Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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腐敗

日曜日。

やはりセレンの言い付けは守り訓練はしていないガロアはベッドの上に座り退屈な午後をのんびり過ごしていた。

ガロアがどこかに留まって防衛するという事は無く、支援要請が来てから飛んでいくという風にされている。

ラインアークのあるソロモン諸島の位置的にもアレフの戦闘スタイル的にもそちらの方がいいとはメルツェルの言葉。

ちなみにもう一人、遊撃手としてORCAからガロアと似た戦闘スタイルの男がいるという。

 

先日、尋問(?)を終えた後オッツダルヴァが何か不便はないか、欲しい物はないか、と言ってきたので本が読みたいと言ったらそのままガロアに手渡していた端末をくれた。

ラインアークにも図書館はあるが、ラインアークの市民権がある訳ではないガロアでは借りられないし、読むためだけに何時間もかけて行くのは嫌だったので重宝している。

電子機器などセレンから渡されたケータイ以外持っていなかったガロアは今もふらふらと見ているのは宗教史だ。

リザイアことキアランはぶつぶつ文句を言いながらも下っ端として忙しく働いている時の表情は悪くなく、

食堂に行くと必ず声をかけてきてくれるが、結局何故彼女がガロアにあんなにも馴れ馴れしいのか少なくともセレンには分かっていなかった。

 

「何を見ているんだ?」

 

「……!」

横から覗いてくるのではなく、セレンはわざわざ端末を持った腕を掻き分けて脚の間に座って端末を見ようとしてきた。

顎の下に柔らかい髪が位置して一気に文字が目に入らなくなる。

 

「なんだ…? 宗教史? お前…」

もしかしてポルノサイトでも見ているのかも、とセレンは思ったがその真逆。

クソくだらない掲示板なんかで時間つぶしでもしているのなら年相応で可愛らしいが、

暇つぶしに宗教の勉強をする18歳っていいのだろうか、と悩むが昔から時間つぶしと言えば父の残した本しかなかったのでガロアの一人での過ごし方と言えばこれくらいしかない。

 

「……セレン」

 

「…ダメか?」

 

「いや」

 

「…うん。だろ。あんまり画面を見過ぎると目が悪くなるぞ」

ぷちっと電源を切って脇に投げたセレンはガロアの腕を自分で自分の首元に回し、実に幸せそうに息をついた。

 

「……」

先日の会話以来、距離感が縮んだ…いや、有り体に言えばものすごくべたべたしてくるようになった。

最早自分が先生なんだとかいった意固地なプライドも無くなってしまったようだ。

セレンもセレンで恋心を自覚しているので、くっついてもガロアが全く嫌がっていないことに気をよくして、

場をわきまえてはいるが二人でいるときはずっと触れ合っているようにしていた。

 

その目はもう自分以外の何もかもを見ていない。

いや、昔からそうだったのかもしれない。

誰かに関わって世話をして、という人生で初めての経験が嬉しくて楽しくて仕方が無かったのだろう。

自分もそうだった。また誰かに関われて嬉しかった。なのに自分は戦いをやめていない。

自分の人生を変えたのはアナトリアの傭兵でも、自分を縛っているのは自分だというのは分かっていた。

じゃあやめてしまえと、そういう訳にはいかない。この手で殺した者達の為にも。

 

 

「ふー…」

効能たっぷりの温泉に浸かる様な表情でセレンはガロアの大きな身体に沈み込んでくる。

 

「……セレン」

 

「……嫌か?」

 

「嫌じゃない」

 

「…うん。だろ」

そう、嫌じゃない。嫌じゃないからこそ困っているのだ。

沈み込むように身体を押し付けてくるのはいいのだが、柔らかい尻たぶが優しくダメな部分を刺激し実にいけない。

どっか違うところを見て気を逸らそうにも波の音しか聞こえ無い中でセレンの体重が圧倒的にリアルすぎる。

 

「何もすることが無いなら抱きしめてくれないか」

 

