Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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あらしのよるに

ザーッ…

 

カラード管轄街も数年に一度レベルの土砂降りに襲われていた。叩きつけるような雨と風の中で出歩くような物好きはそういない。

夜22時半、街灯に照らされた黒髪を雨に濡らしながらセレンはようやく帰宅した。

マンションのエントランスで傘を閉じて数秒ほど立ち止まり意を決したようにまた歩き出す。

 

今回のカラードの作戦を事前に察知しホワイト・グリントを撃破しただけであり、裏切りでは無い。

それを企業連に説明するときにオッツダルヴァも口利きをしてくれたのは甚だ意外だったが助かった。

100%憎悪からの行動だと誰もが分かってはいても、企業連は損をした訳でもなく(むしろ得をしている)、結局その処罰は無期限の戦闘禁止という寛大極まる処置で終わった。

企業が総力をあげてラインアークを潰しに行くよりも、一人の独立傭兵の逸脱行為という事にしておいた方が遥かに民衆からの反感は抑えられる。

ガロアは誰もやりたがらない汚れ仕事を進んで引き受けて、その恨みを一身に背負ったことになる。

 

罰を与えるにしても放逐した結果、敵対企業やテロ組織に抱え込まれては堪らないし、

既にカラードの主戦力として数えられるガロアをこのまま殺処分したり戦闘に永遠に出さないということも有り得ない。

結局、パワーバランスを保つというカラードの建前上謹慎という形になったのだ。

ほとぼりが冷めた頃にまた何事も無かったかのように依頼が来るようになるだろう。

それが1週間後か、1か月後か、あるいは1年後かはわからない。

 

だが、今のガロアにはゆっくり休む時間が何よりも必要だと考えていたセレンにとってその戦闘禁止及び謹慎はむしろありがたかった。

 

髪の先から水滴を滴らせながら25階でエレベータを降りて扉の前に立つ。

 

「……」

ポケットからキーをとって鍵を開ける。普段なら2秒もかからない動作にたっぷり10秒も時間をかけて扉を開ける。

自宅なのに。戸惑っているのだろう。

 

「……ガロア?いないのか?」

いないはずがない。この重く沈み込んだ雰囲気。

だが明かりが点いていないのは何故だろうか。あまり考えられないがもう寝ているという可能性もある。

 

ザーッ…

 

「……」

後ろ手に扉を閉めると、静かな部屋に反響するように、急に雨音が激しく聞こえるようになった。

 

廊下を歩くとびちゃびちゃと音が立つ。ストッキングも雨に濡れてしまったようで、玄関口の薄橙の頼りない灯りが浮かび上がらせる足跡からは歩幅が狭くなっていることが分かる。

 

「……」

リビングに続く扉を開けてもやはり明かりは点いておらず誰もいない。

左手に行けば自分の部屋、右手に行けばガロアの部屋。

濡れた服を着替えることもせずに当然のようにガロアの部屋を覗いた。

 

「……?」

人の気配はするが何もいない。机とベッド以外には何もない。

殺風景なその部屋はガロアの空虚な心が外に出てしまったかのよう。

およそ子供らしい趣味も付き合いも一切持つことなく力だけに執着したということが如実に表れている部屋だった。

 

カッ、と稲光が部屋の中を照らし遅れて雷鳴が轟いた。

 

「!」

その一瞬にカーテンに遮られたベランダから人影が見えた。

 

「ガロア!?何やっているんだ馬鹿野郎!」

カーテンを退けて掃き出し窓を開くとそこには余すところなくびしょ濡れとなったガロアがいた。

 

「……」

 

「風邪……肺炎なんかになったらどうするんだ!」

無言でいるのは常の事だが今のガロアが纏う枯れ尾花よりも希薄な空気は、下手な幽霊よりも余程幽霊じみている。

 

「……」

 

がっ 

 

「…あっ」

手を思い切り引いて部屋の中に入った時にガロアが段差にけっつまずいた。

出会ったばかりのあの頃ならいざ知らず、鍛え上げられ鋭敏に磨き上げられたガロアが今更そんなものにつまずくとは思えない。

それだけ弱っているのか。雨に打たれて身体を、命を手放そうとしてしまっていたのか。

 

「……」

だがそんな憶測よりもこの現実の方が大事だ。

 

(押し倒された…?)

