った。
「う…!」
斜め後ろからロケットが飛来する。避けた先のレールガンに当たらなかったのは運が良かった。
と、考えがまとまる前に下方からロケットが飛んでくる。オーバードブーストを起動しているのと等しいレベルでこの空間を動きまわっているのに全く見えない。
「ぐ…」
この真っ暗な星空に浮かぶ無機質な兵器の殺意と同化している。
元々のアレフ・ゼロの色も相まって全く見えない。まるでそれが自然であるかのようだ。
「は…!」
見ろ。やはりお前は選んで殺すことを許された弱い人間じゃねえんだ。
災害のように平等に、機械のように残酷にあるのがお前の正道だ。
『……』
「が…!は、ははっ!」
僅かににじみ出た気配を頼りに身を引いたがライフルがゾブリと音を立てながら斬られた。
空き缶を放るように使えなくなったライフルを捨て感覚を研ぎ澄ませる。
目で見ようとしてはダメだ。見た瞬間には全て終わっている。
そう思い視界から意識を捨てた瞬間に真正面からのグレネードに無様に当たった。
「おぐっ!ごっ…」
釈迦の手の上の猿のように転がされている。手加減をしているつもりなど無いのに、自分が全く相手にならない。
『……』
「当て…て…後悔してんなよガロアァア!俺はお前を殺しに来たんだ!!お前は俺を殺すんだよぉ!!」
薄い空気を伝って欠片だけ聞こえた嗚咽。だがその涙は正しい。
「そうだガロア…誰もが生きていくうちに誰かとぶつかって折れていくんだ、考えを曲げていくんだ!自分の考えを永遠に通したいならぶつかる相手は選べない…敵も、愛する者もだ…
選んでいたらそれは正しさじゃねぇ…ただの卑屈な自己満足なんだよ…ガロア…お前が正しいなら今ここで俺を殺せぇえぇ!!」
『……』
ガロアは最初から分かっていた。理解したくなかったのだ。この男がここに現れた理由を。
分かっていた。
アナトリアの傭兵の矛盾を示すため、自分の正しさを打ち立てる為にここまで来た自分の誓いがやはり捻じれ始めていることを。
それはもう避けようのない事なのかもしれない。互いに関わり合いながら生きていく人間という生物の避けられぬ定めなのだと。
もし…もしそれでも原初の思いを通すのなら、過去を、思い出を恩人として全て背負って敵として現れたこの男を殺さなければならない。
メチャクチャにクイックブーストを吹かしながらターンを連発している間にもアレフ・ゼロは影すらも見えなかった。だというのに今度は完全に左腕を落とされていた。
「おおっ…あっ…」
焼き鏝を押し付けられるかのような幻痛と歪な喜びに顔が歪む。
「ふーっ…ふーっ…」
だがしかし。
おかしい。あの殺意は本物だった。
今この戦場を支配している空気も間違いなく俺を殺す決意に繋ぎとめられている。
なのに何故。
『……』
「…なんだ…一体…これは…」
半端な攻撃しかしてこないのだ。これでは俺は死なない。
しかし俺を生かして帰す気はもう捨てているという意思が呼吸から伝わってくる矛盾。
濃厚となり満ちる蘭麝。
幾度となく鼻一杯に吸い込んだこの暗い愉悦の香り。死の匂い。
間違いなく俺は1分後には死んでいる。
だと言うのにこの意の無さはなんだ。
姿も見えず意も見えぬ相手がお前を殺そうとしている。打ち勝て。さもなくば殺されろ。
意地の悪い坊主の禅問答のような謎が、答えを引っ提げて後ろから飛びかかって来た。
「こんな見え見えな…」
最早対抗手段の無い左側から斬りかかってくる。こんな当たり前の攻撃で俺を殺せるか。
『……』
そう思った時にはもう遅かった。
「あ……?」
気取れるはずが無かった。
躱したブレードは宙を斬った。その後の攻撃に圧は無かったのだ。
ただ右腕のマシンガンで、ドミノを倒すようにとんっと優しく小突かれた。それだけたった。
『……』
「……あ」
気づいたときにはもうオールドキングのネクスト、リザを空に浮かぶ自律兵器のレールガンは貫ぬいていた。
げほっ、と咳き込み目が眩んだほんの数瞬の間に、アレフ・ゼロが紅い複眼から涙を流しながらブレードを振りかぶる光景がリザが最後にオールドキングに送った映像だった。
