Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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「…?寒っ!」

朝が来た、とはいえまだ早朝のようだ。部屋は暗く、よく見えない。

セレンは何度か目をこすり辺りを見回す。

 

(……毛布が蹴っ飛ばされている)

海の上にあるということで、冷えるだろうと何枚かかけていた毛布がすべて蹴っ飛ばされていた。

だがそれよりも気になるのは。

 

(なんだこれ…)

ぐっすり眠っているガロアの手が首元から服の下に入れられており、間違えて頭の方から手を入れられた腹話術人形のようになっている。

胸に手が触れているラッキースケベ…みたいな事は無く、胸の上には固い肘が置かれており、困惑しかない。

なんなんだこれは、と困り果てていると寝ぼけたガロアがバッと思い切り腕を振り上げ、寝間着のボタンが全て飛び白い双丘が露わになった。

 

「!!」

見ている訳でもワザとでもないと分かっていても胸を反射的に隠してしまう。それがよくなかった。

 

ドゴンッ

 

「ごあっ!?…か…」

振り上げた腕はそのままの勢いで落下し、薄っすらと腹筋が浮かぶセレンの腹に強烈な裏拳が叩き込まれた。

 

「ぐぅ…あ…が…」

寝ぼけた頭から記憶を吹き飛ばさんばかりの強烈な目覚ましに蹲ってうめく。

もちろん本気で繰り出された攻撃では無いとは言え、寝起きにこれはかなりキツイ。

 

(家庭内暴力だ…)

それは違うだろう、と意外と冷静な頭の一部が告げるも横隔膜がせり上がり呼吸が出来ずに言葉にならない言葉を漏らしていると。

 

「…あ…?朝……か。おはよう。…何やってんの?」

何も知らないガロアが平和そのものの顔で起き上がった。

 

「ぐ…うぐ…」

常識外れの寝相の悪さを本人は全く知らずにのんきな顔で聞いてくる。

 

「あれ?まだこんな時間だ。まだ寝てていいよ。疲れてると逆に早起きになるんだよなぁ」

 

「こ…この…」

腹を抱えて蹲っているのを疲れているの一言で自分自身で納得してしまうガロアの神経が改めて分からなくなる。

体勢のせいもあり、服のボタンが飛んでいる事にも気が付いていない。

 

「飯食って格納庫で運動してくる。…ったく…シミュレータもミッションも無いんじゃ身体がなまっちまう」

 

「お…おま…お前…」

完全に聞く耳持たず。

さっさと顔を洗ったガロアは着替えとタオルを持って出て行ってしまった。

 

「馬鹿野郎…が」

誰にも聞かれない言葉を漏らした後セレンはそのまま気を失うように眠りに落ちた。

 

 

なんだか様子がおかしかったセレンを置いて部屋の外に出たガロアは、隣の部屋からも同じタイミングで出てきた人物に気が付いた。

 

(あ?)

部屋から出てきた金髪の男は自分が言葉巧みにこちらに連れてきたジェラルドに間違いなく、

なんだ隣にいたのかよ、と思うと同時に開いた扉から裸体をブランケットで隠したジュリアスが見えた。

そのまま自分の存在に気付かずに二人は激熱のキスをした。

絵面だけで言えば童話の王子様がお姫様では無く美人だが嫉妬深い魔女の方を選んだという感じだ。

完全に二人の世界に入っているその空気は見ていられず思わず目を逸らしてしまう。ちょっとイラッと来るし羨ましい。

自然に、自分とセレンがああなったらと考えるが今までの生活から変わり過ぎてあまりの似合わなさ加減に頭痛がする。

 

戦いなんか無い世界でああできれば幸せなんだろうが。

 

(…………?)

ところが戦いだらけのこの世界で幸せを掴んでいる存在を知っている。

もう自分が何を考えているのか、さっぱり分からない。

完全にお互い以外目に入っていない二人の後ろを大きな体を小さくして通り過ぎようとすると。

 

「あ!君!」

 

(すごいイライラしてきた)

扉を閉めたジェラルドがこちらに気が付いて声をかけてきた。

関わりたくないから身体を小さく丸めてカサカサと移動していたというのに。

 

「君はとんでもない嘘つきだな!ジュリアスと言っていることが全然違うじゃないか!!」

 

「だが感謝している!だから」

 

「だからなんだよ」

 

「この事を周りに言いふらさないでくれ!」

昔は恥も外聞もなくジュリアスに突撃していたジェラルドだったが、優秀な師の元で育てられたジェラルドはきちんとそういう概念も理解するようになっており、

公衆の面前でプロポーズしておきながらも(連日)足繁くジュリアスの元に通っている事を言いふらされるのは流石に恥ずかしいようだ。

 

「……」

 

「き、君も女性と一緒の部屋にいるんだろう!?」

今だって爽やかな顔をして外に出たはいいが、別に戦いに赴くとかそういうわけでもなく、ただ単純に無くなってしまった避妊具を買いに外に出たのだ。

 

(うざい)

言いふらすも何も、こいつらの存在なんて今この瞬間まで忘れていたのにこれだ。

うざったいったらありゃしなかった。

 

「聞いているのか!?」

 

「うるせえ」

 

「え?」

 

「何も見てねえし聞いてねえ。だから」

 

「だ、だから?」

 

「さっさと俺の目の前から消えろ!!」

 

「す…すまなかった!」

腰を曲げてジェラルドと鼻が付くような距離でガーッと凄むと何故かジェラルドは涙を目に溜めて今出た部屋に引っ込んでいった。

 

(野郎…まさか声とか聞こえてこないだろうな…)

窓を開けっぱなしだったので波と風の音でかき消されて壁からは何も聞こえてこなかったが、実は耳をすませば隣の部屋から一晩中喜悦の声が響いていたのだ。

部屋を替えてもらおうかな、と思ったがそうなるとあのフィオナ・イェルネフェルトに会いに行かねばならないことに気が付く。

頭をガシガシと掻き結局本当に何も見なかったことにして格納庫へと向かった。

 

 

 

 

「身体がなまっちまう…か。気持ちは分かるな…」

食堂でコックが目をひん剥くような量を平らげて自分で紅茶を入れて一服してもまだ朝の9時。

平和なのはいい事だが平和すぎる。もちろん戦いが始まってほしいと思っているわけでは無いが。

 

