Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
働かねば。
ガロアを拾ってから一年と四か月。流石に休暇を取り過ぎた。
イクバールから毎日のように連絡が来るし巷ではサーダナ死亡説まで流れているらしい。
約一年前までなら別にクビになっても構わんと思っていた。
だが、流石は天才学者夫婦の息子だけあり、非常に物覚えが早いガロアをいずれ自分のような人間失格者の元からまともな生活に戻してやりたいと思っていた。
せめて大学…いや、ハイスクールぐらいからは企業管轄街のどっかの学校にいれてやりたい。そこまでは勉強は見れてもそこから先は記憶が危うげになってきているところもあるし、
何よりも人と交わることを覚えないまま成長してしまうだろう。自分が変人で人と交われる性質ではないことは分かっていた。だからこそガロアは普通に生きるべきだ。
相変わらず声帯は震えず声を出すことは無かったが、それでも非常に多い自分の独り言を可愛らしい耳でよく聞いて覚えているらしく、あらゆる言葉に正しい反応を示すようになってきている。
自分がこのまま枯れ果てていくだけの金はあったがガロアをコロニーに送って生活させて自分も生きていくだけの金と言われると足りない。
ネクストを所持する代わりに修理費も弾薬費も管理費も全部自分で持つ、という契約だから少々かつかつなのだ。
働かねば。
ここまで労働の意欲に燃えたのは初めてだった。
リンクスと言うのは一種の特権階級で、一回出撃するだけでたとえアジェイのようにしていてもその辺の普通の労働者数か月分の給与が修理費弾薬費などを差し引いても貰える。
つまりそこまで仕事人間にならなくてもいいという事だ。訓練を除けばだが。
問題は時々仕事に出るとしてガロアをどうするかと言う事だ。
あちこちの回路が錆びている脳をフル回転させたが誰も思い浮かばない。
当たり前だ。友と呼べる存在がまず一人しかおらず、そいつは自分によく似て人と交わることが出来ない。
赤子を預けても何かの拍子で大けがさせてしまいかねない。それに奴は仕事人間だ。子供を預かるほど暇ではないだろう。
かといって高い金出して誰かに預けるか、と考えても攫われたり、身代金を要求されたりしたら…いや、こう考える時点でもう人を信じられていないのか。
しかしどうすればいい。街中をこの子を背負って拡声器を持って誰かこの子を預かってくれませんか、とでも叫べばいいのか。
百歩譲って反応してくれる人がいたとしてそれが善人とは限らない。いや、仮に善人でも自分をリンクスと知ればどういう反応をするか…。
脳の海馬を絞れるだけ絞って自分の人生の中で「善人」と呼べる者はいなかったかを検索する。口ばかりでなく、行動の伴った善人だ。
三日ほどむにゃむにゃと考えてようやく一人思いついた。住んでいる場所も知らないし一回しか会ったことはないがそれでもきっと奴なら預かった子供を危険に晒すような真似をしない。
探そう。探して、恥を忍んで頼みに行こう。
リンクスを辞める事になってすでに五年近く。国家解体戦争もネクストに乗って戦ったのも泡沫の夢だったのではないか。
そう思える程に何の刺激も無い日々。ただ好物を食らい好きな音楽を聞きながら本を読んで、そのうち死ぬ。それもそんなに遠くない未来。
霞は何かの宗教を信じているわけでは無いが、それでも神がいるのなら問いてみたい。
自分は何のために生まれて何のためにリンクスになり、何故道半ばで諦めねばならず、今こうして無為に日々を過ごしているのかと。
ピンポーン、という軽快な音が寝ているのか起きているのかすら微妙な自分の脳を揺り動かした。
「……はい?」
本のページを捲りながらも一つも文字なんか読まずにただ目を通していた。
そんな折に突然チャイムの音。
最初の一年くらいは来客はたくさんあったが今となってはもう誰も訪ねては来ない。
チャイムが鳴るのですら何か月ぶりか。よっこいしょ、と立ち上がるのにはおおげさな声を出しながら玄関へと向かった。
「……」
「……」
ドアを開けると髭面のっぽの男が幼い子供と大きな荷物を抱えて突っ立ていた。
「………どちら様?」
「……あー……」
「はい?」
その男は厳めしい見た目に反して歯切れが悪かった。
