Armored Core farbeyond Aleph 作:K-Knot
結局ガロアもオッツダルヴァも、そしてセレンもその男をどうすることはなかった。
ガロアは元々どうする気も無かったし、そこでオッツダルヴァが泣きながらも男を殺さなかった理由はうまく言葉にできないが分かるような気がした。
人のどうしようもないところに宿命という物がある気がしないか?
ウィンはそう言って去っていった。
確かに、この世界には人にはどうしようもない物があるらしい。
川を流れる水のように流れる場所は決まっていて、それでも自由に流れるものなのだろう。
ガロアはずっと帰りたいと思っていた。セレンを連れて自分が育った場所へ。
「ほら、セレン。掴まれ」
「ああ」
別に掴まらなくても登れる、とは言わずに素直にその手を取りアレフゼロの背部に入る。
帰ってからすぐに出撃、ということもなくテルミドールもといオッツダルヴァが言うには戦力が増えた分作戦を練り直す時間が必要だという。
メルツェルに聞かなくちゃ、友達なんだあいつは、とあどけない顔で言われてガロアはまたぽかんとしてしまった。
「俺が後ろ、セレンが前だ」
ならばその隙間のような時間に、前に言った通りセレンを自分が育った場所に連れていきたいと言ったらオッツダルヴァもウィンもすんなりと許可した。
ダメだと言われてもガロアは無理やり連れて行ったが。
「そうだな。…荷物は?」
「足元でいいだろ」
荷物もそのまま持ったまま、久々にネクストのコックピットに乗り込む。
明らかに二人は座れるような場所ではないが頑張って座る。
自然とガロアに後ろから抱きしめられるような形になってしまいセレンは顔を赤くしたが、
これは仕方がないのだと心の中で必死に繰り返して気持ちを落ち着ける。
体重的にガロアが前では圧し潰されてしまうし、呼吸もできない。この形ならマニュアル操作も出来るし前も見える。
「行くぞ」
「う、うん」
と言っても位置情報を打ち込んだ後は勝手にアレフ・ゼロが企業の支配領域および目の届く場所に入らないように飛んでくれる。
いざというときのために首にリンクもしてあるので戦闘になってもノーマル程度なら何とかなる。Gがかかり過ぎないように動けばいいだけの話だ。
(ああ…ネクストで飛ぶのってこんな感じだった…それに…昔もこうしてガロアを…)
初めてガロアと出会った時、自分はガロアを後ろに乗せて…そんな遠い記憶を思い出すセレン。
「懐かしいな…」
そしてぽつりと口をついて言葉が出てしまう。
「ああ、あの時もセレンの後ろで…バイクに乗ってな。あの時はセレンの背中のほうが大きかったんだけどな」
「…よく分かったな」
「俺とセレンって結構考えていることは大体同じだからな。分かるよ」
「…そうか」
「セレン」
「ん?」
「セレンは温かいな。それに凄くいい匂いがする」
黒い髪に鼻をうずめながら声の振動で肌が揺れるような距離でガロアがそんなことを言い始める。
「……」
「俺はこの匂いが好きなんだ。昔から変わらない」
セレンは何も答えなかったが、聞こえているのは間違いない。
髪から覗く耳が真っ赤になってしまっている。
もう一度髪に鼻をうずめてガロアは思い切り息を吸い込む。
シャンプーと汗の匂いの中に薄く香水の香りがする。
少しドキドキするが、それ以上に、自分を支え続けて強くしてくれた安心できる匂いだ。
(なんでずっと一緒にいてくれたんだろ)
そう思っているのはお互い様なのだとガロアもセレンも気が付かないのがややこしいのかもしれない。
さっきガロアが言ったようにセレンとガロアが考えていることは本当は大体同じなのに。
人間が愛おしいものに何故かしてしまうようにガロアは綺麗な髪の生えた頭に頬をすった。
「……」
顔を真っ赤にしているセレンだが決して怒ってはいない。
どんなに眉目秀麗な男でもこんな事は決して許さないのに、ガロアにこうされている事に対してはどうしようとも思えなかった。
「そろそろか。セレン。…セレン?」
「……」
(そういやよく寝るよな、セレンって)
気が付けばセレンはその腕にアルメニアの花を持ったままガロアに背を預けて眠りに落ちてしまっていた。
育った場所が場所だけに絶対にベッド以外では眠らないガロアに対し、セレンはどこでも暇さえあれば寝てしまう。
「セレン。もう起きろよ」
「…ん…ん?もう着くのか?」
「うん。もう着く」
「森しかないが」
眼下に広がる光景をそのまま口にしたセレンだが、そうとしか言えない。
「森だな」
「…?…あ。なにか見えてきたな」
「あそこにアレフ・ゼロを入れる」
着地し、そのまま降りて行ってしまうガロア。
倉庫の小さな扉を開き中に入ってから数秒後、ネクストでも十分入れる大きさのハッチが開いた。
その中にアレフ・ゼロを入れて、二人して人が出入りするための扉から出る。
下ばかり見ていて気が付かなかったがもう日が沈み始めていた。
(懐かしい……俺にも望郷とか、そんなのあったんだな……)
ザザザザと木を揺らす風、人のほとんどいない世界がガロアの中で錆びつきかけていた物を呼び起こしてくる。
今までガロアの中のあちこちでぐちゃぐちゃに燃えていた物が鋭く…今までの人生が、身体の中で勝手気ままに叫んでいる感情が、全てが一つになっていく。
(渾然一体か…!)
