Armored Core farbeyond Aleph   作:K-Knot

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変な奴ばっかだ

 

「つつつ…」

 

「我慢しろ」

戦いの翌日の朝。起きたセレンがまずしたことはガロアの全身に湿布を貼ることだった。

戦いから帰ったアレフの損傷も、修理はなんとか出来るものの酷い物だった。だがしかしそんな事よりもセレンを困惑させている現実があった。

パイロットスーツを脱いだガロアの胸を斜めに横切る様に打ち身と、更に全身に青あざが残っていたのだ。あろうことか、斜めに横切った打ち身の一番深い場所では皮膚に切れ目が入っていた。

ネクストに乗っていて痛みを感じることはあるがあくまでそれは脳に送られた幻の痛み。だがこれは明らかに脳が感じる痛み以上のことが実際にガロアの身体に起こっている。

やはりこの機体は返そう、そう思った時。

 

「でもゼロだったら死んでたぞ、俺」

 

「え?……よく分かったな。そんなに分かりやすいかな…」

 

「いや……まぁ、うん。とにかくアレフは必要だろ。リスクを避けて戦争は出来ない」

 

「……。朝飯に行くか」

 

「うん」

あの機体も危険だが、確かにアレフ・ゼロに乗り続けるのも精神的な意味で不安だ。

じゃあもう戦いやめてくれ、と言えないのがセレンのもどかしいところだった。

 

 

 

 

 

 

食堂に行き、偶然その場にいたリリウムと朝飯を食べながら味わうこともほとんどせずに上の空でガロアはずっと考えていた。

 

(喋った…よな…)

 

(喋ることも…ある…か?)

ウォーキートーキーなんかは(同じ言葉を言う事はあれど)ガトリングのように喋りまくるし、

アレフ・ゼロでさえ野太い男の声で『システム、戦闘モード起動』とかは言う。まぁそれはプログラムされていることなのだが。

 

(……。どこ製だって…。あんなもんが作れるならリンクスなんているか?作れないことは無いけどコストが高いとかか?)

ネクスト特有の攻撃はしてこなかったが、一部ではネクストをすら上回る動きをしていた。

普通のリンクスなら殺されていたはずだ。あんな技術を出し惜しみする理由が企業にあるのだろうか。

もしもコストが嵩むとなれば、今回五機いっぺんにスクラップにして何かが変わっただろうか。あんなものは生産されないに越したことは無い。

もしも量産体制なんか整ってしまったら世界が地獄になる。

 

「ガロア、おい」

 

「え?」

 

「食べ終えたのなら下げた方が…」

 

「ん?……そうだな」

いつの間にやら自分の目の前の皿は四枚とも綺麗空っぽになっており、自分はただスプーンをくるくると回していた。

 

 

 

「あ、ガロア君」

 

「……。ちゃんと働いてんのか」

返却口の大きなシンクの前でじゃぶじゃぶと皿を洗っているリザイアに声をかけられる。

 

「ええ」

 

「意外と様になっているな」

そんなセレンの言葉を聞きながらガロアはポケットから端末を取り出した。

 

「聞きたいことがあるんだが」

 

「あ、その前に」

 

「何だ」

 

「美味しかった?」

 

「あ? なんだって?」

その言葉でガロアはぼけーっと先ほど何も考えずに口にかきこんでいた食事の味を思いだしていた。

なんというか…どっちつかずの、パンチのない味だった。もう少しキッチンが広くて食料が調達できるならわざわざここに来ようとは思わないだろう。

 

「私が作ったのも食べてくれているみたいだから」

 

「皿洗いじゃないのか」

 

「どうだった?」

 

「……お…」

底の見えない崖を覗きこんでいるというのに、何も思わずに前に一歩踏みだすような軽さでガロアは口を開いた。

 

(((美味しかった!?)))