「サ……」
「サ?」
サ?なんのことだろう。酒の注文はしていなかったはずだが。
「……」
「サーダナだ。私は」
アジェイが自分からサーダナと名乗ることは実は初めてだった。
大抵の人はサーダナ様、と声をかけてくるし、声をかけてこない相手は無理して関わろうともせずに無視していたからだ。
「………はい?」
一瞬何のことだか分からなかったが、言われて思い出す。
大分見た目が変わったがこの男は確かに昔一度だけ会ったことがある。
イクバールの最高リンクス、サーダナだ。
気づけなかったのも無理はない。見た目が変わったこと以上に自分を訪ねてくる理由が全く分からなかったからだ。
「……」
「……」
抱えた子供はサーダナの腕の中ですやすやと眠っている。顔立ちからしてまだ一歳くらいだろうか。
「……」
既に一分以上玄関前で扉を開けたまま立っている。
流石にご近所にもそろそろ迷惑だろう。
「……コーヒーでも…飲む?」
「頼もう」
結局意味の分からない雰囲気に押され霞が折れることになった。
「……」
「……」
机を挟んで誰かが座っているなんていつ以来の事だろうか。
というか仕事関係以外の男を家に上げたのは初めてだ。
それがまさかこんな変な男だとは想像もしなかった。
「三つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ」
人の家に勝手に来訪してきて尊大な態度は崩れていない。
ああ、そうだ。こういう男だった、あの時も。
「その子は何?」
未だにサーダナの肩に頭を預けてぐっすり眠るその子の頭には大きな帽子が被せられているが、
燃えるような赤毛が覗いている。だがサーダナは髭まで真っ黒であり、一見して血のつながりは無い。
「む…息子だ…」
「へー…(嘘下手っ)」
目がパチンコの玉のようにあちこちに飛んでから答えが返ってきた。
誰が聞いても本当だとは信じないだろう。
「…………」
「名前は?」
「ガロアだ」
「ふーん…今いくつ?」
さて、拾い子が養子か…どちらにしてもこの質問に淀みなく答えられるだろうか。
「一歳と四か月だ」
「……」
迷いなく答えた。本当の子供でないのならばそこは曖昧になるはずだが。
さて、本当に息子なのか、あるいは…生まれたその日に拾ったか。もしくは…奪ったか。
「ちょっと抱かせてもらっていい?」
「……」
(うわっ…嫌そうな顔…本当に何しに来たの…)
家に上がった手前仕方ない、嫌で嫌でしょうがないけど仕方ない。
そう声に出ているのではないかと思えるほど嫌そうな顔でしぶしぶとガロアと呼んだその子を渡してきた。
「へー…」
一歳四か月と言う言葉は間違っていないのだろう、それくらいの大きさ、顔立ちだ。帽子の下から覗くくりくり癖毛が可愛らしい。
だがこの年齢にしてすでにやや出来上がっている顔。息子と言われなければ女の子だと勘違いしていた。将来はきっと美男子になるだろう。
というかまっっっっっっっっっったくサーダナに似ていない。
事情がさっぱり掴めない。
「……」
『?』を巻き散らしていると眠りこけていたガロアがぱっと目を覚ました。
「…!」
変わった眼だ。灰色の眼に浮かぶ波紋が吸引力とでも呼ぶべき不思議な何かを持っている。
だがそれ以上にこの眼に浮かぶ輝き。死に行く自分とは真逆、強烈無比な生きる力を感じると共に予感する。
この子は途轍もない大器になる。
宗教など信じているわけでは無いが、それでも生まれたときからイエスを神の子だと騒いだ信者の気持ちが分かる気がする。
30を超えた元リンクスの自分がたかだか一歳の子供の眼を見て心底背筋が凍り付き肌が粟立っているなんて。
だが、神の子と喚きたくなる神聖さよりももっと生々しい何かがその眼に宿っているような気がする。
話だけ聞けば第三者は笑うであろう感想を頭の中で述べてごくりと生唾を飲んでいると目を覚ましたガロアはゆるりと手を伸ばし霞のブラウスの胸元のボタンを外しはじめた。
「な!なんてことを!ガロア!」
「?お腹が空いているんでしょう?」
ボタンを外したのは一歳にしてはちょっと理にかなった行動で驚いたが、サーダナの反応も気になる。
そういえばこの子の母親、つまり妻のことを聞いていなかった。
「台所を借りる!」
「あ…」