生まれて初めて本物の自然の世界に来てそわそわしているセレンとは逆にガロアはこれ以上ない程集中していた。
不思議なことに、己の中の全てを纏めあげようと意識すると周囲の世界も見えてくるのだ。
幼い頃の自分がこれを何も考えずにやっていたのだ。ちりちりと命のざわめきを感じる木に目を向けて身体の中で固まった自分の塊をぶつける。
ばっ、という大きな音が立ったと思う程一斉に鳥がその木から飛び立っていった。
(………!おっと、よだれが…)
だらしなく開かれた口の端からよだれが垂れていたことにすら気が付かない程の完全な集中はいよいよ達人の域に入っている。
死に物狂いで鍛えた分、感覚が尖りに尖っていた。
(でも数は分からないや…)
今までは数えなくても勝手に頭に入ってきた落ちる葉の数は全く分からない。
ただ多いとしか。
(今だったらバックを素手で相手出来るかも)
一瞬だけ考えてすぐにそりゃ無理か、と思いなおした。
あの時も、いつもいつも作戦が全部上手く行っただけだ。
アナトリアの傭兵にその気がなくても、あの兵士の中の一人でも引き金を引いていれば簡単に死んでいた。
(俺は…運が良かったから生き残っただけなのかも)
だが本当に運がいいなら両親もアジェイも死んでいないだろう。
そう考えて、飛び立った鳥を目で追うセレンを見る。
(運が良かったのかな………少なくとも…)
この出会いだけは、とガロアは笑った。
「あ…あっ!あれはオーロラか!?」
鳥を追って空を見上げていたセレンが子供のように空を指さして言う。
「ん?そうか、もうその時期か。そうだ、オーロラだな」
「へぇー…へぇー…初めて見た…綺麗だな…」
「……」
正直なところ、もう見飽きているのでそれ自体にはなんとも思わないが、
小学生のようにはしゃぐセレンを見て少し嬉しくなる。
(この世界はクソだ。クソまみれだ。でも…)
何かに感動できる。感動できる何かがある。ならば、どれだけ世界がクソだとしても生きていく価値はあるはずだ。
自分がいた頃よりも小さくなったような気がする森とオーロラを見ながらガロアは小さく笑った。
何かを失っただけで地獄になるこの世界は、何かを手に入れるだけでそう悪くはない。
「あ」
「お」
今更じっくり見ても綺麗とはなぁ…と思いながら見ていると一筋の光、流れ星がオーロラが覆う夜空に流れた。
二人してそれを見つけたのは小さな奇跡だったのかもしれない。
「何か願い事をしたか?ガロア」
「そんなガキみてえに…いや……………、……うん。したよ」
「何を?」
「…セレンがどうか幸せになりますようにってな」
それは主語を入れ替えればセレンが願ったことと全く同じだった。三回は繰り返せなかったが。
「…また考えていることは同じだから分かるって奴か?あまりからかうな」
「……そうか…」
(…あれ…?)
唇をとんがらせて少し拗ねながら言葉を返したが、そんな雰囲気ではないことに気が付く。
ガロアは薄く笑いながらこちらを見ており、その顔は普段のしかめっ面ではなく優しい空気を纏っている。
何かガロアがとても大切な事を言ったような気がしてその真意を問おうとしたが、その時一陣の風がざぁっと吹いた。
「あっ」
流されて顔にかかった髪を手櫛で直した時にはガロアはもう歩き出しており、
まるでそこにあったふんわりとして優しい思いを冷たい風が全てを攫って行ってしまったかのようだった。
この空気ならこれは聞けるこれは聞けないという質問はあるだろう。
ゴミ捨て場で女の子に告白をするのは最悪だし、合コンで学歴をひたすら聞く女も最悪だ。風俗店で始まる前に幼い頃の夢を語るのもかなりズレている。
『今言ったことはどれくらい本気なの?』と、それを訊ける空気は冷たい風が掴んで持っていってしまった。
「どこに行くんだ?」
「こっちに家がある。というか見えるだろう?」
「ん……?あれか?森の中の家ってのは…童話でよく見るが…実際は厳しいものなのか?」
よーく目を凝らすと森の奥も奥、かなり向こうに家らしきものが見える。
「うん」
「ふーむ…」
自分の想像していた森とは少し違う。なんというか、とても静かだ。
ここで食料の調達なんて考えられない。見渡す限り動物の姿なんか一匹も見えない。
さっき見た鳥で終わりだ。
歩いて行くと枝を踏んでしまいパキリと音を立てた。
「あまり遠くに行くなよ。土地勘のない奴が森で迷ったら死ぬぞ」
「動物はいないんだな」
「いるぜ。今セレンが枝を踏んだ時、そこから見ていた兎が逃げた」
まさか。周りを見回しても虫すら目に入ってこない。
地面に這って探せば虫ぐらいは見つかるだろうが、そうしたところで小動物が見つかるとは思えない。
「へぇ…?あの山には何があるんだ?」
何があるんだって見渡す限りの自然だろうけど。そう思いながらもセレンは聞いていた。
「え?」
「ほら、あそこだけ…何かおかしくないか?」
セレンの指さす…北の方にはまるで巨大なピラミッドのように鋭角な山がある。
崖や斜面はあってもなだらかなこの辺りで何故か少しだけ違和感を感じる山だ。
「え……?」
ガロアはきょとんとしていた。何しろ物心ついたときから見ていた景色に疑問を持つ方がおかしい。
『楊貴妃は 綺麗な顔で 豚を食い』という川柳があるのと同じだろう。
例えば生まれたころから肉を生で食べていた人種が余所者に「信じられない、野蛮だ」と言われてもそれのどこが変なのか理解できないのと似ている。
だがセレンの言う通り、地質的に考えてもあの山は周りからほんの少しだけ目立っている。どうしてあそこだけ盛り上がっているのだろう。
「行ったことは?」
「ないよ…ない。あんなところでは狩れる物もいないだろうしな」
「誰かが行ったりとか?」
「少なくとも俺は知らない。この時代にあんなところに好き好んでいくやつがいるとは思えない」
「ふーん…なら」
ちょっと明日にでも行ってみないか、と言おうとしたらガロアも同じことを考えていたようだ。
「アレフ・ゼロに乗って行ってみるか」
本来なら命の危険を覚悟するような場所、例えエベレストの山頂だろうとネクストならばひとっとびで行ける。
戦争戦争戦争、とそんなことばかりに使わないでこんな風に使ってやればネクストも開発者も喜ぶんじゃないかとガロアはなんとなく思った。
「うん。二人でちょっと景色でも見てみようか」
別段そこまで好奇心を駆り立てられ頭を掻きむしるほど気になる!という訳でも無いのだがそういう変わったピクニックも面白そうだ、とセレンはのんきに考えていた。
「ほら、…。行こう」
「そうだな…ん?…なんだあれは」
しばらく歩くとセレンの目の先には入り口で落ち葉を掃く四角いロボットの姿があった。
あれもガロアの家の物なのだろうか。
「ただいま、ウォーキートーキー」
「!!?ガロア様!?ズイブンと大きく…いや、それよりもお声が出る様になったのデスカ!?」
「まあな。ちゃんと家を守っていたか?」
ガロアとのやりとりを見るに、少なくともセレンが見たことないレベルで高性能なロボットだと分かる。
「オオ…お帰りなさいマセ。もちろん、いつガロア様が帰ってきてもいいようにしてアリマス。しかし…本当に大きく…。最後に会った時より51cmも背が伸び…スミカ様!!?」
「なん…だと…」
こんな高性能なロボット、あり得るのだろうかと考えているとそのロボットがとんでもないことを言いだした。
「ア…、アレ…ガガガ…スミ、スミスミ、スミカ様はピー…機能停止したハズ…ジジジ」
「なんだ…このポンコツは」
「スミカ様!折角久しぶりに会えたのにポンコツとはどういうことデスカ!!