リリウムもリザイアもその言葉を言うのかと思ったが、セレンだけはそのすぐ後にそれは絶対にないと思いなおした。そして。

 

「俺が作った方が美味い」

倦怠期の男女ならそれだけで別れ話に発展するような言葉をガロアが言った瞬間、夢から覚めるような高い音が響いた。

 

「バカかお前は!」

 

「失礼すぎます!」

リザイアが溜息をついて肩を落とすと同時にセレンとリリウム、左右からきついビンタが飛んできて手に顔を挟まれる。

 

(何故だ……)

と、ガロアは思うが失礼だバカだという二人の言葉も正しい。

だがそれよりも二人の心の中にあったのは、味うんぬんよりも『自分が料理を作ったりしたらどういう反応をされるのだろうか?』という疑問であった。

そしてガロアの料理の腕を知る二人は、リザイアへの回答は歯に衣を着せぬガロアの事だ、自分達ももし料理を作った時にはそのままそう言われるのだろうと思っていた。

その通りである。一般的に女性の仕事とされる料理洗濯洗い物掃除を未だにやっている理由ですら『自分がやった方が早いから』である。

異性どころか人間とも関わっていなかった長い時間があるガロアに今更女性へ気の利いた答えを出せというのも無理な話なのかもしれないが。

 

「……。まぁいいわ。お世辞よりは。で、聞きたいことって何かしら」

 

「これ、知らないか?」

昨日の無人機の画像を見せるが見ると同時に何これ、という顔をする。

この女に関しては言葉よりもこういう節々の動作を観察する方がいいはずだとガロアは思っていた。

 

「何これ? ノーマル?…には見えないわね」

 

「いや、知らねえならいい。皿洗い頑張ってくれ」

オーメルはインテリオルと提携関係にあったはずだし、となるとインテリオルグループの可能性も薄い。

ならば…独自性を保ち続けているアルゼブラとかだろうか。確かにあそこならやりそうな気がしなくもないが。

 

「待って」

 

「仕事中話すのはもうやめておけ」

 

「お願いがあるんだけど」

 

「……」

 

「お化粧品を買ってきてくれない?」

いいとも悪いとも言う前に話を聞かされ、むっとしていたら、さらにその言葉を聞いて困惑する。

 

「はぁ?」

 

「こっちに持ってきていないの。近くにはまともに買える店もないし。……人から借りているけどそれも限界があるし。ね?」

 

「は? 我慢しろそんなもん。いらんだろ」

何言ってんだこいつ、と思いながら振り返りさっさと行こうとするがリリウムもセレンもその場を動かない。

 

「いえ、必要です。絶対」

 

「お前は起きて顔洗ってそのまま外にいけるからいいよな」

 

「……なんだソリャ……」

今日に限って女性陣が味方をしてくれないのは何故だろう。

だがセレンの言葉通り、自分なんか起きて着替えて顔洗って寝癖を掻きまわしてただの癖にして外に出て行ってしまう。五分もかからない。

今更ガロアにすっぴんを隠す事も無いセレンだが、それでも外に出るときは薄化粧をするし、ガロアと外に出るときは普段より五割増しで力を入れて化粧をする。

化粧をするなら何故髪の手入れはほとんどしないんだ、それも乙女心か(違う)、などとガロアは考えるが、どちらにしろそんなものを買いに行くのは面倒でしかない。

 

「他を当たってくれ。悪いがこの後は運動の時間だ」

 

「全身そんな状態で運動するつもりか? 治りが遅くなるぞ」

 

「……急な出撃があるかもしれない」

 

「ガロア様の機体……どんなに急いでも一週間は修理にかかるそうですが」

 

「……」

これは暗に行けと言っているのか、と思う。

実際はちょっとは女の苦労を思い知れ、とセレンもリリウムも少々意地悪く思っているだけなのだが。

 

「ああー…こんなに窮屈なら…出て行っちゃおうかなー…なんて」

大げさに頬に手を当て息を吐く割烹着姿のリザイア。

 

「そしたらバラバラにして魚の餌だ」

 

「その手間とお使い、どっちがいい?ガロア君」

脅すような言葉も全く効いていない。

実際出て行ったら放っておくことが見抜かれているのだろうか。

 

「……。しょうがねぇ」

 

