Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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一人で抱え込んでしまうタイプ

七月に入った。世界は相変わらず汚染に囲まれて、重量オーバーのエレベーターのような閉塞感に溢れているけど俺はまだミッションに出してもらえない。

身体中の包帯もほとんど取れたとはいえ確かに死んでもおかしくないくらいの大けがをしていたんだからしょうがない。

それはいい。

そうじゃなくて。

 

誰なんだ。俺をずっと見ている奴は…。

 

 

 

ミーン…ミーン…

 

「ガロア、知っているか?」

開け放った窓の向こうから届く蝉の鳴き声を聞いて、

セレンがアイスキャンディーを口元でくるくる回しながら何事かを話し出す。

 

「ん?」

 

「このセミという虫は大昔はほとんどこちらに生息していなかったそうだ。それが何百年か前に東洋から持ち込まれて、気候が変化したのもあり爆発的に繁殖したらしい」

 

「そうか。…ちょっと外に出てくる」

 

「え?何しに?」

 

「…蝉取り、かなぁ…」

 

「は?」

 

なんでそうなるんだ、という顔をしたセレンを置いてすっと家を出てしまう。

蒸すような熱気、耳をつんざくようなセミの声と人々の喧騒。

それに紛れて確かに感じるこの気配。殺気。

 

(下手くそな尾行しやがって…誰だ…俺に恨みがある奴…とか?)

正直身に覚えがありすぎる。三日ほど前、セミが鳴きはじめると同時に気が付けば監視されていた。

目的が分からないがこれだけ殺気むんむんなのに、ラブレターを渡す機会を伺う美少女という事もあるまい。

 

(……誘いに乗ってやるか…)

街を歩くと人々が避けていく。ホワイトグリント戦での悪評もそうだが、それ以上に今のガロアは身長195cm以上、体重90kg以上とかなり威圧的な見た目の上に顔に険が入っているという事が大きい。

人々が避けていくのに合わせてガロアも人々を避けて歩くとあっという間に人気のない路地裏に来てしまった。

虚しく埃を被ったまま電源の入っている自販機は静けさを演出していた。

 

(さて……)

 

(もういいだろう?)

濃厚になる敵意。

暫く戦場に出ていなかったが、やはりこうして磨いていないと勘が鈍ってしまう。

 

(…来る!!)

ビリビリと流れる直感を信じて、左腕を曲げて首と平行になる様に拳を素早く顎元まで持ってくる。

その途端、暗闇で目立たないように艶消しの黒一色に塗られた縄がガロアの首を左腕ごとくくった。

 

「!!」

 

(いきなり首か!!)

ガロアが攻撃に対応した事に驚いたのか、ガロアの真後ろにいつの間にか陣取った野暮ったいマントにフードを被った人物が動揺する。

 

(掴む!!)

自由に動く右腕で狼藉者に手を伸ばした瞬間、あっさりと縄が解かれる。

 

(はっ!器用な野郎だ)

まるで蛇が絡みつく様に、一秒の半分にも満たない時間でマントの人物の両足がガロアの首に絡み、両手がしっかりとガロアの右手首を掴んでいた。

空中での腕ひしぎ十字固めである。それをほとんどよどみなく成功させたことから並の武術家では無い事が伺えた。

 

「……」

 

(く…の…野郎…)

だが、本来なら地面に引き倒されてそのまま右腕をへし折られたはずが、ガロアは右腕一本でその者を支えて重心を保ってしまっている。

90kgの身体で片腕倒立腕立て伏せを成功させるガロアのバランス感覚と筋力に対するには、この人物の体重64kgではやや足りなかった。

 

「…!!」

 

(木っ端みじんになれ!!)

鼻から大量の息を吐きだしたガロアの脊柱起立筋が異常な隆起を見せて右腕が地面に叩きつけられた。

 

「……」

 

(なかなか…身軽だな)

叩きつけたと見えたのは幻覚で、気が付けばその人物は右腕を離して空中で離脱していた。

 

「……」

 

(身長…175cm前後…体重は恐らく65kg前後…さて…誰なんだ?こいつは)

普通の身長に普通の体重であり、ちょっと考えただけでも候補が多すぎる。

それに加えてそもそもガロアと面識のある人物ではない可能性も十分大きい。

ガスマスクもつけており、フードとマントも相まって、この時期にこんな格好で外にいるのはただ変態としか言えない。

 

「……」

マントの人物はガロアとある程度の距離をとったまま、拳を顎の高さまで上げて小刻みにリズムをとりながら小さくジャンプを始める。

一見して巧妙にボクシングのスタイルにみせかけているが。

 

(上半身を全てこちらに向けている…)