ワタクシは怒っています!!と言ってもコレはそういう反応に対してはこう言う感情を示せというプログラム、つまり哲学的ゾンビ的な」
「それも教えるよ。入りな、セレン。ようこそ、俺の育った家へ」
ガロアが出ていった日からずっと無用の長物となっていた暖炉に火をつけてガロアは話し出す。
セレンの知らない14年間、父の手紙、そしてガロアの心中を。
それはセレンが思っていたよりもずっと温かく、それでいて「人の歩んだ道」を語っているにはあまりにも登場人物が少なく、
そしてセレンが思っていたよりもずっと過酷だった。むしろその真の迫る様な苦しみが、ガロアが何一つ嘘を吐かずに明かしてくれているのだという証明になった。
「…こうして、惨めな気持ちに耐えられなくなった俺はクソアナトリアの傭兵をぶっ殺す為に何もかもを捨てて家を出たのに、何故かまだアナトリアの傭兵は生きているのでした…と」
「……」
「調べても…分かんなかったろ。知っている人間も記録もないからな。養成所に入るときも…嘘は何一つ書いていなかったんだけどどれ一つとして俺を表す記号にはならなかった」
「…知っていたのか。調べていた事を」
「何となくな。俺はこの森で…父さんがいなくなってから…少しずつ…少しずつ…」
「……」
「心を削っていったよ」
「…!」
初めて出会った時のあの獣のようなガロアを思い出した。
人としての心を完全に摩耗させた人間の姿はああいうものなのか。
「何か他に聞きたいことはあるかい」
「人を…10歳の時に?」
「殺した。奪った弾丸は31発。後は缶詰5個。家族がいて死体を見て泣いていた。死体は無いけど、まだ血痕はあっちにある街に残っているよ」
「……」
「一歩間違えば俺が死んでいた。それだけだ。死んだ男も文句は言えないよな。ほんのちょっとしゃがむタイミングが遅れていたら俺は死んでいた」
「お前は…死ぬことを…」
「生き物は生きる為に他の命を奪う。そいつが死んでいいタイミングでなんか殺していない。だから俺もある日突然誰かに、何かに殺されてもそういうことなんだろう。
ああ…そういえば。結局やる時間なかったけど俺はその死体をバラバラにして持って帰って食べるつもりだったんだなぁ。それ以外にも…森に来た奴を何人か殺していた」
「でも、私にはそんな風には見えなかった、お前は」
「何も喋っていなかったからな。途中まで人も頭がいい生き物で、死ねばただの食い物。それだけだと思っていた。セレンに育てられてから、その考え方が変わった」
「……。お前、どうやってインテリオル管轄街まで来た?ここまでだってネクストで来たくらいなのに…」
「ああ…。さっき言ったロランおじさんに頼んで連れてきてもらった。この人がいなければ俺は死んでいた。だからセレンには俺の過去を一切教えなかった」
「どういうことだ」
「元気にテロリストをやっているって言ってた。リリアナのリーダーだって。今は何をしているのかな…。でも…テロリストでもなんでも俺の恩人だ。見方で善か悪かなんてすぐに変わっちまう。いや…本人ですら…簡単に善に悪に…変わる物なのか」
ガロアはロランがORCAに所属していることを知らない。
ウィンから聞かされて全員の名前を知っているが、オールドキングと名乗っているリンクスがロランだとは知らないのだ。
「……」
「昨日は老人に席を譲った奴が…明日は盲人の杖をわざと蹴るかもしれない。考え方と言うか…気分の違いで。あるいは…何かがちょっと噛みあわなくなるだけで。人は壊れていく…変わっていく…」
「お前は…壊れていると?自分でそう思うのか?」
「…。殺そう殺そうと思っていた…アナトリアの傭兵の目の前で…銃を持った俺は…どうしたと思う?銃をぶっ壊して子供みたいにボロボロ泣いたんだよ!…はぁ…情けねえ」
「……」
「そんで…そんなことを一番知られたくないセレンに話している俺って何なんだろう?…自分でも自分が分かんなくなってくる…いや、ずっと分からねえ」
「……」
「どうしてこうなったのか分からねえ。正しいことかも…間違ったことなのかも…。気が付くのは…ずっと後になってからだ。自分が壊れているのか正常なのかももう…分からねえ…」
顔を隠すように覆った大きな手の隙間から暖炉の火を受けて輝く滴が落ちていく。
ガロアは成長し、大きく、強く……それこそこの世界で敵う者などいないほど強くなったはずなのに幼い頃には無かった涙を流すようになってしまった。
「……」
そこで涙を流すのならば正常だと、そう思っていながらも何も言えない。
ガロアがセレンの前で泣くのは初めてだった。殴っても蹴っ飛ばしても数時間ぶっ続けて走らせても一粒も零さなかったのに。
どう声をかけるのか、あるいはどう反応するのが一番良いのかと考えているうちにガロアは泣き止み顔を上げていた。
「ウォーキートーキー。………ウォーキートーキー!コラ!センサー壊れてんのか!」
「ハイ。なんデスカ!ガロア様がワタクシの見えない所からワタクシを呼ぶのは初めてデスネ」
「まだバックはあるだろ?一キロぐらい、切って解凍して持ってきてくれ。あと野菜も。台所に置いたらもう今日は休んでいい」
「了解デス」
(バック…?何のことだ?…まぁいい。ガロアが…全てを教えてくれたのなら…私も自分と向き合って伝えるべきなのか…)
実はガロアがセレンがクローンだという事をとっくに知っているとはつゆ知らず、口を開く。
それだけでも普通の女の子が思い人に好きだと伝える五倍の勇気は必要だった。
「なぁ、ガロア」
「?」
「霞スミカは…お前の何だ?」
「なんだって言われても…何だろう。ちょくちょく俺を預かって面倒見てくれた人かな。ああ、ここは話した事を繰り返しているだけか。うん…そして…」
「そして?」
「俺に命を教えてくれた人」