「はい、お願い」

そう言いながら差し出された紙には買ってきてほしい物が綺麗な筆記体で書かれている。

 

(最初から俺が行く前提だったのか……この女……)

言葉巧みと言うよりは、最初からどうなってもこうなることが分かっていたという感じだ。

舌打ちしながら受け取った紙を見る……が。

恐らくはメーカーと化粧品の商品名なのであろうオシャレな名前が羅列されているが意味不明の一言。

ガロアにとっては数式や化学式の100倍は取っつきにくい。

 

「なんだこりゃさっぱり分からん。全然だめだ。それに売っている場所も知らねえ。多分俺は適任じゃねえぞ、オイ。ホントに」

 

「場所も商品名も…分かります」

ガロアの手にある、つき返そうとしたメモを背伸びしながら見ていたリリウムが声をあげる。

 

「そうか? じゃあお前……」

一人で行け、とまた株を下げるような発言をする前に口を閉じる。結局被害はほとんど無かったがセレンが悪意に満ちた性犯罪に巻き込まれたことを思い出す。

そんな危ないところを一人で行かせるのはダメだと思うし、王からリリウムを頼むとも言われている。

 

「……お前も行け!」

 

「!……そうするよ」

自分が言おうとしていたことを見抜いたかのようにセレンが少し厳しめの声をあげてガロアは身体を小さくしてその場で跳ねた。

 

「お願いね、ガロア君。お金渡すから裏に来て。あんまり関係ない人をどかどか入れたら怒られちゃうから、ガロア君だけね」

手を合わせてウィンクをしてくるが、もうすぐ30歳になろうという女がそんなことをしても可愛くない。

というかちゃんと帽子の中に髪をしまえよな、と文句ばかり浮かぶ中で疑問が一つ混じる。

 

「……ん?行け?セレンは来ないのか?」

 

「……やることがあるんだ。お前たちで行って来い」

 

「来ないのか」

 

「……行きたいのはやまやまだがな」

 

「……そうか。金を受け取ったら行くから。部屋に自分の荷物を取りに行ってそのまま待っていてくれ、リリウム」

 

「……。はい」

今のガロアとセレンのやり取りで二人の、言葉で言い表しにくい温かくほっとする綿のような関係をぼんやりと感じ取ったリリウムはほんのりへこみながら返事をした。

 

 

キッチンに入ると中々興味を引く物が多かった。

一気に揚げ物を揚げられる業務用フライヤーなんかはあったら便利そうだ。

料理を一々分けて作業するのは効率が悪いのだ。

 

(しかし……じゃあなんだったんだ、あの自律兵器は)

技術的にオーメルグループ以外に作れると思えない。そもそも出し惜しみしていたにしても何故今頃出したのだろうか。

目は開いていても何も見ていないといった感じで考えに没頭しながらリザイアに着いて行く。

 

「……?」

キッチンの裏にある扉を開けて通路に入るとリザイアは帽子を取ってしまった。

何か嫌な予感がする。

 

「ロッカールームとかしっかりしてあって意外だった。結構うれしいものね、そんなのでも」

 

「……そうか」

鍵をあけたリザイアに促されるままにロッカールームに入ってから気が付く。

なんで自分が先に入っているんだ?と。そもそもここまで来る理由自体よく考えればない。

何かまずったか、と振り返った時にはもう遅かった。

 

「さぁ、これで誰も入れない」

後ろ手に鍵をかけて出口の扉に仁王立ちしているリザイアがいた。

よく見てみたらドアノブには鍵穴しか無かった。この部屋は鍵を持つ者しか入れないし出れないようだ。意外にも防犯的な観点からしてしっかりしている。

 

「……この女…」

誘いこまれたのだ。

それに気付かずにぼけぼけと違うことを考えてここまで来てしまった。

 

「悪いお姉さんには気を付けないとダメよ」

 

「反省しているよ」

ここは尋問の為の部屋では無い。

ここには何の監視の目も無い。

あるのは個人の諍いだけだ。

キレているようには見えなかっただろうし、実際キレてもいなかった。だがこの女に対して優しくしよう、説得しようという考えはガロアの頭に最初からなかった。

ガロアはその長い脚を思い切り振り被って蹴りを放った。

 