「…後で様子でも見に行くかなぁ…」

雑務も無いが娯楽も無い。単調な波の音を聞いているとまた眠気が出てきた。

ラインアークのあるここソロモン諸島では既に気温30度近いが海の上という事もありさほど暑くは無い。

過ごしやすいが、それだけだ。と、その時カーテンを揺らす風に紛れてノックの音が聞こえる。

 

「ん?」

欠伸を噛み殺して、まだ見慣れない扉を開くとそこにはリリウムがいた。

 

「おはようございます、セレン様」

 

「ああ、おはよう。どうしたんだ?」

 

「ガロア様はいらっしゃいますか?」

 

「いや…身体を動かしに格納庫へ行ってしまったよ」

 

「そうですか…。お二人にお土産をお持ちしたのですが…」

 

「そうか?紅茶もある、上がっていくといい」

 

「はい」

 

セレンは紅茶をいれながら考えていた。自分がそうだから分かるようになったがこの少女は完全にガロアに好意がある。なんということだ。

かと言ってそれを追っ払うような真似をすればガロアはいい顔をしないだろうし、わざわざ土産まで持ってきてもらっているのにそれはひどすぎる。

それにガロアへの好意という点を除けば礼儀正しいし悪いところなど一つも見当たらないし、自分が過去に取った態度も無かったことのように接してくれるその人間性は性別関係なく好感を持てる。

 

(じゃあどうすりゃいいんだ)

その辺をよーく考えてみれば…それを言うならあの時ガロアに説得に行かせたこと自体が失策だ。

というか、もしかしたらもしかして、これからガロアが色んな女から言い寄られる可能性もないことはないかもしれない。

リンクスになったのは半年前ということは今までの人生から考えて、同年代の女性と一気に関わり始めたのもそこからだ。

それが嫌なら閉じ込めておけばいいのか、と言えばそうじゃないだろう。それを言ってしまえばこんなテロ計画に参加していること自体からダメだ。

閉じ込めるならそこから閉じ込めていた。ガロアにとって必要であろう自主性と自分の独占欲のバランスが取れない。

 

「ほら。ガロアはしばらく戻らないと思うぞ」

紅茶を置いて席に着く。セレンは本日三杯目の紅茶だ。

 

「ありがとうございます。あの…」

 

「ん?」

 

「セレン様とガロア様は…その、同じベッドで…」

王の元から離れるという決意を経て少し成長したリリウムは、眺めているのでも待っているのでもなく自分の意志でガロアにアプローチしようと考える様になっていた。まさしくセレンの恐れている事態だ。

だがそんなリリウムの清らかな乙女の意志もベッドに枕が二つという圧倒的な現実の前に早くも崩れてしまった。同じ屋根の下どころか、これは………普通に考えてもうダメだろうと。

 

「ああ」

 

「そう…ですか…」

 

「だがな」

 

「?」

 

「あいつはベッドに入って一分で寝やがった!!信じられるか!?私が…私が馬鹿なのか!?いや、少なくとも馬鹿を見た」

 

「…?」

年頃の男女が同じベッドで寝るなど…しかもリリウムから見てもセレンは相当の美人なのだ。

何もないはずがないと思っていた。しかし、少々失礼だがリリウムから見てセレンは嘘をつけるような器用な性格じゃないし、

目の前のセレンは本気で拗ねて怒っている。そこから見るにセレンがガロアに好意があるのは間違いないが。

 

「あり得るのか!?そんなこと!?」

 

「あり…得ないと思います…?」

 

「だよ…なぁ?」

 

「……」

そう、あり得ない。だがリリウムには一つ思い当たるところがあった。

自分を拾っていつしか家族のようになっていた王の存在だ。

一切の隙無く王を敬愛してはいるがそこに異性としての目は全くない。

年が離れすぎていたというのもあるし王がそもそもそういう接し方をしなかったのもあるが。

そういえばガロアはセレンを大事な人だとは言っていたが好きだとは一言も言っていなかった。

自分がその立場だったらやはり王のことは大切な人だと表現していただろう。

これはもしかすると全然チャンスがあるのかもしれない、とリリウムは思い始める。

 

「そうだ。土産って…まさか街に行ったのか?」

あまり治安はよくないと聞く中心街にリリウムのような可憐な少女が歩いていたらどうなるかは想像したくないと思ってセレンはそう聞くと。

 

「はい。ウィンディー様のお誘いで」

 

「ふーん…」

そう何度も話したわけではないが、ウィンのあの体つきも目線も格闘技を修めている者特有のものだった。

女二人というのはよくないかもしれないが、それなら大丈夫だろう。

 

「お土産のビターチョコです」

 

「ああ、ありがとう。…折角だし、ガロアが帰ってきてから食べるか」

 

「チョコを買ってきましたが…ガロア様のお好きな食べ物は何なのでしょう?」

 

「…そういえば知らないな。なんでも食べるしなんでも作るからなぁ…あいつ」

 

「趣味とかは…」

 

「多分…料理と読書じゃないかなぁ。自己完結している部分が多すぎるからな…。苦手なものとかあるんだろうか」

ガロアから聞いた話によれば虫も平気で食べるというし、運動も勉強も今は隙が無い上、悪知恵もよく働く。射撃が得意ではないが、苦手という程ではない。

考えてみればガロアがこれは嫌だと主張したことは、自分がオペレーターをやめるという事に対してだけだった。セレンはその事実に気が付いて少しだけ照れた。

 

「あまり…想像できませんね…」

 

「…うーん…。聞きに行くか?話せるようになったんだしな。そのチョコと…何か飲み物でも持って格納庫のほうへ行こう」

 

「あっ!」

 

「なんだ?」

 

「忘れていました!ウィンディー様から言伝が…」

 

「?」

 

「三番格納庫に土産がある、と…」

 

「…?ちょっとよく分からないな…私に?ガロアじゃなくて?」

 

「はい。セレン様に、と」

 

「うーん?見に行くか?」

と席を立とうとしたとき、またノックの音が聞こえて同時に扉の向こうから声が響く。

 

「おーい。ガロアー、いんだろー」

 

「…またあいつか…」

昨日と同じく、中の人を考えないタイミングでの訪問にため息が出る。

 

「なんだ?」

扉を開けるとダンだけではなくメイもいた。

 

「おはよう、セレン。上がっていい?」

 

「ん?ああ」

 

「あああああああ!?リリウム様!?こんちは!!」

 

「おはようございます」

 