「…?よく分からないのだが」
「そこの部分を話していなかったか。スミカさんはALSの患者だった。俺はあの人が弱っていく様を、そばでずっと見続けていた。…人は死ぬ。あの人が命を使って教えてくれたことだ」
「ALS!?ただ死んだとしか…聞かされていなかった…」
「そう。俺もスミカさんがこの世からいなくなった後に病名を知った。父の持っていた本を漁って…」
「…はっ、う…。わ、わたしは、…」
もうこれ以上自分の事を隠しているのは不可能だ。もう、言うしかない。
自分はクローン人間なのだと。お前の知るその霞と全く同じ生物なのだと。どんな顔をするのか。一緒にはいてくれないだろう。
失うのか。
だがそれでも、それを隠しておくことは不誠実なのではないかと内側に響く声に負けて事実をさらけ出そうと口を開いたとき。
「知っているよ。もう苦しまなくていい」
「あ…?」
「セレンは霞スミカのクローンだ。知っている。ずっと前から」
「な、え?」
自分が本当は人間として外を堂々と歩ける人間では無く、最初から戦闘兵器として作られた存在だとしたらガロアはどうするのか。
ずっと言えなかったのに。
「とっくに、知っている」
想像は虚ろだったがいつも残酷だった。告げたらきっと冷ややかな目で理解できない物を見てしまったかのように一瞥して出て行くのだろうと頭の中で思っていた。
喋れないから罵倒も疑問も口にしない。ただ秋の冷たい風が冬を運んで去るようにいなくなるのだろうと。
しかし今のガロアは灰色の目に暖炉の火を映して優しい声を出している。ついこの間手に入れた声で。そんなことは想像すらしてなかった。
(知っていたのに一緒に来てくれって言ったの?)
心の声が、幸せな結末を教えてくれている。だが猜疑心に包まれた理性は簡単に目の前の事実を信じさせてくれなかった。
「そんな…、いや、知っていたのなら何故私と一緒にいた?」
「どういうこと?」
「気持ち悪くないのか?私はお前のよく知る霞スミカのクローンなんだぞ!?見た目も全く同じなんだ!」
「さっきも言ったけど、何か少し違うだけで人は変わっていく。セレンはセレンだ。霞スミカじゃない」
「ああ…う…いや、でも、この姿は霞スミカの物だ!!私は、セレン・ヘイズはこの身体の中にしかいない!!見える訳でもないのに適当なことを言うな!!」
ガロアは何一つ間違ったことを言っていないのに、優しいのに、だんだんと声が荒くなる。
がりがりと頭を掻きむしってから、生まれてから20年間ずっと影のように纏わりついてきた自分の問題をとうとうぶつけてしまう。
「はっ。そうだな、見えないな。でも俺、セレンの性格好きだけど。これじゃダメなのか?…『かんじんなことは、目に見えない』。俺の目は…な。見えてないんだ」
単純だから分かりやすくて、とは言わないが、ほとんど一方通行のコミュニケーションしか知らないガロアにとって、
喜怒哀楽も表情も実に分かりやすいセレンはとても話しやすかった。そんな分かりやすいセレンの性格をガロアは実に好いていた。
ガロアのよく見える目で肝心なことは何も見えていなかった。見ることが出来ない物だった。
だがその言葉は。
「私の…性格?…中身の、事か?」
セレンが最も人生で欲していた言葉だったのかもしれない。
DNAが血が遺伝子が同じでも、歩んできた道が違い、中身を認める人が違えばそれだけでもう違う人物なのだ。
だが研究者もレオーネメカニカもセレンの中身などは一切見ずに、ただ戦闘兵器としての目線しか向けなかったのだ。その16年があって、どうして人と交われようか。
しかしガロアは言いきってくれたのだ。霞スミカもセレン・ヘイズもよく知るガロアが、上っ面の気持ち悪い言葉だけではなく本心から。
「あなたの中身が好きだ」と。
どうして本心だと分かるのか?簡単だ。ずっと前に知ったというのにそれでも一緒にいてくれたのだから。
「…。なんでこうなっているのか、分からねえ。父さんは、俺は賢いから真実に辿り着けると書いてくれていたけど…別に何か目的を持って動いていたわけじゃない。話せるようになって。
何かが少し変わって。テロリストに入ったかと思えば、色んな奴が流れて。何故か血の繋がっていない兄貴なんてのが出来て。どうしてこうなったのか全然わからない」
「……」
「今までの行動が正解なのか、間違っているのか…そもそも正解も間違いも無いのか。…でも、一つだけ、正解だったと思えることがある」
「…?」
「偶然でもなんでも構わねえんだ。これだけは正解だと思っている。俺は…セレンに会えてよかった。また大切な人が出来たんだ。セレンと飯食うと美味いし、いい匂いもするしな!あれ?これは中身じゃない?」
ガロアは本当によく笑うようになった。
最初に会った頃の非人間的な印象がまるで嘘だったかのように。
だがよく笑うようになったのは、ガロアが変わったからというだけではない。
(あ)
綺麗な言葉を投げかけてくる男はそれこそ数えきれないほどいたのに。
(私はガロアが好きなんだ)
それでも、ずっと一緒にいてなお飾らないその言葉はセレンの心の針を完全に振り切らせて、心の中にあっても無視していた感情を浮き彫りにした。
(もう理屈がどうとかじゃなく好きなんだ。どうしようもないくらいに)
自分だけの物、その人物だけの物と考えてしまうと命に大した価値は無いし、老若男女貧富貴賤関係なくそれぞれの命の違いも無い。いずれは死ぬし、今は生きているだけなのだ。
ただそこにあるだけと考えるのならば、そうなるのだろう。
誰かにとって大切。そうなって初めて命に価値が出てくるのだ。
命の価値は誰かにとってはゴミのようで、誰かにとっては地球よりも重い。
