Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
「…テルミドールがああは言ったものの、お前が天才なのは間違いないと、そう思うよ」
「どういうことです?」
幾つもの照明に照らされた格納庫の中で化け物のような機体を何を思うでもなくただぼんやりと眺めていたハリは唐突に後ろからメルツェルから声をかけられた。
「お前の口から聞いた経歴を私も調べたのだ。ただの記録ではなく、声で、人でな」
「……?」
この集団に入るにあたって嘘など吐いていないし、これまで何度かORCA旅団としての任務に当たってきた。
まだ信じられていなかったというのだろうか。
「飽いていたのだろう?」
「なんのことやら」
とぼけるように言うがメルツェルの言いたいことはよくわかる。
だからこそ同意したくない。
「リンクス戦争で両親を失いアスピナ機関でリンクスになった。その経歴に間違いは無かった」
「……」
「だがお前は別段両親を失ったからリンクスになったという訳ではないのだろう?」
「…悲しかったですよ、普通に」
親戚たちの誰もが悲しむ中で、自分がしっかりしないといけないのだと言い聞かせて淡々と父母の葬式の準備を行った記憶が蘇る。
しっかりした息子だと言う人がいる中で冷たい息子だ、悲しくないのかと陰で言われていたのだ。まだ13歳の子供だったというのに。悲しく無いはずがなかった。
涙を見せて同情をしてもらいたい相手がいなかったから誰もいない所で静かに少しだけ泣いた。
ありとあらゆる事に恵まれた才能があった。
だがそこには他人からの嫉妬という切り離せない感情が付いて回り、人並み外れた才能のせいで冷酷な人間なのだという訳の分からない、余程冷酷な評価すらもあった。
自分はただ理路整然と動いていただけなのに。だがその反面、今までの人生において口に出さずとも取るに足らない愚鈍な人々をそっと見下していた面や行動があったことをハリ自身否めない。
「そういうことではない。人は誰もが何かに夢中に、あるいは夢中になれる物を探しながら死んでいく。
だが、お前は天賦の才があるが故に何にも熱中できなかった。他人が血と汗で到達する地点に散歩のような労力で辿り着いてしまう。お前を誘った時の返事をよく覚えているよ」
『別にいいですよ。どっちにいてもそのうち死ぬでしょうし』
自分の命をまるで要らないもののように投げ捨てるようなその言葉は、投げやりな態度からの物ではなかった。
あらゆる事が簡単で、それ故に極みへ到達する熱意を持てない。ただただ才能を無駄遣いしていく日々。
それならばせめて自分の命で意味あることを成そうとでも思ったのだろうか。
「こちらについても一つもメリットが無いと言ってましたよね。今思うと変な誘い文句です」
「…自分の命を使って何かを遂げること、それがメリットなのかもしれないと思ったのだろう」
「その通りです。敵いませんね」
「…才能を持つ者も、熱意を持つ者も存外その辺にいるものだ。だが、大成する者はその両方を兼ね備えていなければならない。急激にランクを上げた独立傭兵。それがお前だった。
ぴたりとランクが止まった理由は簡単だ。勝てないと思ったからではなく、どれも手に届く範疇だと分かってしまったから急にやる気が無くなったのだろう」
化け物…アレサを見上げるハリの後ろから声をかけているためメルツェルからその表情は見えない。