通常、拳での攻撃の威力向上を望むのならば相手に対し半身に構える。そうしなければ腰の入ったパンチが打てずに本来の威力の半分も出せないからだ。

 

(それにこの音…)

ザッ、ザッと地面を蹴る音から察するにあの野暮ったいマントの下にはカモシカのようにしなやかな筋肉で覆われた脚が隠れているのだろう。

 

(この重心……キックか…。キックボクシングとかかな…多分…よく知らんけど)

脚に自信を持った構えでリズムを刻むその姿。

 

(綺麗だ。こいつはすげえのが来たな)

先ほどのやり取りで並の相手でないことは分かったが、敵意丸出しでなお敬意を払いたくなってしまう程に綺麗な構えは、古代ギリシャの完成された像のようだ。

それが生き生きと命を持って動いている姿は最早そんな像よりも遥かに美しい。

 

(おっ、おっ…あっ…これ…この感覚…)

ガロアは思い出していた。途轍もない強敵に出会った時に起こる、酸欠と間違える程の極限の集中状態を。

目に入る雪ですら気にならず、バックの輪郭だけを捉えたあの瞬間を。今にもぶっ倒れそうな中で暑い体育館で向かってくるセレンの動きがやけにゆっくりと見えたあの瞬間を。

 

(懐かしい……お前も、…好きなんだろ)

ありとあらゆる手段がある中であえて素手を選択して襲ってきたという事実、それのみから相手の好戦的な部分を感じ取る。

暫く命のやり取りから離れて鈍っていた何かが目を覚ます。

 

「……」

暫く距離を調整していたが、リズムも距離も理想的になったのか、襲撃者は急激に動きを速めた。

 

(来た!)

かなりの速度で放たれた拳を一つは避けて一つは手首で軌道を逸らす。

 

セレンの教えでは、『絶対に攻撃を受けるな。いなすか避けろ』とのことだった。

そもそも人体は殴り合いに向いていない。骨までのクッションがない拳が体に当たればどういう受け方をしてもダメージは貰ってしまう。

ところが避けるかいなすかすれば、相手に疲れだけが溜まっていく。

 

(バンテージを巻いてやがる…準備のいいやつだな)

殴り合いに向いていないというのは、殴る方も同じで肉と骨で固められた人体を殴り続ければ手もダメージを受けていく。

つまり前もって、あの奇襲が失敗したときにはボコボコにする準備をしてきたということだ。

 

(面白ぇ!!)

 

「!」

 

ふらふらと攻撃を避けるだけだったガロアがにわかに歯をむいて笑ったを見て襲撃者の動きが僅かに止まる。

 

(楽しませてくれ)

初めてガロアが構えた。右手は額の高さ、左手は腰よりも下で握り半身を相手に向けている。

 

「…?」

それは格闘技の経験が長いマントの人物でも見たことの無い構えだった。

疑問に動きを止め、瞬きをした次の瞬間には三発も拳を当てられていた。

 

「!?」

あの構え。至近距離まで接近されるとどちらかの拳が視界から消えてしまう。

そしてどちらかに注目した瞬間には拳が叩きこまれている。

 

(いきなり防戦一方になってしまったな?どうするんだ?)

ガロアがセレンから教わった格闘技には名前は無い。だがあえて言うのならばジークンドーとブラジリアン柔術と拳法を混ぜた物に加えて八極拳を混合した実戦派格闘技。

小さなガロアでも相手に勝てる様にと教え込まれた技術は、関節や急所への攻撃を最大限に利用した理に適った格闘技であり、他のスポーツ格闘技とは一線を画している。

まだこの相手には行っていないだけで、相手を絶命せしめる急所への攻撃もいくつも習得している。

 

「……」

 

(距離をとったか…いい判断だ)

敵の主砲が脚だとするのならば、わざわざ拳の打ち合いに付き合う必要は無い。間合いも威力も拳とは段違いなのだから。

 

 

一方で襲撃者は困惑していた。両手が見えないのは人体の構造上もう仕方がないこととして、何故見えている拳まで見切れないのか。

襲撃者がガロアの拳を見切れない理由。それは拳の打ち方にあった。

現在どのスポーツでも主流とされているパンチは突き出しながら捻るという過程がある。威力を乗せるという観点からはそれは正しい。

だが人の腕は捻ったりせずに真っ直ぐ伸ばせば反動ですぐに伸ばした腕が返ってくるように出来ている。

それを利用して拳を横にせずに打つパンチを縦拳という。威力は低いが、速度は既に人の反射神経で全て避け切るには困難な域に達している。

また、威力に関しても低いと表現したもののガロアの筋力・体重をもってすればそれだけで並のパンチよりも威力がある。

 

 

 

(行くぞ!!)