「…うん」

そのまま言われるがままに脚も腕も内側に丸めて閉じ込めるように抱きしめてしまう。

またセレンが小さくなったなぁ、と自然と思ってから、ああまた背が伸びたのかと気付く。

いつからか急激に背が伸び始めて気が付くと子供と大人が男と女になっていた。

力が欲しい、大きくなりたいとは思っていたが少々大きくなりすぎたんじゃないか。

 

「はぁ…」

 

(暑くないのかな)

海の上で涼しいとは言え本日の室内気温も30度を超えている。

身体は幸せで埋め尽くされたと言わんばかりに幸福色の溜息を吐いているが、じんわり首筋に汗が浮かんでいる。

冷房を付ければいいと思うがもう動く気になれない。ずっとこのままこうしていたかった。

 

「ガロア」

 

「え?」

 

「幸せだ」

 

「…うん」

 

「お前が話せるようになってから…お前がくれた言葉が…私を…。…いろいろあったけど…私にはこれだけでいい」

結局ガロアが自分を女性として好いてくれているのかはセレンはよくわからなかったが、

今はそれでいいと思えた。家族だというのならばこれからもずっと一緒にいてくれるというのだから。

最初から自分には存在せず、未来永劫あり得ないと思っていた普通の幸福がどういうことかいつのまにかそこにあったという気付きと多幸感はいくら舌を回しても語りつくせない。

好きだし、一緒にいてくれるならもうそれでいいやとセレンは思う。

 

「俺も…幸せだ」

セレンの頭にある、言葉にしようのない焦がれた思いがひしひしと伝わってくる。

これから金を持ってどこか遠くに二人で行けたらどれだけ幸せなんだろう。そう思うが。

 

(いたい……)

酷い頭痛と幻覚がガロアを襲ってくる。

まるで幸せなど許さないと、そう言わんばかりだ。

 

あの時、憎いアナトリアの傭兵の前で初めて本音を叫んだ。

勝手な理由で人を散々地獄に叩き込んでおいて何故今更幸せになれるのか。

倒せば自分が正しい存在だと証明されると思い込みたかった。

そんなはずがないのに。

 

(俺には出来ない…)

人は誰でもどこかしら矛盾している。愛ゆえに、あるいは人間らしさゆえに。

それは分かっていてもその矛盾に長い間苦しんできたというのに、さらに自分で矛盾を作り出すことなど出来ない。

ここでセレンを連れてどこかへ逃げれば、もうそこで自分を支えてきた圧倒的な我が壊れてしまうというのは考えなくても分かる。

考えすぎだとかセレンは言うんだろうが、そういう風に出来ているのだから仕方が無い。間違っているのはもういい。いつか裁きは来るものだとして。

それまでは自分が行くべきと信じた道を行かなければならない。甘い堕落の道では無く、困難溢れる修羅の道を。だから。

 

「セレン」

 

「なんだ」

 

「……いつか…セレンがもっと幸せになれる世界が来る」

 

「…? なんだかお前らしくないことを言うな」

 

「え?」

 

「具体的じゃない。そんな事を言う様な奴だったかな…お前は」

顎の下におさまっていたセレンの首がゆっくり回ってこっちを見てくる。

青い目に透かされて心の内が全て見られているような気分になってしまう。

 

「……」

 

「首の跡が消えているな」

 

「……」

気が付けば目線が下がって自分の首元を見ながらそんなことを言っていた。

からかわれているとは分かっても思考が速度を落としていく。

 

「……もう一度…」

 

「恥ずかしいからダメだっ」

もはや隠そうともせずこれからの行動を口にしながら首元に唇を近づけてきたセレンの顔を押しのける。

何か少しでも違っていたらこの人がこんな…情熱的な愛情表現をしてくる人だとは知らないままだっただろう。

じゃあもしかしたら、自分以外の男とこうしていた未来があるのかも?と考えたら心がちくちくと痛んだ。

 

「ほー…お前でも恥ずかしいという感情があるのかね」

 

「あるに決まっている」

というよりもその跡を隠しもせずに歩いた時の周りの反応を考えると面倒極まりない、という理由の方が大きい。

だがそれも言い訳と言えば言い訳で。

 

「嫌なのか?」

 

「嫌…じゃない、けど…」

 

