Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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人の進化

ソフィー・スティルチェスは幸運な少女だった。少なくとも自分ではそう思っていた。

孤児院で育ちながらも類希なる頭脳のお陰で国から奨学金を受けて大学に行くことが出来たし、

国家解体戦争で国という概念が無くなってからもその才能を見込まれてメガコングロマリットの一つ、レイレナードに研究員として拾われた。

 

ただ、なんだかついていないなーと思うのがカリフォルニアから遠く離れたグルジアという国の最南端にあるド田舎の研究所まで飛ばされたかと思えば、誰もいない部屋で二時間も待たされていることである。

大学からずっと着ている白衣もしっかりクリーニングに出してピシッと決めてきたのに最初からこれでは先が思いやられる。

本当に国家解体戦争で一番の活躍した企業なのだろうか。

 

「……外に出ちゃダメかな…」

とにかく暇。窓から見える外の風景はただただ草原ばかり。

オフの日とかはどう暇を潰すのだろう、と頭の中が暇で一杯になり五分後。

部屋の外に出る決意をした。

 

「……」

キィ、と遠慮がちに音をたてながら扉を開き暫く歩く。

向こうに曲がったら確か出口のはずだ。人と会うはずなのに出ても仕方がないだろう、と施設の奥に入る道を行く。

 

「あ」

 

「ん?何か?」

歩いていると同じく白衣を着た男性とすれ違った。着こなし具合から見て相当ここでの生活は長いのだろう。

 

「あの…ヴェデット博士を知りませんか?今日会う予定なのですが」

相当優れた学者だと聞いていたからそれなりに有名なはず。

聞けばすぐに分かるだろうと思ったが帰ってきたのは微妙な答え。

 

「ヴェデット…?いや、知らんね」

 

「あれ?」

 

「そんなに職員は多くないから…全員の名前を把握しているつもりなんだが」

 

「?ガブリエル・アルメニア・ヴェデット博士です。ここにはいないと?」

 

「新しく入ってきた人かもしれんね。二日前に入ってきた人がいるんだが…みんなドクター・ジラフと呼んでいるんだ。名前が分からない人といえばその人だけだからな」

 

「ジラフ?」

 

「見ればわかるよ。おっ…といかん。まだ休憩時間じゃないからね、すまんね」

 

「あ…」

結局有効な情報を何も得られないままヨレヨレ白衣の男性は去ってしまう。

そういえば自分もここで働くという事ならば挨拶くらいはしておいた方が良かったかもしれない。

 

「もう…人の事散々待たせて…。それにしてもジラフって…」

昔図鑑で見た記憶がある。かつて地上にいた最も背の高い哺乳類だろう。

あんな動物が地上にいた事など信じられないが、そういうあだ名がつくということは相当背の高い人物なのだろうか。

 

と、思っていたらとんでもなく背の高い男性が自販機の前で飲み物を買っている場面に出くわした。

 

(こ、この人だ!!絶対この人がドクター・ジラフだ!!)

 

「?見学かい?あれ?この研究所は見学オッケーだったのかな…」

自分より頭二つは大きい。2m10…いや、もっとあるかもしれない。

天井に頭が届いてしまっている。

 

(巨人症!?いや、顔にその特徴が表れていない。アフリカの背が高い部族とか?いや…白人だ…)

ひょろ~ん、としたその男は黒めの茶髪にブラウンのたれ目、やや鼻が高すぎる気もするが、顎も額も出ておらず、顔だけ見れば普通だし太っている訳でもない。

だが、異様に高いその身長はなるほど、ジラフと呼ばれるだけある。威圧感があまりないのは長いまつ毛のおかげだろうか。

 

「えーと、君どこから来たの?」

 

「あ、あの…」

思い切り首を上に向けながら声をかける。そんな経験初めてだ。

 

「どうしたのかな?」

 

「ヴェデット博士ですか…?」

 

「そうだよ。よくわかったね?」

とうとうヴェデット博士は前かがみになってしまった。

大人にこうやって膝を曲げて話しかけられるのは何年振りだろう。

 

「私、ソフィー・スティルチェスです…」

 

 

 

「え!!?は!!?」

ガブリエルは大層驚いた。

自分の異動と共に母校のカリフォルニア大学から研究員として一人女性が来る、とは聞いていた。

さて、どんな女性だろう。美人だったらいいな、とのんきに思っていたら確かに美人だがまだ子供だ。

 

「あの…待ち合わせの時間…13時って聞いていたんですけど…」

 

「あれ!?3時じゃなかったっけ!?ご、ごめんよ。というか君がソフィー?カリフォルニア大学から?」

 

「そうです」

 

「ご、ごめん、聞き間違えたのかな…だって君…」

 

「ええ、17です」

 

「はぁー…」

考えていることをずばり言い当てた、と言うよりは自分のような反応をする者が大半だったのだろう。

大学に行かずに二年間遊び、大学に入った後も一回留年した自分からすると飛び級なんて夢のまた夢だ。

 

(い、いるもんだなぁ…)

天才美少女科学者なんていうのは空想の中だけの存在かと思っていた。

緩やかなウェーブのかかった赤い癖毛に加えて灰色の目は優しげな二重で覆われており、可愛らしい鼻の頭はアクセントのように赤くなっていてほんの少し散りばめられたそばかすがお茶目だ。

全体的に文句の無い美少女だというのに更に頭までいいときたか。言われてみれば白衣がよく似合っている。

現在33歳の自分と倍近く年齢が違うというのに少しドキッとしてしまった自分が情けない。

これまで遊んでいる割には女性経験が無かったから免疫がないことは仕方がないと言えば仕方ないのだがこれは犯罪的ではないか。

 

「あの、でっかいですね…」

 

「ん?ああ、221cmあるんだ。皆僕の事は見上げてくるよ。はっはっは…って…ん?君も女性にしては…」

大げさに笑いながらふと気が付く。

出会う人出会う人みんな見下ろしているから中々気が付かないが、この少女、かなり背が高いのではないか?