「ウィン・D・ファンションもリリウム・ウォルコットも…あるいはオッツダルヴァも普通に倒せるな、と思っていました。そもそも始まった瞬間に目の前に敵がいるというオーダーマッチ自体が私にとってこの上なく有利ですからね」
「…驕りではない。恐らくは正しいだろう。テルミドールは認めんかもしれんが」
「さぁ…実戦なら勝てないと思いますよ、彼には」
「そのお前がガロア・A・ヴェデットに自分をぶつけてほしいと嘆願してきたのは心底驚いたものだ」
「…なんででしょうね。ネクストに乗って熱くなってくると急にこう…心が沸騰するんです。それだけの為にネクストに乗っていると言ってもいいです。後のことは…女性も金も、全部飾りなんですよ。
本当に、どうしてなんでしょうか。あの人の…ガロア・A・ヴェデットを見たとき、その瞬間に魂が震え、頭に血をのぼらせながら思ったんです。こいつだけは俺の手で倒したい、と。…嫉妬…ですね」
およそ誰もが羨むステイタスの全てが手に届く範疇にあったハリはその日までその感情を感じた事が無かった。
自分以上の才能を持つガロアに嫉妬をしているのだろう。初めてのその感情を…およそ普通の人ならば感じたくないその感情をハリはいつまでも覚えていた。
「さらなる才能を目の当たりにしての嫉心だと?それは恐らく違う」
「そういってくれるのはありがたいです。でも私は認めてしまっているんです。彼の才能を。同時に妬んでいる」
「そっちではない。ガロア・A・ヴェデットの才能の方だ」
「……?」
「飽いていない、奴は。かといって熱意という類の物を持っているのでない」
「復讐心じゃないんですか」
「直接戦ったわけではないからそれはわからん。奴の底…根源、それをお前が見るんだ。そして打ち破れ」
「この機体を…」
「そうだ。乗れば死ぬぞ。構わないのだろう?」
「ええ。命の使いどころを探すためにこちらに来たのですから。…どうやらそれは正解だった」
タラップが音を立て降りてくる。
「勝て。ハリ。奴をお前の手で叩き潰して見せろ。案ずるな…私もすぐそちらに行く」
「…そしたらチェスのルール教えてください。すぐに負かして差し上げますよ」
一度も振り返ることの無かったハリの表情はメルツェルには分からない。
しかし、その背中は今から死に行く者としてはあまりに真っ直ぐで、足取りには迷いが無かった。
ハリは気が付いていなかった。
確かにガロアは戦闘の才能という一点で見ればこの世界に並ぶ者がいない程のものを持っている。
だが天才というのは得てしてどこかしらのバランスが著しく崩壊しているものだ。ガロアが捨てた物、壊された物をハリは知らない。
ありとあらゆる才に恵まれ、それでも人としてのバランスを保てているハリ自身が普通の人が望める最後の幸福である高みにいるということには気が付かなかった。
それ以上の高みに行くのならば、一つずつ売り飛ばして捨てていかなければならないのだ。
自分が人間である証を。
自然の風に作られた砂の紋様を6機のネクストが崩していく。
今この場に吹き荒れる風は全て人が作りしモノに起こされている。
「ぐぅ…う…なんということだ…」
『ふん…テぺス…馬鹿なことを…』
スティレットの声は嘲笑っているようにも聞こえるが、その根幹のところでは自分が死のうが生きようがどうでもよさそうだ。
『仲間と思ってはいなかったが…お前がこんな所で死ぬ器だったとはな』