「! いきなり……」

天井に刺さるかな、あるいはぐしゃぐしゃかな、どちらにしろ一撃だと思ったら、リザイアはその品の良さが伺えるような綺麗な手をガロアの脚にそっと付けた。

そして、あと0.3秒で力がダイレクトに伝わって浮きあがるところをそのまま横方向に力を加えてきた。

 

(化勁か!! なんだ…持っているじゃないか…)

真上に向けて蹴りを放ったはずなのに勢いそのままに、その場でバレリーナのようにくるくると回ってしまった。

攻撃のベクトルを変えられたのだ。いきなり追い込まれたときにこの女が出したのは武の方だった。身を守る技術もしっかり身に付けている。

養成所で身に着けたのか、それ以外なのかは知らないし興味もないが。自分の蹴りを流せるだけの力はあるということだ。

 

「なるほどね、気に入らない雌は殺してもいいと……らしいわ。とても」

 

「なんだ……それは、あー…太極拳だっけか。俺の全力の勁も流せるか?」

自然と口の端が釣り上がっていた。

今日は絶対に下手な運動は出来ない、させてもらえないと思っていたがこんなイベントが待っているとは。

腰を落として息を吸いこみ血液の酸素を入れ替えていく。左脚と右手が接触と同時に直線になる様に緩く構えを取る。

 

「浸透勁ね……それはくらいたくないわ。いたぶり……残酷に…望むところだけど、一撃で無慈悲にっていう形の慈悲はごめんね」

だがいざ攻撃を放とうとしたら降参だと言わんばかりに両手をあげてしまった。

いくらなんでも無抵抗の相手に全力の攻撃を打ち込んでも楽しく無い。

 

「……。もういい。さっさと金を出せ」

 

「まるで強盗みたいなセリフね。でもそれで終わり?」

 

「……」

 

「避妊しなくていい。終わったら変な気を遣わずに出て行ってくれて構わないから」

そう言い始めていきなり割烹着を脱ぎ始めた。

恥も外聞もないのかと思ったが、確かにここには二人しかいないし、誰も入ってこない、出れない。

 

「お前っ」

ずきん、とまた頭が痛みだした。

この女が自分と近いから変に引きずり出してくる。

 

「神に誓って変な病気も持っていない」

 

「この、大嘘吐きめっ、何が神に誓ってだ!」

こんな女のパンチを100発貰ったところで堪えやしないが、その言葉の一つ一つで頭痛が酷くなっていき、足元がぐらついた。

やはりこの女は嫌いだった。

 

「お互い様ね。あの…セレン・ヘイズ、オペレーターにも黙っていてあげる。何も言わないわ」

 

「……」

脳細胞をじくじくと溶かすような痛みを振り切る様に一気に息を吐き、その場から一歩踏みだす。

 

「殴り倒していく? さぁどうぞ。本当のあなたをそのまま見せていて」

 

「お前……お前、何が目的だ」

 

「……理性の無い雄なら……雌を犯すか邪魔とみなして殺すか……どっち?」

 

(本当のだと……)

裸になるか、キレて暴力を振るうか。どちらにしても中身をぶちまけることになる。

だがそれだけではない。この女はそれを見たがっていて、どういう訳かそれを引きだす術を心得ている。

心とはまた別の『中身』に触れてくる。そう思っていると実際にガロアの胸にリザイアが触れてきた。

 

(痛ってええええええ、頭、割れる!!)