白衣が似合っていると言ったが、着こなしていると言った方がいい。すらりと伸びた脚が見えており、背丈で考えればどう見ても少女では無い。

 

「一応、180cmあります。大学でも大人に交じってバスケットやっていました」

 

「はぇー…」

 

「あの…戻った方がいいんじゃ…」

 

「あっ、あ、そうだね。でも何するか聞いていないんだよね…。あっ、君も何か飲むかい」

 

「じゃあ一つお願いします」

おろおろしっぱなしのガブリエルに対しソフィーはだいぶ落ち着いていた。

ガブリエルはその大人びた様子にまたまたドキッとしていたが今度は顔には出さなかった。

 

 

 

元の部屋に戻ってさらに二時間。

結局何も始まらない。

ただここで待て、と指示があっただけなのでひたすら待つ…と言っても人形のようにぼーっとしていても仕方がないのでどちらともなく話すようになっていた。

 

「リンクスだったんですか?」

 

「そう。オリジナルリンクスNo.23はミッシングになっていただろう?国家解体戦争終わってすぐに辞めちゃったからね」

 

「何故…?」

 

「何故って?」

ガブリエルの頭に思い浮かんだ答えは二つあったが、どういう質問なのか今一つ分からないため聞き返す。

 

「何故リンクスになったんですか?」

 

「ああ…別になりたいからなろうとした訳では無くてね…。考えてみれば分かると思うけど、AMS適性を持つ人をどうやって探す?」

 

「え?それは…ああ、そうか。そうですね」

 

「そう。まずは会社に関係ある人物から検査していくだろう。最初は私兵から。次はお抱えの研究者や社員かね。僕はレイレナードの研究員だったからね。AMS適性があってそのままリンクスになったのさ」

 

「でもどうして辞めちゃったんですか?」

 

「僕はね、混沌極まる世界をいったんやり直して富を再分配しなおす、という考えに共感して協力しだけなんだ。それ以降の企業同士の小競り合いに参加するつもりは無かったからね。それに…」

 

「それに?」

 

「コックピットが狭くてねぇ!はっはっは!好きになれなかったのさ!」

 

「ふふっ」

優れた学者という話だったがそれを鼻にかけるような様子もなく、

とんでもなく背が高いというのに威圧感も無いこの人物にソフィーは素直に好感を抱いていた。

少々ギークっぽいが高慢な学者なんかよりはよっぽどいい。ただ、この人が戦場で戦う様はあんまり想像できないが。

 

「君は…アメリカ人じゃないな?その背の高さ…髪と目の色は…オランダか」

 

「そうです。出身はオランダだと思います」

 

「思う?」

どこからどう見てもオランダ人じゃないか、しかも今そうだと言ったじゃないか、と思ってガブリエルは怪訝な顔をした。

 

「孤児だったので。国から奨学金と援助を受けてカリフォルニア大学に14歳から通っていたので国が無くなった時は驚きました」

 

「あぁ…」

17歳でレイレナードの研究所に来るなど並大抵ではないと思っていたが、なるほど。

14歳から大学生とは半端ではない。自分など14歳のころは学校をさぼってエロ本を買い漁っていたのに、とガブリエルはしょうもない感動をしていた。

 

「レイレナードに拾われたのは幸運でした。でなければ今頃肉体労働かゴミ漁りか…いや…もしかしたら。…そういえば…10歳の女の子も大学にいたけれど…どうしたのかな…」

 

「んー…まぁ天才児なら企業が拾ってくれると思うよ。それに国家解体戦争では軍関係者以外はあまり死人は出ていない訳だし」

 

「だといいんですけれど…。ヴェデット博士は何の研究を?」

 

「脳科学だよ。特にAMSについて新しい論文を書いたばかりでね…」

 

「あれ?私は遺伝子工学の分野を研究していたのですが…この研究所って一体…」

 

沈黙を保っていたスクリーンに突然映像が映し出され、更に部屋の照明が薄暗くなった。

 

『レイモンドだ。久しいな、ガブリエル』

 

「!!」

 

「…?」

ふにゃふにゃとしていた顔を一気に厳しくしたガブリエルを見てソフィーは対照的に疑問を浮かべてぼんやりとしていた。

 

レイモンド、とはまぁその辺によくある名前のはずだ。だがその名はレイレナード所属のリンクスにとっては違う。

ベルリオーズと対をなす、レイレナードお抱えの優秀なオペレーター…と言われている。

奇妙なのがレイレナードのどのリンクスのオペレーターもレイモンドと名乗り、同時に何人もの作戦指揮をしたこともある。

変声機を用いているために男か女か、そもそも実在する人物なのかすら分からない。

分かっているのは機械的に淡々と優れた作戦を指示するということのみだった。

何人もいるか、あるいは作戦指示をする優れたAIだろうと考えられている。

 

『ミッションを説明する』

 

「……馬鹿な…私はもうリンクスではないというのに…」

 

「え?え?」

ソフィーが状況についていけずに戸惑っているとスクリーンの映像がスライドショーとなった。

 

『現在、レイレナードではある研究を進めている』

 

「それが私になんの関係が?」

 

(これは!?)