うんともすんとも言っていないのに鞄を漁ってミルクらしき物を持ってすっ飛んで行ってしまった。
聞きたいことの二つ目。その荷物は何?ということだが、鞄の中からは子供の服やミルク、離乳食なんかが見える。まさか…
「……」
なんて考えているうちにブラまでもずらされてしまった。
賢いなぁと感心する反面、この顔でこの行動からして将来とんでもない女泣かせになったりしてと冗談半分に考える。
「よしよし。勝手なお父さんですねー…私のおっぱいは苦っいコーヒーの味がすると思うよ?」
「……」
流れで結局ガロアをあやす霞から離れてアジェイはミルクを温めることに悪戦苦闘していた。
ネクストという最先端技術の粋を乗りこなしながらも、暮らしは酷く原始的なアジェイは霞の家のキッチンにある物がイマイチ使いこなせない。
(リンクスを辞めたのか…やはり…。…魅力が減った…)
ようやく操作を終えてお湯に指を突っ込みながら考え込む。
戦士としての凛とした気を発していたあの頃の魅力は無くなった。
思えばそういった魅力を感じたのはベルリオーズと霞だけだった。
ランク3のアンジェは魅力というよりは妖気を感じた。おっかない。
ランク16止まりの原因はやはりリンクスとしての活動をやめたからか。
何故か、は大事ではない。今元気そうならそれで十分だ。
「あづっ!!あづ!?あっ!?もう温まってる…?」
恐るべき最新技術。設定した温度になるまで10秒もかからなかった。
リビングに戻ると案外楽しそうにあやしていたが、ガロアはこちらに気が付くと、ぷにぷにの頬に頬ずりしてくる霞の顔に思い切り手を押し付けて否定の構えをした。
「随分騒がしかったけど。はい。かして、それ」
許可する前に哺乳瓶を奪い取られたが、それを霞が猫なで声を出しながら口に近づける前にガロアが奪い取り勝手に飲み始めてしまった。
「……」
「…ふっ」
ガロアは賢い子だ。誰が親なのかがしっかり理解している。
先ほどいきなり霞のブラウスのボタンを外しはじめたのは驚いたが。
一度でも母の乳を受けたことがあったのだろうか。いや、時間から考えてそれは無い。となると本能か。
多少の罪悪感に胸を痛めていると霞が怪訝な顔で声をかけてきた。
「何笑っているの?」
「いや…」
「ところで二つ目の質問なんだけど」
「なんだ」
「何しに来たの?」
「……」
正念場だ。ここで上手い事おだてほめそやし乗せて遠まわしにガロアを預かってもらう事を承諾してもらう。
「いや、本当に。というか私の家がよくわかったわね。仮にもイクバールのリンクスなのに」
「ガロアを預かってほしい」
「え?何?」
「……」
遠まわしに頼むつもりがどうしてこうなった。
仕方が無いじゃないか。まともに人と話すなんていつ以来だ。
「よく聞こえなかったんだけど。いや、なんか聞き間違いしちゃって」
「一週間でいい!金も出す!仕事をしなければならないんだ」
「は?ちょっと…私とあなた一回しか会っていないしそんな仲でもないでしょう?」
「私だって貴様は気に入らない」
「はあぁ?」
「偽善者ぶって皮の一枚下で何が蠢いているかわからない人間のことなど」
「帰って。もう帰って。というか奥さんに頼みなさいよ」
「り、離婚した。あ、いや、違う。死んだ」
別れただけでは仕事の間子供を預かってもらえない理由にはならない。
結婚などクソ食らえだが妻がいて死別したことにした。
「ちょっと、ねぇこの子あなたの子じゃないでしょ?」
「わ、私の子だっ!?」
なんでバレているんだ、と心臓が跳ねて声が上ずってしまった。
「だいたい偽善者って何よ変人!いきなり来たかと思えばそんなこと言いだして!」
「そうだ偽善者だ!貴様は偽善者だ!」
大相撲の横綱並のがぶり寄りでガロアを抱く霞に詰め寄る。
「帰れっっ!!」
怒りに任せて怒鳴りながら霞は思う。
誰かに対して感情を露わにして怒鳴ったのなんていつ以来だろうか。
「それでもマシな偽善者だ!頼む!この子に罪は無いはずだ!貴様なら…この子をちゃんと預かってくれる」
「はぁ?はぁ…本気で言っているの?」
「そうだ。人は人が苦しんでいることが分かっていても…目の前で捨てた食事で救える命があることが分かっていてもなんとも思わない。それでいて自分は善人だと思い込んでいる、
