Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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少年らしい日

病院を出て四日が経った。

六月も半ばに入りだんだんと暑くなってきており、ガロアが普段着にしているアジェイの服もそろそろ暑苦しいと言いたくなってきた。

 

「どうだ?身体の調子は」

 

「まぁまぁ…だな。ところどころギシギシ言ってるけどそれよりも身体を動かしたい」

 

「ダメだ。少なくとも…七月半ばまではミッションも訓練もお預けだ」

 

「分かった分かった」

やることも無いしミッションに出よう、と言ったら鼻っ面にパンチを叩き込まれた。

こんなのも避けられないのにミッションに出られると思うな、とのことだ。もっともかもしれない。

お預け、と言わんばかりにコンピューターは電源が落とされ見えないように袋がかけられておまけに鍵までついている。

 

(そこまでして見ねぇよ…)

 

「しかしお前はあれだな。思ったよりも…」

 

「え?何?」

セレンにしては歯切れの悪い言葉をポツポツと言い出し、しまいには黙ってしまった。

 

「いや、何でもない。ところでお前、他に何かしたいことはあるか?」

 

(と言われてもなぁ…)

ここ数日ずっと軟禁状態で外にも出してもらえていないため、何かしたいかと聞かれればとりあえず外に出たい。

思えば、ロシアにいた頃も暇さえあれば読書か外出かだった。今は本が無いのでどちらにせよ外に出たい。

 

「あー…そういえば料理がしたいな。暫くしてない気がする」

 

「そうか。………材料が無いし…じゃあ買いに行こうか」

 

(よし。セレンが単純で良かった)

外に出たいと言ったら条件反射のようにNOと言われるがワンクッション入れるとこれだ。

なんにしても単純なのはいい事だと思う。

 

「ところで…お前はなんで料理が出来るんだ?お前は何をして過ごしていた?」

 

(今これを聞くのか…まぁセレンに友達がいないのはよく知っているし…全部話してもロランおじさんの迷惑になることはないだろうが…)

 

(一から十まで説明するのが面倒くさいなぁ)

 

「うーん…ちょっと説明しきれん」

 

「……」

 

「機会があれば連れていく。俺が育った場所へ。多分その方が早い」

あの小喧しいロボットは直接見せた方が早いだろう。というか言葉で上手く説明できない。

 

「連れていく?私を?」

 

「ん?そう」

 

「……はぁ。そんなあっさりと…」

 

「何面白い顔してんの」

 

「なっ、お前失礼な!!やっぱりお前は…」

 

「え?何?」

 

「何でもない。私が勝手に思っていたことだ」

 

「そうかい」

何気ない会話、とりとめもない内容。これこそが自分が何よりも欲していたものだ。

コーヒーのカップで口を隠しながら静かに笑う。ああ、でもやっぱり。

 

(もっと前に欲しかった…)

仕方のない事だ。あっちにいて、父が生きていたころは自分にAMS適性があることすら分かっていなかったのだから。

 

 

 

「じゃあそろそろ外に行くか?丁度お前の…」

 

「その前に」

 

「え?」

 

「掃除だ。俺がいない間になんでこんなに散らかっちまったんだ?」

自分が意識を失っている三日間はまだセレンは病院にいたからいい。

だがそれから10日とちょっとしか経っていないのになぜこうも家が散らかっているのか。

ピザの箱が重ねられ、ビニール袋がそこらへんに投げられ、洗濯物が落ちて、洗い物が溜まっている。

美人と汚部屋というのはまた何故か似合う気がしたが、それとこれとは話は別だ。

 

「そんなに汚くないだろう」

 

「汚ぇよ!見ろ!セレンの部屋のドアからストッキングがはみ出ている!」

 

「あれはタイツだ」

 

「そういうことじゃない!」

そもそもがこの人が霞スミカと徹底的に違うと思い知らされた原因の一つがこのだらしなさだ。

どこでも寝るし片づけは出来ないし洗い物もしない。

 

「お前はなんでそんなに口うるさいんだ?」

 

「…それも今度教えるから、ほら、自分の部屋だけでいいから掃除して」

なんでと言われればあの家政婦ロボットの影響が大きいだろう。

飲み切ったカップを持って台所へ行くがなんということだ、シンクが完全に埋まってしまっている。

 

「まあ待て。汚いのは分かった。認めてやる。しかしだな、それは私が掃除が苦手だからだ」

 

「そうだろうな、そうだろうとも」

 

「だからお前が私の部屋とリビングとキッチンを掃除しろ。私はお前の部屋を掃除して正しい片づけ方を見習おう」

 

「うん。うん?」

 

 

 

 

「あれ?俺は多分騙されたな?」

シェイクされた虫かごのようにぐちゃぐちゃのセレンの部屋に立ってようやく丸め込まれたことに気が付く。

 

(まぁ…俺が掃除した方が絶対いいんだろうけどよ…)

置きっぱなしの服や靴などはとりあえず放置して、お菓子の箱などの確実にゴミと断言できるものから順にゴミ袋に放り込んでいく。

さらにゴミ箱に溜まったゴミを逆さにしてゴミ袋へと入れていく。

 

「んっ!?」

ティッシュだの空の化粧品だのに紛れて一つ、捨てていいのかわからない物が紛れていることに気が付く。

 

「これは…」

ゴミ袋に手を突っ込取り出したそれは女性用下着、白いショーツだった。

見たところ着古した感じは無い。

 

(本当にゴミなのか?というか使用済みなのか?わからねぇ…)

同じ服を何年も着るガロアと違い、酷い時は買ったその日に服を捨てるセレンのことだ。全く履いていなくても捨てているという事はあるかもしれない。

だがそれと同じくらい間違ってゴミ箱に入れてしまった可能性もある。

 

これを両手の指でつまみながら『なぁ、これってゴミなの?』なんて聞いた日にはまた派手にぶん殴られそうだ。

 

この下着をセレンが履いていたのかも、と思ったらどうしてか困惑してそのショーツを取り落としてしまった。

今までだって普通に洗濯してきたはずなのに何か変だ。

 

(……もう…)

結局ゴミなのかどうかよく分からないのでその辺に置いておくことにする。

何故か手の平でがっしりと掴む気になれず、指の先っぽで壊れ物に触れるようにそっと掴んで部屋の端にやった。

後でこの辺の衣類と一緒に洗濯すればどうせ使うだろう。

もう自分は居候などでは無く、稼ぎ手なので別に自分が率先して家事をやることもないのだが、セレンに任せると結局自分の仕事が増えることになるので自分でやっている。

 

(あれじゃ…いくら見た目良くてもなぁ…恋人が出来ないだろうな…)

 

「いや、別に出来なくていいだろ」

 

(あれ?自分で思ったことを自分で否定している?)

 

(そういえば……俺が今でもセレンと一緒にいる理由ってなんなんだろう?もう一人でもいいはずだろ)

 

(どうしたんだ俺は…最近精神分裂気味じゃないか?大丈夫かな)

これ以上ゴミが入らないゴミ袋にゴミを必死に詰め込んでいる自分に気が付いて、これはもうダメかも、と思いつつ自分の部屋に行く。

 

「……」

 

(何やってんだ…)

机とベッドしかないから当たり前と言えば当たり前だが、することが無かったのか、セレンはガロアのベッドの上に座ってこっくりこっくりと頭を揺らしながら寝息を立てている。

 

「セレン」

 

「……」

そんなに深く眠れるはずも無いだろうに反応はない。

なんて隙だらけなんだ。自分を訓練しているときと本当に同一人物だと思えない。

 

(本当になんて隙だらけなんだ)

ガロアが考えていたのはその『隙』では無かった。

曲がりなりにも男のベッドで寝息を立てているという状況にふと疑問が湧いて変な感情までもが沸き起こったのだ。

もちろん『そういう事』は知っている。でもこの人と自分はそんなんじゃない。それにこれは隙とか油断じゃなくて、自分への信頼のはずだ。

 

「……セレン!」

 

「む!?ん!?飯か!?飯か!?」

 

「寝てただろ」

 

「精神統一をしていたんだ」

あまりにもド下手くそな言い訳に追及する気も無くなる。

 

(だとしても俺の部屋でしなくてもいいだろうに…)

 

「なんだ?もう掃除は終わったぞ、私は」

何もしてないだろ、というツッコミは終わりそうも無いのでやめておいてゴミ袋を突き出す。

 

「ゴミを捨ててきてくれないか?」

 

「んん?ああ、分かった。捨ててくる。…ふぁ~…」

立ち上がって大あくびをするセレンにやっぱり寝てただろ、と言いたくなる。

 

「ゴミ捨て場は分かるか?捨て方はわかるのか?」

 