そう沢山の言葉を交わした訳でもないが、懐かしい声は聞き間違えようがない。
ORCAには自分をテぺスと呼ぶ者はいない。
敵に回った自分に思うところがあるのか、ほんの少し攻撃に緩みが出ているフィードバックと、かつて肩を並べたときの姿と一切変わらぬ様子で苛烈に畳みかけてくるレ・ザネ・フォル。
「ぐ…まさか…」
アンビエントの後方からの攻撃を先読みして飛んだ先のルーラーの斬撃を避けれたのは運が悪かったがストリクスクアドロのスナイパーキャノンの直撃を喰らった。
『テぺス、企業に楯突く者がどうなるか、貴様もよく知っているだろうに』
「年老いて陰謀屋になるよりはマシではないか…?」
『好きに言うがよい』
(しかしこれは…まさか…)
たった一機のネクストの為に五機のネクストを投入してきた。
それも最近有り触れている才能だけの子供でも、雑魚でもなく、正真正銘上位のリンクスを5機だ。
しかもそのうち四機がランク一桁というのだからすさまじい。
『防御に回るなんて愚かね。それで勝てる道理が無いわ』
「おおっ!?」
ルーラーの斬撃に背面に装備したアサルトキャノンの一部が削れた。これでは恐らくもう発射は出来ない。
と、言っても先ほどからずっとPAは0のままだし回復する暇も隙も無い。
(誰ぞが…助言をしたか)
ORCA旅団が所持している衛星破壊砲基地は全部で七つ。
まさかここだけが敵にばれたなどという話があるはずがない。
全世界に対し宣戦布告をし、今まさしく世界は一つとなりORCAを殲滅せんとしているのだから。
(私を殺すためか…)
見つかった基地全てに戦力を分散させるのではなくここに集中させた。
つまり、クレイドルに突き付けられたこの巨大な兵器がこのままでは決して放たれないことを知っている者が指示したのだ。
恐らくは…アサルト・セルの存在を知る者。それイコール絶大な権力者と言ってよい。それが指示をしたのだ。
全人類が地上に降りた後に邪魔になるであろうリンクスである自分を。
年を食って実力もあり、人脈も太い自分を。
『お別れだな…テぺス』
『…さよならだ。お互いに年を取り過ぎたな』
『結局生き残るのは陰謀屋だったな』
「まさか…ここで終わりとは…な」
その名を知る者が一斉に別れを告げてくる。
そしてその声の合致は決して偶然などではなく、消耗の末にまさしく動きが鈍った瞬間だった。
ネオニダスのネクスト、月輪は落とした皿が割れるかのようにバラバラに砕け、傷だらけのコアが小さな爆発を起こした。
砕け散ったネクストの元に集まりスキャンするが有益な情報となりえる物は何もなさそうだ。
三つあった衛星軌道掃射砲も全て破壊されどうやらこの戦場はもう終わりのようだ。
「これで終わりですか?ならすぐに次の…」
『避けろリリウム!』
「っ!」
遠巻きに見ていた王の声に反応して避けられたのはアンビエントとルーラーだけだった。
比較的鈍重なフィードバックは回避敵わず巻き込まれてしまい、深刻なダメージを負っている。
レ・ザネ・フォルはたった今その場に作られたクレーターの中心でドロドロに溶けながら煙を上げており控えめに考えても中身は生きていない。
ズズンッ
という着地音は軽量級のアンビエントではまず出せないだろう。
『銀翁…あなたとそれほど親しかったという訳でもありませんが…仇は討たせてもらいます』
独り言ではない。オープン回線でその声は聞こえてくる。
この静かな青年の声があれから聞こえているのだろうか。あれから?