右手を引いていたのに、気が付けば両手が頭上で押さえられてベッドの上にいる。

両手を横切る様に右腕が乗せられて体重をかけられており動くことが出来ない。

そんなまさか、と思った。三年間一緒にいてそんな雰囲気になることすらなかったのだ。

自分に対する異性としての興味も、そういう欲自体もない人間だと思っていたのに。

そう思っている間にガロアの空いていた左手が万力のような力で上着を引き千切っていった。

糸が切れる音、布が裂ける音が暗く物の無い部屋に響く。

 

「…え…っ、…」

晒された素肌に滴る水滴が身体を震わせる。

再び空いたその手でこれからどうするつもりなんだ、と聞く必要も無いだろう。

 

「……」

 

「……」

上に圧し掛かったガロアの顔は見えない。明かりも無く、微かに窓から入る明かりも逆光となってしまっている。

それでももう明らかだ。自分を犯そうとしている。

 

(冷たい…)

ぱたぱたと垂れてくる水滴はベッドをもぐしょぐしょに濡らして冷やしている。

だがそれ以上に押さえつけている腕の冷たさは際立っていた。

雨に濡れて帰ってきた自分の身体が温いと錯覚してしまうぐらいには。

空虚な心、冷たい身体。どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか。この八年間の執念の拠り所を破壊したことによる欠如。

全てのやり場をなくしてしまっているのだろう。

 

(大きくなったな…)

最初に出会った時から随分と大きくなったのに今が一番弱弱しい。

この三年間の幸せだった記憶が頭に巡る。それはガロアの成長の記録でもあった。そう、自分はその間ずっと幸せだったのだ。

冷たいガロアの身体とは逆に、力で勝る相手に組み敷かれている恐怖とその相手がガロアであるという後ろ暗い小さな喜びがセレンの下腹をじんと熱くした。

無論、力で押さえつけられているとはいえ、ここから返す術はいくらでもある。

だがセレンはあえて今の状況を変えようとはしなかった。ざぁざぁと響く音が天と地を繋ぐ雨のものであるように、ガロアから滴るこの水が自分達の心も身体も繋げようとしているように思えた。

 

「……」

 

「いいよ…どうしたいんだ…?」

向かう先のなくなった全て、そのやり場が自分の身体だとしても、例え貪るように求められたとしても。

目的をなくした迷子となってしまったガロアがいつかまた真っ直ぐ歩けるようになるのならそれでいい。

その相手が、自分とずっと一緒にいたガロアなら構わなかった。

なんだろう、本当はこうやって抱かれたかったし抱きしめてやりたかったのかもしれない。

 

「……」

しかし、ガロアは動かない。電池が切れてしまったかのように沈黙していた。

 

(…そうか)

年を考えて遡れば分かることだが、ガロアの育て親が死んだのは恐らくガロアがまだ10歳の頃。

それから学校にも行かずに人のいない場所で一人で生きて、14の時にいきなりインテリオル管轄街に来たのだ。

恐らくは、まともな性教育など受けていないだろうし、ちゃんとした性知識などあるかどうかも怪しい。

書物や人から断片的に得られる知識があったとしてもその知識は朧すぎて、どこからどうしていいのかも分かっていないに違いない。

ましてやいきなり女を押し倒し服を引き千切るなんて無法から入ってしまっているのだから、なおのこと分からないだろう。

その時だった。

 

「…!」

偶然、ガロアの鼻筋を伝った水滴が僅かに開かれたセレンの口の中へと入っていった。

 

後に起こる全ての事を鑑みれば、そのたった一つの偶然こそが天の悪意だったのかもしれない。

 

「泣い…ているのか?ガロア…」

ただの雨水と言うにはその水滴は塩からかった。

圧し掛かったガロアからどぐん、と心臓が胸を突き破る程に跳ねる音が聞こえた。

 

「…!!」

 

「ガロア!!」

その言葉を発したとたん、ガロアは自分を置いて玄関へと走って行った。

 

「どこへ行くんだ!」

 

そっとしておいた方がいいかも、とか今は下着だけになってしまっているからとか、そんな聞こえのいい言い訳は全部かなぐり捨ててその背中を追いかけるべきだった。

言うべきだったのだ。そんなことはどうだっていいから一緒にいると、心の底から思っていた事を。抱きしめてやるべきだったのだ。本当の欲求に素直に従って。

 

その後悔がこれからセレンの心を重く永く、支配することになる。

 

 

 

 

歩いて何がある?

もう行き詰まりだろう。 

目標も、生きがいも、全て今日この手で壊したというのに。

 

無意味に戦い生き続けてこれ以上何があると言うのか。

 

俺を救い上げてくれる蜘蛛の糸でもあるというのか。仮にあったとしてももう自分にはその価値がない。

 

俺は何をしようとした?

自分を拾ってここまで育ててくれたセレンさえも裏切ろうとしたのか。

 

「……」

セレンが自分を受け入れてくれたことが嬉しくて、怖かった。

受け入れてもらう価値など無かったというのに。

何をやっているのだと、頬の一つでも張ってもらったほうがまだよかった。

 

「……」

人のせいにしている。

自分が悪いのに。

どこから、どうして自分は悪だったのだろう。

父を奪った人間を憎むことがダメだったのだとしたら、憎んだ自分自体そもそもが悪だったのだろうか。

生まれた時から。

 

(…俺が悪い…俺が…俺が…)

もう、どこにも行けない。

帰る場所も無い。

 

 

 

ザーッ…

 

 

