Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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死の足音が聞こえるよ

『最近来ないけどもう仕事はしていないの?』

 

「…?なんだ…?」

ガロアも八歳となり、なんだかんだ自分の食料は自分で確保できるほどに成長し、

自分が高校や大学に通っていたころに読んでいた本の半分を読破するほど勉学の才を見せるようになっていた。

自分はもう人の世に戻るつもりはないが、やはりガロアはちゃんとした機関で教育を受けるべきだと思うようになっていた頃、アジェイの元に一通のメールが届いた。

霞からである。連絡先を貰ってから、自分から必要な事だけを書いたメールを送ることはあっても霞からメールが届くことなどまず無かった。

一体どういう風の吹き回しなのだろう。

 

「…人を無職みたいに言うのか…」

別に仕事をしていないわけでは無い。ロランが頼めば面倒を見てくれるという事もあるし、

何よりも多少ならば留守番させても心配なくなったことが大きい。

そういえばもう8か月くらい霞の所には預けていないのか。

その間全く働いていないとでも思っているのだろうか。

 

「……!!」

 

「…?どうした」

今朝狩った小鹿を捌いていたガロアがいつの間にか後ろからそのメールを見て顔を青ざめさせていた。

 

「……」

アジェイよりもよっぽどその人柄に触れ言葉を投げかけられているガロアには、その短いメールから助けを求める声が聞こえたような気がしたのだ。

何故助けが必要なのかはよく分からないが酷く嫌な予感がしていた。

 

「何?霞のところに行きたい?」

これまた初めての経験である。そっちに行けば行ったで楽しそうだが、

この森で動物に噛みつかれ突き飛ばされながらも狩って生きていく生活がよほど肌に合っているのか、

自分から街へ行きたいと主張したことは無い。

もちろんイクバールに戻って仕事をしようとすればいくらでもあるにはある。

 

「……」

 

「……わかった。行こうか」

ならばバーラッド部隊の様子でも見に行くか。

ロランにバーラッド部隊隊長とリンクスの二足の草鞋を履いたままにさせているのは大変だろうし、

部下のイルビスがそろそろ隊を任せられる器に成長したのではないかと思う頃だ。

その日、アジェイは初めて霞に「メールの返信」をした。

 

 

 

 

玄関に出てきたのがウォーキートーキーだけだからやはりおかしいとは思っていた。

アジェイは特に何も思わずに行ってしまったようだが、ガロアを包む嫌な予感は確信になっていた。

 

「来てくれて…ありがとう…ガロアが…あのメール見て…来たいって言てくれたのでしょう…?」

 

「……!!」

ベッドに横たわり喉と口からチューブを伸ばして弱弱しくこちらに微笑む霞の姿があった。

一気に病気が進行した。

…というよりも四肢の運動神経は既に破壊されており順当に呼吸器へと進行したのである。

取り繕われている四肢と顔の筋肉、舌などは何とか動かせるが嚥下障害が起こって呼吸も困難な状態になっており、

ウォーキートーキーの介護なしでは用を足すこともまともに出来なくなっていた。もうそこには凛とした戦士も美しい女性もなく、消えゆく存在の儚さだけがひたすら現実的だった。

 

「スミカ様、あまり声をお出しにならない方がよろしいかと思いマス」

ウォーキートーキーには声を出さなくても会話を成立させる機能もあり、その言葉は当然の物だ。だが。

 

「人と…お話ししたくて…」

非常にゆっくりとした動きで首がこちらを向く。

弱弱しくも目には正気の光があり、ガロアを愛おしそうに見つめている。

 

「……」

結局霞はアジェイにもガロアにもどうしてリンクスを辞めてどのような病気に罹っているのか説明しなかったが、

その姿は百の言葉よりも雄弁にガロアにその正体を教えた。

 

「ごめんねガ…ロア…おねーさん…寂しくて…」

言葉になりきれなかった空気の流れる音が言葉を擦れさせていくのは痛々しいと言う他ない。

 

「……」

この部屋で、この街で一人、ただゆっくりと身体が蝕まれていくのを見続けるのか。

街にはこんなに人がいるのにどうして誰も訪ねてこないのだろう。

どうして誰も苦しみを分かち合おうとしないのだろう。

 

こんなに集まってもみんな他人か。

そんなの森の中で一人で生きるよりもずっと苦しいではないか。

これでは一人ぼっちなのが際立ってしまうだろう。

 

善など無いのでは?弱きに苦しむ者に救いが差し伸べられない世界なんて。

 

「目も見える…あなたの顔がよく見える…耳も聞こえる…息遣いが…よく聞こえる…なのに…まるで意味がない…私は…」

 