スライドショーの示す物は、その分野を専門としているものでなければ分からないだろう。

優秀な遺伝子工学博士であるソフィーは一発で理解できた。

 

『きたる戦争へ向けての準備だ』

 

「戦争…?」

 

「博士、ダメッ!!」

クローン、それも完全な人クローンの生成という人類が手を触れてはいけないパンドラの箱だ。

そして戦争という言葉。何を作る気なのかもうソフィーには分かっていた。

 

「!?なんなんだ一体…」

 

『既に我々で27体生成したがどれも使い物にならず処分した。その時に提出されたのが君の論文だった。奇跡的なタイミングの助け舟だ』

 

「処分!?処分って言ったの!?」

 

『まぁ見ろ』

ガブリエルとソフィーは同じことを感じていた。何かとても不穏なことに巻き込まれていると。

そして流れた映像は意外なことに頭の中の想像よりも平和だった。地球圏から脱出しようとするロケットがボボボと光を上げながら高度を上げていく。

だがそろそろ酸素も無くなろうという高度に差し掛かった瞬間、大爆発を起こした。

 

「なんだ…これは…?」

 

『見えるか、あの無数の自律兵器が。アサルト・セルと呼ばれる自律兵器だ。普段は光学迷彩でその姿を隠している』

 

「それが戦争となんの関係があるんですか!!」

警戒範囲に見知らぬ動物が入ってきたネコのように毛を逆立ててソフィーが噛みつくように言葉を吐きだす。

 

『このアサルト・セルは地球を覆うようにして無数に存在する。各企業が敵対企業の宇宙開発を妨害する為だけに無差別に放ち、その結果人類の宇宙への道は閉ざされた。その事実を隠ぺいするため、また、支配権を企業に移すために起こす戦争でようやく企業は手を取り合ったが…遅かったな。もっと早くに協力すべきだった』

 

『国家解体戦争から二か月。既にかつて手を取り合った企業同士でも縺れが出てきている。平和維持等の建前も無い企業は伸び伸びと戦争をしてコジマ粒子をばら撒き、人類は壊死するだろう』

 

「ならば戦争など起こさなければいいじゃないですか」

 

『我々の目的はアサルト・セルの一掃。だがそれは各企業の協力は到底受けられるものでもなければ妨害も必至。罪を受け入れるには企業は大きくなりすぎたのだよ。となればレイレナードに登録されたリンクス五名では戦力不足だ』

 

「私にリンクスに戻れと?」

 

(やっぱり!!)

AMSの研究者と遺伝子工学の博士を集めて何をしようというのか。

人クローンの生成などとは比べ物にならない戦力の確保、リンクスの量産だろう。

 

『いいや。だが着眼点は正しい。現在のリンクス候補生を入れてもまだ足りない。地球の限界までもって50年と我々は考えている。その間に…』

 

「間に?」

 

『君たちにリンクスを作ってもらう。ランク1、ベルリオーズのクローンをな。その理論が確立されれば量産も可能になるだろう』

 

「ふざ…」

ふざけないで、とソフィーが言おうとした瞬間、風を切る音とともに轟音が響き渡った。

 

「ふざけるな!!」

直径5mはあろうかという机がその手で叩き割られていた。

終止ふにゃっとした表情でへらへらと笑っていたその顔には凄まじい怒りが浮かんでおり、ぎりぎりと奥歯が噛みしめられる音も聞こえる。

握りしめられた両の手からは木の破片が突き刺さった部分以外からも血が出ており、その様子にソフィーは胸糞悪くなっていた気分がほんの少しだけ落ち着いた。

 

「あんたらが言う富の再分配も新しい平和もまるでない!!その上新しい戦争の準備!?人クローン!?馬鹿にするのも大概にしろ!!」

 

『……』

 

「今日限りレイレナードを辞めさせていただく」

 

『君もその片棒を担いでしまっているというのは分かっているのだろう?』

 

「…!」

 

『君も戦争に加担した。ここで協力しなくてもいずれ人は大勢死ぬ。だが君が協力すれば…』

 

「ヴェデット博士、行きましょう。こんな戯言に耳を貸す必要は…」

 

『なるほど。ヴェデット博士は確かに替えが利く存在ではないが、君程度の遺伝子工学の知識を持ったものならいくらでもいるし、これからも出てくるだろう。その若さでその才能というのは惜しいが…よかろう。行きたまえ。…それで、どこへ行くと言うのだね?親もいない、身元を引き受ける者もいない君が。コロニーの外で暮らすか?おおかた汚染にやられて死ぬか、レイプされて惨たらしく死ぬかだな』

 

「こ、の…!」

 

「貴様、何てことを…!」

怒りに震えて顔を真っ赤にするソフィーと対照的にガブリエルは顔を青くしていく。

 

『何が違う?われわれの望む形…戦いに特化して作られた人間…デザインド、強化人間もすでにいる。人は兵器なのだ。兵器を操る人もまた』

 

「……」

 

『君の書きあげたAMS適性の発生理論…素晴らしい。だがあれが全てでは無いな?』

 

「!何故…そう思うのです…」

 

『君は優秀だった。優秀すぎたな。逆に行動に怪しさが増した。全ての論文を手書きのみにし、データには保存せず、下書きは燃やす。時には多言語、キーの不明な暗号を交えて要の部分は全て君の頭の中にだけある』

 

『解き明かしたのだろう。AMS適性の全てを』

 

(うそ…!)

完全にランダムと言われていたAMS適性を持つ者達。

それを手に入れる為にどの企業も躍起になって人を捕まえては検査をしていた、というのはもう誰でも知っている話だ。

 

『人類の可能性…だが一方で危険過ぎる。君の研究は…他の研究者や人類の好奇心の先端、希望でもあった。しかし同時に…人の踏みこんではならない領域をも冒した』

 

『想像していたのだろう。これは優生学の暴走を招き、努力では決して覆せない支配階級と新人類の誕生の引き金となり旧人類は隷属化されると』

 

(なんてことを…)

言われてみればその通りだ。もしもAMS適性を持つ者の完全な特定が可能になったら?