一応椅子は四つあるが一気に狭くなってしまった。

特に美人三人に囲まれたダンのテンションは天井知らずで鼻息が荒い。

 

「どうしたんだ?」

 

「おう、ガロアを誘って海に行こうかなって思ってよ」

 

「海だと?」

 

「ええ。エレベーターの一番下で降りてすぐに入れる場所があるみたい。水着も下のコンビニで売っているし…」

 

「素敵ですね…。でも…」

 

「そうだ。そんな遊んでいる場合なのか?」

 

「遊んでいる場合じゃないってのは分かるけどよ、あと三、四日もすりゃ本格的に動き出して遊ぶことなんかできなくなるぜ。部屋でボーっとしているよりはいいだろ?」

正論ではある。電撃戦でアルテリアを同時襲撃し、今度はそれを守り続けなければならない。

どうしたって忙しくはなるのだ。

 

「うーん…でも…ガロアは来るのかな…」

 

「あいつ何してんの?」

 

「格納庫に運動をしに行ったよ。今頃走っているか…筋トレしているか…」

 

「…あいつ…バカなのか?脳みそまで筋肉でできているのか?」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

あまりにもマイペースなガロアの行動に呆れたダンの言葉に誰も否定できない。

セレンですらもずっと思っていた事なのだから。

 

「…とりあえず、迎えに行ってみるよ…」

 

「水着の心配はしないで。セレンとガロア君の分はもう買っちゃった」

 

「? そうか。先にリリウムを連れて行っていてくれ。ついでに寄るところがあるんだ」

 

「分かったわ」

 

 

ついでだからそのウィンの土産とやらを見てみようじゃないか、と日の照り付ける道路を歩くこと20分。

急速にただの格納庫からネクストの整備スペースへと変わっていった格納庫へと着いた。

今もあわただしく無人工事機が指示を受けて動き回っており、セレンは邪魔にならないように端を歩きながら三番格納庫へと入った。

 

どれが自分への土産なのか、詳しく言われていないから分からん。

と思っていたが、すぐにどれがそうなのか分かってしまった。

 

「な…あ…これは…」

ウィンがインテリオルの工場から奪い取り持ってきたセレンへの土産。それは。

 

「シリエジオ…」

幼いころから搭乗を運命づけられると同時に憧れ、同時に嫌悪したセレンの複雑な内心の象徴ともいえる桜色のネクスト、シリエジオだった。

そういえばウィンはインテリオルのトップリンクスだった。

 

『セレンはそれでもリンクスになろうって思わなかったのか?』

ガロアの言葉と未練。

代わりになるアイデンティティを求めてさまよった日々がフラッシュバックする。

 

「わ…私は…」

ガロアのオペレーターなのだからこれはいらない。

口にする必要もない。心の中で思ってしまえばいいのにその一文はどうしてもまともに作れなかった。

自分のかつての憧れそのものが目の前にあるなんて。

 

「……。いや、今は考えるのはよそう」

これに乗って戦えと強要されたわけでもない。ただ自分に持ってこられただけ。どうしようとも自分の勝手なはずだと言い聞かせて、その場を離れた。

 

 

すぐにガロアは見つかった。多分アレフ・ゼロのそばにいるだろうな、と思ったら大正解だった。

上半身の服は脱いでおり、汗で濡れた身体をちょこちょこと動かしながらガロアはスタビライザーに何かしている。

別に自分のネクストに愛着を持つのはいいのだが、あんなにネクストとべたべたしているリンクスって何か変だ。

 

(なんだ?リンゴ?)

脚部のスタビライザーに結び付けた紐の先についているのは一個の赤いリンゴだった。

何をしているのだろうと、思った瞬間にガロアがそのリンゴに向けて目にも留まらぬ速さの蹴りを数発放った。

 

(速い!!)

しかし当たったのだろうか?砕けていないし、紐もほとんど揺れていない。

一体なんの訓練をしているのか。自分が教えた鍛錬の中でこんなものはなかった。

歩み寄るのも止めて思わず見惚れていると、リンゴからやや離れたガロアが地面を踏みしめて、中空に掌底を放った。

 

(空気に通った!?)

発勁の形だけを真似るのは難しくない。しかしその破壊力を通すのは固体でなければ難しい。

だというのに今ガロアが放った発勁は空気にまで通っていった。そしてその先のリンゴが綺麗に割れて落ちていった。

 

(まだ強くなるのか…!)

目的を達したのだからもうやめろ、なんて馬鹿な説得だった。

最早ガロアはブレーキのぶっ壊れた暴走列車だ。際限なく強くなる。

しかし当のガロアはふう、と息を吐いて楽しそうに割れたリンゴをアレフ・ゼロに見せる様に掲げている。

ちょっと…いや、かなりやばいかもしれない。

 

「よこせ、よこせホラ」

慌てて駆けよってガロアの手にあったリンゴをひったくる。

 

「あ、セレン」

 

(うまい!)

つい齧ってしまったそのリンゴを見て驚く。割れているのではなかった。綺麗に切れていたのだ。

粗雑な包丁で切ると断面が押しつぶされたかのようで汚いのだが、この断面はまるで鋭利な刃物で切られたかのようだ。

先ほどの蹴りはリンゴを切るために放っていたのだ。嫌だが…とても嫌だが、やはりガロアは何よりも、戦っているときが一番綺麗だと思ってしまう。

 

「あのさ…なんでそんな強く…」

言いかけてやめてしまう。愚問もいいところだ。馬になんで走るのが速いの?と聞くくらい馬鹿げている。

雑念がないのだ。こんなに純粋に力を欲して貪欲に求め続けた存在を他に知らない。単純にその願いが神か何かに叶えられただけだ。

きっと武道家として目指すべき精神に達しているのだろう。なにしろ金も名誉も地位も生き残るのには何の役にも立たない地域で生きてきたのだから全くそういう薄汚さが刷り込まれていない。

自分のように、そういう風に生まれたからなどという言い訳すらせずに、ただ強くあろうとしている。

しかしひたすら求めた強さの辿りつく場所とは何なのだろう?その先に何があるのだろう?何が待つにせよ、もう極まるまで止まらないだろう。

 

「んあ?こいつが、教えてくれるンだ。俺はこいつと強くなった」

ぼけーっと口を半開きでアホのように答えるガロアは当然のようにアレフ・ゼロを指さす。

本当にヤバいかもしれない。ネクストを機械以上のものとして扱ってしまっている。そのとき、セレンは少々変なことに気が付いた。

 

「あれ?パーツが…」

アレフ・ゼロの武装がブレードとフラッシュロケット以外無くなってしまっていた。

ネクストの武装を盗む者など中々いないし、いたとしても誰にも見られずに運び出すのは不可能に近い。

何か理由があるのだろうか?