「馬鹿に…するな…ふぁ…」

セレンの座っていた場所、特別温かそうだな。ちょっと触れてみたい。

そう自然に考えて目を逸らす。なんだかおかしい。考えが変な方向にずれることが多い。

 

(しかし…大丈夫かなぁ…ゴミ捨てれるかなぁ…)

ここ一年くらいですっかりどっちが保護者か分からなくなってしまったのは自分だけだろうか。

仕事は完璧にこなすし、武術戦術も完璧で師としては全く文句が無いのだが。

 

「例えばコレ。タンスが開けっ放しってセンスもわからねえ…ぶつけたら痛いだろうに…」

セレンを一応外に出るまで見送り、セレンの部屋に戻って肩を落とす。まだまだ時間がかかりそうだ。

まぁまだ午前中だし別にいいのだが。

 

「ん…?」

タンスを閉めようとした時に何かが光っていることに気が付いた。

 

「…ラップトップか?えー…確かこうして…」

セレンが外でも任務報告だとかやらなくてはいけないことがあるときに使っていたラップトップだ。自分が何もしていない今は必要ないらしい。

当然のようにロックを解除して見ていくと、かなりの依頼が来ていることが分かった。

 

「………俺が大けがした事、知っているんだよな…企業は…。おもむろに潰したくなってくるぜ、クソ」

真面目にガロアが行動に移せば、かつてのリンクス戦争のように企業を気分で叩き潰すことも出来る。

と、その時一件だけ差出人不明のメールが来ていることに気が付いた。

 

「んん?セレンにそんな知り合いはいないだろ。……見るか」

口ではそう言いながらも、もしも自分の知らない男とかから連絡が来ていたら嫌だなと、何故かそう思ってしまい開いてしまう。

 

 

 

『初見となる。こちらマクシミリアン・テルミドールだ

念願の復讐を果たした気分はどうだろうか?そして六月六日は貴様の誕生日だろう。まずはおめでとうと言っておこうか。

まぁそれはいい。終わった後に消してもよし、カラードに報告してもよし。とりあえず最後まで聞いてほしい。

一部の者はクレイドルに逃れ、清浄な空に暮らし、一部の者は地上に残され、汚染された大地に暮らす。

クレイドルを維持するために、大地の汚染は更に深刻化し。それは、清浄な空をすら侵食しはじめている。

クレイドルは、矛盾を抱えた延命装置にすぎない。このままでは、人は活力を失い、諦観の内に壊死するだろう。これは扇動だが、同時に事実だ。

ガロア・A・ヴェデット。貴様は紛うことなき強者。だが、強者となりその汚れた手で弱者を救うという行為をするのは矛盾になるとは思わないか。

貴様に全ての弱者を救えるか?貴様が殺した者の肉親は貴様を憎んでいるだろう。それをも救えるか?無理だろう。

他でもない貴様に奪われたのに貴様に救われるなどという喜劇を怨嗟を上げる弱者が認められるはずがない。

矛盾なき強者とは全てに平等である者のことだ。このまま企業の傀儡を続ければ貴様はいずれ矛盾に飲まれて死ぬ。

全ての人間を大地に降ろす。GAのアルテリア施設、ウルナに侵入し、全てのアルテリアを破壊してほしい。だが、指をくわえて見ているのもいいだろう。

あるいは我々と敵対するのも構わない。この行為は全ての人類、我々も含む全ての人間を戦いの場に降ろすということだ。

それでも祀り上げられた強者ではなく真の強者でありたいのならば我らとともに来てもらおう。示してみろ。貴様がこの世の何よりも強く、正しいという事を』

 

 

 

(なんだこりゃ…一方的に喋り倒しやがって…)

 

(なんで俺の誕生日を知っているんだ?まぁ…セレンに話したし…どっかで誰か聞いていたのかな)

 

(それにしても…矛盾なき強者か…)

強者は誰かに守られて強くなる。例えこの世界の全てを憎むような者でもどこかで誰かに守られている。必ず。じゃなければ強者になる前に死んでいるからだ。

自分もそう。父に守られていた。父は強かった。だがそれでも自分を守った。あの恨んで恨んで仕方の無かったアナトリアの傭兵ですらそうなのだろう。

だから矛盾の無い強者なんか存在しない。

 

(強烈なラブコールだ。前の俺ならコロッと落ちてたかも)

本当につい最近気が付いたことだ。この世に生きていくのならば誰かを守って守られて、誰かを愛して愛されて。そうでないと人間をやっていられないんだ。

このマクシミリアン・テルミドールとやらが言う強者は最早人間ではない。化け物だ。

 

(というか)

 

(指をくわえて見ていろ、って言われても動けねぇんだよ。報告するのも…面倒くさいなぁ。どうぞ企業と共倒れになってくださいってんだ)

 

「ん…?」

何かが引っ掛かる。

この前CUBEが自分を訪ねてこんな嬉しい贈り物をくれたことを切っ掛けに、退屈な病院内で過去のミッションを一つ一つ思い返していたのだ。

 

「こいつらが俺を誘う理由…」

後は特にお礼を言われるようなことはしていないが、企業に明らかに敵対的な彼らの言葉と、過去の不穏なミッションの情報を結び付けていく。

 

「………ダメで元々だしな。適当にかましてみるか」

折角喋れるようになったのだし、適当にあれこれ喋ってみるか、とセレンが聞いたらげんこつが飛びそうな事を考えながらガロアはマイクにスイッチを入れた。

 

 

 

 

ORCA旅団が所有する基地の一つ。

テルミドールがコーヒーを飲んでいるとメルツェルが怒鳴り込んできた。

 

「テルミドール!!来い!!」

 

「なんだ?酒ならば飲まないぞ」

 

「違う!そんなんじゃない」

眼鏡から見える瞳は明らかに怒りが混じっている。

メルツェルと口喧嘩するのはよくあることだが、自分と殴り合いのケンカをしても勝てないメルツェルがここまで怒り心頭になるのは珍しい。

 

「なんだ?どうした?」

この前メルツェルが大事にしていた酒を間違えてこぼしてしまったのがばれたのだろうか。その時は開き直ろう。

 

「見ろ!!ガロア・A・ヴェデットからメールが返ってきた!」

 

「そうか。返事はどうだった?」

なんだ興奮しているだけか。何か衝撃的な事でも書かれていたのだろうか、と落ち着いてコーヒーを飲む。

 

「飲んどる場合かーッ! 聞け!!」

 

「……聞け?」

何か話がかみ合わないな、と思ったとたんにボイスが再生された。

 

 

『ガロア・アルメニア・ヴェデットだ。俺が殺したイレギュラーリンクス。あれはそっちのメンバーだろ?謝らねぇぞ。こっちも大変だったしな。

企業と敵対するってのは良いな。俺も企業は嫌いだ。協力してやりたいと思うよ。で、あんたらの本当の目的は空に浮かぶ危なっかしい物のことだろ?、なら少し待っていてくれないか。そっちに協力したいとは思うけど今、大けがしてんだよ。知っているだろ?七月の…十八日まで待っていてくれないか?その日にできればちょっと話そう。待ち合わせ場所とか、

指定してくれれば行くよ。それじゃ』

 

「…あれ?」

 

「テルミドール!!ガロア・A・ヴェデットは喋れないんじゃなかったのか!!そう言っていただろう!!」

メルツェルはキレまくっているがテルミドールは慌てるしかない。

 

「本当だ!目の前で何が起こってもしゃべらなかったのをこの目で見ている!!」

 

「声が目で分かるかこの馬鹿!!」

 

「馬鹿とは何だ!!」

と、言いながらもメルツェルの言う事ももっともである。

 

「クソッ…喋れないリンクスにクローンのオペレーターだというからアサルト・セルも見せたというのに…奴が触れ回ったらどうする気だ!」

 

「いや…大丈夫…だと思う」

 

「この大馬鹿野郎!!馬鹿!!馬鹿!!大馬鹿!!単細胞!!間抜け!!すっとこどっこい!!」

 

「く、大体お前も簡単にアサルト・セルなど見せなければよかったんだ!!」

 

「そうでもしないとインパクトがないと言ったのも奴が喋れないと言ったのもお前だ!!」

 

「ぐぬぬ…」

 

 

ガロアが声を手に入れたことにより少しずつ、歯車が狂い始めていた。

 

 

 

 

街を歩くセレンとガロア。

一見普通だが、ガロアの服の下では包帯が幾重にも巻かれており、まだ骨に入ったヒビなども完治していない。

 

(うるせぇ。街は)

 

(人の声と人の作る音しか聞こえねえ)

 

(あれもこれも…人が作った物だ)

 

(じゃあ……なんで、…なんでお前だけ喋れるんだ?お前も人が作った物なんだろう?)