「そうだろう?」

 

「うぁっ!」

結局過程はどうあれ首に噛みつかれた。

最近はもう、ついやってしまっただとか無意識にでは無く、分かっていながらからかうように多彩な性的アピールをしてくる。

これもこうならなければ分からなかったことだが、セレンには猫の様な噛み癖があり事あるごとに身体の節々を甘噛みしてくる。

 

「……ふふ…真っ赤だ。外で運動している割には肌が白いから…良く目立つぞ」

 

「……」

口付けていた場所をそっと指で触ると楕円形にぬるりとしている。

襟の高いシャツを着ても見え隠れするかもしれない。しゃくれた犬のように肩をいからせながら首を引っ込めていくしかない。

 

「……またあのお菓子が食べたくなったなぁ」

 

「…え?…え!?」

唐突過ぎる話題変換、面舵180度といった感じで関連性が全くない言葉を口にした。

 

「お前が作ってくれた奴。また食べたい」

 

「…あ、…うん。食べたいなら…作るけど…」

それは構わないのだが、のしかかりながら鼻先10cmの距離で言う様な事なのだろうか。

 

「じゃあ作ってくれ」

 

「…材料がないから…買ってくる」

 

「楽しみに待っていよう」

 

「……」

先日の会話でそんなに心境に変化があったのか。

それがいい事なのか悪いことなのかはいったん置いておいて、かなり自分をからかうようになっているのは何故だ。

襲わないと思っているからでは無く、それでも良いと思っているからに違いない。

そうなったらそうなったでいいし、そうでなくても一々反応する自分を見るのがさぞ楽しいのだろう。

セレンは単純なのに底意地が悪いところがあるし、今までも言葉巧み(?)に気が付けば変な状況になっていることがよくあった気がする。

この辺はやはり自分より長く生きているし、ちゃんと生まれた時から喋ることが出来たことによる差なのだろうか。そうじゃないとは思うがよく分からない。

 

フードを羽織って頭を掻きながら大きな身体を屈めて外に出て行ったガロアの背中を見送ったセレンは一人静かにふきだして笑った。

 

「……」

努めて表情を変えないようにしながら灰色の目を白黒させている様は大きくなっても可愛らしい。

小さい頃からそういうぽかんとするときの顔と寝顔は変わらない。

 

「……はぁ…。ずっと…何か……悩んでいるよな……一人で……。私には話せないことなのか…」

なし崩し的に行為に及ぶのも別にいいが、少ないとは言っても昔より豊かになった表情からは分かるのだ。

何かをずっと思い悩んでいる。自分には言えないのか、自分だから言えないのかは分からないが。

 

「………そのうち…分かる日が来るのかな…思いも…悩みも…」

それに今はからかっているだけで面白いが、やはりそういう事をするのならばちゃんと好意を確認したい…が、それが実に難しい。

聞いても当然普通に好きだと返ってくるのだろうが…聞けば聞くほど馬鹿を見るのは目に見えている。

よくよく他の人への話し方などを観察しても明らかに自分だけ扱いが違うがそれがどうしてなのかとなると理由をガロアはちゃんと説明してくれるのだろうか。いや、出来るのだろうか。

分かってはいるが、ガロアはどうしようもなくお子様だから。

 

しかし、結局家族と言われても色々な形があるわけだ。

やっぱり具体的にどういうポジションがいいかと問われれば…………などと一人顔を赤くしていたが、ふと悪い予感がして考える前にベッドから飛び退いていた。

 

(誰か来る…誰だ!?)