 

「ああ、そうなんだよ。知らないか?」

 

「いや、分からんぞ…?ラインアークが修理でもしているのかも?」

 

「まぁいいや。で?何か用か?」

さらっと話の主導を握るガロアに対し、セレンはつい思ってもいないことを口にする。

 

「用がなければ来てはダメなのか?」

 

「いいや。嬉しいけど」

 

「……」

が、ダメ。セレンの意地の悪い言葉はさらっと激甘な言葉で返されて結局セレンが黙り込むことになる。

 

「?」

 

「あ…あ、その…海に行かないか?」

 

「海?泳ぎに?今日?」

 

「ああ」

 

「いいよ。でもまだスクワット500回と腕立て300回とランニング3時間が残っているから後でな」

 

「後って!夕方になるだろうがお前!」

 

「でも身体動かさなきゃなまるし」

取り付く島もない。

思い返してみれば過去に何度か一人で運動しているガロアを無理やり連れて行ったときはかなり不機嫌そうだった。

だがここで一つ、うまい言い訳を思いつく。

 

「水泳は…相当ハードな全身運動なんだぞ?全くやったことなかったけどな」

 

「そうなのか?」

 

「ああ。走るよりもよほど鍛えられるし、普段使わない筋肉を使える」

 

「…分かった。行くよ」

 

(ガロアが単純でよかった)

ころっと意見を変えたガロアに心の中でガッツポーズをするセレン。

お互いにお互いのことを単純だと思っているいいコンビだった。

 

 

 

 

「可愛いじゃない。すごくいいわ」

 

「派手…なんじゃないか…」

わざわざ待っていてくれたメイが渡してくれた水着は赤いビキニでフリルが付いており、ボトムの腰の部分は紐で結ばれている。

言っちゃあれだがかなり煽情的でこのまま出ていくのはかなり恥ずかしい。

 

「それぐらいでいいの。ガロア君バカなんだから」

 

「…?そういえばリリウムは?」

何故そこからガロアがバカということになるのかよく分からなかったのでとりあえず置いておいて、一緒に行かせたはずのリリウムの行方を尋ねる。

 

「まだ水着を選んでいたわ。すっごい悩んでいた」

 

「なんで?」

 

「水着姿を見れば普通の男なら反応するからよ」

 

「!」

やっとガロアがバカだといった理由が分かった。メイは自分のガロアへの気持ちにいつからかはわからないが気が付いていたし、

きっとリリウムのことも分かっているのだろう。だからこそリリウムは水着を悩んで選ぶし自分も中々に派手な水着を渡されたのだ。

あんなことをした後でも同じベッドで何もせずに爆睡する大馬鹿なのだから刺激的にいったほうがいいのかもしれない。

 

「ちゃ…ちゃんと見てくれるかな…」

 

「大丈夫でしょう。目がついているんだし。行こっか」

 

 

そんな会話がなされているとも知らずガロアは今、ちょっとした問題に直面していた。

 

(水着を着ているときからずっと違和感があった…)

海は広いな大きいなと騒ぐダンの横で眉を顰めながら男子競技用の水着に触れる。(ちなみにダンの水着にはどこかで見たようなロボットがプリントされている)

 

(俺は…)

 

(泳いだことがない)

森で駆けて木に登り、ネクストに乗っては空を飛ぶガロアだがこれまでの人生で海どころか泳ぐという行為には全く縁が無かった。

 

(それに…なんだか怖い)

何故か分からないが大きな水が怖い。

泳いだことがないのだから当然おぼれた経験もないはずなのになぜだろう。

 

 

「うわぁ…ガロア君すごい身体しているね…」

後ろから水着に着替えたセレンとメイが来ており、努めてビビッていることを顔に出さずに振り返る。

 

「な!すげぇ身体しているよなこいつ!細っこく見えるのにガチガチ」

ガチガチと言いながら拳で軽くこちらをガンガンと叩いてくるダン。だがガロアの目にはセレンしか入っていなかった。

言葉が出ないほど綺麗なので何も言わないままでいると。

 

「って…あんたもすげえ身体してんな…」

ダンがセレンの身体を見て息を漏らす。

女性としての美しさが損なわれない最高の基準での筋肉が付いたセレンの身体は二の腕や太もも、腹筋にもはっきりと分かる筋肉がついていて太陽の光を受けて影ができている。

メイほどでないにしろ胸も大きくスタイルも良いとくればダンの言葉にもうなずける。

 

「じろじろ見るな」

 

パン、と軽快な音が響いた。

 

「あぱっ!?」

強烈なビンタを左頬にくらい赤い紅葉がくっきりと浮かんでダンの左の鼻孔から血が出る。

 

「ダン君、私には何かないの?」

 

「え?…胸でっかいな」

黄色い三角ビキニを吹き飛ばさんばかりの大きさの胸は、

セレンの四つも上の大きさのKカップであり、確かにまずそれしか感想が浮かばない。

パレオから伸びる脚がセクシーだとか他にも言いようがあっただろうに、ダンはそれしか言わなかった。

 

「それだけ…?」

 

「え?うん」

 

またしても同じような音が砂浜に響く。

 

「なぱっ!?」

今度は右頬にビンタをもらったダンはとうとう両方の鼻孔から血を出し、はたから見れば海辺によくいるナンパに失敗した男だった。

 

「……」

 

「ガロア…その…どうだ?」

顔を水着と同じくらい赤くしながらそんなことを聞いてくるセレン。

どうだと言われても胸も腰も尻も顔も含めて全てがどストライクで結局綺麗だとしか言えないが、

下手な事を言うと隣のダンのようになりそうだ。

 

「うん」

この答え方がベストなはず、とガロアは軽く頷いて終わる。

 

「……」

ベストなはずがセレンは肩を落とし明らかに落ち込んでいた。

羞恥を押えて勇気を出したというのにガロアのあまりに淡泊な反応に少々目に涙が溜まっていた。

 

「いてっ!」

そこに、まさかのメイからの軽いビンタが飛んできた。

意外過ぎて避けることも出来なかった。

 

「ガロア君、女性の水着姿には…こういうときは、綺麗だねって言うものなの」

 

「…はぁ」

何故だろう。この前邪魔だとか言って戦場から追っ払った程度には力の差がある筈なのに全く逆らえない。

これが年の差という奴なのだろうか。そう思っていると。

 

「お待たせしました」

砂浜に小さく足跡を付けながらリリウムが走ってきた。

白いチューブトップで胸の過度な露出を避けた水着はリリウムの印象に良く似合っており、髪や肌の色と相まってとても清潔だ。

 

「うん。綺麗だな」

メイの言葉に従って今度は選択を間違えない。

その言葉が耳に届きリリウムが顔を真っ赤にした瞬間。

 

バァン!!