口だけの偽善者だ。…だが貴様は違う。どこまで本気かはわからないにしても、口にしたことを実践していた。貴様が預かる、と言えばしっかりと預かってくれる」
「……」
「……」
「はぁ…。この子に罪は無いって事は正しいわ。分かった。預かる」
「助かる。あの鞄に必要な物と金は入っている」
「お金はいりません。その代り」
「なんだ」
「今すぐに出てって。この子はしっかりと預かります。でもあなたのことは正直嫌いだわ」
霞からしてみれば当然の事である。
親しくも無いのに突然押しかけ暴言を吐いた挙句に子供を預かれなんて勝手もいいところだ。
だが誰かが自分を忘れずに訪ねてきてくれたこと、言葉は悪いながらも一応信頼してくれている様子なのはちょっと嬉しかった。顔には出さないが。
「…そういう貴様だから、ガロアを預けられる。…この子を、頼む」
「はいはい、もう分かったから」
腕に抱く幼児の頭を一回だけ撫でてサーダナはさっさと出てってしまう。
あっちもあっちで自分の事は好いていないようだしここにいるのも落ち着かなかったようだ。
お互い様だ、と玄関に向けて舌を出して鼻を鳴らす。
「……」
ガロアと呼ばれたその子は自分の腕の中で呆然とした顔でサーダナが消えた玄関を眺めている。
「あー、ほらほら…よしよし。あなたのお父さん…勝手な人ね…。でも…必死なのね…」
「……」
「……」
無口な子だ。このくらいの年の子供と言えば何かあればすぐに泣く、ぐらいの認識で丁度いいはずなのだが家に来てから全くうんともすんとも発していない。
「……」
そのうち玄関を見つめたままぽろぽろと泣き出してしまった。
喚きもぐずりもせずにただ大粒の涙を流していく愛くるしい様は久々に人と触れ合った霞の心を見事に射抜いた。
「か、可愛い!?可愛すぎる!!ほらほら!スミカおねーちゃんって呼んでみて?」
もうおばさんなんじゃないですかね、と冷静な意見を出してくる脳の一部は無視する。
まだお姉さんでいけるはずだ。…多分。
「……」
「まだ言葉は分からないかな?ス・ミ・カ・お・ね・え・さ・ん、よ。ほら、口を動かしてみて?」
「……」
自分が大げさに口を動かすのに合わせてぱくぱくと酸欠の金魚のように口を動かしてはいるが全く声が出ない。
「待って」
「……」
「ガロア…あなた…喋れないの…?」
「……」
こくっ、とさも当然のようにガロアは頷いた。質問に対して完璧に答えているかのようだ。
「えっ!?私の話していること分かるの!?というか本当に喋れないの!?」
「……」
またもや頷く。それがなに?お父さんは、という顔をしている。
「…………………驚いた…」
口が利けない。そんな大切なことも言わずに置いて行ってしまったのか。
あるいはこの子が口を利けないという生活に慣れ過ぎてしまったのか。
しかしもう言葉がわかるとはなかなか賢い。
いや、いくら賢くても沢山言葉を投げかけられなければ覚えないはずだ。
ということは。
(夜な夜な話しかけていた、とか?)
別に夜な夜なやる必要は無いのだが……。
『ほ~らガロアちゃん、ミルクおいちいでちゅね~』
『一緒にお風呂入りましょうね~』
「ってな感じ?…あははははは!!似合わな過ぎ!!あっははははは!!」
髭面の変人男がそんな言葉を毎日毎晩投げかけている姿を想像して爆笑しながら膝を叩く。
心から笑ったのはいつ以来だろうか。
こうまで笑うのは失礼なのだろうが、霞の想像はそこまで間違っていない。
実際にアジェイはいつでもどこでもガロアを連れて歩き話しかけるのを楽しみにしており、そしてガロアはどんどん言葉を吸収して覚えていった。
(いやー、笑った…。変な人だけど…悪い人じゃないのかな…)
「ねぇ…お父さんのこと好き?」
「……」
こくこくっ、と二回も頭を縦に振った。
しかし賢い子だ。
「へー…あんな変わった人でもねぇ…」
「……」
「普通は久しぶりに会ったら…今は何しているのか…とか…聞くよね…」
「……」
霞スミカを蝕んだ難病。
筋萎縮性側索硬化症、通称ALSと呼ばれるその病気は四肢の筋肉の動きを緩やかに奪っていき、全身へと広がり最後は呼吸筋も麻痺して死に至る。
医療技術の進んだこの時代でも完全な治療法は見つかっておらず、一度痩せ細り失われた筋肉、破壊された運動神経は元に戻らない。