 

(……一度、帰りたいな…)

 

ガロアが物思いに耽っているとセレンがそんなガロアの胸中も知らずに声をかけてきた。

 

「やっぱりお前が掃除するとこざっぱりしすぎるな」

 

「全部手の届くところに出しておくのがおかしいんだって」

 

「私はそうは思わん」

 

「もう………いいや」

16歳になるまで戦うこと以外は学んでいなかったとなればもう仕方がない事なのだろう。

口で言ってすぐに直る物でもない。

 

「まずは…」

 

「まずは?」

あれ?食料を買いに行くんじゃなかったのか、と思うと同時に意外な言葉が飛び出した。

 

「お前の服を買いに行くぞ」

 

「は?服?この服まだ着れるぜ?」

そう言いながら父の物だった服を見せる。別に綻んでもいないし、破れてもいない。十年選手ぐらいはいっているかもしれないが。

 

「そうじゃない。もう夏になる。お前は夏でもぶかぶかだったその服を着ていたが…やはりダメだろう。それに今ではつんつるてんじゃないか」

 

「つんつるてん?馬鹿な…あれ?」

父の身長は190cm近くあったはずだ。だが、セレンの言う通り、昔は何重にも折りたたんでいた裾がいつの間にか脛が見えるまでになっていた。

今自分は身長どれだけあるのだろうか。周りを見回すと、道行く全ての人間が自分より頭一つ背が低かった。

 

「なんで…ずっとそんなぶかぶかの長袖を着ていたんだ?やっぱり…」

ガロアが育ての親の事を忘れない為だろうか、などと深い理由を考えていたセレンは服を買おうと言ってもガロアが別段否定しなかった事を不思議に思い一歩踏み込んだことを聞く。

 

「ん?俺の住んでいたところは寒かったから長袖しかほとんど無かったんだ。父さんのを着ていたのはそのうち大きくなるからと思っていたからだ」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「………あ、そう。服、買うぞ」

 

「?分かったよ」

 

セレンの後ろを飼い犬よろしくついて行くことになる。

服を売っている店の場所など知らないからだ。

 

 

 

「これは?」

 

「うーん…」

 

「これなんかどうだ?」

 

「ダメだ、やっぱよく分からねえ」

 

「ふむ…」

ブティックでこれなんかいいんじゃないか、と思った服をセレンは見せていくがガロアはどれに対しても今一つの反応しか見せない。

つむじが見える程チビッこかったあの頃から月日も経ち、ずいぶんと背も高くなりスタイルもよいのだからそれなりの格好をすればかなり良い感じだと思うのだが。

 

「セレンに任せる。どれだけ見ても分からん」

 

「…そうか」

たまに思う事だが、ガロアはあまり自分の身体に頓着が無いのだろうか。

服が短くなったことだって普通に気が付きそうなものだが。

 

「じゃあ…これとこれと…」

自分が普段服を買うノリで次々に手に取っていく。

 

「バカバカ、何やってんだ」

 

「バカとは何だ!お前が任せるって言ったから買ってるんじゃないか」

 

「必要な分だけ買えよ。持ち帰れる分だけさ。大体収納が俺のベッドの下の引き出ししかないだろう」

 

「何を言っているのか分からない。タンスを買えばいいじゃないか」

 

「…………」

 

(あ、あ、この野郎。最近よく分かってきたぞ。こいつのこの顔は呆れている顔だ。師にそんな顔をするなんてとんでもない奴だ)

 

(だが…ここは大人の私が怒りを抑えて…)

 

「それなら欲しい物を言え。これがかっこいいとか…おしゃれだとか」

 

「……よくわからない。やっぱりいらないんじゃないかなぁ」

お互いに常識が無いどうしとは言え、曲がりなりにも街中で育ったセレンと、森で人と関わらずに生きてきたガロアではセンスに壊滅的なまでの差がある。

それについて、まだガロアの過去を知らないセレンはやっぱりファッションには興味が無いのかな、としか思えない。

 

「お前は…なんというか常識がないなあ」

 

「セレンに言われたくないんだが」

 

「どういうことだ!?」

 

「そう言う事だ」

まさかの返しだった。いつも色々上から教えてやっているつもりがこんな風に思われていたとは。

だが、よくよく考えてみればこういう点はアレだが掃除洗濯料理など生きていくのに必要なスキルはガロアの方が高い……というか自分はない。

そう思うと自分達の凸凹は上手く噛みあっている気がする。いつかガロアがいなくなったら自分はどうなるんだろう、と思ったら何故かとても胸が痛み、考えるのを辞めてしまった。

 

「………まあいい。次は…」

食材か、ケーキか。痛む事とか考えると食材が先かな、と思っていると。

 

「セレンの服じゃないのか?」

 

「え?」

 

「大分服捨てたし…買い過ぎないならいいんじゃないのか」

 

「う?うん?分かった」

 

「…………」

 

(この野郎…今度のこの顔は…どうしちゃったんだろうこの人って顔だな)

 

(どうしたもこうしたも…そういえば。私は…いつの間にか無駄遣いをしなくなった?)

 

(いつからだ?ガロアと住んで一年もした頃からかな)

 

(そりゃそうか。服も靴も下着も心を埋めようとして買っていたんだ。…結局どんなに高価な衣類で身を包んでも中身は空っぽだったけどな…。でも今は…)

まだまだ常識に照らし合わせれば修正していくべき個所は多々あるが、それでもガロアと暮らすうちに悪癖の一つ、浪費癖は無くなっていた。

それに使う暇も無かったのだ。

今でこそガロアが金を稼いでくれているし(セレンが勝手に金を使っても何も文句を言わない)、ガロアに生活を支えられているといえばそうなのだが、ガロアがリンクスになるまでほとんどの金をガロアに使っていた。

それでもその為の消費は贅沢な物を買うよりずっと楽しかったし意味のある物だった。

 

「どうするんだ?」

 

「あ、うん。分かった。行こうか」

メンズコーナーからレディースコーナーへと移動していく。

その時、すれ違う何人かがこちらを見てひそひそと話し合うのを見た。

 

「……」

 

(あ…。この前の…ホワイトグリント戦のせい…か)

セレンでさえも慄き、未だにそこに触れる話題は出せない程だ。

あの映像が大々的に放映されたカラードの庇護下にある人々がガロアにどういう印象を抱くかなんてのは実に想像しやすい。恐怖しかないだろう。

今ここをただ歩いているだけのガロアだが、怒ればコジマ粒子を巻き散らしながらネクストで襲撃してくるかもしれないのだ。そうじゃない、と言い張っても民衆にそんなことは分からない。

いつ爆発するかわからない不発弾と何ら違いは無い。

体格のいい厳つい男が歩いていたらそれだけで怖い。銃を持った者が構えておらずに立っているだけでも普通は目を離せない。

リンクスはそんな物を遥かに超える恐怖の存在なのだ。

 

「……」

 

(飄々としているな…何も気にしていないのか?本当に?)

さっきの人々の反応は絶対に見えたはずだ。

いや、それどころか鋭いガロアの事だ。道中自分が気が付いていないだけでガロアは幾つもの誹謗中傷を耳にしているかもしれない。

自分を自分では無く、ただの怪物・兵器としてしか見られない辛さをよく知るセレンはぐっと唇を噛んだ後、半ば以上自分の気分を変える為に似合わないことを口にしてみた。

 

「お、お前が可愛いって思った服を選んでほしい!!かなー…なんて…思ったり…」

 

「うん」

世間の目を受け流すと同様にセレンの精一杯の勇気も飄々と流してしまったガロアにセレンは素直に悲しくなる。

 

(しょっぱい反応だ…昔は可愛い子供だったのに…)

実のところ見た目は著しく変わっても、中身自体はそう変わっていないガロアだが、

それでも訓練に肩で息をしながら着いてきて、しょっちゅう怪我をして、ぽんと頭に手を置ける大きさだった頃は思い返してみれば可愛かった。

鼻の上がちょっと赤かったのも子供っぽくて可愛かったのに今ではそんなことは全くない。

 

「これなんか似合うだろ」

 

「ん?似合う?私にか?」

 

「他に誰がいる?」

 

「……はぁ」

かと思えばこれだ。差し出された水色のロングワンピースは確かにこれからの季節に良さそうだし色も悪くない。

胸元が寂しいからネックレスでも合わせていきたい。

 

「似合う?か?」

差し出された服を目の前で自分の身体に重ねて広げる。

 

「うん。というか何を着ても可愛いしな」

あくまでも淡々と口から砂糖を吐き出すようなセリフを言うガロア。

 