ふっと息を吐いたガロアは一足で飛び込む。

だが更に一歩踏みこもうとしたところに脚に蹴りを入れられた。

 

(なるほど…)

ローキックによるストッピングで攻撃が先じて封じられてしまったのだ。

やはり脚か?そう思うのと実際に襲撃者の脚から凶悪な蹴りが放たれるのは同時だった。

 

(おっと)

間髪入れずに上段へ、刃物を振り上げるような蹴りがガロアの伸びた髪を掠め僅かに飛ばしていく。

鼻にちょっとでも当たれば簡単に折れてしまうだろう。ざわざわとこの強敵への敬意と闘争心が湧き上がり、構えを崩さないようにそっと肘を前に出す。

 

「…!」

ガッ、と石と石がぶつかりあったかのような音が響く。

 

(……いつまで我慢できる?)

さらに連続で振り上げられた敵の左脚に今度は完全に対応し、肘で受け流した。

人体でも最も固い部位の一つである肘が当たったのは脛。

ダメージを見せるような動きはしていないが本当ならば膝をついて休みたいはずだ。

 

(おっ)

完全に脚が主体になった。それと同時に敵からの殺意も感じる。

信じがたい速度で繰り出され空を薙ぐ中段への蹴りを回避する。

ああ、楽しい。ガロアはまたしても笑っていた。

 

(…なんだ!?)

だが襲撃者は今までの攻撃とは一転、その勢いが止まることなくコマのように回転し、ガロアは脳内で最大レベルで鳴らされた警報に従い横へと転がった。

 

ドゴンッ、という音が聞こえた。

これが人体に当たったらどうなるかなんて想像もしたくない。

 

(後ろ回し蹴り!!そんなのがキックボクシングにあるのか!?)

勢いをそのまま次に活かして放った回し蹴りはコンクリートの壁に当たり大きな亀裂を残していた。

次は当てる、と言わんばかりにまたこちらに向き直り構えてくる。

 

(こいつは…強い。それもかなり…)

 

(だが…スポーツマンだな。唖門が丸見えだ)

首の真後ろ、脊髄にある人体の最大急所の経穴・唖門が回転の間丸見えだった。

そこを全力で突けば下手しなくても命を失う事がある。

 

(それに…今漂ってきた匂い…。セレンもするから分かる…化粧の匂いだ)

 

(こいつ…もしかして…女か?)

 

 

 

 

襲撃者……ウィン・D・ファンションは焦っていた。

クレイドルから降りてきてもキックボクシングの練習をさぼったことは無い。それどころか新たな格闘技を修めたくらいだ。

ネクストを降りての人対人ならば自分はリンクスの中で一番強い。その自信があったのに、最高の一撃すらも回避されてしまった。

 

(何故だ!?)

恐らく今後発見されることは無いであろうネクストとAMSによる感覚拡張の恩恵。

弱弱しい肉体から解き放たれ、想像の世界において人がひたすら身体を鍛えた先にあるはずの完璧な肉体を先じて得るという経験によるギフト。

その人物が今後数十年の修行を経て目覚める格闘センスの強制開花だ。

肉体に恵まれずにいた幼い頃から宿っていたガロアの随一の格闘センスは桁外れのAMS適性により鍵が壊され、戦場で近接戦を選び続けることで完全に目覚めていた。

桁外れのAMS適性と格闘センス。この二つを持つ者でなければこの恩恵は得られない。

恐らくは、この先誰にも発見されることはない性質だろう。そんなものは数値化できないし、ガロア本人ですら気が付いていないのだから。

 

(大丈夫だ…落ちつけ…私のキックが封じられた訳じゃないんだ)

鉄板仕込みのブーツによるキック。まだまともに当たっていないせいで気が付いていないだろうが、これを食らえばどんな人間でも倒れるのは間違いない。

今一度、攻撃に移ろうとした瞬間。

 

「……」

 

(!!呼吸の裏をかかれた!?)

既にガロアは拳が届く距離まで接近していた。慌ててウィンはローキックを繰り出す。

だが。

 

「……」

 

(!!?)

客観的に見ていたらみっともないぞこの馬鹿、と罵声の一つでも浴びせたくなるほど見事に空ぶっていた。

そしてそんな隙をガロアが見逃すはずもなく、顔に拳を二発入れられガスマスクでは防ぎきれずに鼻血が噴き出る。

 

(こ、こいつ…リズムが変わっている!?)