先日の犯罪者たちを引き裂いて殺した時と同等の頭痛がガロアを襲ってくる。

まるで内側で殺意が意思を持って身体を食い破ろうとしているようだ。

 

「お前とっ、話していると、調子が狂う!」

リザイアを突き飛ばして、そのまま逆の壁際までガロアは引いてしまった。どんな強敵でも不退転で通す自信があるのに、どうなっているのか。

だが、そんな自分を見てリザイアは実に楽しそうにこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。

 

「あなたを初めて見た日、私はね、その場に本を落として走ったわ。動物園に。でも全然違う……やはり飼いならされているから?」

 

「……」

 

「人は高度になっていけばいくほど嘘……嘘嘘嘘、嘘ばかり……あなたはどこから来たの?ロシア、だけじゃないはず。恐らく嘘の入り込む隙間が全くないほどシンプルな世界で生きてきた。嘘で守られるはずのヒトの命をそんな環境に晒すと……こうなるのね」

 

「暴力が…」

近づくな、と言おうとしたのにガロアは全く別の言葉を言っていた。

たらりと嫌な汗が垂れる。

 

「命を輝かせる。顔がいい?高学歴?エリート……? 下らないわ。裸になってもまだ何かを着たがる人ばかり。いざとなったら原始人みたいに手と足だけで戦わなくてはいけないなんて、想像もしていないんでしょうね」

 

「くそっ、嘘つきめ、それも嘘か?」

 

「ガロア君の言う通り、私ほど嘘を重ねてきた人間はいないわ。いつどこでも……そうそう出会えない、あなたみたいな……」

 

「それ以上っ、言葉を重ねるな!!」

奈落の底に落ちながら幼い頃に戻っていくような感覚だった。

三大欲求の一つがない代わりにどす黒い殺意があったような日々に。

 

「あなたに溶けるまで抱かれたい。さぁ」

 

「やめろ!脱ぐな!外すな!へし折るぞ、その指!」

目の前でゆっくりとブラウスのボタンを外し始めたのを見て、慌てて外れたそばからつけなおしていく。

まるで服を着るのを嫌がる三歳児に無理やり服を着せているかのようだった。

 

「どうぞ」

 

(なにがなんでもか、この女……)

折れるものなら折ってみろ、とその細く白い指を差し出してくる。

一体全体何がそんなに楽しくて引きずり出そうとしてくるのか。そんなに見たいのだったら森の奥にでも引っ込んでしばらく生きていけばいい。

もうかなりリリウムを待たせている気がする。いや、そもそも化粧品がどうのというのはこの女の口実だろうか。

どっちにしてもさっさとここから出たかった。

 

「さぁ、どうするの?」

 

「こうする」

リザイアの問いかけに答えるよりも早く脇に手を入れてリザイアを持ち上げ、鍵のかかったドアの前まで連れて行く。

 

「分かった。お前はそこに立っていろ。どうせ最後までやらなきゃどく気はないんだろ」

 

「その通りよ」

 

「じゃあそのまま見てろ。お前のせいだからな」

リザイアを扉の前に立たせたまま隣の壁と向き合い適度に距離をとる。

やったことがあるわけでは無いが、恐らくは出来るはずだ。

重心を下に下にとさげ、内攻を練りあげていく。

極限まで高まり、一気に踏みこむと初めてリザイアがまさしく『げっ』とショックを受けた顔で必死に止めてきた。

抱き着いてくる形だったが、先ほど指先で触れてきたような嫌な感触では無かった。

 

「壁を壊す気!?」

 

「そうだ」

既に被害は出ている。

踏みこんだ場所にガロアの大きな足跡がくっきりと残ってしまっていた。

 

「そっ、それは困る」

 

「じゃあ。どけ!」

 

「はぁ……メチャクチャね」

 

「お互い様だろ」

リザイアが鍵をあけたのを見てようやくほっと一息つく。

朝からどっと疲れた。

 

「買ってきてね」

 

「そしたらもう俺に関わるな」

 

相当嫌われたものだ、普通男が女には言わないような捨て台詞を残してガロアはリザイアを置いて足早に去っていた。

 

「……」

脱ぎ捨てた割烹着を黙って着るリザイア。

景気よく脱いだはいいが、普通に勤務時間だ。

たかが5分くらいのやりとりだったが、担当がその場から離れるのは早速大問題だろう。

クビにならなければいいが。

 

「隠せなくなるわ……いずれ。そのときは先を見せてね……あなたなら辿りつく」

剥きだしにした闘争本能の先に、とリザイアは言葉を続けてロッカールームから去った。

 