 

「あだぁっっ!!?」

今日一番のビンタがセレンからガロアの左頬へと送られた。

両方の鼻の穴から血が噴き出し結局男は全員鼻血を出すという何とも滑稽な光景に。

 

「!?」

 

「ふん!!もう知らん!!泳ぐ!! 行くぞメイ!!」

驚き固まるリリウムを置いてメイの手を引き海に行ってしまうセレン。

 

 

「なぁガロア。俺、分かったことがあるんだけどよ」

 

「え?」

 

「女はビンタする。間違いない」

 

「……。リリウムはビンタするのか?」

 

「え?え?…いえ…リリウムは泳ぎます」

 

「ですよね!行きましょう、リリウム様!」

 

「ガロア様は?」

 

「……顔洗って準備運動してから行く」

 

海に何の恐れも無く入る四人を横目に水道で顔を洗い流し、入念に準備運動をする。

なんで自分でもこんなに怖がっているかは分からないが、一歩間違えれば死ぬという認識は間違っていないはずだ。

 

(こえー…海こえーな…)

もうここまでくればはっきりと分かる。泳ぎたくない。怖い。

ここで体育座りして日没までなんとか誤魔化せないだろうか。本当に怖い。

渺茫とした海のどこかには人よりも遥かに大きな生物もいて、セレンやダンが足を突っ込んでいる海から続いた場所にいるのだ。

陸ならまだしも海の中では絶対に勝てない巨大生物がそのどこかには必ずいて、それと同じ場所にいるのだという恐怖。

こんな情けない事を誰にも言う事は出来ず、砂浜にしゃがんで貝殻をつっついていると人影がガロアの影と被った。

 

「あの…ガロア様」

 

「…?どうした?」

メイが持ってきていたビーチボールで三人が海の中で遊んでいるのにわざわざ抜けてリリウムがここまで来ていた。

何か話したいことでもあるのだろうか。

 

「リリウムは…」

 

「…?」

 

「アナトリアの傭兵に銃を向けて…撃たなかった…ガロア様の答…リリウムは正しいと思います」

 

「誰から聞…いや、それは重要じゃない、か。…別に高尚な理由があったわけじゃない。俺が臆病だっただけだ」

それを聞いてやはりウォルコット家の歴史を思い出してしまう。

リリウムには怒りは無かったのか、とは聞けない。何故なら復讐の為に力を欲したなんていうのは褒められた動機では無いと自分で分かっているからだ。

殺してほしく無かったのか、とはますます聞けない。今の自分には出来ないから。

 

「いいえ、勇気ある行動です」

 

「好きに思えばいい」

 

「なので…リリウムも…少し勇気を出します。そのまま…どうかそのまま、しゃがんだままで。ガロア様が立ち上がるだけで…届かなくなってしまう」

 

「え?」

つっついていた貝殻から顔をあげると自分と同じく砂浜にしゃがんだリリウムの顔が目の前にあった。

綺麗な翠色をした目にはなにやら固い決心が浮かんでおり、訳が分からずたじろいで尻餅をついてしまう。

 

「なっ、なに…」

海水に濡れてひんやりとした手が顔に添えられて逃げることも出来なくなった。

そして王小龍とセレンが大激怒している顔が頭に浮かんだのと同時に頬に柔らかい唇が付けられた。ひんやりとしているのにぬくい。

言葉にならない言い訳を考えているうちにその唇は離れていってしまう。

 

「先に行っていますね」

混乱極まっている自分とは対照的にすっきりとした顔で笑ったリリウムはそう言って海へと駆けていった。

 

(うぎぎ…もうなんも、何一つわからっ、わからねえ…なんで?)

18にして今まで異性どころか人間の知り合いすらほとんどいなかった人生から一転、モテ期が来ているガロアはようやくリリウムが自分に好意を持っている事に気が付く。

だが、何故リリウムが自分にそんな感情を抱いたのかが分からなかった。ガロアは感情を理屈で考えすぎるのが大きな欠点だった。

そしてまた一つ、ゆるゆるだった頭のネジが外れてしまったガロアはふらふらと海に向かって歩き出した。

 

 

 

 

(ああ…美人三人と海で遊ぶなんて…俺幸せ…)

メイはともかくとしてセレンとリリウムはダンの事をなんとも思っちゃいないし、

ビーチボールにしてはセレンのサーブは威力が高すぎるが、それでも今日のイベントはカラードを裏切って半ばやけくそになっていたダンの心を癒していた。

そんな時、視界の端で何かが暴れているのが目に入った。

 

「ん?」

 

「どうしたの?」

 

「なぁ…あれ…」

 

「ガロア様…ですね。あれは…どう見ても…」

 

「溺れているぞ!!?」

 

「うわーっ!!?」

 

波にさらわれて沖へと流れていくガロアをセレンが猛スピードで追う。

その間にもただ引き返す波に捕まっているだけとは思えない程の速度でガロアは沖に引かれ、沈んでいく。

白目をむいて口から海水をガブガブ飲んでいるガロアが見えたセレンは人生でもここまで必死に泳いだことはなかったという速さで泳いでガロアに追いつき、なんとか砂浜に戻すことに成功した。

 

「げほっ、がはっ…」

 

「大丈夫かよ、おい!」

 

「お前…泳げないのか!?」

 

「セ、セレン…」

セレンに掴まれて陸へと戻るまでの間、ガロアは何故か懐かしい夢を見ていた。

水にどんぶらこと流されて溺れる夢だった。何故そんな悪夢を懐かしいと感じたのかは分からないが。

 

「な、なんだ?」

 

「海は…しょっぱい…」

飲み込んだ海水を吐き出しながら五歳児のような事を言うガロアに一同は困惑している。

 