格闘技においてリズムを読むことは重要な技術の一つだ。

慣れた者程、自分のリズムに従い相手に流されずに戦う

だが、中にはそのリズムが変動してしまう者がいる。

ガロアはまさしくそれであり、しかも気分でリズムを変えてしまう最悪の相手だった。

ウィンが放ったローキックは回避というよりも、その一歩手前で止まったガロアに当たることなく虚しく空を切ったのだ。

 

ガロアの拳がガスマスクで守られた顔面にさらに何発も入る。ガスマスクの中で衝撃が響き頭がくらくらしてきた。

 

(な…何故…)

頭の高さで構えた拳で今まで相手のパンチを余裕をもってガードが出来たはずなのに、この男はするするとガードを抜けて当ててくる。

グローブ無しでの殴り合いの経験はほとんどなく、しかもその相手のほとんどを蹴り一発で倒してきたウィンは気が付かないが、

グローブがない分ガードの面積が小さくなっているのだ。もちろんガロアの当て勘が優れていることもあるが、

ついグローブがあるような感覚で防ごうとしてしまっているウィンの拳はガロアの拳を防げない。

 

(なんだ!?こいつのスタイルは!?八極拳!?ジークンドーか!?違う…分からん!!)

 

「カッ!!」

 

「ひっ!!」

危険な昆虫が牙を打ち鳴らすように、ガロアが歯を食いしばり歯と歯がぶつかる高い音が耳に届く。

普段は何も考えていなさそうな顔でただ突っ立っている男とは思えない程凶悪な顔を見てウィンは咄嗟にその場に頭を抱えてしゃがみ込んだ。

その数瞬後にウィンの頭があった位置をガロアの腕が掠めていき、フードの一部に切れ目を入れていった。

 

ゴッシャァン!!とおよそ人が出せるような音とは思えない音が路地裏に響く。

 

(…化け物め!!)

埃を被って人々から忘れ去られていた自販機の商品陳列部のプラスチックを一気にぶち抜き、ガロアの左腕が半ばほどまで埋まっていた。

あの高さは丁度ウィンの顔がある場所だった。頭が固いということに関しては自信はあるが、あんな物に生きて耐えられる自信はない。

 

「……」

 

(速さもダメ、技術もダメ、力もダメ。あ…?どうすれば倒せるんだ…?こいつ…)

引き抜いた腕からは少量の出血が認められたがそれを全く気にしたそぶりも見せずにこちらに歩み寄ってくる姿に、ウィンは初めて敵に恐怖と言う物を抱いた。

 

(仕方がない…暫く動けないようになってもらうだけだ!!)

 

 

 

 

 

「……」

スラリと襲撃者が懐からナイフを出したのを見てガロアは急激に白けていくのを感じる。

というか実際に白けていた。さっきまでの凶暴な満面の笑みから一転、四日連続で晩飯にカレーが出た子供のような顔をしていた。

 

(…んだよ…つまんねぇ…)

 

「……」

見せつける様に光るナイフを見ても特に恐怖は無い。

あの森にはあんな物よりも恐ろしい牙と爪を持った動物がたくさんいた。

 

(それに病み上がりだってのに襲い掛かってきやがって…)

 

(ん!?それが分かった上で襲撃してきてバカスカ蹴ってくれたのか!?)

 

(なんだか許せんぞ…こいつ…)

 

「……」

とりあえず二、三発ぶん殴ろうとした途端にナイフが振られて接近を止められる。

お世辞にもその動きは上手いとは言えなかった。

 

(…?なんだ?)

その動きに妙な違和感を感じる。

 

(そういえば…変だ)

セレンもそう言っていたし、自分もそうだからよく分かるが、本当に相手を殺す気なら刃物はぎりぎりまで隠しておいて一瞬で刺すのが良い。

あんなふうに見せびらかしていては相手に警戒されて避けられてしまうのは当然だ。

 

(もう一回近づいてみるか)

 

「……」

血が出ている腕をわざと大振りにしながら近づくと相手は数歩引きながらナイフを振りまわした。

 

(やっぱり…)

攻撃が正中線を狙っていない。

身体の真ん中を狙って刺しに行けば、急所じゃなくてもどこかに刺さるかもしれないというのに、この襲撃者は伸ばした拳を斬り付けようとしてきた。

 

(…思えば最初から…殺意が足りなかった気がする)

 

(なんだ?殺すほどでは無いけど、怪我をしてほしいくらいの恨みを俺に持つ相手ってことか?)

 

(…分からん。尋問しようにも知らんそんなもん)

 

(それによく見たら…不細工だなぁ…)

先ほどの構えは思わず見とれてしまう程綺麗だったというのに、今、刃物を構えて前のめりになっている姿は控えめに言っても美しくは無い。

美しく無ければ死ね…という訳では無いがかなり興が削がれた。

 

(もういいや。死なない程度にクシャクシャにして…セレンの所に連れて行こう)

この相手が自分を殺す気がない、というのならば。危険だが一つ賭けに出てみるのもいいかもしれない。

 

(行くぞ!!)