同類に対するその獣のような第六感は当たっており、ガロアは近いうちにそれを隠しきれなくなる。

もうそう遠く無い未来のことだった。

 

結局お金は渡さなかった。そもそもまだ給料を貰っていないから当然のことだった。

 

 

 

 

リリウムの部屋に行きノックをするとなんとまだ準備が出来ていないと声が返ってきた。

荷物を取るだけなのに何をしてんだ、と更にしばらく待っていたらがんばってお洒落をして、綺麗に化粧で顔を整えたリリウムが出てきた。

流石に唐変木なガロアでもリリウムが何を考えているのか色々と分かってしまい、少しだけ緊張した。

確かに女性に化粧品は必要なようだ。それだけで、その日に対する気合や思いまで見えてしまう。

 

どうすりゃいいんだこれは、と困惑する心を隠して二人で廊下を歩いているとガロアは背筋にビリビリと何かを感じ取った。

リリウムはその時は何も気が付かなかったが、曲がり角を曲がって実際に『それ』を見て気が付いた。

 

 

「……」

 

(なんだあのヤル気満々は……)

 

(サムライ…ですか……?)

 

歩く二人の10mほど先で顔を横切るような古傷のある東洋人が壁際で何をするでもなくただ立っていた。左腰に帯刀して。

リリウムはなんでカタナを持った人が立っているんだろう、ぐらいにしか思わなかったが、ガロアの目にはその男の半径4mほどに透明な円があるように感じられた。

巧妙にただ立っているように見せかけているが、僅かに前傾した上半身、肩幅ほどに開いた足、見開くでも閉じるでもなく細めたまま全く瞬きをしていない目、そして何より鍔に指がかかっている。

顔を斜めに横切る傷が足音を聞いてひくついており、間違いなく斬りかかってくる。

 

(……強そうだ)

ウィン・Dとは違い、完全に刃物を使うための環境に身を置き修練を重ねたのだろう。

刀とのあの一体感は並大抵のことではない。自分にはわかる。

奴は自分に対して勝負を仕掛けようとしてきている。理由は分からないが、それだけは分かるし、こういう分かりやすい展開は嫌いじゃない。

本能的衝動に負けて構えようとしてから、隣で完全に混乱しているリリウムに気が付く。

 

(……やっぱお前……リンクス向いていないよ……)

その戦いぶりを見た事があるわけでは無いが、王小龍とのコンビで教科書的な戦い方をすると聞いたことがある。

根本的に優等生なのだろうが、それだけだ。その先に行くための嗅覚が備わっていない。ここでリリウムを巻き込めない。

 

(リリウム、目を瞑れ。そしてそこに立っていてくれ)

 

(な、え? なんですか?)

小声でぼそぼそと語りかけるとリリウムは当然疑問を投げかけてきた。

 

(あれだ……あれ、…ほら、……お願いだ)

 

(……。分かりました)

全く要領を得ていない説明をしたガロアの『お願い』にリリウムはただ素直に応じてくれた。

あまりにもあっさりしていたので、一瞬疑問が湧いたがそれもすぐにどうでもよくなった。

ひそひそと話していた自分達の声も聞こえているだろうに、あのサムライマンは全く動いていない。反応していない。

 

(……円に揺らぎがない……踏みこむ隙間の波がない)

動かない、と言ったって生きている限りはどうしても呼吸や心臓の動きがある筈だ。

なのにその間合いに少しも変化がない。

 

(やられるのは……俺か?)