30人以下で世界をひっくり返した兵器を操る才能を持つ者とそうでないもの。恐怖と力。

隣で拳から血を流しているガブリエルの研究は差別の極みへの鍵でもあった。

 

『我々は…いや、我々だけでは無い。知ればどの企業も、君にあらゆる苦痛を以て情報を引きずり出そうとするだろう。たった数十人で国家の解体を成し遂げたリンクスの量産!それは核の保有など問題にもならない圧倒的武力となる』

 

『君が見せたのは一つだけ。それだけならば特定は不可能、育成も不可能だ』

 

『しかしわざわざ探す必要は無いのだ。我々にはランク1を育成したカリキュラムとランク1の遺伝子がある。君なら、出来るはずだ。次のクローンにAMS適性を発生させることが』

 

「……!…!!」

 

『約束しよう。報酬はもちろん、君の研究は忘れると。君の頭の中だけに置いておくと。我々は追及しない』

 

「ふざけないで。例え踏みにじられても…踏みにじる側にはなりません。やめさせていただきます」

今日の朝受け取ったばかりのIDカードその他諸々を地面に叩きつけ立ち去ろうとする。

 

「ダメだ、ソフィー!行ってはいけない!!」

 

「痛っ…!」

出て行こうとする自分の腕をガブリエルの大きな手があざが残る程強く掴んでいた。

離して、と怒鳴りそうになってその必死な表情に気が付く。あの顔は保身では無くこちらの身を心の底から思ってくれている顔だった。その理由は分からない。

だが短いやりとりでも分かることはある。

例え悪魔の発見をしたとしても、殺人兵器としての才能があっても、この男自身は絶対に悪者では無いのだと。

 

『コジマ汚染は消えない。その場に百年、二百年と残り続ける。有毒…なのは承知の上だろう』

 

「……」

 

『だがそれだけではない。コジマの毒は…ありとあらゆる生物にとって最悪の影響を及ぼす性質がある。それはほぼ永続する残留性と駆け合わさって凶悪極まりない毒となる。見るがいい』

今度のスライドショーは中学生でも理解できる専門的な知識を必要としない簡潔な物だった。

そして同時にソフィーもガブリエルも顔を歪めて真っ青にしていく。

 

(こんな…なんでこんなことを分かっていながら…)

 

『時間がない。50年で地球はコジマに覆われると言ったな。その後残るのは…簡単に想像できるだろう。死の惑星だ』

 

『分かるか。戦いが長引いても勝てばいいという物ではないのだ。速やかに、確実に勝利しなければならない。そしてコジマを用いずに速やかな勝利というのは相手もコジマを用いる以上不可能なのだ。

ヴェデット博士。そんなつもりはなかったのかもしれん。だが、この地球全ての生物の生命がもう君の肩にかかっているのだ』

 

「私が…必要なのですか」

 

(あ…)

その時、その表情からソフィーは一つ嘘を見抜いた。リンクスをやめたのは先ほど言っていた理由からでは無い。

単純に戦いや人の死が嫌になったのだろう。戦う姿が想像できない、と思ったのは間違いではなかった。この人はそもそも戦いに向く性格では無かったのだ。

ましてやこの研究を一人でなど。支えなければならない。その心が分かる者が。

 

『精子でなくても遺伝情報があればいくらでもクローンは作れる。外殻となる卵子については…』

 

「いりません。どこから手に入れたのか考えるだけで吐き気がします」

自分の才能に感謝したことは一度や二度では無い。

そうでなければ親も金もない自分がどうなっていたか。

初潮も来ていなさそうな子が『$10』と書かれたプラカードを持って道を歩いているところを下卑た男達が路地裏に連れ込むのを見たことがある。

それとこの企業のどこが違うというのか。

 

『だが…』

 

「私の卵子を使います。核を取り除く作業もこちらで致しますので介入しないでください」

 

「そ…、…!」

後先の考えていないソフィーの言葉にガブリエルは何かを言おうとしたが口を噤んでしまった。

ソフィーはそれに気が付いていたが何も言わなかった。

 

『では、また明日この場所で。次は朝九時に来たまえ』

 

「……」

 

「ヴェデット博士…」

 

「……」

 

「手…ちゃんと消毒しないと…」

 

「ん?ああ、ごめんよ…」

 

だらだらと血が流れるその手は見た目以上の大けがで、完治に長い時間がかかったが、

叩き壊した机は次の日には新品に替えられていたのがいかにも下衆な企業らしくて嫌だったのをソフィーはいつまでも覚えていた。

 

 

ガブリエルはこの少女の危うさを感じとっていた。伊達に彼女の倍を生きてはいないし、人の生死を目の前で見てきたわけでは無い。

ほんの少しだが、あの発言からこれからこの少女がどうなるか、その未来が垣間見えたような気がしたのだ。

だが、あくまでそう感じただけであって確証はどこにもない。結局言いよどんでいる間に話が終了してしまった。

その想像は間違いでは無かったと気が付くのはすぐだった。

 

 

そしてソフィーは後になってから気が付いた。

自分がいきなりレイレナードという大企業の研究員という誰もが羨むキャリアに抜擢されたのは何も才能と幸運に恵まれたからではなかったのだ。

若く優秀というのはそれだけで周りからの期待の目もあるものだし、何よりも大抵はよいところの生まれだ。

 

自分は家族も後ろ盾も守る者もない、孤児。才能に恵まれただけの子供。

さらに若い自分は敵対企業とのコネクションの存在する可能性も限りなく低く、いざとなれば処分しても誰も文句は言わない。

レイレナードにとってありとあらゆる面が都合の良い存在だったのだ。

 

もしもあの時、勢いづいて外に飛び出していたら簡単に消されていただろう。

ガブリエルはそれに気が付いて守ってくれたのだ。一瞬の判断だが、あれが全てだった。あの判断がなければ今頃死んでいるか…薬漬けにでもされてどこかの変態に売られていたかもしれない。