「……………」

そういえばそうだ。こいつはあんまり表情が変わらないんだ。

そう思いながらまた自分の顔が食べごろのリンゴのように赤くなっていくのを感じる。

 

結局顔に血がのぼってしまい、実は先ほどガロアがものすごく照れて口数が少なくなっていたという事実には気が付かないまま、言われるがままにいくつも服を買い外に出た。

 

 

舗装された道路を歩くとカツカツと音が出て、街を行く人々の隙間に吸い込まれていく。

昔のガロアにはとてもではないが馴染めない風景だ。

 

 

「んー…食材を買いに行くか?それとも昼飯をどこかで食べるのもいいし…」

 

(悪くねえ…いや…嘘。かなり楽しいな)

じろじろ見てくる奴らが多い事を除けばかなり楽しい時間だ。

なんだかんだすっかり機嫌がよくなりあれこれ他愛もない事を話すセレンは見ていて素直に無邪気で可愛いと思える。

 

「いや、でも今夜沢山作ってくれるのなら…昼を抜くってのもいい」

 

(ああ…なのに…なんで)

瞬きをすると瞼の裏に映るのは解体した動物の虚ろな目。

 

「もう献立は考えているのか?」

 

(幸せなのに…)

人の首にナイフを突き刺した時の拍子抜けするような感触が左手に鮮明によみがえる。

 

「ガロア?」

 

(思い出すのは…こんなことばかり…)

鹿の体内で鼻が麻痺するほど嗅いだ血の臭いが今するのは気のせいのはずだ。

だがどれもこれも過去に自分がやったことじゃないか。本当の事だったんだ。今こんなに楽しいのが嘘みたいに。

あれとこれが一繋がりの現実だとはとても信じられないが記憶は本物だ。

 

「ガロア?どうした?」

 

「!!」

気付けば自分を飲むように包み込んでいた死体共の幻想から、セレンの声で急に引き戻される。

 

「わっ!?何!?なんだガロア!?」

右手に持っていた買い物袋を取り落として無意識にセレンの手を強く握っていた。

 

(…なんでだ。ゆる…許されないのか…結局は…)

『戻れない、戻れやしない』と何度も思ったし、それを相手にも苛烈にぶつけてきた。戻れない、その言葉が自分に噛みつき始めている。

でも何をしても戻れないというのなら、自分は野垂れ死ぬしか無かったのだろうか。

 

「ちょっと…痛い…」

思い切りその手を握ってしまいセレンが細く声をあげるのも気が付かずに背筋を冷やしていく。

 

(クソ…俺は……。ん…?あのガキ…)

 

「え…?何なんだ、お前…大丈夫か?」

目の前10m先を風船を持って歩く少女が目に入る。五歳くらいだろうか。

いつの間にかセレンの手は離していた。

 

(あの歩幅…後五歩であの缶にけっつまづくな…)

不法投棄された缶が地面に転がっており、間違いなくあの少女はその缶の真上に足をやってしまい、恐らくは転ぶだろう。

 

(……)

 

「……」

 

「…チッ」

何か理屈を考える前に身体が飛び出していた。

置き去りにされた袋がぽすんと呑気な音を立てる。

 

がっ

 

そんな音が出たのではと思う程間抜けに少女は缶を踏んでいた。

 

「きゃっ」

 

(間に合わなかったか!!なら!)

既に缶を踏んで後ろに向かって勢いよく倒れた少女に手を差し伸べる。このままでは後頭部強打コースだ。

 

『戻れない』

例えばここで見過ごしても、大怪我したとしても。戻れないなんて。

 

 

「よっ!」

転ぶ勢いを利用してそのまま後方にくるんっと一回転させてしまった。

風船の紐が絡んだがそれはご愛敬だ。

 

「わぁ!」

 

「っ…と」

 

「ガロア!?お前…」

 

(…?何をした?なんで…?散々殺してきた手で今更…?人を…助けたのか)

 

「なぁに?今の!?」

 

(殺す事しか出来ない手だと…)

この手が遥かに小さかった頃からずっと血に染まっていた。

人も動物も殺し続け、洗っても洗っても血の臭いが取れないと思う程だったのに。

 

「お兄ちゃん!今のもう一回やって!」

 

「え…?あ、いや…あぶねぇからダメだ…」

 

「えぇー…」

そんな会話をしながら少女から手を放すと再び周囲からひそひそ声が聞こえる。

取って食おうとしたようにでも見えたのか。そうだろうな。自分は化物だものな。

 

「もう…行け。足元気をつけろよ」

 

「はーい…」

気をつけろ、と言うのに少女は前も見ずに風船だけに目を向けて走り去っていく。

 

 

 

セレンは今の光景を見てやっぱり、と考える。

どこかの誰かはガロアを恐ろしい兵器だと、復讐鬼だというのかもしれない。それでも。

 

「……ガロア」

ガロアが落とした袋も持ってガロアのそばに駆ける。

おこがましいことなのかもしれないが、それでもガロアのそばにいてやろうと思った。

 

「なんだ」

 

「なんであの女の子が転ぶ時に助けた?」

 

「……分からねえ」

 

(ずっと思っていたが…ガロアはいろんなことを考えすぎる。考えすぎている。実際は、考え抜いた果てじゃなくて…とっさの行動で人は出るものだ。お前は自分をなんだと思っている?)

 

「なんで…CUBEを助けた?」

 

(善だよ。何も考えずに手を差し出した。それが人間だ。そんなお前だから…力を持っていいんだ。例え復讐を望む子供であったとしても、お前は力を持ってよかったんだ)

力を与えたのは自分だ。なんで途中で辞めなかったんだろうと問われればそれはやはり大半は自分の為だ。あの日々は何よりも楽しかったから。

だが、どんなに怪物や化物に見えても父を失ったことを悲しみ力を欲した、という理由自体がセレンにとってはとても人間らしい物に思えたのだ。

 

「そりゃあ…」

 

「そりゃあ?」

 

「知っている奴が…目の前で死んだら気分が悪いだろう…」

などと捻くれたことを言ってみるが明確な理由などガロアにも分からなかった。ただ、身体が動いたのだとしか。

 

「……」

 

「何かおかしかったか?」

そんなガロアを見てセレンは満足気に笑っている。少しくすぐったいが、ガロアは悪い気分ではなかった。

 

「なんでもないよ。行こうか、ガロア」

 

「……うん」

足りないところが多すぎる二人だが、それでも出会った時と変わらず、セレンはガロアよりも精神的に大人でガロアが迷った時には引っ張っていってくれる。

そんな関係を上手く言葉にできなくても、それがガロアがセレンを全幅に信頼する何よりも大きな理由だった。

 

「!あれは…」

セレンが視線を先にやって歩を止める。周囲と明らかに違う空気を醸し出しながら歩き、写真を撮られたり声をかけられながら歩いている女性がいた。

セレンの見る方向を見てガロアもそれに気が付く。

 

(ん…?リリウムか?一人で…少し寂しそうだな)

時々握手を求められていたり、とにかく悪い顔で見ている者は一人もいない。イメージ戦略というのは恐ろしい。

 

(そりゃあ…蔑まれるよりは尊敬される方がいいんだろうけどさ…人を殺しておいて笑顔を振りまくなんて俺には出来ねえよ)

お前も俺も同じ存在のはずだ、と思う。怪我をして動けない間にセレンと話をしたり調べたりして知ったウォルコット家の歴史を思い出す。

向こうもこちらに気が付いたのか足早に駆け寄ってくるが、隣のセレンが凄い顔をしている事に気が付く。

 

「……」

 

(そうだった…よく分からないけど…セレンはリリウムの事を凄い警戒しているんだよな…)

セレンの警戒心の高さも異常だが、ガロアもガロアでまた罪深い男だった。

 

「…お、あ…う…」

酸素不足の金魚のように口をぱくぱくさせながら瞬きもせずにセレンはこちらに来るリリウムを見ている。

 

(ん?あれ…なんかこの顔は違くないか?)

 

(照れているときの顔だ。何か言いたいことがあるのか?)