間合いに一歩でも入れば次の瞬間に斬られているイメージが浮かぶ。

これは自分がそう思ってしまったというよりも、あのサムライが頭の中の光景を絶対の自信に電波のように乗せて飛ばしてきていたのを受け取ってしまったからだろう。

ナイフを抜いて構える。刃物を使った訓練はセレンからほとんど受けていない。刃物を持った相手に対する訓練だけだ。

それでも自分だって長い間ナイフを使ってきたのだ。これで受けて、次の踏みこみで壁に埋めるほどの一撃を叩き込む。

 

「……」

 

「……」

飛びかかる前の虎のように前のめりに構えたガロアはまばたきをすることすら忘れて、口を半開きしたままその瞬間を待っていた。

身体から魂が発射されそうな程集中し、目と口と鼻から液体が零れても少しも気が付かなかった。

 

「あの……?」

意味不明の沈黙に耐えかねてリリウムが口を開いた瞬間にガロアは一気にそのサムライ……真改の間合いに踏みこんだ。

 

細い目が開かれ鷹のような鋭い眼光がガロアの目線とぶつかった。

銀色の刃が高い音を立てながら向かってくる。

 

(なぜ、抜いている俺の方が遅い!?)

このナイフで受け止めて、と考えていたが、まともに受け止める形になる前にガロアの首を裂く位置に刃はあった。

相手の刀は帯刀してあって、相手の刀の方が自分のナイフよりも大きいし重いはずなのに。だが理不尽に文句を言うのは生き残ってからだ。

とっさに、掌底に使うつもりだった右手もナイフを握らせて首元に持っていく。

 

ギンッ、と金属がぶつかる感覚と音が響くとガロアは想像していたのに。

 

(うッそ!?)

安物という訳でも手入れをしていなかった訳でも無いのに、ガロアのナイフに敵の刀の刃が食いこんでいく。

だがそれでもなんとか軌道をずらすことが出来た。あっけなく首を切り裂いていたはずの刀は、気が付けば真改の腰の鞘に再び戻っていた。

 

(なんだこれは……)

折れた、ではなく斬れたナイフの断面を見るガロアの目の瞳孔が小さくなっていく。

どこもギザギザとしておらず、美しい断面となっている。鉱石同士がぶつかってこうなるなんて自然ではあり得ない。

小型携帯型レーザーブレードなんていうおもしろグッズでも無い。

あの刀は正真正銘ただの金属だった。

 

「……」

攻撃してみろ、と男が言っているようだった。

そこに立っているだけなのだがまた鍔に親指がかかっている。

この距離なら次は斬り殺される。目を開いてしまったリリウムは顎が外れる程口を開いていた。

 

「モナリザって見た事あるか」

 

「……」

 

「俺はない」

ダダダダ、と癇癪を起こした車のエンジンが暴発するような音が響き、真改は一瞬身がすくみ、リリウムは飛びあがった。

ガロアがいきなり拳銃を抜いて真改の足元に連射した音だった。その行動は全く真改の想定外だった。

抜刀が一瞬遅れた。

 

「……!」

そしてまだ刀身が完全に抜ける前に真改の右手はガロアに掴まれてしまっていた。

 

「すげぇ、まるで宝石だ…」

身体をがっちりと押えこみ、ぎりぎりと腕を動かして刀を完全に抜かせる。

その輝きはガロアが今まで見てきた刃物の中で一番美しかった。

芸術品など全く理解できないガロアだが、その価値は理屈を超えて一瞬で分かってしまった。

 

「誰が作った……? いや、違う。念が籠っているって奴か!」

人差し指でそっと触れるとそれだけで血が流れ出た。

刀身を流れて落ちた血は、流れた赤い跡すら刃に残せなかった。

この刀はどれだけの人を斬っても切れ味が落ちないとでもいうのだろうか。

 

「誰が、何の何を込めて研いだ? 相当大切にされていたんだな、長い間」

 

「!!」

無表情を貫き通していた真改の顔が初めて変わった。

だがガロアの中ではもう話は終わっていた。

 

「変な奴ばっかだ。でも、いいもん見たなぁ……リリウム、行こう」

 

「は、はい」

真改から手を離してリリウムを呼ぶとリリウムは慌てて駆け寄ってきた。

ガロアにとってはやはりというか、リリウムが間合いに入っても真改はいきなり斬りかかったりしなかった。

未だに血が止まらない指先を口に含んで少し笑ったガロアはそのまま廊下を進んでいった。

 