自分が支えていかなければならない。想像すら出来ない重荷を背負ってしまったあの人を。せめてものお返しとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は…中学生になった時点で190cmあった。

だがイジメだとか支配だとか嫌いで…大して勉強もせず、運動もせずひたすらエロ本を買い漁っていた。

そんな自分をからかったり後ろから蹴っ飛ばしてくる奴もいたが、果てしなくどうでもよかった。

頑丈な身体のお陰で別に痛くもかゆくもなかった。やろうと思えば片手で吹き飛ばせるのにどうでもよかった。

どうでもよかったのだ。そんなちっぽけなことは。

 

 

いつも考えていた。

強さとはなんだろうと。

虐待や支配といった暴力とは切っても切り離せないそんなものが嫌いな自分が何故そんなことを考えるのだろう。

やはり男だからだろうか。

 

国や企業が弱者から吸い上げ虐げる。

でも強さってのはそういうものじゃないだろう?

分かってはいる。強くなければそんなことは出来ない。

 

でも…強いというのは弱いの反対だとか、敗者の逆にいるものだとか、そんな相対的な物か?

 

そうじゃないだろう。

強さというのは強い者に挑むことなのだ。

 

ありんこのようにちっぽけな存在でも自分の価値を一切疑わずに城や国に挑むような存在だ。

 

それこそが強さだ。

強きを語るのに弱者の存在などどうだっていいはずだ。

 

 

 

獣の四肢、爪、牙。

それこそが獣の強さ。

ならば人の強さは?

頭脳にある筈だ。だからこそ脳科学の道へと進んだ。

 

 

 

 

『あの時』までの人という種の強さは……

 

統率、綿密な作戦、優秀な技術。

それが絡みあって何百何千年も進んできたものだったはずだ。

人の優れた頭脳…とやらから捻り出される。

 

 

それが突然の逆行を開始したのだ!!

圧倒的な個の力の時代へと。神話の時代へと。

 

完全に統率され綿密な作戦と優秀な技術で作りあげられた軍隊を蹴散らす巨大な個たち。

個の力が万の軍勢を打ち負かすという、語り継いでいた神々の存在するような時代に。

脳にあった。その強さは脳から由来するものだったが、小賢しい集団の強さを使うのでは無く、その他大勢の有象無象と隔絶した神の与えし強烈無比な個の才能だった。

 

 

ここにきて逆行した!!人の強さとは集団の強さだったはずが!!完全な個の強さに!!だがそれは逆行では無かった!!

 

 

 

人類は進化したのだ!!

 

 

 

もうそろそろ極まってくる。強さの極点が表れるのだ

あらゆる小賢しいところから全く離れて存在する強者が。

 

 

だが偶然神から賜った才能を責任と信じてリンクスとなった自分は結局進化など見なかった。

 

こんなものだっけ。強さとは。

強くなって弱い人々を脅かして国家を転覆させる。

圧倒的な力で虫を潰すように殺していく。

 

なんなんだ一体。

やりたくない、そんなことは。

幼子を抱いて必死に逃げ回る母を焼くのが強さか?

 

気付けばリンクスをやめていた。そんなことがしたかったんじゃない。そんなものが見たかったんじゃない。

やはり強さとは弱さの逆にあり、弱さがなければ存在し得ないものだったのだろうか。

何にも影響されない、夜空に輝く星のような強さ。

そんなものは所詮自分で作りあげた幻想だったのか。

 

 

逆行するなんて、人の進化は愚かだと言っているかのようだった。

違うだろう。それは進化じゃない。ただの欲望だ。欲望に振り回されている。企業もリンクスも国も、ほとんどすべての人も。

 

逆行に見えたあれは絶対に進化だったはずだ。

 

 

進化というものは。

少ない細胞から出来たほとんど差異のないゴミのような生物から何億何十億という年月をかけて様々な多様化をしながら行われてきた。鳥、獣、人間へと姿を変えて。

 

強い者を見つけてそのコピーをいくつも作り出す?単細胞生物を細胞分裂させるみたいに?

そんなの進化の道程と真逆じゃないか!!

 

 

どうして生物は生死を重ねて先に進むのか。

差異を重ねて作り出す為だ。

頂点を。

 

それが極まったのなら。

出るはずだ、あの力で。突然頂点に立つ存在が。

今は出ずとも。

 

 

 

国家解体?戦果を競った上でのランク?何か違うだろう。

 

合理主義で理想的かつ成功率の高い作戦を忠実に行う優秀な軍人が一番でした?

まるで進化していない!!違うはずだ!!

それは強いだろう!!当たり前だ!!でも違うだろう!!

 

ランク3のアンジェを初めとしてリンクスは身勝手な者も多かった。

良かれ悪かれ力に固執した者が。

 

その先が、それが極まった先があるはずなのだ。生物が誰にも唆されずとも必死に進化して追い求めている先が。

 

この先に、この先にいるはずなのだ。他と隔絶した力、予測不可能な異分子が。

 

その先は。

もっと極めて理不尽に存在し、あらゆる小賢しい物から切り離された場所に発生するのではないか。

 

警報機が鳴りさえしない突発的な地震のように。

防波堤の数倍の高さで全てを飲みこむ津波のように。

ほんの少しの身震いで星々を簡単に焼き尽くす太陽のように。

 

一切自分の価値を疑わない絶対的な強者。

 

 

イレギュラーが!!