複数の足音…恐らくは男の物が扉の前で止まった。

その響きには隠しようもない害意が溢れている。

 

(……なんだこいつら)

どやどやと遠慮なく踏み込んでくる数人の男たちは皆下卑た笑みを浮かべている。

 

「騒ぐんじゃねえぞ」

 

(そう言えば鍵をかけていなかったな)

普通は恐怖で言葉も出ない場面なのだろうが、全員間合いに入っていながら隙だらけという時点でセレンに恐怖は微塵もなかった。

こんな男たちよりも怖い存在などいくらでも知っているのだ。

 

「よぉあんた」

 

「……」

 

「ガロア・A・ヴェデットの女だな?一緒に来てもらうぞ」

 

「…!」

全員倒すのは訳ないが、部屋をこいつらの汚らしい血で汚すのは嫌だなと思っていたセレンはその言葉を聞いて素直について行くことにした。

 

 

 

 

 

ビニール袋を長い人差し指にぶら下げながらガロアは考えていた。

ずっと前から頭の中でちらりと浮かんでは消えていた考えだが最近は追い出そうとしても居座り続ける。

アナトリアの傭兵が正義の体現者とされることで自分が悪だと決めつけられているように思ってしまい、その頭の中の妄想を消し去るためにひたすら身体を鍛え続けて戦いとうとう打ち勝ったというのに。

自分は悪であるという考えが全く頭から消えないのは何故か。

 

(多分…殺した分だけ守った数も多いんだろうよ…知っている。コロニーアナトリアを守るために戦っていたんだ)

自分にはない。殺して守ったのはちっぽけな自分のみ。

自分が自分の為だけに、動物を殺すように人を殺してきた。

あの日対峙して以来、消えようとしてくれない。

自分は悪なのではないか。生まれながらに死をばら撒く生き物だったのではないか。

 

セレンが自分を好いてくれている。自分もセレンが好きだ。

普通の人間ならそれでいいのだろう。それが一番の幸せなのだろう。

 

(俺にそんな権利があるのか?)

散々殺しておいて自分だけ幸せに生きるという権利があるのか。

後悔するならどこから?どこで悔いが?

物心ついたときから殺す事にためらいなど一片も無かった人間なのに。

この手で人を愛せるだろうか。

 

(……なんでかな…俺が…)

自分が愛した人間は皆死んでいく。温かい家庭を作れたのであろう本当の両親の命ですらも生まれた日に消えている。

唯一生き残っているロランでさえ間違いなくまともな人生を送っていないのは一目瞭然だ。

お前のせいじゃない、とセレンは言うのだろうが小さな頃からそれがガロアの現実だったのだからもう変えられない。

どれだけ大きくなってもどれだけ身体を鍛えても心の弱い部分は全く変わらない。

真実に辿りつけるほど賢くても、真実を受け入れられるほど強くはなかった。

 

(…! 鍵をかけていなかったか)

首の跡を隠す事に気を取られて鍵をかけ忘れていたらしい。

それだけのことであり、取られて困る様な貴重品があるわけでもないのだが、何故だか全身の毛が逆立つような悪寒に襲われたガロアは飛び込むように扉を開く。

 

「……セレン………」

もぬけの殻の部屋はべたつくような湿気とともにうすら寒さすら感じる。

染みついたような害意と嗅いだことの無い妙な臭い。

 

「…!…!!」

久方ぶりに沸き起こった獣染みた第六感に従いガロアはビニール袋を放り出して駆け出した。

 

 

 

ガロア達が住む場所から10分ほど歩いた建造途中の建築物の一室。

部屋の奥で雑に縛られたセレンは男たちに囲まれて立っていた。

 

「すげえ上玉だ」

 

「さっさと始めようぜ?」

 

「待てよ、俺が先だろ」

 

「……」

気遣いが全くない。レディに対して、とかでは無く、逃げないようにする配慮の方だ。

縛られているものの横だけにぐるぐる巻いただけ。縛られるときに潜水する前のように思い切り息を吸い込み肺周りを膨らましたため、一見縛られているが実際は胸に引っかかっているだけだ。

息を吐けばそのまま縄は落ちてしまうだろう。

 

「眉一つ動かさねえとは…大した女だな」

 

「……」

 

「女連れとは羨ましいな? カラード最強の戦士とやらは」

 

「じゃんけんで順番を決めておこうぜ」

 

(犯す順番を決めているのか? 尋問をするんじゃなかったのか? まともに統率すらされていないではないか)

男の言った通り、本当に眉の一つも動かさずに部屋を観察していくが、考えれば考える程、来て損だったかもしれないと思う。

 

「どうせ初物じゃねぇんだから多少使っても構わねえだろ!」

 