「……」

 

「外には人がたくさんいて…沢山の音がするの…なのに…私の鼓動だけが…」

 

「……」

ガロアの眼には映っていた。

霞を包む命の輝きが霧となり空気に混じって分からなくなっていく様が。

今まで何匹も殺してきた動物たちがその身体から急速に解き放っていく様にも似ていて。

ようやく理解した。あの悪寒。この人はもうすぐ世界に戻るのだと。砂となり空気となり水となる。

霞スミカと言う意思を取り巻く物質が解放されていくのだ。

 

「死の足音が聞こえるよ…ガロア…」

自分の何倍も生きているはずの大人の目から零れた透明な涙はガロアの心に正体不明の震えを与えてくる。。

 

「……!」

 

「怖い…!怖いよ…」

枕を濡らす涙は川のようにさらさらと流れて染み込んでいく。命そのものである『流れ』が外に少しずつ出て行っているかのようだった。

今は自分が見ている。

けれどその濡れた涙を感じるのも動かない身体を持った自分一人だとしたらそれは恐ろしい孤独だろう。

 

「……」

どうして自分に言葉は無いのだろう。話したいと言われても話せない。

ただ投げかけられる言葉に反応するだけ。

口をぱくぱくと動かしても喉は震えない。

今の自分の気持ちを、考えを、思いを伝えられたら。そう思うことは数えきれないくらいあってどこから後悔すればいいのかも分からなかった。

 

「泣かないで…ガロア…私は…弱い大人だね…」

止まることなく霞の目から涙は溢れていくが、灰色の眼から涙を零すガロアを見て後ろ向きだった霞の気分が少しだけまともになってきた。

人の為に泣いてくれる人が生まれる。そんな世界で生きていた。ただそれだけで、人の為に戦った価値はあったと。

 

「……、…」

別に自分自身が弱っているわけでは無いのに、何故か覚束ない足をふらつかせながら霞の元に歩み寄る。

手で頬に触れると既にかなり冷たい。もう…自分が殺してきた動物達と同じ感触がするのが嫌だった。

骨ばった霞の手がそっと重ねられたのが更にガロアの心に突き刺さった。あんなに元気で美しかった人が、どうして、と。

 

「私ね、昔…弟がい、たの」

 

「……」

その手を振り払って何か紙に書いてしまいたかった。もう喋るなと。

一言ずつ、命が漏れだしていくのがガロアには分かるのだ。ウォーキートーキーはカメラアイを明滅させながら沈黙していた。

 

「だから、…お願い、そばに…いて」

 

「……」

ガロアはぼんやりと思考が上手くまとまらない頭をなんとか縦に振っていた。

 

アジェイの教えたこの世の絶対の真理。

生きている者は死ぬ。

だがガロアの中にはもう一つの真理が出来ていた。

 

死んだ者は戻らない。

 

殺した動物も切り倒した木も死んだ人も永遠に「それ」に戻ることは無く、世界へと還る。

アジェイは家族を切り捨て友人をほとんど作ることもせず、この年まで生きていたためその事実を重要視してはいなかったが、

どうしてかガロアの心にはその事実がしかと刻まれていた。

あるいは感受性の特別高い子供だったのかもしれない。

 

「……」

この人はもうすぐこの世界からいなくなる。

その後に残るのは霞スミカという人を作っていたただの物質。

永遠に戻ってくることは無い。

 

 

10日後、ガロアを連れに戻ったアジェイはその時初めて霞が重大な病に侵されている事を知った。

 

「霞………?なんだそれは…………」

ベッドの上から動かず、いくつものチューブに繋がれた霞、そばで座るガロア。

予想だにしていなかった光景だった。

 

「聞くのが……遅すぎる…のよ……」

 

「……」

 

「サーダナ…ありがとう…あの時…あなたが押しかけてこなかったら…私は…」

 

「……礼を言われるような事は何もしていない」

まさかまさかのお礼を言われて背を向ける。

礼を言うべきなのは自分の方だと言うのに、どうしてこうも捻くれてしまっているのだろうか。

 

「……」

そしてどうして自分のような者のそばにいてガロアは捻くれずに育ってくれているのだろうか。

思うに自分なんかよりも余程人間として出来ている霞からの教えが大きかったのではないだろうか。

 

「行くのね…ガロア…」

 

「……」

 

「ありがとう…」

 

「……」

引き留めないのは強がりも多少はあるのだろう。

だが、きっとずっと傍にいられて弱っていく姿を見られるのも同様に辛いのだろう。

見られていては安らかに眠ることも出来ない。

人としての最後の矜持を持たせなければならない。

これ以上傍にいてやりたいと思うのはきっと自分のわがままなのだ。

ガロアは後ろ髪を引かれる気持ちに踏ん切りをつけて椅子から立つ。

 