「な…なんですかこれは…」
今から自分は間違いなく殺される。そう確信させるほどの化け物がいた。
『プロトタイプネクスト…!』
『アレサね…まさか実物を見るのが戦う日になるとは思ってなかったわ』
『……』
アレサと呼ばれた化け物はそれ以上何か言葉を発することなく、
一般的なネクストの体高ほどある凶悪な大きさのガトリングを地面に叩きつけた瞬間、接近してきた。
「ひぅ…!」
ノーモーションからのアサルトアーマーを貰いAPが大きく削れるアンビエント。
全身を粗雑な注射針で刺されるような痛みにリリウムは顔を歪めた。
『ぐ…済まない、撤退する』
機体構成上、先ほどのネクスト戦で一番ダメージを負っていたフィードバックは先に限界を迎えたようだ。
『リリウム、距離を離せ!あれの動きは尋常ではないぞ!』
「はい!」
言われて後ろに下がるが、ジグザグと…あれはもしかしてクイックブーストなのだろうか。
少なくとも自分には瞬間移動としか思えないような動きで射線に入らぬように接近してくる。
『ぐっ…!!信じられないわ…中の人、死ぬわよ』
ガトリングをばら撒いくその俊敏な巨人は時々放たれた弾を追い抜きさえしている。
しかもそのガトリングもさっき数発掠めただけなのにAPがごっそり持っていかれている。一発一発がアンビエントの持つ突撃型ライフルと同等の威力があるかもしれない。
『くあっ…!』
PAのない今がチャンス、と斬りかかったルーラーが身の丈ほどもあるレーザーライフルでぶん殴られる。
肺の中の息が残さず漏れる音と共に奇怪な声が聞こえた。
「なぜ!?」
弾丸に追いつくような加速をして。
凶悪なライフルのような弾を信じられないような勢いで撃ち続けながら。
なぜ中身が無事なのか。
『無事ではない!あれは一度乗れば生きては帰れん。そういう機体だ。だから今は逃げてればよい!』
「は、はい!」
王の指示に従い、倒れたルーラーにコジマキャノンを向けるアレサに背を向けると、
『逃がしません』
そこにもアレサがいた。
「あ…れ…」
今後ろにいたのに回り込んできたのか。死ぬ。
化け物。リザイアは無事なのか。
死ぬ。さっきアレサがチャージしてたコジマキャノンが充てんされたままだ。
黒い悪魔が空から迎えにやってきていた。死…
『ぐがっ!!』
「……あ」
空から降りてきたアレフ・ゼロはクイックブーストの推力を全て踵からアレサに叩き込み、
軽業師のようにくるくると空中で幾つものひねりを挟み込みながら着地した。
その回転の瞬間に煌めく青い筋のようなものが光って見えたのは気のせいだろうか。
「ガロア様!…?……ひっ!?」
怪物に襲われているお姫様を助けに来た騎士。
そんな出来過ぎた物語の中心になったような気がして感情を乗せた声をあげた。
が、それは気のせいだとすぐに悟った。
『……』
よく笑う、という感じではなかった。
鈍感だし、少々変わったセンスをしているが、それでも時々ほんのり薄く笑う、
夜に浮かぶ月のような温かい少年だった。
あのホワイトグリント戦を見ても、理知的で優しい面が本当の彼なのだろうと信じていた。
いや、信じていたかったのかもしれない。
だが、今目の前で自分に背を向ける機体から吹き付ける黄泉の風のような排熱は、もう記憶の中のガロアがいないことを教えてくれる。
だらりと力を抜いて敵の前に立つその姿はたんぽぽの綿毛が散る程度の風で掻き消えてしまいそうなほど存在感が薄い。
これではまるで…
『三機とも、撤退しろ』
「いや、まだリリウムは大丈夫です!」
どろどろと抑えられずに漏れ出てくる不吉な比喩が唐突にアレフ・ゼロのオペレーターからの通信によりかき消された。
『まだやれるわ』
『……』
どこをどう考えたって四機で袋にした方が勝率が高いに決まっている。
しかし、戦いを続けると言いながらも心の底では不吉な矛盾に気づいているかのようにしこりがあるし、王は撤退勧告をただ黙して聞いている。
『違う。巻き込まれて死にたくないなら消えろという意味だ』
「……!」
ガロアを一番近くで見て一番知っているはずのオペレーターからのその言葉は、リリウムの嫌な予感の決定的な裏付けとなった。
世間の評価は間違っていなかった。救援に来てくれたというのにまるで心は救われていない。
遂にガロアは怪物となってしまったのだ。全てを焼き尽くす暴力の塊に。
『リリウム、退くぞ』
「…はい」
『任せるわ、アレフ・ゼロ』
尾を引くような白い線を残しながら飛び去るアンビエントに連なって残りの二機も空の彼方へ消えていった。
『……』
「…悪魔は地面を割って這い出てくるものですよ」
口がきけないのは知っている。派手な戦闘をするタイプでないのも分かっている。
なのに、目の前にいるというのにこの存在感の薄さは何だ?