 

 

 

 

 

 

 

自分がリンクスになることを電話したら両親はやんわりと反対してきた。お前は優しい性格なんだから、お前は頭がいいのだから、と。

それでもこの力は責任の伴う物だと思ったのだ。核兵器の発射ボタンみたいに誰でも持てるものでは無いのだから、理由があると思った。

でも、それが国の解体だなんて言うくだらないものだとは思わなかったさ。

 

 

あれからもう随分長い事両親には会っていない。

なんであの研究を一部でも発表したんだろう。人として、研究者として見てみたかっただけのその果てを。

 

胸を張りたかったのかもしれない。

ほら、別に殺人兵器じゃなくとも、僕はちゃんとまともな科学者として頑張っているよと。

 

田舎で一人息子が帰らなくなって久しく、しょんぼりとしているであろう両親を。

 

いつか帰れるのかな。故郷のアルメニアへ。

でも、今は…胸を張れることと真逆の事をしているんだ。

 

 

 

 

それから六か月。

無事にソフィーの卵子から核を抜き、ベルリオーズの核を移植し終え、

大型の培養器でクローンはすくすくと育っていた。

 

 

 

ガブリエルは椅子に座って夢を見ていた。

 

………人は夢を見る………

 

これが始まりだった。

 

「ん……?」

肩に暖かい物がかかったのが逆に目を覚ますきっかけになった。

もう少し深い眠りだったら、もう朝まで寝ていたかもしれないが。

 

「あ、ごめんなさい…起こしてしまいました…」

 

「…すまない。大丈夫だ」

肩にかけられていたのはソフィーの白衣だった。

白衣を彼女の肩にかけなおし、鼻をすすると甘い匂いがした。

 

「お夜食です。遅くまで大変でしょうから…」

机の上にはまだ湯気のたっている作りたてのアップルパイがあった。

奇しくもそれはガブリエルが小さな頃から大好物だったものだった。

 

「はは、ありがとう。君が作ったのかい」

 

「はい。オランダ風のアップルパイです。お菓子を作るのが好きで…」

 

「へぇ………美味しい、美味しいよこれ」

さくさくほくほくとした甘いアップルパイにクルミの風味が効いていて実に美味しく温かい味だった。

高価な物では無いが毎日でも食べたくなる味だ。

 

「よかった」

 

「なんでアップルパイなんだい?手間がかかるだろう?」

 

「私、小さい頃から沢山勉強していたんです。孤児の私にはそれしかなかったから」

 

「ふむ」

と、簡単に返事をするがそれからこの若さでここまで優秀な科学者になるというのは途轍もないことだ。

たくさんべんきょー、なんて簡単な一言では済まされる物では無い。

 

「院長先生が勉強しなさい、才能を伸ばしなさい、それがあなたを助けてくれるって言ってくれたから」

 

「……」

 

「夜遅くまで勉強しているときに他の子に内緒でそっと作ってくれたんです。それが大好きで…。私の思い出の味なんです」

 

「くっ…」

じーん、と鼻まで涙が込み上がる。

汚いところが何一つない素晴らしい若さと才能、そして努力。

生まれてくる世界を、時間を間違えたんじゃないか。

故郷から離れてこんな後ろ暗い実験に巻き込まれて。

 

もう一口アップルパイを口にするともう限界だった。涙が溢れそうになって天井を見上げる。

 

 

 

「あの……?」

ぷるぷると震えながら天井を見上げるガブリエルに恐る恐る声をかける。

こんなに背が高い人がさらに上を見ているのだ。まるで天井にキスでもしようとしているかのようだ。

 

「大丈夫だ!!」

 

「わっ!?」

壁が覆いかぶさってきたかのようだった。

突然決壊したように涙を流すガブリエルに抱きしめられていた。

 

「私が君を巻き込んでしまった!恥じ入っている!」

 

「あ、あの…」

院長先生、となぜか頭に浮かんだ。

自分が幼い頃には既に年老いていて常ににこにこしていた優しいおばあちゃんだった。

だから孤児だったことも不幸だとは思っていなかった。そのおばあちゃんに抱きしめられた時を思いだしたのはどうしてなのだろう。

 

「だけど、必ず故郷に返してあげるから!」

 

「あ、あの!別に故郷なんて」

別に国を思ったことなんてない。望郷なんて知らない。だからこそ点々とアメリカに行ったりここに来たり…レイレナードが欲した根なし草なのだ。

どうしてこんなに?そう思ったが、この人はまた自分とは違うタイプなのだろう。名前にも故郷を入れて常にそこを思っているという。

この人はこんな時代でもなんだか温かい。

 

「必ず!僕が君を守る!」

肩をがっしり掴まれて叫ぶガブリエルの方が子供のように泣いていた。

 

「!!」

 

「何年かかっても君を必ず故郷に返す!私が必ず責任を取る!」

てんで的外れの事を言っている。

あなたと違って故郷を思っているタイプの人間では無いんだって。皆が皆同じ考えじゃないんだから。

だから別にそんなこと言わなくてもいいんだって。

ここに来たのも、来ることを選んだのも自分なんだって。

 

(!)

そこまで考えてようやく気が付いた。今もう一度自分の事を抱きしめたこの大きなガブリエルがどうしてあの年老いて小さく枯れていた優しい院長先生と重なったのかが。

この人は自分を子供として扱い、大人として責任を感じているのだ。

 

背は高く、周囲の誰よりも優秀な頭脳を持つ自分を異質な存在だと誰もが思っていた。そして誰も彼女をただの子供だとは思わなかった。

それで構わなかった。周りに負けないように、時代に翻弄される子供のままじゃないようにと頑張ってきたのだから。誰もが飲まれる不幸から逃げれるように。

 

自分よりも優秀で大きくて、そして優しいこの人の前なら、自分は肩ひじ張らずに弱い子供でいられる。

最初は幸運だと思っていた事は不運ばかりだったかもしれないけど。

それでもこの人に出会えてよかった。

ナイアガラの滝のようにぼろぼろと涙を流して抱擁してくるガブリエルの背にそっと手を回してソフィーは子供のように甘えた。

 

ソフィーはそれを後になって振り返ってから気が付いたが男の人にそんなことをしたのは初めてだった。

 

 

 

 

落ち着いてみればとんでもないことをしでかしてしまった。

 

(あばばば…)

子供のはずだ。自分の半分しか生きていないのだから。だから子供扱いするのは間違っていると言いきれない。

それでも17というのはそこまで子供ではない。いくら年が下で子供のように扱っても、もう出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる『女性』なのだ。

 

「あの、あのののの、せくっ、はら、とかに…」

 

「何を言っているんです?」

『変態科学者、未成年にセクハラ、現行犯逮捕』という記事になって世界中に知れ渡り両親がそれを知って泣く。

そんな自殺したくなる様な未来を想像して顔を真っ青にしながら培養器の前で実験体を見るソフィーに声をかけたらけろりと声を返された。

 

(ありゃ?)