大切な人だという、ガロアのその言葉がセレンにとっての自分自身の作り物だと思っていた命の価値をこれ以上なく感じさせてくれた。
「クローン、クローン!そうだな。セレンはクローンなんだろうな。だけど…どこの誰がどこでどんなふうに言おうと…俺に力をくれてここまで育ててくれたのはセレンなんだ。霞スミカじゃない。俺にとってセレンはただ一つだ」
あの灰色の目は明確に、霞ではない自分を見ている。
(……もっと私を見て)
セレンは勘違いをしていた。ガロアが霞を知っているということは恐怖だと。それは逆だったのだ。
ガロアはこの世界で唯一、自分に本当のアイデンティティをくれる存在だった。
ガロアは霞と自分とそれぞれ共に違う時間を過ごした本当の経験があるから、「セレン・ヘイズと霞スミカは違う存在だ」という言葉を本心から言えるのだ。
誰かが例え同じ言葉を本心から言ったとしてもそれが本当だと確信は持てない。だがガロアが本気で言えば、それはガロアの過去と事実が本当の事だと証明してくれる。
霞という人間を知りながら、自分がクローンだと知りながら、ガロアはずっと自分を一人の人間として認めていてくれたのだ。
見てくれだけでも、言葉だけでもなく、心から。
自分はそのことをなんとなく、今まで過ごした時間から知っていたのだろう。だからこそその上でガロアから綺麗だと言われるのは嫌では無かったのだ。
もう完全にセレンは信じ切った。あの日の出会いは運命の出会いだったと。
馬鹿みたいに広い世界でこれまた愉快な動物畜生と同じようにまぐわって際限なく増え続ける何十億という人間がいる中で、『自分』を教えてくれる人間と億分の一の確率で出会えたのだから。
(もう最後の最後ですれ違うのは嫌だ)
そんな経験はないはずなのに、セレンの頭に魂からの声がこだました。
「……動物を掻っ捌いていたころから随分と遠くまで来た。なのに本当にやろうとおもっていたことは何一つできていない」
「散々人を殺して地球を汚染して…なのにこれだ。どうして…こうなってんのか何一つ分からねえ、結局。俺は…」
どうして。なんでなの。出会いは偶然だったのか。ここまで来たのは神の悪戯なのか。ガロアの頭を渦巻く疑問と運命。
その答を小さく弱い人間には一つの言葉でしか言えない。
「私は…」
あるいはこうやって言えたことも。
「ガロアが好きだ」
奇跡としか。
「うん」
しかしその反応は淡泊だった。
(あれ…?)
考える前に言葉になって出てしまった「好きだ」という声に今になって心臓は大暴れしているというのに、ガロアはそれを聞いてさも当然のように返事をした。
もしかして別の単語でも言っていたんじゃないかと思ってしまう。
「ガ、ガロアは?」
「好きだよ」
(あれ?なんか違うな…ってそうだ!!見た目も綺麗だって言われていた!!中身も好きだと言われたばかりじゃないか!!)
人と交わった数だけ、会話した数だけ、街で歩いた経験だけセレンがその感情を自覚するのはガロアより数歩分早かった。
「あ、あえ、その…私より好きな女はいるか?」
「いない」
「……あれぇ?」
「14の頃から一緒にいて、今もこんなことになってんのに一緒にいるんだ。嫌いなわけない」
だがガロアにはまだ恋も愛も理解するには早すぎたようだ。
「いや、…」
「セレンだって、俺の事が嫌いなわけ無いさ」
他の男がそんなセリフを吐いたら虫唾が走る。だがこれは、まだ小さく弱かった頃から自分を頼って一緒にいたという経験から来る信頼なのだ。
「いや、その…原因と結果的なことではなくてな?もう、理由不明にって言うか…感情優先の好意っていうか…んん?」
そう、信頼なのだ。自分の言う好きとは何かが違う。
「どうしちゃったの?大丈夫か?」
何をいまさら、という顔で聞いてくるガロアは実に不思議そうで、自分が間違ったことを言っているのではないかという気分にさえなってくる。
「んん?うん。大丈夫…?」
そういえばそれを、好きだと伝えてどうしたいのだろう。
ずっと一緒にいるし、ガロアも私の事を好いてくれているのは間違いないし、大切にされているのだとも感じる。
だけどそれをどうしてほしくて伝えたのだろう。これ以上何を求めているのだろう。
そもそも言う必要があったのだろうか。よく分からなくなってきた。今度メイに聞けばいいのだろうか。
「お食事の準備ができマシタ」
「あれ?作っちゃったのか?」
「ハイ。何やら話が進んでいるようだったノデ。こんなスミカ様は見たことがアリマセン」
「…?ウォーキートーキー…何か変わったか?バグか?…まぁいいや。飯にするか、セレン」
「あ、ああ」
ウォーキートーキーと呼ばれた風変わりなロボットの作った料理は驚くほどガロアの作る料理と似ていた。つまり美味しかったという事だ。
ガロアは何故料理が出来るのか、何故基本的に自己完結でなんでもやってしまうのか。それはこのロボットがサーダナが死んでから口うるさく教育を施したからだろう。
教えてやる、と言ってここに連れてきたのはそういう事だったのかもしれない。
「凄い美味かった。でもバックってなんなんだ?」
ガロアが食器を下げてしまい、これを洗ったらもう今日は休んでいいとロボットに指示している中ふと一つ疑問が浮かび聞いてみる。
「シカだ」
「シカ?確かにシカはバックとも言うが…この辺にシカがいるのか?」
「うん。こんくらいあるやつだった」
わざわざ椅子の上に立って天井近くで手の平をひらひらとさせている。
既に見上げるような身長のガロアがさらにこんな表現するシカなんているものか。
「ふっ。なんだそれは。そんな化け物がいるか」
「……」
「……」
「……」
(あれ?…まさか本当のことだと?…まさかな)
「……」
「霞は…どんな人間だった?」
ひたすら否定し続けた人間がどのようだったかなんて聞く日が来るとは思わなかった。