次の瞬間にめった切りにされ即座にネクストから強制切断された。
ビー、ビー、ビー
虚しく音が響くばかりだった。
「……おあぁ…、…」
画面はブラックアウトしている。頭部も斬られたのだろう。恐らくは、あのスタビライザーごと。確かにガロアは思い出ごと自分を斬った。
警告音が鳴り響き、真っ赤に照らされる狭いコックピット内部。
だが、真っ赤なのはそのせいだけではなかった。
レールガンが直撃した際にコックピット内で吹き荒れたいくつもの小さな爆発は無数の破片をオールドキングの体内にねじ込んでいた。
「リザが…俺を…離したかよ…」
PAにも守られていない外部装甲は既に絡み合った破壊の数々に耐えきれず溶け出し、エンブレムに描かれた女性を縛る鎖を焼き焦がした。
「ひ…は…ガロア…お前が…やはり…お前が…黒い鳥だ…壊せ…何もかも、壊してしまえ…」
でももう今となってはそれももういい。そして、その声も既にガロアに届いていない。
自分は裁かれた。
(俺を裁くのはガロアだったか…)
「え、は、はははは…」
顔面神経痛と言われた頃よりも余程自然に出たその笑みは涙と血に濡れていた。
「!」
真っ赤になった世界で得た確かな感触。
自分の身体が無数の手に掴まれて落ちて行っている。
死後の世界はあったのか。じゃあ、探し続ければいずれ君に…
「君に…君にようやく会えるよ…待たせてしまったな…」
リザ。俺もようやく君のところへ行ける。
そっちにはリリアナもいるのか。
焼け爛れた顔でもちゃんと俺だとわかるか。
随分と遠回りしてしまったよ。
ようやく君のところまで落ちて…
「あ…?」
落ちて行くとは何だ。
何故俺は昇って行かない。何故あの日全てを焼き尽くした炎のように上向き、何故煙のように昇って行かないのか。
最早この世に五秒としがみ付くだけの余力も残されていなかったが、その全ての力を首に込め後ろを見る。
(お前らは…)
目から、耳から、鼻から、体中から血を流しながら嗤う人々。
会ったことも無いのにわかる。こいつらは、俺が殺してきた人間だ。
(リ、リザ…どこだ…俺を…君は…どこに…リザ…リリアナ?リリアナは…どうした…?)
死後の世界があるとして。
リザが、リリアナがそこに逝けていたとして。
彼が彼女と同じ場所へ行ける訳が無かった。
落ちて行く。地獄へ。
ユリの花はどこにもなく、血の色の彼岸花が彼を包み花びらが身を寸刻みにしていく。
(会えない…会えないのか…もう君と…あれが最後だったのか…)
あの日、幾重にも折り重ねられた燃える柱の中に見えた真っ黒な細腕が、自分の肩を掴むどす黒い腕と重なる。
(う、嘘だ…い、いやだ…あ、ああ゙、)
『……リイィイ゙イイザアァ゙ァアガァガッガガガァアアア…ザーッ、ザーッガガ……』
「女の名前か…?そんな馬鹿な…そんなはずが…」
地獄のふたをずらしてしまった時に漏れ聞こえた断末魔のような声がセレンの耳に届く。
10秒前に完全にシグナルロストし、レーダーから消え通信も絶対に届くはずの無い距離まで落ちて行ったというのに。
あの声は聞き間違えようもなくガロアの心をきりきりと締め付けていた男の物だった。
考えても仕方がないことだし気のせいなのかもしれない。
…なのにどうしてもその声が鼓膜に染みついて離れなかった。
『……』
「ガロア、ミッション完…!…っ…よく聞いてくれガロア…受けたくないなら受けなくていいからな…」
この戦場に、この地獄にケリをつけてもまだ世界中で戦争が起こっている。
再び戦い始めたガロアを世界が巻き込まないはずが無かった。
(……)
何をやっているんだろう。
自分は何かとんでもない間違いをしているんじゃないのか?
どうして自分の恩人をこの手で地獄に落としたのだろう?
間違った道に行ってないはずだ。だって生き残っているんだから。勝った奴が正しい、強い奴が生き残る。どこにも間違いは無いはずだ。
じゃあなんで殺したくない人まで殺しているんだろう。
「…?…??……、…」
頭の芯が揺さぶられるような頭痛から逃れる様にガロアは地上へと飛んだ。