誰一人外にいない大雨の夜、ビルに挟まれた裏路地でガロアは歩みを止めた。

このまま酸性の雨が身体も心も溶かしてしまえばいいのに。そう思って。

その場で膝をつき動くのも止めようとした時、後ろから声がかけられた。

今日、自分の運命は決定的に変わる。自分が変えていく運命というものから世界の流れによってどうしても逆らえない運命という物に。

その声を聞いた瞬間にガロアは確信していた。

 

 

 

「ガロア…」

どこから入り、どのようにしてガロアの場所を見つけたのか。

三年前にガロアをリンクスの世界に連れてきた男、ロラン・アンドレヴィッチ・オレニコフだった。

爛れた肌と顔を濡らすこの男もまた傘も差していない。

 

「……」

 

「生きて生きて…生き延びて…見た世界はどうだった…」

言葉を話せないガロアにその質問をしてまともに返ってくるはずがない。

だが、その表情は十分に感想を語っていた。

 

(…ガロアも…結局壊されちまった…この世界に…)

三年前よりも遥かに大きくなったその身体。

だが、その身に宿っていた焦げ付くほどの決意はもう見えない。

 

「ガロア…」

 

「……」

 

「ガロア…」

地面にへたり込んだまま動かないガロアの目線の高さまでしゃがみその眼を見る。

叩きつけるような雨で垂れた髪がかかってほとんど眼は見えないが、涙が溢れていることが分かる。

 

「俺には…お前の気持ちが分かるぞ…」

 

「……」

 

「分かるんだ、ガロア…いちっ、一度でも…」

 

「……」

 

「なっ、失くして、しまうと…」

あれっ、と自分の頬を伝う物に気が付いて思う。

後ろから刺して復讐を遂げるという道を辿ったガロアの様子を見に来たつもりだった。

その様子次第では引き込んで利用しようとすら思っていた。

だがロランは、その壊れた姿に在りし日の自分を重ねていた。

もう縋る物さえも無くなり闇に身を堕としたその姿は過去の自分だった。

しがみ付いて生きている運命は殺人兵器の自分という部分、それのみ。唐突に、未来の希望も幸福も全てが一度に灰と炭になったあの日を思いだした。

 

あんなにも強かったのに、取り巻く現実には勝てなかった。自分も、ガロアも。

 

「もう…戻れない、ん、だよな…あ、…あ、あ…う…あ…ガロア…あぁあ…俺は……あああ…」

冷えた身体を雨に打たせて小さな子供のように泣きじゃくるガロアを抱きしめながらロランは嗚咽を漏らしながら泣いた。

 

ただその身体を抱きしめてその存在を肯定する事。

その相手が天使であれ悪魔であれ、それが今のガロアには一番必要な事だった。

 

「う…ああ、お…うあ…ああああ、…うぉおあぁ…、あっ…うっ…」

 

「……」

 

「おっ俺、…俺たちは…なぜ選ばれた…?何故力があった…」

目の前のガロアの眼から光が消え、ガロアを何も無い0の子供からここまでのリンクスに育てた化け物染みた精神力が、冷たい雨に晒され夜の街の闇へと解き放たれて行くのが見えた。

分かるよ。俺もそうだった。奪われ尽くして力だけが残ると、どっちが自分だかも分からなくなるんだよな。

 

「……」

 

「うっ、ただ…ただ不幸を生み出して…ああ…不幸になっていくだけだというのに…分かるんだ……俺たちは…本当はただ……ただ…」

自分の半分も生きていない子供を捕まえて何を言っているというのか。

ただ、今のガロアなら答えをくれなくても理解してくれるのではないか、そう思えた。

 

「もう…もう…終わりにしよう、ガロア…こんな世界は……もう、戻れないから…もう、耐えられないから…」

ああ、ガロアが飲みこまれた。失意と絶望に。

そうだろう、ガロア。力はあるのにそれだけで、世界は俺たちを虐げるばかりだよな。

 

 

 

 

(ロランはこの世界が好き?)

 

(君がいるから好きだ)

 

その言葉に嘘はなかった。心からの言葉だった。君がいるからこの世界が大好きだった。

なのに今、自分は望んでもいなかった力にしがみ付いてこの世界をたださまようだけの存在だよ。

 

一人ぼっちになっても、止まない鼓動、止まない愛、止まない傷。

いっそのことこの愛も記憶も忘れられたら楽だったろうに。

 

 

止まない雨。

 

 

ガロアがこうなることは本当は最初から分かっていたのかもしれない。

あの年で父を失って本当の本当に一人ぼっちになった子供の心が壊れないはずがない。

ガロアはただ誤魔化していただけだ。燃え上がる怒り、それのみによって。

もう耐えられなかった。何も無いこの現実も、ガロアを破壊したこの世界にも。

 

「この世界が俺たちを見捨てるのなら…俺たちも…この世界を…」

 

「………………………、……」

 

 

そしてガロア・A・ヴェデットはカラードから姿を消した。




俺たちは本当はただ




なんだったのでしょうか。

どうすればこうならなかったのか、その根本的な原因を考えれば簡単なのですが、わかったところでもう戻ることは出来ません。

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