 

「こんにちは。ガロア様、セレン様」

 

「リ、リリ、リリウム・ウォルコット!!」

 

「はい?」

 

「そ、その。ガロアがくれた花は、綺麗に育っている」

 

「私は嬉しかったんだ。だ、だから、ありがとう」

 

「……はい。喜んでいただけて何よりです」

 

(悪くねぇ。俺に礼を言っておけなんて言いながら。…自分から言うのか。悪くねぇ)

実はお礼だけではなく、いつだかにかなり悪い態度で接してしまったことも謝りたいと思っているセレンだったが、そこまではまだ勇気が足りないようだ。

 

リリウムはリリウムでこれといった悪感情はもう特に無かったところに礼を言われてただ驚いた。

それよりもガロアがセレンの方を見て小さく笑っているのが気にかかっていた。普段笑ったりしないからこそ、時々笑うその姿は…、と。

 

「これから…ケっ、ケーキを買いに行く。大きいのを買う。リリウム・ウォルコットも来い。いや…来るといい」

 

「ケーキですか?ご一緒していいのなら是非。それと、普通にリリウムとお呼びください」

 

「う、うん。それに食事も沢山作る。ガロアが。だから食べていけばいいんじゃないか」

 

「そこは俺なのかよ」

 

「え!?」

 

「料理したいって言っていただろう」

 

「ガ、ガロア様…?」

 

「そうだけどさ」

ガタガタの言葉でリリウムを食事に招待したはいいが何故か自分まで派手に巻き込まれていることにガロアは気が付いて文句を言う。

 

「こ、声が…」

 

「あ…そうか」

 

(あ。そういえばセレン以外の知人には話しかけてもいねえや。俺も大概友人が少ないと言うか…)

 

 

「恥ずかしがり屋だったのですか!?ものすごく!」

これはしたり、とばかりに翠の目をまんまると大きく開いててんで的外れな事を言い始める。

 

 

「……」

 

「……」

 

「うん、そうなんだ」

 

「しょうもない嘘をつくな、嘘を」

 

「いてっ」

一から十まで説明するのもかったるく、もうそういう事でいいやとうなずいたらセレンからパンチが飛んできた。

 

「まぁいいや。じゃあリリウムも来いよ」

 

「はい。…?」

 

(……!)

ガロアがぶっきらぼうにリリウムに声をかけると三人を見る周囲の雰囲気がにわかに悪くなり始めた事をセレンは感じる。

やっていることも、過去も、二人はほとんど同じなのになぜこうも扱いに差が出てしまうのかと思い少しだけ胸が苦しくなる。

ガロアは飄々として何も感じて無さそうだが、リリウムはその空気の変化に気が付いてしまったようだ。

 

「…リリウム。お前はガロアが…怖くは無いのか」

 

「セレン。そ…」

 

「黙っていろ、ガロア」

 

「……」

 

「リリウムが…ガロア様を?」

どういう質問なのだろう、と思うと同時にリリウムは答えに気が付いた。

この前の戦いでの異様はカラード中で話のタネになり、そして世間からの評価は悪鬼、復讐鬼など散々な物ばかりだ。

だが、今リリウムの目の前で買い物袋をぶら下げているガロアも、この前一緒に贈り物を選んでいたガロアも普通に同い年の男の子という風にしか見えなかった。

それに、誰だって心に暗い部分の一つや二つはあるだろう。全てが明るく清潔な人間なんていないのだ。

 

「…ガロア様は、ガロア様ですから」

 

「……」

 

「……」

リリウムの答を聞いて黙ったまま口角を少しだけ上げるセレンとガロア、二人の笑顔はよく似ていて少しだけリリウムの胸が疼いた。

 

「リリウム、お前好物はなんだ?作ってやるよ」

 

「え?はい、辛い物が…」

 

「甘い物は好きか?美味しい店を知っているから買って帰ろう」

 

「は、はい」

 

セレンは気が付かない。

以前なら誰かがガロアと親しくしているだけでかなり機嫌が悪くなっていたのに、今はガロアの印象が悪くなかったという事を聞いてむしろリリウムへの好感度が上がったくらいだ。

人間扱いされずに放り出された後に一番親しくした人間が言葉を口にできない少年ではやはりどうしても、まともな人間関係を築けずにガロアを自分の物として見てしまう、いわゆる独占欲があった。

ガロアを怖がらずにいてくれるこの少女への心証はセレンの中で大きく変化した。

 

ガロアが声を手に入れた事で少しずつ、大きなことから小さなことまで、少しずつ変わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

外に出る口実だったとはいえ、料理は嫌いじゃない。

いや、元々そんなに嫌いじゃなかったんだ。一人で作って一人で食べると言う行為の虚しさに嫌気がさしていただけだ。

食べてくれる人がいるのなら、それで喜んでくれるのなら、それがセレンなら。作るのは楽しい。

 

「はいよ。本当に辛いから気を付けて食えよ」

机に持ってきた大鍋の中にはいかにも辛そうなスープに具がゴロゴロと入っており、

なんだかんだ昼飯を抜いてしまったセレンと辛い物が好物のリリウムの鼻をつく刺激臭が胃袋を堪らなく締め付ける。

 

「これはなんだ?」

 

「チリコンカンですね!」

 

「よく知っているな。まだあるから先に食べていろよ」

 

「美味しいのか?」

などとセレンは軽口を叩くがこれが不味いはずがない。かきこみすぎて喉につまらないか心配だ。

 

「んー…控えめに言って…クソ美味え」

 

 

機嫌良さそうにそう言いながら台所に他の料理も取りに行ってしまうガロアの背中をリリウムもセレンも不思議そうに見つめている。

 

 

 

(何か…想像していた性格と違います)

ひそひそとセレンの耳にリリウムが小声で感想を述べるとセレンも三回ほど頷いて肯定する。

 

(やっぱり!そう思うだろう?なんというかもっと…)

文字通り無口だったガロアの振る舞いだけで想像していた性格はもっと冷淡な物だと思っていたが、思ったより口も悪いし軽口も多い。

声を手に入れても全く喋らないよりはいいのかもしれないが。

 

(どんな性格だと思っていたんだ?)

 

(もっとクールな性格かなーなんて…)

 

「うわっ!!」

 

「きゃあ!!」

いつの間にかひそひそ話に混じっていたガロアに二人そろって黄色い悲鳴をあげる。

 

「喋れなかっただけで頭ん中で色々ぐるぐる考えていたのさ。バカに見えて賢い奴もいれば、冷静に見えて何も考えてねえ奴もいる。見ただけじゃ分からねえだろ」

 

「……」

 

「……」

やはり、想像していた性格とかけ離れたガロアの言葉に特にリリウムはあんぐりとしている。

 

「はい。まずパスタ。ソースもたくさんあるから適当に食えばいい」

 

「美味しそうです!」

 

「チーズは…あ、もう置いてあるのか」

流れをぶったぎって料理を置き始めたが、それがなんとも美味そうで結局セレンは空腹に負けて空気を戻されてしまう。

 

「サラダも食えよ。野菜を食わないとエラい事になるぞ」

 

「どうなるんですか?」

 

「血を吐く」

ガロアの言葉にからからと笑うリリウムだが、セレンは何となく今のトーンが真面目だったような気がした。

だが、どうも最近は調子が狂いっぱなしなので多分気のせいだろうと思う事にする。

 

「ハンバーグカレー。ハンバーグのお代わりもある。たくさん作った。辛口」

 

「…?あれ?」

 

「タコス。これとこれは辛いから…まあ好きに食べろ」

 

「何か…」

 

「シーフードドリア。魚は平気か?」

 

「大丈夫です。じゃ、なくて…何か多くないですか…?」

もりもりと机の上に置かれた食事は軽く10人前はある。お代わりもあるぞ、なんて言っていたが全品に手を付けられるかも怪しい。

 

「「なにが?」」

 

「あれ?」

何か自分が間違ったことを言ったんじゃないかと思ってしまう程、セレンとガロアは見事にハモる。

リリウムは軽くパニックに陥った。

 

「「いただきまーす」」

 

「い、いただきます」

 

当然のように手を合わせて食べ始めるガロアとセレンに遅れずにリリウムも口に運び始める。

どれもかなり美味しかったがやはり全てに手を付けることは不可能だった。

自分がぎりぎり一人前食べたのに対しどう見ても二人は五人前ずつくらい食べていた。

ガロアが初めてこの世界に来た日にどのような見た目だったかを知っているリリウムは、

パンパンの胃袋に苦しみながら、ガロアがこれだけ大きく育ったことに心から納得していた。

 

 

「シュークリームもロールケーキもあるぞ」

 

「も、もう…食べられません…」

 

「何だ…つまらんな。ガロア、私はロールケーキを食べたい」

 

「分かった。俺は洗い物をしてくるからな」

絶対に三人で食べる大きさでは無いチョコケーキをも平らげてまだこれである。

リリウムは青息吐息で目を回している。

 

「あの…なんであんなに大きなケーキを…?」

今セレンが食べているケーキは普通に女性が一回で食べるサイズに見える。

正直今は食料を目にするのも嫌だが。

 

「うん?ああ…この前ガロアの誕生日でな。でも入院中だったし、退院した後に祝ってやろうと………あ」

 