全く不快な感想を抱いていなさそうだった。

この年になって初めて勢いで『女性』を抱きしめてしまってどうなるか、とガタガタ震えていたのに。

 

ソフィーは培養器の中の赤子を見ていた。

既に核の移植も終わり、大きな仕事も残っていない筈の彼女が帰らなかった理由をガブリエルはよく知っている。

仕事の合間合間にこうしてこの部屋に来ては育っていく胎児の姿を見ているのだ。

その姿はまるで…

 

「これは…何を?」

胎児の頭にペーストされた幾つもの電極を指さして尋ねてくる。

そういえば詳しい説明をしていなかったか。

 

「AMS適性の多寡と有無は三つの要素からなる。一つは不可欠な要素であり先天的に決まっていて、残りの二つが発生の鍵となる。私は…その全てを知っている。だが細かいことは聞かないでほしい。とにかく、先天的にAMS適性を持てる者と持てない者は確かにいて、そこからAMS適性が発生するかどうかは二つの要素によって決まるんだ」

単純な好奇心だった。それがこんな人の尊厳を踏みにじるような結果に繋がるなんて思ってもいなかった。

だがそうだとしても、罪は罪なのだ。その全ては、墓まで持っていかなければならない。

 

「その中の一つを用いているのですよね」

 

「夢なんだ」

 

「夢?ですか?」

 

「そう。通常胎児も30週間を超えたあたりから夢を見始める。AMS適性を持つ者はその夢を見始めるのが極端に早い、という仮説のもと進めていったのが僕の研究の一つだ。

さらに言うと早産の確率が非常に高いことも言える。現存するリンクス、さらには候補生の中で…分かっている限りでは全員が早産、つまり十月十日待たずして生まれている。

早くに夢を見始めて早くにこの世に生を受ける。…何かの意志を感じるよ。勿論僕も早産で生まれた。28週で産まれたらしい。脳の発達の違いが脳が出来上がる前に作られてAMS適性の有無につながるのだろう」

 

「じゃあこの電極は…」

 

「夢を見せている。専門的な話を避けて説明すれば、リンクスとなる様な者が胎児の頃見ると考えられる夢だ。まだ外の世界を見ていない胎児が何を見ると言うのか…僕にはわからないが…

昔読んだ東洋の小説では胎児の見る夢はおよそ悪夢だと書かれていた。我々もそんな悪夢を母の胎内で見てから生まれているのだろうか…」

まだ濡れている目の周りをハンカチで拭きながら話していると、すっ、と培養器にソフィーが手を添えた。

 

「ごめんね…」

 

「!」

 

「せめて今だけは…」

 

「……」

 

「あなたに幸せな夢を見せてあげたかった…」

 

(やっぱりか…)

自分の卵子を使うと言い出した時に感じた一抹の不安。

そしてこの数か月の行動。もう間違いないだろう。

ソフィーはこの子に対して母性を抱いてしまっている。

思えば、科学的ながらも自分の卵子を使い自分で作った子供だ。

そういう感情を抱いても全く不思議ではない。

 

天才だろうが科学者だろうがまだ子供だろうが、彼女は『女性』なのだ。

既に自分は逃れられない罪を背負ってしまった。ガブリエルはまた顔を上げてソフィーから見えないようにしながら唇を噛んだ。

 

神よ、子供が子供らしくいられない世界なんて。

 

 

「…まぁ、リンクスになるために訓練があるとはいえ…それが不幸に繋がるとは限らない」

 

「…?」

 

「それに…なんだかんだ…今の僕は結構幸せだと思うしね。まさか一日中訓練漬けということも無いだろう。それ以外の時間ではきちんと幸せを感じれるような子に…してあげよう」

嘘ばっかりだ。

償いなんかにはなりはしないし、幸せでもない。もしもこの培養器の中の子にAMS適性があり、量産可能なのだと分かればその量産されたクローンがどうなるのかなんて考えるまでもない。

例えこの子だけを幸せにしたとしてもそれはただの誤魔化しでしかないのだ。

それでもこの若く才能に溢れた学者から少しでも罪の意識を削ぐ為にガブリエルはそんな言葉を口にした。

 

 

 

ガブリエルの不幸は、才能に似合わず優しい性格をしていたことだろう。

才能に恵まれればいいというものでもないのだ。

 

持てる知識、技術の全てを使い、憔悴しながらもずっとこの研究所で寝泊まりしているのも、この培養器の中の子供を絶対に処分などさせない為だった。

例えその成功が凶悪な実験と巨大な戦争に繋がるとしても。彼は両親の言った通り、優しい人間だった。

 

 

 

「……はい。………ヴェデット博士。いつか…いつかは帰りましょう」

 

「え?」

 

「いつか、ご両親の元へ。故郷へ…博士は胸を張って」

 

 

 

奇妙な様子だった。誰もやりたがらない無給の時間外労働を進んで二人でやり、それも楽しそうだというのは。

少なくともレイレナードの抱える優秀な研究者たちには不思議に映っていた。

 

 

 

 

 

 