 

「!!」

 

(ここだ!!)

飛び出したガロアの腕に向かって斬り付けられたナイフに向かって、ガロアは顔を勢いよく近づけた。

 

「!!?」

 

(やっぱりか!!)

殺意がないのなら顔には刺さないだろうと思った通り、少し右頬に切り傷がついてしまったが面白いくらいに隙だらけだ。

ナイフを持った腕を掴んで持ち上げると、自分より20cmも背が低かった襲撃者は浮かびあがってしまった。

 

「…!…!!」

浮かびながらも懸命に蹴りを放とうとしていたが、キリキリと手に力を込めて骨を砕こうとすると痛みで動きが止まった。

 

(吹っ飛べ!!)

そのままナイフを持った手を掴んだまま、空いた方の手で相手の胸へセレン直伝の発勁を叩き込んだ。

 

どっ、と空気の入った肺に攻撃が染みわたる音を出しながら襲撃者は吹き飛んでいく。

 

「…っ!…っ!」

 

(あー……失敗だ…。腰も入っていないし、足も相手の方を向いていなかったか)

襲撃者は膝をついて苦しんでいるが、それでも失敗。本当ならば気絶させていたはずだ。

殺さないように加減をし過ぎてしまった。だがそれよりも。

 

(今のは……)

手にまだ残った柔らかな感触。

柔らかい防具なんてものがあるのならば別だが、さっきの匂いといい、この感触は女性の胸に違いないだろう。

 

 

(……………………柔らかくて気持ち良かったな…)

手に残る感触を今一度思い出そうとするが霧散するように消えて行ってしまうのがなんとも惜しい。

 

(!いけねえ!こんな事考えていたらセレンに怒られる!)

胸に触れた手を、水滴を飛ばすように振り、厳しい顔つきに戻す。

無論、セレンとの組手で胸に手が触れることなど何度もあったがそんなことを気にしている余裕は無かった。

つまりこの女はセレンより弱いのだ。……なんで怒られるんだろ、と今は関係ない事が少しだけ頭をよぎった。

 

 

 

 

 

「……」

 

(くっ…こ…あ…)

内臓が沸騰するような痛みと嘔吐感に必死に抵抗するがそれでもまだ立ち上がれない。

ガロアは厳しい顔つきでこちらを見ながら、鋭く空を切る様に手を振っている。

 

(クソッ…これからが本気という事か!?)

実際はそんなことは思っておらず、ちょっと顔を出してしまったスケベ心を努めて追い払っているだけなのだが最早ここまで考えていることに差があると滑稽である。

 

「……」

特に攻めてくる様子も無く、自分が立ち上がるのを待っているその姿に苛立ちを覚える。

相手にでは無い。自分にだ。

 

(つくづく…女というものは戦いに向いていない…)

肉体的資質に恵まれていたとはいえ、日に日に丸く女性らしくなっていった身体。

下腹部の鈍痛と共に月一の生理は必ず来る。体重は中々増えず、筋肉よりも遥かに脂肪がつきやすい。

 

「……」

 

(それでも…!ここで貴様を止める!)

やはり刃物で一方的に攻撃するのは逡巡があったが、もう加減はしない。この男は刃物を持っていても勝てない程に実力に開きがある。

生身でもそれほどの力を持った男というのがどれだけ危険か。どちらにしろここまで来ればもう後戻りできない。

刃物を構えてから初めて自分から突っ込んでいく。

最早多少刺さっても構わんとメチャクチャにナイフを振る。

 

ガチンッと耳に届いた音がなんだか分からなかった。まさかこの男は鉄で出来ているとでも?

 

(なんだと!!?クソッ…!)

信じられない。振り回していた刃物に噛みついて止めてしまっていたのだ。もちろん刃がついてない方を噛んでいるが、そんなことが人間に可能なのだろうか。

一瞬で様々な事を考えならがらホルスターから拳銃を手にする。

 

(脚をもらう!!)

 

「……」

 

だがウィンが銃を構えきる前にガロアも拳銃を抜いており、自分と相手の銃口が重なり合った。

 

(しまっ)

一瞬の思考停止。ガロアの持っている銃は今は珍しい六連リボルバーだった。

昔何かの映画で、銃口どうしをくっつけた場合は自分の持つオートマチックの銃は撃てなくなるとかいうシーンを見たような…

そんな考えが纏まる前に銃弾が発射されウィンの拳銃が破壊されて手が痺れた。だが驚いている暇もなかった。

 

ズゥンッ、だとかビシッ、だとかそんな音が一気に聞こえた気がする。

身体の重心を一気にウィンの膝の高さまで下げたガロアを中心にアスファルトに大きくヒビが入っていたのだ。

 

「受けてみろ。全力の勁」

ガロアの顔に走るいくつもの血管が異様に膨らんで顔が真っ赤になっていた。

 

(喋っ…死…!)