「まずは体に聞こうぜ」

 

(…ガロアの事を聞く気配はないな)

芋づる式にガロアに害する組織を引きずり出すつもりでここまで来たのはいいが、人数が増えるわけでもないし、何かを聞き出そうともしない。

何よりも男しかいない。ガロアに恨みがあるのが男しかいないはずがないのに。

 

「いくらで買われたんだ?ん?」

皮膚が固い男の指がセレンの頬をなぞり髪で隠れたこめかみがひくつく。

 

(…気色悪い)

拳銃は没収されているがこんな閉所ならあまり関係ない。

数だけは多いが酒を飲みながらだべっていたり武器を放ってじゃんけんをしていたりと隙だらけだ。

 

「まずはここからだ」

 

何から始める気なのか、そもそも終着点はどこなのかなど知ったことでは無いが、スカートをナイフで裂かれてセレンは表情を変えずに怒りを沸点まで上げた。

 

(殺すか)

 

ドスッ、と奇妙な音が暗い部屋にいる男たちの耳に届いた。

 

「ぶっ!? ぷっ…」

セレンを除くそこにいた誰もが状況を理解できていなかった。

たった今ナイフでスカートを切り裂いていた男の喉ぼとけを潰してセレンの人差し指と中指が深々と刺さっていた。

 

「な…!」

状況を飲み込み始めた男たちが飛びかかろうとした時。

 

頑丈なはずの金属の扉が一気にひしゃげて吹き飛び、哀れにも一人の男を巻き込んで壁際まで吹き飛んだ。

男たちの視線を集めて立つガロアは10分全力で走ってもほとんどかかない汗を顔中にかきながら肩で息をしていた

 

「がああぁあああ゙ああああ!!」

咆哮したガロアが吹き飛んだその扉に体当たりすると、壁と扉に挟まれた男は踏みつぶされた蟻のように圧死し、一気に血が出てきた。

誰かが反応する前に、酒を飲んでいた男からガロアはビンを取り上げてその男の頭で叩き割り、鋭利に尖った凶器と化した瓶で男の顔を抉り飛ばした。

 

「ガロア!?走って…来たのか?」

 

「…セレン……」

わざわざ説明はしないが、ガロアは前もって携帯でセレンの場所を確認してここまで全力で走ってきていたのだ。

だが、その全力疾走だけでは説明できないほどの異常な発汗がガロアに認められた。

 

(…怒って…いる…)

扉の外からの光を灰色の目が剣呑に反射しながら男どもを震え上がらせる。

そういえばガロアが怒ったのを見るのはこれが初めてなんじゃないか。

リンクスになった動機を考えればずっと怒っていたとも言えるし、フィオナといた時もずっとイライラしていたが結局すぐに機嫌は戻っていた。

男にナイフを突きつけられてもまるで恐れなど無かったセレンだが、部屋を埋め尽くし沸騰するような怒気に脊髄を引きずり出されるような根源的な恐怖を感じる。

 

「ガッ、うっ、…ぐぶ…ふはっははは…」

ギチッ、ギチッとどうすれば人間の体から出るのか想像もできないような音がガロアの身体から聞こえてくる。

異常な速度の鼓動が細い体積に詰め込まれていた筋肉に血液を過剰に供給しバンプアップして、ほっそりした見た目からゴツゴツとした筋骨隆々の大男になっていく。

筋肉が赤く膨れ上がっていくその様子は殺気が部屋に広がっていく様と似ていた。

ここまでのどす黒い怒りはガロアの人生で初めてだった。ガロアの理性が消えてなくなってしまった。

 

「おぉ!?ネクストに乗ってねえテメぇなんざっ!! がっ!!?」

ガロアよりも背が高く、贅肉を過剰搭載した男がバールをふりあげながらガロアに近づいた途端、状況が理解できないといった類の悲鳴をあげた。

そして男たちの足元に何かが湿度の高い音を立てながら転がった。

 

「うあああ!?」

 

「ひっ!?」

 