しかもそれをガロアに聞くなんて、例えば出会ったばかりの自分に言えばあり得ないと否定されただろう。
しかし今は何故かすんなりと聞くことが出来た。もう自分と霞は違う存在だと、はっきりと言い切れるからかもしれない。
…そう言うにはまた別の勇気が必要かもしれないが。
「そうだなぁ…30歳過ぎているのに…おねーさんと自分のことを呼んでいた。俺にも呼ばせていた」
「えぇ…」
困惑しながらドン引きする。なんというか、一言で言えば聞かなければよかったと思った。
「後は…たまに俺に女の子の格好させてた。今考えるとおかしいことだったな…気が付かなかったけど。…なんでかな。色々思い出はあるのに…こんなしょうもないことしか思い出せねぇや」
(く…何故か私が恥ずかしい…)
しかも気持ちが分かってしまう。初めて会った時でさえかなり女の子寄りの中性的な見た目だったのだ。
もっと昔はどうだったのか…。考えるだけでもお腹いっぱいになってくる。
「あ!昔の写真無いのか!?」
「ねぇ」
「む…。しかし…狩りで暮らしていた、か。最初は運動神経も体力も無かったのになぁお前」
「それも大事だけど狩りは動かない方が大事なんだ。それにじっとして…周りと一体化していると周りの事が分かってくる」
「なんだそれは。だが大きくなってよかったじゃないか、どちらにせよ。小さいままよりはずっといい」
「……。強く…なったつもりだったんだけどなぁ。結局、殺せなかった。引き金一つ引くことすら出来なかったんだ」
「……」
「何で生きてんだこの野郎って思ったけど、殺していなくて良かったなって思っている自分がいたんだ。あまりの自己矛盾ぶりに笑えてくる」
「いいや…それはお前が本当に強くなった証拠だと思うよ」
それでも許すという事を出来る人間は本当に強い。
許している訳じゃない、出来なかっただけだと言っているがそんな風に成長したガロアを誇らしく思うセレンは恋心を自覚してもまだ母親のようだ。
セレンはずっと、ガロアのことを誇りに思っていた。今ではそんなガロアを育てた自分ですらも誇れそうだ。
「何を言っているのか分からねえよ、セレン。俺が…ガキだからかなぁ…」
「……」
「自分で考えた事、自分で決めたことに従って自分だけで動いていた。でも俺は…喋れねぇから喋れねぇ分だけ……自分の頭の中にある言葉の海に溺れていたんだ」
(…私には…お前がいくら強くなっても時々ひどく儚く見えていたよ。…ああ、言えないな…どうしてかな…)
ガロアの強さは自信という目に見えない柱に支えられた張りぼての強さ。それが壊れたらどうなるんだろう。
鍛えた身体も、AMS適性も消え失せるわけでは無い。ないが…。
「ただ…セレンにぶっ倒れるまで走らされたり、締め上げられて気絶するときは頭の中の海は空っぽだったな」
「動かないから余計な事を考えるんだ。私が身体をひたすら鍛えさせたのは正しかったってことだ」
暗い空気になるのを拒むように軽い調子でそんなことを言い始めるが、ガロアは悪い思い出という顔はしていない。
「その割にはセレンは俺がミッションで怪我することを心配しすぎなんだよ。何十回セレンに骨を折られた?たぶん鼻の骨だけでも五回はある。歯もぼろぼろ」
「でもお前も最後の方は…私の指を折ったり肋骨にヒビを入れてくれたりしてたな」
「身長が同じになったくらいの頃か!」
「その頃はまだ私の方が圧倒的だっただろ!」
「はっは。いや…うん、そうだな…俺の先生だもんな………、強かったよ、本当に」
「……」
今では逆に手を抜かれる程に強くなってしまったガロアが少し悲しそうな顔をしたのをセレンは見逃さなかった。
それどころかガロアに勝てる人間はいるのだろうか。腕も立ち力もあり頭も回るガロアに勝てる人間などそうはいない。
その点ではもうガロアの横に立ち理解することはいつの間にか出来なくなっていたのかもしれない。
世界最強の男すらも倒したガロアを力で理解する者はこの世界にいるだろうか。
頂点に一人立つ、ってどんな気分なんだろう。美しい物語のように聞こえるが……。
「後は?何が知りたい?全部教えてやるよ。…いや…セレンには知っておいてほしい。きっと、人間が生きるってそういうことなんだ」
「……うーん…。また、気になることがあったら聞くさ」
「そうか。セレン。上と横、どっちが好きだ?」
「ん?…上?かな…」
「分かった。じゃあ上の部屋で寝てくれ」
「?」
「もう寝る時間だ。俺のベッドがある。ウォーキートーキーがこまめに掃除しておいてくれていたからすぐに寝れるだろ。俺はあっちで寝る。おやすみ」
「ん?ああ、おやすみ…?」
さっさとトランクから自分の寝間着を持って隣の部屋に引っ込んでいってしまうガロア。
確かに聞きたいことはもう思い浮かばなかったが、もっと話したかったのに、と完璧に恋する乙女の思考になりながらも、
また明日もあるさ、と思い直して着替えを済ます。
今までもずっと一緒にいたのだから明日もいるのは当然の事だと思うセレンだが、それも一つの奇跡だとは気が付かなかった。
好いた人とずっと一緒にいれるという幸福はこの世の何にも代えがたいものだと。
ガロアはその幸福を受け入れられる存在だと、その価値がある人間だと自分で思っているのだろうか。
それはセレンも、ガロア本人ですらもまだ気付いていない。
「ここ…ガロアの部屋か?」
二階に上がり入った部屋は、屋根裏部屋を改装したと言う感じであまり広くは無いが、あの時のガロアの身体の大きさを考えるに十分なのだろう。
ベッドと机、本棚があり、本棚にはずらりと頭痛がしそうな本が並んでいること以外は典型的な子供の部屋と言った感じだ。
「……」
別に開けちゃダメとは言われていないよな、と心の中で言い訳しつつ引き出しを開ければ、ちょっと意味が分からない落書きや、