なんで喋ってんだ、という疑問が口から出る暇も無かった。

人生でここまで驚きが連続したことはこれまでなかったし、これからもあり得ないだろう。

感情は時に爆発だ。暴走する感情を大体の人間は身体で処理できない。だがもしその爆発を外へと正しく叩きだせる肉体があったのならばそれは凄いことになるはずだ。

 

ガロアは今から爆発する。

 

 

ウィンは男が嫌いだった。

ただ女が好きという訳ではない。男が嫌いだった。

汚い。汚いのだ!

女と男の身体を比べてここが綺麗じゃないあそこがダメだとかじゃなくて、比べると汚い。

男というだけでもう好感度マイナス100だった。人生でそれでもまともに接してきた男など家族を含めて片手で数える程しかいない。

 

嫌いな物には?

嫌いな物にはなんなのか。

 

負けたくないのだ。逃げたくないのだ。頭を下げたくないのだ。プライドを明け渡したくないのだ。

 

ごめんなさいと。

そのウィンが、ごめんなさいと口走りそうになった。許してもらって逃げたくなった。こんなことをして悪かったと心から反省しそうになった。

 

(お父さん…お母さん…)

ウィンはほんの数瞬の間に………走馬灯を見ていた。

 

そしてやっぱり。

 

絶対に死ぬもんかと思った。もうむやみやたらに人に襲い掛かるのはやめよう、とも。

 

「ぬああぁあああ!!」

ウィンは後先考えずにその場から回避した。プールに飛び込む水泳選手のようにアスファルトに飛び込んだのだ。

回避とは相手の攻撃をくらわないということではない。怪我をしないようにその場から移動して、次の瞬間には相手に反撃するために備えることを言う。

だがウィンは身体を全力で投げだした。腕がアスファルトでずるずるに剥けてしまうかもしれない。頭を打って血が吹き出るかもしれない。

そんなことはどうでもよかった。例え肉が見える程身体が擦れようと、打ち所が悪くて目が覚めた時には病院にいようと、ガロアの次の攻撃だけはくらいたくなかった。

そうでもしなければ次の瞬間に死んでいたのは間違いなかったからだ。

 

「喝ッッ!!」

発された勁は大穴の空いていた自動販売機に裂帛の気合と共にガロアの背中から叩き込まれ、地面のひびとは比べ物にならない程の破壊をもたらした。

工場で潰された廃自動車のように、元が何が何だか分からなくなった自販機は建物の壁にめり込み壁に超巨大な蜘蛛の巣のような破壊の跡を入れていた。

ただ叩きつけられたのなら可愛いものだ。数百キロはある自動販売機が『く』の字に曲がって壁に突き刺さっていると表現した方がいい。

後にこの場を訪れた者は交通事故があったのかと思うだろう。まさか人と人同士が戦った跡だとは夢にも思うまい。

 

毎日頑張って汗を流してなんてレベルじゃない。

 

知っている。命のやり取りのみで磨かれるものがあるということ。

この少年の何倍ものリンクスとしてのキャリアはそのまま何倍もの命のやり取りの経験のはずだ。

 

足りない。それでは足りなかった。どちらかが必ず死ぬ。そんな世界から…この男は自分と違う世界から来た。

 

ウィンの耳に届く心臓の早鐘の音はウィンの物では無かった。ガロアの物だった。

壁にめり込んだ自動販売機をガロアが小突くと派手な音を立てながら落下した。

それと同時に爆発的な心臓の鼓動から来る血液の供給過多によって真っ赤に染まっていたガロアの肌の色が戻っていった。

 

(なんだお前っ、リンク…、ネクストいらないだろ、くそっ)

歯の根も合わぬほど震えて小便を漏らす寸前だったウィンの元に近づいてきたガロアは、暴力的な何かをする訳でも無く、そっとマスクを取っていった。

 

 

 

 

 

「…やっぱり…ウィン・D・ファンションだ。何してんだ?」

あの時、メールで来た警告。ウィン・D・ファンションには気を付けろと言った文章。

何が何だかよく分からなかったが確かに危険な女だったようだ、とガロアはのんきに言葉を発した。

 

「や、やや…やっぱり…?知っていたのか?いや…貴様、喋れたのか?!」

 

「質問に質問で返すなよ…。喋れるぜ。男子三日会わざれば刮目して見よって言うだろ」

やはり皆最初は驚く。正直その反応にも飽きてきた。

そしてこの女にもまともに教える気はない。ましてや突然襲い掛かって刃物や銃まで持ちだしてきた相手に詳しく教える意味などあるのだろうか。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「あっ。括目しても意味ないか」

格言を口にしたら襲撃犯であるウィン・D・ファンションがバカみたいな顔をして固まってしまったのはなんでだろう、

と少し考えたがそういえば喋れるようになったかどうかなんて見ても分からない。固まってしまうのも無理はない。

 

(なんだ…?私は…こんなうすら馬鹿を脅威とみなして襲い掛かったのか…?)