嵐の前の静けさのようだった。
『……』
「オールドキングを倒してきたんですよね?一応お礼を…は?」
どうせ言葉を交わせないのだから会話を切るという概念もあるまい、とガトリングを構えようとした瞬間に右腕がピクリとも動かないことに気がついた。
『……』
「え…?」
柳の下の幽霊のように動かないアレフ・ゼロの前でアレサも微動だにしていない。
一見どちらも動いていないだけのように見えるが…。
(ガトリングが…腕の関節が切れてる…)
肘関節と肩関節にうっすらと赤い線が入っており、見た目はおぼろげながらもそれは内部で深刻な破壊を起こしていた。
(う…砲門が全部斬られている…?!)
連射銃に相応しくない大きさの五つある砲門全てが斬られている。
ただそれだけでなく切断面が一致していないのだ。直線で斬られていない。
五つの砲門全てがそれぞれ切り付けられ不揃いな竹やりを束ねたかのようになっていた。
(…とんでもない…)
何よりも背筋を凍らすのが、斬られたことをこの瞬間まで気取れなかったという事だ。
ガトリングはともかく腕まで斬られているのに痛みも感触も無かった。
それはつまり…
(気づかないうちに死ぬことになる…のか…)
斬られても気付かないのなら気付かないうちに生身を貫かれあの世にいるということもあり得る。
(距離を…!!!)
冷え切った頭でとにかく距離を取らなければヤバいと判断し後ろにクイックブーストを吹かしたほんの100分の1秒後にアレサがいた場所をブレードが焦がしていた。
『……、…』
(見えない…心が冷えてる…これでは…)
ハリの特異な才能。
それはごく僅かな時間にAMS適性が10倍以上に跳ね上がるという事だった。
元のAMS適性もそれなりに高い方だったが、その能力が発動した後のハリのクーラスナヤの動きは正しく前人未到の境界を突破していた。
ただし、その状態に至るには二つある条件のどちらかを満たさなければならない。
『……』
「くっ!」
弾けたフラッシュロケットに目を焼かれながらも辛うじてグレネードを躱す。
先ほどから体中を伝う汗は氷水のように冷たい。
ハリの能力解放条件の一つ。それは感情の高揚。
意識的、無意識的に関わらず感情が昂ぶると常人とは比べ物にならない量のエンドルフィンが分泌され多幸感、高揚感と共にAMS適性が跳ね上がる。
オーダーマッチの前はわざとハイになるために雄たけびをあげながら腕をぶん回していたりしたため、一部では二重人格なのではと言われていたほどだ。
だが、その状態になった自分は無敵だった。ネクストに乗らなければこの高揚も能力も知ることは無かっただろう。
そしてもう一つの発動条件。
(…この際だ…仕方ない!)
『……』
わざと浅く避け既に使い物にならなくなっていた右腕を斬らせた。
「ぐあぅ!!…う…ぅ…ぅあ…あ、ああ」
多少後ろに下がっていた分、切断には至らなかったが、目の前に紫電が弾け熱と痛みを限界まで押し固めたような苦痛が流れ込んでくる。
『……』
「あ…あ、は。…た…きた…」
大げさによろめきながら呟く。
この方法はやっぱり嫌いだ。
でも、でも、湧き上がる感情がもう…
「キタアアアアアアアア゙アアアアアア!!!」
痛みが完全に遮断され丸太を手足に縛りつけられているかのような重みを感じていた四肢が空気の抵抗すら感じないかのように動きだす。
「いくぞああああああああ!!!」
『…!』
砂を蹴り上げ隠れたところに突進しアサルトアーマーを叩き込む。当たった。
「なんだぁ!?やっぱそこにいんじゃねえか!!コケオドシ野郎がよおおおお!?」
もう一つの条件。
それは痛みを受けアドレナリンを分泌させることにより、痛覚を麻痺させるとともに大量のエンドルフィンを相乗させ分泌すること。
常人の数倍の量で分泌されるアドレナリンとエンドルフィンの効果により溢れる多幸感を受けながら痛みを完全に遮断する。
さらに副作用により感情が天井知らずに爆発し、跳ね上がるAMS適性によってハリは恐れを知らぬ最強の戦士となる。
ただし、その効果もって三分。
しかし今までその三分間を耐え抜いた敵などいなかった。
ましてこの機体ならば!