せいぜい進行を遅らせるのが限界だと言われ、もって15年生きられるかどうかと告げられた。それでも長くなった方なんです、という医師の声はひたすら遠かった。
それでも残り半月の国家解体戦争に参加することぐらいは出来たのだろうが、
その病名を知らされた途端に何故かネクストに乗っても自分が伸びやかに戦う姿がイメージできなくなってしまった。
想像の世界までも侵食され彼女は戦士としての道が絶たれた。
その一方で他のALS患者とは違う治療法を提案された。
それは彼女の全てとも言えるAMS適性と引き換えにして行われる手術だった。
元々AMSは身体に障害を持った人を社会復帰させるための技術、つまり義肢をよりしなやかに扱う為の技術だったのだが、
その過程で適性の無い者には想像を絶する苦痛を伴うことが判明し頓挫した。その代わりに着目されたのが兵器としての有用性だ。
そうして出来たネクストだが、そこまで細かい挙動を必要としない脚はともかくとして例えば腕を四本に増やしたりしてみれば違和感が強まり著しくパフォーマンスが低下する。
その点では身体の延長、つまり義肢の技術だというところがよく表れている。
一見健康に見える霞だが、その皮膚の下には人工筋肉・神経が埋まっており、感覚としては普段からネクストに乗っているとでも言えばよいか。ちゃんとAMS適性があれば慣れてしまえばなんてことはない。
サーダナは皮の一枚下で何が蠢いているかわからないと言っていたがまさしくその通りだ。皮の一枚下では自然的では無い物がこれでもかと言う程埋まっている。
もしAMS適性が無ければもう今頃はまともに喋ることも物を飲み込むことも出来ず、日がな一日痩せ細り人工筋肉以外無くなった腕を眺めながらベッドの上で腐っていったのかもしれない。
だが四肢と口回りの筋肉の代用品を入れた時点で限界が訪れた。もうこれ以上は彼女のAMS適性では耐えられない。生きていけても廃人になってしまうだろう。
呼吸器系の筋肉をそっくり作り変える事も出来なくは無かったが、それでも動けなくなれば意味がないし、
何よりも生きた人間から生きたまま呼吸器系の筋肉を抜き取り、生きたまま入れ替えるような技術は無い。
そんな技術があったのならば死んだ人間も生き返る世界になっていただろう。
きっと治療法を見つけ出してみせます
そうレオーネメカニカの者は言っていたがそのまま五年が経った。
今でも自分は戦えると、自分に課された運命を乗り越えてみせると信じたい。
だが時間は残酷に過ぎていき、致死率100%の病に罹った霞に誰もがどう対応していいかわからずに訪ねる者もなくなり、そして死の足音は少しずつ近づいてくる。
レオーネメカニカとしてもランク1も夢では無かった霞スミカという存在を諦めきれなかった。
だが、リンクスの価値は非常に高いがそれでも一定以上の動きは出来ず、ネクストにも乗れない彼女は最早…
きっと大丈夫、きっと大丈夫。
そう信じていたくてもどこかでもう自分は諦められているのだろう、とも思っていた。
その想像は当たっていた。もし仮に治療法が見つかってもその後に予想されるリハビリや一からの訓練の時間を考えるといずれ訪れるであろうリンクス同士の戦争に到底間に合わない。
レオーネメカニカは霞スミカは諦めていなかったが『この霞スミカ』はもうとっくに諦めていた。
いずれ表情を作ることも出来なくなり死んでいく。
その想像がどれだけ霞を苦しめたかは筆舌に尽くしがたいが、それでも他の患者よりは遥かにマシなんだといつの間にか霞は上よりも下を見るようになってしまっていた。
霞スミカはここにいる。誰も見向きもしないがここにいる。いつだってそう思ってきた。
だが、かつて戦場で一陣の凛とした風となり吹き荒れたリンクス・霞スミカはもうどこにもいなかった。
「……う…」
先ほどの爆笑から一転、ガロアを抱いたままはらはらと涙を流す霞。
最初の頃はそれこそ毎日のように泣いて荒れたが、ここ最近ではすっかり涙も枯れたというのに、何故?
「……」
そんな霞を見てガロアはいつも自分が泣いたときに父がしてくれているように、そっと指で涙を拭った。
こんなに小さい頃からガロアは霞を知っていたのです。
セレンを見たら驚きますよね、そりゃ。