ウィンは困惑していた。襲っているのが自分であるという事を知っていたかのような反応を見せたかと思えば今の間抜けな言葉。

この男はなんなのだ?

 

「…なんで俺のことを襲ったの?」

ぽかんと呆けているウィンに質問をぶつける。

 

「その前に質問に答えろ。私が襲撃することを知っていたのか?」

 

(俺が先に質問したんだけど…まぁいいか)

 

「親切なテロリストが教えてくれた」

 

「なっ、貴様、やはり!!」

身構えるその様子でガロアは何かを感じ取る。

 

「なぁ、もしかして…敵に回る前に怪我させて戦場に出れないようにしようとした、とかか?」

自分も人間なので怪我をすれば戦場に出ることは出来ない、というのはここ最近の記憶からよく分かる。

ホワイトグリント戦で大怪我してから未だに戦場に出れていないのだ。

 

「……」

図星か。顔によく出ている。表情を隠すのが非常に下手くそだ。

もしかしてそのためにガスマスクなんてしていたのかもしれない。

 

(それで襲撃しようってなるのは凄い思考回路だ。…俺と同じタイプだな。一人で抱え込んで考えすぎてしまうタイプ…)

自分もつい最近までそうだったから、もう怒るにも怒れない。

 

「…今日何日だっけ」

 

「何?」

 

「何日だっけ」

 

「七月…四日だが」

 

「じゃああれだ。明後日、ちょっと話そう」

 

その言葉は脈略がなさ過ぎてウィンは暫く理解が出来なかった。

 

「な…は?ふざけるな!今ここで貴様を逃がしたら…通報するだろう!!」

武器を持って襲い掛かっておいて何を言っているのだろうか。ウィンは自分でも何がなんだか分からなくなってくる。

 

「はぁ?ウィン・D・ファンションが俺を殺そうと街中で襲い掛かってきたんです、って?」

 

「……」

 

「お前こそふざけんなよ。俺みたいなぽっと出の根なし草を四年間こつこつ積み上げてきたあんたが襲う理由をどうやって説明するんだ」

 

(あれ…?なんだ?何がどうなっているんだ?私は…これは褒められているのか?)

 

「無視されるか…下手すれば俺が逮捕されちまうだろ、そんなもん。正直なところ、お前が襲い掛かってきた時点で大分詰みに近いんだ俺は」

 

「…だが…お前に何のメリットも無いだろうが」

襲撃して、しかも返り討ちにあいながら見逃されようとしているぶっ飛んだ現実が飲み込めずにウィンはつい抗議の声をあげてしまう。

 

「…あんた…ちょっと俺と似ている。一人で抱え込んでしまうタイプ。だからあんたのことを見ていられないから…かなぁ」

 

「……」

 

「一人で戦って…全員を敵と決めつけるなよ。死ぬぞ。別にいいけど」

 

(なんだこいつ…毒気が無さすぎる…。いや、でも…さっきの言葉から既にORCAと接触しているのは間違いないというのに…)

既に武器も無く、攻撃する気力もないウィンだが、一応の義務感はまだある。生身ですらこれだけの破壊を周りに巻き散らせる人間なのだ。

この男が敵に回る事だけはやはり避けなければならない。

そう思った時、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 

「……!やべぇ!!警察か!?」

 

「…曲がりなりにも街中で銃を撃ったからな。誰かが通報したのだろう」

 

「後は頼んだ!!俺は帰る!!また後で連絡する!!」

 

「……」

そう言いながら綺麗なフォームで走っていってしまう後姿があまりにも間抜けで、ウィンを支えていた義務感までもがぽっきりと折れてしまった。

 

 

 

 

「失礼します!こちらで発砲音が…!あ、あなたは!?」

 

「……」

 

「ウィン・D・ファンション!?…あ、あの、ここらで不審者を見かけませんでしたか!?」

 

(……笑い話だな)

あの男が言う通り、最初から自分が不審者・犯罪者という考えは警察の頭にはなかった。

いつからだろう。自分の周りは敵だらけなのだと錯覚して迷走を始めていたのは。

あのまま襲撃に成功していたら、ずっと一人で戦い続けて惨めに殺されていたのだろうか。

 