「お誕生日だったのですか!?」

祝いの品も言葉も無くただあがりこんで食事をいただいてしまった、どうしようと狼狽するリリウムの前でセレンも抜けた顔で目を泳がせている。

 

「しまった!!ローソクをつけるのを忘れていた!!ハッピーバースデーの歌を歌っていない!!」

 

「……」

そういえば忙しく動いているのはガロアだけでセレンは何もしていなかった気がする。

一体どういう関係なのだろう、よく分からなくなってきたとリリウムが混乱していると。

 

「いや…いいよ、別に」

まだ洗い物の途中なのか手に泡をつけたガロアが台所からばつの悪い顔で半身を覗かせていた。

 

「だって祝いたいじゃないか」

 

「そうですよ」

 

「いや…その…祝ってくれるだけで…嬉しいからよ…もう十分だ」

灰色の目を明後日の方向へやりながら要領を得ない言い方でぼそぼそと話すガロアにセレンはピンと来る。

 

「照れているのか?」

 

「……く…ぬ…」

全くその通り、10歳のころから祝う人間もおらず、

誰にも話してもいなかった誕生日はただ自分が一つ歳をとるだけの日だったのにこんなに純粋に祝ってもらえるなんて思っていなかったガロアは今、人生でも最大級に照れている。

 

「…………」

年齢よりもずっと子供らしい表情でぐっと唇をかんだ後背を向けて無言で台所に戻っていってしまった。

 

(か、可愛いです…)

 

(イケる!イケるぞ!)

何がイケるのか、セレンは自分でも説明できないが、今のはイケる。表情があまり変わらないだけで、さっきの言葉通りガロアは頭の中で色々考えているらしい。

 

「よし、ケーキにローソクはもうしょうがないとして、とりあえず人を呼ぼう」

 

「誕生日パーティですか?ここで?」

 

「そうだな」

この時点で名門ウォルコット家の跡継ぎで王の秘蔵っ子のリリウムとセレンの考えるそれは重大な乖離が生じていることに二人は気が付かない。

 

(とりあえず………メイしかいない…)

通信機器の電話帳を見ても教師だった男とガロア、そしてメイしかいない。改めて悲しい現実に思わずため息を零しながら電話をかける。

 

「…………………出ないな」

どれだけ鳴らしても出ない。もしかしたらミッションに出ていたりするのかもしれない。

 

「今日突然招待するのは…それぞれ都合もあるでしょうし…」

 

「そうだな。リリウムは何故ここに来ていた?」

 

「今日はお仕事も無かったので…エアーラインシステムを乗り継げば一時間でここまで来れるので、来てしまいました」

 

「ほう」

 

「有澤圏のお菓子なんですけど…落雁っていうお菓子がカラード管理街で売っているんです。それが大好きなんですけどBFFの方では売っていなくて」

 

「甘いやつか!?」

 

「とっても甘いですよ」

 

そんな二人がとても女子らしい会話で盛り上がる中、台所にいたガロアはドアが乱暴にノックされるのを聞いた。

 

「……」

会話が盛り上がっているところを水差すのもあれだし、もう喋れるようになったのだから受け答えも出来るはずだと思いドアを開く。

 

そういえば人が訪ねてくるなんてそうないことだ。

 

 

「あ゙~ガロア君また涼しげな顔をして~!セレンを困らせているんだろ!!少しは女の子の気持ちを知りなさいよ!!」

 

(酒臭っ!!)

顔を真っ赤にして細い目を愉快そうに曲げたメイ・グリンフィールドがドアの前に立っていた。

 

「セレンを出しなさい!!あの子が私に電話してきたから゙わざわざ来たのよ!!」

 

(ん…?こいつ…?)

酩酊しているメイはもういいとして、荷物のように肩に担がれている面白頭はダン・モロに違いない。

先ほどから全く反応が無く、どうやら意識が無いようだ。

 

「早く!!」

 

「分かった分かったちょっと待ってろ」

手に持っていたウィスキーのビンを振り回して今にもダンごと落としてしまいそうだ。

セレンは一体何を考えてこんな人を呼んでしまったのだろう。

 

「そうよ!私はお客さんよ!」

 

(うざっ)

先ほどまでの照れ倒した気分が一転濃厚な酒の臭いに気分を悪くする。

父は酒を全く飲まなかったが多分自分も酒はダメなのだろう。

 

「あっ!!?!なんでガロア君喋っているの!!?」

 

(もう…さっさとセレンに任せよう…)

声を出すと反応がみんな違うというのは面白いが、この酔っぱらいに説明したところで理解できるかどうか分からない。

頭の上に佃煮にできる程クエスチョンマークを浮かべたメイを置いてセレンを呼びに行った。

 

 

 

 

「だからな?ガロアが18になったから誕生日を一緒に祝おうと思ったんだ」

 

「ふむふむ。よく分からないわ」

 

「……」

 

(本当にセレンが呼んだのかよ…)

まともとは言い難いがそれでも受け答えが出来ているメイに対してダンは椅子の上で置物と化している。

一応自律呼吸は出来ているようだが。

 

「ああ~…リリウムちゃん相変わらず可愛い~…好き」

 

「っ…お酒臭いです…」

リリウムに思い切り抱き着く光景はメイが酔っぱらっていなかったらまだ綺麗な光景だったのかもしれないが、乱れた髪に赤い顔のその姿は生娘に絡む酔っぱらい以外の何者でもない。

 

「ん~?つまり?ガロア君が18歳になったってこと?」

 

「そうです。先日お誕生日だと…」

 

「じゃあこれあげる。うぶっ…プレゼント」

途中で戻しそうになりながら懐から取り出したのはやはり酒。

栓も空いていないし、高級品なのはなんとなくわかるが別にうれしくない。

 

「俺は18だぞ。飲めねえ」

 

「なぁ゙~に言ってんのよ!18だと飲める場所の方が多いでしょう!!」

 

「……」

 

「む゙~…うえっ…。じゃあ…セレンにあげる…美味しく飲んで…」

 

「おお?あっ!有澤圏の山廃仕込みの酒…いいやつじゃないか!!」

 

(そうなのか)

セレンはまだ20のはずなのになんでこんなにお酒に慣れ親しんでいるのか。

セレンには辛い夜に酒に逃げていた時期がある…何てことは知らないガロアはただ疑問を浮かべる。

 

「じゃあ…私帰るから…リリウムちゃん、お別れのキスして…」

 

「ごめんなさい…」

 

「う~…ケチィ~……」

 

「……」

ほぼ死体と化したダンを抱えて出て行ってしまうメイ。

結局酒の臭いを巻き散らかしながら酒を置いていっただけだ。酒お化けだ。

 

「あの二人どういう関係なんだ?訳が分からん。セレンは分かるか?」

 

「いや…よく分からん。でもいい酒だぁ…」

 

「恋人でしょうか?そうは見えませんでしたが…」

三人で頭を傾げるが、結局よく分からない。

後日聞くと言う手段もあるが、かなり面倒だ。

 

「でもガロアも18なんだし飲んでもいいだろ」

 

「いらねぇ」

 

「リリウムもお付き合いで少したしなむ程度ですが…たまに頂いています」

 

「酒なんか消毒と料理にしか使ったことない」

 

「「消毒…?」」

セレンとリリウムの疑問が合致して微妙な空気になった時、リリウムの左手の中指に嵌められていた指輪が光って震えた。

 

「はい、大人」

 

『リリウム、もう帰路についているのか』

指をなぞった途端にしわがれた男の声が聞こえた。

どうやら電話らしいが明らかに自分とセレンが使っている物より5つほど世代が進んでいる。

 

「いいえ、これからです」

 

『なっ、大ばか者!今日は休日ダイヤだ!』

 

「あっ」

 

(そういえばそうか)

公共エアラインシステムなどまず使わないガロアには分からないが休日と平日で運行状況が違うのはいつの時代でもどこの場所でも違う。

時計を見れば既に23時になろうとしていた。

 

『…もうよい。今どこにおるのだ』

 

「はい、セレン様とガロア様のご自宅にお招きいただき…」

 

『なんだと!?何故そうなる!?』

 

「?」

 

「?」

 

「?」

三人とも王がなぜここまで狼狽えるのか分からないが、王にとっては牙むき出しで情緒不安定のセレンと全く女性の気持ちを理解しないガロアのコンビなどほぼ敵でしかない。

 

「よくわからんがリリウムは責任をもって明日の朝まで預かろう、王小龍」

 

『ふざけるな!リリウムはまだ18だぞ!外泊など…くっ、せめて小僧に手錠を付けて別の部屋に置いておけ。手を出さんとも限らん』

 