「お帰りデスか、ガロア様。寂しいデス。と言ってもコレはそういう反応に対してはこう言う感情を示せというプログラム、つまり哲学的ゾンビ的な…」

 

「世話になった、霞」

 

「……」

 

「いいの…また…いつでも来ていいから…」

 

「……」

無理だ。恐らく次にここに来るような時期にはこの人はこの世界から去っている。

きっとこの姿が最後に自分が見るこの人の姿になる。その後は悠久の別れになる。

自分の身体が朽ち果てて、自分だった何かだけになっても会えるかどうか。

 

「さようなら、ガロア」

 

「……」

 

10日間もそばにいて、結局自分は身の周りの小さな世話と話を聞くくらいしか出来なかった。

後はしんしんと泣く霞に合わせて涙を零すくらいだった。その間、一度でも霞の調子がよくなったことはなかった。

 

人は死ぬ。自分は何も出来ない。何も言えない。

 

どうして自分には言葉がないの、と誰かに尋ねるのも無駄なことだというのは分かっていた。

 

 

 

これは当たり前のことなんだ。自分はいつもやっている。

だから、そんなことに一々心を壊されていたらきっと持たないから、感情を動かさないようにしよう。

幼心にガロアはそう自分に言い聞かせていた。




霞スミカ

身長175cm 体重63kg


出身 イタリア

ごく平凡な家で8つ下の弟と父母、そしてその祖父母と暮らしていたが10歳のある日、お使いから帰ってくるとそこには家がなかった。
とある宗教の一部の過激派が正当な復讐を理由に起こした無差別テロに巻き込まれたのだった。
すでに大企業として成長したオーメルの経済搾取から起こる貧困に対する抗議ということだったが、
何故それが自分の家が巻き込まれる理由になったのか。そこにはどれだけ聞いても納得の行く理由など無いのだろう。
怒りと悲しみに囚われながら児童養護施設で過ごし、いつか力を付けて腐敗したテロ組織を消滅させることを誓ったが、
あるとき憎んだテロリストにも家族がいてここでテロリストを殲滅すれば結局自分も憎まれる存在になるということを知った。
人を殺すという事はこの世で最も取り返しのつかないことなのだ。そして霞は不殺で平和を目指すという最も困難な道を選んだ。
殺さない方が余程難しいという事が自分の怒りからも分かる彼女はその全てを訓練に打ち込んだ。
誰よりも力を付けた上に、その人格と考えの全てが人の尊敬を集めたが彼女には親しい友も恋人も存在しなかった。
そんなものを作る余裕がなかったし、作ろうとしてももう彼女を子供の頃のように色眼鏡なしで見る人間はいなかった。
歩もうとした道は違えど、結局彼女も力に全てを捧げたのちのガロアと同じだった。
欲した力も失い、自分の手に何も残らず身体も命も失われていくのみだった時に偶然来たガロアは何よりも救いだったに違いない。
あるいは昔に亡くなった弟にその姿を重ねていたのかもしれない。
才色兼備の霞に対し人々は称賛を惜しまず名誉も地位もあったがその人生は恵まれていたのかは疑問が残る。
霞スミカという名前はもちろん偽名で彼女の父方の先祖が過去に日本の霞町、現在で言うところの麻布に住んでいたという話から付けたものである。


自分が病気でなかったらガロアを引きとってしまいたいとさえ思っていたが、病気でなかったらそもそもそんなことも出来ないことは分かっている。
また、ガロアを手放したくない一方で街で普通に生活させた方がいいと考えているサーダナにも気が付いていたがやはり何も言えなかった。



そんなに美人なら、そんなに才能に溢れているなら、殺人兵器じゃなくてもやることあったんじゃないの。
そう誰もが思うような美人で優れた人格の人をあえて戦いのみに没頭させて悲壮感を出しました。

ネクストに乗って誰も殺さないというのは途轍もなく難しい挑戦です。
その意気は良かったのですが…


趣味
つまみながら酒を飲むこと
くたくたに疲れた夜にお気に入りの映画を見ること

好きなもの
ブラックコーヒー
チップチューンの曲







人は人を助けない。
人は死ぬ。
動物と同じで特別なんかじゃない。

大切な人すらもゆっくりと消えていく様を見てガロアの中にこの世界の残酷さがたっぷりと刻まれてしまいました。


素晴らしいリンクスだとしても人間なんですね。
壊れてしまいます。

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