「撒いてやる、海にっ、腑っ」

セレンには遠くてよく見えなかったがそれは先ほどまで眼窩に埋まっていた、血管のついた大男の目玉だった。

ガロアの長い指の第二関節まで大男の眼に突き刺さっており、大男は未だに状況が理解できていない。

 

「ぐっ、うぶぶ…」

目玉が取れたというのに大男は痛みで騒ぐことも許されなかった。

大男の首を締め付けたガロアの左手の指は皮膚に深々と食い込み血が滲んでいる。

150kgはありそうな大男の身体が圧倒的な膂力に逆らうことも出来ずに宙に持ち上げられた。

大男の黒ずんだ爪がガロアの腕を引っ掻いていくが外すことはかなわず、喉が潰され口から血が噴き出た。

もうあの男はダメだ。セレンがそう思った瞬間。

 

ゴッシャァン、と耳をふさぎたくなるような音を立てて壁に叩きつけられた大男の後頭部はかち割れ壁に脳漿が広がった。

残ったもう一方の目玉も飛び出て大男は一瞬で絶命した。生物としての格の違いをまざまざと見せつけられ、日常的に暴力で生きていた男どもの顔が恐怖に染まった。

 

「なんで…俺にっ、俺にかかってこない…お前たちは、お前たちはっ!!」

絶命した大男の頭にガロアがさらにストンピングをするととうとう大男の首から上は無くなってしまった。

飛び散った血以上に赤く染まったガロアの顔、その口から唾液がぱたぱたと垂れていく。

 

セレンは気が付いていた。

ラインアークから帰った日から何かが変わり、むやみやたらに闘うだけの暴力ではなくなっていたことに。

姿を表さないようになっていた獣が完全に抑え込まれ、戦い方までも変わったのだ。

 

セレン本人としてはそれは完全には賛成ではなかった。

下手な優しさを見せて敵兵を逃がしたとしてもまたどこかで彼らは戦って長引くし、下手に手を抜けばさらに遺恨が残る。

徹底して逆らう気も起きないほど叩くのが結果的に一番早いというのは誰でもわかることだ。

 

それでも、ガロアの獣じみた理性の無い部分がなりを潜めて人間らしくなったのはセレンにとってとても嬉しい事だったから何も言えなかった。

だというのに。

 

目覚めてしまった。叩き起こされてしまった。

自分に暴力の魔の手が迫ったことに対し、ガロアの激情と絡み合った獣が引きずり出されてしまったのだ。

 

父がいなくなったことに対し長い間噴き出る怒りが鎮火しなかったガロアだ。

この怒りもある意味当然なのかもしれないが…セレンは自分の軽率な行動を後悔した。

 

 

「なめんな!!」

 

「……!」

銃を構えてガロアに向けようとした男の脚を、しゃがみ込んだセレンは引っ掛けて転ばし、首を踏みつけ絶命させる。

それと同時にガロアも目の前でバットを振り上げた男の頭蓋骨を捻り頸椎との接続を断った。

 

「おおぉ!」

 

「……」

刃渡り30cmはあろうかという大きさのナイフを突き出した男の腕を、ガロアが恐れも無く掴んだのと相手との距離を詰めるのはほんの一瞬だった。

 

「あっ!!? あがっ!!? ああああがががあああ!?」

ごぼごぼと悲鳴に水音が混じるのはガロアが頸動脈を周りの筋肉ごと噛み千切っていたからだった。

夥しい量の出血が部屋を血の臭いで埋めていく。隙というほど大きなものではないが、その光景を見てセレンの動きが止まる。

バイティングなんて教えた事は無い。噛み千切った肉をぐちゃぐちゃと咀嚼するガロアの目は冷静なのが恐ろしかった。

 

「………べっ」

黄色い脂肪と真っ赤な肉を口から吐きだしたガロアは血を流しながらももぞもぞと死から遠ざかろうとする男の頭を踏みつぶした。

 

「ひっ」

すっかり怯えている男の元にガロアが風のように踏みこんでいく。

綺麗な女を好きなようにできる。それだけの日だったはずなのに、まさか今日が命日だとは思ってもいなかった男の腹にカマイタチのような速さでガロアの貫手が二本、突き刺さった。