「あの…?」

 

「ああ。ここで身長2m以上はあるアゴ髭の生えた男と交戦してな。残念ながら取り逃がした」

 

「なんと…!」

 

「リンクスを直接襲うとは!」

 

(はっ…どうしようもない…馬鹿だな、私は)

結局、ウィンは心の中で自嘲しながら嘘を吐くことになった。

思えば生まれて初めての完全敗北だったが、その心中はあまり悪くは無かった。

 

 

 

 

 

(さて…どうなるかな…)

自宅マンションのエレベーターの中でセレンから譲り受けた骨董品ものの拳銃を眺めながら考え込む。

後で話し合おう。そう言っていくうちに、どうも完全に敵対し合っている二つの意志の話を聞かなければならなくなった。

喋れないときは敵に対して暴力で応えるしかなかったからこそ、今はなるべく話をしてみようと思っているが、どうにも面倒なことになってしまった。

 

(まぁもう動き出しちまった…止まらねえだろ)

何となく、一発撃ってしまったリボルバーの弾倉を回して元の位置に戻して懐にしまう。

 

ふぅ、と息を吐いて気を抜くと同時に裸にして吊るした人間の死体の姿がフラッシュバックする。

 

(うっ…?…くそ…なんだってんだよ…)

ここ数週間、ずっとである。場所も時間も選ばずに突然血なまぐさい過去がフラッシュバックしては激しい頭痛が頭を揺らす。

 

(訳が分からねぇ…)

自分達の住む階に到着し、部屋の前に立つ。

 

「ただいま」

 

「おかえ………ん!?」

 

「?」

一体何をしていたのかは分からないが、ドアを開けるとセレンはわざわざパタパタと走って出迎えてくれた。

なんだかその姿を見て顔がほころんでしまう。

だが、セレンは自分の顔を見るなりいきなり表情を歪めていった。

 

「お前…おま、それはなんだ!?」

 

「?俺の顔に何かついているか?」

カタカタと震えながら自分の顔を指さしてくるが本気で何が何だかわからない。

 

「頬!!頬から血が出ている!!」

 

(やべえ!!ナイフで切られてそのまんまだ!!)

アドレナリンが分泌されて気づいていなかったが、結構深い傷で今もまだたらたらと血が流れており、

帰り道すれ違った人々をドン引きさせていた。

 

「あの、これは」

 

「切り傷だな!?それは!!何があった!!」

 

(あ、詰んだ)

もう誤魔化しようがない。適当に、転んで怪我をしたとでも言おうと思ったが一発で見抜かれてしまった。流石だ。

 

「誰にやられた!」

 

「お…大きなおじさんに…」

 

「お前よりもか?!」

 

「に、2mくらい。髭の生えた怖いおじさんに襲われた…」

 

「そいつはどうしたんだ!!」

 

「に、逃げた。いや、捕まえようとしたんだけど…負けた」

 

「負けた!?お前が!?なんてことだ…こっちに来い!」

 

「え?何?」

 

「治療して警察に知らせるんだよ!」

 

「いや…警察に言わなくてもいいんじゃないかなー…なんて」

やばい。なんだかよく分からないけど話がどんどん大きくなっていく。

 

「お前が捕まえられないような危ない大男がうろついているんだぞ?警察に通報しない方がおかしいだろうが!」

 

(なんも言えねぇ。もうどうとでもなれ)

言う事言う事が全て正論過ぎて、思考を放棄したガロアは流されるままに治療を受けた。

 

 

その日、カラード管轄街でリンクスを襲う髭面大男という都市伝説が誕生して人々を震え上がらせたのはまた別の話。




自動販売機くん

190cm 300kg

カラード管轄外の裏道でひっそりと酔っぱらいのおじさんや失恋したOLにほっとする味の飲み物を提供してきたベテラン自動販売機。
時にはおじさんの愚痴を聞き、時にはOLの相談を黙って聞き役に徹してきたが、ガロアの全力の攻撃を受けて見事に破壊され粗大ごみになった。

名物はカラードソーダ。


享年8歳。




一桁ランカーとの戦い(肉弾)

ガロアもアレですがウィン・Dも相当強いです
その辺の兵士ではまず相手にならないでしょう
ですがその前に常識を学ぶべき


内側から弾けるような激情を外に開放する術をガロアはセレンから教わってしまいました。
しかしそれは『武』という名の枷にもなっています。

『武』と『暴力』

ガロアはどっちが強いのでしょうか。

ところで彼がときどきスケベ心が出るのはやはり父親似ですね。

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