「楽しいだろおぁ!?ヴェデット君よおおおおおお!!」
動かぬ右腕を柱をぶん回すように遠心力で叩きつける。
『……』
が、砂煙をあげるのは吹き飛んだ黒い機体ではなく不恰好な野菜のように斬られた巨大ガトリングの残骸とこちらへ突進してくるアレフ・ゼロであった。
「バカが!!舐めるな!!」
目の前に突進してきた小兵に対し煮えたぎる怒りを込めながら前方にクイックブーストを吹かした。
『!!』
避けるのではなくぶつかってくるのは予想外だったのか、アレフ・ゼロはまともにぶちかましを喰らい無様に砂地に背をつける。
質量と推力の違いがもろにあらわれておりアレサは全くバランスを崩さぬままレーザーライフルを構える。
『……』
「かっこつけてんじゃあ…ねぇ!!」
レーザーライフルを発射した瞬間にまたもや右腕を振り回し、今度は右側から斬りかかってきていたアレフ・ゼロに直撃させる。
ゴガン、という響きがアレフ・ゼロの装甲を傷つけた音だと思うと溢れ出る愉悦が止まらなかった。
「喚け!泣け!!テメェはここで死ぬんだよおぉおおお!!!」
『……』
コジマキャノンをチャージし始めたアレサにしかしアレフ・ゼロは冷静にマシンガンを当てチャージを中断させながら体勢を整える。
「そんな鼻くそみてえな攻撃でえええええ!!すかしてんじゃねえぞおお!!!」
嫉妬に塗れながら爪を噛み、何度も見たアレフ・ゼロの戦闘ビデオ。
あの映像と寸分違わぬ速度の跳び蹴りに対応し脚を突き出す。
重量の差は明確で、アレフ・ゼロは一方的に吹き飛んだ。
『…!!!』
なだらかな砂丘に巨大な人型の跡をつけながら転がっていく。
あんなみっともない奴にさっきまでビビっていたなんて自分で自分が情けない。
「これでも俺に勝つってのかゴミ虫が!!」
今攻撃を畳みかければ勝てる。冷静な部分ではそれが理解できている。
だが、なんとしてもこいつだけは屈服させたい。
『……』
転がる勢いを利用してひらりと立ち上がるアレフ・ゼロ。
その姿は先ほどのように朧ではないが、勝利の意志が見えている。
蒼いブレードを起動させ再度格闘戦をしかけようとしている。
そしてそんなリンクスとして尊敬を覚えてしまう様な純な姿がさらにハリの嫉妬と怒りを煽った。
「そういうところがムカつくんだよおおおおおお!!!!てめえええのおおおおおお!!……お?」
ハエみたいに!何度まとわりついてきても無駄だ。吹き飛ばしてやる、と思い突進を開始した瞬間にふと気が付く。
右手に持っている武器が違う。あれはなんだ?マシンガンは??