どちゃどちゃと生々しい音を立てて引っこ抜かれて落ちた臓物の上に男が倒れてピクリとも動かなくなった。

 

 

「野郎!!」

最後に残った男が散弾銃を構える。

 

「そんな飛び道具なんざで俺が殺れるかッッ!!」

ガロアの怒声で男の体がすくんだのをセレンは見逃さなかった。

 

「…! ガロア!」

 

狭い部屋の中で散弾銃の発砲音が鼓膜を激しく叩く。

だが男が放った弾は仲間の死体に穴を増やすだけに終わり、

 

「「…!」」

 

ボギィッッ

 

軸足で勢いを付けて回転したセレンとガロアの回し蹴りを首の両側から受けて、衝撃を逃すことも敵わずに首の骨が粉々になった。

 

「ううう…動くんじゃねえ!」

 

「…!悪あがきを…」

だが全員を倒したと一瞬の油断をつくように先ほど瓶で顔を抉られた男がガロアの後頭部に拳銃を突き付けていた。

ガロアの腰に拳銃があるのを見つけた男の賭けだった。

 

「撃ってみろっ、俺を、俺のっ、脳みそばらかしてみろっ!!」

 

「……!?」

いくら戦力差があっても頭を撃たれれば間違いなく死ぬのに、何を考えているのか。

セレンは動きが一瞬遅れてしまったが、その時間で十分だった。

 

「死ね」

今までもそういう事を何度もやってきたのだろう。

男はトイレのレバーを引くよりも軽くその引き金を引いた。

 

カチッ

 

「!!……?」

 

「え?」

 

「……」

何故か弾は出ることは無く、セレンと男が呆気に取られている数瞬にガロアは男の膝を蹴り砕いた。

 

「ぐがっ、がっ!? テメェ!」

 

「……」

慌てて刃物を突き出した男の腕を両腕を一緒に掴んだガロアは、その場で力を込めて無理やり一回転させる。

両腕を固定されたまま回転が出来るはずなく、ボゴンという音を立てて男の両腕の関節はいとも簡単に外れて壁際に投げられた。

 

「うぐっ、が、いてぇええぇ!! くそ…」

 

「へはっは、なんで…どうしてだ…その気も、ねぇのに、…今まで生き残っちまった…………。…ふぅ…はぁ……。……聞きたいことがある」

何故弾丸が発射されなかったのか、とセレンが聞く前にガロアは壁に持たれて座る形となった男の髪を掴みあげた。

戦いが終り、焼けた鉄板の上の水が蒸発するように、ガロアの身体から赤色が抜けて体温が下がっていった。

急激にガロアは冷静になっていくが、その緩急のかかった負荷に心臓がなんともないわけが無かった。

 

「ううぅ…なんでここが分かった…」

 

「…臭いだ。テメェらみてぇなゴミは腐った臭いがするからすぐわかる。それと」

冷静な声、冷静な顔のままガロアはいきなり男の顔に拳を叩き込んだ。それだけで男のシンナーでがたがたの前歯はほとんど飛んでしまった。

 

「ぐぅっ!!?」

 

「聞きたいことがある、と言った。聞きたいことがあるか?じゃない。低能め」

ちなみにガロアは質問にまともに答えてなどいない。実際はセレンから貰った携帯はお互いに位置が分かるからここまでこれただけなのだ。

 

「さっきのデカブツの言った通り、ネクストから降りたリンクスはただの人間だ。お前が思ったようにリンクスでも鉛玉で頭を掻きまわされりゃ死ぬ」

 

「いてぇ…ちくしょう…」

 

「じゃあなんでネクストに乗っていない俺を襲わなかった?」

 

「決まってんだろ! その女をぐちゃぐちゃに犯してその前でテメェをバラバラにして殺す為だよ!」

やけくそになったのか、男は唾を撒き散らしながら汚物の様な言葉を吐く。

 

「男しか、いないのはどうしてだ」

ガロアの目が怒りで充血していく次にガロアが爆発すれば男はただの肉塊になるというのに。

男の命運も最早これまでだろうか。

 