「出さねぇよ。そっちこそふざけんな。孫離れしろよな、爺さん」

ガロアから飛び出した口ぎたない言葉にセレンとリリウムがぎょっとしていると本日三人目の反応が返ってくる。

 

『小僧か?貴様、口が…』

 

「喋れるようになったんだよ。そういうこともあるだろうが」

いちいちAMSがー、手術がー、等と説明するのも、このまま電話越しで話し続けるのも面倒なので適当に答えてしまう。

 

『無いわ!!』

 

「ないだろう、普通」

 

「自然回復したとしても…突然流暢に話し出すケースは稀かと…」

 

(おお…なんだ…全方位から否定されてやがる…)

いちいち説明するのは面倒なことなのかもしれないが、面倒だからと適当に細かな嘘を積み重ねると後々大変なことになる…なんてことはガロアにはまだ分からない。

 

「それに…大人とは…血の繋がりはありません」

 

「ん?違うのか?」

 

『そうだ。小僧、さ』

 

「でも血のつながりだけが家族か?血が繋がってなくても家族。そういうこともあるだろう」

むしろそれを否定してしまえば自分すらも何が何だか分からなくなってくるのだ。

ガロアはその言葉を他でもない自分の為に言っていた。

 

『……』

 

「…あると思います」

 

(…同じ感覚で言ったのにどうしてこうも反応が違う…言葉ってのは難しいもんだな)

その言葉は王と既に家族のいないリリウム、そしてセレンの心の深くまで染み込んだが、

そういう感情の機微には疎いガロアは何も気が付かない。

 

『ふん。いいだろう。ただし絶対に小僧とリリウムを同じ部屋で寝かせることは認められん。よいな』

 

「当然だ。こちらとしてもそんな乱れた生活は許せん」

 

「?」

 

「?」

 

『寝間着はリリー・テネンバウムのシルクの物を使え。朝は必ず牛乳だ。歯ブラシは』

 

「うるせえなあ、もう」

リリウムが先ほどなぞった方向と逆方向になぞったら通話は切れてしまった。

今更そんな寝間着など買いに行けるか。

 

「あっ、大人…」

 

「もう18だろ。ここまで干渉するのもされるのもおかしいんじゃないか?寝間着はセレンの借りろ。足りないものはコンビニで買えばいい」

時間を確認してから急に眠たくなってきた。もう洗い物もしたし、洗濯もした。おまけに日中布団を干しておいたからよく眠れそうだ。

風呂に入って寝てしまおう。

 

「まぁそれはそれでいいんだが」

 

「だが?」

 

「確かにお前とリリウムを一緒の部屋に寝かせる訳にはいかん」

 

「はぁ」

 

「はい」

 

「しかし私の部屋に寝かそうにも狭くて二人は寝れん」

 

(セレンが悪いんじゃないのか)

 

「だからお前が私の部屋で寝て、リリウムと私がお前の部屋で寝ればいい。予備の布団もあるしな」

 

「はい」

 

「うん。うん?」

 

 

 

「あれ?俺は何か騙されたのか?」

片付けたとはいえ、それでも服が積み重ねてある部屋のベッドの上で少し考えるがどこでこうなったのかよく分からない。

 

「分からん。俺は舌戦が向かないのか。まぁ…まだ喋れるようになって10日も経っていないしな…」

風呂から上がって湯気を頭から立ち上らせながら悩むがよく分からない。

セレンとリリウムは買い物に行ってしまった。あんまり遅くに女性が歩くのはどうだろうと思うがセレンがいれば半端な不審者は瞬殺されてしまうだろう。

 

露出狂が二人の前に飛び出すが、何か行動に移す前にセレンにぶっ飛ばされている光景を想像して一人で笑いながら布団の準備をする。

 

ピピピッ

 

「ん?」

いざ寝ようとした時に、どこかで聞き覚えのある音がタンスから聞こえてくる。

 

「あれ?ラップトップに…返信が来たのか」

そういえば昼間にかなり適当なことを言いながらボイスメールを送った気がする。

送ったメールを思い返しながらやはり無題のメールを開く。

 

『良いだろう。七月十八日の午前十時に○○前まで来い。迎えをこちらから寄越す。一つ、警告をしておく。ウィン・D・ファンションには気を付けろ』

 

「なんか随分短いな」

昼間に聞いた迫真のボイスメールから一転、かなり短くしかもテンションも低めに聞こえる。

なんというか、親に怒られた子供が渋々出した謝罪の言葉みたいだ。

 

「気を付けろ…?よくわからん…」

具体的に何を気を付けろというのか。それに独立傭兵なのだからいつかぶつかることもあるだろう。

今一つ何が言いたいのか分からない。

 

「…寝よ」

もういいや。考えても仕方がないことだ。

セレンもなんだかリリウムと上手くやっているみたいだし、何よりも眠い。

電気を消してベッドにもぐりこみ布団を被る。

 

(…!いい…匂いがする…)

時々セレンの髪からふわりと香る匂いを百倍濃くしたような匂いが鼻腔を刺激して脳が誤作動を起こしだす。

 

(…?でもそれだけじゃないな…シャンプーもリンスも俺と同じはずなんだから…これが…女性の匂いって奴なのか)

誰も見ていないがそれでも、顔がほころぶのを拒むように唇を噛んでほんのり顔を赤くする。

 

(あれ…?この匂いは…あの夢の…)

夢の中で抱きしめられた女性からもこんな匂いがしたような気がする。

 

(気がするって…会ったことも無い脳内人物なんか…)

気のせいだろう、そんなもの。そう思い目を閉じるとすぐに意識がまどろみ、太陽をよく浴びてふかふか布団で深い眠りに落ちていった。

 

気が付くことは一生ないかもしれないが、ガロアは今日、初めて十代の少年らしい一日を過ごしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「もうガロア様は…」

 

「寝ているだろうな。あいつは寝付きが良いからな…」

ガロアが眠りに落ちてから一時間後、ついでに中央塔の銭湯で風呂を済ましてきてしまった二人が帰ってきた。

誰か一緒に風呂に入るのはリリウムにとってもう何年も無い事だった。

 

「私が寝ているときのルームウェアを貸そう」

 

「このままでも…」

 

「洗濯もしていないんだ。そのままでは気持ちが悪いだろう」

すっかりレム睡眠に入ってしまっているガロアがいる部屋へとセレンはそっと入っていく。

 

「あーあ…また布団を蹴っ飛ばして…」

眠りこけるガロアの片脚はベッドからはみ出ており、掛け布団は弾き飛ばされている。

ちゃんとした体勢に直して布団をかけなおすその姿は恋人というよりも母親に近い。

 

「どこに置いたっけ…ガロアが整理したから分からなくなった…」

ぶつぶついいながらタンスを漁るセレンは、暗さも相まって相当探しにくそうだ。

 

(……!ガロア様って…)

扉の隙間から差し込む光でぼんやりと見える寝顔は随分と優しげな表情をしており、普段どれだけ顔に力が入っているのかが分かる。

 

(やっぱり…恨んでいくうちに…そうなってしまったのですか?)

当然、そんな踏み込んだ話を聞く勇気はリリウムにはない。そんな勇気があるのならば…

 

「これでいいか?」

 

「え?あっ、はい!ありがとうございます」

よく見ていなかったが、何か既に服を差し出してくれていた。

少しぞんざいな返事になってしまったかもしれない。

 

「じゃあ…ここで騒いでガロアが起きてもいけないし…部屋に行こう」

 

「はい」

と、いう程の距離も無い。隣のドアだった。

 

「お、布団をもう敷いてくれているぞ。割と気が利く奴だ」

 

(え…?これがガロア様のお部屋…?)