小さな手でペンを握って書いたのであろう数式の写しなどがわんさか出てくる。
「……!本当にハンターだったのか…」
二段目の引き出しには銃やナイフ、弾薬などが細かくキチンと分けられた状態で入っており、柄が砕けたナイフには隠しようも無い血の曇りがある。
「………?なんだ?これ…」
机の上にガロアらしくない、しかし子供ならば当然あるであろうオモチャが置いてあることに気が付いたがどうもおかしい。
胃痛に苦しむ四十代男、妻の弁当が不味い三十代男、借金地獄に溺れて苦悶する二十代男といった感じの顔をした丸い人形が置かれている。
一見して呪いの人形にしか見えない。
「…?…??……寝るか」
机を漁っていたのを見られたのがちょっと後ろめたく、
全ての人形を後ろに向けて電気を消し布団に入る。
(…!子供のころから…ガロアの匂いがするんだな…)
ベッドは子供用にしては大きく、きっと長い間使うことを想定して作られた物に違いない。
ほんのり生まれたての獣の臭いに混じって出会った頃とあまり変わらない匂いがする。
(匂いが…一番記憶を呼び起こす…なんだっけ…何効果って言うんだったかな…)
鼻に毛布を寄せて息を吸い込み目を薄く閉じる。
誰も見ていないのをいい事に、自覚した恋心の赴くままに思い切り毛布を抱きしめる。
(いい匂いだ。…後ろからじゃなくて正面から…ちゃんと抱きしめてほしい…)
(ああ、そうか。そういうことを言えるようになりたかったんだ。そう言える仲に…)
仲に、仲に、と考えるがガロアは自分のワガママは大抵聞いてくれる。
それがガロアの往く道の妨げにならない限りは。
(言いに行こうかな)
毛布を身体の内に巻き込むように抱えて思う。
寝つきのいいガロアはもう眠っているだろう。だから…
ねぇ、起きて。優しく抱きしめてくれ、と。
起こしてそう言えば訳が分からないとかそんなことを言いながら寝ぼけた顔で望みを叶えてくれるだろう。
でもそうじゃない。
自分と同じくらいどきどきしてほしい。
自分だけをもっともっと見てほしい。
違う、そうじゃなくて、とぐるぐる考えながら毛布を抱きしめていると。
「何をしているのデスカ」
「どあっ!!?」
突然声をかけられて驚きのあまり毛布をちゃぶ台を返すようにブン投げてしまう。
真面目に今は口から心臓が30cmほど発射されたと思う。
「顔までお布団をかけてしまうと寝苦しいデスヨ」
「おま、お前…いつから…」
机の横の充電器の上で待機状態になっていたウォーキートーキーが紅い目でこちらを見ていた。
「最初からいましたガ」
「お、おおう…」
「スミカ様は昔みたいにガロア様を抱擁しないのデスカ?」
「は、は!?そんなことをしていたのか!?」
「記憶障害デスカ?会うと必ずしてイマシタ」
(なんて奴だ…誰も見ていないのをいい事に…)
先ほどの自分の行動を完全に棚に上げて心の中で責め始める。
そのすぐ後にあることを思いつく。
「あー…ウォーキートーキー?」
「ハイ」
「昔の記憶を映し出す…なんてことは出来るのか?」
「デキマス」
「よし!最初にガロアに出会った時の画像なんかあるか!?」
これだけ高性能なロボットならもしかして、と思ったことがどんぴしゃり。
見事に高画質投影機としての機能も兼ね備えていた。
「今から16年前デスネ」
パッ、と暗い部屋の壁に画像が映し出される。
(うおぉ!!?すごい!!よくやった!!ポンコツ!!)
無精ひげの長身の男…恐らくはサーダナだろう。
そのサーダナの長い脚の後ろに隠れながらぶかぶかの帽子を被った頭を出す赤毛の子供はまさしく幼い頃のガロアに違いなかった。
想像通り、いや想像以上に可愛らしく、髪は全然切っていなかったのかぼさぼさではあるが長めで頬まで覆う赤い癖毛が実に愛らしい。
なんでなのかは分からないがちょっと怯えた表情なのが実にグッドだ。
「ほ、他は!?…ではなくて…。私が女の子の格好をさせた時があったよな?見てみたくなった」
このロボットが自分を霞だと思っているのならもうそれでいいや、と思いフルでその権力を利用していく。
「ガロア様が6歳の時のものデスネ。あの時スミカ様は狂喜乱舞していまシタ」
また映された画像にはお菓子で作られた家と人形の前できょとんとした表情で座っている子供がおり、
童話に出てくるお転婆な農家の女の子の格好をしていてそれがまた表情と相まって実に似合っている。
「ちくしょう!グッジョブだ!クソッ!」
素晴らしいと言わざるを得ない。その後ろで転げ回りながら写真を撮っている女は自分と同じ顔をしていた。何やってんだ、と呆れるし悔しくもあるがその感性はよく分かる。
やっぱり根幹の部分では同じところがあるのは仕方がないのか…と思いながらもガッツポーズが止まらない。
今のガロアも別に悪くは無い、悪くは無いのだが、かなりドギツイ性格になってしまったのでこの時のあどけないガロアに触れていた霞がうらやましくて仕方がない。
「結局ガロア様はほとんどこのお菓子を食べれませんデシタ。デスガ、スミカ様は大喜びしてイマシタネ」
「ああ!そうだろうな!…あとは…そうだな、何か…記憶に残った写真とかないか?」
コンピューターに繋いでデータを全部見るという訳にも行かないのでそう聞いたのだが、基本的に自我がないウォーキートーキーに対してその言葉は無茶な要求だった。
しかし。
「ジジジッ…。ソウデスネ…ワタクシの中で衝撃的、とタグ付けられたのはこれデス」
「え…?なんだ…これ…は…」
ぱっと変わった画像はそれまでの物とあまりにも雰囲気が違い過ぎて、映っている人物が同じだと気が付くのに10秒以上かかった。
「14歳。ガロア様が出ていく少し前デス」