さらに二か月後。

培養器の中で7か月と半月を経てNo.28と呼ばれるクローンは誕生した。

AMS適性も問題なくあり、体重も3200gと健康そのもの。

後はこの子が優秀な兵士となれるかどうかだが、その点はネクストが誕生する前から極めて優秀な軍人でノーマルもネクストも誰よりも上手く使いこなしていたベルリオーズのクローンということもあり、

そこは心配されていなかった。いや、むしろ教育を始める年齢を考えればベルリオーズよりも遥かにすぐれたリンクスになるだろうと予想されていた。

 

その夜。

宿直として研究所にずっといた二人は保育器に入った赤子の前にやってきた。

 

「そろそろ二時間ですから…」

 

「ああ…ええと、これで人肌くらいなのかな…」

時代も技術もいくら進んでも乳飲み子のミルクを温めるのは変わらない。

人肌って自分の手で触って分かるものなのだろうか、肌と同じ温度じゃわからないんじゃないの、と思っていたらひょいと哺乳瓶が取り上げられた。

 

「これくらいで大丈夫ですよ」

ひょいひょい、と保育器の中から赤子を取り出して抱きながらミルクをあげる様は17、18の少女にしては随分手馴れている。

 

「…?なんだか随分…」

 

「孤児院で赤ちゃんの世話とかもしていましたから…懐かしいなぁ。まだ生まれて間もない子を捨てていく人もいたんですよ。信じられません」

 

「……」

 

「この子の名前…」

 

「名前?」

 

「オッツダルヴァ、ってどうですか?皆揃ってNo.28じゃああんまりにも可哀想じゃないですか」

 

「…そうだね…。いいんじゃないかな」

そう言いながらミルクをやる姿は母性愛に溢れてしまっている。

いざこの子を戦場に送るとなった時どうなるか心配でならない。

自分も心配だ。ずっと珠のように壊れ物のように世話をして誕生したこの子供が可愛くないはずがない。戦場に送りたいはずがない。

と、言ってもそれは少なく見積もっても12,3年は先の話だが。

 

「はい。抱いてあげてください」

 

「え?うっ…とっと…」

割とおっちょこちょいの自分が2mの高さから落としてしまった日にはこの子、オッツダルヴァの寿命は1日で終わりかねない。

自然とその場であぐらをかきながら抱くことになった。

 

「こう…背中をこうしてあげて」

 

「へ…?こう?」

肩に頭を乗せたオッツダルヴァの背をソフィーが目の前でやっているようにして撫でる。

 

「…けぽっ」

 

「よしよし…」

 

「あ、げっぷか。いやぁ…赤子というのは凄いな…小さくて何もできないのに、もう身体は出来上がっている…いや凄い…」

細い指で頭を撫でる様を見ながら故郷を思い出す。

ここから国境だった線を越えてすぐに実家があるというのにもう何年も家に帰っていない。

ずっと故郷を思ってはいるからこそ、故郷に近いこの研究所に呼ばれたとき、すぐに来てしまったのだろう。……両親に会いたくなった。

 

頭が激しく動かないようにしてそっと腕に抱く。

げっぷをしたと思ったらあっという間に眠ってしまった。

何度かベルリオーズには会ったことがあるがまだその面影らしきものは見えない。

それともこんな可愛らしい顔も、度重なる戦いを経ればあんな厳めしい顔になるのだろうか。

 

「弟や妹とかは…」

 

「一人っ子さ。ワガママほうだいに育って結局この年さ。両親とはもう…10年くらい会っていないねえ。連絡はたまにしているんだが」

 

「え?おいくつなんです?」

いくつだと思っていたのだろうか、「この年」とか「10年」という単語を聞いてソフィーは目を見開く。

 

「33だよ。もうすぐ34になる」

 

「えー!まだ20代だとてっきり…」

見た目が全く老けていないこともあるが何よりも言動が若々しいこともあり彼女の脳内では20代後半で設定されていたのだった。

 

「はっは。もうおっさんだよ」

故郷を思いだしても帰れないだろう。

今、会いに行くにしても気まずいし、何よりもこんな実験の中心人物となっているのをひた隠して何食わぬ顔で会いに行くのは後ろめたい。

遅い時の子だったこともあり大層可愛がられたが結局何一つ恩返しをしていない。両親はもう既に70歳を過ぎている。

 

(せめて嫁さんぐらい見つけておくんだった…)

そこまで考えが至った時にソフィーと目が合った。犯罪的だ。

子供なんだってこの子は、と自分に言い聞かせる。

 

「何を考えているんです?」

 

「あ、いや、何でもないよ」

まだ手を出してはいけない年齢だろう、じゃあもっと年いってたらよかったのか、そしたら相手にすらされないだろう、

と脳内会議を白熱させて顔を赤青させるガブリエルを見て、ソフィーは何となくガブリエルが腕に抱きっぱなしだったオッツダルヴァを取り上げたのだった。




オッツダルヴァはこうして生まれました。

ガブリエルの苗字、ソフィーの顔立ちからしてもうこの二人がなんなのかあからさまですね。


オリジナルリンクスだというのにガブリエルの名はランク含めてあらゆる情報から徹底的に削除されています。
彼の持つAMSの知識は今後の世界をひっくり返しかねない物だからです。

三つの要素と書きましたが、一つに先天的にどうしようもなく決まる要素があり、それをもガブリエルは特定しています。
またその人間がAMS適性を獲得できるかどうかは早産の胎児が見る夢ともう一つの要素に由るわけなのですが…それは後々。


集団の強さは個の強さを押しつぶす人間の歴史でもある筈です。
ところがAMS適性という才能はネクストという悪魔を駆り、たった一人でも何万人の人間を叩き潰せるのです。
結束し、強くなっていくはずの人間の歴史、進化が唐突に個人に行き着いたのです。

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