「……」

セレンは結局のところその理由を分かっているため何も言わない。

男は痛いところ突かれたように、痛みから来るだけのものではない脂汗を流しながら俯く。

 

「て、てめぇがラインアークを…」

 

「違うだろ…そうやって理由を付けて、正当性を得たような気になって…ただセレンを凌辱しようとしただけだ…」

髪を掴んだまま男の頭を何度も壁に打ちつける。一応殺さないようにと加減はしていくがそれでも壁にスタンプを押すように赤色が広がっていく。

そのまま殺す事は簡単なのにあえて嬲っているガロアの姿に何も言えなかったセレンは、ようやく自分が怯えていることに気が付いた。

 

「がっ!! う、う…」

 

「正しいと思える理由があれば何でもできるよな。遠慮なく嬲って踏みにじれるよな………どこにでもいやがる…お前らみたいなゴミは…」

 

「こ、お」

 

「お前たちはどこにいてもどんな理由を持っても変わらねえ、人を踏みにじるだけのゴミだ。ここできっちり処理してやる」

 

「格好つけんじゃねぇ!!」

 

「……?」

 

「いくらでその女買ったんだ!? 羨ましいなぁリンクス様は!? よぉ!! 一つ才能に恵まれただけで殺すも買うも好き放題か!!?」

それが今回の犯罪行為の理由にはなっていないことに男は気が付かずになんとか行動を正当化しようと喚き散らす。

 

「……ふふっ、そうかよ……」

ふーっ、ふーっと弱った獲物を前にした肉食動物のようにガロアの呼吸が荒くなり、顔に浮かぶ血管が蠕動する。

もう見ていられないと、セレンは思った。ガロアの怒りは正しいし、この男たちは生かす価値などない。

それでもこれ以上は色々な意味でまずいと感じたのだ。

 

「女、コラ!いくらでしゃぶっ!!?」

セレンの蹴りを顔面に貰って男の歯はとうとう全て抜けてしまった。

そのまま言葉を続けていればセレンを侮辱するような言葉が延々と出ていたのだろうが、セレンは自分の為ではなくガロアの為にその男を蹴り飛ばしていた。

 

「ガロアは私に千回負けた。だからこそ強い。貴様らのような連中には永遠に分かるまい」

 

「……セレン」

 

「こんなクズの命をお前が背負う必要は無い」

なにより、セレン自身がこれ以上ガロアが獣になっていくのを見るのが怖かった。

武と暴力は行為は同じでも違う。そして力はどうしたって人間には必要だ。

だからこそガロアには徹底的に武を叩き込んできたし、だからこそガロアはホワイトグリントを正面から叩き潰すことが出来た。

だがそれでも、ガロアの心の中、奥深くの闇に巣食う暴力の獣は消せていなかった。

 

「…ああ…」

 

「……」

 

「どうして…こうなる…」

正気に返って辺りを見回すと血にまみれた死体の数々。

口からは食い千切った肉の血が垂れる。ガロアは酷い頭痛に痛む頭ではっきり絶望していた。

世界に押しつぶされないように強さを求めたつもりが、いつの間にか周りを…自分の大切なものをすら巻き込んでしまっていることに。

 

「…?」

 

(なんで……俺の行く場所は…こうなる?)

長い間許せなかった敵を倒しても。ほんの一掴みの幸せを得ても。

自分の行く場所には血と死体。どこまで行っても煙のように纏わりついてくる。

何か悪魔染みた激運が勝手にガロアの命を守って、その代わりに周りが割をくう。

望んだわけでもないというのにガロアの人生は最強の代償にずっと血に塗れていた。

 

 

 

その後駆け付けた警備隊により事態は収拾した。

男たちはラインアークでも札付きの悪人共でどいつもこいつも何も生産せずに奪ってばかりの前科者ばかりだった。

加害者側が死亡8名、重体1名に対し被害者側が少々服が破れて汚れがあったというだけというのは過剰防衛も疑われそうになったが、

加害者がそもそもラインアークでも持て余す悪人であったことと武装していたこともあり、取り調べもそこそこにガロア達は帰れることになった。

生き残った男も目出度く追放が決定した。

 


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