ベッドとその下の引き出し、そして机以外にはトランクしかなく、

夜逃げ前と言っても分からない程だ。先ほど垣間見たセレンの部屋とはあまりにも対照的すぎる。

 

「どうした?」

 

「これは…リリウムの為に…片づけておいてくれたのでしょうか?」

 

「?…ああ、違うよ。あいつの部屋は元々これだけだ」

 

「なんだか…」

 

「少ない、か?言いたいことは分かる。まぁとりあえず着替えろ」

 

「…はい」

言われるがままに着替えさせられた服は不思議な事にぴったりだった。

セレンとリリウムはパッと見ただけでも20cmほど身長差がありそうなのだが。

 

「やはりぴったりだったか」

 

「…?」

 

「買ったはいいがサイズが小さくて着ていなかったんだ。もしよかったら持って帰ってくれ」

 

「…はい。ありがとうございます」

普通服は試着…最低でもサイズくらい見て買う物ではないだろうか。

そう思っているうちにパッパとセレンも目の前で着替えてしまった。

銭湯でも思ったが相当にスタイルがいい。

 

(いいなぁ…ああ…やっぱり…)

こんなに綺麗な人と2人で暮らしていて、何も無いはずがない。

 

「ガロアはこの部屋ではほとんど寝ることしかしないからな」

とすんとベッドに腰掛けながらお前も座れとジェスチャーしてくる。

 

「えっ…と…じゃあそれ以外の時間は一体何をして…」

 

「ひたすら身体を鍛えているか…シミュレータマシンに籠っているか…後は図書館に行くくらいだな」

 

「………ずっとお聞きする機会が無くて…」

 

「?」

 

「やはり…ガロア様は…アナトリアの傭兵を…」

 

「ああ…」

セレンがリリウムの過去を知る様に、リリウムがガロアの過去を知っていても不思議ではない。

となれば、自分と同じ境遇で年も同じ少年がとった行動が気にならない筈がない。セレンは一人納得していた。

 

「分からん。この前まで話すことも出来なかったし、何を聞いても何も答えてくれなかった。かと思えばさらっととんでもない事を言い出すし…正直、三年も一緒にいて分からないことの方が多いくらいさ」

 

「……」

 

「ただ…あいつは出会った頃からまるで変わっていない。最初からずっと自分に厳しかった。…私は…あいつに会ってから結構変わったと思う」

 

「…そうですね」

カラードに登録されたのが今年の二月終わりごろ。まだリンクスデビューしてから四か月も経っていないがそれでも、セレンの中身が著しく変わっているのはリリウムもよく分かる。

王がセレンの事をまず間違いなく昔いたリンクスのクローンだと言っていた。それがどのような育ち方をしたかは分からないが少なくとも温かく幸せな家庭などではないだろう。

きっとそれがガロアと出会って日々変わっていってるのだろう。

 

 

もちろんリリウムのその考えは正しいが、それだけではない。

わがまま放題好き放題に浪費する生活をやめて、オペレーターとして仕事をして人と関わるうちにセレン自身が丸くなっていったということももちろんある。本人は気が付かないだろうが。

 

「出会った頃の写真とかは?」

 

「無いんだ。今思うともったいないことをした。昔はこんなに小さかったのに今じゃあんなに大きくなった」

 

「それに…とても痩せていましたよね」

 

「…?何故そこまで知っている?」

 

「…本当はあの時セレン様が思っていらっしゃった通り、ガロア様にあの時声をかけたのは情報収集の為です」

 

「……」

なるほど。あそこまでキリキリ警戒するのはやりすぎだったかもしれないが、完全に間違いだったという訳でもないようだ。

セレンはそう考えながら、あの時あんなことをしたというのに、今は家に招いて一緒に食事をし、風呂に入り隣に座って寝間着姿で話をしている…そんな人生という物の柔軟性に静かに驚いていた。

 

「ガロア様がジャックを埋め込まれた時からその存在を知っていました。いずれ敵になるかもしれない方ならば、調べるのも当然の事だと」

 

「…まぁ、な」

敵になるかもしれない、そんな状況自体は変わっていない。

いつか戦場で殺し合うかもしれないんだぞ、と思うが言えない。

だからといって近づく人間すべてを敵とみなして警戒していては……何よりもガロアの為に良くない。

 

(もう……じゃあリンクスなんか…)

ガロアの為に良くないって?だったらネクストなんて殺人兵器に乗るのが子供に良いものか。

ズキンと心が痛んだ原因は複雑だが、その一つはやはり…ガロアに力を与えたのが自分だからだろう。

自分にだけは…言ってしまえば自分は狂犬の飼い主だ。ガロアは自分にだけは牙を剥かないが、裏を返せば周囲の全ての敵となる可能性もある。

それがガロアにとって友である人間だとしても。ガロアがカラードの首輪付きである以上は…

 

「ですが…ガロア様はそれ以上にリリウムによく似ていました。気が付けば…情報収集の相手だと、それだけとは思えなくなっていました」

 

「……」

 

「リリウムは…大人に出会っていなかったらどうなっていたか分かりません。ガロア様がセレン様に出会ってよかった。だから今のガロア様は…」

 

「怖くない、か?」

 

「はい」

 

(……あいつも、変わったということなのか?…それこそ、何も話していないだけで色々考えていると言ったように…)

かと言って、お前は変わったな!偉いぞ!なんて言ったらまた変な目で見られるのかもしれない。いや、別にそのことに反応をする必要は無いのか。

 

「すまなかったな」

 

「え?」

 

「この前はお前に…酷いことを」

 

「いえ…。大人の指示があったのも本当の事ですし…」

 

「お前がいなければあの花が私に贈られることも無かったのだろう。あいつに女性に贈り物をするような繊細な部分はちょっと無いからな」

冗談交じりに笑いながらそんなことを言うセレンにつられてリリウムも笑ってしまう。

見目麗しい女性が二人笑い合う姿はただそれだけで良い物だ。

 

「だが、どうしてそういう流れになったんだ?」

 

「あっ…それは…ロイ様とガロア様が有意義なお金の使い道を話していて…」

 

(と言っても一方的なんだろうな…それしかないし)

 

「リリウムが贈り物が良い、と言いましたら」

 

「ああなったと」

 

「はい。大切な人への贈り物、って。…だから…セレン様が…先にガロア様と出会ったセレン様が……少し羨ましい」

 

「…憧れています、ガロア様に。あの強さに。小さな子供だったとしても、相手がどれだけ強大でも、世界に押しつぶされずに自分を信じ続けて強くなったガロア様に。……ごめんなさい」

 

(……そうだろうな。同じ境遇で、ガロアは真っ向から立ち向かい勝ったんだから。……ん…?…あれ…!?)

うつむきしなをつくるリリウムのその表情に何かを感じる。

と、同時に自分の中にある何かに気づきかけた。そう、それは丁度鏡を見るのに似ていて、自分が持っていながらも見えなかった感情が…

 

ドンッ

 

「わっ!」

 

「きゃっ!」

ガロアが寝ている部屋の壁から衝撃音。

壁を殴ったような音だ。

 

「騒がしくしすぎましたか…?」

 

「いや、多分寝がえりで壁をぶん殴ったんだと思う。あいつは寝相が悪いからな」

 

「…でもそろそろ…」

 

「そうだな。どちらにしろ寝た方がいいな」

既に深夜一時半。これ以上の夜更かしは肌にもよくないし、ここで話し込んでいてガロアが起きることになったら流石に可哀想だ。

 

「じゃあお前は…」

 

「リリウムは下のお布団で大丈夫です。ガロア様のベッドはセレン様が」

 

「そうか?じゃあ電気を消すぞ」

 

「はい。おやすみなさい」

ぱちんと電気を消して布団に潜り込み深く息を吐く。

 

(…!!…が、がろあのにおいが…すっ、する…)

一気に目が覚めてしまった。運動場でたっぷり汗をかいた後に横を通った時に漂ってくる匂い。

ただでさえそれでちょっと心臓が跳ねてしまうのにいきなり全身が包まれた。死にそうだ。

 

(ななんなん…なんで…同じ洗剤同じシャンプーでこうなるんだ…)

混乱しながらも何故か手は勝手に動いて布団を鼻まで持っていってしまい思い切り息を吸い込んでしまう。

日中干したお陰で太陽の香り、そしてやっぱりガロアの匂いがする。

 

(……あわわわわ…えらい事だ…えらい事だ…)

何がえらい事なのか自分でもよく分からないまま鼻の高さまで布団を被り、ぐるぐると脳内をよからぬ妄想が駆けているうちに眠りに落ちてしまったが、

初夏の夜に冷房もかけずに布団をがっつり被って寝たセレンは朝には汗でびしょびしょだった。

 

 

そして次の日。

無事にリリウムはカラード管轄街のあるコロニーベラルーシから、王と住む屋敷のあるウクライナへと飛んでいった。

 

セレンはずっと目を回しており結局ガロアに変な目で見られた。

 




セレンもセレンで何やら大変ですが、ガロアもガロアで自分が刺激的な状況にいることに気が付いたようです。

虐殺ルートで見た通り、ガロアが劣情を抱いて何か粗相をしてもセレンは怒りません。
しかし、それはエロゲならハッピーエンドかもしれませんが、ダメです。そうはいきません。


虐殺ルートのラストを見直してこれを見ると平和過ぎて笑ってしまいます。
でも、平和すぎると何か嫌な事が起こりそうだって気がしませんか?
特にゲームや漫画なんかだと…


既に欠片ほどの不穏は顔を出しています。
企業連ルートでも出ていたアレです。


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