「……なんだと…まさか…」

廊下を曲がるときに後ろから聞こえた言葉はガロアの知らない言語であり、何を言っているかさっぱり分からなかったが追いかけてくるような気配はなかった。

 

「??」

リリウムはひたすら混乱していた。

 

 

 

 

「……」

長い間アンジェの事を考えているうちに行動までアンジェに似てきてしまった真改は、

自分が口が上手い方ではないと自覚していたので悪いやり方だと知りながらもガロアに喧嘩を仕掛けた。

ブレードに憑かれていると言ってもいい程才に恵まれたガロアが、命を差し出すような戦い方をするガロアが、どんな思いを抱いているのかを知るために。

だが戦いは途中で終わってしまった。なぜあれだけ強くて戦いに好かれているのに、これ以上の戦いを望まないのだろう、と疑問に思ったが普通は刃物を持った男からの日中の喧嘩など買うはずも無い。

 

「……何ということだ…」

だがそんなことはもうどうでも良かった。ガロアが何気なく放った言葉が全てだった。

再び抜いた木洩れ日丸は錆も一切なく妖しく輝いている。その光にアンジェの怨念とも言える物が籠っていると感じていたがそれは正しかった。

繊細な日本刀は最低でも一カ月に一回は手入れをしなければ錆びつき腐食してしまい使い物にならなくなる。

だがアンジェの手元に数年あってなおこの輝き。その光は人間性を捨て去ったはずのアンジェが木洩れ日丸に向き合い研磨していなければあり得なかったはずだ。

リンクスに日本刀など必要ない、と断言できる。その上ネクストに乗って戦場で思うまま望むまま暴れまわったアンジェに刀などますます要らなかっただろう。

つまり、手元にある間はずっと手入れをしていたのだ。自分が学んだ剣の道を、父の教えを忘れることなく。

 

「……親父…」

戦闘狂だったことは間違いないし人間をやめかけていたことも間違いない。それでもアンジェは一緒に育った血の繋がっていない家族を忘れてなどいなかったのだ。

長い長い回り道をして真改は今日突然、ようやくずっと手元にあった答に辿り着いた。

 

「真改…? その、なんだ…? これはなんなんだ?…すまん、まったく分からん、分かる様に説明してくれないか」

銃声を聞いて飛んできた……のではなくそこはメルツェルの部屋の前だったのだ。

拳銃を持って寝癖と寝間着フル装備で混乱を顔中にいっぱいにしたメルツェルが真改に尋ねてくる。

 

「俺がやった」

 

「ファッ!?」

 

「ふっ……」

 

「わ、笑っ……!? 笑ってる場合か!! だ、弾痕がモロだ、モロについているぞ!! 真改!!」

 

 

真改の長い旅は終わりを告げたのだった。

真改は久しぶりに心から笑うことが出来た。





井上 真改

身長 175cm 体重 71kg

出身 日本(育ちはカナダ)

父となった竹光の元で、普通に学校に行き、普通に育ったはずなのにアンジェの背を追ってリンクス→テロリストとなってしまった。
アンジェもアンジェだがそんな道を行く真改も十分な変人だった。
剣術の師範だった父をして「これほどの才能の持ち主は見た事が無い」と言わせたほどで、実際に彼と剣を持って向かい合い勝てる人間はアンジェを除いていない。彼の剣には理が宿っている。だが、「理」とは「突き詰めれば誰でも再現可能」という意味であり個の極みには達していない。
あのまま道場でひたすら修行を繰り返していれば辿りつけたのか、それともこの経験を活かしていつかはその極みに辿りつくのかは誰にも分からないが、
少なくともアンジェが何を考えていたのかは分かった。
アンジェは家族を愛していたのだと確信を得たのだった。

ORCAでやるべきことが終わったら父の元に戻って道場を継ごうと考えているが、果たしてどうなるだろうか。
まだ未来は決まっていない。


趣味
ルービックキューブ
こよりを使ってくしゃみ

好きなこと
有澤圏の酒をちびちび飲むこと
メルツェルとヴァオーの一方的なチェスの試合を横目で見ること

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