「意外ね…てっきり水泳も出来るかと思っていた」

 

「俺は…泳いだことがない」

 

「そうだったのか!?そんなこと、私は聞いてないぞ!?」

 

「……無念」

ゲボッ、と咳き込むとまたしても口から海水が大量に出て砂浜に染み込んでいき、ガロアはその場に力なく倒れた。

 

「取りあえず少し休めよ。なっ?俺たちはここにいるから泳いでいていいぜ」

 

「だが…」

 

「セレン」

 

「え?」

 

「後で…泳ぎ方を教えてくれ」

 

「あ、ああ。分かった!」

セレンはこの場を離れることを渋っていたが、その言葉を聞いて海に向かう。

今度はどんどん流されていくビーチボールに気が付き三人ともきりきりまいで追っかけている。

 

「…人間の身体が水に浮く方がおかしいんだ…」

運動がそれほど得意では無かった頃を思い出し大きな体を丸めて少しいじけるガロアにダンは笑いかける。

 

「いや、お前でも苦手なことあったんだな。なんか親近感湧くぜ」

 

「……」

 

「そういやお前さ…」

 

「ん?」

気が付けば自分とダンの二人しかいなかった。

まさかダンまでキスしてくるんじゃないだろうか、と身構えていると。

 

「なんでリリウム様を誘ったんだ?」

 

「え?…なんで、今それを?」

もう最近話の脈略というものがさっぱり分からない。

というよりも言葉という物はやっぱり難しすぎる。

 

「全然革命って感じじゃないじゃん!部屋でベートーベンの月光って感じじゃん!似合わない!なんで来たのかも分かんねぇ」

 

「……勝手に、カラードから抜けて…それで戦うのは…悲しすぎると思ったんだ。だから言ってみようって」

ダンから渡されたペットボトルの水を飲んで、ガロアはセレンにも言っていなかった本心を初めて吐露する。

ガロアは『友達』という言葉を知っていてもまだその概念をうまく理解できていない。

ただ、ダンがそんなことを聞いてきたとき、いつもダンと一緒にいたあの派手な男を思い出した。

 

「俺はカニスに言えなかった。いや、言わなかったの方が正しいか」

 

「……」

その男の話をする、となんとなく分かっていた。

いつかダンが自分に思いつめた顔で話してきたように。

 

「でももう、戦うとしても殺し合わなくてもいいんだ、俺たちはさ。なんつーか、馬鹿なことをしているのかもだけど。でも、ずっとマシだ」

 

「……俺が…言ったことと同じなのか」

これも強さなのかも、とガロアは思った。嫌なことを素直に嫌だと主張できる勇気。

ところが、嫌なこと苦しいこと、したく無いことでも歯を食いしばってやり通すことも強さには違いない。

この世界には自分の知らない強さと言う物があって、この少年はそれを持っているのだろう。戦えば勝つのは間違いなく自分だというのに、そこに強さがあるなんて。

 

「セレブリティアッシュも俺のもんだ!持ち逃げしてやった!支払い終わってないけど!もう金貰って人殺しなんてしなくてイんだ!」

 

「俺が…戦場でサベージビーストに会ったら」

殺さないでおこうか、と言いたくなかった。それはガロアがその昔怒ったアナトリアの傭兵そのままの姿だからだ。

それでもその姿を羨ましいと思っている自分がずっと心の中にいる。そんなもの、取り出して海に沈めてしまいたかった。

またじくりと頭が痛んだ。

 

「心配すんな。カニスはお前と戦わない。お前を見たら一目散に逃げるさ」

 

「分かるのか」

 

「友達だからな。敵になっても」

 

「…お前、強いんだな。俺の知っている『強さ』は…」

今の自分は強くなった。だが目指した強さと少し違う気がする。小さな身体と知恵のみでバックに立ち向かったあの日の自分には目指した強さがあった。

例え身体が弱くとも、過ぎた理不尽にはNoと言えることこそが強さなのだと思う。だとしたらその強さはこのダンにはある。

自分には今でも…あるのだろうか。

 

「お前ほどじゃねぇさ」

 

「いやそんなことはねぇ…と…思う。そういえばいつもあのメイ・グリンフィールドと一緒にいるけど、なんでだ」

さりげなく気にはなっていたものの、わざわざ聞くほどのことでは無く、そんな暇も無かったがせっかくの機会なので聞いてみる。

 

「え?分からん。なんか一緒にいる。話しやすいしな」

 

「ふーん…」

セレンと自分のケースで考えれば少なくとも一定以上の好意がダンにあるんじゃないか、とは思うが下手な事は口にしないでおく。

自分がそういう事に全く不慣れだという事は知っている。

 

「でもおっぱい大きいよな」

 

「………そうだな」

さっきそれで引っ叩かれたばっかりじゃないか、と思うが悲しいかな、男という生き物はこう言われるとついついそちらを見てしまう。

水しぶきの中で胸をたゆんたゆんに揺らすメイは目に毒だ。なんとなく家の中で無防備に歩きまわっていたころのセレンを思い出す。

そこでおっぱいを一つお願いします、とか言ったらぶっ殺

 

(されないかも…?)

ガロアは確実にバカになっていた。突如始まって駆け抜けていく18歳の青春がガロアの頭をとろっとろに溶かしてしまっていた。

もう考えても一切分からない。とりあえずダンがそうしているようにメイの揺れる胸を見ていると。

 

「何を見ている?」

 

「おあっ!?」

 

「うわっ!?」

いつの間にかセレンが自分の後ろから自分の視線の先を見つめていた。

 

「う、うみ…みてた…」

 

「そ、そうだ。ガロアの言う通り。海を見ていたんだ」

 

「ほう…やはり胸は大きい方が好きか」

実のところ会話を途中から聞いていたセレンは表情を変わらず嫉妬交じりの怒りのボルテージを上げており、

どんな返答が返ってきても、いやらしい目で女性を見るなだとか言って追及するつもりだった。

しかしガロアはもう確実に馬鹿になっていたのだ。

 

「俺はセレンのおっぱいのことを考えていたんだ!!」

昨日の初恋キスに加えて、次々と起こるどう反応していいかも分からないイベントの連続でガロアの頭のネジはダース単位で吹き飛んでおり、最早横になったら脳みそがこぼれてしまうレベルに達していた。

 

ダンはその言葉を聞いて思いきりずっこけて砂浜に頭を不時着させた。

セレンは160km/h、ド直球のガロアのセリフを聞いて

 