ちらりと先ほどアレフ・ゼロが転がっていた跡を見ると確かに砂地にマシンガンが落ちていた。
まるで手品師だ。その意味が分からないが。
と、ほんの三分の一秒の間だけ、謎に頭を傾げながらも目を戻した瞬間、手に持っていたそれ…元々はアレフ・ゼロの右肩についていたロケットが弾倉ごと投げつけられた。
ハリが何かを考える前にアレサは強烈な爆発に巻き込まれた。
「ご…お…あ…」
最初にアレサが作り出したクレーターにも勝る程の大穴が出来ていた。
その中心でアレサはあちこちで電流を奔らせながら跪く。
投げ飛ばしたロケットの弾倉にグレネードを当て、残りのロケット分の大爆発を一度に起こす。
言葉にしてみれば簡単だが、それを目の前でやれてその意図まで正確に読み取れるものがいるだろうか。
自分には無理だったし、どんな攻撃が来てもアレフ・ゼロの攻撃一発では沈まないという自信の元に突進していた状態では物理的に回避不可能だった。
「あぐ…お…」
目の前で広がる爆発の光に目は焼かれ、無数の羽虫が頭の中に入ってしまったかのように耳がうわんうわんと鳴っている。
馬鹿でかいレーザーライフルを盾にしてなんとか生きてはいるがそれでもアレサでなかったら木っ端みじんになっていただろう。
『……』
揺らぐ視界の中で黒い影がクレーターの外に降り立ちゆっくりと近づいてくる。
どちらも意図してやった訳ではないが、歩み寄ってくるアレフ・ゼロに跪いてるこの状況はこれ以上ないくらい明確に実力差を示しているかのようだった。
「上等だあああああああ!!」
もう左腕も動かない。
関係ない。アサルトアーマーがある。体格でも勝ってる。
痛みは無いながらもがくつく膝を打ち、立ち上がろうとしたその瞬間。
ぷちん
「…い…痛っ…」
時間切れだ。声も挙げられない程の激痛が身体中を襲う。
両腕を肩から切断されそこに錆びた鉄棒をぶち込まれたかのような焼ける痛みに息がまともに出来ない。
でもそんなことよりも。
「ぐ…ぅ…」
頭が痛い。脳の内側から細長い虫が食い散らかしている、何かが頭の中で暴れているようだった。
「あ…あれ…」
顔を覆うように頭を押さえるとぬるりと奇妙な感触がした。
「そうか…私は…」
目からどろどろと血が溢れている。
耳鳴りは先ほどから全く止まず、外耳に触るとどす黒い緑色の液体が漏れ出ていた。
勝敗如何に関わらず、この機体に乗れば死ぬんだった。そうだった。
『……』
「でも…勝ちたかった…」
頭を掴まれ持ち上げられる。
当然こちらの方が大きいので浮かせることは出来ず、膝立ちとなるがコアを斬りつけるのには十分だろう。
(自爆機能が付いていないのか)
実験機であり、元より乗った者は死の運命から逃れられぬこの機体にそんな気の利いた物はついていなかった。
真っ赤な視界の中でさらに紅い眼がこちらを見てくる。
ああ、それなのに、こいつは自分を見ていない。
『……』
(!そうか…)
存在感が希薄だったのは弱った生命力からというよりは、蝶になる前の蛹のように魂に全く動きがなかったからだ。
今、その殻にひびが入った。嵐の前の静けさという表現は間違いでは無かったのだ。
(悪…本物の悪魔じゃないですか、あなた)
そこから覗くなにかは既に人間でも生き物でも無い。既に人間性は食い尽くされ、ただの荒れ狂う暴力そのものとなっている。
ハリはその姿にガロアがこれから辿る結末を見た。そしてその結末を念頭において今一度いままでのガロアの戦いを振り返ると、あまりにも最悪。
ただただ戦禍を広げ死者を増やしているだけだった。
(あなたが壊れるのが楽しみです)
振りかぶられたブレードはコアに近づくにつれて速度を落としゆっくりゆっくりと近づいているように見えた。
走馬灯が駆け抜ける。記憶を、経験を探ってももうここから助かる方法は無い。
「こっちに来るのを…楽しみにしていますよ…」
ハリは紅い眼が自分を見つめる中、死に際の恐怖を満漢全席を味わうほどの時間をかけてゆっくり刻まれながら死亡した。