身体中が真っ赤になる程血に染まり、右腕は明らかに折れていると分かる程変な方向へと曲がっている。
口にナイフをくわえながら凶暴な笑みを浮かべているのは間違いなく自分が会った頃のガロアであり、それまでの画像からの変貌ぶりに心底震える。
何よりも理解が及ばないのがガロアの後ろで引きずっている小さな山のようなものは白いシカの死体だ。だがそれすらも喰らったのはこの魔物のようになってしまったガロアに違いないのだろう。
「なんなんだこれは…」
獣のような眼には渦巻くような憎悪が浮かび上がっており、口元から滴る血はガロアのものかそのシカのものかすら分からない。
あるいは怪物なら私を愛してくれるかも、と皮肉った記憶が蘇る。
なんということだ、ガロアは自分なんか比べ物にならない、本当の怪物だったのだ。
(でも、例え怪物でも)
今の自分にはガロアが全てなのだ。彼が自分を心から認めてくれているからこそ、自信を持ってセレン・ヘイズでいられる。
もし、もしもガロアがいなくなってしまったとすれば……最早自分は消滅するしか術がない。
実に不思議なことだった。それは赤子だったガロアに対し、アジェイがこの家で抱いた感情と全く同じだった。
神の作る偶然というのは、人知れずに起こっていることなのかもしれない。それは例えば人の心の中で。
「バック、とサーダナ様は呼んでイマシタ。この森一帯のヌシで、白熊ですら正面から殺す化け物デス。体重は約1t、体高は4m近くアリマシタ」
「これを…ガロアが倒したのか?」
「ソウデス。死因は明らかに喉の切り傷デシタ」
「ガロアは…何か、言っていたのか?」
「『俺が王だ』ト。その後まもなくしてガロア様はこの家を守れと命令して去っていきマシタ」
「……」
「ワタクシの中で」
「?」
「ガロア様は悲しい子供、と認識されてイマス。スミカ様が一度機能停止する直前、最後に会った時のガロア様の表情の感情分布は…」
(死ぬ前にも会っていると…言っていたな…そういえば…)
「ソウデスネ…スミカ様が何度も見たのにまた見た…悲しい映画の結末を見るヨウナ…そんな諦念の顔デシタ。アノような顔をする子供は悲しいト」
「……」
ガロアの言っていたことに何一つ嘘は無かった。その行動にも。
なぜ愚直なまでに力を求めていたのか。なぜ自分の死ですら当然の事のように言っていたのか。
力が全ての世界で常に生死と隣り合わせで生きてきた結果がそれなのだろう。
それが全てだったガロアの価値観を、今更自分が殴って蹴って噛みついたところで変えられるはずがなかったのだ。
(私じゃ…止められないのか?やっぱり…)
その異常なまでに強い精神はあの怪物性と直結している。そう分かってももうそれを止める術が分からない。
「その顔デス。ガロア様もスミカ様もよくしてイマシタ」
「……。もういい。私は寝る」
「分かりマシタ。おやすみナサイ」
「…ああ」
不思議な夢を見た。
出会ったばかりのガロアに戦闘技術を教えるのではなく、家族のように…例えば姉や母のように可愛がって色々なところに連れていくも、
結局力を求めてどこかへと行ってしまうというやけにリアルな夢だった。私とガロアには今の関係以外は無かったのだろうか。
自問自答してもこの現状は何も変わらない。不満はほとんど無いのに、不安ばかりがある。戦いしかない人生に幸せはあるのか?
本当にこれ以外の道で私とガロアが交わることは無かったのだろうか。
次の日は別に目覚ましがかかっていたりしたわけでは無かったが、朝が思いのほか寒く、早く起きてしまった。
最上位リンクス含む複数のリンクスの集団謀反に企業は声をそろえて批判した。
だが、リンクスの顔ともいえるリリウム・ウォルコットとジェラルド・ジェンドリン、
そして企業に忠誠であり続けたウィン・D・ファンションが裏切ったことは、ラインアークから発表された企業の恥部の何よりもの説得力となった。
結果、複数の企業の兵士から技術者、果ては役人までもが裏切りラインアークに移ることとなった。
現在はそこから持ち込まれた情報と新しく参入した戦力を元に作戦を練り直しながら、
主に企業の独占していた食料生産地をORCA組がラインアークを拠点の中心としつつも元々所有していた基地から不定期に襲撃し奪っている。
ホワイトグリント破壊から2か月、食糧事情に苦しんでいた人々は久々に腹いっぱいの食事が出来るようになった。
ガロア達カラードからの裏切り組は今は特にやることがない。
ネクストの整備・格納スペースはORCA及び企業の技術者、さらにORCAの資金で購入した工事ロボットらをどれだけ働かせても1週間はかかるとのことだった。
ただ置いておくことといつでも出撃できるようにしておくのはワケが違う。
本格的な戦いが始まるのはラインアークが全てのネクストの帰れる場所として機能するようになり、作戦が整ってからだ。
ガロアはようやく自分の事を知ってほしいという当たり前の欲求を持てるくらいには人間になりました。
ガロアが霞のことを知っているというのはセレンの最大の恐怖でもありました。
ですがそれは裏を返せばガロアは、霞とセレン、見た目が同じ二人の中身が本当に違うということを証明できるこの世界でただ一つの存在だったのです。
セレンはそれに本当はとっくに気が付いていましたが、怖くて考えるのをやめていただけです。
しかし、虐殺ルートのラストでセレンは「今度は正直になる」と言っていましたが…好きと分かった途端に即告白ですからね。
単純か!
恋する乙女は誰にも止められません。
セレンがガロアを思う気持ちには最早ひとかけらも後ろめたさが残っていないので……
セレンはこれから恋愛の「れ」の字も知らないガロアに熱烈なアプローチをしかけることになるでしょう
果たして童貞も童貞、真正童貞のガロア君はどう反応するでしょうか?