「そっ、それならいい!!」

としか言えなかった。

 

 

 

結局何度も海で手を引かれ泳ぐ練習はしたが、全く泳げるようにならなかった。

波に足を取られて転んだり、鼻に海水が入って思い切り咳き込むガロアはなんだか昔に戻ったようで、泳げるようにはならなかったがセレンは中々楽しかった。

 

 

「いや、結構楽しかったな?」

部屋に戻りシャワーから出たセレンは満足気だ。

 

「普通に運動するより疲れた」

 

「いい運動になったってことだろう」

そのまんまベッドに身を投げ出すセレンを見て、ガロアは買い物袋から昨日買ってきた物を取り出す。

 

「セレン、これ使え」

それはドライヤーだった。

こっちに持ってきた物は服と花とほんの少しの化粧品だけだったのでまさかと思っていたがやっぱり昨日も髪を乾かさなかった。

話し込んでいて渡すのを忘れていたそれを差し出す。

 

「え?乾くだろ、そのうち」

やっぱりというかなんというか、当然のように聞く耳を持たない。

 

「いや、そのまま寝っ転がられたら枕が濡れる。それに潮風に晒して痛ませるのは良くないだろう」

 

「いいじゃないか、それくらい」

 

「ダメだ。折角美人なんだから」

 

「……」

もしかしてガロアには恥という概念が無いのだろうかとセレンは思う。

何故こうもするするとこんな言葉を吐き出せるのか、と。

 

「面倒なら俺がやってやるから」

 

「…じゃあ…お、お願いするとしようか…」

俯いて濡れた髪で顔を隠してぼそぼそと肯定する。

 

「はいよ」

頼まれてタオルでよく水をきり弱いブローで乾かしていく。

 

「……」

 

(黒い髪はあれだ、なんでだ、どこまでも綺麗だコレ)

海から戻ってもガロアの頭は壊れっぱなしだった。

自分でもよく分からないことを考えながら黒髪を乾かしていくとセレンがドライヤーの音に紛れて何かを聞いてくる。

 

「その…」

 

「ん?」

 

「…リリウムの方が綺麗だったか?」

 

(…これは…嫉妬?か?)

ここ半年で初めて目にする感情が多すぎて分類が追い付かないが、セレンが自分に好意があると言う前提で考えるのならばそういうことだろう。

二人を取り巻く世界だけでなく、二人の関係までも意味不明な速度で変質していき本当に頭がついていかない。

 

「いや、セレンの方が綺麗だったけど。なんか今までよりも」

とりあえず意味のある文字列を口にできたが、既にガロアのお子様脳はかなり駄目になっていた。

 

「そうか…その…。嬉しい」

 

(…綺麗な髪だなぁって、もうなにがなんだか)

指を入れるとするりと流れてしまいほとんど指にかからず最高級の絹の様な輝きを放っている。

またまた理性がはち切れ昨日の様な粗相を犯してしまいそうになる。自分の理性とやらがどこにあるのかもよく分からない。

 

「乾いたか?」

 

「アッハッハッハ、さっぱり分からん」

乾いている。

そうじゃなくて、もう自分の頭の中で何が起こっているのか分からな過ぎてガロアは笑うしか無かった。

 

「!?」

 

「全然分からん本当、ハッハッハ」

ドライヤーのスイッチを切ってけたけた笑いながら髪に鼻をつけるといい匂いがした。

もう笑いが止まらなかった。

 

「少し落ちつけっ!?後遺症が出たか!?出ちゃったのか!?」

ばんっ、と両手で顔を挟まれ、セレンが青くなった顔で見てくる。

セレンが何を言っているのか、何を心配しているのかも分からない。

 

「はっ?」

 

「なんか、オカシーと思ったんだ!18年間ウンともスンとも言わなかったのに…ぽんっと話しだしたかと思えばテロリストの仲間入りして」

 

「違う、セレンの髪が綺麗だから」

何一つとして会話が噛みあっていなかった。

ガロアは一応事実しか口にしていないし、おかしいから笑っているだけなのだが。

 

「あああ、もう、髪ならホラ、全然触ればいい!親も兄弟もいないから誰もしなかったが、いいから!!」

 

「よし」

差し出された黒い髪を手で掬い、未だ波にゆらゆらと揺られているような感じのする頭が指示するがままに口を付ける。

 

「バカかっ!?」

セレンももうありとあらゆること全てがさっぱり分からずガロアの顔にパンチを叩き込んだ。

 

「……?…………飯にしよう」

ガードも出来ずにクリティカルヒットしたそのパンチでガロアは吹き飛ばされてベッドから派手に落ちたが、

そのお陰で遥か後方に置いてきてしまった理性やらその他もろもろが頭の中に戻ってきてようやくまともな言葉を言えた。だがそれが今までの会話と雰囲気が合っておらずまたセレンを混乱させた。

 

「?? ?? 晩飯?お前が作るのか?」

 

「材料買ってきた」

ふらふらと台所まで歩いたガロアが開いた冷蔵庫の隙間から一食分くらいの鶏肉(つまり大量)と調味料なんかが見えて、

ガロアの料理の味を思い出しセレンの腹が鳴る。

 

「……料理が趣味なのか?」

 

「趣味…うん…まぁ趣味かな」

 

「含みがある言い方だな」

 

「セレンが美味しそうに食べてくれるから料理するのが好きなんだ。じゃあ晩飯作るから待ってな」

 

散々甘い言葉を言って訳の分からない行動をして、結局台所に引っ込んていったガロアの背を見て枕に顔を埋めてばたばたする。

実家で言われた「好き」という言葉は何か違った気がしたがもうこれでいいんじゃないか。

これ以上は血管が持たないし、結局あの「好き」がそういうことだったのかもしれない。だとすれば手を出してこない意味がよく分からないが。

 

(ガロアが作る晩飯か…随分久しぶりの様な気がするな…晩…晩!?また夜が来る…どうするんだ…)

一緒に寝るのはいい。というか素晴らしい。問題はあの鬼の様な寝相だ。

あんなものを毎日繰り返されては身体中青あざだらけになってしまう。

とは言え他に寝る場所は無い。

結局うまい解決策は思いつかないままガロアの使っていた枕を抱えて延々と悩んでいた。

 

 

 

 

(…どうしちゃったんだ…?)

料理を持ってきたガロアはベッドの上でぶつぶつと悩んでいるセレンを見て顔を青くする。

自分も色々とダメになった気はするが、セレンもかなり来ちゃってる気がする。

 

(最近…環境が目まぐるしく変わったからな…やっぱり疲れさせてしまったか…)

微妙に正解に近い想像をしながら皿を机の上に置いていく。

セレンは相変わらず悩んでいた。

 

 

(ようするに…寝ているときに攻撃されるから避けられないんだ)

 

(つまり…事前に防ぐか見ていればいい)

 

(…なんで…一緒に寝るのに攻撃とかいう話になるんだ…)

脳内会議で表情をころころと変えていき、それがまたガロアを不安にさせるがセレンは気が付かない。

もう二人は昨日のキスから頭の中の大事な部分がいくつも完全にイカれてしまっていた。

 

(とにかく攻撃モーションに移さない…となれば…)

 

「ガロア」

 

「え?」

 

「手を繋いで寝よう」

 

「えぇ?」

これは名案、とセレンは提案したがそれがますますガロアを心配させた。

何がどうなってそうなるのか、とは思ったがセレンと手を繋いで寝るというのは単純に嬉しい気がした。

 

「…それはなんだ?」

 

「チキンの山賊焼きだ。沢山あるからいくらでも食べてくれ」

 

「そうか。じゃあ頂こうかな」

 

何か頓狂なことを言っていたセレンだったが結局相当な数の鶏肉を平らげたし、

実にいい笑顔で美味しいと言っていたので疲れていると思ったのは気のせいなのかなとガロアは思っていた。

だが。

 

 

 

「はははは歯も磨いたし…寝るぞ、ガロア」

 

「うん。…うん?」

差し出された左手とセレンの顔を交互に見る。

 

「手を繋ぐぞ」

 

「本気だったのか」

 

「本気だ!?嫌か!?」

声を上ずらせながら迫ってくるセレンには逆らってはいけない迫力が生まれている。

もう自分達の関係はどこに行ってしまっているのか分からない。

 

「いや、嬉しい」

 

「じゃあホラ!さあ!」

 

「…ベッドに入ってからでいいんじゃないか」

ここからベッドまで歩いて、ベッドに上がって、毛布を掛けてなんて事を片手のふさがった状態で二人でするなんて煩わしい事この上ない。

 

「じゃあ早く入れ!もう!」

 

「なんでカリカリしてんだ?」

 

「誰のせいだと思っているんだ!」

 

(俺か…?)

ちょっとよく原因が分からないがセレンが怒っているときは頭を低くして怒りが通り過ぎるのをひたすら待つしかない。

ベッドに入ると乱暴に手を握ってきた。

 

「……」

 

「……」

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「俺…誰かの手を握るの…凄い久しぶりだ」

 

「……」

そういえばぶっ倒れたガロアを担いだり、肩を貸したことはあっても手を握るなんてことは無かったな、とセレンは思い出していた。

今までに無意識に握ってしまったのは別として。

 

「どうしてこうなっているのかはよく分からないけど…こうしているだけで凄い幸せだ。ずっと…こうして誰かに俺の右手を握ってほしかったのかもしれない」

 

「…これくらいで幸せだって言うなら…明日からも」

 

「うん」

乱暴に握っていた手を緩めて、どちらともなく指を絡ませる。

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「セレンが着いて来てくれて…良かった…」

 

(あ、寝た)

すとんと音が聞こえてきそうな程見事に夢の世界に落ちたガロア。

その横顔は大げさでもなんでもなく本当に幸せそうだ。

 

(結局…ガロアが私をどう思っているかは…分からない。何が起きているのかも)

 

(でも…一緒にいて幸せだと言うならそれでいいか…)

どちらかと言えば昨日のような事がちょっとした事件だったのだ。

自分も自分であんな風に身体の繋がりを求めなくてもこうしているだけで十分すぎる程幸福を感じられる。

波に揺られる感触の残る身体と左手の温かさを味わっているうちにセレンも眠りに落ちていた。

 

 

そして次の朝。

 

「ん…」

昨日とは違いやけに温かく、少々喉の渇きが強くなり目を開ける。

 

(うわっ!)

夜中にどのように動いたかは分からないが取りあえず毛布は蹴られていない。

手が繋がっているのだから当然だが、自分と逆方向には向いていなかった。

 

(こ…こうなるのか…い、いいんじゃないかな…)

だが今度は手はガロアの方に引き寄せられて、顔が自分の胸の中に埋もれていた。

すやすやと寝息を立てているが息苦しくないのだろうか。

その寝顔は小さい頃から変わらない。

 

(身体が大きくなっても…まだ子供だな…か、可愛い…)

これでガロアの意識が覚醒していて何らかの反応を示していたら、反射的にパンチを飛ばしていたかもしれないが、寝ていてこうなった分にはどうとも思わない。

 

(そういえば…本当の母親の乳も飲んだことないんだっけか…)

ガロアが住んでいた家で読んだ手紙の内容と言葉、そして自分の胸に顔を埋めて眠る穏やかな表情が母性本能を刺激しついついその頭を引き寄せてしまう。

思いだせば思いだすほど涙腺にキてしまう。

 

(…やっぱり一人ぼっちは寂しかったよな…そうだよな…)

考えている事とは裏腹にぎちぎちと締め付けてガロアの呼吸を妨げていく。

 

「あ」

 

「……、…」

目を覚ましたガロアが寝ぼけ眼で胸元からこちらを見ていた。

それと同時に自分がしていた事に気が付き固まってしまう。

やばい、何を言われるのか、と思った瞬間。

 

(うおおぉ!?)

寝ぼけていたのか、小さな女の子が巨大なテディベアにするようにぎゅうっと思い切りセレンを抱き寄せてまた眠ってしまう。

 

(おおお…今日も絶対手を繋ごう…)

ガロアの無意識の暴力を防ぐ為の苦し紛れの対抗策がこういう結果になるとは思わなかった。

そのまま幸せ一杯の表情で抱き返しながら固く決心するセレンであった。




ガロア君壊れてしまいました。
セレンもいい感じに壊れていますね。

フロム作品の主人公は泳げないんだぞ。

次はいよいよ本格的に作戦開始です。


実は、部屋に戻ってそのまま引っ込みがつかなくなってしまったジェラルドとジュリアスの間に子供が出来てしまいます。
それが物語に大きく絡むことはありませんが……

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